ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

キュリオデッセイ(CuriOdyssey)の動物たち〜サンフランシスコ

2020-01-06 | すずめ食堂

バーリンゲームに住んで毎日のように新しいトレイルを探し、
歩きにいったのですが、その中で今回最も「当たり」だったのが、
バーリンゲームからは西側に位置するクリスタルスプリングス貯水池ぞいの

ヒストリック・セイヤー・トレイル(Sayer Trail)

でした。

キャンプ場もあるという散歩とサイリングのために作られた道。
全長17マイルあるので、自転車ならともかく、歩く人は
途中でUターンして帰ってこなくてはいけません。

周りは路駐が可能で、近くにはハンディキャップ用のスペースがあります。

さて、早速歩き出しますか。
貯水池は南北に細長く、その東側に沿って道があります。

ここにもマウンテンライオンが出るようです。

「近づかないこと、しゃがんだり走ったり、急に動いたりしないこと」

「トレイルに立って、出来るだけ体を高く、大きく見せること。叫ぶ」

「子供がいると抱き上げると、より大きな人に見せることができます」

シルエットを見ると、まるで子供を盾にしているように見えるんですがそれは。

絶えず施設の追加や修復が行われているそうです。
地方自治体からの支出だけで賄えているのでしょうか。

日本人には羨ましい限りです。

車は通れませんが、サイクリングの自転車がしょっちゅう行き来するので、
歩く人は邪魔にならないように出来るだけ端を歩きます。

後ろから来る自転車は、軽くベルを鳴らすか、あるいは

「Your left!」

などと声をかけて通り過ぎていきます。

おそらくこれまで人間がが歩いたことがない場所?

歩いていてふと動くものがあったので目を向けると、
柵のすぐ向こうに鹿がいました。

カメラを向けると、ずっとこちらを凝視していました。

これだけではありません。

新しいトレイルに行くときには必ずカメラ持参なのですが、
この日、向かいから来た人が、わたしのカメラを見て、

「そこの茂みの向こうに今鹿が来ているわよ」

と教えてくれたので、どれどれ、と茂みの向こうに
カメラを入れるようにしてみると・・・・、

親子の鹿がいました。

身体は小さいですが斑点がないので、もしかしたら成体かもしれません。

この日は1時間歩いて帰ってきました。
入口に

「リングを拾ったので電話かテキストをください」

と番号のメモがあります。
アメリカでは携帯メールのことをテキストというので、高速には

「テキストしながらの運転は罰金いくら」

というように書いてあります。
こちらでも運転中の携帯メールでの事故は深刻なんですね。

この散歩をしたのは9月4日だったのですが、この84歳の老人は
この時点で10日くらい行方が分からなくなっているというのです。

夕方、歩いてくるといって出ていってそれから帰ってこないと・・。
猫がいなくなったという張り紙はよく見ますが、人間は初めてです。

おじいちゃんはdementia、認知症だと最後に書いてありますが、無事なのでしょうか。

というわけで、この日もAirbnbの部屋に帰ってきました。
わたしの部屋はこの右側の扉を入っていったところです。

サンフランシスコ最後の日、ふと思いついてコヨーテポイントにいきました。
夕方でしたが、週末なのでウォータースポーツを楽しむ人々が。

右側にサンフランシスコ空港が位置します。
時刻のせいか、風が強く、内海にしては波があります。

しかし、そんな海で(きっと冷たい)泳いでいた根性のある家族。

ここに立っていると、空港に着陸する直前の飛行機が間近に見られます。
何年か前サンフランシスコ空港に墜落したのは確かここの飛行機でしたね。

出入り禁止になっていないようで何よりです。

こちらはそれと対照的に大変評価が高いシンガポール航空。

過密空港なので二機が同時に飛ぶこともしょっちゅうです。

今日の目的はここ、コヨーテポイントにあるキュリオデッセイです。

キュリオシティとオデッセイの造語である自然博物館で、
主な用途は、子供の自然教室だったりします。

動物園もあるらしい、と昔知ってから、一度いきたいと思っていたのですが、
散歩の時間には開いていないので、この日ようやくチャンスがきました。

まずは小さな水槽から。

western toad、セイブヒキガエルは南北アメリカ大陸にのみ生息するカエルで、
ペットとしてに飼育されるそうです。

カエルって懐くんでしょうか。

鳥籠だけど室内ではないケージにいる猛禽類の皆さん。

写真を撮っていたら睨まれました。
ゴールデンイーグルという種類です。

ここには他にも普通のカラスとか、ヒメコンドル(Turkey Vurchre)

「Turkey Vulture」の画像検索結果

などがいます。

昼間はおやすみ中でお姿は見えませんでしたが、こんなのもいるみたいです。
飼育員のメモによると、このフクロウは年間1300匹のげっ歯類を食べるそうです。
一日平均4匹くらいってところでしょうか。

ちなみにこのバーンオウル、夜の間ナイトカメラで生態が観察できます。

https://curiodyssey.org/animal-cams/barn-owl-cam/

アシカ?と思ったら違いました。
水上からとガラス越しに水中の生態を見ることができるのは

ノースアメリカン・シーオッター(北アメリカカワウソ)

狭い水槽を際限なくものすごい勢いで行ったり来たり。
もしかしたら狭くてストレス溜まってるんじゃないだろうか。

このカワウソ君はワシントン州の個人の池に或る日突然現れたもので、
池の所有者はカワウソを放置して面倒を見てやっていたそうですが、
自然に返すためのリハビリセンターに連絡を取り、ここにくることになりました。

じゃあ自然に返してやれよ、と思うのですが、カワウソは大食で、
下手に新しい場所に放すと自然体系を壊すこともあるというのです。

というわけで、彼はここで今後も過ごす予定のようですが、
うーん・・・・どうなんだろう。

カワウソくん・・・楽しい?

ノースアメリカンラクーン、キタアメリカタヌキです。

この時タヌキはどう見ても2匹しかいませんでしたが、実はメス2匹、オス2匹がいて、

その全部がどこかの動物園とか、個人のペットだったということです。
持て余し、貰ってくれるところを探す飼い主もいるってことでしょうか。

確かに可愛いです。

こ両足を開いて、その間に両手をきちんと揃えて置くのが基本姿勢。

ラクーンも毛皮にされてきた歴史がありますが、最近アメリカでは
毛皮というのは完璧に時代遅れ&顰蹙アイテムみたいです。

おしゃれなブランドが出すファーは限りなく本物に近いフェイク。
最近は技術が進んで、本物と見分けがつかないフェイクファーもあります。

キュリオデッセイの一番人気といえば、ボブキャット。
2匹が一緒に入れる吊るしたカゴに一緒に入っていました。

名前はカーロとフランキーだそうです。

カーロはまだ子猫(っていうのかな)の時に肺炎で死にかけのところを
なんとか生還した子で、フランキーは運動障害でした。

どちらも2009年生まれで、生まれた時からインプリンティングを
人間で行ってしまっているので、自然には返せないと判断され、
ここにいるのだそうです。

1匹が出て「猫伸び」をしました。

体は大きくとも仕草は猫です。
爪を立てています。

写真を撮っているとじっと見つめてきてハートを射抜かれました。

ちなみにボブキャットもライブカメラで生態観察ができます。

https://video.nest.com/live/78WkLzkrr6

これはライブカメラの映像をスクリーンショットしたものですが、最初、
この状態で動かないのでライブじゃなくて写真かと思ったら
瞬きしました。
ネコ科は夜行性なので夜見るとうろうろしているのが観察できます。

この場所は彼(か彼女が知りませんが)のお気に入りの場所らしく、
しばらくいないと思っても、次に見たら帰ってきていました。

(ついずっと見てしまった)

最近フクロウに目覚める人が多いらしく、全国に
フクロウカフェなるものができているそうですが、流石にこの

「グレート・グレイ・オウル」

はそういうところにはいないでしょう。(いたらごめんね)

カナダの動物園が4年前孵化させた個体が譲られたものです。

てことはこのフクロウは4歳ってことになります。

檻の隙間から入り込んであわよくば餌を盗む気満々のリス。
カリフォルニアジリスではなく、これはトウブハイイロリスです。

キュリオデッセイでは常に「アダプト・ミー!」として
飼育にかかる費用などの寄付を募っています。

ボブキャットのパトロンになろうかなー、と一瞬本気で
HPをチェックしてしまったわたしでした。

 

 

 


ピッツバーグで出会った動物たち

2019-11-17 | すずめ食堂

アメリカに来ると、野生の動物が多いのに最初は驚きます。

ピッツバーグのように、いわゆるダウンタウンから車で数分で
ちょっとした森林地帯でもある巨大な公園があるところならなおさら。

ただし、このことは、アメリカならではの問題も引き起こしていて、
車の犠牲になる野生動物の数は半端ではありません。

特に東部でフリーウェイを野生動物が轢かれて死んでいるのを見る頻度は
毎日走っていて3回に1回くらいの割合になるでしょうか。

わたしなど、何度遭遇してもこれには慣れず、道路の脇に
それらしいものを遠目に発見したが最後心臓がバクバクして
できるだけ見ないように目を背けるのですが、
しばらく気分は落ち込みます。

今回ピッツバーグに着いてすぐ、フリーウェイ合流点で轢かれた鹿を見ました。
カーブを曲がったところに迷い込んだ鹿を避けようがなかったのでしょう。

同じくわたしもカーブを曲がった途端、遺骸をもろに見てしまい、
思わず小さく悲鳴をあげて家族を驚かせてしまいました。

しかも、衛生局が出動するのにまる三日はかかり、やっと片付いたと思っても
その後いつまでたっても道路に夥しい血が生々しく残っていて見るのも辛く、
そこを通る時にはいつも心の準備をしたものです。

さて、初っ端から気分の滅入る話をしてしまいすみません。

ここからはピッツバーグで遭遇した動物たちをご紹介します。
アメリカには日本の野良猫並みにあちこちにいる野うさぎ。
このウサギは大学のキャンパス内をウロウロしていました。

そして散歩していると3回に一度は遭遇するのが鹿。
これは斑点があるので子鹿ですが、その割にひねた顔をしています。

斑点のある子鹿は、大抵親に連れられて子供二匹という組み合わせで
行動していますが、子鹿だけで歩いているのも何度か見ました。

ピッツバーグ市内にあるシェンリーパークには天敵がいないらしく、
人にもある程度慣れていて、あまり近づかない限り逃げません。

子鹿二匹連れてきて、子供は掘ったらしで食べるのに夢中だった母さん鹿。

夜の8時くらいにMKが大学の研究室にお茶のボトルを忘れたというので取りに行き、
ついでに研究室の中を見せてもらって出てきたら、公園に鹿の群れがいました。

右側席のMKにカメラを渡して撮ってもらいました。

アメリカにはどこにでもリスがいます。
特に都会ではほとんどドブネズミの扱いなんだそうで、
SATCでも
自称シティガールの(といってもあの四人全員30〜40なんですけど)
キャリーが「田舎大好き男」のショボい山の中のロッジに連れて行かれて
窓にリスが来るたびにギャーギャー騒ぐというシーンがありましたっけ。

 

この辺りのリスは小さくてシマシマで、しっぽがネズミのように細く、
地面を忙しく横切る姿をなんども目撃しました。

こういうリスを英語では「チップモンク」と呼び、尻尾のふさふさした
「スクヮレル」とは別の種類に区別しているようです。

地面にはこんな蜘蛛も走り回っていました。
日本の「イエユウレイグモ」に似ていますが・・。

アメリカに着いて二日目の散歩に出た日、家に帰ってきたら隣の芝生に
大きくて物静かな犬が座っていました。

彼の写真を撮りまくっていると、バックヤードから飼い主が戻ってきました。
1ヶ月だけお隣さんになりますのでよろしくね、とあいさつすると、
おじさんは
自分がジョンだと名乗り、

「2週間くらい前にこのうちを買って引っ越してきたばかりなんだ」

と嬉しそうに言いました。

ジョンはちょうど「ウォーミングホーム」のための作業の真っ最中で、
毎日新しい家を住みやすくするため忙しく立ち働いていました。

アメリカでは家を買うときお仕着せのリフォームを好まず、
修理からペンキ塗りから全部自分でやってしまう人が多いのです。

その後、ジョンがポーチに飾り付けをしたり、クーラーを付けたり、
周りの土を耕して花を植えたりと毎日忙しく働いているのを目撃しましたが、
この物静かな犬にはこの時だけでその後二度と遭遇することはありませんでした。

このときも吠えもせず、かといって尻尾もピクリとも動かさず、
じっとわたしたちを見送っていました。

なんだか悟りきったような、賢人のような趣を讃える犬でした。

別の日のこと、家のまえの芝生でやはり憩っているネコ発見。

ネコだネコだとわたしたちが騒ぎ出すと、うるさいなあと言わんばかりに
立ち上がって行ってしまいました。

が、あくまでも追いかけて行って後ろから写真を撮るわたし。

「野良猫がいるのかな、この辺」

後日判明したところ彼女は野良ではありませんでした。

ある日キッチンで夕食の支度をしていると、外から猫の声が聞こえたので、
それっとばかりカメラを持って窓辺に近寄ると、この灰色の猫が
別の黒猫を威嚇して追っ払っている最中でした。

威嚇の態勢なので尻尾を巻き込み、後脚は爪先立ち?しています。
黒猫は身体は大きいのにすごすごと逃げて行き、彼女は満足して
このあとここに座り込み、しばらく天下?を満喫していました。

冬の寒さが半端ではないここピッツバーグでは
おそらく猫どもも外で越冬することはできないと思われますので、
彼らもどこかの飼い猫だったりするのかもしれません。

また別のある日、二軒隣の家の窓にサビ猫がいるのを発見。
ネコだネコだとまたしても近寄っていくと、伸び伸びポーズをしてくれました。

この日、この家の住人が若い男性で、白黒の犬とこの白黒猫、そして
窓際のサビ猫、合計犬猫三匹を飼っていることを知りました。

この白黒の「ソックス」は(多分そういう名前だと思う)、飼い主が
犬の散歩に行っている間、外に出してもらえて、
彼らが帰ってくる頃、家の前をうろうろして待っているのです。

このあと、白黒の犬と主人が帰ってくると、ソックス猫は、
おかえり〜、とばかりに尻尾をピンと立てて二人をお迎えし、
一緒に家に入って行きました。

犬も白黒、猫も白黒で柄が一緒。

偶然なのか意図的に犬猫の柄を揃えたのか、ぜひ聞いてみたかったのですが、
飼い主の若い男性とはそれっきり会うことはありませんでした。

ところでこのソックス猫ですが、ある日わたしが猫語で話しかけると、
確信的にずんずんと近寄ってきました。

この時のわたしとソックス猫の会話?は現在でも動画に残してあります。

わたしが呼びかけると彼女が明らかに反応し、返事をする、わたしよびかける、
猫返事、とちゃんと双方向の会話になっていて意思疎通できているみたいです。

ネコも人間の呼びかけにちゃんと返事してくれることを実証してくれた感じです。

猫といえば、シェンリー公園でこんな張り紙を見ました。
彼女がいなくなったらしい、ウェスティングハウスの銅像の近くの
トレイルを中心に、飼い主は何枚もポスターを貼っていました。
マイクロチップを埋め込んでいるというのに見つからないのでしょうか。

別の張り紙には、

「多分お腹をすかせています」

「見つけてくれた人には謝礼の用意あり」

などと書かれていて、飼い主の心配ぶりに心が痛みました。

ピッツバーグは冬になると五大湖に近いだけに猛烈な寒さなので、
まだ夏場でよかったというものの、何日に一度かは
猛烈な雷雨が降る天気が続いたので、飼い主も気が気ではないでしょう。

キャットフードしか食べたことがないネコは、そうなった時
一体何を食べたらいいのか自分でなんとかできるまで時間がかかりそうです。

1日も早く飼い主のもとに帰るか、そうでなければリビーくんに野生の本能がめばえ、
バリバリ狩をして新鮮な獲物を口にし、そのおいしさに

「今までむさぼっていたのは食べ物ではない。
あれは家畜の安寧にすぎなかったのだ」

と気づくか・・・いずれかの結末を祈るばかりです。



さて、そのうちAirbnbで借りた家をチェックアウトする日がやってきました。

MKの入寮まで三日ありますが、オーナーが次の予約を入れていたので、
取り敢えず地元のホテルで待機することになったのです。

Airbnbのチェックアウト時間は10時ということだったので、
前の夜から用意しておいて、朝に最後のゴミ出しをし、リネンを
オーナーに言われたように全部剥がして袋に入れるなど忙しく動きまわり、
それも済んだので車にトランクを積むために外に出たところ・・・・・、

ソックス猫の同居猫が、また窓側にいて外を見ていました。

このネコにもソックス猫にしたようにネコ語で話しかけてみると、
やはりいちいち返事をしてくれます。

そして、会話の最後に猫伸びポーズをしました。
どうも彼女にとって、このポーズは

「暇だから付き合ってあげたけど飽きたからもう終わりにゃ」

という意思を意味しているようでした。

そして横になったままこちらをじっと見つめていたので、わたしは
彼女に丁重なお別れの言葉を述べ、ピッツバーグを後にしました。


そして月日が経ち、ニューヨークでいつも通りわたしが現地のトレイルを探し、
日課の散歩をしていたある日のこと。

トレイルの脇から猫の影が現れたので呼び止めてみました。
もしやあなたはピッツバーグで行方不明だったアビーさん・・・なわけないか。 

 

終わり。

 

おまけ:

その後「猫と何語で会話したのか」というおたずねがありましたので、
YouTubeに会話をアップしておきました。
音声が悪くて聴き取りにくいですが、最初に声をかけているのがわたしです。

アメリカのネコにネコ語で話しかけてみた




シリコンバレー・ショアラインパークを歩く

2018-10-05 | すずめ食堂

今回、東海岸での滞在が長く、さらにサンディエゴへの旅程を詰め込んだめ、
いつもは1ヶ月いるはずのサンフランシスコ滞在が1週間になってしまいました。

しかしその1週間をフルに利用し、一日の訪問先は二箇所が当たり前、
ひどい時には三箇所を駆け回って、

「サンフランシスコに来たら必ず行くところ」

を制覇してきました。


ところで現在サンフランシスコ周辺の地価物価は大変なことになっていて、
年収2千万あっても暮らしていけないという話があるくらい。
じゃー街中をうろうろしている人はどうしているんだって感じですが、
アメリカ在住の人に言わせると、

「それまでに買った不動産があれば細々と生活できるんじゃない」

ホームレスの激増もやむかたなしといった事情だそうです。

とにかくそれで旅行者にとって困るのは、とにかくホテルが高いこと。
ツァーに組み込まれたホテル代はそれなりなのかもしれませんが、
他の土地で167ドルのホテルが、サンフランシスコ近辺では
100ドル増しは当たり前。

もっとひどいのがシリコンバレー周辺で、何年か前
100ドル代で取れたホテルが今では平気で300ドルしたりします。

というわけで、このサンフランシスコの1週間に、わたしは
キッチン付きで比較的安いエクステンデッドステイを選んだのですが、
エレベーター無しの2階建という作りだったので、チェックインの時
「荷物がたくさんあるので」と一階にしてもらったところ、
廊下に面して窓があり、
カーテンを開けることができません。

よくあるモーテル仕様です。

冷蔵庫は夜中にいきなりものすごいモーター音を立てるし、
テレビはなぜか必ず15チャンネル、犯罪ドキュメンタリーばかりやっている
チャンネルから始まるので、画面が点くと死体の写真が大写しになってたり(笑)
とにかく居住性は最低でした。

というホテルなので、1週間の間朝から暗くなるまで外にいたのは
正解だったというわけです。

1ヶ月いた時にはなんども行ったところでも今回はどれも一度ずつ。
とにかく「マーキング」しに行ったという感じ。

グーグル本社の近くにあるショアラインパークも今年は一度限りです。

シーズンが終わってこれから工事が始まる模様。

夏休みの間、子供たちを相手にウォーターアクティビティの
キャンプをやっていて、毎日賑わっていた水辺には誰もいません。

夏には見たことがない水鳥を見つけてカメラで追っていると、

「・・・?」

みたいな感じでこちらを見て通り過ぎました。

American Coot(アメリカオオバン) という鳥だそうです。
オオバンとは漢字で書くと「大鷭」。

鷭は世界中に見られる鳥で日本にもいます。
甲高い声で「ケッケッケ」と鳴き、それが人の声に似ているとか。

この辺りにしかいないカリフォルニアジリスに会うのも目的の一つ。

しかもショアラインパークのリスは他の地域の同種のリスに比べ、
驚くほど人を怖がらない傾向にあります。

カメラを向けるだけで逃げてしまう地域のリスもいますが、
ここの子たちは一応こちらを見て警戒しつつも、害が無さそうと見ると
平気で足元で遊んでいます。

このリスもチラッとこちらを見てからお食事の続きを。

リスが白眼を剥くと実は人相が悪いと知ってしまった写真。
ところでこの子なんですがね。

やおらわたしの足元にずんどこ接近して来ました。
ピントが合わねえ〜〜!

そしてスック!(ちなみにリスの英語はsquirrel)と立ち上がり・・。
ピ、ピントが合わねえ〜!

足元でリスなりの威嚇をしているつもりかもしれません。
かわいいじゃねーか。

さて、こちら熱々の熱愛中リスカップル?

仲良きことは美しきかな。

おお、左側のリスが積極的!!

と思ったら右側から「右リスパンチ」入りました!
どうもどちらかが口に咥えた食べ物を奪おうとして
争っていたらしいのです。

最後はきっちり大きな方(右)が取りに来た方をシメて終わり。

リス地帯を抜けていくと、トレイルはショアライン湖のほとりに出ます。

最近はどんな観光地、どんな公園、どんなショッピングセンターでも
見ないことがないという中国人観光客の姿がここにも。

日差しの強いシリコンバレーでは、中国人女性は例外なく
どこで買うのか、変な素材と柄の折り畳み傘を差して散歩するのです。

日本女性との違いは、それが雨傘であること。

この一帯はバーズ・サンクチュアリともなっている生物保護地域。
左がチャールストン・スラウ(slough・沼地)右がショアライン・スラウ。
この道の右と左で名前が違います。

チャールストン・スラウは一時渇水で悲惨なことになっていましたが、
今年はそれほど水不足にはならなかったようです。

チャールストン・スラウに沿って歩いて行くと、
アドビ・クリーク(Adobe creek) トレイルという名前の道に繋がります。

ここをずっとさらに歩いて行くと、

ペリカン・ネスティング・ビュー(Perican nesting view)

というポイントがあります。
まさにそこがペリカンの巣担っているらしいのですが、見たところ
手前のこちらの方がペリカンの巣になっている気がします。

ところでこの「アドビ・クリーク」という名前ですが、あの
ソフトウェア会社「アドビ・システムズ」が開発でもしたのか、
と思っていたら、大昔からこの名前の川なんだそうです。

アドビの創設者の一人、ジョン・ワーノック氏が住んでいた
パロアルトの自宅の裏に、アドビ川が流れていたことから、
それを会社の名前につけた・・つまりわたしの思っていたのと逆でした。

何年か前はここに次々と着水するペリカンが撮れたものですが、
その時はたまたまタイミングがよかったのでしょう。

ずっと待っていましたが、皆むしろ水から上がって羽を干している状態でした。

空を集団で飛んでいる時はこんなに大きな鳥だとは思えないのですが、
羽を広げたペリカンはゆうに1m半の大きさがあります。

これらは南北アメリカ大陸にのみ生息する種類で、
アメリカシロペリカンというのが正式な名称です。

大アップにしてみると衝撃的な表情が写っていました。
ペリカンって案外目つきが悪いと知ってしまったこの写真。

右上の二羽はワケありです(笑)

右のペリカンは左が好きだが左は迷惑だと思ってるとか。

丁寧に羽繕いするペリカンさん。
長い首を一回転捻って嘴でくまなく羽のお手入れをします。

しかしこうして見ると、嘴の袋は全く無いようにスッキリしてます。

クリークの内陸よりの部分をケイシー・フォアベイ( Forebay)と言います。
フォアベイとは貯水池を意味しますが、ここに水が溜まっているのを見たことはありません。

もう一度ショアライン湖のほとりを戻って行ったら、イグレットがいました。
よく見たら、彼は(彼女かも)一足ずつ泥をかき混ぜながら歩いていました。
そうやってかき混ぜられた泥から出てくる生物を食べていたのです。

生きていくための知恵といえ、頭がいいなあと感心しました。

再びリス地帯。
工事中の柵の中では誰も入ってこないのでリスがのんびり日向ぼっこ中。
最近切り倒された切り株がいい休憩場所となっているようです。

駐車場で車に乗り込んだら、近くのゴミ捨て場からリスが顔を出しました。
なんと、ゴミの中から彼が(彼女かもしれませんが)漁って食べているのは
ポテトフライ・・・・・。

その脂はきっと体に良くないぞ。

もう一箇所今回訪れたリス観察場所、スタンフォード・ディッシュに生まれたリスは
日夜マウンテンライオンやコヨーテ、蛇の脅威に脅かされ、
生きるか死ぬかの戦いをしているというのに、
君たちときたら・・・・・・・・。

 

 

 


サー・ニールス・オラフ准将(ただしペンギン)〜ミリタリー・アニマル

2018-02-05 | すずめ食堂

 

何の気なしに始めた「ミリタリー・アニマル」シリーズですが、
結構面白いので制作のために調べることをとても楽しみました。

犬や猫、クマですら階級を与えられて任務についていたという話は
まるでおとぎ話を聞いているような気すらします。

人の命令を聞かない猫はともかく、頭のいい動物はわかった上で
人間に従うものだということも数ある例が証明していますね。

さて、頭のいい動物というと、その筆頭はイルカではないでしょうか。

 

■ イルカ

 

かつて地球上に現れた高い知能を持つ動物が二種類いた。
陸に住むことを選んだのが人間、海に残ることを選んだのがイルカ。

いや、それほどじゃないだろう、という話も聞かないわけではないですが、
とにかく「わんぱくフリッパー」以来、イルカの知能の高さはワールドワイドで
有名になったと思われます。

 

しかしアメリカ海軍ではそれよりもっと昔、50年以上前からイルカに
救われてきた歴史を持っています。

1965年には、海軍で「海軍海洋生物プログラム」というプロジェクトが始まり、
写真のバンドウイルカの「タフィー」が200フィートもの深海に潜水し、
SEALAB IIと呼ばれた海底のステーションに滞在するアクアノー
(aquanaut、水の中で生きる人の意で宇宙飛行士のアストロノーの水中版)
のところまでなんども往復してツールを運搬する役目を果たしました。

シーラブ計画とは飽和潜水(減圧症を避けつつ深海に人間が滞在するための技術)
の可能性と、長期間隔離された人間の生活を証明するために1960年代から
アメリカ海軍によって開発された実験的な水中ステーション計画です。

イルカのタフィーが導入されたのはその第二計画を意味するIIからで、
アクアノーの一人は30日間、その他は15日の滞在記録を作りましたが、
地上からダイバーへ、ダイバーからダイバー(カプセルは一人用)の元を回遊し、
メッセージを運んで非常時には水上警察に連絡することもできました。

タフィーの活躍でIIは成功で、次回プロジェクトにも彼を投入するということが
ほぼ決まっていましたがが、SEALABIIIでは海洋ではなくIIの三倍の深海と同等の
圧力をかけたチェンバーで実験されたため、彼の出番はありませんでした。

なお、海洋で行われた実験では二酸化酸素中毒による殉職を出しています。

冒頭写真のタフィーが加えているのは認識用のブイで、
彼は例えば機雷を発見したら近くに目印になるブイを設置して
人間がそれを処理できるようにすることもできたということです。

高速で泳ぐことができ、ステルス性のあるイルカは優秀なスパイになります。

セキュリティネットをかい潜ることを訓練すれば、例えば敵の艦船に近づき
情報を収集することも可能でしょう。

これは名前をK-ドッグという名前のバンドウイルカで、
ペルシャ湾での機雷処理を任務としていました。

彼が右のヒレにつけているのはスパイ用ではなく、ハンドラーが
潜水中の彼がどこにイルカがわかるためのカメラです。

イルカが初めて戦闘に使われたのはベトナム戦争時、70年代初頭でした。
その時の任務は、停泊している艦船の周囲を彼らの反響定位を用いて
不審なものなどがいれば人間に知らせるという仕事をしていました。


反響定位(エコロケーション、Echolocation)はしばしば動物に備わっている
ソナーのようなもので、イルカの他にはクジラ、コウモリ、一部の鳥に見られます。

水中で、自分が出した音が何かにぶつかって反響し帰ってきた音から、
その何かの方向と位置を知ることができるというもので、コウモリが暗闇でも
活動できるのはこの能力によるものです。

2003年から始まったイラク戦争にもイルカは投入されています。

食べ物や医薬品、そのた救急用品を港に運ぶ船が安全に航行できるように、
ペルシャ湾の機雷を探知するのが彼らの役目でした。

外地だけでなく、アメリカ国内でもイルカは海軍の仕事をしています。

1996年、「海軍イルカ」は共和党全国大会がサンディエゴで行われている間、
シークレットサービスの周辺海域の警備警戒を助けたということです。

(仕事が終わったらサンディエゴのシーワールドに帰ったのかな)

イルカというのは案外目つきが悪いとこの写真を見て思うわけですがそれはともかく。
彼がくわえているのは何かはわかりませんが『スパイグッズ』だそうです。

その下にちらっと見えるのがバスケットボールをくわえるベルーガで、
海軍はベルーガも訓練して何か利用できないかテストをしたことがあります。

その成果についてはわかっていませんが、ベルーガがターゲットになったのは
イルカやアシカより深海に行くことができ、さらには低温にも強いからだとか。

というわけで色々と海軍は彼らを使う方法を模索し続けてきたのですが、
現在ではロボットを採用する方向に進んでおり、「ドルフィンソルジャー」が
海軍によって正式に雇用される機会は少しずつ減ってきています。

しかし、それらがイルカと同等のソナーや何より高度な知能を持つ日は
まだまだ先のことだと言われています。

 

■ アシカ

イルカの持つ探査能力ーソナーはおそらく海洋生物一でしょう。
しかし、彼らに備わっていない優れた探査能力を備えているのがアシカです。

カリフォルニアアシカはずば抜けた視力と聴力を備えており、
たとえ夜間や暗黒、濁った海中でもはっきりとものを捉えることができます。

そのアシカの優れた視力を海軍は海中探査のために利用しています。

海軍が訓練などで使用し、海底に落としたり沈んだりした武器や装備。
こういうものを探し出すことで、彼らは海軍に何百万ドルもの利益を提供します。

彼らは650フィートもの深海にも楽々と泳いで行くことができるのです。

アシカは訓練を施すことによって、不審なスイマーを発見すると、その足に
警戒船と繋がった紐の先のクランプや手錠をかけることまでできるようになります。

あとは船上から魚釣りのように紐を引っ張って文字通りお縄、という流れ。

アシカが泳いできたと思ったら可愛らしく足の先に手錠?をかけてしまう。
彼らの海中での動きは目にも留まらぬくらい早く、しかもほとんどの人は
自分の足に金具がはまってからそうと気付くくらいの素早さなんだとか。

こんな体験ができる人をちょっと羨ましく思いませんか?

ついでに、アシカは逃げ足も早く、悪者(笑)がそうと気づいて
アシカに危害を加える前に現場を離脱し、船上の人間に

「今悪い奴がいたので、ア シ カ ら先に手錠かけてきましたー」

と報告するのだそうです。

 

ちなみに、海軍に雇われているアシカは「Neutered」、
つまり去勢したオスと決められています。
去勢した動物のオスは一般的によく言えば温和に、悪く言えば覇気がなくなり、
アグレッシブさがなくなるので人間にとっては扱いやすくなるのです。

海軍アシカ軍団はボーイズラブ・・じゃなくてボーイズクラブってことですね。

体重も300パウンドを維持するように厳しく管理されており、海軍では
デブのオカマは使い物にならない、とされているようです。

■ ペンギン

階級章を肩?につけて閲兵を行ういかにも偉そうな・・・このお方は?

軍隊が採用する動物は多々あれど、命令を下す側の動物は滅多にいません。
しかし、スコットランドはエジンバラ動物園のこのペンギンは
Norwegian Royal Guard、ノルウェー陸軍近衛部隊の司令官で、
「サー」の称号を持つニルス・オラフ(Sir Nils Olav)。

彼は2016年現在で准将の地位と騎士号を持っています。
(言っておきますが本当に持っています)

一体どうしてこんなことになったのでしょうか。

自衛隊の音楽隊も参加することで有名になった世界の軍楽隊による音楽祭、
ミリタリー・タトゥーが1961年にここエジンバラで行われた時のことです。

ノルウェー陸軍近衛部隊もこの祭典に参加するためにエジンバラを訪れ、
その際隊員たちは余暇を利用して動物園に遊びにきたのですが、
隊員の一人ニルス・エジェリン中尉はペンギンにいたく魅了され、
その次に行われたなんと11年後のミリタリータトゥーで、ここのペンギンを
正式にマスコットにしたいと動物園に申し出たのです。

動物園側が快く承諾したため、一羽のペンギンはニルス・オラフ(国王の名前)
と名前をつけられて上等兵からの軍人生活をスタートさせました。

その後、音楽祭に近衛部隊が参加するたびに彼は昇進してゆき、1982年に伍長、
1987年には軍曹となりました。

しかし軍曹に昇進してまもなく、1世は死去したので、引き続き2世が指名され、
階級を引き継いで1993年には連隊上級曹長、2001年には名誉連隊上級曹長となります。

2005年には、ニルスは名誉連隊長(Colonel-in-Chief)の称号が与えられ、
エジンバラ動物園に銅像が設置されることになりました。
2008年にはニルス・オーラヴ二世に対し、ノルウェー国王より
騎士号が授けられましたが、二世はそこで死去。

その後、ニルス・オーラヴ3世が引き継ぎ、2016年には准将に昇進しました。
その際ノルウェー陸軍近衛部隊50名が参加しての「閲兵」セレモニーが行われており、
この写真はその時のものです。

動画もあるので閲兵の様子をご覧ください。

Sir Nils Olav promoted to Brigadier by Norwegian King's Guard

指揮官の前で立ち止まり、羽をパタパタさせるのが可愛すぎる・・。

それにしてもなぜノルウェーとスコットランドが?と思ったのですが、
実はエジンバラ動物園に最初にペンギン三羽を送ったのがノルウェーなんだそうです。

1913年に 捕鯨に行って連れて帰ってきたペンギンだったとか。

 

■ ヤギ

アメリカの独立戦争におけるあのバンカーヒルの戦いにおいて、
野生のヤギがイギリス軍の兵士たちの一団を案内して戦場を突っ切り、
丘を登り、アメリカ軍の防衛ラインを急襲することに成功させたという話があります。

それ以来、ロイヤル・ウェールズ・フュージリアーズ連隊(Royal Welch Fusiliers)
ではヤギを正式なマスコット、というか軍隊階級を持つメンバーとしているのだそうです。

ちなみに「フュージリアー」とは本来、「フュージル」(fusil)と呼ばれた
軽いフリントロック式マスケット銃で武装した兵士のことです。
この言葉は1680年頃に初出し、後には連隊の名称として使われるようになりました。

現在のRWFでマスコットになっているヤギは、そのツノも神々しい

ウィリアム・ウィンザー二世(William Windsor II )

ウィリアムなので、あだ名はビリー・フォー・ショート、
普段はライトにビリーと呼ばれているようです(笑)

二世というからには当然初代もいたわけですが、南北戦争の後、
イギリス王室は定期的に王室所有のヤギの中から一匹ずつ、
連隊にプレゼントしていたのだそうです。

先代のウィリアム・ウィンザー一世は、2006年のエリザベス二世の
80歳の誕生日がキプロスで行われた時、

「不適切な行動をとった」

ということでマジで降格になってしまったことがありました。
その不適切な行動とは、

列の中にいることを命じられたにもかかわらず命令に従うことを拒み

足並みをそろえることに失敗し

ドラム奏者に頭突きをしようとした

「ヤギ少佐」であった22歳のデイビス兵長は、ビリーを統御することができず、
ビリーは「容認できない行動」「無礼」「直列指令への不服従」で告発され、
懲戒委員会の後に、フュージリアー(兵士)に格下げされました。

ビリーが兵長だった時、兵士たちはすれ違うさい敬礼をしなくてはいけなかったのですが、
この処置のあとはその必要がなくなったわけです。

ここでなぜかカナダの動物愛護団体が出てきて、彼は「ヤギらしくふるまった」にすぎず
復位されるべきだと述べイギリス陸軍に抗議する騒ぎになりました。

3か月後の勝利を祝うパレードでビリーはもとの地位に復帰しました。

「彼はひと夏中女王の生誕祭での彼の振る舞いをよく反省し、
明らかにもとの階級にふさわしい振る舞いをした」

と評価されたのです。
ヤギの反省の形がどのようなものか知りたいような気もしますがそれはともかく。

 歴史的にこのような措置をされたのはビリーだけではなく、「将官への無礼」に対して
最終的に軍法議会にかけられ降格させられたり、制服のズボンのストラップを固定するために
身をかがめた大佐を角で突いたりして降格されたヤギは存在するそうです。

特にこの出来事は「不服従の恥ずべき行動」と言われ厳しく非難されたそうですが、
まあなんちうか、ヤギ相手に何をやっているのかという気もしないでもありません。

現在のビリー二世は、そういう問題をできるだけ避けるために、
性質の穏やかで「冷静な」ヤギを厳選したということですので、
今のところ問題は起こしていないようです。

 

アメリカ海軍では船にペット兼非常食として船にヤギを載せていたことがあります。

また、ある時一人の士官が海軍兵学校対どこかのフットボールの試合の時
面白半分にハーフタイムに剥製になっていたヤギの皮を被って
サイドラインを走り回ったところ、後半になって海軍兵学校が大勝したことから、
その後兵学校のマスコットはヤギと決められているのだそうです。

 

 

さて、今まで「ミリタリーアニマル」についてお話ししてきましたが、
最後に、動物をマスコットにしている軍隊(主にイギリス軍)を列挙しておきます。


(イギリス軍)

第1ビクトリア女王近衛竜騎兵連隊 ポニー(エムリス)

ロイヤルスコッツ近衛竜騎兵 ドラムホース(タラベラ)

クィーンズオブ・ロイヤルアイルランド ドラムホース(アラメイン)

パラシュート連隊 シェトランドポニー(ペガサスとフォークランド)

ロイヤル・スコットランド連隊 シェトランドポニー(クルアチャンとイズレー)

ロイヤル・アイリッシュ連隊 アイリッシュ・ウルフハウンド(ブライアン・ボル)

アイリッシュガード アイリッシュ・ウルフハウンド(ドムナル)

メルシャン連隊 スウェルデール羊(ダービーラム)

ロイヤル・レジメント・オブ・フュージリアズ アンテロープ(ボビー)

第3大隊メルシャン連隊 スタッフォードシャーブルテリア(ワッチマン)

ヨークシャー連隊 フェレット (インファルとケベック)

 

(アメリカ海軍)

USS「ヴァンデクリフト」FFG-48 犬(シーマン・ジェナ)

(米海兵隊)

ブルドッグ (初代ジグ一等兵に始まり現在は十六匹目、チェスティ)

(アメリカ陸軍)

ウェストポイント 騾馬

(カナダ軍)

ロイヤル22連隊 ヤギ(バティス)

(オーストラリア軍)

王立オーストラリア連隊 第1大隊 シェトランドポニー(セプトムス)

第5大隊 スマトラ虎 (カンタス)

第6大隊 オーストラリアカウドック(リッジレイ・ブルー)故人

空軍 はやぶさ(ペニー・アラート)

(ニュージーランド軍) 

(スペイン軍) ヤギ

(スリランカ軍)

 

やっぱりスリランカ軍は象ですか。
個人的に虎をマスコットにしている王立オーストラリア連隊と、
はやぶさを飼っているオーストラリア空軍はイケてると評価します。

あと、イギリスパラシュート連隊のポニーが「フォークランド」がじわじわきます。
たいていの動物はパレードに借り出したりするわけですがフェレットは無理かも。

 

ミリタリーアニマルシリーズ、終わり。

 

 

 


ヒーロー GIジョー(ただし鳩 )〜ミリタリー・アニマル

2018-01-24 | すずめ食堂

軽い気持ちで始めたミリタリーアニマルシリーズ、
今日は「飛ぶ小動物、鳥、そして虫など」です。 

■ コウモリ

第二次世界大戦中、勝利を祈るアメリカ人のうちの一人、

ライトル・S・アダムス博士

は、コウモリに小型爆弾を装着して飛行機で日本上空に放つ
→日本本土は火の海→米軍大勝利→ ( ゚Д゚)ウマ〜

ということを真剣に提唱しました。
まあそんなことをせずとも、硫黄島とサイパングアムを奪取した後は
直に爆弾を撒きまくることができるようになったわけですけどね。

そもそもアダムス博士は日本の工場は紙と木でできており、
火をつけたコウモリを飛ばせばあっという間に工場壊滅、
と考えていたフシがあり、幾ら何でもそりゃ認識が間違っとる、
って話ですが、陸軍、海軍、海兵隊までもがこのプログラムを

プロジェクトXレイ」(Project X-Ray)

として真面目に検討していたということです。
しかしながら、研究はいきなり困難に直面します。

(BGM: やっぱり地上の星)


人間の言うことを全く聞かず、訓練もできない上、
当時の技術では爆弾をどんなに小型化してもコウモリはなぜか

爆弾の重さで地面に落ちてしまうのでした

というわけで、プロジェクトは1944年に中止になりましたが、
現代の技術であればコウモリが乗せて飛べる爆弾は十分開発できるでしょう。

いや、もしかしたらもうDARPAがやってるかも?
あの組織はゴキブリ爆弾も開発してるからな。

■七面鳥

最初にこの鳥を食べた人は偉いなあとこの写真を見て思うわけですが、
七面鳥、美味しいんですよねー。
脂身がなくあっさりしていて、ブロイラーのチキンよりずっと好きです。

それはともかく、1936年から3年間にわたって、
人民戦線政府(共和国派)と、フランシスコ・フランコ将軍を中心とした
右派の反乱軍(ナショナリスト派)とが争ったスペイン内戦。

ソ連が支援していたスペンヌ共和国軍と民兵団は、
物資をエアドロップ(飛行機からの投下)で行なっていました。

しかし、薬の瓶などが衝撃で割れてしまうので、考え出されたのが

七面鳥に物資をくくりつけて上空から落とすこと

もちろん飛べない鳥なので、結局は地面に落ちるのですが、飛べないなりに
彼らは本能で翼をバタバタやるので、地面に激突する衝撃が軽減されます。

本日カテゴリの「飛ぶ小動物・鳥」には厳密にいうと入っていませんが、
「飛ぼうとする鳥」というジャンルではあったわけです。

で、かわいそうに七面鳥は結局地面に激突して皆死んでしまうのですが、
どっちにしろ後で食べるのでシメる手間が省けるという具合です。

しかし、こんな方法で七面鳥の命を弄んだ人民軍は結局敗北しました。

結局スペイン内戦はナショナリストが勝利を収め、その後66年間、
フランコ政権は続くことになります。(写真は凱旋パレード)

これ絶対七面鳥の祟りだから(断言)

 

■ はと

 

靖国神社の境内に軍バトの鎮魂碑があったことからわかるように、
ハトと軍隊というのは密接な関係にありました。

電話・電信、もちろんインターネット普及以前は、
もっとも早い通信手段はハトだったのです。
古くは古代ギリシャ時代からハトによる通信は行われてきました。

第一次世界大戦時が最近でもっともハトが活用された戦争で、
両陣営の陸軍には50万羽以上の軍バトがいました。
足にくくりつけたカプセルにメッセージ、地図、そして写真、
首に小さいカメラをくくりつけていることもありました。

今でいうドローンの役目ですね。

ハトは賢いので、90パーセントの割合でミッションを成功させてきました。

犬にも猫にも、軍隊には「ヒーロー」が(熊にもね)いたわけですが、
さすがにハトのヒーローはいないだろうと思ったら、

シェール・アミ(Cher Ami)フランス語の”親愛なる友”

というヒーローバトがアメリカ陸軍第77歩兵隊にいたんですよ。

1918年、チャールズ・ウィットルジー少佐と500人以上の兵士が、
敵の背後にある丘陵地帯の小さな窪みに追い詰められ、
しかも連合軍からのフレンドリー・ファイアを受け始めました。

味方がいると知らない自軍の攻撃によって、次々と兵士は斃れ、
ついに194名にまでその数を減らすに至ります。

司令官は味方にそのことを知らせるべくハトの脚にまず

「たくさんの兵が負傷した。避難できない

とメッセージを結んで飛ばしたのですが、ハトはドイツ軍に撃墜されます。
二羽目のハトに

「皆苦しんでいる」

というメッセージをつけて飛ばしますが、これもドイツ軍の
超優秀なスナイパーに撃ち落とされてしまいました。

三羽目の正直として司令官はシェール・アミの足に

「貴軍は今味方の上に直接砲弾を落としている。
神の御名によって直ちに砲撃をやめよ」

というメモをくくりつけて飛ばしたところ、やはり今回も狙撃を受けます。
しかし驚いたことに、弾を受けたにも関わらず彼は任務を諦めませんでした。

(彼か彼女が知りませんが一応)

傷を負いながらも彼は25マイル(40キロ)を飛び、メッセージを届け、
帰ってきたところを、また銃撃され・・・・。
壕に帰ってきたシェール・アミは胸を撃たれ、片方の目は血で覆われ、
片方の足は腱だけでぶら下がっているという瀕死の状態でした。

陸軍軍医の必死の救護活動によって彼は一命を取り留めました。
脚はどうしてももとどおりにならなかったので、彼のために
小さな木の専用義足が作られました。

シェール・アミはその後パーシング将軍に拝謁を行い、
名誉の除隊となって帰国し、英雄としてクロワ・ド・ゲールを授与されました。

しかし一年後、この時に受けた傷のために死亡しています。

シェール・アミは片足のない姿のままで剥製にされ、
現在スミソニアン博物館に英雄として展示されています。

 

第二次世界大戦が始まる頃には無線通信が普及していましたが、
軍バトは相変わらず重要な役目を負っていました。

スパイ側も兵士たちも、どちらもがトップシークレットについては
ハトを使ってメッセージを送ることが多かったのです。
無線はどうしても近くにいると傍受されてしまうからでした。

敵に取り込まれて孤立した部隊には、上空から飛行機で
ハトのケージをパラシュートで落とすという方法も取られました。

Dデイ、ノルマンジー上陸作戦の時には何千ものハトが
投下されたと言われています。

それを見つけたフランス市民がドイツ軍の現在状況を記し、
ハトを送り返すという方法で諜報活動を行なったのです。

上陸作戦まで、ほぼすべての連絡はハトを使って行われました。 
中でもグスタフという名前のハトは、150マイル以上も飛び続け、
イングランドまで重要な情報を届けたという話もあります。

第二次世界大戦で最も有名となった軍バトは「GIジョー」でしょう。

彼は1943年10月18日、ドイツ軍の制圧下にあるイタリアの街、
カルビ・ベッキアの住人とイギリス軍を救ったことによってヒーローとなりました。 

カルビ・ベッキアからはドイツ軍は撤退しており、そのあとに
イギリス軍の旅団がいたにも関わらず、何かの間違いで爆撃が要請されたのです。

間違いに気づいた時には攻撃開始時間は迫っていました。
ラジオで攻撃を中止することを伝えようにも時間がありません。

そこでGIジョーが攻撃中止の報を持って飛ばされました。

彼は(多分)20マイル(32キロ)の距離をわずか20分で飛び、
攻撃の始まる寸前に中止を伝えることに成功したのです。

鳩が飛ぶ速度は平均で時速35〜40マイルと言われていますから、
GIジョーがいかにスーパーピジョンであったかがわかりますね。 

この功績により、GIジョーは国家に功績のある動物に与えられる
ディッキンソンメダルを授与し、フォートモンマスにあるロフトで、
他の24羽の「ヒーロー鳩」と共に老後を過ごし、18歳で亡くなりました。

彼もまた剥製になってアメリカ陸軍電気通信博物館に安置されています。

ちなみに、鳩が通信の主流だった頃、これに対抗するために
鷲や鷹を訓練して、前線の鳩を襲わせるということも行われました。

 

■ハチ

ハチも軍隊に就職し、偉大な任務をやり遂げることがあります。

古代ローマでの軍でのハチ使用というのは、せいぜい蜂の巣を
敵の陣に投石器(カタパルトという)で投げ込むくらいでしたが、
近代の戦争ではハチの優秀なアンテナが軍に利用されています。

ハチの嗅覚は大変優れていて、遠くに離れた花粉の匂いを嗅ぎわけて
その花に間違いなく到達する能力を持っています。

軍の科学者たちはこの知覚能力が活用できる日が来るとしています。

彼らが花粉を探索する時、花の方がその「ご褒美」として
ハチの「吻」と言うストローのような口に蜜を吸わせるのですが、
そのご褒美を利用してハチをトレーニングし、爆弾の匂いを覚えさせ、
安全対策に投入するということもできます。

今のところ、実現はしていないようですが。

■ ツチボタル

第一次世界大戦といえば塹壕、塹壕といえば第一次世界大戦。

というくらい塹壕戦のイメージのあるこの戦争で、兵士たちは
塹壕足と呼ばれる症状に苦しみました。
濡れた手足が風にさらされるとしもやけ、さらに凍傷になります。
気温10℃の塹壕のぬかるみにずっと浸かっていたためで、
足が変色、膨張して凍傷になり切断した兵士がたくさんいたのです。

しかも当時は携帯のランプなどありませんから、塹壕では
暗さにも苦しめられました。

そこでたくさんの土ボタルを集めてきて、ランプにしたのです。


透明の瓶に入れ、これが本当の蛍の光。

その光のもとで、彼らは文字通り「文読む月日重ねつつ」、
故郷への手紙を書いたのです。
 

ちなみに「オールド・ラング・サイン」を蛍の光と呼ぶのは
我が日本だけですが念のため。

ツチボタルは成虫に成長する前の幼虫の状態で、
その段階で発光するのですが、これは一種の化学反応で、

bioluminescence(バイオルミネッセンス

といい、この言葉そのものが生物発光を意味します。

2010年までの研究によると、「蛍の光」になるくらいの
生物発光をする虫は10種類しかいなのだそうです。

■ナメクジ

ナメクジが戦争に役に立つということもあります。
やはり第一次世界大戦の塹壕では、ナメクジが一斉に丸まったら
マスタードガスが撒かれた可能性があるとして、兵士たちは
それを見てガスマスクを装着しました。

ナメクジは人間の嗅覚よりもずっと早くガスに反応するのです。

マスタードガスというのは西洋ワサビに似た匂いを発することから
この名前がつけられたびらん性のガスで、残留性が強く、
しかもすぐには知覚できないという恐ろしい武器でした。

第一次世界大戦では1917年にドイツがカナダ軍に対して使用し、
それ以降両軍によって使われることになりました。

ガスマスクといえば第一次世界大戦、第一次世界大戦といえば(略)
というイメージはマスタードガスによって普及したのです。

ナメクジを探知のために使うことはアメリカ陸軍が1918年に始め、
その後5ヶ月間に渡って多くの兵士の命を救ったということです。

■ ロボ・トンボ

これを生物といってしまうと差し障りがありそうですが、
アメリカ軍はロボットの飛行体、つまりドローンを
第二次世界大戦の頃からずっと使っています。

CIAも30年以上、

insectothopter 

というトンボ型のロボットを開発していたそうです。

上が本物、下がロボトンボ。
もしこれが飛んでいたとしても、まずわかりませんよね。

ガソリンエンジンで動き(!)羽は本物と同じく4枚、
体躯には小さな盗聴装置が仕込まれていました。  

 し か し ( 笑 )

悲しいことに、このロボトンボ、強風が吹くと飛ばされて、
どこかにいってしまうことがわかったのです。

というわけで、30年かけたロボトンボ開発は終わりを告げました。

しかし、たとえ風が吹かなくても、そこがもし日本なら、
夏休みの子供に網で捕まえられ、

「なんだこれ!」「ロボットじゃ!」「おまわりさんに持ってくべ!

となって機密がダダ漏れという結末になっていたでしょう。

え?

CIAは子供がトンボ取りするようなところに盗聴器を放ったりしない?
それに今時の子供はトンボ取りなんてしない?

これまった失礼しました〜。


続く。


 

 


戦火の馬〜ミリタリー・アニマル

2018-01-12 | すずめ食堂

「ミリタリー・アニマル」シリーズ、犬のエントリにはつい入れこんでしまいました。

そこで犬についてこれだけは付け足しておきたい、今回知った情報ですが、
ベトナム戦争でアメリカ軍が撤退するとき、軍犬は「装備」としてしか見なさされず、
犬のハンドラーはもちろん兵士たちが熱心に連れて帰ることを希望するも
現地に放棄する旨厳重な命令を出したということがありました。

人間のためならば何億もするヘリを惜しげも無く捨てるアメリカ軍が、
犬の命にこうも冷淡だったというのは少し不思議な気がしますが、
軍命令として許可を出してしまうと当然誰も犬を手放したがらない以上、
危急の際の人命第一の観点から仕方がなかったのかもしれません。

鬼怒川の洪水で自衛隊員が犬を助けたことにも非難が起きたように、
飼い主にとって家族でも公的には「もの」に過ぎないのが動物です。

ベトナムではアメリカ軍に4000匹以上の犬がいましたが、
その多くは多くは何らかの形で生命を犠牲にしたと言われます。

軍が撤退するとき、24時間、365日彼らとともにいたハンドラーたちは
泣く泣くたちを手放し、帰国せざるを得ませんでした。

彼らが戦地で数千人のアメリカ軍兵士を何らかの形で救い、
軍犬としての任務を十分に果たしたにもかかわらず・・・・。

 

■ ラクダ

さて、気を取り直して続きはラクダからです。

ラクダは中東と北アフリカで古代から軍隊の一部分となっていました。
過酷な砂漠の気候でも耐え抜くタフな動物で、水を取ることもなく
長い距離を重い荷物を背負って歩くことができるからです。

1800年代中ごろ、アメリカでもラクダが使われ始めます。
西部開拓者が砂漠を縦断するのに彼らを必要としたのです。

1856年、66頭のラクダが北アフリカから大西洋を超えてアメリカ大陸に到着、
そのまま彼らはテキサスへの道を歩き始めました。

それからしばらくは、南西部開拓団の軍隊もラクダを配備するようになります。

南北戦争の1861年、南部連合の中隊が南部で物資輸送のために
使われたラクダは戦争が終わると動物園やカーニバルに売られていきました。

第一次世界大戦時、イギリス軍には

Imperial Camel Corps(帝国ラクダ部隊)

なるものが存在し、砂漠での敵掃討に使われましたが、
基本的には彼らの任務は水を運搬することでした。

彼らの運んだ水で数千人もの人命が生き延びることができたのです。

 

ちなみにラクダの性質は決して温厚ではなく(笑)
敵の攻撃に対しては平然としているのはいいとしても、
急に走り出して逃げてしまったり、自分に乗っている人間の膝頭に
首を伸ばして噛み付く(首が長いので)のがデフォなんだそうです。

■ ゾウ

ゾウ軍団に対抗するには小さな動物をたくさん放てば良い、という話を
豚の欄でお話ししましたが、これは小さければいいのではありません。
象が自分で踏んづけちゃったことが認識できなければなんの意味もないので、
子豚くらいがちょうど?いいのです。子豚にはかわいそうですが。

さて、象は古代では戦車のような位置付けで軍に使われていました。

ギリシャの王ピュロス(エピロス)はローマを侵略するのに象の軍団を編成し、
攻め込んでいくとローマ兵は象の姿を見ただけで逃げたという話があります。

ただしこの時の「ピュロスの勝利」は「勝ったけど損害が大きく実質敗北」
という勝負を表す言葉になってしまっています。
象の飼育代が高くつき過ぎたから、に1アウレウス。


 

近代になっても戦争シーンに象は欠かせませんでした。
第二次世界大戦では例えばビルまでジャングルに橋や道路を作るのに
象の力を必要としました。(アニメ空の神兵でも描かれていましたね)

頭がいい彼らはバランスよく大きな木材を鼻で持ち上げたり、
それをちゃんと指定された場所に置くこともできたのです。

写真の吊り下げられている象さんの名前はリジー。

もともとサーカスで活躍していた象ですが、徴兵?されて彼女がやってきたのは
後ろの景色を見てもおわかりのようにここはイギリスの鉄鋼業の街シェフィールド。

第一次世界大戦で象さん、じゃなくて増産体制に入ったイギリスは、
鉄鋼業に力を入れましたが、そこで運搬に投入されたのが象だったのです。

彼女はこの街で鉄鋼の運搬を運搬する仕事に従事していました。
石畳の道を荷を曳きながら歩くのは体重の重い象にとって辛かったと思うのですが、
リジーは子供達にも人気、すっかり街のアイドルだったそうです。

 

第二次世界大戦でイギリス軍が敵国(日本ですが)を迎え撃つために
東南アジアの戦場で頼りにしたのもやはり象でした。

47頭からなる象軍団のうちの一匹、「バンドーラ」と名付けられたメス象は、
あたかも象の司令官のような統率力で軍団を率いて信頼が厚かったそうです。
行軍が終わると彼女はパイナップル畑に分け入り、900個をペロリと平らげました。


ベトナム戦争では象をヘリで輸送したという記録があります。

山間の村からベトナム人をリクルートして結成した特殊部隊に、アメリカ軍は
キャンプを建設させることにしましたが、材料も人手も道具もあるのに、
ただ一つ、その村には象がいなかったのです。

今ベトナムに旅行に行くと象使いの村に行って象に乗るということもできるそうですが、
どこにもここにもいるというものではないので、アメリカ軍は象を二頭、
ヘリコプターで村までの300マイル(482キロ)の距離を空輸しました。

を吊り下げて行ったとすれば、東京から滋賀県くらいの距離を飛ぶ間の
象さんの気持ちとか、その間の象さんはどうしていたかとか、
その間象さんの落としたもので地上では何事も問題はなかったのだろうかとか、

いろんなことを考えてしまいますね。

ちなみに成象の重さはだいたい23トンくらいだそうです。

小さな村に木材などを運ぶことをベトナムでは

「Operation”Barroom”」

と呼んでいたそうですが、これは決して「バールーム」のことではなく、
象がガスを噴出するときの音だそうです。

実際に象と一緒に暮らした者でないとまず思いつかない作戦名ですね。

 

■ ネズミ

ネズミがシェフになるというピクサー映画「ラタトゥイユ」は
イタリア料理の「Ratatouille」の最初三文字が RAT、
ネズミであるというシャレから(のみ)成り立っていたのに(多分)
邦題は何の関係もない

「レミーのおいしいレストラン」

となっていて、心底残念に思ったものです。
翻訳しなくてもよかったんじゃないかと思いますが、それだと
ネズミを英語で「マウス」としか認識しない日本人には
さらに何のことやらわからなくなってしまうので仕方なかったのでしょう。

それはともかく、ラットです。

あの荒唐無稽なアニメには、たったひとつ真実があります。
ネズミの嗅覚は大変鋭敏であるということです。

レミーが優れたシェフになれたのは、彼が優れた嗅覚を持っていたからでしょう。 


ネズミが軍隊で何か役に立つとすれば、それは間違いなく
嗅覚を生かして地雷を検知するためです。

写真のアフリカオニネズミは2000年ごろから地雷を検知する
訓練を受けて投入されてきました。
彼らがモザンギークでで見つけ出した地雷は7000個、
爆弾は1000個以上であったという記録が残っています。 

彼らの強みはなんといっても体が軽いこと。
地雷の上に乗っても爆発することはありませんし、
犬よりも小さなスペースに入って行くこともできます。

彼らが任務を果たすのはただ餌のため。
しかし兵士の「携帯用ペット」としては大きさ的にも最適です。

 

■ 馬

「戦火の馬」(War Horse)という第一次世界大戦時に徴用された
軍馬の物語についてお話ししたことがあります。

馬は近代まで戦争につきものでした。

古くはアレキサンダー大王の伝説に、彼は愛馬ブケパロスを含む
4頭立てのチャリオットで、自分を侮辱したうえで挑戦してきた
ニコラオスを轢殺し、優勝したというものがあります。

アメリカでは独立戦争以来、いつも戦場には馬の姿がありました。

《ジョージ・ワシントン》

独立戦争中に初めてアメリカで騎兵隊を組織しました。
イギリスとの戦いで組織された騎兵部隊との戦いに負けたあと、
彼自身の馬と専門の「ホースマン」を持っていたそうです。

《南北戦争》

南部の方が北部より馬も馬子も潤沢に持っていました。
その点では北軍は不利だったと言えます。

馬が運搬するものは物資や負傷兵ですが、最も戦争で重要な
武器を運ぶことができたからです。

南部連合軍のロバート・リー将軍は、有名な騎手でもありました。
彼の愛馬「トラベラー」は、合衆国の北軍のグラント将軍の
「シンシナティ」と並んで名の知れた名馬です。

ちなみにリー将軍がグラント将軍に降参した1865年4月9日、
南北戦争は終わりを告げました。

《第一次世界大戦》

「戦火の馬」は第一次世界大戦を背景にした、戦馬ジョーイと
青年アルバートのふれあいの物語で、これを映画化したのは
スピルバーグでした。

騎兵隊だけでなく物資や食料、武器を運ぶために多くの馬が
ヨーロッパに渡り、参戦していました。
ガス攻撃に備えて馬専用のガスマスクもデザインされましたが、
彼らは次々と命を失い、アメリカから参加した8万頭以上のうち、
生きて祖国にアメリカ兵士を乗せて帰ることができたのは
わずか数千頭だったといわれています。

《第二次世界大戦と戦後》

ジープ、戦車、そして飛行機が登場するようになり、それらは
確実に馬よりも優先されるようになりました。
戦馬が戦場で命を落とす悲劇は第一次世界大戦が最後でした。

しかしながら、戦車も進んでいけないような地形の戦地、
例えばイタリアの山岳地帯やビルマのジャングルなどでは
やはり馬を投入するしかないことも多々ありました。

 

戦後は騎兵隊は廃止されましたが、馬は特定の地域での
軍の活動のために未だに一部特殊部隊で使用されています。

冒頭写真はアフガニスタンでカウボーイハット(階級付き)
をかぶり馬に乗ってかける陸軍軍人の雄姿ですが、ここでも
戦車やハンヴィーでは行くことができないところには
馬で行くしかないのです。

ワールドトレードセンターが攻撃された2001年の同時多発テロ後、
アフガニスタンに侵攻した特殊部隊の攻撃は馬で行われることもありました。

ベトナム戦争では顧みられなかった馬の人権?ですが、
第一次世界大戦後には

アメリカンレッドスター アニマルリリーフ

という団体が立ち上がり、傷ついた馬の介護とケアをしよう、
という呼びかけがなされたそうです。

第一次世界大戦でヨーロッパに投入されたほとんどの馬は、
最前線に出されてからせいぜい12日くらいしか生きられませんでした。


続く。

 

 

 


ミリタリー・アニマル〜ポーランド陸軍一等兵ヴォイテク(ただしクマ)

2018-01-04 | すずめ食堂

前回に続き「軍と動物シリーズ」です。

【ミュール】

ミュールってあれよね、かかとを覆わないサンダルのことよね、と
女性なら思うわけですが、Muleという同じスペルで、こちらは
騾馬(雌馬と雄ロバを掛け合わせた雑種)のことです。

サンダルのミュールの語源は騾馬からきていたということ、というかアレが
騾馬の蹄みたいだからか、と愕然とするわけですが、その話はさておき。

騾馬はロバより賢く脚も早かったそうですが、馬と比べてどうかはわかりません。

画像の「ジョージワシントンの騾馬」という囲み記事ですが、
ワシントンの騾馬の父ロバは「ロイヤルギフト」という名前で、
スペイン国王からプレゼントされたというそれがどうした情報です。

プレゼントのロバをわざわざ雌馬と掛け合わせて騾馬を作っちゃったのか・・。

 

大変力が強く、重量のある荷物をご覧のような山間地で運ぶ時、
騾馬の存在は大変役に立ちました。
アメリカ軍は第一次世界大戦では船で30万等の騾馬を輸送したそうですが、
騾馬が乗っている船となると、ドイツ軍は最優先で攻撃しました。

いかに彼らが有益であるか知っていたからだそうです。

上の写真は第二次世界大戦のイタリアでの一コマだそうです。
ジープも戦車も、馬も通れない場所でも騾馬なら平気。

現在でもアメリカ軍はアフガニスタンで騾馬を投入しています。

「ハンビーより、ヘリより役に立つ」

から、だそうです。


【猫】

冒頭写真は朝鮮戦争での一コマ。
兵士が生まれたばかりで目の見えない子猫にミルクをやっています。

猫は主に軍艦で重要な役割を演じていたことが知られています。
ここでも以前「アンシンカブル・サム」(不沈のサム)としてお守りになった
軍艦猫についてお話ししたことがありましたが、特に船では昔から猫は
鼠を捕るため重宝されていました。

現在はどうか知りませんが、割と最近までロシア海軍の軍艦には一艦に一匹、
軍艦猫を雇っていましたし、日本でも猫、特にミケのオスは珍重されました。

一般に黒猫というのは魔女の使いとして忌み嫌われる傾向にあるヨーロッパですが、
(アメリカでもその傾向は強く、朝市で開催されていた猫のアダプティングで
”黒猫は引き取り手が少ないのでぜひもらってください”という張り紙を見ました)
セイラーたちはオカと違って特に黒猫を船のお守りとして歓迎したようです。


■ クリミア戦争中の1854年のことです。

イギリスとフランスの中隊はロシアの港を占拠しました。
しかし現地人が一切秘匿してしまったため、彼らは食べるものに困り始めます。

その時、「クリミアン・トム」として知られていた一匹の猫が彼らを案内して、
食べ物の隠してあるところに連れて行ってくれた、というのです。
おかげで彼らは生き延びることができ、感激してイギリスに連れて帰り、
軍籍を与えたということです。

 

■ 時は降って第二次世界大戦中。

イギリス海軍のHMS「アメジスト」乗組猫「エイブルシーキャット・サイモン」
もともと中国の揚子江で負傷しているところを拾われ救われた猫でした。

傷の手当てをしてもらったサイモンは「アメジスト」に乗って彼の役割を
忠実に果たし、鼠をたくさんとってなんと正式にオナーメダルを授与されています。

彼が亡くなった時、彼の亡骸はたくさんのメダルとともに葬られました。

イギリス軍では勇敢な軍の動物に与えるための

「ディッキン・メダル」Dickin Medal

というものがあります。
メダルには

「We Also Serve 」(私たちも勤務します)

という言葉が刻まれています。(冒頭画像右上のメダル)

 

■ アメリカ軍の軍猫ハマー1等兵は、イラク戦争に従事しました。
兵士たちの貴重な食料を荒らす極悪鼠を次々と殺傷し、
兵士たちにとってよき友人でもあったこの猫を部隊は名誉隊員とし、
一人の兵士が彼の故郷のコロラドに連れて帰ったということです。

 

■ 鼠を捕ることと兵士の友になることのみならず、CIAは
冷戦時代に猫をスパイ作戦に投入しようとしたと言われています。

その作戦名は、

オペレーション・アコースティック・キティ

1961年、CIAは猫の耳に超小型のマイク、尻尾にアンテナ、そして
体内にそれらのバッテリーを埋め込みました。

ってまじかよ。ひどいことするんじゃねーよ。

そしてその猫をソビエトの政府要人のいる建物の窓枠から忍び込ませ、
議会を盗み聞きさせたらいいんじゃまいか、というのが作戦の全容です。

5年間かかってトレーニングを行い、スパイ猫は準備を終了。
テストとしてまずワシントンのソ連から来た人々の多い地域に放ちました。

ところが、大変不幸なことに、猫は放出直後に

タクシーにひかれてしまいました。(-人-)ナムー

CIAが計算外だったのは、猫というものが気まぐれであちらに行けといっても
本猫がそう思わなければ決して行ってくれず、それのみならず基本的に
人間の命令を全くきかないという性質であることでした。

しかし、はっきり言ってあまりのCIAの認識の甘さには唖然とするばかりです。
5年の訓練期間中に一人くらいそのことに気づく関係者はいなかったのでしょうか。

アコースティックキティ作戦は1967年、正式に中止になり、
その後猫をスパイにする計画は二度と立てられていません。

ウクライナの国旗カラーのリボンを誇らしげに巻き、威嚇する戦車猫。
国を守る気概にあふれた精悍な表情をご覧ください
(適当)


【さる】

長年、ある中国軍の航空基地では鳥に悩まされていました、
ちょうど基地のあるところが鳥の繁殖地だったのです。

昔から基地のあるところにわざわざ引っ越してきて繁殖し、基地騒音に対し
文句を垂れる馬鹿者というのが一定数生息することが我が日本でも認められています。

この場合は先住していたのは鳥さんたちで、後からやって来た航空基地は
筋からいうと(笑)文句をいうに値しないわけですが、
飛行場の近くを鳥がたくさん飛ぶとバードシューティングが頻繁に起こり、
最悪の場合は飛行機が墜落してしまうのでまあ仕方ありません。


これを重くみた中国軍は鳥の巣を徹底的に排除したり、カカシを置いたり、
花火をあげたりして対策しますが、効果はいまひとつ。
やってもやっても鳥は帰って来てしまっていました。

そう、中国軍の誇る秘密兵器を投入するまでは。

訓練を受けたマカク猿はホイッスルを吹けば木に登り、たちまち
巣を落としてしまいます。
しかも、その際匂いを残していくので、鳥が二度と帰ってこないのです。

さる軍曹(彼は特に階級はもらわなかったそうですが一応)のおかげで
基地付近から鳥は減少し、安心して飛行機を飛ばすことができるようになりました。

よかったですね。

 

【アレチネズミ】


イギリスのCIAに当たるMI5は1970年代、飛行機でやってくるテロリストを
訓練したネズミを使ってその嗅覚で識別することを考えました。

最初にそのアイデアを思いついたのはイスラエル防衛軍で、
空港のセキュリティチェックにネズミを入れたカゴを置いて、
扇風機でパッセンジャーの匂いを嗅がせるという方法をとりました。
アレチネズミの鋭敏な嗅覚がアドレナリンを噴出?させた人物を嗅ぎ分けると
ボタンを押すようにトレーニングしたのです。

いやこれ、ちょっと待って?
別の理由でアドレナリンを噴出させてる人だって結構いるんじゃないかと思うの。
テロリストはゲートをくぐる時に最大限緊張するに違いないから、ってことだと思うけど。

そして案の定( 笑 )

すぐにこの試みは失敗であることが判明しました。

空港のセキュリティゲートをくぐる時の一般人のストレスは
案外高く、それは潜在的テロリストレベルだったのです(´・ω・`)

つまりアレチネズミさんはひっきりなしにボタンを押し続けたか、
あまりの人々のアドレナリンを嗅ぎ分けるのに疲れてしまったか、

・・・とにかくイスラエル軍はこの計画を放棄しました。

 MI5も諜報員ジェームス・ボンドから得たそれらの情報から解析を行い、
アレチネズミを空港に置くという計画を断念したのです。

 

【ブタ】

古代ローマでのブタの軍事活動というものは、極限まで飢えさせた彼らを
敵地に放ち、その食料となりそうなものを徹底的に食べさせることでした。

あるいは敵が採用する軍象に対抗する動物として採用されることもありました。
古代ローマでは軍象を使って攻撃を仕掛けてくることもありましたが、
これを迎え撃つ軍は攻撃の最前線に子豚をたくさん放つのです。

もちろんかわいそうな子豚ちゃんたちは次々と踏み潰されてしまうのですが、
不思議なことに、象軍団は象突猛進をやめ、踏みとどまってしまうだけでなく
引き返してしまうのでした。

実は巨大な体躯を持つ象は案外リスや子豚などを怖がる性質があるのです。

「あー、やべーなんか踏み潰したけどこれ何?何?
ちっちゃくて柔らかくて罪悪感半端ないんですけど」

という心情になるから・・かどうかは知りません。

近代になって、アメリカ軍はボディアーマーの耐性実験にブタを使っていますし、
(実験の後は皆でポークチョップなんだろうなあ)
イギリス軍ではブタを使って戦場における緊急手術のトレーニングを行います。
(訓練の後は皆でポークステーキなんだろうなあ)

これらの実験に対しても、動物愛護協会は廃止を申し入れているそうです。

どうせポークチョップになるんだから実験してもしなくても一緒だろうがよ!
と英米軍が彼らに言い返したかどうかは知りません。

 

【クマ】

第二次世界大戦時、ポーランド軍には「軍熊」がいたそうです。
階級は一等兵、名前は「ヴォイテク」(Wojtek)

1943年イランに進駐したポーランド軍の兵隊さんが子熊だった彼を拾い、
餌を与えていたらすくすくと育ってこんなに大きくなりました。

ヴォイテクは人間とレスリングをしたり、泳いだりして遊びました。
大変賢かったようで、敬礼をすることもできたというのですが、
そればかりかシャワーの使い方を覚えてしまい、しかも彼がシャワーを使うと
水がなくなってしまうので、バスルームの鍵をかけなくてはならなかったそうです。

ある時彼は鍵を閉め忘れてシャワーを浴びている人のブースに忍び込み、
あろうことか彼の武器を盗み出したこともあり、これですっかり英雄になりました。

(本来なら怒られそうですが、どうも怒られたのは盗まれた兵隊さんだった模様)

部隊がヨーロッパに船で移動することになった時、彼らはヴォイテクを連れていく
唯一の方法は彼をソルジャーということにするしかないと、正式に彼に
ポーランド陸軍の軍籍を与え、階級とシリアルナンバーを与えました。

「ヴォイテク」という名前は

「スマイリング・ウォリアー」「戦いを楽しむ男」

という意味があるそうです。

イタリアのモンテカッシーノの戦いでは、ヴォイテクは武器運搬に従事しました。
戦後、無事に凱旋した部隊と共に、ヴォイテクはスコットランドのグラスゴーで
ポーランド軍の一員として凱旋行進を行なったと言われています。

その後、部隊は祖国に帰国することになったのですが、ヴォイテクだけは
イギリスに残ることになりました。
連れて帰ることができなかったのか、他の理由だったのかはわかりません。

スコットランドのエジンバラ動物園を引退後の住まいと決められた彼は、
そこで(多分)悠々自適の生活を送りました。

かつての戦友はしばしばプレゼントを持って彼に面会に来ていたそうです。

 

 

続く。

 

 

 


戌年スペシャル企画 第一次世界大戦の勇士スタビー軍曹

2018-01-01 | すずめ食堂

みなさま、あけましておめでとうございます。

たまたま前年度から作成していたエントリに、お正月の読み物として
もしかしたらこれ以上ないのではないかと思われるものがありました。

軍とそれに関わる、あるいは関わらされた?動物についての展示を
去年訪れた軍艦内で見つけたので、それをまとめたものです。



軍と動物、というとまず思いつくのは馬、鳩、犬でしょう。
靖国神社の境内には戦争で命を失った彼らの鎮魂碑があります。

ミリタリーアニマルシリーズ、戌年スペシャルとして王道の犬からです。


犬が軍隊に所属することは大昔から古今東西に見られる現象でした。
古代ローマでもフン族のアッティラでも警備のために犬が飼われていました。

アメリカ軍も独立戦争からイラクでもアフガニスタンでも、
その軍隊に犬の姿を見ないことはありません。

冒頭のブルテリアの雑種ですが、彼は第一次世界大戦の時
第26ヤンキー師団第102歩兵部隊に所属して17もの戦闘に加わった

スタビー軍曹

その人、じゃなくてその犬です。

コネチカットにあったトレーニングキャンプで部隊の兵士に拾われた彼は、
軍艦「ミネソタ」に飼い主によってこっそり乗せられました。

艦上で犬を見つけた司令は激怒したのですが、飼い主はスタビーに
こんなこともあろうかと?軍隊式の敬礼を仕込んでいたので、
それを見た司令はあっさりスタビーの同行を容認するようになりました。

芸は身を助くってやつですね。

しかしスタビーは単なるマスコット以上の、とんでもなく有能な犬だったのです。

軍隊と行動を共にするうちに、彼はいつのまにか当時大変な脅威であった
毒ガスのわずかな匂いを嗅ぎ分け、各塹壕を走り回って仲間にそれを警告するようになり、
しかも戦闘終了後、戦場で倒れている負傷兵を探し出したりしました。

勇猛果敢に最前線に出ていくため一度彼は手榴弾で負傷したこともあります。
しかしどんな時でも彼は必ず塹壕に帰って来ました。

そしてドイツ軍のスパイのパンツを咥えたまま放さず、味方がくるまで
スパイを足止めにしたという功績をあげた後に、スタビーは正式に
軍曹に昇進したのです。

ちなみに飼い主だったコンロイは伍長だったので、いきなりスタビーは
彼より上官になってしまいました。

海自の警備犬も曹の階級を持っているそうですが、警備犬の階級章を見るときの
士クラスの隊員なら、コンロイのこのときの気持ちがわかるかもしれません。

戦争が終わり、アメリカ国民はこのヒーローの帰国を熱狂的に迎えました。

戦勝パレードに加わったばかりか、ウィルソン大統領に会い、
大統領は軍曹の栄誉を称えて彼とがっちり(多分)握手をしました。

その後何かと表舞台に出ることの多かったスタビー軍曹は、第29代大統領ハーディング、
そして第30代のクーリッジと三代にわたる現職大統領に拝謁しています。

第一次世界大戦でもっとも有名な犬がスタビーだとすれば、
第二次世界大戦でよく知られていた犬はジャーマンシェパードの雑種、

チップス(CHIPS )

でしょう。

彼はスタビー軍曹のように拾われた犬ではなく、民間人がある程度まで育て、
そのあとはバージニア州にあった

War Dog Training Center(戦争犬訓練センター)

に送られて専門の訓練を受けたプロフェッショナルでした。

彼の第一線デビューは1943年で、ルーズベルト−チャーチル会談の時、
歩哨犬として派遣されています。

その後ヨーロッパ戦線に投入されたチップス。

シシリー島での戦闘においてチップスと彼のハンドラーは、イタリア軍に
海岸線まで追い詰められ機関銃で囲まれるという絶体絶命の危機に陥りました。

ところが彼は猛然と敵に向かっていき、激しく吠えながら相手に噛みつき、
イタリア兵のうち4人はバンカーに飛び込んで逃げました。
しかし、チップスはなおも彼らに攻撃を加え続け、4名は降参したのです。

そのときチップスは頭皮を火薬で火傷していたのですが、さらにそのあとも
戦場で10人のイタリア兵を捕虜にすることに成功しました。

のちの大統領、ドワイト・アイゼンハワーはチップスに感謝の意を表し、
その勇気ある戦闘行動を称えました。

彼は戦功に対するルバースター勲章と、自らの負った負傷に対し
パープルハート勲章を授与されています。

ただし、上の写真に添えられた説明によると、

「ただし彼はドーナツのご褒美をもらう方がハッピーだっただろう」

ごもっともです。
彼にドーナツ?をあげているのは、ハンドラーだったジョン・ローウェル一等兵。
後ろのテントには「ドーナツショップ」と書いてありますね(笑)

 

戦争が終わり、除隊になったチップスは、元の飼い主だったレン家に戻り、
穏やかな一生を終えたということです。

彼の一生を見てなんだかディズニーみたいだなと思ったらやっぱり(笑)
1990年になって、ウォルト・ディズニー社が彼の活躍を

Chips, the War Dog(軍犬チップス)

というドラマにしています。

ちなみに彼は最初からトレーニングを受けた軍犬でしたが、規定により
軍の階級は与えられないままでした。

陸軍は犬、海軍は猫、というイメージが(あくまでもわたしの中で)ありましたが、
実は海軍やコーストガードでは犬は普通にポピュラーなマスコットだそうです。

外国の海岸線をパトロールするときには犬は必須ですし、最悪の場合?
食べ物を探してくれることもあります。
しかし何と言っても長い航海で兵士たちの心の友になってくれることでした。

海軍は、また哨戒艇に犬を乗せることもありました。
敵潜水艦のシュノーケルからでる空気の匂いを嗅ぎ分けさせるのです。

 

大型犬だけではなく、小型犬も軍犬として活躍しています。

ヨークシャーテリアのスモーキーは第二次世界大戦で海軍に従事しました。
スモーキーが発見されたのは1944年のニューギニア。
日本軍が撤退したあとの壕にいたので、犬を見つけた兵士は最初スモーキーを
”ジャップ”だと思ったのですが、日本語もドイツ語も通じませんでした。
(どちらも試してみたってことですね)
その後犬の訓練士でもあったウィリアム・ウィンに7ドルくらいで売られました。

ポーカーの掛け金を手っ取り早く手に入れたかったからだそうです。

それから2年もの間、スモーキーはウィンと太平洋戦線に従事しました。
正式な軍犬ではなかったため、彼女は(メスだったのです)Cレーションや
スパムを分けてもらったり、ゲームテーブルのグリーンのフェルトの上で寝て、
暑さと異常な湿度に飼い主と一緒に耐え続けました。

ウィンによると、彼女は

The South Pacific with the 5th Air Force,

26th Photo Recon Squadron

flew 12 air/sea rescue and photo reconnaissance missions

つまり偵察隊の飛行機に同乗していました。
そして何時間も偵察機の機銃近くの乗組員の肩にぶらさがって大人しくしていたそうです。

そんな状態で150回ものミッションをこなし、(沖縄で台風にも遭遇している)
12回もの戦闘に生き残り、これに対してサービススターを与えられています。

空中勤務の時、万が一の場合に備えて、スモーキー専用のパラシュートも作られ、
彼女はその実験のために9.1mの高さからパラシュート降下を行なっています。

ウィンは彼女のことを

「壕から来た天使」

と読んでいたそうですが、その理由はスモーキーによって命を救われたからでした。
輸送船の上で砲弾がこちらに向かってくるのを彼女に教えられ、
姿勢を低くした次の瞬間、彼の隣にいた8名にそれがヒットしたのです。

 

オフタイムには、エンターテイナーとしてもスモーキーは人気者でした。
賢い彼女はいくつかの手品芸を覚え、病院の慰問も行なっています。
ウィンによると彼女は彼が教える以上のことをその犬としての人生?に
たくさん教えてくれたということで、1944年、ある雑誌は彼女のことを

「南太平洋戦線のチャンピオンマスコット」

とタイトルにしたそうです。

スモーキーはまた、ルソンやリンガエン湾など、敵前線にある
重要な基地の建設でもエンジニアを助けることによってヒーローとなりました。

(アメリカでは女性でもこういう時にはヒーローと言います)

ルソン基地で長さ20m、直径8インチ(20センチ)のパイプの中に
電信線を通さなければならなくなった時、体長4インチの彼女が
その重要な役目を任命されました。

ウィンが戦後テレビでこう語っています。

私はスモーキーの襟に紐(ワイヤーに縛られた紐)を結び、暗渠の反対側に走った。
彼女はいろんなことをされて一旦逃げ出したが、私はもう彼女に

「おいで、スモーキー」

そうはっきりと言って、もう一度やり直した。

彼女が約パイプを10フィート進んだ時、ひもが引っ掛かった。
紐で繋がれている自分の肩をみた彼女はまるでこう言っているようだった。

『そこに行けば一体何があるの?』

紐は解けて、彼女は再びこちらに歩んで来た。
彼女が歩くたびにほこりやカビが舞い上がり、もはやその姿は見えなくなった。

どこまで彼女が来ているか全くわからないまま、私は彼女を呼んだ。
すると約20フィート離れたところに私は2つの小さい琥珀色の目を見つけた。
そしてかすかなぼんやりとした音を聞いた。

15フィートまで来た時、彼女は走り出した。

彼女がうまくやり遂げたことが嬉しくて、私たちはおよそ5分間の間、
ずっと彼女を撫でたり抱きしめたりしてやった

彼女がたった5分でやり遂げた仕事は、250人の地上員を動員し、
敵の爆撃からの警戒に40機の戦闘機と偵察機を運用し、
3日間かけて掘削を行った上で行われた最後の工程でした。

終戦の年の12月7日、ウィンとスモーキーは、地元紙のの第一面記事で取り上げられ、
(二つ上の写真)すぐにアメリカ中の話題の犬となります。
彼らはその後10年間、ハリウッドはじめ全米各地で目隠しをしながら綱渡りをするなどの
驚くべきデモンストレーションを見せて回りました。
42回ライブで出演した番組で彼らは二度と同じトリックを行いませんでした。

退役軍人病院への慰問も彼らの大事な仕事となりました。

ウィンがご覧のようにハンサムな青年だったこともその人気に拍車をかけたようです。
そしてウィンによるとスモーキーは、

「1940年代後半から1950年代初めに数百万ドルを稼いだ」

ということです。
ポーカー代金の7ドルで買われた犬が大変な恩返しをしたってことですね。

1957年2月21日、「コーポラル・スモーキー」(彼女の芸名)は14歳で亡くなり、
クリーブランド・メトロパークで30口型弾薬ボックスに入れて葬られました。

ほぼ50年後、退役軍人の日である2005年11月11日に、2トンの花崗岩のベースの上に
GIのヘルメットに置かれたスモーキーのブロンズ実物サイズの彫刻が発表されました。

記念碑には、

「スモーキー ヨークリー・ドゥードル・ダンディー、
そしてすべての戦争の犬に捧ぐ」

とあります。

この後ヨークシャーテリアが有名になり、人気の犬種になったことも
いわばスモーキーの「功績」の一つだそうです。

 

今日では人間の10万倍という嗅覚の鋭さを生かした訓練を受け、
時としてその訓練士とともに大変危険な任務に赴くことがあります。

例えば敵のテリトリーで爆弾や地雷の危険のある地域を先導し
危険を察知すれば対処するといったような。

写真はアメリカニューヨークの同時多発テロ発生時、
ニューヨーク警察のK-9部隊に所属していた捜索救助犬、アポロです。

事件発生の15分後に彼と相棒はワールドトレードセンターに到着し、
人命救助に当たりました。
炎とその後のビル崩壊で彼らは危うく命を失うところでしたが、
ひるむことなく危険な現場で救助を続け、その功績によって
アポロはディッキン・メダルを授与されたのでした。

「チップス」の項で、彼が最初「ジャップの犬かと思われていた」と書きましたが、
これは海兵隊がグアムでの日本軍掃討作戦の後、現場で顎を砕かれていた
日本軍の犬に救命のための緊急手術を行っているところです。

人を憎んで犬は憎まず、ってところですか。


それからやはりチップスの欄で、イタリア兵が次々と投降した、と書きましたが、
幾ら何でも犬一匹に、と思ったあなた、あなたは甘い。

軍用犬の用途の一つに「脅迫」「脅し」に使うというのがあるんですよ。

写真はバグダッドのアグレイブ刑務所で囚人を脅すアメリカ兵。
脅かされる囚人。
マジで怖がっているらしいのがその表情と後ろにそらした上半身でわかります。
いやー、これ確かに怖いと思う。

最後に。

スタビー軍曹は、1926年にお亡くなりになった後、
スミソニアン自然史博物館によって剥製にされました。

その障害に受けた数々のメダルをつけたケープとともに、
現在は国立アメリカ歴史博物館に展示されているということです。

 

 

続く。

 

 


シリコンバレーのジャックラビット

2017-07-30 | すずめ食堂

 

 

シリコンバレーにあるショアラインパークで見た動物についてお話ししています。

さて、わたしが湖のほとりでリスにフォーカスしていると、目の端に動くものを捉えました。

まさか・・・・!?

ジャックラビットです。
昼間にはほとんど出てこないので遭遇することも滅多にないジャックラビット。
去年はフェイスブックの近くの山で一度だけ見かけたのですが、
それもカメラを構える前に逃げてしまいました。

今年はかなり遠いせいか、こちらに全く気づかない様子です。

高鳴る胸を押さえてレンズをのぞいていると、もう一羽が出てきて追っかけっこを始めました。

とかなんとか言いながらとっさのことでレンズを調整することができなかったので、
いまいちアップにするとピントが甘いのが残念ですが、それでも
両者の個体差がよくわかるくらいには撮れています。

追いかけられているうさぎは三白眼、後ろは黒目。

ていうか、うさぎってこんなに顔にバラエティがあるものだったのね。

後ろがメスで、しつこいオスを撃退しているという仮定を立ててみました。

一旦追い払った後、追いかけていた方はくるりと向きを変えて・・・

ピタリ。
これはもしかして追いかけておきながら誘い受け?
いわゆる一つのツンデレという形でしょうか。

どうやら仮定は当たっていたらしく、ちゃんとオスは戻ってきました。
メスの背後に着いて様子を伺います。

・・・が、

「いやだって言ってんでしょ?あっち行って」

「・・・・ちっ」

みたいな?

「全くしつこいんだから!」

みたいな様子でオスの後ろ姿を睨むメス(たぶん)

しばらく睨んでいたと思ったら、踵を返し、後ろの藪に消えました。

と  こ  ろ  が (笑)

こいつ全く諦めてないっぽい?

二匹がいなくなったのでメスの消えた藪の前を通り過ぎて、
もしやと思い振り返ってみると、オスが出てきていました。

ストーカーのような表情でメスの消えたところを凝視するオス。

で、改めてじっとしているジャックラビットの写真を撮ったのですが、
うーん・・・・可愛くない。全く可愛げがない。

なんか妙に表情が人間ぽいというか、不気味というか・・。

カリフォルニアの野ウサギは三種類いて、オグロジャックラビット(Black-tailed hare)、
オジロジャックラビット(White-tailed hare)、カンジキウサギ(Snowshoe hare)の3種類。
オグロ、オジロのジャックラビットがふつうジャックラビットと呼ばれます。

このウサギの尻尾は茶色なので「オグロジャックラビット」です。

だいたいこの、目が怖いんだよ目が。

そしてついでに失礼ながら下半身もアップ。
オスなのかメスなのかもこの写真からは判然としませんが・・・。

しばらく佇んでいたジャック、諦めて?藪に戻って行きました。

写真をご覧になってもこのウサギの体長が大きいのがわかると思いますが、
実際にカリフォルニアに生息する野ウサギでは最大の体長となります。
だいたい45センチから大きいのになると60センチを超えるそうで、
この二匹はその中間くらいの大きさだったでしょうか。

これだけ大きいということは肉もたくさんあるということで、
しかも徹底した菜食しかしないため大変その肉は美味しいらしいので、
カリフォルニアでは毎年結構な数、ハンターの餌食になっているということです。

農作物を荒らす害獣であるとすれば殺す大義名分もたつというものです。

それにしてもジャックラビット、うさぎとして何が妙かというと、
この脚の長さって気がするんですよね。

もちろん後足が長いからこそ、うさぎは早く駆けることができるわけですが、
それにしてもこれはバランスが悪いというか、後足長すぎないか?

これだときっと下り坂はむちゃくちゃ苦労すると思う。

というわけで、思わぬ収穫に興奮しつつ、先に進みます。

湖から湿地帯に抜けてきました。
去年は水不足でここもカラカラに乾いていたものですが、少し復活しています。

何より去年していた強烈な沼の匂いが少し軽減しています。

鳥のためにわざわざ設えられたらしい木の柱の止まり木。
各木の上に一羽ずつ止まれる止まり木、これが本当の「お一人様専用バー」です。

一本足と二本足。

ただ、去年までペリカンの巣になっていたところは、水が減ってしまい、
カモメやガチョウの溜まり場に変わっていました。

大型のペリカンはどこか水深のあるところに巣を移してしまったようです。

こうしてみると例年と変わらないように見えるのですが。

よくみると、去年干上がっていた湿地帯は、一応復活しているようで、
水鳥の足跡が転々とつくくらいでした。

カリフォルニアで普通によくみるカップルの形。

彼らはまず間違いなく、自分と同じようなタイプと付き合います。
どちらかがマッチョで片方がデブ、という二人はあまり見ません。

彼らは白人と黒人ですが、この取り合わせもあるようでちょっと珍しいかな。

ちなみに、特にこの辺りの若い男性(痩せて筋肉質の体限定)は、走る時必ず上半身裸です。
ボストンではあまり見ないので地域的な流行なのかもしれません。

ペリカンに会えなかったのを残念に思いながら池まで帰ってくると、
さっきはいなかったダイサギが出勤してきていました。

少し離れたところにはイグレット(小サギ)もいます。

写真に撮るとわかりませんが、両者の大きさは三倍くらい違います。

さて、そろそろ帰ろうと出口に向かって歩いていく途中で見たこのリスさん、
何かを一生懸命食べていたのですが・・・、

わたしが立ち止まってカメラを構えていると、食べるのをやめました。

そしてずんずんこちらに向かってキタ〜!

この後目の前の足元で立ち上がってくれたのですが、急なことでピントが全く合いませんでした。
なんだったんだろう・・・・。

そして、一番最後におそらく先ほどのどちらかだと思うのですが、
一匹だけでひょこひょこと走っていくジャックラビットを発見。

うーん・・・・・・・・結局フラれちゃったわけかな・・・・・。

 

また来年ここにきて彼らと遭遇できることを祈って、
わたしはこの後シリコンバレーを後にしました。

 

 

 

 

 


ゴミ箱を漁る希少種黒リス〜シリコンバレー・ショアラインパーク

2017-07-29 | すずめ食堂

今いる西海岸のマウンテンビューは、いわゆるシリコンバレーの中の一つの街です。
気候が「クリエイティブな仕事をするのに最適」で湿気のなさがコンピュータに向いている、
ということで近年発展してきた地域です。

この街にはコンピュータ歴史博物館というものもあります。
サンフランシスコに住んでいたとき、その後の渡米を含めて
滞在中に何度か息子を連れて遊びにきたことがあります。

そしてマウンテンビューといえば、グーグル。

「グーグル」というストリートもあり、元々は何もないところに、会社を作ると同時に
道まで作ってしまったらしいことがわかります。

今年はスタンフォードディッシュと同じく、家族が寝ている間に、わたし一人、
朝早くショアラインパークにやってきました。

やはりこの時間に来ると気温が低く、歩きやすそうです。

いつもは9時過ぎにきていたので知りませんでしたが、朝早いとそれだけ
動物の動きも活発なようです。

まず驚いたのは駐車場の隅にあるゴミ捨て場にリスがゴミ漁りにきていたこと。

しかも、ここでは初めて見る黒リスが混じっています。

去年も一度街中で黒いリスを発見しましたが、
その時はこういう種類のリスがいるのだと思い込んでいました。
ところが、これはいわゆる突然変異種で、メラニン不足のアルビノの反対、
メラニンが多すぎるメラニズムというものだということがわかりました。

 

その希少種である黒リスがゴミを漁るの図。

珍しいのでアメリカではネズミ扱いされているリスの中でも別格で、
マスコットとして珍重されているとか。
ちなみにこの辺りの黒リスは元々スタンフォード大学が導入し(人工的に?)
その結果、パロアルトやメンローパーク中心に見ることができるようになりました。

メラニンが多い、つまり人間でいうとアフリカ系みたいなもの?
アフリカ系は暑さに強いようですが、メラニズム種は日光を吸収しやすいので、
逆に寒さに強いのだそうです。

この種類のリスもここでは初めて見ました。
ボストンの東部灰色リスに似ているような・・・。

ゴミ箱あさりの合間に、一目散に走っています。

何をするのかと思ったら、水たまりの水を一生懸命飲みだしました。
リスの水飲みは初めてです。

終わったら一目散に退散。スピード感ハンパなし。

ちょっと止まって体を掻いてから(笑)

喧嘩も始まりそうでしたが、惜しいところで弱い方が逃げました。

こちらのリスさんは一生懸命巣に必要な建材を運搬中。
なんかアニメのシーンみたいです。

最近、この近辺ではあちらこちらでグーグルの自転車を見るようになりました。
本当にグーグルの人が乗っているのか怪しいくらいです。

こういう落書きをするようなカップルに限って長続きしない(確信)
以前、自分の名前の刺青を入れた彼氏に感激しておいて、13日後に
別れてしまった女性のツィートが話題を集めたことがありますが、
これよりはまあ被害は少ないかな。

こちらはこの木がある限り世間に向かっておばかを曝すことになるわけではありますが。

公園の中に入っていきますと・・・・いたいた、いつものリスどもが。
やっぱりわたしは灰色リスよりこちらの方が好きかなあ。可愛いし。

灰色リスは木の上に巣を作るので、巣に使う材料を運ぶのはわかりますが、
このジリスは土中に穴を掘って住むので、そんなことはしないと思っていました。

手と顎で藁を抑え、二本足で巣に運んでいきます。

前にも書いたことがありますが、リスも環境によって人への警戒度が変わります。
ディッシュトレイルのリスは上空から天敵がいつ襲ってくるかわからないので、
そのぶん人影にも敏感で、こちらがカメラを向けただけで素早く逃げますが、
ここのリスはたくさんある木の根元に巣を作っているので、
空から敵が襲ってきていきなりさらわれるということがなく、
あまり人間にも警戒せず、向こうから近寄ってくることすらあります。

比較的近い距離で望遠レンズを向けても知らん顔で食事しています。

ここはディッシュトレイルより緑の植物が多いので、
枯れたような茶色い植物を食べているディッシュのリスより
ビタミンが足りているという気がします。

このリスが食べているのも、肉厚の葉っぱで、美味しそう。

食べ物が性格を作るというのがリスにも適応されるのならば、
ふんだんに緑の植物を食べることのできるショアラインのリスは、
人間であれば穏やかで安定した性格なのかもしれません。

ジリスの学名は

Otospermophilus beechey(オトスパームオフィラス・ビーチー)

と言います。
イギリスからカリフォルニアを探検してこのリスを見つけたのが、

フレデリック・ウィリアム・ビーチー

だったからなのですが、このビーチー、なんと地理学者でありながら

海軍将校(しかも男前)

で米英戦争やフランスとの戦いにも参加した人だそうで・・・

このブログが熱心にカリフォルニアジリスについて語ってきたのも、
もしかしてそういう縁の為せることだったから?と思いたいわたし。

何食べてるんだろう。調理前のラーメン?

アップした写真を見ると、どうも木の根の先端のようです。

またもや黒リスを別の場所で発見しました。
全部で1万匹くらいしかいない割にこの日は二回も遭遇したことになります。

ちなみにカリフォルニア大学デービス校ではこのリスの研究が進んでいて、
例えばがらがら蛇の捕食から逃れるいくつかの手段をリスが持っていることは、
この大学の共同研究によってわかったことだそうです。

いいなあ・・・リスの研究。わたしもやってみたい。

この日撮った中の一番の美リス。多分メス。

犬猫がそうであるように、リスにも個体差があります。
体つき、尻尾、顔も写真を撮ると皆違います。

リスは巣穴から140メートルの範囲のみで生活し、他所には行かないそうです。
リスにとって直径280mの円が世界の全て、というわけです。

これはますます生まれた環境によって性質も変わってきそうですね。

リスのいる木陰の地帯を抜けると、ショアライン湖が広がります。
例年はわたしが散歩していると、ここで行われているサマーキャンプで
水上スポーツを習う子供達の姿が湖上にみられるのですが、この日は
朝早いので、湖面は鏡のように静かに静まり返っています。

と思ったら、ここにもいた!巣材運搬系リス。

咥えられるだけ藁を咥えて(笑)

このリスさんは一家の長で今まで家族のために戦ってきたのか、
左耳がかじられて欠損しています。

見ていると、いそいそと藁を咥えたまま穴に姿を消しました。
穴の中でも藁を敷いて快適に暮らしたい。

より良い住環境を求めてやまないのはジリスといえども同じ。


さて、その直後、わたしはここで再会することを大げさではなく夢見ていた、
「ある幻の動物」と遭遇したのでした。

 

なぜか続く。







観桜会(実はお披露目”愚直たれ”)

2017-04-04 | すずめ食堂

えー、一応タイトルが本日も五七五(季語もちゃんとあるよ)
となっているのに気がついてくださるとうれしいです。

海上自衛隊呉地方総監部の観桜会に呼ばれてきたのに、
なんと空港で大雪に降られる(しかも吹雪)という
異次元的異常気象体験をしたのち、呉に到着したわたし。


現在公開に向けてプロジェクト始動中の、呉鎮守府時代の海軍の遺産である
防空壕跡を見せていただき、もうこれだけで(ネタ的にも好奇心的にも)
十分満足というところまできたのですが、ここからが今回のメインです。

 

防空壕跡の見学が終わると、大尉殿の車に乗って呉阪急ホテルにTOを迎えに行き、
ついでに防空壕見学で泥まみれになったスカートの裾を履いたまま洗い、
すっかりきれいになったのにホッとして会場に向かいました。

会場となった教育隊の体育館では、呉地方総監池太郎海将ご夫妻が来賓にご挨拶中。

わたしも含め、桜にちなんだピンクをどこかに取り入れた装いの女性客が多い中、
総監夫人はあえて「海」を意識されたのか、ブルーのスーツで登場です。

ご挨拶を済ませ赤絨毯の方向に歩いていくと、こんなパネルのコーナーがありました。
呉地方総監部ではこの度呉地方隊のイメージキャラクターを作ることにしたようです。
アイデアを隊員から募集し、この日の客に投票で選んでもらうという趣向ですね。

なになに、「クレンジャー」「くれけん」(呉の犬)、
クジラと潜水艦の混じった「くれてつ」、「カレーおいしいくん」・・・。

地方総監庁舎そのものの「ちょうしゃくん」。
瓶の形をした「愚直たれ男」。ど直球です。

「愚直たれ男(おとこ)」だと何となく呉地方総監ご本人を指すようで、
なんかすごく失礼な気がするのですが、「たれお」ならセーフ?

「瀬戸内七海&瀬戸内航平」。「クレオとパトラ」。
「海守椿」「呉葉」「マモルくん」など人名系や「呉モン」「鯉太郎」。

いやー、どれになるかが楽しみだなー(棒)

まずは呉地方総監のご挨拶。

「自他共に認める晴れ男だったつもりが、今日で記録がストップしました」

ふははは、自他共に認める呉との相性では圧倒的に雨女のわたしが勝ったってことかな。

ってすみません。多分ですが、この雨はわたしのせいです。
雪までは知らんけど。

 

今日は何と言っても親睦がメインの観桜会ですので、硬い挨拶はなく、
総監はもっぱら挨拶の席で、あの「愚直たれ」の説明と宣伝に努められました。 

 

見て驚け、会場に備えられた「愚直たれ」コーナー。

このブログでも何度かご紹介してきた「愚直たれ」ですが、
その後着々と呉地方総監部におけるプロジェクトは進行しておりました。

 

建前でも何でもなく、海上自衛隊という組織にとって「地域コミニュティとの連携」は、
実は防衛計画の大綱にもある重要な達成目標の一つでもあります。

地域の飲食店が参加する形で行われる「カレーグランプリ」がそうですし、
今回わたしがその計画を垣間見せていただいた海軍の遺産の公開と保存も、
郷土史に新たにスポットを当てるという意味でその一環でしょう。

呉地方総監の指導目標から偶然生まれた「愚直たれ」。
その後呉地方総監部が地域コミュニティへの呼びかけを行い、手を挙げた協力店舗が
このレシピを再現し、メニューに取り入れるという試みをしているというのです。

 

今回の観桜会場ではご覧のように「愚直たれ」が試食できる屋台がありました。
この屋台については実は不肖わたくし、観桜会の少し前に

「会場で『愚直たれ』の味見ができるようになさってはどうですか」

と僭越ながらご提案を申し上げておいたのです。
もちろんわたしが言わずとも最初からその予定だった可能性もありますが、
とにかく、会場に「愚直たれ」と書かれた屋台が出ているのを見たとき、
ささやかな進言が聞き入れてもらえたように思い、大変嬉しゅうございました。


ここはシンプルに、キュウリにたれをつけて食べてもらうという趣向です。 

総監の挨拶中には、このたれグランプリに応募作品を採用された方、
そしてポスターのデザインを採用されたカメラ係の海曹が皆に紹介されました。

続いて挨拶は小村呉市長。

呉は海上自衛隊とともにある、というようなことを述べた後、
あの「呉氏」のPVでは海上自衛隊に大変お世話になったという話をされました。
後でお話しした時、呉氏のビデオの話もしましたが、

「あんなもの(呉氏のこと)がキャラクターになるなんて不思議〜」

みたいに おっしゃっていました。

おぢさんにはなかなか理解しがたい感覚のようです。

おなじみ衆議院議員寺田稔先生。
やはり東京から飛行機で来て雪のため会が始まってしばらくしての登場です。
わたしの時には飛行機の遅れはなかったのですが、その後空港では
雪が積もって結構大変だったようです。

滑走路の雪かきなども必要になったということでしょうか。
ちなみにこの翌日、わたしは昼の飛行機で羽田に帰ったのですが、
広島空港は昨日の天気が嘘のように晴れて地面も乾いていて、
まるで狐につままれたような気分になりました。

「マリーンナイツ」という名前でジャズやラテンの曲を中心に演奏していた
呉音楽隊選抜メンバー(もしかしたら同好会かな?)の皆さん。
キーボードの方がお上手でした。 

と思ったら女性歌手が登場。
桜にちなんだJポップスを何曲か歌いました。 

ちょうどわたしは幹部学校長に、卒業式のことを話していたので
じっくり聴けなかったのですが、お上手だったと思います。

学校長には部内選抜幹部の卒業式にご招待くださったお礼を言い、
九十九瀬戸でのお見送りの話を聞かせてもらいました。

「宮様(彬子女王殿下)のご出席は何しろ初めてのことだったので、
皆緊張して現場は大変でした」

彬子女王がご来臨賜ったのは、呉地方総監のお招きによるものだったそうです。 

冒頭写真にも出しましたが、フルーツカーヴィング、さりげに匠の技です。

この季節、というか花見の席にスイカというのもすごいけど、それより
スイカに「桜」という字とバラの花を彫り込んでしまうアナーキーさに乾杯。 

「カメラを持っているから撮ってもらおう」

と右側の方がおっしゃったので一枚撮らせていただきました。
左側は秋岳周作(あきおかしゅうさく)江田島市長です。 

その時、会場に

「自衛艦旗降下の時間となりましたのでご静粛に願います」

というアナウンスがありました。
外は雨、体育館の中には自衛艦旗というものはどこにもないわけですが、
皆が一斉に体育館の入り口の方を向いたので、きっとその方向に
自衛艦旗が掲揚してあるのだと解釈しました。

喇叭譜「君が代」が吹鳴される間、会場の人々は静粛になります。
自衛官は一人残らず背筋を伸ばし、拳を握って立っていました。

 

わたしは自衛隊出身の民間の方が艦内で自衛艦旗降下に遭遇し、
椅子に座っていながら姿勢をただすのを目撃したことがあります。

自衛官生活を一度でも経験すると、このラッパを聴くと
自然と背筋が伸びてしまうものらしいですね。 

花より団子、と申しますが、そもそも花がまだ全く咲いておらず、
さらには雨が降っていて花を思わせるものは何もない体育館での観桜会。
せめて参加した人々との名刺交換と歓談に花を咲かせ、
団子ならぬ海自カレーを味わうのがよろしいでしょう。

というわけで、お約束、会場のカレーをいただいてみました。
スープ状の辛いカレーにはご飯が少なすぎる気もしましたが、
この辛さがあるいはここの特徴なのかもしれません。

さて、ところで我らが「愚直たれ」の評判はどうかな?

屋台の奥では何人かが一生懸命キュウリを刻み、ホイルケースに乗せて
「愚直たれ」をつけ、爪楊枝を刺す作業を黙々としておられます。


「愚直たれ」、出て来たらほとんど瞬時になくなってしまう人気ぶりです。
一人で抱え込むようにたくさん手に乗せて持っていく人もいるではないですか。

これを見たとき(このブースがわたしの提案によって生まれたとしてですが)
現場の自衛官の仕事を増やしてしまって済まない気がしたくらいです。 

わたしもなんとか一ついただくことができましたが、一緒に食べたTOと

「おいし〜い!何これ」

「冷たいキュウリとよく合うねえ」

さすがはいくつもの応募から愚直大賞を射止めた作品だけのことはあります。

会場にはこの通り、レシピもちゃんと公開されていました。
マヨネーズとごまドレッシングを使うのがちょっと反則という気もしますが、
まあ美味しければよろしい。

 生のキュウリにもこれだけ合う味でありながら、唐揚げの下味や
トーストに塗って食べるなど使い方は無限大です。 

この度呉地方総監部がホームページ上で呼びかけたところ、9つの店舗が
愚直たれを使ったレシピをそれぞれ考案し提供することに名乗りをあげました。

天ぷらに添える、丼に添える、カレーセットに添えて何にでもかける、
バーベキューのたれ、ドレッシングがわり・・・。 

どれも試してみたいですが、お店が考えたらしい特徴欄の

「愚直な仲間とワイワイ!愚直な店員さんとワイワイ!」

とか

「三つ子の魂百まで!愚直たれで愚直の食育!」

もう、愚直という言葉がゲシュタルト崩壊を起こしそうです。

「愚直たれ」メニューは、すべて総監自らが味見をし、(マジですか)
総監直々に認定して初めてお店で提供することを許されます。

さて、そんなわけで、桜を一切見ない(桜という文字は見たけど)観桜会は
盛況のうちに終わり、わたしたちは呉の駅まで大尉殿の車で送ってもらいました。
この日は広島にホテルを取っていたのですが、どちらがいうともなく

「やっぱりここは呉で『愚直たれメニュー』を試して帰るべきだろう」

ということになり、わたしたちがタクシーで向かったのは・・・

 

 

続く!

 

 


スタンフォード・ディッシュ〜シリコンバレーリス模様

2016-09-21 | すずめ食堂

 シリコンバレーのディッシュトレイルに生息する
海軍リス戦隊ことカリフォルニアジリスたちについてです。 

散歩コースは二通りありますが、右回りすると最後に
素晴らしい眺めを見ながらただひたすら降りていくことになり、
こちらがわたしのお気に入りです。 



前回自然界の厳しい掟を体現してくれたサギが、今日も来ています。
それにしてもどうして今までいなかったサギが今年はこんなに
ここにやってきて餌を漁っているのか、しばし考え、そして
このことに思い当たりました。

2015年から言われているカリフォルニアの深刻な水不足です。
どこのホテルでも、水不足なのでご協力くださいという告知が貼られ、
わたしもいつもペリカンを取りに行くショアライン公園で、
池の形が全く変わってしまったのを見てそれを実感していましたが、
もしかしたが彼らは水場が少なくなり、魚が取れなくなった地域から
こんな山の中に仕方なく餌を求めて出張してきているのかもしれません。



もちろん聞くわけにいかないので正解はわかりませんが、これは
かなりの確率で当たっているのではないかと思われました。
今までいた水場が干上がってしまったとしても、縄張りのこともあるし
他の水場に行けないといったサギなりの事情があるのに違いありません。

「だとしたらかわいそうにねえ」

「きっとサギだってトカゲなんて食べたくて食べてるんじゃないと思うよ」

「だよね。トカゲってほら、なんか苦そうだし」


「そういう問題じゃない」



超望遠レンズで撮った小さなトカゲさんはお昼寝中。
これで体長3センチくらいです。



坂を下りていくと、スタンフォード大学のシンボルであるフーバータワーが現れます。
このフーバータワー(フーバー大統領の名前だと思ってるけど実は知りません)は
飛行機でサンフランシスコに着陸する寸前にもはっきり見えます。



リスが食べるのはたいてい枯れたようなこの辺の茶色い草。
必ず両手でしっかり持ってお行儀よく食べます。



リスが一番可愛いのはこの手の使い方であると断言。



ときどき草以外のものを食べていることがあります。
このリスはなにかわかりませんが黄色いものをかじっていました。



黄色い花かもしれません。



食べているといえば、こんかい非常にショックな光景を見てしまいました。
一匹の小さいリスが、なにかを見つけたところ、他のリスも興味を示し、
最初のリスはそれを持って逃げ、誰もいないところで・・・、



ぱく。

「何食べてるんだろうね」

肉眼では確認できなかったので、わたしは何枚も望遠で写真を撮り、
そしてそれがなんだったかを知り、戦慄しました。(大げさ)



け、毛が・・・。
毛が生えているうう!



「んん?なんか文句ある?」



これって、リス以外の、野ネズミかモグラの赤ん坊の死骸なんじゃ・・。



知らんかった。
リスって肉食もするのか?
それとも、このリスは子供なので、食べられると勘違いしている?

いずれにしても、私たちの視線に気づいて、このリスは
獲物をくわえたまま逃げて行ってしまいました。
この子がその後ネズミの死骸を食べたたのかどうか気になります。



そこで出てくるネズミ画像。
リスとは動きがちがうのですぐにわかります。
体が小さいのでサギに捕まって食べられてしまっていました。

しかし、この一帯で動物の死骸というものを見たことがありません。
その理由は、死んだ途端、誰かが食べて片付けてしまうんですね。



ラズリくんも地面に降りて虫を探しています。
みんなみんな生きていくためには他の命を奪うしかないのです。



気づいたのですが、リスは青い草もときどき食べています。
リスなりにバランスというかビタミンの摂取に気を使うのでしょうか。



立って両手で草の先を食べる姿もよく見ます。






サギがいるところ、空をタカなどが飛んでいる時には、
地面には影も形も見せないリスですが、どういうわけか、
こういう手すりの上だと保護色になって狙われないのか、
彼らがいても平気な様子で外にいる時があります。



動かなければ上空からは視認されないのでしょう。



彼らは必ずお腹を陽に当てなければいけないようです。
お風呂に入るようなものかな。
じっと手を組んで、まるでお祈りをしているような姿のリスも。



物思う風。



いつも柵の上にリスがいる一帯があります。



そこではこんな光景もよく見られるのですが、このとき、
このうちの一匹がまた「空襲警報」を始めました。



警報を発令するリス、というのは決まっているのか、
それとも気づいたものが行うのか、ぜひ知りたいものです。



このときは空を天敵である鳶が飛んでいました。



この柵の上にいると鳥は来ないと信じているようです。
リスはここからずっと鳴き続けました。



柵の下段も、鳥に襲われない安全なゾーンらしく、このように
寝そべってくつろいでいます。



枝が邪魔で平たくなっているリス。



なんか柵を噛んでいるようなリスもいました。



アップにしてみましたが、マジで噛んでます。
歯の手入れ?で何かをかむこともあるのでしょうか。



リスはあまり団体で行動しませんが、たまに二匹の単位でいることがあります。



しかしほとんどのリスは餌場でバッティングするとすぐに喧嘩を始め、
強い方がそうでない方を自分の周りから追い払ってしまいます。



負けた方は文字通り尻尾を丸めて逃げていくのでした。



さて、今回は喧嘩ではなく、おそらくオスとメスの触れ合いを目撃しました。
おそらく、この後ろがわがオスです。



メスに近づいてきて、先に尻尾の下の匂い確認。



メスはすっかりその気・・・かもしれません。



ところがオスはひょいっと前に移動。



どうやらメスの顔を確認したいみたいです。
後ろ姿で、お、いい女!と思ったら、顔も当然見るでしょ、みたいな?



♂「うーん・・・・・・これは・・・」
♀「?」



♂「・・・もう一度確認させてもらえますか」
♀「このひと(男)何をぐずぐずしてんのかしら」



♂「あ、すみませんけど、ちょっと・・」
♀「え?なに?なんなのよいったい」



♂「ちょっと携帯が鳴ってるみたいなんで・・」
♀「はあ?」




♂「思ってたのと違うっていうか・・・ごめんねー!」
♀「はああああ?!」



♀「ちょっとなにあれ、ムカつく!信じられないんですけど!」


というわけで、例によって見ているときにはなにもわからなかったのですが、
写真を解析してみると、1秒そこらの間にこんなドラマがあったのがわかりました。
リスの世界にもいろいろあるんだなあ(涙)



というわけで、今年のリス戦隊レポートを終わります。
また来年(があるかどうかわかりませんが)をお楽しみに。


 


リス戦隊警戒警報発令〜シリコンバレーの動物たち

2016-08-19 | すずめ食堂

サンフランシスコにいたときにはその存在も知ることはなかったのですが、
ここシリコンバレーを毎夏訪ねるようになって、頻繁にお目にかかるリスに目覚めました。

シリコンバレーというのは、言葉からのイメージとは裏腹に、
実はほとんどが自然のまま、その中に街があるというところなので、
たとえばグーグル本社ではキャンパスでヤギを草刈りのために放牧していたり、
(なぜそんなことをするかというと理由は”かわいいから”←これ本当)
そのキャンパスも自然鳥類保護区「バーズ・サンクチュアリ」の隣にあったりします。 



スタンフォード大学の研究施設であるディッシュ・トレイルと言われる一角は
自然の丘にトレイル(小道)を作り、「道から絶対足を踏み出さないように」
としたうえでウォーキングやジョギングを楽しむ人に解放されているのですが、
ここは鳥ならぬカリフォルニアジリス(地リス)の天国。

最初に来たとき、わたしは、足元で人が来るのにも平気で草を食むリスたちの
可愛らしさに悩殺され、それ以降恒例の「リススレ」を夏になると
ここで空気を読まずにアップしてきました。

ところが去年、トレイル内部で大幅な改装工事が行われ、
道が舗装されたり柵を手前に移してバイクロードを作ったり、
という間閉鎖されていたため、ここに来ることはできませんでした。

今回、西海岸に着いて早速次の日、カメラを肩に出撃です。



歩き始めた頃と違ったことがあるとすれば、中国人が増えたことでしょうか。
確かにここの日差しは強烈ですが、日本人も日傘は差しません。
空気を読むというか、日傘が奇異な目で見られるので遠慮しているというか。
しかし、中国人というのは基本自分がどう見られているか全く考えない人種なので、
見た目も暑苦しい、しかも雨傘でトレイルを歩いてしまいます。



右手前方が入り口なのですが、入ってすぐ延々と坂が続き、
否が応でもここでハードモードになってしまいます。
真面目に歩くと息がきれるほどですが、カメラを持っている時のわたしは
被写体を見れば立ち止まってしまうので坂も苦になりません。



早速青い頭の「ラズリ・バンティング」(Lazuli Bunting)、
ムネアカルリノジコが現れました。
「ラズリ」とは「ラピスラズリ」 lapis lazuli からの命名ですね。



こちらは「ダーク・アイド・ジュンコ」(Dark-eyed Junco) 
日本では「ユキヒメドリ」だそうです。
オスとメスで色が違い、こちらはオスであるとのこと。



ところで、今年2年ぶりに足を踏み入れたディッシュトレイルで、
わたしはすでに違和感を感じていました。

「リスが、一匹も、いない・・・」

そして、その理由が坂を登りきったところで判明しました。
サギです。
グレート・イグレット、日本名ダイサギ。
今まで見たことがない水辺の鳥がなぜか草むらを闊歩しているのでした。



リスにすれば通天閣くらいの背の高さの鳥が餌を求めているのですから
それはそれは恐ろしいでしょう。
入り口からここに至るまで、かつてリスの天国だったフィールドに一匹も
その姿を見せていなかったのはこいつのせいだったのです。

サギは辺りをうかがいながらのしのしと歩き回っております。



何か気になって顔をアップしてみると、くちばしに血が・・。
これは殺してる顔ですわ。



やっと見つけた一匹のリス。
朝からずっと居座られているのか、お腹が空いてたまらなくなって
目を盗んで餌を食べに出たようです。



のしのしと書きましたが、実際は全く音を立てず、
いきなり立ち止まると首を前後にゆらゆらと揺すって狙いを定め、
次の瞬間には獲物を口でくわえているのです。

まあ、水辺であの素早い魚を捕まえる鳥ですから、
地上の獲物など弱って動かないように見えるに違いありません。



そして今日もまたトカゲがお亡くなりに(-人-)ナムー
サギの捕食対象はリスではなく、トカゲらしいことがわかりました。
しかし、別のところでカメラを持っていない日、野ネズミを
振り回しているのを目撃したので()リスであっても
小さければ食べられてしまうでしょう。

彼らが警戒するのももっともです。



それにしても2年前一度も見たことがなかったサギが
どうしてあちこちに(この道の右側にも一羽別のサギがいる)
今年は発生しているのでしょうか。

サギは全部で4〜5羽、近くの水場から”出張”してきているようでした。
ここに来ると各自が自分の持ち場?に分散して、互いに邪魔しないよう
そこで存分に食事を楽しみます。



サギとサギの担当地域の隙間ではリスたちがここぞと食事中。



リスたちに混じって野うさぎを発見しました。
体はリスよりも少し大きいですが、ここではリスの方が強いらしく、
このウサギはリスに追い払われてしまいました。



すると、どこからともなく「キッ!キッ!」という鋭い鳴き声が。



これはリスの「警戒警報」で、これが聞こえるとリスたちは食べるのをやめ、
体を起こして一瞬辺りを窺うと、迅速に近くの巣に避難してしまいます。



空襲警戒警報でした。
いつの間にか空からの天敵がやってきています。
リスのコミニュティでは、敵を発見したリスが声をあげ、
小さな体から信じられないくらいの大音量によって周辺一帯に
警報が行き届くという体制がとられています。

ちなみに、彼らは人間が真横に立っても平気ですし、
わたしのようにレンズを構えても平気な子もたくさんいます。
人間に対しては警報はまず発令されることはありません。



たとえば、こんな風に接近しても・・。



大きな望遠レンズを向けても、大抵のリスは我関せずです。



手を上げかけてこちらに気づき、一瞬固まってしまうリスもいますが。
大抵そんなのは小さな尻尾の若いリスです。



トレイルは大体普通に立ち止まらず歩いて1時間10〜15分で一周して
元の入り口に戻ってきますが、どちらから行っても
だいたい半分来たところに、
名前の由来となった「ディッシュ」があります。




ちょうどわたしたちがディッシュを過ぎる頃でした。
またここにも白い悪魔(わたしたち命名)が頑張っていました。



近くでキッキッという警報音が聞こえたので音源を探してみると、
一匹のリスが、体も張り裂けよと大きな声を出しているのでした。



この辺りのリスたちはすでに姿を消し、このリスだけが木の枝の上で
必死に警報を発しているのです。



「すごい・・・」

わたしたちはつい立ち止まって、サギではなくリスに見入りました。
サギからはリスの姿は完全に見えているはずです。
死ぬほど怖いであろうに、仲間に警報を発するため、彼は(多分)
自分の身を危険にさらして、ここで鳴き続けているのです。



わたしたちが立ち止まり両者の成り行きを息を飲んでみていると、
ウォーキングで通り過ぎた他の人たちも次々と立ち止まりました。
ただし、警報リスの居場所を確かめると、

「ああ、他のリスにウォーニングしてるのねー」

などと軽く話しながら行ってしまいます。
アメリカの人にはこういうの驚きでもなんでもないのでしょうか。



サギはおそらくですがリスを捕食対象にしていないでしょう。
しかし、鳴き続けるリスにまるで業を煮やしたかのように急に振り向きました。



リスは、時々顔の方向を変えて、ずっと鳴き続けています。



「ええ、うるさいやっちゃな」

と言わんばかりにリスの木の方に歩いていくサギ。

「わ、これ怒ってるよね」

「リス、襲われてしまうん?」

「食べるつもりはないけど邪魔だ!ってやられるかも」

わたしたちハラハラしながら見守っていました。



くちばしが傷だらけで、大変人相の悪い鳥です。
気のせいか怒っているようにも見えます。



木の前を歩くサギに臆せずキッキッと声を浴びせ続けるリス。

「漢だ・・・」

「リスですらこうやって命を張って仲間を守るのに・・・」

おっと、その話はそこまでだ。



サギにはリスを威嚇する意図があったかもしれません。

 

いきなり翼を広げて飛び立ち、泣いているリスの木の前を通過して、
5メートルほど離れた草地に降り立ちました。

まるでリスに「お前なんか食べねーよ!」と言っているようです。



そこで彼は(かどうか知りませんが)立ち止まり、例の「首ゆらゆら」を始め、



あっという間に何かをくちばしに咥えました。
スピード優先シャッターでも首がブレるほどの高速です。



彼女が(彼?)つかまえたのはトカゲでした。



この辺でこのようなトカゲを時々見ることがあります。
大変小さな、せいぜい3センチくらいのトカゲなのですが、
彼女が捕まえたトカゲのように尻尾は青くもないし長くありません。



ああっとわたしたちが息を飲んでいる前で、サギは獲物を飲み込もうとします。



しかしトカゲも必死。
胴を食い破られながらも尻尾をくちばしに巻きつけ、
喰われまいと抵抗する姿が憐れです。



うーん、どうしよっかなー、としばし考え込むサギ。
魚はこのような抵抗をしてきませんから、彼女にとっては想定外でしょうが、
全く慌てず騒がず、巻きつくままにさせています。



そして・・・・。
なんと、くちばしで器用に咥え直して、尻尾を切り落としてしまいました。



尻尾のないトカゲをあっさり飲み込んでしまいました。
実はこの写真、大変残酷なうえ、トカゲの可愛らしい顔まで写っているので
アップにするにしのびませんでした。



血に染まったくちばしで、地面を物色するサギ。
先ほど切り落とした尻尾を見つけて残さず食べてしまいました。

ちなみにリスは、この間もずっと健気に泣き続けていました。
こんな美味しい思いをした場所を、この後もサギが去るとは思えません。
心を残して立ち去りましたが、もしかしたらあのリスは
陽が落ちてサギが帰って行くまで、警報を発し続けていたのかもしれません。



自然界の弱肉強食と、小動物なのに必死で、しかも自分の身ではなく
仲間を守ろうとするリスの姿に、何かすごく尊いものを見たような気がして、
わたしたちがそのまま歩き続けていると、こんなリスを見つけました。



とても和みました。


続く。(え?)




ニコン1専用70~300mmレンズでシリコンバレーの動物を撮る

2015-08-03 | すずめ食堂

去年は一眼レフ用の望遠レンズをマウントしてシリコンバレーの動物を撮りましたが、
今年は誕生日プレゼントで手に入れたニコン1専用レンズという最新兵器で
ここシリコンバレーの動物を撃破じゃなくて激写してまいりましたので見てください。



撮影場所はマウンテンビューのショアラインパーク。
サンフランシスコ湾に面したスラウと呼ばれる蛇のような川とその水が運んだ泥の浅瀬、
そこをサンクチュアリとする鳥たちの天国のような地域です。

このショアライン湖という比較的大きな湖があり、波が静かで広いことから
ボートハウスが置かれて夏場は子供達のキャンプが行われています。




なんどかお話ししたことがありますが、この自然公園にはグーグルが隣接しており、
広大な面積にたくさんの建物を所有しています。
池の向こうに見えている一連の建物はすべてグーグル。通りの名前もグーグルです。 



歩き出したところでまず動いていない植物を一枚。
栗のイガのような花を咲かせる植物は、このまま赤くなります。



ショアライン湖のボート着き場にいた川鵜。
鵜というのは英語で"cormorant"といいます。
これは日本でも見られる川鵜と同じ種類であろうかと思われます。

目が緑なんですね・・。



ここでは珍しくもないガチョウですが、単縦陣で航行していたのでつい一枚。
ショアライン湖を囲む松の並木の根元を注意深く歩いて行くと・・・、



リスがいました~!
相変わらずラブリーね君たち。

このリスは、カリフォルニアジリスという種類で、地面に穴を掘って生活しています。
日本でリスというとシマシマの定番を思い出しますが、ここでは小さな白い斑点を持ち、
体はシマリスのざっと2倍はあるのではないかと思われます。



いや望遠レンズ買ってよかったよ。
リスは用心深い生き物なので、カメラを向けたら逃げてしまうことが多いのですが、
離れた位置からなら彼らも全く警戒しないのでその生態を撮り放題。



彼らがどんなものを食しているかも、しっかり捉えてしまうのだった。
これは、葦のような植物の外皮をパリパリと食べています。
食べ物を持つ手がかわいいぞ~~!



いや実はですね。
望遠レンズのカリフォルニアデビューは、いつもリス画像を撮りに行く、
スタンフォードのディッシュトレイルにしようと思っていたんですよ。
それが、今年息子を学校に送って帰りに寄ろうとしたら、周りの道が工事中。
ふと気づくと、道だけでなく、公園の中もなにやらローラーなどが入っていて
新しいトレイルでも作るのではないかと思われる動きがあり、ショックなことに
わたしがここにきた2日前から、わたしがここを去る当日まで閉鎖するとの看板が・・。

というわけで今年はディッシュトレイルのリス画像をお届けすることはできなくなったわけですが、
ここショアラインパークにもリスはいる、と自分で自分を慰めながらここにきたのでした。



後ろから見ると、ほっぺたの保存袋が盛り上がって見えます。



前のマウントして使っていたレンズと比べてもやはりニコン1との相性がいいせいか、
画像のなんていうんでしょうか、表現力?みたいなのがアップしている気がします。
もちろん当社比でね。



シャッタースピード優先モードで、シャッタースピードを上げて撮りました。
一応こっちに向かって走ってきています。



このリスを狙って撮っていたら・・・・、



友達が横から出てきました(笑)
このあと鼻先を合わせて交信していましたが、期待したように喧嘩は始まりませんでした。
仲良きことは美しき哉。



なかなかの美リスさんです。



ところで、リスを撮っている間中、わたしは極力気配を殺すべく、
足をまったく動かさずに、まるで立木に擬態しているつもりになっていたのですが、
そのせいなのかどうか、足元に尻尾の小さな若いリスが近づいてきました。
こちらを見上げているのに怖がるどころか、足のすぐ横でじっとしています。
わたしもリスを怖がらせないように足の位置を決して動かさず、上半身だけで動きを追いました。



すると、なんとびっくりしたことに、リスは足元で砂浴びを始める気配。
望遠レンズで自分の足元を、しかも体をねじりながら撮るのは至難の技。



ここらがいいかしら。



よっこらしょっと。



砂浴び、状況開始~~!



いい気持ちじゃ~。

ごろごろ。

この尻尾の細さを見ても、今年かせいぜい去年生まれたリスらしいことがわかります。
怖い目にあったことがないのか、大胆なんですね。
このまま無事に大きくなっていってほしいものです。 

 

ゴロゴロの最中に何か見つけて、食べられるものかどうかチェック。



望遠レンズはここまで野生動物の動きを引き寄せて撮ることができます。



リス写真専門家としては(いつの間に・・・)、このニコン1専用望遠レンズ70~300mm、
大変リスの撮影に適したレンズであると、それだけは断言しておきます。

さて、このショアラインパークのメインは、どちらかというと鳥です。
特に、ここにはペリカンの水上滑走を撮るために来たといっても過言ではありません。

ペリカンの滑走路のある河川に向かって歩き出すことにしました。



スラウといわれる河川にいくには、ショアライン湖の横をずっと歩いていきます。
おそらく去年もその前の年も撮った、ダイサギくんが今年も同じところにいました。



ダイサギでないほうの「イグレット」という小型のサギもいつものところに。
縄張りがどうも決まっているようですね。



湖のほとりの木の枝に首だけ赤い鳥がいるのに気付きました。
下の2羽は雀のようです。



メキシコマシコ、英名「House Finch」ではないかと思われます。
ハワイと北米に生息するスズメ目アトリ科の鳥です。



トレイルを歩いて行くと、まず右手に湖沼が見えてきます。
立てられた杭のほとんど全部が鳥の休憩所になっていました。



関係者だけが通れる桟橋の上で杭を占領しているのは皆同じ種類の鳥です。



このシギの種類を確認するために画像検索したら、自分のブログしかでてきませんでした(笑)
というわけで、これは

American avocet「ソリハシシギ」。



日本にも同じ種類のシギがいて「タカブシギ」という名前だそうです。



ところでペリカンなんですがね。
去年とその前の年、ちょうど滑走路のようになっていて1分おきくらいにペリカンが離発着する
「ペリカン滑走路」に行ってみました。
これがそうなんですが、なぜか肝心のペリカンがほとんどいないんですよ。
画像のペリカンはここにいたたった2羽のうちの一羽で、
そもそも滑走路になるほどの長い水路が渇水で無くなってしまったのか、
地形が微妙に変わっていて、そのためペリカンはここを根城にしなくなったらしいのです。



葦の踏み分け道を水際に向かって下っていき(坂の途中でころんだ(´・ω・`)、
カメラを構えてずっと待っていたのですが、結局着陸してきたペリカンはいませんでした。
これは別のところに降りたペリカンを撮ったものですが、どうやらペリカンは
離発着に十分な水深がないとやりにくいらしく、この辺りの水かさが減ってしまったことから
別のところに巣を遷してしまったのではないかと思われます。

そういえば今回カリフォルニアに来た途端、やたらと「水を大切にしましょう」的な

お知らせや警告がそちこちに見られ、サンフランシスコの一流レストランでも
水は飲みたい人だけがリクエストするというシステムになっていたりしました。

どうもカリフォルニア州では現在水不足が危機的状態で、そのせいなのか、
大きな山火事も頻発しています。
(このあいだのホテル火災も少しくらいは関係あるかも)
わたしはそのことをニュースからではなくペリカンのおかげで気づいていたことになります。



こうしてみると、彼らが離発着に水深を要する理由がわかるような気がします。
レンズを買った理由の一つに「ここのペリカンを撮る」というのがあっただけにショックです。

ディッシュトレイルが閉鎖されていてそこのリスに会えなかったこと。

河川の地形変化でペリカンの群れに会えなかったこと。


台湾まで行ったのに李登輝元総統に会えなかったこと。


これはわたし的にこの夏の「三大会えなかった悲しい思い出」となりました。
最後だけちょっとリスやペリカンと並べるのはどうかという説もありますが・・。



仕方がないので代わりにカモメの飛行を撮ることにしました。
カモメを差別するわけではありませんが、あまりおもしろくないんだよな。どこにでもいるし。



着水でもしてくれると少しは撮りがいもあるというものですが・・。



でも、こうしてみるとまるでデコイのように綺麗な鳥ですよねカモメって。
この写真で見えている川のような部分は、この辺の湿地帯の深い部分ですが、
特に名前はついていないようです。



ペリカンがいなかったので川に沿ってあるいていくと川が広くなった部分がありました。
ここには名前が付いていて「Soap pond」というそうです。
ちなみに、このずっと続いているトレイルは「アドビ・クリーク・ループ・トレイル」といいます。 

もちろんあのアドビですが、これはおそらくこの地域の整備と管理、野生動物の保護に
アドビが多額の寄付金をしたという経緯でもあって、名前が冠せられたのだと思われます。



ソープ池ではカモさんたちがお食事に専念中。(笑)



ここで引き返し、もう一度ショアライン湖まで歩いてきたら、この鳥が
上空で弧を描いて飛んでいました。
撮ろうとしたのですが、カメラに捉えると予測不能の方向に急旋回し、
上空から魚をみつけるとダイビングするという動きのため、これしかまともに写っていませんでした。

ツバメよりこちらが「燕尾」といってふさわしい尾をしています。
(ノーウォークの公園でツバメの巣を観察した結果より)



さらにボートハウスの近くまで帰ってきました。
ここに水飲み場があるのですが、何羽かのガチョウが水飲み場から溢れた
わずかな水をすすっていました。
ふと思いついて水を出してやると、皆大興奮。
とたんにその辺のガチョウというガチョウが水飲み場とわたしの周りに集まってきて、
お皿からこぼれ落ちる水を飲んだり頭からかぶったり大騒ぎに。

すぐ横に湖があるのだからそこでいくらでも水なら飲めると思うのですが、
やはり彼らには水道から出る水がありがたいようなのです。



ガチョウというのも警戒心の強い鳥で、群れの中に歩いて行くと、
かならず彼らはさーっと逃げていくのが普通なのですが、この時ばかりは
わたしの足にその体がぶつかっても平気。

水を飲みにきた別のガチョウをつついたり咬んだりして追い払ったりする
何羽かのガチョウもいました。
ガチョウの世界も強いものが弱いものを駆逐するヒエラルキーが存在する模様。



シリコンバレーにはこういった自然公園がたくさんあるので、滞在期間中、
ディッシュトレイルのようなリス公園を探してみたいと思います。

おまけ*衝撃画像

ホテルの石の床に落ちて時計のガラスが割れました。 
この時計のガラスを割るのは二回目で、前もラスベガスのホテルでシャワー中、
やはり石の床に落ちて割れてしまったものです。
落とした瞬間このラスベガスでのことを思い出して嫌な予感がしたのですが、

どんぴしゃりで同じ壊れ方をしていました。

サンフランシスコに住んでいたときなので、市中のメーカー専門店に持って行き、

ドイツ系だかスイス系だかの職人に預けて直してもらって600ドル也だったのですが、
あれから10年以上経っている今、日本でこれを直したらいったい幾らかかることか(涙) 




コネチカットの州立公園で鳥を撮る

2015-07-16 | すずめ食堂

ノーウォークという、コネチカット州の街に滞在することを決めたのは
単にニューヘイブンとニューヨークの途中にあるという理由でしたが、
何も知らずに選んだこの街は、自然が豊かで、しかも由緒ある家が多い、
アメリカの中でも「ええとこの出身」と言われるような地域であることがわかりました。

最近HULUで移動の時に観た映画「リップスティックジャングル」(^_^;)で、
主人公の金髪女性が、実はNYのギリシャ料理店経営の移民の娘であったのを知って、

「君はてっきりコネチカットあたりの出身だと思っていた」

と彼女の上司が驚きを込めていうシーンがありましたが、まあ、そういう地域です。
いわゆるアメリカ東部の典型的な郊外の街(サバーバン)で、アパートより一軒家が多く、
裕福な人々は河や海岸沿いに好んで住み、彼らの祖先はイギリスからの移民で、
先祖に南北戦争のベテランがいる、というようなアメリカの「旧家」がたくさんある。

これがアメリカ人の持つコネチカット州のイメージのようです。



たとえば、ホテルの近くにあった

ロックウッド・マシューズ邸

なども、この地域にそういったイメージをもたらしています。
銀行や鉄道で財をなしたルグラン・ロックウッドがニューヨークの建築家に依頼し、
1864年に建てた豪華マンションで、ロックウッドの死後差し押さえられた資産を
チャールズ・マシューズが買ったということでこの名前になったようです。



ビクトリア調で建築されたこの建物は、62室を擁する大邸宅。
一体何人で住んでいたのでしょうか。
もちろん執事がいて、女中は売るほどいて、ガーデナーや調理人も住んでいて・・。

差し押さえられた時、ここにはロックウッドの未亡人と子供が住んでいたようですが、
彼らは住む家も財産も無くしてその後どうやって生きていったのでしょうか。



もちろん運転手もいたと思われますが、1870年代だと、
もしかしたらまだ馬車だった可能性はあります。
この車寄せで、最新式の自動車から主人が降りてくるようになったのは
おそらく1985年、カール・ベンツが三輪自動車を発明してからでしょう。



ウィキによるとこの建築物は1941年ノーウォーク市に売却されたあと、
1950年代には、財政上の関係で建物は解体の危機にさらされましたが、
地元の保存推進団体の運動により1971年に国の史跡に指定されることになりました。



いかに凝った家であるかというのはこんなところにも表れています。
ガラス張りのドームが半円状に外に突き出した当時の画期的な「サンルーム」。

 

古いアメリカの建築物には必ず見られる半地下の窓。
必ず地面から下にあり、こういう地下には倉庫か洗濯機置場があります。
こういう窓に面したところは掃除のしようがないので、おそらく積もったゴミは
建造以来の積み重なった層ができているに違いありません。



さて、ロックウッド・マシューズ邸のある公園は、ウォーキングするには小さかったので、
わたしたちは地図で調べて海岸沿いに行ったところにある州立公園で散歩することにしました。
シェアウッドアイランド州立公園、という名前の通り、陸側は川で囲まれていて、つまり
小さな「島」状の地形を利用した自然公園です。



海岸沿いには「マンション」(豪邸)と呼んでもいいような立派なおうちが多数。



海岸沿いに整備された歩道を歩いて行くことにしました。
ちなみに入り口で「コネチカット州民か」と聞かれましたが、
州民であれば駐車料の9ドル(アメリカの常識としてこれは高い方)は要りません。



駐車場に車を止め、その場所から振り向くと、何か動物を発見。

「ウサギがいるよ」

「ウサギ・・?耳が見えないんですがあれは」

「え。なんだろう」

こんなこともあろうかと持ってきた望遠レンズに付け替え、写真を撮って
大きくしてみました。




大きくしてもなんだかわからないという(笑)
大きさはだいたい25センチくらい。
思索するかのように毛を風にそよがせながらじっとしています。



彼がふと地面に消えてしまったので見にいくと、こんな穴が空いていました。
穴の大きさも体のサイズギリギリで20センチくらいです。

「なんだろう」

「モルモット?」

「まさかリスじゃないよね」

 

リス的げっ歯類的ネズミ的な動物がたそがれていた穴の上の木では、
灰色の鳥さんが激しい泣き声をあげては木の茂みから飛翔して、
また茂みに戻っては鳴いて、ということを繰り返しています。
たった一羽でまるで求愛ダンスをしているような激しい動き。



またしても望遠レンズの出番です。
ぴょんぴょん飛び回るようにしている姿はなんとも愛らしいものでしたが、
拡大してみると、結構顔が怖い(笑)

小さな鳥なのに声も鋭くて獰猛な感じがします。



飛び立った瞬間。



鳥って飛ぶときこんな姿勢になるんですね。
というわけで、ローカルバードのページで調べてもこの鳥が
なんという種類なのかわかりませんでした。



さらに先を歩いていきます。
芝生のような草地が広がっていますが、毎日のように芝刈り機が出動している模様。



ターナーの絵に出てきそうな木の向こうにはモダンな建築物が。
「マインクラフト」プレーヤーの息子のために写真を撮っておきましょう。



息子作。
これはモダン建築ですが、ヨーロッパ風の重厚な建物もよく作るとのことです。

ちなみに、彼の建築(この写真のだったかも)、過去二回プロの建築家に褒められたことがあるそうです。
一人は名前を調べたらアメリカの映画関係の仕事を主にしている結構有名な建築家だったそうで、
息子はかなりびびっていました(笑)

しかし、プロの建築家ってマインクラフトやるんですね。
元兵学校生徒のSさんにも勧めてみようかな(笑)



海を見渡す開けた場所に、名前が書かれたプレートが埋め込んでありました。

「公園に寄付したら名前を残せるって、本当にいいシステムだよね」

TOが呑気にいうのに、わたしは

「いや・・・・・、これ違うみたいよ」



二人ともこれをみてシーンとなってしまいました。
コネチカットはニューヨークへの通勤圏内なので、911のときにも犠牲になった人がたくさんいたようです。
上の写真の二列にならんだプレートはだいたい5mはあったと思いますが、
反対側の敷地に同じ人数分のプレートがあり、全部で100人分はあったのではないかと思われました。



すずめ発見。



じっとしているので写真を撮りまくっていると、顔を巡らせてこちらを見ました。
アメリカのスズメは日本のより薄い色です。



砂浜を右手に見ながら歩いて行くと、グースの群が固まっていました。



ほとんどが首を収納してお昼寝中。




しかし、必ず何羽かのグースは首をしゃんとして外を見張っています。
グースの世界には「自分は群を守るんだ」と自覚している鳥がグループに必ず複数いて、
外敵から群を守るためにどんなときにも目を光らせていることに何年か前気づきました。
あまり群に近づいていくと、この見張りグースがシューシューと音を出して威嚇します。





群の中には首に認識番号を巻かれている子もいました。
昨日テレビで「ワイルドリリーフ」という、野生動物のドクターのドキュメントを見ましたが、
このグースもそういった団体によって管理観察されているようです。



グースの群とは別にカモメの群も砂浜に集合していました。



海辺にデッキチェアを置いて何をするでもなく海を楽しむ人たち。
全く打ち寄せる波がありませんが、水平線の向こうに見えているのが
ロングアイランドで、内海のようになっているここはほとんど波が立ちません。
まるで湖の岸のような海岸です。



日本だと海水浴の季節がなぜか決められていて「海開き」なんてのがありますが、
開くも開かないも、そこに海があるなら泳いでもいいじゃないか、ということで、
平日にもかかわらずちゃんとセーフガードが監視しています。
みたところ泳いでいる人はいないようでしたが、6月下旬は十分泳げる水温です。



打ち寄せた貝殻で全く砂が見えなくなっている海岸。



海岸を歩いて行くと河口に行き当たりました。
「実は島」なので、こちらから行けるのはここまでです。
公園の真ん中を通って帰ろうとして、こんな不思議なものがあるのに気がつきました。
隣の建物は自然動物保護センターのような団体が使用しているようです。
しばらく見ていると、



穴の中に動くものを発見しました。
何かの雛です。



すると、一つの巣穴から成鳥がひょいと顔を出しました。
なんと、ツバメの巣の「アパート」だったんですね。



お母さんツバメは頻繁に帰ってきて、入り口から中でまっている雛たちに
餌をやり、すぐに(そりゃそうだ、持って帰れるのは一人分だから)
飛んで行ってはまた戻ってきて、を気の遠くなるほど何回も繰り返しています。
その度にどこかの虫が犠牲になっているというわけです(-人-)ナムー



雛は必ず一つの巣穴に何羽かいるようでしたが、お母さんが帰ってくると
「わたしに!」「わたしに!」と必死で口を開けているようでした。
でも、要領が悪くてちっとももらえない弱い個体なんかもでてくるんだろうな。
こういうのも「自然淘汰」というものらしいですが、自然界では普通にあることなのです。



餌をやっているお母さん鳥が振り返ったところを一枚。
ツバメというと黒だと思っていますし、実際飛んでいるところを見ると
黒い燕尾(文字通り!)をきているようにしか見えないのですが、
実際の羽の色は黒ではなく青であることが写真によってわかりました。
羽の先は黒のようですね。



「お母さんマダー?」



燕尾服、といいますが、燕尾服の「テール」は「尾の先」ではなく、
実は「羽の先」であることがこの写真によって(わたし的に)判明しました。
ツバメの尻尾って、べつに普通の鳥と一緒ですよね?

正式には「燕尾服」ではなく「燕羽服」(えんばふく)だったのか・・・。





ツバメの顔って、なんかしかめっ面している人みたい(笑)



ところで、このツバメアパート、全部で三棟あったのですが、一つだけ
まったく人影じゃなくて鳥影がない棟がこれ。

「なんでこれだけ人気がないのかな」

「あれだけ韓国製なんじゃない?ペトロナスタワーの片方みたいに」

(これはわたしではなく、驚くなかれTOのセリフ)

「あのねえ・・・あっ、巣の入り口の前に台みたいなのが付けてある」

「あれじゃお母さんは餌やりにくいわ。ただでさえ急いでるのに」

「それでまったくこちらは入居者がいないと」

「良かれと思って余計なことをしたのが裏目に出て嫌われる・・・・よくある話ですな」




せっかくいい思いつきだと思ったのにまったくツバメに相手にされず、
このデザインを考えてわざわざ手間をかけた考案者は、この如実な結果を
おそらく向かいの建物から毎日のように見ているわけですが、如何な心境でしょうか。




さて、公園を時計回りに一周してきて車に戻りました。
アメリカでの楽しみは、地方地方に必ずある州立公園を探索し、そこを歩いて
新しい景色と、運が良ければ動物にも出会えることですが、ここコネチカットの
ノーウォークにもまたいつか再び訪れたい公園が一つ増えました。