ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

陸上自衛隊中央音楽隊第168回定期演奏会@すみだトリフォニーホール〜或る陸曹長の退官

2023-02-19 | 自衛隊

偶然、人からチケットをいただきまして、
陸自中央音楽隊の定期演奏会を初めて聞かせていただきました。
場所はすみだトリフォニーホールです。



席は三階の通路後ろで、まるですり鉢の底を覗き込むような状態。

指揮者を見ようと思ったら、思いっきり背中を伸ばさないといけませんが、
ブラスバンドなので音楽を楽しむのには何の問題もありません。
むしろ、音響的には前方より良かったのではなかったかと思います。

オペラグラスを忘れてしまったのだけは残念でしたが。

ところで、冒頭に貼ったこの日のプログラムですが、
かわいくないですか〜〜〜〜?
何でうさぎさんなんだろう?と思ったら、プログラム1ページ目に
音楽隊長樋口孝博一等陸佐直々の説明がありました。

「私が常に隊員たちに要求している
『三兎を追え!』
をモチーフした『兎のバンド』です」


おお、それではもしかしたらこれを描いたのは樋口一佐なんですね。


Chase Three Rabbits

「これらの兎は別の方向に進むのではなく、全て
『人のため、国のため、世界のため』
というゴールにつながっている。
演奏家として(ステージコスチューム)、
防衛のプロとして(迷彩服)、
人作り、人付き合いのプロとして(背広)、
という三色を常に描き、前向きに進んでもらいたい。

そしてそれらの兎を追い続けることが、自衛隊、
ひいては国民に対する貢献へとつながるのである」

そんな想いからこのデザインも描かせていただきました。
音楽職種の隊旗色である「ソメイヨシノの桜色」
共々お楽しみください。」



■第1部「華麗なるミリタリーバンドの世界」

すり鉢の底に椅子が全くないので開演前不思議に思っていたら、
中央音楽隊、ドラムメジャーに率いられてまさかの行進入場してきました。
トリフォニーホールで軍隊式号令を聞こうとは。

隊列が一斉に鳴らす踵音、予想外のコンサートの始まりです。
おおお、とテンションが爆上がりするのを感じました。

そして、スタンディングでの第1部の演奏が始まりました。

ステージの上で足を60度?にきっちりと開いたまま、
もちろん誰一人微動だにせず直立して前半全曲を演奏したわけですが、
もうそれだけで、凡人には全員同じ人間だとは思えませんでした。

何しろ陸自の定演は初めてであるわたし、
さすが陸上自衛隊、これが恒例となっているのかと思っていたのですが、
その日チケットをいただいた方からのメールで
ホールでスタンディング演奏は初めてだった、と聞きました。

実はこの演出、このときドラムメジャーを務めた自衛官が
退官することから企画された特別バージョンだったことを、
演奏会の一番最後に観客は知ることになります。

♪ 国歌「君が代」

国歌演奏に起立が要請されましたが、まだマスク着用が義務付けられており、
斉唱はしないでください、と注意がありました。



国歌独唱は中央音楽隊歌手である鶫真衣三等陸曹が行いました。

♪冬の光のファンファーレ 湯浅譲治

長野オリンピックのファンファーレとなったこの作品は、
25年前、中央音楽隊が陸自師団音楽隊などから結成したファンファーレ隊が
同じこのすみだトリフォニーホールで、オリンピックの音楽監督だった
小澤征爾指揮による録音をおこなったという縁から選ばれたようです。

湯浅譲二:冬の光のファンファーレ~長野オリンピックのための

思いっきり前衛風ファンファーレです。
湯浅譲治という作曲家を知っている方にはさもありなんという感じ。

♪ 大空 須磨洋朔〜ウルトラ警備隊の歌 冬木透

「大空」というのは、陸自の観閲式などでもお馴染みの行進曲ですが、
これにウルトラ警備隊の歌がピッタリと繋がりました。

なんたる違和感のなさ(笑)

ちなみに須磨洋朔(1907-2000)は陸軍戸山学校を卒業し、
トロンボーン奏者として陸軍軍楽隊で活動(フィリピンで戦傷を負う)
戦後、現N響の首席奏者を務めたあと、
警察予備隊音楽隊、保安隊音楽隊、そして
陸上自衛隊中央音楽隊の創設を手掛け初代隊長となった人物です。

車両行進などに用いられる「祝典ギャロップ」、
全自衛隊で巡閲の際用いられる「巡閲の譜」、
各種らっぱ譜面などもこの人の手によるものです。

"Theme of the Ultra Guard (ウルトラ警備隊のうた)" (English and Japanese Lyrics) Toru Fuyuki - Ultraseven 1967
イングリッシュバージョンってどんなのだろう?
とワクワクしながら聞いたのですが、それイングリッシュちゃうローマ字や。

♪ アメリカン・サリュート モートン・グールド

東京ドームがオープンしたとき、世界のミリタリーバンドなどが一堂に集う、
「マーチングページェント」記念に開催されたそうですが、
そのときに出演したアメリカ陸軍が、この曲を演奏して
日本のマーチングバンドシーンに大いに感動と刺激を与えたそうです。

American Salute
聞いていただければわかりますが、曲の主題は、
あの「When Johnny Comes Marching Home」です。
聞き覚えの或るメロディが形を変えて何度か出てきます。

♪ 祈り The Prayer

祈り/セリーヌ・ディオン/歌/(英語、イタリア語、日本語字幕)

アンドレア・ボッチェリと夏川りみ、あるいは
セリーヌ・ディオンとジョシュ・グローバンのバージョンで
わたしが聞き慣れているこの曲を、この日は鶫三曹と、
林克成一等陸曹がデュエットで聴かせてくれました。

YouTubeバージョンと同じく、英語とイタリア語による歌詞です。
鶫三曹はもちろん、林一曹の声がとにかく素敵でした。

「どうか私達の目になって 行く先々で私達をお守りください
そして迷った時に 賢い決断ができるように助けてください
道を見失ったとき この祈りを聞いてください
あなたのお慈悲で 私たちを 安全なところへとお導きください」


♪ 行進曲「威風堂々」第1番作品39 エドワード・エルガー

いろんなところで、いろんなバージョンで耳にする曲ですが、
こういう曲を前半ラストに持ってくるのが陸自らしい、と思いました。

そしてやはり生の吹奏楽で聴くこの曲は感動的です。
エルガー本人が「うまく書けた」と自賛していただけのことはあります。

そして、最後のコーラスになった時、オルガン前のステージに
両側から先ほどの鶫三曹と林一曹が歩み出て、
力強く英語の歌詞を歌い上げ、感動はいや増しました。

威風堂々のメロディに歌詞をつけたバージョンは、
イギリス愛国歌の一つ、

「希望と栄光の国 Land of Hope and Glory」

として知られています。

British Patriotic Song: Land of Hope and Glory

エリザベス女王多め、なぜかボリス・ジョンソンもいるという。

■ 第二部 交響曲第2番「江戸の情景」

これも異例なことに思われましたが、後半全部が一曲の交響曲です。



I. 増上寺塔赤羽根

II .市中繁栄七夕祭 



III. 日暮里寺院の林泉

IV. 玉川堤の花

V. 千住の大はし


これだけ見れば日本人の手による作曲と誰もが信じるでしょうが、
実はスイス生まれのイタリア人作曲家?
フランコ・チェザリーニ(1961〜)が作曲したものです。

上にあげたプログラムには、チェザリーニが着想を得たとされる
歌川広重の木版画が曲の紹介と共に掲載されています。

初めて聴く作品でしたが、特に第3楽章のメロディには
懐かしさと切なさが混在した日本的なロマンティシズムが溢れ、
個人的にすごく好きな曲だと思いました。

フランコ・チェザリーニ/交響曲第2番「江戸の情景」 Op.54 III 日暮里寺院の林泉

ちなみに、この定期演奏会は樋口1佐の退官前の
最後のステージとなったわけですが、奇しくも隊長就任後、
最初の定期演奏会では、同じチェザリーニの

交響曲第1番「アーク・エンジェルス」

を取り上げたそうです。
もちろん選曲は隊長ご自身によるものですが、これは偶然ではなく、
「洒落た演出」としての意図されたリフレインでしょう。

さて、というわけで、プログラムを終了したわけですが、
アンコールの前に、樋口隊長がマイクをとり、
アンコール曲の「凱旋」について説明を行いました。

行進曲「凱旋」 陸上自衛隊 第6音楽隊

皆様も陸自の観閲式やその他イベントで一度は耳にしたことがあるでしょう。
しかし、樋口隊長の説明は我々を驚かせるものでした。

作曲者の堀滝比呂陸曹長は、長年ステージマネージャーであり、
ドラムメジャーとして音楽まつりにも出演した経験があり、
本日オープニングのドラムメジャーを務めた人物ですが、
この日が堀陸曹長の自衛官人生を締めくくる退官日でした。

そこで、この日のスペシャルバージョン「凱旋」を、
その堀陸曹長の自衛官退官記念にアンコールとして演奏するというのです。

どういう天の配剤かは分かりかねますが、退官の日に何百人もの暖かい拍手と
ステージでの花束に送られる自衛官が果たしてどれくらいいるでしょうか。
この陸曹長、前世でよほど徳を積まれたに違いありません。

わたしにチケットを譲ってくださった方も、

「まさに陸曹長冥利。
羨ましい退官セレモニーでした」

とメールに書いてきましたが、その通りです。

退官といえば、堀陸曹長の退官を紹介した樋口隊長ご自身も、
退官間近であったはずですが、それについては
歴代音楽隊長の例に倣われたのか、何もコメントはありませんでした。



しかし、プログラムにはちゃんと樋口一佐の来歴と
自衛隊における活動歴が紹介されていました。
・・・なに?

ニコニコ超会議で「ムスカ大佐」になっている・・・だと?

NHKのど自慢チャンピオン大会に出た・・・だと?

プログラムのイラストといい、これらの活動から窺い知るに、
多彩な才能を溢れるほどお持ちの方だったんですね。


というわけで、初めての陸自中央音楽隊の定期演奏会、
感動的な退官イベントと相まって、忘れられない印象を残した一夜でした。





よこすかYYのりものフェスタ

2022-12-13 | 自衛隊

観艦式も終わって間もないある金曜日の夕方のこと、
先日外国艦艇の一般公開に声をかけてくれた方から電話がありました。

明日横須賀でのりものフェスタがあるから行きませんか、とのお誘いです。

外国艦艇公開で久々に上げた重い腰がそのおかげで軽くなっていたことと、
「当日はお天気もいいみたいです」という言葉に促されて参加を決めました。

前回と違って今回横須賀基地で公開されるのは海自艦艇だから、
そんなに朝早くから並ぶ必要はないはず、と、あまり気合を入れず、
開門に間に合う程度に現地に到着しました。



ヴェルニー公園では出店の準備が進んでいましたが、これにはびっくり。
JR職員のコスプレしたお店の人と思ったら、本物のJR職員でした。

鉄オタさんたちにはたまらない、その手のグッズを売っているようです。
電車や貴社のプラモとか、実際に使われたプレートとか。

国有時代ならいざ知らず、現在のJRってこういう「商売」もありなのね。
売るものなら、それこそ売るほど倉庫にあり余っていそうだし、
捨ててしまうくらいなら欲しい人に買っていただこうと。

One man's trash is another man's treasure.

つまりこういうことですね。



前日聴いていた時間より早く、横須賀基地は開門したようです。
もうすでに「いずも」の上には人の姿が見えています。



ヴェルニー公園を歩きながら抜かりなく米軍基地側もチェック。

ところで、いつの間にか海自の潜水艦隊は引っ越しをしたらしく、
今までいつも見えていた岸壁からはすっかり姿がなくなっていました。

あそこは何かと動向が人目につきやすかったからに違いない(断言)

で、これはアメリカ海軍の「ヴァリアント」級ハーバータグボート

「デファィアント」Defiant (YT-804)

ゴムボートかと思ったらちゃんと1隻ずつ名前がついていました。

「ヴァリアント」級タグは全部で6隻あり、タグボートとしてだけでなく
人員輸送、護衛任務もできるような設計になっています。

一応船室は4つあり、機関長とタグマスターがそのうち二部屋を、
残りの4人の乗員が二人で一部屋を使用します。

同級6隻の名前とそのネームシェイクは、それぞれ以下の通り。

「ヴァリアント」(勇敢)
「リライアント」(信頼)
「デファイアント」(反骨)
「セミノール」(Seminole族から)
「ピュアラップ」(Puyallup族から)
「メノミニー」(Menominee族から)


いうてはなんだが、相変わらず遠目にも錆が目立つDDG 52「バリー」



戦艦「陸奥」の主砲に、主砲弾がこめられ寸前ぽく置かれています。

こんな砲弾、前からあったっけ?と思って調べたところ、
元々海上自衛隊横須賀基地内に展示されていた41粍徹甲弾が無償貸与され、
追加で展示に加えられていたことがわかりました。

支援者たちは、横須賀海軍工廠で建造された戦艦「陸奥」に、
ここに主砲を置くことで「里帰り」させたかったそうです。



この後横須賀基地の門を入り、途中のテントでまず体温チェック。
並んでいる人は全くおらず、普通に歩く速さで通りすぎ、
岸壁に入るところで手荷物検査を受けて、これも一瞬で終了。

この日はとにかく呆気に取られるくらい人がいませんでした。

先日の「大河フリートウィークシリーズ」で写真をくださったKさんは、
観艦式で気力と体力をごっそり使い果たされたのか、
自衛艦だけの見学ならまいっか、とお休みになっていたそうですが、
他にもそういう人たちが多かったと見えます。

Kさんもですが、そんな人たちも、まさかこののりものフェスタで
米海軍の駆逐艦が内部公開をするとは思いもしなかったため、
後で知ってから途端に、行けばよかったと思われたようです。


■「こいずも」DDH1.83と「ちびしま」DDG1.74



観艦式でもどこかに展示されていたらしく、別の方から
「こいずも」「ちびしま」の写真をいただいていましたが、
この日は岸壁の、皆が通るところで脚光を浴びていました。

まずDDH 1.85の「こいずも」ですが、これがすごいんだ。



「こいずも」艦長は「いずもん」。

「艦内にヘリコプターを収納できるところを、
おなかに赤ちゃんや貝などを乗せるラッコに見立ててデザイン」

よく見ると制帽にヘリのローターがついているのがダメおし。


「艦内にヘリコプター”を”収納できる」

・・言い切ってはいけない。
収納できるのはヘリコプターだけじゃないだろ!


これとか。

というツッコミはともかく、この「いずもん」ですが、



こんな自衛官は実在する(断言)



「ちびしま」は以前もここでご紹介したことがあります。
その時にはキャラは居ませんでしたが。

だいぶ前だったはずだけど、ちゃんとメンテナンスしているらしく、
ピッカピカで、台座が新しくなっていました。



赤の艦長席でしどけなく横たわっている「ちびしま」艦長「きりまる」。
前回からいつの間に艦長に就任したのだろう。

「イージス艦の8角形のレーダーをアザラシの眼鏡に見立ててデザイン」

こんな自衛官もどこかにいそうな気がする。



甲板にはちゃんとハンドラーの姿もあり。
そうそう、この黄色い線、実際の「いずも」にもありましたよ。

ここで唐突に。

海上自衛隊護衛艦「いずも」F-35B発着艦試験映像(着艦~発艦まで)/U.S. Marine Corps F-35B Lands on JMSDF DDH Izumo

並行に移動してラインの上に降りるとき、つい
「UFOキャッチャー」という言葉がよぎりました。

で、飛行ボス?みたいな人とか、不思議なんですが、
「いずも」のワッペンをつけてるのに、アメリカ軍人なんです。

F-35Bでこの発着艦試験を行った行ったのは米海兵隊だそうですが、
これは、「いずも」がプラットフォームとしてOKかという試験ですかね。

YouTubeのコメントにもあるけど、75年前戦争していた両軍が、
今こうやって一つの艦に乗って同じことをしているって、色々と胸熱です。



「ちびしま」のチャフ・ランチャーの後ろには
トナカイとサンタと普通の人が。

ところで、最近「ざんねんないきものシリーズ」で知ったことですが、
クリスマスにツノを生やしているトナカイは全てメスなんですよ〜。

オスがツノを生やしているのは春先だけで、
その理由は「雌をめぐる争いをするため」ですって。



ところで、ある方から送っていただいたフリートウィークのときの
「こいずも」の甲板のようすをご覧ください。
展示してあった場所はどうも同じなのですが、
わたしは外国艦公開の時にこれは見なかったなあ・・・。

観艦式ではみごとに登舷礼が行われていました。



すごい(色んな意味で)

■岸壁の展示艦


最初の目的地はこの岸壁です。

岸壁に入るところで、入り口が三分割されており、行き先ごとに
「米艦ハワード」「うずしお」「海保船」と通路が分かれていました。


二人が歩いて行っている一番向こうが「ハワード」の通路です。

抱っこした子供に小さな旭日旗を持たせたお母さんが、
岸壁を左に行こうとして自衛官に分かりやすくストップされております。
(”Talk to the hand!"のお手本的な)

もしかしたらパパがこの向こうにいたりするのかな。

わたしはとりあえず今日の最大目標である「ハワード」の通路を選択し、
たっぷりと時間をかけてアメリカ海軍の駆逐艦を堪能しました。



観艦式でパキスタン海軍の「ナスル」らが係留されていた岸壁には
DD110「たかなみ」と同型艦(たぶんDD111『おおなみ』)の姿。

両艦は第6護衛隊の4隻のうち2隻です。



これは「ハワード」の甲板から見た両「なみ」。
こうしてみると結構な擦り傷やペンキのムラがありますね。

「おおなみ」は、この夏、「やまぎり」とともに、沖縄で
米海軍の「ロナルド・レーガン」らと日米共同訓練を実施しています。


この日はシャッタースピードを確認したので、
ほとんど失敗はありませんでした。

風に綺麗に靡く旭日旗。



「ハワード」艦橋ウィングから岸壁を臨む。

これを撮っていてちょっと苦労したのが逆光。
いくらちゃんと使い方を勉強しても、しばらく使わなければ
全てはすっかり脳内から消えてしまっているのだった。

この問題は、「ハワード」を降りて合流した二人のカメオタ友人に
解決してもらいましたが、人任せだからまたすぐ忘れるんだよな。

でも反省なんてするもんか。


■のりものフェスタならでは!「ジェミニ・ディンギー」体験乗艇



この高さから見事に波を一直線に立てて疾走する警備隊のゴムボート。
ボートに乗っているのは水中処分員(EOD)の資格を持つ隊員です。

ボートは処分艇「ジェミニ・ディンギー」が正式名。

ところでですね。


疾走していた処分艇はともかく、この日、
頻繁に海上を行き来していたこのディンギー、
よくよく見ると乗っている人が一般人ぽくない?


なんと、自衛官の他に一般人の親子連れが乗ってるではありませんか。



親同伴の子供に限り、という条件で、
(そらそうだ、もし年齢制限がなかったら、オサーンばかりになっちゃう)
今日はなんと処分艇体験ができたようなんです。

さすがYYのりものフェスタ。
いろんな乗り物に乗れるイベントとはいえ、海自がここまでするとは。



「あしたか」の待ち時間が長かったので、並びながら何組も
家族が乗ったボートが通るのを見ましたが、湾を小回りに一周し、
「あしたか」の横に来たら自衛艦旗を下ろして退出、
というコースは厳密に決まっていた模様。

この日は波もなく、さぞ楽しかろう、と思ったのですが、
写真を撮っていて、ボートの上の人たちが、
親はもちろん、子供ですら、全く笑っていないのに気がつきました。

「あしたか」の近くを通る頃には、皆一様に、なんというか
魂の抜けたような無表情にすらなっていたのは、なぜ?

ボートには水中処分員と自衛官が付き添い、
救命胴衣もつけて万全の体制ですし、何かあっても
人命救助はEODの本業ですから何も心配することはないはずですが、
これはよっぽど乗り心地が悪いんだとみた。

加えておそらく、カメラやスマホでの撮影は禁じられていたため、
大人は手持ち無沙汰だったのかもしれんね。

■ 陸空自装備展示



この日は近くの武山駐屯地から陸自の装備が出張していました。
偵察用バイクに乗る男の子、これぞのりものフェスタならではの光景。


82式式通信車

陸上自衛隊で初めての国産装輪装甲車で、
3軸6輪駆動による装輪式を採用しており、
水深1m程度の渡河能力を有します。


1 1/2t 救急車

中型車両の後部を負傷者等後送用に改造した負傷者搬送車両で、
負傷者などを担架に乗せたまま乗せることができ、
大4名の横臥の状態での搬送をすることができます。

救急車の「アンビュランス」を省略して「アンビ」と呼ばれます。


高機動車

4輪駆動の中型トラック、10名が乗車可。
一般道路での高速走行性能に加え、車体全高は低く、高い最低地上高を持ち、
また前後左右のタイヤ間が広くとられた車体バランスと、
タイヤ空気圧の調整機能を持つことによる悪路での高い走行性能が特徴。
装備しているランフラットタイヤは被弾時も走行性能を保ちます。

わたしの連れは二人で、

「どうですかこれ、普通に欲しくない?高速走れますよ」

「オフロードにはいいでしょうねー」

と真面目に話しあっていました。
こんなもの置くところあるのか。


ペトリオットミサイル

空自からはPAC3がきていました。
ペトリオットミサイルを輸送し、最大16発ミサイルを発射する装置です。



わたしたちが通りかかったとき、横にいて質問に答える係が
PAC-3の整備をしているという可愛らしい女性隊員だったものだから、
おじさん二人は大喜び。

ミリオタ知識を得意になって彼女に開陳し、隊員さんからは、

「よくご存知ですね!」

とか言われてご満悦です。
わたしが彼女に、整備を最初から志望して配属されたんですか、と聞くと、

「空自には飛行機に乗ろうと思って入ったつもりですが、
いつの間にか落とされる側じゃなくて落とす側に・・」

(誰うま)


■ のりものフェスタ



海保からも出店があり、海自と並んで制服お試しコーナーや
キャラクターとの触れ合いコーナーなどで頑張っていました。

オレンジのスーツを着ているのは海保の「海猿」かしら。
海猿なのに猿ではない(シロクマ?)のはこれいかに。



SH-60Kがヘリポートに駐機していました。
操縦席に乗せるなどのサービスはしてなかったようです。

もし見学者を近づけるなら、ヘリのローターは畳みますよね。



横須賀音楽隊の演奏は次の日に行われたようです。



ヴェルニー公園ののりものフェスタは、この時間佳境に入っていました。

なんと運転手の制服を着てバスの運転席に乗れるコーナーまである!
横須賀の少年たちは幸せ者だなあ。


というわけで、艦艇見学以外ののりものフェスタはこんな感じでした。
次回はアメリカ海軍の駆逐艦「ハワード」乗艦報告です。


続く。



観艦式ロスの癒し方〜横須賀軍港模様と青海の艦艇公開・音楽まつり

2022-12-11 | 自衛隊


さて、「あたかも自分が行ったように人の撮った写真で語る観艦式」
シリーズ(少しずつタイトルが変わっている)も、
いよいよ今日で最終回となりました。



最後に、観艦式が終わって帰投する艦写真の続きを。
177「あたご」と「いずも」が反航する瞬間です。

「あたご」は帰路に着いていたはずなのに、とのことです。



こういうときって、お互いに手を振ったりするのかしら。



観艦式に出席したMCHヘリ。
もしかしたら総理大臣を乗せていたかもしれません。

素敵な写真の公開を快く了承してくださったKさんには
心から感謝しつつ、最後までご報告をやり遂げたいと思います。

■ 「祭りの後」の横須賀



さて、観艦式も終わりました。
横須賀には内外の艦艇が溢れています。

ある艦は祖国に向かう準備、そして元の住民である
横須賀の艦艇は、それぞれの係留岸壁に一応落ち着いて・・・。


タイ海軍の「プミポン・アドゥンヤデート」の艦上では
来日記念写真の撮影が行われていました。



今回初めてタイ海軍の軍人たちを見た気がします。


観艦式に参加した補給艦「おうみ」。
今から着岸でしょうか。

ところで「おうみ」の上部をよくご覧ください。


ヒューイヘリが・・・・。

しかし、この画像、どちらが先に撮られたのかわかりません。
離艦したのかそれとも着艦したのか?



ただ、その後の写真がこれ。
「おうみ」から降りて海自のヘリポートに移ったんでしょうか。



それからこれは「いずも」の甲板にいる「アパッチ」。
要人輸送はいつも白いヘリで行うので、
戦闘ヘリであるアパッチがなんのために「いずも」にいたのか?

と思ったら、A H-64D「アパッチ」は観艦式で観閲飛行を行ったようです。


ヘリを離艦させた「いずも」は、休むことなく任務に出て行きました。
わたしがYYのりものフェスタで乗艦したのはこの後です。


巨大な「いずも」を動かすタグボート。
(おそらく反対側にもう一隻いると思われます)
出入港作業でタグボートを見るたび、すげー!と心から驚嘆します。
目立ちませんし縁の下の力持ちですが、カッコいいですよね。



あれ?タグ1隻だったか・・・。
そしてまだ甲板にはアパッチくんがいたのでした。

アパッチは離艦したのではなく着艦したようで、
Kさんによるとローターを回すことなく、
人力で甲板を行ったり来たり(って・・)していたようです。



お手入れ中のアメリカ海軍の駆逐艦USS「バリー」の横を通り
横須賀港を出ていく「いずも」。

「バリー」の名前の由来は、アメリカ海軍の父である

ジョン・バリー(1745-1843)

バリーはアメリカ大陸軍の最初に就役した艦の最初の艦長、
つまり「アメリカ海軍初の艦長」というべき軍人であり、
ジョージ・ワシントン大統領に命名されて最初の海軍士官、
コモドアの階級を付された人物ですので、
アメリカ海軍の艦艇には安定のネーミングとして
過去同名の軍艦はこれを入れて4隻存在します。


3隻目までは普通に駆逐艦でしたが、この「バリー」から
ミサイル駆逐艦になったため、DDG(Gはガイデッドミサイルの意)
となりました。



*アメリカ艦おまけ*

全く別の日ですが、横須賀にとんでもないものが来ていました。

最新鋭駆逐艦「ズムウォルト」・・・全くフネ艦がないんですがこれは。
コンクリートの要塞みたい。



沿海域戦闘艦「オークランド」

これはまたすごい。
この前から見たところ、ジャバ・ザ・ハットの顔を思い出しちゃったよ。

【超高速44ノット三胴船】インディペンデンス級沿海域戦闘艦の最新装備


原潜「スプリング」も密かに来日していたようです。


さて、「いずも」の跡の岸壁には「おうみ」が着岸して。



■ 青梅艦艇公開

さて、この写真をもちまして本当に観艦式は終了したわけですが、
「観艦式ロス」のKさん、このあと青海客船ターミナルで行われた
艦艇公開に突撃されたというではありませんか。

これにはわたしもびっくりですわ。



おお、「もがみ」と「くまの」の兄弟が並んで係留されていると、
なんだかとっても近未来的。

ところで、どうやってこんな位置からの写真が撮れたのでしょうか。



正解はこれ。
Kさんたら、東京水上タクシーをチャーターして、
海側からのアプローチでこのショットを決められたそうです。

因みに気になるお値段は、一艘30分で一万円なり。

こんなに短時間フラッと海上散歩ができるなんて知りませんでしたが、
なんかそう言うことがしたくなった時のためにメモしておこう_φ(・_・

東京ウォータータクシー

タクシーは定員8名だそうですが、(小さい)
Kさん8名でシェアして割り勘されたとのこと。

「これで観艦式ロスが治癒なら安いわ」

ということですが、ごもっともです。




クリスマスのリースが主砲に。
平和そのものである。


「もがみ」と「くまの」に旭日旗を振ってみた



Kさんご一行が水上タクシーから自衛艦旗を振ったところ、
帽子を振って”good job call”をする隊員のみなさん。

自衛官の方々にとっても、こういう応援は嬉しいだろうなあ。
たまたま通りかかって手を振るだけならともかく、
わざわざ旗を用意して船をチャーターして、って。

乗員の方たちは今日は一般艦艇公開のイベントということで、
作業着ではなく、制服を着て乗艦されています。



一度こんな位置から(しかも海面の高さから)
艦艇を見てみるのも、なかなか新鮮でいいかもしれません。
「こちらも海の上」っていうのがライブ感ありますし。



このあと船がエンジンを全速(かどうか知らんけど)し、
30分のツァーは終わったと思われます。

水上タクシー、大変親切で良心的な会社&スタッフだったということで、
Kさんも心からおすすめということでした。



水上タクシーを降りて、国際クルーズターミナルから艦艇を臨む。
この時間なので人がまばらになっていますが、
これは既に甲板見学は終了していたためです。

午前中、見学者のすごい混雑で早々に受付は終了されました。



もしかしたら見学者の順番待ちのためのロープも
結構みっちりとなるくらいの人出だったのかな・・。

芸術的なくらいきちんと設営されたロープの通路は感嘆に値します。

「これぞ自衛隊」。



こちらは「もがみ」。
甲板の主砲の前に上kんが集合していますが、なんだろう。



この後岸壁からも見学。

「もがみ」型の舳先は尖っておらず、なめらかなカーブが美しい。
舷腹はいきなりスパッとカットされたようになっていて斬新です。



「もが美」ちゃんと「もがみ」くん(たぶん)もお出迎え。
バラクラバにお面という超節約モードのマスコットキャラですが、
こういうおもてなしのスピリットがとにかく嬉しいよね。

お面もデザインから頑張って作ったんだろうな。

■ 自衛隊音楽まつり



音楽まつりが再開しました。

今回わたしは入院騒ぎがあったりして、そもそも
応募したりチケットの入手を心配したり、ということを全くせず、
いつの間にか終わっていて、Kさんからの写真で思い出したくらいでしたが。

会場を見ると、客席をひとつづつ空けて感染対策をしていたようですね。

これは予行演習だったそうです。



自衛官じゃないよね?と思ったらやっぱり違いました。

テレビを見ないわたしはその情報に全く疎いのですが、
フジテレビではついに陸自ドラマ「テッパチ!」なんてのをやったみたいです。

(変換したら勝手に!が付いてきたので、まさかと思ったら
『テッパチ!』が正式タイトルだった)

で、この予行演習ならではのサプライズとして、GENERATION
(EXILEの別働隊?)が生歌とキレッキレのダンスを披露したそうです。

【フル尺】GENERATIONS、『テッパチ!』主題歌『チカラノカギリ』
陸上自衛隊中央音楽隊と全力パフォーマンス!
『令和4年度自衛隊音楽まつり』リハーサル公演




国旗掲揚。



第302保安中隊のプログラムはやはり
「陸軍分列行進曲」で最後を飾ったようです。
そのほかの曲は「歌よ」「U」「我が山河」
↓「我が山河」とはこれのことかな。

田辺恒弥:我が山河


途中で「富士山」の一節をアレンジしたメロディが出てきます。
サブタイトルは「富士山を象徴として」



東京音楽隊でのお披露目に立ち会った、
初の男性歌手橋本晃作(36)二等海曹
(36って年齢のことかしら)

Kさんによると技術海曹としての任用ではないかということ。



向こうから、陸、海、海、空の専属歌手となります。

『令和4年度自衛隊音楽まつり』Live DVD/Blu-ray風


規模が縮小されたらしく、参加した外国海軍は、在日米陸軍海兵隊の他は
パプアニューギニア軍楽隊、パキスタン陸軍軍楽隊だけになりました。

パプアは「ふるさと」「上を向いて歩こう」、
パキスタン陸軍は「風の谷のナウシカ」を演奏してくれたようです。

そして、これは聞きたかったなと思ったのは、
空自、陸自、米軍楽隊による「トップガン」の「アンセム」。

Top Gun: Anthem

これをやるのにどうして日米どちらにも海軍はいないんだ?
という疑問が残りますが・・。


さて、というわけで、長々お話ししてきた大河観艦式シリーズを終わります。
長らくお付き合いありがとうございました。

写真を提供くださったKさんには、心からお礼を申し上げます。




観艦式フリートウィーク4日目

2022-11-03 | 自衛隊

Kさんのフリートウィーク参加による写真続きです。



外国艦艇が横須賀に入港してきました。
写真はマレーシア海軍のフリゲート「クランタン」。
ドイツ製だそうです。

最近マレーシアはチャイナの海洋進出に対抗して、新鋭艦を装備しています。

冒頭は横須賀港の外国艦艇配置図ですが、


そのほかはこのようになっているそうです。



それにしてもこのキャラが猛烈に気になってしまうわたしである。

「感染予防 マスク着用 
手洗いうがいの励行を厳となせ」

だそうですよ。




なんと観艦式に潜水艦で参加ですか。
これって珍しいんじゃないでしょうか。

オーストラリア海軍の「コリンズ」級潜水艦が来ているようです。



これが「コリンズ」級のHMAS「ランキン」だそうです。
海上自衛隊の潜水艦とはずいぶん素材が違いますね。
全く水を弾かなくなったおばあちゃんの肌みたいになってます。

それから、セイルの上に乗員が足をぶらぶらさせて乗っているのが
何とも緊張感ゼロな感じです。

「コリンズ」級の建造はもう20年前に終了しており、引退していく老艦で、
wikiには、

「コリンズ級は設計の段階から様々な問題が指摘されており、
導入後も技術的な問題やオーストラリア海軍の人員不足から
運用に支障が生じるなどした。
オーストラリアのメディアから厳しい批判をあびている」

「コリンズ級は優れた潜水艦とは言えず、騒音は劣悪で、信頼性は低く、
故障も頻発し、時には運用可能な潜水艦がわずか1隻という時すらあった。
オーストラリア国内では、コリンズ級の開発は「失敗」とする意見もある」

と散々な書かれよう。

後継艦を導入するに当たっては、ご記憶の方もおられるように、
日本製に決まりかけていたのに、ひっくり返されて、
フランス(シュフラン級原潜)に取られたーと思ったら
あれよあれよとアメリカとイギリスが出張ってきて、
おいオージー、うちらが原潜の技術供与してやんよ!と言い出したので、
オーストラリアはフラフラ〜っとそっちに行ってしまい現在に至る。

今回来ているのがコリンズ級の6隻のうちどれかはわかりませんが、
もう引退なので、最後に日本観光でもさせてやろうってことなんでしょうか。

潜水艦を観艦式で他の国に見せるのは滅多にないと思いますが、
もうこういうのなら何の秘密もないので、何でも見てちょうだい、
何なら写真も撮ってあげてね、みたいなノリかもしれません。

知らんけど。



4日目は曇って寒く、こんな日にも出撃されたKさんを案じるほどでした。


「いずも」と「ひゅうが」の違いをご覧あれ。



そして誰もいなくなった。

横須賀軍港は観艦式の予行でフネが出払ってご覧の有り様に。

続く(のか?)


フリートウィーク3日目

2022-11-02 | 自衛隊

今年は退院後のせいで、予定していた呉のカレーフェスにも行けず、
フリートウィークもKさんの写真を見ているだけのわたしです。

さて、そのKさんですが、フリートウィーク三日目となり、
またしても横須賀に出撃されました。



遊弋中の潜水艦。
セイルの上にマスクをした乗員の姿が見えます。
こんなところでもマスクしないといけないのか・・・。

まあ潜水艦の中は普段でもしたほうがいいかもですけど。



掃海母艦「ぶんご」。
前に乗艦させていただいたのは確か四国高松だったかな。



そして練習艦「しまかぜ」が出航を始めたのです。



これはすごい。
一気に大移動が始まった?



これは「しらぬい」でしょうか。
改めて見るとかなりこれも丈夫構造物の形が斬新です。



同型艦「あさひ」とのツーショット。
一緒に浦賀水道を目指していったということです。

思わぬ出航ラッシュに遭遇し小躍りしたというKさんですが、
これらの艦艇は、国際間鑑識に参加する外国艦艇の係留場所を空けるため
出港していったということでした。

ということは今日にも外国艦艇がやってくるのかしら。



アデン湾では大活躍だった110「たかなみ」。


3・11では支援物資は建築資材の輸送の主力を担った
4003「くにさき」も今から出港です。
タグボートが今から艦尾に向かいます。



しばらく横須賀には足を向けていませんが、
新しい商業施設COASKA(コースカ?)がもうできてるんですね。

あまりの早さにこっちが驚き。

その前で回頭しているのは新鋭潜水艦のようです。
改めて見るとセイルがこじんまりして丸い感じなのね。

アップにしてみるとフィンの上にも立ってる人がいるぞ(しかも二人)



制服が正装っぽいのはもしかしたら観艦式モードでしょうか。
それにしても、この画像を見てつくづく思うのが、
従来の潜水艦との外観、特に素材の違いですね。

全くツヤがなくて、まるでゴムみたいです。
そして、海面から出ている潜舵の形も明らかにこれまでと違う!


今回の観艦式はご存知のように一般応募による参加は全くなしで行われます。
もちろん疫病対策を講じたためです。



(おまけの潜水艦)



人の写真ばかりで気が引けるのですが、これは
カレーフェスに参加した知り合いが送ってくれたもの。


潜水艦のつもり・・・・なのかな。







海上自衛隊フリートウィークが始まりました

2022-10-31 | 自衛隊

わたしが入院したり退院したりしている間に、
自衛隊のフリートウィークが始まっています。


自衛隊観艦式は、通常3年に1回行われる海上自衛隊の一大イベントで
自衛隊の最高指揮官(内閣総理大臣)が艦隊を観閲することにより、
部隊(隊員等)の士気を高め、
国内外に自衛隊の精強さをアピールするイベントです。

当ブログでお馴染み、Kさんが今年も元気いっぱい
イベントに突撃されておりました。
送っていただいた写真をイベント宣伝がてらお借りすることにしました。

まず、土曜日の横須賀編。

今となっては懐かしい景色

「ひゅうが」かな

通常よりやはり人少なめ?


艦内は単なる通路のようです

今も昔も基本的には変わらない横須賀ならではの艨艟


この日公開されていたのは「いずも」「ひゅうが」「あさひ」とか。


そして日曜日、木更津に突撃されたKさんの
秋の蒼天に映える護衛艦の写真を楽しみましょう。

最新鋭艦「もがみ」、姉妹艦の「くまの」に乗艦されたそうです。



確かにこの形はまごうことなき新鋭艦・・・。
特に最近は実際の自衛艦にご無沙汰していたので、余計に新鮮。


1番艦と2番艦が綺麗に並んでいます。
シンプルすぎて不安になるほどの上部構造物の形状です。
これ一本で足りるんか?



Kさん、「もがみ」に乗艦。
あまりにもステルスすぎて壁に何もありません(小並感)



かつての最新鋭艦も、今は昔。
この日の木更津には「あたご」も来ていた模様。
昔観艦式で「あたご」乗ったなあ。


満艦飾が秋の雲に映えていかにもめでたいフリートウィーク。

と言うわけで、人の撮った写真を紹介するシリーズでしたが、
フィリートウィークの催しは来週が本番です。

最初に貼った通知にスケジュールが書かれていますので、
お天気が良ければ、皆様是非足を向けてみられてはいかがでしょうか。




最近の自衛隊写真(Kさんアーカイブ・海自編)

2022-05-22 | 自衛隊

渡米がわずか11日ということで何かと忙しい間を縫ってお送りするのは、
許可をいただいた上でいつものKさんシリーズです。

説明文は全てKさんのメールから拝借したものとなります。



まずは横須賀写真から。
冒頭は米海軍のイージス艦USS「ベンフォールド」。
長い航海から帰ってきたばかりだったそうです。



わたしも一度乗せていただきました。
接待が主任務の特務艦、艦番号91「はしだて」。



いつもは横浜にいて時速80キロで進む
アメリカ海軍の双胴輸送艦USS6「ブランズウィック」。



これは珍しいですね。
Kさんは横須賀軍港を定点観測されていますが、
「ブランズウィック」始め、この日は珍しい艦ばかりだったとのことです。



去年の11月に日本に寄港したドイツ海軍のフリゲート艦「バイエルン」。

2021年8月にドイツを出港し、ソマリア沖のアデン湾で
派遣海賊対処行動水上部隊として派遣されていた
護衛艦「ゆうぎり」と共同訓練を行い、訪日後は関東南方海空域において
海上自衛隊護衛艦「さみだれ」と日独共同訓練を実施し、
東京国際クルーズターミナル(東京都江東区)に寄港したところです。

独海軍艦艇が日本に寄港するのは約20年ぶりということで、
岸信夫防衛大臣の視察も行われました。

「バイエルン」は当初中国に寄港することも計画していましたが、
中国政府は本艦の上海入港を許可しなかったそうです。


この寄港でいつものように「対番」を務めたのは護衛艦「さみだれ」でした。
母港の呉から出動してきたんですね。

「バイエルン」は日本を出航後、対北朝鮮制裁を定めた
国連安全保障理事会の決議に基づく「瀬取り」の監視活動も行いました。

また、2022年1月、再びアデン湾において「ゆうだち」と共同訓練を実施し、
クロスデッキ、戦術運動、近接運動を訓練したそうです。


フランクフルトを背景にフランクフルト。


昨年12月の横須賀だそうです。

「いせ」と「いずも」の全通甲板コラボ、米艦含めて溢れんばかりの横須賀港。
戦闘艦だけで20隻を超えています。
🇯🇵🇺🇸世界最強艦隊、集結。
(原文ママ)


このときのKさんの出撃のいでたちは五航戦瑞鶴で。
(ハワイ攻撃シリーズは自粛したとのこと)



昨年12月の横須賀から見える富士山。



このとき1ヶ月近い訓練を終えて帰ってきた艦たちだそうです。
手前から「あさひ」「はるさめ」「おおなみ」「あすか」。

「あすか」は試験艦となります。


左から「むらさめ」「やまぎり」?
一番右は・・・何かわかりません(; ̄ー ̄A 



潜水艦(見たらわかる)。


RR。

「夜の飲み屋横丁は海自の乗組員だらけのことでしょう」

とのことですが、このときはどうだったかなあ。
まだ自粛っぽい雰囲気じゃありませんでしたっけ。



「間違いを探そう」というタイトルです。

この写真も昨年の12月4日(かな)。
軍港巡りの観光船にようやく立ち見客が見られたそうです。

ここからはお正月に当ブログでも紹介したものですが、
もう一度。


昨年12月31日の横須賀軍港の様子。
潜水艦の環境にも正月飾りをかけるんですね(驚き)
みかんとかついてるのかな。

車の正月飾りはいつの間にか姿を消しましたが・・。


「いずも」甲板には黄色いラインが描き加えられたとのご報告。
これはF35戦闘機発着用とのことです。



ロービジ化された「あまぎり」とされてない「むらさめ」。




ロナルド・レーガン先生と比べれば「いずも」もかわいらしく見えます。

ここからは今年3月下旬の横須賀港です。



新造イージス艦の「179まや」「180はぐろ」。



「まや」。
Kさんもおっしゃっていますが、かなり前の「こんごう」「あたご」に比べ
シャープなシルエットになっているのがわかります。



「はぐろ」お食事中。
  


ちょうど「てるづき」が出航するところだったので、
「航海の安全」を熱く祈願していたら・・・・、





10分後帰ってきたそうです(笑)
まあ、入出港訓練でも「航海」に違いはなし。
Kさんの祈願が通じて無事に帰ってきたということです。


アメリカ海軍第7艦隊「タイコンデロガ」三兄弟。
年季の入り方が凄まじい。


3月31日、この日の横須賀基地です。



今年は桜が早かったので、満開からは少し過ぎた頃でしょうか。



「長門の碑」のところの桜は美しいですね。



さて、ここからは3月31日に送っていただいた「横須賀基地離任式」。
年度末恒例の隊員・事務官人事異動に伴う離任式です。



基地司令訓示が終わって敬礼する寸前の雰囲気です。



「帽振れ」。



「帽振れ」はいつ見ても、どこで見ても、どんな瞬間でも感動的です。



ここからはその翌日、「いずも」にヘリが着艦しているところ。






普段、横須賀所属艦艇は館山基地のヘリを房総半島沖海上で乗せるのですが、
横須賀停泊中の「いずも」への着艦は初めてでした、とのことです。



さて、この斬新なシルエットは?
そう、新造艦「くまの」です。
艦番号が「2」というのも感動的ですが(何がだ)、
艦種のFFMがフリゲート+機雷(MINE)を意味するというのが新しい。



いやー、これは何から何まで新しいわ。
シンプルイズベスト。
日本の護衛艦もだんだんアメリカのに似てきましたか。



全体を見るとかなりツルッとしていてこれはステルス効果も抜群?



どこから見ても角度がおかしい(笑)

Kさんによると「プラモデルにするとつまらなさそう」。
わたしは作る人じゃないのでその辺はわかりませんが、
作るのが簡単になるというメリットはあるんじゃないかな(ドヤ顔)


というわけでKさんアーカイブより海自編でした。
アーカイブの開示をご許可くださったKさんにお礼を申し上げます。







令和3年 海上自衛隊東京音楽隊第61回定期演奏会@サントリーホール

2022-02-23 | 自衛隊

去る令和3年2月20日に東京赤坂のサントリーホールで行われた
海上自衛隊東京音楽隊第61回定例演奏会に参加させていただきました。

前日の雨は止みましたが、予報は一日曇りを告げる日曜です。
わたしは会員となっている商業施設の駐車場に早めに車を停め、
日曜で森閑としているビル内のスターバックスで開演を待ちました。

コロナ前であれば、オフィスは休業でももう少し人で賑わっていた場所です。
サントリーホールの前まで行ってみると、なんと向かいのビルは
カラヤン広場に面したカフェこそ営業していたものの、
ビル内部に続く扉はオフィス休業日ということで鍵がかかっていました。

サントリーホールには開館以来何度となく足を運びましたが、
こんな寒々しい開演前のカラヤン広場を見るのは初めてです。

昔・・・・・といってもまだバブルの尻尾的名残が残っていた頃、
当時の全日空ホテルに行くために広場前を横切ったら、
サントリーホールの前に、日本ではついぞ見たことがないような
ロングドレスにブラックタイの観客が、おそらくオペラの幕間だったのか、
外に出てきてなんとシャンパングラスを手に笑いさざめく光景を目撃しました。
(シャンパンはおそらくロビーカウンターから持ってきたもの)

流石にそんな光景を見たのはその時だけでしたが、
今にして思えばあれは日本が華やかな時代を享受し尽し終わる前の
最後の残光のようなものだったような気がします。

あれからいろんなことが起こり、今ではそんなことがあったのが
夢ではないかと思えるそのまさに同じ場所で、わたしは一瞬感慨に耽りました。


今回は届いた座席番号の書かれたハガキ状の入場券を見せると
係はそれを手に取って確認することなく、プロブラムを自分で取って、
席に着くという「非接触型」の開場になっていました。

ロビーに人が出てソーシャルになるのを防ぐため、
休憩時間を設けずに短めのプログラムを一気に行うのも以前と同じです。

わたし自身もコンサートというものにはしばらく足を向けていませんでした。
自衛隊以外では非常事態宣言前のペンタトニックス以来行っていないのですが、
これがコロナ禍下でのコンサートの新しい常識というものなんでしょうか。

席は前回と同じく一席ごと空席を設け、ステージ前数列も空席です。

ホール内では写真撮影禁止というアナウンスはありませんでしたが、
前回のように何が変わったかわからなかったので、
カラヤンが助言して設置されたというサントリーホールの流麗な
オーストリアのリーガー社製パイプオルガンの写真も我慢しました。

「サントリーホール オルガン プロムナード コンサート」
お昼休みの無料コンサート/演奏:坂戸真美(2017年11月2日)

ちなみに、サントリーホールは定期的にパイプオルガンの
無料コンサートを行なっています。

パイプオルガンは使用していないと、最悪ネズミ一家が住み着いたり、
埃などでいろんなところに不具合ができるので、料金が発生しない集客で、
演奏者にもボランティア的に出演してもらってでも稼働させないといけないのです。


今回は、会場内での会話を禁止するアナウンスはありませんでしたが、
演奏中の写真撮影、演奏後の時差退出などを告知するアナウンスの、最後に
「ブラボー」という掛け声などもご遠慮ください、というのには苦笑しました。

余談ですが、クラシック鑑賞業界?には「ブラボーマン」というのがいます。
それは、演奏終了後ブラボー!と叫ぶのを我が使命とし、あわよくば
有名演奏家の来日公演ライブレコードに我がブラボーを永久に残そうと、
演奏内容より終わりの瞬間を待ち受けることに全神経を傾けて
コンサート会場に通う、「自称クラシック通」のおじさんのことです。
(女性にはいない。見たことがないし聴いたこともない)

このブラボーマン、静かな曲の終演後にやったり、チャイコフスキーの交響曲6番で
3楽章の終わりについフライングしてしまったりするので、一般に評判が悪く、
演奏家にとってもあまり歓迎されていない(と思う)存在なので、
このようにホール側が堂々と「ブラボー禁止令」を出すことができたのは、
ある意味コロナ禍下における「奇貨」と言ってもいいんじゃないかと思いました。

そういえば、わたしの知り合いの演奏家の父上は、息子専門のブラボーマンで、
息子の演奏後、朗々たる美声で「ブラボー」はもちろん、
「マエストロ!」などとアレンジして叫ぶのを楽しみにしている方でしたが、
この楽しみがなくなってさぞがっかりしておられると思います。

っていうか、そもそも演奏会自体もできなくなっているかも・・。




■ 前半・イタリアオペラの世界

さて、前回、定例演奏会で海上自衛隊初の男性歌手が「お披露目」をした、
とご報告し、さらに今回の定期演奏会での曲目に
プッチーニの「誰も寝てはならぬ」があったことから、
今回のコンサートはこの男性歌手の正式なデビューになるだろうと予想しました。

プログラムは、どうやらそこに焦点を当てたらしく、1番から4番までは
イタリアオペラから、序曲、女性アリア、男性アリア、間奏曲という構成です。

1、歌劇「ウィリアム・テル」序曲より スイス軍隊の行進
ジョアッキーノ・ロッシーニ


演奏者の髪型と画質からかなり前の演奏?

イタリアオペラの序曲といえば、知らない人のいないこの曲。
もしかしたら、この部分が正確には序曲の4部であり、
「スイス軍の行進」という題がついているということを
知らずに聴いている人も多いかも知れませんね。

吹奏楽のアレンジが合うのでよくこのような編成で演奏されます。

案内なしで一曲目が終わると、おなじみ、ハープ奏者の荒木美佳2等海曹
(幕僚監部総務課広報部と自己紹介された)の司会により、
今回の定期演奏会はいよいよ始まりました。

曲と作曲者紹介の際、ロッシーニが美食家だったこと、それゆえ
世には「ロッシーニ風」料理がたくさん残されている、
という楽しい話題を取り上げて、掴みは万全のMCです。

ロッシーニ風はステーキとかカツレツとか、とにかく肉系の料理に多いようですね。
特にロッシーニ風ステーキとくれば、フィレ肉とフォアグラに、
マディラワインに黒トリュフソースという成人病一直線みたいな一皿でございます。

そんな贅沢料理を愛したロッシーニの死因は直腸癌だったとか。
自業自得とはいえ、本人も以て瞑すべしだった・・・と思いたい。

わたしは、料理についての彼の箴言?のうち、

「女が作る料理は、バターをケチるからいけない」

とか、自分の銅像が生きているうちに建つと聞いた彼が、その建造費を聴いて、

「それだけくれたら私がずっと立っていてあげるのに」

と言ったという話が好きです。


2、歌劇「ランメルモールのルチーア」より 辺りは沈黙に閉ざされ
ガエタノ・ドニゼッティ


まず、先輩歌手?の中川麻梨子三等海曹がオペラの大アリアを歌いました。

コアなオペラファンでもない限りご存じないオペラだと思いますが、
ヒロイン、ルチアの「狂乱のアリア」とこの曲は大変有名です。

この日中川三曹が選んだのは、好きでもない男と結婚させられそうになるルチアが
泉のほとりで、恋人を刺されて泉に沈められた女の幽霊話のついでに?
自分が本当に愛している男を思って歌うシーンのアリアでした。

ちなみにメトで歌い終わった後、12分間拍手が鳴り止まなかったという、
伝説の歌手ジョーン・サザーランドの歌唱はこちら。(アリアは5:00から)



お聴きになれば、いかに技巧の難しい曲かはお分かりいただけるでしょう。
中川三曹は声楽コンクールにも入賞している本格的なソプラノ歌手で、
歌いこなすだけでも大変なこの曲を見事に仕上げておられました。

ただ一つ残念だったのは、吹奏楽団の伴奏とのバランスの関係で、
ところどころ声が伴奏に埋没してしまったことでしょうか。

しかしこれは、自衛隊音楽隊における宿命のジレンマみたいなもので、
オケの曲を吹奏楽に編曲する限り、作曲者の意図とは乖離する部分が出てきます。

特にクラシック声楽曲と吹奏楽の相性は難しいと考えます。
一般にオペラ歌手は増幅装置一切なしでフルオケバックに声を響かせられますし、
今回は足元に目立たないマイクを置いて調整していたように見えましたが・・。


3、歌劇「トゥーランドット」より 誰も寝てはならぬ
ジャコモ・プッチーニ


Luciano Pavarotti's Last Public Performance - Torino 2006 Opening Ceremony | Music Monday

せっかくなので、トリノオリンピックでのルチアノ・パヴァロッティの演奏を。
トリノの時には、閉会式でアンドレア・ボッチェリも歌っていましたっけ。

つくづく、世界一の歌手がゴロゴロいる国は、いざオリンピックとなっても
アトラクションの方向性に一切迷いがなくていいですね(ため息)

今回大注目の男性歌手、ハシモト・コウサク二等海曹のデビューです。
自衛隊のポリシーとして隊員個人をクローズアップしないので、
バックグラウンドどころか名前の漢字すらいまだにわからんのですが、
音楽大学でオーソドックスな声楽の勉強をされた方のように思われました。

この曲は幸いオーケストレーションが元々そのようにできているので、
バックとのバランスはさほど気にならなかったです。


思うに、オペラのアリアは、その数分間で登場人物とその世界を演じ切る芸術です。

この「ネッスン・ドルマ」(誰も寝てはならぬ)という曲は、
何かの理由で結婚したくないがため、求婚者に謎解きをさせて(かぐや姫?)
解けない者を斬首させてきた紫禁城のトゥーランドット姫の元に現れた王子が、
謎をいとも簡単に解いてしまったにもかかわらず、往生際悪くゴネる姫に向かって、
今晩中に私の名前(カラフ)を当てたら私を殺すが良い、
私は朝には必ず勝利しあなたを手に入れる、と力強く宣言する歌です。

ハシモト二曹が「ビンチェロー!」(勝利する)の後の後奏の間、
カラフがそうであったように、勝利を確信した風に拳を握りしめて
炯々とした眼を宙に据えた立ち姿は、その長身もあって姿勢が実に美しく、
(この辺りは自衛官としての任務の賜物かも)この様子には心底感動しました。

まだお若いので、これからいろんな経験値を加えて身体作りを含め、
音楽家としての幅を広げていかれることを期待します。


4、歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」より 間奏曲
ピエトロ・マスカーニ


前半のイタリアオペラパートの最後に選ばれたのは、マスカーニの
翻訳すると「田舎の騎士道」というタイトルの歌劇の間奏曲でした。

イタリアンパートとしては最後の曲ですが、コンサート全体としては
この曲が中間点となる、という意味で選ばれたようです。

有名なこのオペラの中で最も人口に膾炙したと思われる間奏曲で、
誰もが一度は聞いたことくらいあるのではないでしょうか。

ただ、この曲に関しては吹奏楽のアレンジに物足りなさを感じました。

前奏部分が終わって主旋律となった時に、オケ版では弦楽器がメロディを奏で、
ハープ2台とコントラバスのピッチカートがそれを支えるのですが、
このアレンジだと、吹奏楽をハープ1台とコンバスだけで支えることになり、
このピチカートのメロディが埋もれて全く聴こえてこなかったのです。

マスカーニ「カヴァレリア・ルスティカーナ」より間奏曲
[吉田裕史指揮]


僭越ながら、原曲のスタイルにこだわらず、
いっそポップス風にアレンジしてしまった方がよかったのでは、と思いました。



■中間・海上自衛隊紹介(艦Tubeのことなど)

本来ならここで休憩というところで、改めて海自の宣伝が入りました。
海上自衛隊の「艦tube」(かんつべと読みます)の紹介などですね。

制服系公務員ユーチューバーとして、中の人が紹介しています。

【艦Tube】輸送艦「おおすみ」に潜入してみた!


【艦Tube】P-3Cで離陸してみた!


東京音楽隊の内部潜入バージョンも!(おすすめ!)

【艦Tube】東京音楽隊で演奏してみた!


■ 後半  ザ・吹奏楽曲

前半では歌手の歌声を堪能し、それはそれで大変満足しましたが、
その関係上、オーケストラ曲の吹奏楽編曲が続くことになったため、
後半最初のこの曲では、出だしのこれぞ吹奏楽!という響きに心が沸き立ちました。

遥かな海へ 川邊一彦

海上自衛隊 ~遥かな海へ~


ご存知、かつて東京音楽隊長でいらした川邊一彦氏の曲を、
海自の公式チャンネルが素晴らしい映像に被せた名作です。

海上自衛官にしか作れない音楽と海上自衛官ならではの素晴らしい編集、
海上自衛隊ファンなら1日に一度は必ず見たくなること請け合いです。

そして実際にネイビーであった人であれば、この、波の音や風の音まで再現し、
「出港用意」「入港用意」の声を配した曲に特別の感慨を持たれるでしょう。

わたしの一つ置いた隣にはアメリカ海軍らしき方が座っておられたのですが、
同じネイビーとしてこの曲をどう思っておられるかな、などとつい考えていました。

ところで、楽譜に書かれている「出航用意!」「入港用意!」の声を
このステージではどの楽器が担当しているんだろうと思っていたのですが、
最後に樋口隊長が、後ろに座っている歌手のハシモト二曹を紹介しました。

なるほど、男性歌手の「使い方」として何たる適材適所。

そして、予想通り、演奏が終わってから樋口隊長は客席を探す仕草をしてから、
観客の一人となって演奏を聴いておられた作曲者を紹介しました。

座っておられた席が近かったので、退場の時声をかけられる距離を歩いておられ、
わたしはこの曲が大好きであることと、川邊隊長が退官前の音楽まつりで
歌声を披露され、すっかりそれに魅了された記憶があったことを
お伝えするチャンスだったのですが、こういうとき極端に引っ込み思案のわたしは、
結局どうしても声が出ず、心の中で称賛を送るにとどまりました。



吹奏楽のための第一組曲 Suite for Military Band op.28
グスターブ・ホルスト

「吹奏楽のための第一組曲」イギリス式 金管五重奏 
海上自衛隊 横須賀音楽隊『按針フェスタ2017』


ホルストといえば「惑星」ですが、この曲は原題である
「For Military Band」の通り、元々は軍楽隊のために作曲されました。

この曲の解説では、吹奏楽が軍楽隊から発展したものであることなど、
その起源が紐解かれて、観客の興味を引きました。

説明の通り、吹奏楽=軍楽とはっきり記録に残されているのは
1557年に結成されたロイヤル・アーティラリーバンドだと言われます。

しかし、「ミリタリーバンド」というのは英語の解説によると、
必ずしも軍楽隊だけを意味するものではなく、20世紀以降は
地元の警察や消防団、さらには工業会社が組織する民間バンドなど、
木管、金管、打楽器を含むあらゆるアンサンブルに
「ミリタリーバンド」という言葉が適用されるようになったとあります。

この日の前半がたまたまそうであるように、当初イギリス軍楽隊では
演奏していた音楽の大半がポピュラー音楽やオーケストラの編曲だったそうです。


つまり、吹奏楽というメディアのために特別に作曲された本格的な音楽はまだなく、
従って楽器編成も標準化されていなかったということですね。

これは、管楽器群からなるアンサンブルは音色のまとまりに欠ける、
という管弦楽至上主義的な考え方が浸透していたことに加え、
決まった楽器編成がないことが作曲家にとって大きな障害だったようです。

ホルストがわざわざ「軍楽隊のために」と楽器構成を指定して作曲したのが、
この「変ホ長調組曲」で、吹奏楽というメディアを念頭に置いて作曲された
ほとんど初めての試みだったとする説もあります。

しかしながらわざわざそう断るだけあって、非常によく練られており、
響きも計算されていて、それというのもホルスト自身、
トロンボーン奏者としてバンド経験を重ねる中、従来の吹奏楽レパートリーに
大いに不満を抱いていたことが作曲のきっかけだったからだそうです。

ただし、この作品については詳しいことはほとんどわかっておらず、
委嘱作品であったという記録もないため、作曲の直接の動機は不明だそうです。


ともあれこの組曲は、吹奏楽のために書かれた本格的な作品であり、
軍楽隊特有の課題に対応するためのオーケストレーションで書かれています。

先ほども書いたように、当時は軍楽隊に標準的な楽器編成がなかったため、
ホルストは19の楽器のスコアを書いているものの、
残りの17のパートにはなんと、「ad lib.」と記されています。

ちなみに当時のイギリスの軍楽隊は20人から30人程度だったので、
19のパートをカバーした後、残りのパートは文字通り「アドリブ」で
作品の完成度を損なわずに追加したり削除したりできる仕組みでした。

この第1組曲は音楽史的、というか吹奏楽音楽史的に重要な意味を持ちます。

多くの著名な作曲家たちに、この曲以降、木管楽器、打楽器、金管楽器という
組み合わせを使って本格的な音楽が書ける確信を与えたのです。

レイフ・ヴォーン・ウィリアムズの「イギリス民謡組曲」(1923年)、
ゴードン・ジェイコブの「ウィリアム・バード組曲」(1923年)
などがその代表的な例と言われています。

曲は3楽章から成り、どれも「スコッチ風」が色濃く匂いました。


「ハイランド讃歌」より フラワーデール
フィリップ・スパーク


フィリップ・アレン・スパーク(1951年生まれ)はロンドン生まれ。
コンサートバンドやブラスバンドの音楽で知られています。
ホルストに続いてスパークで、後半は川邊氏以降オールイギリスだったわけです。

初演は2002年で、テーマはスコットランドですが、民謡は使われていません。

組曲全体は7つの楽章からなり、すべてスコットランドの
ハイランド地方にちなんだ名前となっていますが、この日はその中から

フラワーデイルFlowerdale - ソプラノ・コルネット・ソロのための

が演奏されました。
この曲はその地名ごとにユーフォニウム、コルネット、フリューゲルホルン、
ホルン、バリトンにソロを与えるという形式がとられていたので、
この日はヒラタ・クンペイ三等海曹がこのソプラノコルネットを演奏しました。

ソプラノコルネットは普通の楽器より短く、吹奏楽の最高音域を出します。
ピッコロよりも高いってことですね。
どんな音が出るのかは下のよーつべでお確かめください。

Flowerdale-Soprano Cornet Solo-


宇宙の音楽Music of the Spheres
フィリップ・スパーク


作曲者自身が指揮をしているバージョンを見つけました。
最後に、選ばれたのは、同じスパークの吹奏楽の大曲です。

宇宙の音楽とは普遍音楽、musica universalisとも言います。
曲の題名にスフィアとあるのでお分かりかと思いますが、これをまた
球体の音楽、球体の調和とも呼ぶこともあります。

古代ギリシャで生まれ、ピタゴラス学派の教義となっていた理論で、
太陽、月、惑星などの天体の動きの比率を音楽として捉える哲学的な概念です。

16世紀になって、天文学者ヨハネス・ケプラーがこの理論を発展させました。
ケプラーは、この「音楽」が耳に聴こえるものではなく、
魂によって聴くことができると考えていたようです。

この思想はルネサンス末期まで学者たちを魅了し続け、
人文主義を含む多くの思想家たちに影響を与えました。

スパークもまたこの思想に着想を得て、宇宙の創生から未来を表しました。

1、「t=0」テナーホーンの独奏により宇宙の始まりを表す
2、激しい「ビッグバン」
3、「孤独な惑星」生まれたばかりの地球
4、「小惑星帯と流星群」地球に迫る危機
5、「天球の音楽」6、「ハルモニア」宇宙全体が奏でる音楽
7「未知なるもの」宇宙の未来

という7つのパートに分かれます。

演奏をお聞きいただくとわかりますが、打楽器パートの目覚ましい活躍をはじめ、
その音の洪水が織りなす「宇宙観」には飲み込まれずにはいられません。

最後に、「遥かな海」でも使われた風を表すための大きなローラーを演奏した
打楽器奏者を、樋口隊長がスタンドアップさせる時、
ぐるぐる手を回す動作をされていたのに個人的にウケました。

この曲、元々は管弦楽のための曲だったそうですが、
作曲者本人の手によって吹奏楽のスコアも書かれました。

ホルストの「軍楽隊のために」で音楽としての定型を得た吹奏楽が、
その後進化したその一つの最終形、という言葉が出てくるほどの完成度の高さ。
それを演奏した東京音楽隊の完成度と意欲の高さもまた素晴らしいものでした。


そして、海上自衛隊音楽隊の終演時には必ず演奏される行進曲「軍艦」の後、
時差退場が始まり、ステージの上の隊員の皆さんが、
演奏時の表情から一転破顔して両手で客席に手を振ってくれるのに
送られながらサントリーホールを後にしました。

そして、会場のロビーでアンケートの回収などの作業をおこなっている
自衛官の方々の応対も、丁寧で温かく、言葉を交わしただけで
心が癒されるようだったということもぜひ付け加えておきたいと思います。


素晴らしいひとときを本当にありがとうございました。




明けましておめでとうございます。

2022-01-03 | 自衛隊

新年早々映画の紹介がずれ込んだので、毎年恒例の
写真年賀状シリーズと参ります。

今年は、年末年始が帰国してきたMKの自粛期間と重なることもあって、
お出かけが4日からになったのですが、いつも現場に参戦しては
自衛隊の写真をくださるKさんが、今年は横須賀軍港のお正月風景を
ご覧のように素敵に撮影して送ってくださったので、
ぜひ皆様に見ていただきたく、ご紹介します。

冒頭の写真ですが、潜水艦にもちゃんとお正月飾りを付けるんですね。
他の艦もどこかに注連飾りしていたりするんでしょうか。



この写真、いったいどこから撮影されたのでしょうか。
「いずも」甲板にはF -35戦闘機発着用に黄色いラインが書き加えられているとか。



仲良く並んでいる101「むらさめ」と154「あまぎり」ですが、
看板号の塗装がずいぶん違っている、とのこと。
単純に「塗装前塗装後」っていうことではないってことなんですか?

Kさんによると、海上自衛隊ではロービジ化が進んでいて、
艦番号は白文字から目立たない灰色に変更されて行っているということです。


お正月なので流石の海自もこの日は訓練はお休みだったんでしょうか。



いつもの場所のレーガン先生、補修工事真っ最中。


さて、Kさんによると、コロナのせいで昨年は
「腰のひけたことを繰り返しただけの一年」だったということです。

ただ、わたしはこれが悪いことばかりだったとは思いません。
コロナで全ての公開イベントなどがなくなったこともです。
今後、爆発的な感染が形を潜めても、しばらく人の集まるようなイベントは
自衛隊においても自粛の方向でしょう。

そして、世の中がすっかりコロナ前に戻る、ということはいろんな意味で
もう期待しないほうがいいとわたしは思います。

従前、イベントが昨今過熱気味で、例えば観艦式や総火演などでは
多数の入場券がネットオークションで高額で取引されるなど、
何かとよからぬ問題も起こっていたことを考えると、この自粛傾向を奇貨として、
新しい形の自衛隊広報活動を模索することも可能なのではないでしょうか。

広報活動は自衛隊にとって重要ですが、あくまで最優先の任務ではないのですから。



ブルーインパルス 医療関係者への「感謝飛行」

2020-06-02 | 自衛隊

先日、コロナ医療に携わる関係者への激励として
ブルー・インパルスが東京上空を飛翔しました。

17号を北から入って8の字周回をして駒込⇒尾久あたりに抜けるコースを
2周する、と事前(ぎりぎり)に発表があったようです。

残念ながらわたしの住んでいる地域は轟音だけがきこえる状態で、
ヨガをしながらああやってるなー、と思っていたのですが、
これを教えてくださったKさんがなんと写真を撮っておられました。

自分の写真ではないので解説はできませんが、
掲載ご許可をいただきましたので見ていただこうと思います。

2周するということですが、見る場所によっては4回通過することになり、
Kさんは4航過全てを写真に収められたとのこと。

ちなみに地図の○印は区役所の所在地だそうです。

第1航過め。デルタフォーメーションです。

雲があるのもいいものですね。
飛翔撮影の7番機も写っています。

第二航過。
7番機はスモークを出さずにひっそりと着いてきています。

この随伴機が撮った映像が近々自衛隊公式HPにアップされるそうです。

Kさんによると、

一昨日のニュース映像を一通り見たら、ANN系では編隊と言わず
「隊列」と言って、徒歩行進みたいな実況。

「煙を出して飛んでいます」ってのも空中戦で被弾したみたいで大笑い。
前例ない実況に思ったことを喋っちゃったんでしょう。
局に教えられる人も居ないでしょうし、現在のテレビ局の実力でしょうね。

ありがち(笑)

第三航過ではデルタでも先ほどと微妙に違っています。
フェニックス(ローパス)というフォーメーションなんだそう。

ちなみにKさん、

航路図を大きな地図に落として、
病院と病院を線で結び航路を算定しましたら、
予想コースと実際の飛行の誤差は200mありませんでした。

とのことです。
針の穴を通すような正確な飛行、さすがは「戦技班」です。

第4航過、といってもKさんにとってで、実際は二周目です。
これで都庁、スカイツリー、東京駅の上空を航過したのですから、
いずれかのセットを見られた方は本当にラッキーでしたね。

少し前、ニューヨーク上空を海軍のブルーエンジェルスと
空軍のサンダーバーズが合同で医療関係者への激励飛行を行いました。

おそらく空自もこれに倣って今回の飛行となったのでしょう。

今回は流石に自衛隊嫌いのメディアも報じないわけにいかなかったようで、
これもKさんによると、

エッ、朝日が中継を。

https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20200529-00000030-ann-soci

あの自衛隊嫌いで縮小解隊を叫ぶ朝日新聞の子分である
細菌噴霧アナの居るテレ朝が、
ネタの尽きたワイドショーの時間の繋ぎに使ったとはいえ、
ブルーを、自衛隊を、中継するとは・・・、
私は、支那肺炎騒動の間に日本で革命が起きたのかとの錯覚に陥りました。
でも油断してはいけません。
夜のニュースで「もっとやるべきコロナ対策があるでしょうが・・・」
と朝日らしさを爆発させるかもしれません。
 
まあ、メディアとしても万人に告知する使命がありますからね。
今回「報道しない自由」は発動しなかったのには訳があります。
なぜなら案の定このニュースを受けて、

ブルーインパルスが飛んだらなぜ医療従事者を励ます事に繋がるのか
全く理解出来ない。

と三鷹市の共産党市議がツィートし、無事炎上したようなので、
朝日としては十分(火付けの)役目を果たしたと言えるのではないでしょうか。

まあ、いろんな考え方があってもいいと思うけど、もしアメリカで
戦技チームの感謝飛行に議員がこんな感想をもらしたら、
おそらく世間の非難は日本の比ではないのではないかと思われます。

これが第4航過で最後の写真になります。

初夏の青空に感謝の白線 ブルーインパルス、都心を飛行

最後に産経ニュースの動画をどうぞ。
マスクをした医療関係者が拍手を送っている様子を見て
思わず涙が出てきたわたしです。

 

Kさん、写真の提供どうもありがとうございました。

 

 


自粛直前!K氏の木更津駐屯地見学

2020-03-08 | 自衛隊

新型コロナウィルス対策で今世界がちょっとした戒厳令状態になっています。
今日、息子が留学しているアメリカの大学からこんなメールが来ました。

コロナウィルス(COVID-19)の二つのケースの確認に続いて、
コミュニティ内でのウィルスの拡散を防ぐために、
私たちはすぐに隔離プロトコルを制定しました。
現時点ではキャンパスで確認または疑われる症例はありません。

・外部の個人の参加を含む50人以上のイベントはキャンセルします

・外部スピーカーによる全ての内部セミナーは、産業医及び
学生戦隊からの意見を取り入れ、ケースバイケースで検討します

・学内の全てのコミュニティメンバーは、地域の
大規模な外部イベントに出席しないように求められます

・これらのプロトコルは、研究所によって取り消されるまで継続します
全ての授業は通常のスケジュールでおこなわれます

学生と地域社会のメンバーの健康と安全は最優先事項です。
当大学は、米国国務省、疾病管理予防センター(CDC)、州保健省、
及び世界保健機関(WHO)と引き続き協力し、ガイダンスに従います。

コロナウィルスの状況は流動的であり、公衆衛生勧告と健康予防措置は
ほとんど予告なく変更される可能性があります。
旅行を計画している人は、目的地の勧告を頻繁に確認する必要があります。

大学の全てのコミュニティメンバーは、研究所のポリシー、プロトコル、
及び旅行制限に関する最新情報について、
 COVID-19
Outbreak Communication Webサイト
を確認することをお勧めします。

全ての個人は警戒を続け、以下を含むCOVID-19の拡散を防ぐため
必要な予防措置を講じる必要があります。

●咳やくしゃみをするときには鼻と口をティシュで覆う

●使用済みのティッシュは直接ゴミ箱に捨てる

●咳とくしゃみをする時にティッシュがなければ肘で口と鼻を覆う

●石やくしゃみをしたあと食事の準備、食事をする前に
石鹸と水で少なくとも20秒間手を洗う
アルコールベースのハンドクレンザーが効果的

 
 

息子の大学では先日大学院の学生がインフルエンザで死亡するという
ショックな事件があり、しかもその学生が中国人だったことから

地域のニュースにまでなったそうです。

彼は瀕死で911を呼んだのですが、自分の住所を伝えることもできず
意識を失ってしまい、消防が出動し付近までいったものの、
部屋が分からなく救出できず、結局、部屋で死んでいるのを
帰ってきたルームメイトに発見されたということでした。

「実はアメリカではコロナよりインフルの方がたくさん死んでるんだよね」

と息子は言っていましたが、その学生もその一人になってしまいました。

アメリカ人はマスクをめったにしません。
学校のアナウンスを見ていただいても、マスク着用については何の言及もないように、
彼らははマスクでウィルスを防ぐことはできないと考えているようです。

基本マスクは自分がかかった風邪を人にうつさないためにするだけ、
と考えているので、こんなことになってもマスクをして歩いているのは
ごくわずか、いても必ず東洋系だということでした。

ニューヨークで中国系が殴られたという事件があったそうですが、
(殴ったらうつるのでは?)今東洋系というだけで警戒されるので、
悪意から身を守るという意味で装着しているのかもしれません。

 

 

さて、今日は、いつも写真を提供してくださるKさんが、
イベント自粛の嵐が吹き荒れ始めた頃、かろうじて決行された
木更津駐屯地のヘリ体験搭乗に参加してこられたので、それをご紹介していきます。

ヘリ体験搭乗が行われるという話はうかがっていましたが、
次々と催しものが中止になっていきかけたころだったので、
ご本人も決行されるかどうかは心配しておられました。

ちょうどわたしが陸自中央音楽隊のジャズコンサートに行った後くらい?
まだ政府が自粛を呼びかける前に、かろうじてそれは決行されましたが、
残念なことに天候は雨。

この隊員さんがKさんの乗ったチヌークの乗員でしょうか。
通信機を背負ってヘリに歩み寄る姿が無駄にドラマチック!

CHの横に控えている隊員さんもマスク着用です。

今から乗り込んでいくCH-47内部。
座る席は奥の方ですね。

おお?あちらこちらでヘリが飛び立っておる。
チヌーク2機に、こちら側はAH-1かしら。

状況について全く伺っていないので想像するだけですが、
もしかしたらこれ全部体験搭乗中・・・・?

いくらなんでもコブラには乗せてもらえない気はしますが。

そして、りりーく!

Googleアースで確かめると、木更津駐屯地の滑走路は、
海側から斜めに南北を走っているわけですが、ここに写っている
「02」は滑走路エンドの印なので、この写真は
離陸後すぐに撮られたものだということがわかります。

滑走路脇にある旧軍の掩体壕跡らしい構造物も、
Googleアースで確認することができますが、
横から見るとこんな風になってたのか・・・。

もともとここは帝国海軍の木更津基地のために埋め立てられた土地で、
東日本の防衛を担う木更津海軍航空隊が駐留していました。
開隊は昭和11年で、横須賀鎮守府の隷下にありました。

中国大陸の渡洋攻撃はここから出発したことでも有名です。

戦後は米軍の駐留を経て、昭和36年に航空自衛隊が、
その後空自が入間に移ったため、陸自が転入して現在に至ります。

つまり、海ー米ー空ー陸と住人を変えてきた飛行場なんですね。

この掩体壕は先ほどのものの近くにあります。
草木が前面を覆い隠してしまっていますね。

駐屯地は羽田空港の対岸、アクアラインの根本に
近いところに位置しています。

なんと羨ましい、お昼ご飯も駐屯地で出された模様。
とてつもなく具沢山に見えますが、カレーかハヤシライスどちらでしょう?

午後からは格納庫の中の整備中のヘリを見学だったようです。

そういえば、ある民間の航空製造会社を見学に行った時、
請け負っている自衛隊の飛行機の写真は一切撮らせてもらえませんでした。

スケルトン状態のAH-1。
ちなみにノーズの頭の上にトゲのようなツノが出ていますが、
これなんだか知ってます?
電線とかが絡まる前にこれで切ってしまうためのものらしいんですが、
わかっていても、これを見るたび

「その前にローターに巻き込まれるんじゃ」

といつも思ってしまいます。

展示用のAH-1に隊員さんが乗って見せてくれています。
冒頭の写真を見ていただければおわかりのように本当にこのヘリ薄い。
内部は幅90センチしかないとか聞いたことがあります。

戦闘ヘリですが、確か2年ほど前、女性パイロットが搭乗することが
決まったというニュースを読んだことがありました。
戦闘ヘリに女性パイロットが乗るのはこの時が初めてだったはずです。

えっと、こちらもしかしたら第4隊戦車ヘリコプター隊所属の
OH-1でしょうか。

こんな風にカバーがかけられているヘリを見るのは初めてです。
カバーもちゃんと迷彩になっているんですね。

OH-1の現時点での総台数は34機ですが、機体が高価なので
調達は今後も行われることはないということです。

コクピットの写真ですが、説明がないとわたしにはどのヘリのものかわかりません。
これは大きいからCHかな?

白いヘリの写真を見て、海自か?と一瞬勘違いしてしまいました。

よく見ると一部が青いこのヘリ、少し前の空挺団降下始めで
要人を運んできたVIP専用機じゃありませんか。

ユーロコプター EC 225 シュペルピューマMk II

皇室、首相、国賓などの輸送任務向けに3機保有し、
陸上総隊第一ヘリコプター団
特別輸送ヘリコプター隊において
運用されています。

ウィキには

東日本大震災の津波により仙台にて整備中の1機が損失

とあるのですが、先ほど「写真を撮らせてもらえなかった」
と書いた整備会社は、まさにここのことだったことに、たった今気がつきました。

見学の時に震災の被害について会社の方から詳しく伺いましたが、
そのときに修理ハンガーにあった飛行機のほとんどは
海水に浸かり流されて破損したということでした。

これは狭いのでAH-1のコクピット?

二人横並びなのでこちらがチヌークかな?

さて、この日は天気が悪かったため、体験搭乗は基地の上を
ぶーんと一周するくらいで終わってしまったそうですが、
Kさん、去年の十二月には入間でも体験搭乗に参加されてます。

こちらがその日Kさんが乗った空自チヌーク。

こんなところを撮っても良かったんでしょうか。

わたしがP3-Cの体験搭乗をしたときには、カメラどころか
携帯までボッシューされた記憶があるのですが、
あれはP-3が偵察機だからで、基本輸送がメインのチヌークは
コクピットくらいたいしたことないっすってことなのかな。

心配なのでKさんに伺ったら大丈夫とのことでした。

チヌークではバブルウィンドウから外の写真を撮るのが正しい。

東京タワーだ!と思ってよく見たら三つありました。
ただの鉄塔のようです。

東京の街がまるでミニチュアのように・・・・。

そして、さらに素晴らしい写真をいただきました。
もし今回晴れだったら、こんなところを飛んでいたはず・・だとか。

一昨年の同じ木更津体験搭乗の時の写真。
木更津航空隊の皆さんは「富士山ヨーソロー」とか言ってたんだろうな。

海ほたるよーそろー。

こんな角度から撮れるのはヘリコプターだけ。

いやー、今年は本当に残念!ってことだったんですね。

そして、もう一つうらやましついでに、木更津のお土産は
迷彩柄のマスク(三枚セット)だったそうです。

 

この体験搭乗も、もし今頃に予定されていたら中止になったかもしれません。
いずれにせよ、またもとの日本に一日も早く戻って欲しいものです。

 

 


呉鎮守府開庁130周年記念 海上自衛隊呉音楽隊第50回定期演奏会

2020-02-23 | 自衛隊

和2年2月22日という綺麗に2が並んだこの日、呉音楽隊の演奏会が
呉信用金庫ホールにおいて行われました。

タイトルにあるように、去年、平成元年に、呉地方総監部庁舎は、
呉鎮守府として開庁してから130年目を迎え、それにともなう
記念イベントなども去年の秋に行われていたと記憶します。

しかも、令和2年は、呉音楽隊創設以来50年というきりの良さ。

今回のコンサートはそんな節目を記念するため、
特別な企画もあるということで、楽しみにその日を迎えました。

 

今回の懸念は、新型肺炎の流行にともなうイベントの自粛でしたが、
まだ広島地方では一人も発症が見られなかったこともあり、
無事に当日を迎え、開催されることになりました。

その前日、わたしは横須賀音楽隊の定演中止のお知らせを受けていましたし、
そのほかにも幹部学校での海軍大学セミナーの一般聴講、
東部部方面音楽まつりの中止などが伝えられており、
伝わってくるニュースが日々深刻さを増してくるのも相まって
気持ちが暗くなりがちだったので、これは本当に喜ばしいことでした。

 

しかし、コロナ騒動は悪いことばかりでもありません。
今回、ぎりぎりだったにもかかわらず、ホテルズドットコムで
今まで画面にすらでてきたことのないクレイトンベイホテルが取れました。

しかも記憶に残るここの従来の価格よりずっと安価です。
何度も呉にきていながら今までご縁がありませんでしたが、
初めて泊まることができたクレイトンベイホテルは、他の宿泊客も少なかったらしく、
部屋はエグゼブティブフロアの一階下でこの眺望の良さ。

自衛隊基地を含む呉の港が一望できます。
手前は造船所の「パーツ置き場」となっている浮き桟橋。

奥にいるのは輸送艦「しもきた」で、今お食事中です。

支援艦「くろべ」と「てんりゅう」が仲良く並んでいます。
甲板に無人標的機などの道具はどちらも積んでいません。

江田島との間を結ぶ連絡線「古鷹」の乗客も少なそうです。

沖に投錨して停泊しているのは掃海母艦「うらが」でした。

その日の夜は、館内の和食レストランで穴子の御膳を頂いてみました。

クレイトンベイホテルには、温泉風のスパが併設されており、
行ってみたところ、どうも地元の常連らしき人たちが利用しているようでした。

リラクゼーションルームには最新式のマッサージ機があって、
全く待たずに使用できましたが、マッサージチェアというものが
今時の技術ですごいものに進化しているのに驚かされたり。

地元の人たちもきっと空いていて快適だわなどと思っていたでしょう。

 

もともと呉はそれほど多くの外国人観光客がいたとも思えませんが、
これはつまり流行のフェーズが上がり、この日あたりから
週末にもかかわらず日本人も不要不急の外出を控えた結果だったのでしょう。

帰りに乗った広島発羽田便も怖いくらいガラガラで、
ダイヤモンドクラス(最初に乗れる人たち)が3人、
プレミアムクラスも全部で10人足らずで、わたしの取った席は
横並び三列の通路側で、予約の時にはすべて満席だったのに
乗ってみると横二つ空いたまま。乗機率は10%くらいでした。

演奏会は翌日1400からのスタートでした。

気がついたのは、会場のホールの名前が呉文化センターから
企業名を冠した呉信用金庫ホールに変わっていたことです。

昨年の三月末から呉信用金庫がネーミングライツ(命名権)を得て
この名前に(呉文化ホール)をつけることにしたのだとか。

看板や入り口のプレート以外特に変わったところはありませんでしたが、
ただ、館内では携帯電話の電波が強制的にカットされる仕組みで、
間違っても携帯を鳴らしてしまう事故が起こらないようになっていました。

この仕組みは最近音楽ホールなどで増えている

「携帯電話抑制装置」

でエリア内の携帯電話の電波をあえて“圏外”にさせるものです。

専用の機械を設置すると携帯電話の基地局と同じ周波数の電波を
基地局よりも強く出すことで、そのエリア内の携帯電話が
基地局と通信することができなくなるという仕組みのようです。

つまり、空っぽの強い電波を出し基地局になりすまして
強引に圏外にしてしまう、というわけですね。

 

さて、コンサートが始まりました。

いつからでしょうか、コンサートマスターが「コンサートミストレス」、
つまり女性に変わっています。

コンマス(コンミス)はオーケストラなら左側の最前列舞台寄りに座っている
第一バイオリン奏者が務めますが、吹奏楽ではクラリネットです。

 

またプログラムを見て気がついたのは、今回

「呉造修補給所員」「呉基地業務隊員」

いうメンバーが加わっていたことです。
呉基地業務隊は、呉地方隊の敷地内にあり、厚生、会計、給養、
車両、施設及び海上予備員の収容その他の業務をおこなうところです。

楽器の素養のある隊員が特別出演していたのでしょうか。

さあ、それでは一曲目からです。

♫ セレモニアル・マーチ 酒井貴祐

ものすごく聞き覚えのある曲だと思ったのですが、
持っている自衛隊のアルバムに入っていたかもしれません。

本日の記念すべきコンサートの幕開けに相応しく、きらびやかな
ファンファーレから始まるテンポのいいマーチです。

吹奏楽 セレモニアル・マーチ 坂井 貴祐作曲 陸上自衛隊第1音楽隊 Ceremonial March

一曲目が終わって、もう呉のコンサートでは「顔」といってもいい、
司会の丸子ようこさんが出てこられました。

「丸子ようこ」の画像検索結果

前回のコンサートで、音楽童話「ごんぎつね」の
語りを聞かせてくれた記憶はまだ新しいところです。

♫ 風の谷のナウシカ Highlights 久石譲

統計的に?呉音楽隊はアニメ、特にジブリ作品をよく取り上げている気がします。
ところでこの「ハイライト」がなぜわざわざ英語なんだろうとおもったら、
どの演奏でもそうなっているようで、これがオリジナルなのだとわかりました。

風の谷のナウシカ / arr. 真島俊夫

イントロの後ピアノソロで「風の谷」から始まるメドレー、
編曲は吹奏楽曲作曲家の真島俊夫氏が手掛けました。

クシャナの侵略〜メーヴェとコルベットの戦い〜ナウシカ・レクイエム〜
鳥の人(エンディング)

という内容です。
どの曲もすっかり聴き慣れてしまっていて、もはや久石のジブリナンバーは
映画音楽に止まらないスタンダードだと思わされます。

こういう機会でもなければ吹奏楽の生演奏でジブリを聴くこともないので、
心ゆくまで楽しんで聴きました。

♫ 稲穂の波 福島弘和

福島弘和氏は日本の吹奏楽曲作曲家の第一人者の一人ですが、
その数あるナンバーの中から今日選ばれたのは、
群馬県の田園地帯を音で描写したこの曲でした。
今調べてみたら福島氏は群馬県出身で、幼き日にみた稲穂の実る
黄金の田園風景を表したのだと知れます。

年表の一番最初にあり、最初に吹奏楽コンクールで入賞したときの
作品のようですね。

【吹奏楽名演】福島弘和「稲穂の波」〔常総学院:1998年度全日本吹奏楽コンクール〕

そして、その翌年の吹奏楽コンクールの課題曲となり、
優勝したのがこの常総学院の演奏というわけです。

♫ 生業(なりわい)宮川彬良

忘れもしない、昔横須賀音楽隊の演奏会で聴いた曲。
ああー、横音の演奏会、中止になってしまったんだよなあ・・・。
としみじみ思い出しながら聴きました。

宮川彬良氏はご存知宮川泰氏の御子息でおられます。
わたしの息子くらいの年のお子様をお持ちの方でしたら、
「クインテット」というNHK教育の人形劇で、
スコア、フラット、アリア、シャープという四人組のパペットと
ピアノの「アキラ」として共演していたのをご存知かも知れません。

この曲は、

I . 上昇志向

II.  発明の母

III. 易〜生業

から成っていて、見ていてとても楽しいのは第三楽章。
パーカッション奏者が、なんと易者が使う筮竹を使って演奏します。

占う前に、両手でじゃらじゃらと筮竹を鳴らすでしょう?あれです。

 

というところで、第一部は終了。
この日の観客は、招待客も一般応募客も欠席はなく、
会場はほぼ満席となっていたのではないかと思われます。


ファンファーレ「天と大地からの恵み」八木澤教司

この日の特別企画というのは、外でもないこの八木澤氏に
呉音楽隊が委嘱した作品の初演だったわけですが、第二部の最初は
同氏のファンファーレで幕を開けました。

FANFARE - The Benefaction from Sky and Mother Earth

2019年11月9日、天皇陛下ご即位奉祝式典の国民祭典で、
天皇皇后両陛下をお出迎えするときに演奏されたというおめでたい曲です。

組曲「宇宙戦艦ヤマト」宮川泰

組曲『宇宙戦艦ヤマト』 Space Battleship YAMATO

前半では息子さんの、後半ではお父さんの世界的名曲が演奏されました。
このビデオは、指揮者の衣装といい楽団員のネクタイといい、
何かと頑張っているのでそれに免じて挙げておきます。

わたしはこのバージョンを生で聴くのは初めてでした。
いわゆる皆が「宇宙戦艦ヤマト」だと認識しているところの歌が
あまりに早めに出てくるので、どう盛り上がるのか心配でしたが、
後半はゆったりと壮大なエンディングに繋がってさすがの宮川泰でした。

ところで、2007年に宮川氏が逝去した時、本人の遺言によって葬儀には
「ヤマト」が吹奏楽で演奏されたそうですね。

つい先日の話なのでついわたくしごとを話してしまいますが、
先日の親族の葬儀会場では、到着直後から終了までずっと、
アンドレ・ギャニオンの「めぐり逢い」がエンドレスで流れていました。

故人と家族からなんのリクエストもない場合、その会場では
これが自動的に流れるらしいのです。

めぐり逢い-アンドレ・ギャニオン

こだわりのない人には受け入れられやすい妥当な選曲だと思いますが、
こと音楽に関しては同じ曲を繰り返されるのが何よりも苦痛に感じるわたしは、
今後人生で何かのはずみでこの曲を聴いたら、自動的にこのときの気持ちを
思い出してしまうんだろうなあと思うと、それだけで気が重くなりました。

その点、ピアノの恩師の葬儀では、バッハの平均律クラヴィーア曲集の第1巻が
最初から流れていて、それは介護施設に愛用のグランドピアノを寄付した彼女が、
まだ元気な頃はロビーで平均律を弾いていたという理由で、遺族が選んだものでした。

宮川泰氏もまた知人の葬式の帰りに、何かを思ったらしく、息子彬良氏に

「俺の時は”ヤマト”な」

と言い遺したそうです。
音楽にこだわりのある人は、自分の葬式に何を流すか、
さりげなく周りに伝えておくというのも終活の一つかもしれません。

余談ですが、何かと不幸の際に登場する名曲のひとつに、
バーバーの「弦楽のためのアダージオ」というのがあります。
サミュエル・バーバー本人は、

「わたしは葬式のためにあの曲を書いたのではない!」

と常日頃ぼやいて?いたそうですが、彼が亡くなったときには
やっぱりこの曲で送られたということでした。

弦楽のためのアダージョ / Adagio for Strings Op.11 / Samuel Barber

大正義サイモン・ラトルとベルリンフィルでどうぞ。

曙光の波をきって 八木澤教司

お待たせしました。
本日最後に演奏されたのは、

日本遺産「呉鎮守府」開庁130周年記念
海上自衛隊呉音楽隊委嘱作品

世界初演となったこの曲は、呉音楽隊長石田敬和一尉から
コンセプトが作曲者に提出され、それをもとに作曲されたそうです。

曲の中には朝夕の自衛艦旗掲揚降下の際に吹鳴される
喇叭譜「君が代」がモチーフとして挿入されそこここに顔を出します。

喇叭譜がモチーフとして使われている曲は今までいくつかありましたが、
今回は「君が代」だけが使われていました。

第1章 街のいしずえ

明治時代の穏やかな海辺、のどかな田園地帯だった呉が、
鎮守府を開くために集まってきた人によって姿を変えていく様子、
そしてその後が描かれています。

石田隊長の

「戦争で破壊され産業も経済も大きな被害が出ましたが、
呉の人たちの弛まぬ努力と助けあいで瀕死の街から活気ある街へと発展しました。
海軍から自衛隊へと変わり、国民を守る防人が住む街になりました」

という言葉から受けたインスピレーションによって作曲されたそうです。

第2章「渚のひかり」は瀬戸内の情景の描写、そして
第3章「造船と職人」では、石田隊長と八木澤氏が実際に
呉の造船所を見学し、間近でみた造船の作業にインスパイアされたものですが、
圧巻はラストに響く「二十一発の礼砲」でした。

八木澤氏の織りなすメロディは、ちょっとだけ専門的に言えば、
係留音とその解決を実に気持ちの良いところで使ってくれるというか、
聴いていてそれが非常な快感なのですが、この曲のクライマックスも
誰が聴いても理解できる安易さを持ちながら、それでいて、
心に食い込んでくるような「八木澤節」が炸裂しておりました。

そして、礼砲を模した太鼓の連打が始まりました。

拍の頭をときどきわざと外し、半拍遅らすことによって、
より一層本物らしさを表すという心憎い演出です。

二十一発の礼砲は、等級で言うと最高級にあたり、
国旗、元首、そして天皇、国王、大統領、皇族にしか用いられません。

曲が終わった後、会場にいらしていた八木澤氏がコールされましたが、
二階からは全く見えなかったので、二つ隣の女性が

あら、どんな人か顔を見てみたかったのに残念」

と本当に残念そうに言っておられました。
ステージに上がっていただいても良かったかも知れません。

 

♫ 行進曲「軍艦」瀬戸口藤吉

海自音楽隊の演奏会では必ずアンコールにこの曲が演奏されますが、
ここ何回か、呉音楽隊に限りそうではないので、このあとにも
何か「しかけ」があるのではないかと期待していたら・・・

♫「パプリカ」米津玄師

わたしは知りませんでしたが、この曲は2年ほど前、ダンスと相まって
「社会現象」になったのだそうです。

「軍艦」が終わると、会場の前2列を締めていた女子高生が
舞台に上がり、袖で楽器を持って登場してきました。

去年は高校生軍団と「宝島」をやったと記憶しますが、
ことしは、この「パプリカ」を、呉高等学校の生徒たちと
一緒に演奏してくれました。

米津玄師 MV「パプリカ」Kenshi Yonezu / Paprika

PVの最初のイラストはまるで昔の呉のようですね。

社会現象になったというダンスは、高校生たちと
音楽隊から有志が前で踊って会場を沸かせてくれました。

会場の出口ではいつものように音楽隊のみなさんが
この日ホールにやってきた人たちを見送ってくれ、
楽しかったコンサートも終了しました。

最後に、今回呉地方隊訪問の記念にいただいた
開庁130周年の記念品です。
ボールペンの柄に海上自衛隊のマークと、呉鎮守府庁舎が
蒔絵風に描かれた大変美しいものです。

最後に、今回の演奏会参加に際してお心遣いをくださった
海上自衛隊呉地方隊の皆様方に心からお礼を申し上げて終わります。

ありがとうございました。

 

 

 


送られてきた潜水艦「とうりゅう」の支鋼

2020-02-07 | 自衛隊

先日、わたしには全く覚えのない個人名の不在配達が入っていて、
はて、いったいどなただったかしら、と思いつつ受け取ると、
送り主は昨年秋に命名・進水式に立ち会った
潜水艦「とうりゅう」の艦長でした。

そりゃ名前に記憶がないはずだ。
今まで出席した進水では、潜水艦の名前が刻まれた
しおりなどの小さな記念品が頂けることもあったのですが、
「とうりゅう」の方々は、年が明けてから
何か送ってきてくださったようです。

この記念品をご紹介します。

これは命名式の日もいただいたのですが、記念絵葉書です。

パッケージはクッション入りの封筒だったのですが、
中から出てきたのがこれ。

「潜水艦 闘龍」

とあえて艦名を漢字で表記してあり、

「支鋼」

と書かれています。
木箱の大きさは、へその緒を入れるものと同じ。
外径9cm×7cmの箱の蓋を取ると、蓋側には
冒頭写真のカードが貼り付けてあります。

木箱の内寸にきっちり合わせて縮尺したらしく、
字が明確に写っていませんが、元々ですので念のため。

ここに

「支鋼の由来」

として、説明があります。

志鋼とは、初めて艦を海に浮かべる儀式(進水式)
において直前まで大地に支えておく鋼のことです。

艦の進水式は、人の誕生に等しく、
母なる大地を巣立ち大海にその雄志を現したときから
艦の一生が始まります。

志鋼は、艦にとり「へその緒」ともいうべきものであり、
無事に進水した艦の支鋼は、誕生にもちなんで、
安産のお守りとされております。

ここに納めている支鋼は、令和元年十一月六日に進水した
潜水艦「とうりゅう」の支鋼の一部です。

 

なるほど、まるでへその緒の入れ物みたい、と思ったはずです。
それは偶然ではなかったということだったんですね。

そしてこれがそのときの支鋼(の一部)というわけです。

蓋を開けてみたときにはもやい結びのレプリカかな、
と軽く考えてしまったのですが、とんでもない、
進水式の時に「とうりゅう」を支えていた支綱、
山村海幕長が切断しその艦体が進水台を転がり落ちる寸前まで
あの巨体を支えていた(厳密には違いますがここは空気読んで)
本物の支鋼の一部です。

一度使用した支鋼が再利用されることはないので、それは
しばしば小さく刻んで安産のお守りにすることがある、
という話は今まで調べたなかで知っていたことでしたが、
まさかその実物を実際に頂けるとは!

支鋼は3センチくらいの大きさにしっかりと結んであり、
現物がそうなのかどうかはわかりませんが、まるで
防水加工がしてあるようなロウ引きの感触です。

結んだ一つ一つを紅白の布を貼った台に付ける作業も
きっと手間のかかったことでしょう。

こういう作業は造船会社がしてくれるものでしょうか。
それとも業者が?
もしかしたら乗員の方々が・・・・・?

潜水艦マークの(線描きのマークは初めてみた気がします)
入った「とうりゅう」艤装員長からの手紙も同封されていました。

これもせっかくですので本文をご紹介します。

謹啓

向春の候、皆様におかれましては益々ご清栄のことと
心よりお慶び申し上げます。

さて、第八一二七号艦は、去る十一月六日
川崎重工業株式会社神戸工場において「とうりゅう(闘龍)」
と命名され、
無事進水致しました。

ぎ装業務開始以来、一方ならぬご厚情を賜り、
誠にありがたく謹んでお礼申し上げます。

今後は、皆様のご期待にお応えすべく、令和二年度末の就役に向け、
最高の潜水艦造りに邁進する所存ですので、今後ともご指導、
ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。

末筆ながら、皆様益々のご発展と一層のご活躍をお祈り申し上げます。

謹白

令和二年二月吉日 とうりゅうぎ装員長

「最高の潜水艦造りに邁進する」

という言葉が淡々とした定型の挨拶の中で光って見えます。


「とうりゅう」の乗員の方々のアイデアによるものでしょうか。
進水式という艦の誕生の瞬間を幸運にも目の当たりにした者にとって、
この贈り物が
いかに感動的なものであったか。

それを読者の皆様にお伝えしたく、ご紹介させていただいた次第です。

「とうりゅう」乗員の皆様、どうもありがとうございました。
「最高の潜水艦造り」に向けて、頑張ってください。

 

 

 


新春企画・令和元年度 参加自衛隊行事

2020-01-05 | 自衛隊

平成30年4月30日、偶然わたしの誕生日をもって平成は終わり、
次の日から元号は令和と代わりました。

元号が発表されたとき、わたしは家族と車で移動中でしたが、
滅多につけないラジオに切替えて、その瞬間を待っていました。
そして、

「令和」

の発表。

「れいわ」「令和かあ」「令和ねえ」

と全員がまるで吟味するように口に乗せて繰り返したものです。
おそらくリアルタイムで発表の瞬間を見ていた人たちのほとんどが
同じように口にしてその響きを確かめたのではなかったでしょうか。

最初は聴きなれず見慣れない「令和」は、新しい服がなじむように
自分たちの生活のそこかしこに関わってくるようになると、
最初のちょっとした違和感などどこかにいってしまいました。

そういえば、「平成」のときも、ほとんど今回と同じような経過で
年号はしっくりと馴染んでいったような記憶があります。

 

さて、今日は元号が令和に替わってから参加した自衛隊行事についてです。

練習艦隊旗艦「かしま」艦上レセプション 5月12日

この年度の練習艦隊行事には、3月の卒業式、神戸の寄港をお出迎えし、
大阪の壮行会に参加、さらに神戸での艦上レセプションにお呼びいただき、
ほとんど追っかけといってもいい密着参加をさせていただきました。

 

練習艦隊は帝国海軍時代から江田島を「ロングサイン」で送られて出港後、
国内巡航を何ヶ月か行い、その最後に横須賀から出国していくのが倣いです。

レセプションのテーブルには、さっそく鶴亀をあしらった
「令和」の文字入りスイカカーヴィングが登場。

「かしま」の給養が腕を奮うレセプション料理も、心なしか
横須賀が一番豪華で品数も多いような気がします。

今年は神戸でも横須賀でも、隣に接舷した「いなづま」を解放して
会場を二隻に分けて行われていました。
招待人数がどちらも多かったということなのでしょう。

「かしま」艦上で挨拶を行う練習艦隊司令梶元海将補。
後ろの暖簾は「いなづま」からもってきたものと思われます。

会場を二手に分けることで、ご覧のように余裕ができました。
「かしま」だけではBGMを演奏するバンドも入れられません。
甲板に余裕があって、この決定は参加者にとって大変ありがたかったです。

艦上レセプション中の一種の「アトラクション」となっている
(乗員にとっては日常ですが)自衛艦旗降下は、今回
「いなづま」の方で見学しました。

練習艦隊出国行事 令和元年5月21日

練習艦隊が遠洋航海に出航する日、横須賀は大変な雨でした。
出国のための行事は体育館で行われることに。

レインコートを着ていてもこれは大変そう・・・。

梶元司令の手記によると、1週間前から当日を中心として
前後1日は悪天候が気象予報によって予想されていたため、
毎日その予報ができれば前にずれることを願っていたそうですが、
それもかなわず、どんぴしゃりで当日に当たってしまったのとか。

出航していく「いなづま」。
これは船乗り的に「暴風雨」というべき天候だったそうです。

気の毒だったのは練習艦隊の出航の間ずっと舷側に立っていた
横須賀港定係自衛艦の乗員の皆さんでした。

彼らですら顔を伏せてしまうくらいの雨が遠慮会釈なく吹き付けています。

 

 

そして「かしま」も出航となりました。
この日の房総沖は波高5mにも達し、艦隊は高波高域とともに
当面東進することを余儀なくされたということです。

出航直後からハードモードに見舞われた練習艦隊。
航海に不慣れな実習幹部たちにとって初めての「洗礼」です。
4.5mから5mの高波高域は出港後まる4日続きました。

このため練習艦隊司令は、出航直後から下艦を申し出る者がいるかもしれない、
と懸念していた、と書いておられます。

(何年に一度かはそういうことをいう人がいるというなのことでしょうか)

幸い、今回は全員が無事にその困難を乗り越えました。
大変そうな人(寝たきり状態になってしまっている人)には、

「ベッドに横になっているときにでも次第に体が揺れに順応し、
慣海性が涵養されていく」

といって安心感を与えたということです。

それにしても「慣海性」という言葉は初めて目にしました。
船乗りの世界ではポピュラーな言葉なんでしょうか。

 

掃海隊殉職者追悼式 にともなう
「うらが」艦上レセプション 5月27日

毎年5月の海軍記念日(27日)前後の週末、高松の金刀比羅宮で
戦後機雷掃海に従事し殉職した掃海隊員の追悼式が行われます。

ここ何年か、追悼式とその前日に高松港で行われる
掃海母艦のレセプションにご招待いただき出席してきました。

この季節、高松港に浮かぶ掃海母艦の甲板で行われるレセプションは
大変風情のあるものです。

甲板からは瀬戸内の島々の間に沈む夕日を眺めることができます。
こんな艦上レセプションは高松でしか体験できません。

広い掃海母艦で日課の自衛艦旗降下が行われるときも、
他のレセプションと違い(笑)おじさんが幹部と旗の間に
強引に割り込んでくるようなことは決してありません。

この日の「うらが」艦上で目撃した謎の飾りもの。

 

掃海隊殉職者追悼式 5月25日

機雷掃海活動で殉職した自衛官の慰霊碑は、
金刀比羅宮の参道途中の森を切り取ったような小さな広場にあります。

ここに、殉職隊員の遺族の方々をお呼びし、追悼式を行うのですが、
年々参加する遺族の数は減っていっているようです。

昔は遺族の方々のあと来賓が先に献花を行っていたこともありますが、
ここ何年かは掃海隊部隊をはじめとする「自衛官ファースト」です。

阪神基地隊サマーフェスタ 6月1日

阪神基地隊のサマーフェスタ。
たまに他の基地から護衛艦が多数来場していることもありますが、
このときはここを定係港としている掃海艇が展示されていました。

冬は餅つき、夏は鏡割りをアトラクションにしている阪神基地隊。
当時の阪基司令深谷一佐(中央)始め政治家の先生方が着用している法被は
阪神基地隊公式アイドルという噂のコウベリーズのお嬢さん方が着せかけたもの。

カレーだけでもたしか三種類出品されていて、食べ比べができました。
ミニカレーフェスタといった感じです。

観艦式前フリート・ウィーク

東京オリンピックの資材置き場に陸自の朝霞駐屯地が使われる、
という事情のため、順番が変えられて令和元年となった観艦式。

観艦式のために集結してくる全国の各海自基地からの艦船が
横須賀にその艦檣を並べる様子は壮観です。

観艦式そのものよりも、この風情を楽しむファンも多いのではないでしょうか。
「フリートウィーク」というのは、ニューヨークにアメリカ海軍の艦隊が終結し、
街中にネイビーが溢れるその時期をいうのですが、日本のフリートウィークも
お好きな方々にはなんとも心ときめく期間です。

わたしは今回観艦式ぎりぎりに帰国したため、これらの光景を
一切見ることがありませんでしたが、いつも写真をお借りしている
Kさんが、横須賀に日参して写真をいっぱい撮って送ってくれました。

しかし、わたしがまだアメリカにいる時から、観艦式本番前後は
おそらく台風になるだろうという心配の声が上がっており、
参加予定者と地本勤務の自衛官の必死の祈りもむなしく、
予定されていた三日間に台風が直撃。
令和最初の自衛隊記念日行事は中止となってしまったのです。

観艦式中止にともなう艦艇公開

観艦式に予定されていた日、横須賀基地ではいくつかの艦艇が
観艦式のチケットを持っている人たちに公開されました。

当日旗艦に予定されていた「いずも」にも、本来乗れなかった人たちが
乗艦することができたということもできます。

観艦式で訓練展示を行ってから帰港するまで、艦内では
乗員が工夫を凝らしたイベントを行うのが常ですが、
「いずも」甲板では消防士が張り切ってポーズを取ってくれていました。

イージス艦の豪華そろい踏みが見られるのもこんな機会ならでは。

ずらりと艨艟の檣が並ぶ様子は圧巻です。

今回は中国人民海軍の軍艦も招待されていましたが、中止が決まった途端
あっという間に帰国してしまったそうです。
シンガポール海軍やインド海軍などは、のんびりと滞在しており、
内部の公開こそしませんが、乗員が甲板に出てきている様子を見せてくれました。

シンガポール海軍のRSS「フォーミダブル」甲板にて。

練習艦隊帰国行事 10月24日

約半年前横須賀基地から見送った練習艦隊が帰ってきました。
行きは暴風雨でしたが、この日はかろうじて曇り。

この二日前、即位礼正殿の儀が行われ、国民は降り続く雨が
即位礼の直前に止み、虹が現れるという奇跡を見たばかりでした。

梶元司令の手記によると、今年の実習幹部は途中骨折して
手術のためグアムから帰国した一人をのぞき、大きな事故も
トラブルもなく無事全員が実習を終えることができました。

また、ラバウルやパラオなど、戦跡を訪れ、慰霊を行うとともに
先人たちの果てしない努力、苦労、そして覚悟を学んだということです。

自衛隊記念日 殉職隊員追悼式 10月25日

呉地方総監部で行われる殉職自衛官の追悼式にも、
ここ何年か列席させていただいています。

自衛隊記念日式典 10月26日

呉教育隊の体育館で行われる自衛隊記念日式典とその後の
昼食会?に参加しました。

その前に起こった千葉の台風被害に配慮して、祝賀会という言葉を使わず、
乾杯も行われませんでしたが、来賓はお構いなしに、スピーチのとき
おめでとうございます、と言ってしまっていました。

第一術科学校 オータムフェスタ 10月27日

呉に二泊三日で滞在し、その三日目に江田島のオータムフェスタに行きました。

自衛隊記念日の最大のイベントは、幹部候補生らで行う行進です。
術科学校校長は、あとから

「今年の行進は上手くいったでしょう」

とご満足のご様子でした。

このときは来賓としてご招待をいただいたので、
これらの分列行進を指揮台のある正面から観覧させていただきました。

懇親会のあと、皆が花火の開始を待っているところで
自衛艦旗降下が行われました。

花火を待つためにグラウンドで寛ぐ位人々。
かつてここで幹部候補生として訓練を受けていた人が見ると
「とんでもない」光景だそうです(笑)

江田内の海上に舟を浮かべて打ち上げる花火。
秋の花火は風情といいコンディションといい最高です。

潜水艦「とうりゅう」命名・進水式と祝賀会
11月16日

川崎重工業での新型潜水艦「とうりゅう」の命名進水式に出席しました。
山村海幕長が支鋼切断の儀式を行いましたが、あとでうかがったところ
「心臓がバクバクするほど」緊張されたということです。

「とうりゅう」はリチウムイオン電池を搭載しており、従来型より
長時間の潜水が可能となっています。

自衛隊音楽まつり 

先日ご報告をようやく終えたばかりの音楽まつり。
当日になって急にチケットが舞い込んできた予行演習を含めると、
三日間の公演に全て参加することができました。

ご手配をいただいた関係者の皆様には、心からお礼を申し上げるとともに
当ブログ掲載を持ってご報告に変えさせていただきたいと存じます。

実はもう一件、たいへん重要な自衛隊イベントに参加しているのですが、
それはそのうち機会を見てご報告をすることにいたしましょう。
(間違えて途中でアップしてしまったので読まれた方もおられるかも)

というわけで昨年一年中に参加した自衛隊行事のご報告を終わります。

今年もそのような機会をいただければ、万難を排してでも参加し、
粉骨砕身見学を行いここでお伝えしていきたいと思っておりますので、

そのときにはどうかよろしくお付き合いください。

 

 


観桜会〜新春企画・平成30年度自衛隊参加行事

2020-01-03 | 自衛隊

みなさま、お正月はどのようにお過ごしでいらっしゃるでしょうか。
わたしは今年正月明けにまたアメリカに行くことが決まったので、
三ヶ日は珍しく家にいて家族とすごしました。

元旦は東京駅前の「駅前ホテル」にお節をいただきにいきました。

枡酒が元旦のお屠蘇がわりに振る舞われ、ビュッフェテーブルの端に置かれた
「末廣」の樽は、外国人観光客の自撮りスポットになっていました。

このホテルは和食レストランを持たないので、例年お節は
どこかに外注していましたが、今年はキッチンのシェフが頑張ったそうです。

北海道などの食材をベースにした洋食をメインにしているキッチンが
作っただけあって、伝統のお節料理とは違う創作的な品が多く、
たとえばマカロンの間にフォアグラとジャムを挟んであったり、
パイケースにリエットを詰めてあったり。
田作りも数の子も辛さを抑え、海老には味がついています(笑)

MKは甲殻類を食べないのですが、わたしたちが前回お節を食べたのは
2年前だったのに、しっかり情報がプロファイリングされているらしく、
彼のお重にはエビがありませんでした。

その後、我が家行きつけ?の虎ノ門金刀比羅神社に初詣に参りました。

夜は家族の希望で「スターウォーズ」のレイトショーにいくことになり、
晩ご飯は「一蘭」というラーメン屋を初体験。
カウンターでもブースに囲まれているので個室気分で飲食ができ、
隣の人どころか従業員の顔も見ることがありませんし、
なんなら筆談で全く喋らずに従業員とコンタクトを取ることができます。

ラーメン屋に偉そうに叱られるタイプの店とは正反対のコンセプトで、
女性が一人で入ることもできるのがウリだとか。

スープのあっさり度、麺の硬さも五段階で選ぶことで
好みに寄せたラーメンになるのがいいですね。
世間の評価はどうなのかわかりませんが、わたしは美味しいと思いました。

「スターウォーズ」は9時から開始だったため、わたしは
前半いつの間にか寝てしまったのですが、後で聞くと、わたしが寝ていた時間は
ちゃんと観ている人にとってもわりとしょうもなかったということなので、
レイとカイロ・レーンの対決の前に起きて正解だったと思います。

 

 

さて、昨年1年間に参加した自衛隊行事を振り返る企画、
三日目となりました。

潜水艦「しょうりゅう」命名・引き渡し式
3月18日

川崎重工業において引き渡された「しょうりゅう」が
出航していくのをお見送りしました。

練習艦隊神戸港寄港 3月18日

実は川重での潜水艦引き渡し式の同日朝、わたしはすぐ近くの神戸港にいました。
練習艦隊が寄港してくるのをお出迎えするべく駆けつけたのです。

このとき、やはり昼前からの潜水艦引き渡し式に参加よ予定であった
村川海幕長は、ホテルからここまで文字通り「駆けつけて」いました。

お供と一緒に走ってやって来られたのです。
ジャージを着て海将オーラを消し、埠頭の端に立って練習艦隊を見つめる
海幕長の姿はとても感動的でした。

このとき、呉地方総監や海幕の先任伍長も海幕長と一緒でした。

神戸のお迎えは阪神基地隊の主催であることから、
お出迎えは仮面ライダー「的な人」と、神戸のご当地アイドルでした。

新幹部たちにとって宝塚のショーと同じくらい印象的な出迎えだったと思います。

続いて行われた大阪における地元水交会主催の壮行会。
ここでは毎年宝塚歌劇団の激励ショーが行われます。
「海を行く」や「糸」などの歌唱に新幹部たちは感激の様子でした。

練習艦隊「かしま」艦上レセプション

大阪での壮行会の返礼として、寄港中の神戸港では
練習艦隊主催の艦上レセプションが行われました。

 

関西でしか見られない、名物「レセプション料理のラップがけ」。
こうしておかないと、開式前に料理を食べ始めてしまう人がいるからです。

乾杯も済まないのに食べるのはいかがなものかと思っていても、
誰か一人勇者が食べ始めてしまうと、もう一人が食べ始め、

「行儀が悪い連中やなあ。でも今食べへんかったらなくなってまう」

と三人目が思うことによって決壊したように皆が食べてしまう。
メカニズムとしてはそういうことだと思うのですが、疑問は、全国の
どこの港にも現れないその「最初の一人」がどうして関西にのみ出現するのか、
ということなんですよね。

練習艦隊の艦長たち。
右から「かしま」艦長、「いなづま」艦長、そして「やまゆき」艦長です。

そして乾杯の次の瞬間、乗員がラップを取ると同時に
客が横から箸を突っ込んできております(笑)

わたしの横の人もスマホにこの瞬間を収めていますね。

夕日の沈む神戸港における自衛艦旗降下。

 

呉地方総監部 観桜会 3月29日

三月末に行われるので、毎年桜があるかどうかは微妙なところ。
呉地方総監部の観桜会、平成最後は残念ながらほとんど桜なし。

まあ、全く咲いていないというわけではありませんでしたが。

しかしその残念さを補って余りあるアトラクション?
呉地方総監自らのラッパ演奏による自衛艦旗降下が行われました。

もうすでに公示になっているのでご存知の方も多いと思いますが、
杉本海将は令和元年12月の人事で横須賀地方総監に転勤されました。

自衛隊の人事はずいぶん前に決定され、(わたしに移動を報告してくれた
ある自衛官は、11月中にそれを既に知っていた)その結果はあっというまに
人から人へと伝わっていくもので、わたしはこのことを12月に入ってすぐ、
海自OBのお歴々から聞き及んでいました。

わたしがそのニュースを知って真っ先に思ったのは、
杉本海将の自衛艦旗降下ラッパはもう聴けないだろうということです(涙)
その後お話ししたとき、

「二度とやらないなんておっしゃらずまた聴かせてください」

とお願いしておいたので、呉勤務が続けば可能性はあるかと思ったのですが、
横須賀ではなんというか、総監がラッパを吹くような雰囲気じゃなさそうなので・・。



江田島 第一術科学校観桜会 3月30日

呉の次の日に行われた江田島の観桜会。
呉では全く咲いていなかった桜ですが、こちらでは
かろうじて咲いていないこともない、という状態になっていました。

江田島では皆が桜に「咲け〜!」「咲け〜!」と声をかけたそうですが、
もしかしたらその叱咤激励の賜物かもしれません。

ここでの観桜会は昼間のイベントとなりますが、午前中には
構内の見学ツァーが催されます。

ここをもうすぐ取り壊すと聞いていたので、写真を撮っておきました。

赤煉瓦横の大戦中からある校舎の取り壊し理由は
「歴史的価値はないから」だそうですが、この言い方はどうなんだろう。

海軍兵学校の頃からあったというだけでも、立派に「歴史的価値」はあると
わたしは思うんですけど、まあわたしは廃墟フェチといわれるくらい
古い建物に執着するタイプですので、わたしのようなひとに決定させたら
古いものには何も手をつけることはできなくなるでしょう。

この年の秋訪れたときには覆いがかけられ、取り壊し作業にかかっていました。

構内で一番立派に咲いていたのが、この「第二の同期の桜」です。

この日の懇親会で供された第一術科学校お手製のケーキ。
「平成最後の桜」と名付けられていました。
チョコレートは桜の幹、周りのブルーのゼリーは江田内を表します。

ちなみにこれは幹部学校訪問で校長ら幹部の皆様といただいた
会食のデザートにでてきた手作りのお菓子です。

デザートのために下に敷いた紙にお花を手描きしたのではないかと思われます。
いつも彼らの心遣いとおもてなしの気持ちには感動せずにいられません。

 

海上自衛隊八戸航空基地 観桜会 4月25日

北の桜は連休の頃満開になります。
日本列島が南北に長いことを、わたしは八戸の桜を見て
改めて実感することになりました。

後少しで御代がわりという4月下旬、海上自衛隊八戸基地の
観桜会あらため意見交換会に行ってまいりました。

なぜ観桜会といわないかというと、このわずか2週間前の4月9日、
近隣の空自基地、第302航空隊のF-35が墜落して、まだ
自衛隊では全部隊を上げて機体を捜索中という状態だったからです。

乾杯も祝辞も行われず、八戸基地第二航空群司令の瀬戸海将補は、

「隣同士であり空自と海自の違いこそあれ同じ航空基地の仲間なので
このニュースは我々にとっても本当に心が痛むものです」

というようなことをスピーチされました。

その後事故原因はパイロットがバーディゴ(空間失調症)に陥り、
平衡感覚を失って、自分が墜落しているとは認識しないまま、
時速
1,100kmの速度で機体ごと海に突っ込んだらしいことがわかりました。

 

漁港でもある八戸は、特に海産物が安くて美味しい土地ですので、
この意見交換会における料理も品数豊富でおいしかったです。

昔ここには陸軍の飛行場があり、陸軍少年飛行隊が置かれたこともあります。
旧軍の基地駐屯地だった場所には必ずといっていいほど
桜の木が残っていて、かつてのようにみごとな花を咲かせています。

しかし、この日の八戸の桜は、天気のせいなのか、心痛む殉職事故のせいか、
いつにも増して儚げな、もの哀しい色をしているように見えました。

 

続く。