ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

三井造船資料室~呂号44と橋本以行中佐

2014-07-31 | 海軍

呂号潜水艦というのは大日本帝国海軍の潜水艦型のなかで
艦体の規模で3つにわけた等級の2番目にあたります。


一等潜水艦はご存知「伊号」潜水艦で「海軍大型」を意味する「海大型」である

「伊号第51潜水艦」 全長91.44m、基準排水量1390トン

に対し、呂型は
冒頭写真の

「呂号44潜」で
全長80.50m、基準排水量960トン

というものです。


等級の3番目は日露戦争の際ロシアに対抗して作られた「ホランド型」潜水艦
1909年にヴィッカースから輸入したものとそれをひな形にして日本で作った「波型」で、

ホランド型 全長20.42m、103.25トン

波型 全長38.48m、排水量304トン

という可愛らしさです。
可愛らしいと云えば(笑)ついでにわれらが陸軍潜水艦、「ゆ」「まるゆ」も比較しておくと、

全長 41.41m 排水量 274トン

ですから、小さい小さいと言われていても「まるゆ」は日本が最初に作った
(技術がないのでアメリカの潜水艦を買ってきてばらして組み立てた)
ホランド型の2倍はあったということになり、波型よりも3mも大きかった、
ということですね。
あまり「まるゆ」を馬鹿にしないようにね。

余談ですが、これを書くために実に久しぶりにwikiの「三式潜行輸送艇」の記述を見たら、

わたしが最初に見たときの2倍に記事が増えており、当時はなかった

「汝は何者なるや?」「潜水可能なるや?」

と海軍艦にディスられた話もちゃんと掲載されてるうえ、お披露目の際

「すぽーんと潜っていったのを見て海軍は『沈んだ』と大騒ぎ、陸軍は万歳三唱」

というあのシーンにもちゃんと追加説明がなされているのに驚きました。


やはり「艦これ」のブームはこういうところにも影響しているのね。

「萌え化」というのは必要悪とでも言うのでしょうか、調子に乗って何でも
「そちらの方」に持っていこうとする
不逞の輩が後を絶たないため(オタクのヤオイ系?)、
顰蹙と、それゆえ支持する方にも一種の「疾しさ」がつきものの現象だと思うのですが、
「艦これ」が既に愛好者の一般化による「皆でやれば怖くない」状態に突入しているのは
先日のカレーグランプリイベントの人出を見ても明らかなところです。

功罪だけで語ればこういう知識の普及拡大という功績もあるわけですしね。

これも時代だし目くじらを立てるほどではないのではないかと思っています。

ただ、実際に軍艦に乗っていた軍人たちが生きてこれを見たらどう感じるのか、
ということをわたしとしては正直考えないわけではありませんが(笑)


さて、呂号潜水艦に付いてはこのブログで一度だけ、

「潜水艦ろ号未だ浮上せず」

という藤田進主演の映画について書いたときお話ししています。
最後に描いた「俊足芸者幸子」がごくごく一部の読者に受けたエントリですが、
この映画が伊潜ではなく呂号をテーマにした理由はなんでしょうか。

「潜水艦ろ号未だ浮上せず」のエピソードの中に、この呂潜が

「原子爆弾を積んで航行中のインディアナポリスを沈めた」

というフィクションがあるのですが、実際に原子爆弾をテニアンに輸送後
航行中の「インディアナポリス」を撃沈した伊58潜の艦長であった

橋本以行(はしもと・もちつら)海軍中佐(海兵59)

が、実際に呂号潜水艦の艦長をしていたこともある、という関係で
その著書から映画のエピソードを拾ったからではないかと思われます。

玉野の造船所で「ふゆづき」の自衛艦旗授与式があったと報告したとき、
ここで建造された呂号44に関連してある読者から橋本中佐の著書

「伊58帰投せり」

をご紹介いただきました。
橋本中佐はやはり中型の「呂31潜」を始めに、「伊158」を経て
冒頭写真の「呂44号」ができたときの艦長を務めています。

まだこの紹介していただいた本を手に入れていないので、
いただいたお便りからの引用になりますが、橋本中佐が偽装から係った潜水艦、

「伊24」「呂44」
伊58」

のうち、この「呂44」が

「 
最も無駄が少なく整然と建造された」

と書かれているのだそうです。
無駄がなく整然と、というのはどういうことかというと、
橋本艤装艦長にとって「伊24」(佐世保)「伊58」(横須賀)は 

 
いわゆる「親方日の丸」の言葉のもとに物資や時間の浪費が平気で行われ

その点三井造船はそうでもなかった、という意味らしいのです。
それでは民間工場はどうであったかというと、今度は反対に、 
杓子定規に契約したことだけを工期内にやることを第一義としていたようで、

やり直しを頼めば「ボーナスが減る」と返答する有様である。
無断で操作でもしたら、損害賠償といい
兼ねまじい有様であった。

というような状態。


こういう建造側の態度がではどう現場に悪影響を及ぼすかと云うと、

完成して引渡しがすむ
まではなに一つ練習させることも研究させることもできず、
急速訓練上には大いに支障があった。

と橋本艦長は嘆き節です。
 


橋本以行が冒頭写真の呂44
潜に着任したのはインディアナポリスを撃沈した
伊58潜に艦長就任するその前で、当時橋本は33歳。(一ヶ月後に34歳)

ここからもメールで頂いた著書からの内容になりますが、橋本は
艦長着任にあたって
艤装が済んだ艦に電探を装備するように、呉工廠等の各部署に要請をしたのですが、
結局電探は装備されることがないまま昭和19年ラバウルの前線に出ることになってしまいました。

その理由というのが内部の工事分担の縄張り争いなどのためだというのです。
橋本にとって他の海軍工廠よりも「無駄なく整然と建造された」と評価した
この三井造船においてもやはり 
所謂お役所仕事の弊害があった、ということでしょうか。

 戦争と云う国家の一大事に直面しようかというのに、とても現場では
己の主張ばかりが強く、とても「挙国一致」とは言いがたいのが実情だったというのは
後世の我々にしても、組織というものが陥りがちな事態というのは
たとえ非常時であってもいつの世も同じであるということの証左に思えます。

さて、呂型潜水艦のことを「海軍大型」の海大に対し「海中」型というのもあります。
海中型で戦線に投入されたのは最終型であった海中型6号の2隻だけでした。
44号の「35型」はいわゆる戦時量産タイプで、文献によっては

海中VII型二等潜水艦

と呼んでいるものもあります。
ここ三井造船では

呂号44、46、49、50、55、56

を建造しています。
特に橋本中佐が艦長であった呂号44については特に三井造船が

「技術の粋を集めて建造した当社の潜水艦1番艦です」

と記述をしているように、最初の潜水艦建造であったからこそ、
橋本のいうところの「縄張り争い」も起きたのかなという理解もできます。

この呂号は三井玉野にとって最初で最後の潜水艦建造となりました。
しかし量産効果で手際が良くなり、最後の呂56は1年弱で完成しています。




三井造船はこの頃、潜水艦だけでなく掃海艇や
この画像のような規格型戦時標準船の大量建造も行っていました。


量産型であれば何かと手抜きや不備も多かったのではないかと言う気もしますが、
案外この呂型は、大きさが手頃だったせいで運動性能にも優れ、
現場からの評判は悪くなかったということです。

ただし、潜水艦というものの宿命として、戦時中の頻繁な喪失は避けられませんでした。

ここ三井で建造された呂型の退役年と艦長名を記してみましょう。

呂44号・・・・1943年建造、1944年マーシャルで米護衛駆逐艦の攻撃を受け戦没。
      艦長 上杉貞夫 大尉:6月16日戦死 運用期間9ヶ月

呂46号・・・・1944年竣工、1945年沖縄で艦載機の攻撃を受け戦没。
      艦長 木村正男 少佐:4月25日戦死 運用期間1年2ヶ月

呂49号・・・・ 1944年竣工、1945年沖縄方面で沈没と認定。
      艦長 郷康夫 大尉:4月15日戦死認定 運用期間1年1ヶ月


呂50号・・・・ 1944年竣工、1946年4月1日 五島列島沖で海没処分。
      最終艦長 今井梅一 大尉:  


呂55号・・・・1944年竣工、1945年ルソン島西方で米護衛駆逐艦の攻撃を受け戦没。
      艦長 諏訪幸一郎 大尉:1945年2月7日戦死 運用期間4ヶ月

呂56号・・・・1944年竣工、1945年、沖縄南東で米護衛駆逐艦らの攻撃を受け戦没。
      艦長 永松正輝 大尉:1945年4月9日戦死 運用期間5ヶ月

 
橋本中佐が艤装艦長を務めた三井造船最初の潜水艦呂44ですが、
橋本が伊58潜の艦長に転勤して上杉大尉が艦長になって一ヶ月後、戦没しています。

このように、潜水艦の寿命は大変短いもので、 内海で訓練の後に第一線に投入し
初陣で戦没、あるいは竣工から数ヶ月で喪失という例も多かったということです。


橋本中佐がインディアナポリスを撃沈したのは有名ですが、これは
後にも先にも橋本が艦長としてあげた唯一の戦果でもあり、
呂号全体の戦果でも駆逐艦、輸送艦など数隻を撃沈したに留まります。

これに対し、最後の海中型である呂33、34型、
海軍小型である呂100型の18隻、
そしてこの呂50号を除く35型の17隻。

大戦中投入された計37隻の「呂型潜水艦」は、一隻を残して全て戦没しています。

 




 


ボストン探訪~学生街ボストン

2014-07-29 | アメリカ

昨日の閲覧元URL記録を見ていて、ふとUK並びに
ドイツのグーグルからヒットがあったらしいことに気づきました。
台湾のwikiに当ブログのページが貼られていて、ときどき
そこからの閲覧があるのは知っていましたが、ドイツとは・・・。

で、同日の閲覧ページに久々に上がってきていたのが
「秋水くんとコメートくん」
という4コマ漫画のエントリで・・・・。
まさか、これをドイツ人に見られたんじゃないだろうな。

と心配しているところのアメリカ滞在中であるエリス中尉です。 
いやー、世界は狭くなったものですねえ(棒)


さて、毎年わたしたちがアメリカにいる時期、一度は家長である
TOが夏休みを取って遊びにきます。
大抵は西海岸にいるときなのですが、今回はボストンにやってきました。

その理由はわたしが落馬事故で右手首を骨折し、
8月の再手術で骨を固定している金具を取るまでは
決して多い荷物を持たないようにと医師から言い渡されているため、
大量のトランクを持って東から西海岸に移動するのに不安が
(わたしじゃなくてTOが)あったからです。

息子ももう大きいので重いものは任せてもいいのですが、
心配性でかつ愛妻家のTOはやはり自分が行かなくては!
と張り切って自分が出動してきたというわけです。

彼に取っては東海岸は実に久しぶりなので、滞在中、
普段はわたしも行かないような昔住んでいた地域やお気に入りの店、
ボストン美術館などを毎日見て回りました。

そして、この日、わたしたちはTOが留学していたボストンの
大学キャンパスを久しぶりに訪ねることにしたのです。



ボストンには大学がたくさんあります。
この大学はその中でも特に古い歴史を誇ります。



大学最大の図書館。
何本も立ち並ぶ立派な柱と石段が有名です。

この図書館は、ここの学生だった息子を海難事故で失くした
資産家の両親が、息子の思い出のために寄付したお金で作られました。

 

彼女が寄付をするとき、大学関係者にこんな注文をつけたそうです。

図書館内にいつでも花を絶やさないこと。

当大学の学生には水泳を習うことを義務とすること。

図書館内でアイスクリームが食べられるようにすること。

花は当然として、「水泳」は、彼女の息子が海難事故で死んだのは
彼が泳げなかったせいだと彼女はそのことを悔やんでいたためであり、
アイスクリームは息子の好物だったからです。



水泳を習わせることは学生が多くなると不可能になり、
アイスクリームもなかなか難しいものになってしまい、
現在では花を飾ること以外は廃止されました。

廃止に当たっては寄贈者がとうに故人となっていたため、
遺族にその許可を得たそうです。


ところでこの海難事故ですが、彼らの息子が乗っていたのは、
あのタイタニック号でした。
突っ込むわけではありませんが、もし彼が泳ぎができたとしても
助かる可能性はあまりなかったという気がするのですが、
それでも親なら「もし泳げたら助かったかも」と
わずかな可能性を思いこころをいためるものなのでしょう。



寄贈によって大学の建物に自分の名前を遺す、というのは
アメリカの名門大学の出身者にとって名誉なことです。

「ある愛の詩」で、主人公の学生が恋人になる女学生に
父親が寄贈した建物の名前と同じであることを聞かれて

「あれは親父がやったことで僕とは関係ない」

とふてくされるシーンがありましたね。

あるいは、夫の遺産を、夫の出身校に寄付する未亡人もいます。
ある日、大学の事務局に老婦人が訪れてこういいました。

「当大学出身の夫が亡くなりましたので、
ほんの少しですが寄付をさせていただければと思うのですけど」
「それはそれは。お志だけでも大歓迎ですよ」
「本当に少なくて申し訳ないんですけど」

彼女がそう言いながら出した小切手には50億円が書かれていたそうです。

どこの大学でもそうですが、特にこの大学は、寄付金などを蓄積してきた、
米国内はもとより、全世界でも飛び抜けて巨大な大学基金によって支えられています。
年間の寄付金(エンダウメント)は、約800億円。

ちなみに日本の
21世紀COEプログラムは年間全予算が約370億円です。

 

ツタが絡まるれんが造りの校舎はかなり昔からバリアフリーです。



ゲートをくぐっているのは警備員。
アメリカの大きな大学は警察を持っていて、
パトカーで学内を警邏しています。


広大なキャンパスはあちらこちらが区切られ、門が区画を区別します。



学校の敷地の中に教会もありますが、TOに聞くと
これは学校とは一応関係ないとのこと。

警備員の写真の右上に教会の塔が見えていますが、
これは大学の設備?でメモリアルホールといい、
戦没した出身者の名前(南北戦争)が壁に刻まれていた記憶があります。

ここでときどきコンサートが行われたので何度か行きましたが、
ここがイグノーベル賞の授賞式会場でもあることは当時知りませんでした。



「ああ~久しぶりだなあ!」

感極まったTOが嘆声を漏らします。
彼はここで勉強していたのです。



円柱の上にはラテン語で何やら書かれております。
因みにこの学校の卒業式には、卒業生代表がラテン語で卒業の辞を
述べるのが慣例になっています。
TOのときには確か女子学生が総代でした。



その偉容に圧倒されそうになる学舎。
アメリカの大学って本当に威厳に満ちていて、
歴史の重さを肌で感じることが出来ます。

このような環境で勉強する学生は嫌でも誇りと挟持を持って
大学名に相応しい学問の徒であろうとするでしょう。



「あれ~!こんなものができてる!」

彼がしばらく来ないうちに、大学は新しい学生センターを完成させていました。

「そう言えば、これこれを造るから寄付をよろしく、ってきてたなあ」
「寄付したの」
「してますよー。毎年少しずつコンスタントにしているのもあるし」
「それがランプの傘とか花瓶代くらいにはなってるわけね」

新しいホールに入ってみました。



TOの恩師その1。



TOの恩師その2。

「気難しい先生でものすごく怖かった」

そうです。
確かにそんな感じですね。



毎日ここから入っていったそうです。



無駄に多い柱に支えられたアーチ。



この学校で最初に造られた図書館。

昔、この図書館はタバコの火の不始末で全焼したことがあるのだそうです。
しかし不幸中の幸い、最も貴重な初版本の何冊かを、不始末をした学生が
家に借りて持っていたため、焼失を免れました。

本来ならばその学生は退学処分になるはずだったのですが、
ここで学生は学校に取引を申し出ました。

「わたしを退学にしたら、これらの本は返さない」

それは取引ではなくて
脅迫ではないのかと思ったあなた、あなたは正しい。
どう見ても立派な脅迫ですありがとうございます。 


しかしこの辺りがこの大学の面白いところで、
引っ捕らえて脅迫罪とか器物損壊で訴えてしまうことなく、
彼の申し出の通り彼の学籍の確保の保証と引き換えに
貴重な本を取り戻し、双方ハッピーとなったそうです。



大学創始者と皆が思っている人物の銅像の周りには
いつも観光客や、ここで行われているサマーキャンプの生徒で一杯です。
本物の学生は今の時期ここにはおりません。

この銅像の人物は創始者ではなく、遺言で蔵書と所有不動産の半分をカレッジに遺贈した、
最初の寄付者で清教徒派の牧師です。

しかも本物はこの銅像のようにハンサムではなく、モデルは
全く別人だということです。



学内を歩いて反対側の門までたどり着きました。



1794年の卒業生、ジョセフ・マッキーンを記念した
「マッキーン・ゲート」であると書いてあります。
なぜマッキーンを記念しているのかまでわかりません。



「入学するまではこの門が高く見えたもんなんだよ」

・・なんか最近どこかで聞いたな同じセリフを。

「全然高く見えないんですがこれは」
「高くじゃないな。立派すぎるというか権威の象徴と言うか」
「確かに古くて趣はあるけどそんなに立派かなあ」
「これから入ろうとする人にはそう見えるんです」



さて、懐かしの母校を出て、次の目的地に向かいますと・・。



道沿いに東部工学系の雄、マサチューセッツ工科大学が見えてきました。
MIT、通称ミット。
ここを出ている知り合いはわたしの交友範囲では一人だけです。

今は某携帯会社で働いていますが、昔はBOSEにいました。
同居している彼のパートナーいわく、あのウェーブシステムは

「彼が内部のどこかを造ったはずよ」

だそうです。



かっこいいなあ。
言っては何だけど、なんだかTOの大学よりMIT出身、という響きに
心の底から「すげー!」と思ってしまうわたしです。

通りがかりに見えるキャンパスのオブジェ。
割と最近出来たものらしく、見るのは初めてです。
全部数字で出来た人形は、いかにもMITらしい。



さらに進んでいくと、わたしのお買い物エリアである
ニューベリーストリートを横切るのですが、この地域に
あの有名なバークリー音楽大学があります。

そのせいでこの道の反対側は全て楽器店。



この辺りを歩いているのは殆どがここの学生であるため、
殆どが何らかの楽器を携えています。
髪をちょんまげにした東洋人は、まず間違いなく全員日本人です。

わたしの仕事仲間のベーシストもここに留学しましたが、
入学するなり見も知らない他の学生からセッションの電話がかかってきたそうです。

ちなみに彼女は日本でやはりミュージシャンの彼氏と付き合っていて、
お別れの原因というのが彼の「ドメバイ」だったというのですが、
バークリー在学中に付き合い出した男性も「殴る男」だったそうです。
わざわざアメリカに行ってまで殴る男と付き合わなくても・・・。

わたしはこの人生で殴る男性を一度も身近に見たことがないのですが、
その手の人とばかり付き合ってしまう女性っているんだなあ、
と妙に感心したのを思い出しました。




向かいに見えているのはシンフォニーホール。
ボストン交響楽団の本拠地です。
わたしたちがいたころ、まだ小沢征爾がボストン響にいたので、
演奏を何度か聴きにいったものです。

「オザワはボストンの人々にとても愛されているよ」

ボストン在住の知人はこう言っていました。


このようにボストンはカレッジを含む古い大学がたくさんあり、かつ
学校自体が歴史的史跡でもあるので、街全体が美術館のようです。

TOが「入る前は門が高く見えた」と言った日本の出身大学は京都にあるのですが、
このボストンと京都とは偶然姉妹都市です。

いずれにしてもどちらの門もくぐれてよかったね。








 


 


アメリカ食生活その2~ボストン美術館のレストラン

2014-07-28 | アメリカ

アメリカの食は決して悪くない、と常々このブログで書いていますが、
旅行者としてアメリカを訪れ、高くてまずいだけのホテルのレストランで
美味しくもないのにウェイターが

「エブリシングイズグッド?」

とか聞いて来るとグッド、とかイエスとか答えてしまい、
チップも置くはめになって忌々しい思いをし、
街中のジャンクなファストフードや空港のサンドイッチで空腹を満たして

「やっぱりアメリカは飯がまずい」

と決めつけて帰ってくる日本人は多いと思われます。
アメリカには美味しいものもたくさんあるのですが、それは
実際ここに長期間住んで、地元の人々の評価するレストランや、
ローカルフードを自分で調理するということでもないとわかりにくいものです。



アメリカの便利な点は、食材を自分の好きな量買えること。
スーパーに行くと、あらゆる食材、調味料やスナックがこのように
「バルク」という量り売りをしています。
写真はナッツなどのコーナーですが、レーズンやカシューなどの他に、
調理に使う豆や米(玄米、胚芽米、白米、ジャスミンライス、その他たくさん)、
カレーパウダーや蜂蜜、紅茶の葉、ピーナツバター、オリーブの身・・・、
これらも全て少しだけ買うことが可能。



さらに、ほとんどのオーガニックスーパー「ホールフーズ」には、
野菜や総菜をバッフェのように好きなだけ取り、その場で食べる
イートインテーブルがかならずこのようにあります。



このホールフーズは、イートインのためにダイニングがあり、
時々はここのキッチンで料理教室も行われています。
掲示板にはヨガ教室などのお知らせも貼られ、大抵は
ちょっとしたコミュニュティとなっているのです。



この日お昼ごはんに買ってみたのは、息子の持っているのがラップ、
わたしはニューイングランド・ターキーサンドウィッチ。

右側の白い飲料は、2年前新発売になったシリーズで、
カシューナッツミルクにアガベシロップでわずかに味を整えたもの。
アメリカには代替ミルクとしての飲み物がたくさんあり、
豆乳以外にもゴートミルク、シープミルク(無茶苦茶まずい)

ライス
ライススプラウト
アーモンド
カシューナッツ

などの種類豊富なドリンクがよりどりみどりです。



何度かこのブログではターキーを話題にしてきましたが、この、
脂肪が少なくあっさりとしてしかも味わいのあるターキーが、
わたしはチキンよりも好きで、とくにターキーハムを、
クランベリーとクルミの入った胚芽パンに挟んだ、このサンドイッチは大好物。

ターキーはどこでも手軽に手に入る肉なのですが、



これではありません。
これはワイルドターキー。
食用の足の短いターキーです。
ワイルドの方が食べられるのかどうかはわかりません。



ターキーを見た日、前にもお伝えしましたが、
学校の近くのアイスクリーム屋に行きました。

持ち帰りが出来ない、その場で食べる昔ながらのアイスクリームショップ。
種類は豊富で、おそらく100種のフレーバーがあるでしょう。



隣の牧場にはニュージャージ種の牛が放牧されています。
去年3頭しかいなかったのですが、今年は増えて8頭になっていました。



遠くにここの子供と牧場主らしい男性が車から降りて来るのが見えています。




向こうに見えているのは芝刈り機で、放牧場以外のところを刈ります。
牧場の方は牛が食べてくれます。

牛も団体行動をするのか、このとき一頭が水を飲みに向かうと、
皆ぞろぞろとついてきて一斉に水を飲み出しました。



牧場主の自宅は、放牧場と同じところにあります。
アイスクリームを食べに来る客のために、このような
ホルスタインの親子を飾っていますが、長年の観察によると、
この牧場主とアイスクリーム屋のウルマンさんは別の人である模様。
アイスクリーム用のミルクはここから購入しているのかもしれません。



ニュージャージー種と同じ柄のセントバーナード。
この犬は牛をバックに何枚も飼い主が写真を撮ってあげていました。
老夫婦の子供がわりのように見えます。



どうも老犬らしく、自力で車に乗ることがなかなか出来ません。
飼い主も巨体の犬を抱えることもままならず、
長い時間かけてやっとのことで座席に上げていました。

夫婦と共に犬も年を取ってきたのでしょう。



さて、今年はボストンにTOが来たので、わたしの恒例である
ボストン美術館見学に二人で行きました。

このカフェは新しく併設された部分で、元々は外でした。
奥に見えているのがかつての外壁です。
明るく天井の高いスペースにある、ちょっとした食事もできるカフェです。

一人で来たときに軽くサラダを食べたことがありますが、
二人なのでちゃんとしたランチを取ることにしました。



前菜とメイン、デザートがついて来るコースを取ってみました。
それぞれいくつかから選べます。
まず冷たいガスパッチョ。



メインはアーティチョークのキッシュ。
アーティチョークも日本ではあまり見ませんが、
こちらではサラダの具やスープに多用されます。

キッシュは絶妙の柔らかさで、しかも暖かく、
外側のパイはサックリとしていながら口の中で
ほろほろとほどけるような食感。

TOの頼んだのはサーモンですが、赤いビーツとレモンの
ストリングのようなトッピング、そしてピスタチオの
ソースが単調なサーモンに味わいを加えてこれも秀逸です。





デザートは「エンジェルケーキ」。
エンジェルケーキとは、たまごの黄身を使わず、
泡立てた白身だけで作ったふわふわのケーキのことで、
大抵はリング型に流し込んで焼くのですが、ここでは一人分ずつ
カップケーキ型で焼いています。
ソースはラズベリーで、ピーチの煮込んだものが添えられています。

さて、ボストン美術館の素晴らしいところは、一度訪れたら
10日以内にもう一度同じ入場券で再入場できることです。

一日目に食事に時間を使ってしまったので、わたしたちはその翌日、
こんどはしっかり鑑賞するつもりで再訪しました。

すると入り口で

「今日はオープンハウスで、入場料無料です。
このチケットは10日以内にもう一度使えますから
取っておいて下さい」

と言われました。
どれくらいの割合かは知りませんが、当美術館では
こうやって時々、全ての人々に開放されるのです。
しかも週末は9時45分まで美術館は開いています。

あまりにも広大で、膨大なコレクションを誇るこの美術館、
いつ来ても全部見られたことはないのですが、
9時半までどう時間を使ってもいいのなら、ゆっくりと
(それでも全部は無理ですが)見て回ることが出来ます。

そして、そんな楽しみに食を提供するため、館内には
先ほどのカフェを含めて4つのレストランが併設されているのです。

この日、TOと、ここで一番グレードの高いレストランを予約し、
鑑賞の合間に夕食を頂くことにしました。



ブラボーというレストラン。
ミュージアムの中なのだから、もう少し凝ればいいのに、
なんだか直球みたいなネーミングですね。




テラス席があったので迷わずそこにテーブルを取ってもらいました。



手すりから下を見ると、美術館の中庭が広がっています。






皆思い思いにテーブルに座って、鑑賞の合間のひとときを楽しんでいます。
手前のお母さんと息子は、キャッチボールをしていました。

こういう時間と空間に余裕のある美術館で、一日過ごす楽しみ。
別に「勉強」のつもりで肩肘はって来る必要などないのです。
鑑賞に飽きたり、疲れたら、ここでずっと座っていてもいいのです。
極端な話、別に鑑賞しなくたっていいのですから。 




中庭を囲んでいるので、夕日を受けた背の高い木々から
吹き渡る風が夕方の空気を運んでくれます。
ボストンの夏は夕焼けのときがとても美しいのです。
 


床にこぼれているパン屑を目当てに、スズメも多数出張。



昨日のお昼、ガスパッチョが美味しかったので、ここでは
別の味が楽しめるかと思って頼んでみました。

どれもガスパッチョですが、違うベースで味が違います。
右からトマト、真ん中はおそらくパプリカ、左はズッキーニ。

日本のレストランのように運んで来るたびに料理の説明をしないので
何か分かりませんでした。

会話しているのを遮ってまで、メニューの説明を何としてでもしようとする
日本のあのサービスも時によりけりだとは思いますが、
こういうところでは少しくらい説明してくれてもいいかなと思います。



わたしの頼んだメインディッシュ。
カモのローストです。
ターキーもそうですが、わたしは日本で食べられないカモのような家禽が好きです。
日本では鴨南蛮とフレンチレストランで食べられるくらいで、
そもそも肉を買うことが出来ないのですが、アメリカでは
このカモのステーキというのもポピュラーです。

ところで皆さん、このカモの下にあるヌードル、何だと思います?
これ、うどんだったんですよ。
ジャパニーズ・ウドン・ヌードル。

ウドン、エダマメ、 ポンズ、フジアップルなど、日本の食材で
そのまま英語になっているものは結構あります。
大根は「ダイコンラディッシュ」。日本のカボチャは「カボチャパンプキン」。

白菜のことは「ナッパキャベッジ」といいます。
この「ナッパ」が「菜っ葉」から来ているのは明白ですが、
それが気に入らないらしい韓国政府が、これを「キムチキャベッジ」
と言う名称にするために頑張っているそうです。(なにを?)
しかし、あまり功を奏していないらしく未だに「キムチキャベッジ」になっていません。

日本海の名称もそうだけど、長年そう言うことになっている名称を
政府や一国が主導したからと言って、そんな簡単には変えられないと思うがどうか。



それはともかく、このうどんですが、オイリーなカモの下に敷いてあり、
どうもホースラディッシュにミソを混ぜたソースで和えているようでした。
添え物としては日本人には思いつかないアイディアですが、
これはこれでなかなか美味しかったです。

シソを乗せたカモの素晴らしかったことはいうまでもありません。



TOはマスを頼みました。
こういう場合、日本の料理人は顔を落とすと思うのですが、
あえておかしら付き(頭だけ)です。
しかも外側を黒こげのように焼いているので、我々日本人には
いまひとつの見かけに思われましたが、これが意外や意外!
マスのお腹をスライスして,中にポテトとリーキのソテー
(うちわのような育ち方をする太いネギの一種)が詰めてあり、
これもマスが淡白であるのを巧くカバーしていました。

さすがはボストン美術館、レストランのシェフも一流のようです。

「美味しいねえ」
「さすがは世界に名だたる美術館だけのことはあるね」

ルーブル美術館がそうであるように、美術館での観覧、
というのをただのお勉強の時間だけに終わらせず、
大人も子供も楽しく過ごせる時間にするための最も効果的な方法は、
美味しい食事を提供することなのです。

そう言えば、ある世界的なジャズミュージシャンが

「いいライブハウス?それはいいキッチンがあるところだよ」

と言ったという話がありました。
見る、聴くという楽しみを最大限に高めるには、「食べる喜び」
が大きな演出となるのです。

五感を全て刺激する美術館、しかも全ての人が訪れることの出来る施設。
こういうのが本当の「文化」だと思うのですが、皆さんどう思われますか。

わたしは、こんなときアメリカ人を心から羨ましく思うのです。
 





 


アメリカ食生活その1~ヒスパニック寿司

2014-07-27 | アメリカ

アメリカの食、というとほとんどの方は
ハンバーガーにピザ、ディナーはワラジのような肉、
皆夜は電子レンジで冷凍食品を暖めたカウチフード、
といった雑駁な、日本人にはとても受け入れられないものを
味覚の後進国民アメリカ人は量重視で食べまくっている、というのが
現状であると思われるかもしれません。

勿論、日本人の中にコンビニ総菜やインスタントラーメンばかり
食べている人がいるように、アメリカ人にもそういう人はかなりの数
いるわけですが、そうではない人だって実はかなりたくさんいるのです。

そしてアメリカの食は決して絶望的ではありません。
特に食材に関しては日本などよりよほど安く新鮮で素性のはっきりした
生鮮食品や加工品が手に入ります。


食材はオーガニック、ローカルフードを自分で料理して食べるといった
超こだわりの食生活を送っている人はおそらく日本以上にいますし、
厳格なベジタリアン、ビーガン(アニマルフードを取らない)は
徹底的にそれを厳守し、わたしは実は行ったことがありますが、
マクロヴィオティック道場を兼ねた宿泊施設なんてのもアメリカにはあるのです。

つまり、アメリカの食べ物は全てまずい、などと決めつけるのは偏見です。

もっとも外食になるとかなり美味しい店はその数が限られてきます。
そしてそんな中でも、なかなかマトモなものに巡り会えないのが、日本食、
特にスシというジャンル。

そもそも、本物の日本人がやっているスシ屋自体が稀少なのです。
本場のここ日本でさえ、たいしたことのない店やまずい店はいくらでもありますし、
多くの回転寿しは大抵美味しくないのですから、ましてやチャイニーズやコリアンが
アメリカで売られている「スシ・ハンドブック」を見て作ったようなスシが、
本物とは光年の彼我にまで隔絶した別のものになってしまうのは当然のことなのです。

しかし、わたしはここボストンに3年前オープンした、

「アメリカで非日本人が経営しているモールの回転寿し」

という、数え役満(麻雀しないんであまり意味わかってないんですが)
みたいなインチキ寿司屋に、アメリカのスシ現場の生の声をお送りするべく
体を張って毎年特攻をかけています。

2年連続でそのレポートをここにアップしてきたので、さすがにもう今年はいいかな、
と思っていた今年、日本からやってきたTOが俄然興味を示し、是非行きたいと
所望したため、第三次攻撃となる今回の突入を試みることにしたのでした。



この地域で比較的高級とされるこのモールには、アップルストアがあり、
ニーマンマーカスなどの高級デパート、一流ブランド品のショップが並びます。
写真は日本でも珍しいスタンウェイピアノの専門店。



この秋にユニクロがオープンするようで、日本人らしい社員が
パンフを配り説明するためにテーブルを出していました。



お店の名前は「ワサビ」。
こういう名前を付けるとき、アメリカ人は日本の
実際の寿司屋などをチェックするのかもしれません。
先日、

「シェフが推薦する世界のお店」

という本の日本のページを立ち読みしたら、大阪に
「わさび」という寿司屋があることが判明しました。
因みに、この本には他にいろいろ「アメリカ人のシェフが推薦している店」
がありましたが、どれもこれも聞いたことのない店ばかりでした。



日本ではあまり見ないタイプのコンベア。
ベルトに皿を乗せるのではなく、スリットから突き出た
短いバーに皿を乗せるオレンジのステーションがセットされています。



炙りのサーモンを一つ取ってみました。
上にかかっているのは何やら辛い、唐辛子ベースのソース。

そんなものが乗っていたらワサビと喧嘩しないか、って?

ご安心下さい。当店のスシにはワサビは一切入っておりません。
店名はワサビですが。

飲み物は、と聞かれたので「グリーンティー」というと、
伊藤園のおーいお茶のボトルがそのまま出てきました。
せめてグラスに入れようよ。

そして一口。

「うーん。やっぱりすし飯は酢の味がしない」
「ほんと?」

目を丸くするTO。

いや、厳密にいうと入っていないのではなく、
日本の寿司の10分の1くらいの量であろうと思われる
酢の匂いは時々しないでもないのです。

つまり、だしを全く使わず炊いたご飯に、いきなり
酢をちょろっと入れて混ぜただけのすし飯なので、
味がまだらについているんですね。どんなだよ。



「ほんとだ。酢の味がしない」

というわけで、結局わたしたちが取った寿司はこれだけ。
あとはテリヤキボウル状のものを頼み、寿司ではないものを取りました。

写真のクロウフィッシュ、というのはザリガニのことですが、
日本ではザリガニを寿司にすることはあまりありません。

てか全くありえねーよ。ザリガニ寿司。 

「伊勢エビのことかな」
「伊勢エビならロブスターっていうでしょ。
それに、わざわざロブスターをこんな店が使用するわけがない」
「じゃ本当にザリガニ・・・?」
「試してみる?」
「いいです」

最も無難であろうと思われるサーモン炙りがあれなのだから、
それ以上に素性の怪しいネタのものなど怖くて口に出来ません。 



こういう、外側ではなく内側にノリを巻き込む形の巻き寿司は
カリフォルニアロールの流れだと思うのですが、ノリで巻いて手でつかむ、
という巻き寿司の根本的な機能を全く理解していない構造です。

細巻きとか不格好な軍艦巻きはあるので、おそらくこれは不器用なアメリカ人が
太巻きを作れないからではないかとわたしはにらんでいます。

しかも、何でもかんでも「スパイシー」と称して唐辛子味をつけてしまう。
上質のネタにあっさりと少しだけ醤油とワサビをつけて食べるのが最高、
と考えている日本人にはありえないセンスです。

おそらく、彼らの使用するネタはろくなものではないため、
そのような食べ方では生臭いネタの味がごまかせないのだろうと思われます。



エビ天を巻き込んでいるそうです。
さすがに外側がご飯というのは見てくれが悪い、
という美意識くらいは持ち合わせているのか、いちいち外側に
わけのわからないソースをかける傾向にあります。

それがかえって見た目の悪さになってしまっています。



この「カズヨロール」というのも創業当時からの謎の一つ。
なんでもいいから日本人の名前をつけてみたのか。

ロールの上部にさらにネタを乗せる豪華版。
もう、日本のオリジナル寿司とは縁もゆかりもない別の食べ物と化しています。

寿司の内部にはお約束のアボカドが必ず混入。
前にも書きましたが、アメリカ人は寿司には必ずアボカドを使います。
きっと日本の寿司にもアボカドが入っていると信じているのでしょう。



ロールの上にエビを乗せ、マヨネーズをかけたもの。
なんのつもりか天かすをトッピングにしております。
見た目も汚いですね。



いなり寿司のことをアメリカ人は「イナリポット」というのですが、
これは「シーウィード・イナリ」。
ご飯ではなく和布蕪と人参を詰めてみました。
ヘルシーなアイデアですね。(棒)



TOが頼んだミソスープ。
緑のものが浮かんでいると思ったら、メキシコ料理によく使う
シアントロが浮いていました。

「みそ汁にこんな香りの強いものを入れるなんて・・・」

絶句するTO。
シラントロは、タイ料理にもよく使われ、タイでは「パクチー」、
中国では「香菜(シャンツァイ)」英語ではコリアンダー、
日本では「中国パセリ」といったりもするようです・

香りが独特で強いので、猛烈に嫌い、という人は世の中にたくさんいて、
息子などは「頭が痛くなる」そうです。
わたしは嫌いではなく、むしろメキシカンのときにはないと寂しい、
という程度に好きなのですが、さすがにみそ汁にはどうかと思いました。



寿司は回っているのを写真に撮るだけに留め(笑)、
あきらめたわたしは何か食べられるものはないかと
コンベアを流れてきた「そば」を取ってみることにしました。

確かにそばですが、ごま油の味がします。
いわゆる「そばサラダ」という位置づけのものではないかと思われます。

日本食と思わなければ許せる一品でした。



他に食べられるものはないのか、と思ったところに
枝豆が流れてきたので取ってみました。
いくらなんでも枝豆なら日本のそれと変わるところはないだろう。

と思ったら・・・・、

塩味がしない。

ゆでただけのシンプルな調理法です。
枝豆には必ず塩をふって食べるもの、という感覚の我々には
塩がないだけでかなり異様な味に思えました。

「僕の行きつけの小料理屋さんは枝豆の皮の毛も
こすり合わせて取ってくれるんだけど・・・。
まあ、でも塩抜き案外美味しいじゃない」

どうして食べるわけでもない枝豆の毛を取るのか、おそらく
この人たちには全く理解できないに違いありません。



日本の回転寿しのようにデザートの類いも回っています。
これは中にピーナツの入った豆だと思われます。

 

スポンジケーキにクリーム乗せただけの

「マウント富士ケーキ」

 

オイシイケーキ。ってなんなんだよ。
だいたい見本と現物が違いすぎないか。



でたー。
キャタピラー・ロール
カリフォルニアロールの中身にアボカドの薄切りをのせ、
人参で触角を付けて芋虫のできあがり。

食べ物を虫に喩えると言うセンスがもう終わっとる。



マグロの刺身をこれまた唐辛子で和えたものと思われます。



「あんな人が作っているんだからしかたないね」

オープンキッチンの寿司職人、とも呼びたくない従業員の
このような人相風体を見ながらひそひそ言い合うわたしたち。



決して美味しいわけでも感心したわけでもないけど、
ある意味日本人に取ってこういう店はネタの宝庫です。

ここがまずいことを知り抜いているわたしが、初回のTOを連れて
三度目の来店をしたのも、全ては本来のレストラン選びとは
全く方向性の違う、この理由によるものです。


ところで、かねがねここのオーナーは

「中国人ではない、韓国人でもない、日本人では勿論無い、
それじゃどこの国の出身か」

と思っていたのですが、写真を見ても分かるように従業員が全員ヒスパニック。
アメリカの寿司屋では従業員を東洋系にしているのがほとんどです。



ちなみにアボカドのロールの上に割いたカニかまと、
なぜかハムをのせ和布蕪をトッピングしたのが

「タイソンズ・ロール」

2年前からあるネーミングなので、もしかしたら
タイソン・ドミンゲスとかいうのがオーナーなのかもしれません。
それならメキシカンに使うおなじみの食材が入っている理由も納得ですね。

・・じゃなくて、みそ汁にシアントロ入れんじゃねえ!(怒)




 


ヒラー航空博物館~次世代型航空機

2014-07-26 | 航空機

去年の夏滞米したときに見学したヒラー航空博物館ですが、
あまりにネタを小出しにしすぎて、全部報告し終わらないうちに
またしてもアメリカに来てしまいました。
今はまだ東海岸ですが、西に移動したときにもう一度訪れて、
前回とは違ったアプローチでご報告していこうかなと思っています。



ヒラー博物館はアメリカの航空博物館の中でもそのアプローチが
非常に多角的で勝つユニークなものだというのが、いくつかこの手の
博物館を訪れてわたしが受けた感想です。

やはり科学革新という意味で先端のシリコンバレーを擁し、
航空機に関しても先端の技術が集結してくるせいか、
ただ従来の航空機をメモリアルとして展示するだけに留まらず、
現在進行形の航空技術のあり方を想起するような科学技術の一端を
このような展示で見せてくれていると感じました。



そのヒラー国空博物館の一隅にこのような航空機の模型がありました。 

一見かっこいいのですが、そのコクピットや窓から想像されうる大きさを 考えると、
わたしの場合、先に「キモチ悪い」という言葉が浮かんでしまいます。

これが例えばせめてステルスくらいの大きさなら何とかなるんですが、
どうして大きいとキモいのか。

「巨大な造形物恐怖症」というものがあります。
インターネット社会になって、今までなら人に話すことも憚られる
自分の中の「フォビア」について堂々と(匿名ですが)
語り合うことができるようになったため、
様々な「恐怖症持ち」がそれこそ仲間を求めてスレッドを立てたりしています。
そういうのを見ると決してこれが特殊なものではないと安心するのですが、 
この「大きな飛行機が怖い」というこの性癖を理解できる方はいませんか?

たとえば、わたしはキャッスル航空博物館で見た

 

これとか(ブラックバード)



特にこれとか(B−52)を見ると、かっこいいとかなんとかよりまず
水族館で巨大魚を見たときのような何とも言えない落ち着かなさを感じます。
怖い、とまではいかないのですが、なんというか・・・・・
やっぱり、キモチ悪い、というのが一番近い気持ちではないかと思います。
この冒頭写真の飛行機はどこからどう見ても「エイ」なのですが、
エイやイカ、タコ、マンボウ・・・巨大魚類に対する感覚に通じるものがあります。

というわけで冒頭の飛行体がもし巨大ならこんなキモいものはないのですが、
これは

BWB Blended Wing Body  

という次世代型といわれる航空機なのです。

貼ることはできませんでしたが、ボーイングのHPの映像を見ていただくと
いかにこの飛行体が「エイ」そのものであるかわかります。

スティングレイといわれるあのエイの尻尾までちゃんと再現されているんですよ。

このBWBはボーイング社がNASAとの共同開発を行っているものですが、
NASAは

「環境的責任 航空プロジェクト(Environmentally Responsible Aviation project)」

の一環として、20年後を視野においた航空機の研究をしており、
その具体的なモデルがこのブレンデッド・ウィング・ボディ型なのです。




研究段階なのでいきなり巨大な旅客機を作るわけにもいかなかったらしく、
まずは1:8.5スケールのものを作り、様々な研究が行なわれています。
ちなみにこのサイズが翼幅6mということなので、フルスケールとなると
約50m・・・・・・・・・・やっぱり怖い(笑)


風洞実験中。


バーチャルツアー。

ブレンデッドウィングボディ
というのは翼と胴体が一体型になっていることをいいます。
バーチャルツァーで内部を見ていただければわかりますが、客室が広いため、
全く窓に面していないコンパートメントが出て来る模様。
外が見えない乗り物、しかも航空機はおそらく受け入れられないと思うがどうか。

それだけが理由ではないと思いますが、
移動を目的とする一般人には、この飛行機、不評のようです。
今のところ旅客機の会社は、ほとんど興味を示していないようですね。

しかし「環境的責任」プロジェクトで、研究の結果この形が採用された、
ということに注目すると、このシェイプが
「省エネルギーの面で大きく意味を持っている」ということですから、
いずれはこういったタイプに航空機は移行していくということのようなんですね。
(やだなあ)

まず、このぬめっとした平たい形は空気抵抗がまず小さいので
省エネルギーであることはもちろん静音性が確保できます。
そして製造は簡単になるのかどうかはわかりませんが、
少なくともメンテナンスも楽そうです。
そして、貨物部が飛躍的に大きくなるので一度に輸送できる人員も増えます。

これは、万が一事故になったとき
それだけ被害も増えるということでもありますが。





OBLIQUE ALL-WING(オブリーク・オール・ウィング)

スタンフォード・テストモデル、と説明があります。
オブリーク、というのは「斜め」という意味で、オブリークウィングは例えば



こういう翼をいいます。
昔「斜め銃」を搭載した日本機がありましたが、あれだと
「オブリーク・ガン」なのかしら。
ついでに、「斜め上」は「Diagonally on」となります。関係ないけど。


All-wingという名称は、機体のすべてがこれ翼だからです。
これが飛ぶとこうなります。



怖いよこれ怖いよ。
だいたい、どっちに向かって飛んでるんですか。



と思ったら、飛んでる方向がわかる画像を見つけました。
斜に構えて進む飛行体だったんですね。
それでオブリーク、と。
なんかいろいろとツッコミどころの多い飛行体であるなあ。
どうやって着陸するの?とか、操縦席はどこ?とか。



ここにはこういった「普通でない形」の航空機のシェイプが
パネルで展示してあります。

ボーイング社のイメージカラーで塗装されているこの相胴の飛行機、
現代版のP−38か?と思ったのですが、これも「大変大きい」のだそうで、
相胴の片側はまるまる液体ガスかオイルのタンクになっていて、それらの
輸送を目的として作られたものです。

1970年のオイルショック後登場して来たコンセプトで、
その後代替燃料を模索する中、こういう輸送法も考案されました。



補助尾翼をつけた近未来的デザイン。
機能は向上すると思いますが、なんかかっこわるい。
なんだかバランスが悪いと思ったら、主翼にその機能を負わせるつもりだと思いますが、
水平尾翼が無いんですね。



ティルトローター式の飛行機。
オスプレイのテクノロジーをベースにしています。

ローターをティルトつまり機体側に傾けることによって垂直上昇が可能になるので、
都市間を結ぶの通勤用に使われることを期待しています。

これからのこのタイプの飛行機は、効率改善のために
翼の形がこのようになっていくだろう、ということです。

 
さて、ここで、わたしはどうしてもあの名前を出して来ざるを得ません。

 米国国防高等研究計画庁(DARPA)

の名前を(笑)

 

この、実にキモい飛行体は

ノースロップ・グラマン・スウィッチブレード

といい、アメリカがノースロップとグラマンに作らせた無人機ですが、
この飛行体のリスク軽減や 予備計画を公募したところ
DARPAの案が「受賞」し、
1030万ドルの「研究費」を獲得しました。

こういう形をしていますが、高速性、航続性、耐久性を求めた結果
このような形に行き着いたそうで、機体の下に付いているエンジン部分が
斜めに稼働し方向を変えるそうです。

斜め翼というのは
主翼全体を中心の一点を軸として斜めにある程度回転させるもので、
左右の片側は後退翼・もう一方は前進翼となるわけですが、
これは翼が回転しているのか、それとも下部が回転しているのか。

なんだか禅問答みたいですけど。


こういった変な、といってはなんですが、普通でないものを開発するとき、
そこに欠かせないのがこのDARPAだということがまた証明されましたね。

しかし途中経過はすべて省略しますが、案の定この計画は、

制御システムの難しさを理由にキャンセルされました。

負けるなDARPA。



これは解説の写真を撮り損ないました。

ボーイング2707SST


アメリカ初の超音速旅客機としてボーイングが1970年代に開発しました。
超音速旅客機といえば有名なのはコンコルドですね。

ところで私事ですが、アメリカにいる頃、ふと、
「コンコルドに乗ってみたいね」という話が出て、
まだその頃就航していたコンコルドの運賃を調べたことがありました。
答えは

「アメリカからパリまで普通運賃片道一人100万円」

ということで、その桁違いの高さに驚いたものですが、
コンコルドは、その非常識な価格と、滑走距離を要することがあだとなって
経営に苦境を来していたさなか、2000年7月5日の
シャルル・ドゴール空港での墜落事故
きっかけとなって事故の二十日後に運行停止になってしまいました。


コンコルド墜落事故

実はその事故が起こったのはわたしたちがたまたま値段を聞いた直後。
もしうちが家族三人往復600万の運賃がポンと払える富豪であったら、
丁度その日コンコルドに乗っていたかもしれない、くらいのタイミングでした。





さて、コンコルドもそうですが、超音速旅客機が発展しなかった理由の一つは、
ソニックブーム(超音速突破のときの衝撃)です。

なぜ次世代型航空機の話をしていてこの、少し古い話をするかというと、
このソニックブームの低減の技術は現在でも研究され続けており、
その研究を主導で行っているのが、DARPAでもあるからです。

わたしはこの組織を甘く見ていたかもしれない。
ちゃんとした研究もやっていたんですね。って失礼?

ちなみに日本でこのソニックブーム低減の研究をしているのはJAXAで、

低ソニックブーム設計概念実証プロジェクト(D-SENDプロジェクト)

と称するプロジェクトを持っているそうです。 


さて、20年後、世界の空にはどんな飛行機が舞っているのでしょう。

ブレンデッド・ウィングボディの実用化はおそらく疑いないところでしょう。
もしかしたらその20年後には葉巻のようなオールウィングの飛行体が
主流になる日が来るかもしれません。

ところで、この「葉巻型」でふと思ったのですが、UFOのシェイプって、
わりと今地球で開発されている次世代型航空機に通じるものがありますよね?

もし他の惑星から地球を訪ねて来るくらいの高い文明を持った生物がいるのなら、
彼らの乗っている飛行体はそのまま人類が将来的に持つはずの航空機と
そっくりであったとしても全く不思議はないわけですが・・。



 

 


朝霞駐屯地見学記~戦車と自走砲と装甲車

2014-07-24 | 自衛隊

地下指揮所の見学が終わり、朝霞駐屯地にある広報館、
通称「りっくんランド」の外庭に出ました。

ここには、陸自の現役戦車、榴弾砲、自走砲などが、
所狭しと展示され、しかも触り放題。

基地公開などで装備を見ることはあっても、大抵柵が周りに廻らされて、
それ以上は近づくことができません。

しかしここは、完璧に戦車たちが休業状態で展示されているので、
(動的展示は行うのかもしれません)

ぺたぺた撫でたりさすったりしようが、頬ずりしようが
—どうしてもしたければですが—、あなたの自由なのです。

前々から洞察しているように、多くの男性には、女性からは
理解の範疇を超える戦車と戦車的な装備への強い執着があるようなので、
もしこういうこと(頬ずり)ができるなら、わざわざ来てみよう、と
思う人ももしかしたら中にはいるかもしれません。

それはともかく、わたしたちはこの戦車的な装備群を、
陸自の現役自衛官のゴージャスな
案内付きで見学したのでした。




74式自走105mm榴弾砲

「自走式榴弾砲と戦車は、違うってご存知でしたか」

K1佐の問いに、わたしは黙っていましたが、TOは
知りませんでした、と素直に返答しました。


渡米して10日住んでいた町、フラミンガムのタウンホール前に
Howitzerと表記された銘板がついている「大砲」がありましたね。



息子と共に「ハウイッツァー」だと思い込んでいたところの(笑)
「ハウザー砲」であったわけですが、このハウザーとは、
榴弾砲の英語です。


榴弾砲、いう言葉の定義は、

「近いところに高く砲弾を撃ち上げる砲身の短い先込め砲」

となっています。

「しかしどう見てもこれは戦車ですよね」

とTO。
必ず牽引できるように車輪がついているのが榴弾砲だけど、
ただの榴弾砲が「自走」できるようになったものがこれなのだよTO。

自走させようとすると、どうしても形は
「戦車」と同じになってしまうってこと?

「戦車は自分で走り回って砲撃したり、動いている目標を撃ったりできますが、
自走式は遠くの目標に向けて砲弾を撃ちます」

さすがK1佐の説明はわかりやすい。
後方基地から狙うのが自走砲、前線を走り回るのが戦車ってことでいいですか。

しかし、74式は前線の部隊を支援するための小回りの聞く榴弾砲、
という観点で開発されているのだそうですね。

実は戦車と自走式の境界線は限りなく曖昧の模様。


 
中距離多目的誘導弾

このトラックが「誘導弾」つまり「弾」と称されている、
という法則は、つまり「自走砲」と同じで、

「車輪の部分は本体(砲)を動かすためにある補助」

ということから派生しているのだと思われます。
「89式」などの「式」という名前がついていないのは、これが
制式された装備ではなく、部隊承認で採用されるからだそうです。

この装備は「対船艇・戦車ミサイル」ですので、基本的には
自走砲のカテゴリに属するものなのですね。

 

誘導弾発射の瞬間(wiki)

誘導の方式は光波ホーミング誘導で、目標が発する光波を検知し、
その方向に向けて操舵することで目標を捉えるものです。

対船艇・戦車となっていますが、市街地のゲリラ戦も
想定しているので、目標は人間も可、だそうです。
 


ところで、この誘導弾の下にある説明プレートには、

「展示物の上に登らないで下さい」

と書いてあります。
当然と言えば当然ですが、逆に言うと、これは

「触っても舐めても頬ずりしてもOK」

ってことです・・・・よね。




87式自走高射機関砲
 
愛称「スカイシューター」と書いてあります。
これを見て わたしはかねがね疑問に思っていたことを
この際K1佐に聞いてみることにしました。

「スカイシューターという公式名称は部隊で使われているんですか?」 
「現場ではガンタンクと呼ばれています」
「どうして名称が一致しないんでしょうね」
「制式と同時に決めたというだけですからね」

やっぱり、愛称というのは最初から決めないで、
自然発生的に現場から生まれるものを採用する方がいいのではないかな。

しかし、この機関砲の場合、部隊でついたもう一つの愛称が

「ハエたたき」
(高射、即ち航空機を撃墜するものだから)

というものになってしまったらしいので、
なんでもかんでも現場主導というのもある程度考えものですが。



94式 水際地雷敷設装置

遠くから説明していたとき、K1佐は最初、

「あれは橋梁架設のための車両で・・・」

とおっしゃるので

「YouTubeでそれが仮設している課程を見ました!(以下略)」

と盛り上がりながら近づいていったら

「あ、すみません、橋梁架設車じゃなくて地雷敷設車でした」

案外陸自の佐官でも専門でなければ間違ったりするのね。

「船みたいですね」
「水陸両用車ですから」

こんなタイヤがついたものが浮かぶとはとても思えないのですが、
実際にも東日本大震災の際には、海上での行方不明者捜索に陸自から投入され、
その際には地雷の代わりにダイバーを乗せて出動したそうです。



後ろのはしご段のような部分に敷設する地雷を仕込むのですが、
この写真に見える黄色い円盤形の物体は地雷で、
沈めて使う水際地雷I型がまだ搭載されているようです。
勿論万が一にも作動しないように展示してあるのでしょうが。

水際への地雷敷設、というのは取りも直さず専守防衛のこの国に

「敵が上陸してきた場合」

というのを想定しています。

国際社会には「対人地雷禁止条約」というものがありまして、これは

「いくら戦争でもターゲットが人間である武器はやめようや」

ということが決められた条約で、じゃあ普通の地雷は
ターゲットを船舶や車両と謳っている限りは人道的にOKなのか?
という矛盾を感じないわけにいかないのですが(笑)
とにかく、敵の着上陸侵攻阻止を防衛ドクトリンの骨子の一つとしている
我が日本においてもこれを粛々と批准したわけです。

問題は、国連参加国192カ国のうち批准国は151カ国で、
条約を拒否している国の中には

中国
韓国
北朝鮮

がきっちり含まれているということです。
因みに

アメリカ・ロシア・インド・ベトナム・インドネシア、

また中東の殆どの国が拒否しています。
対抗するために日本も拒否しろ!などとは全く思いませんが、
取りあえず日本に敵対している三か国が
すべてそういう姿勢でいることだけは認識しておくべきでしょう。 




89式装甲戦車

このフロントにある四角い4つのグリルのため、
機種を判別するのに少し手間取ってしまいました。

前にも書きましたが、これも防衛省の愛称は「ライトタイガー」、
現場では単に「FV」と呼ばれているようです。

よかれと思って決めたかっこいい愛称も、装備として日常的に使う隊員には

「いちいちそんな中2っぽい名前使ってられねー」

みたいな、つまり気恥ずかしさが使ってもらえない原因じゃないでしょうか。
この問題に深く取り組んでいるエリス中尉の私見ですが。

ところでこれは「装甲車」というわけですが、
キャタピラと砲身がついていたらとりあえず戦車、といってしまう
大抵の人間には、自走砲と戦車の違いがわからず、当然

「装甲車と戦車の違い」

も分からない思われます。
ついでに説明すると、「装甲車」はメインが「装甲」つまり
防御の意味が強い、即ち主目的は

「人員輸送」

にあるということだけ押さえればいいかと思います。
兵員輸送車に安全のために装甲したものであり、搭載している武器は
あくまでも自衛のためのもの、というのが基本です。

兵員輸送用ならばタイヤでもいいじゃないかと思われますが、
基本戦車と行動を共にし、一緒に戦地を走り回るので
キャタピラを装着しているわけです。

このFVは「歩兵戦闘車」ともいい、人員輸送だけでなく
積極的な戦闘参加を目的ともしており、搭載火砲も戦闘用です。

主砲である35mm機関砲だけでなく、7.62mm機関砲、そして
対戦車ミサイルも装備しているのです。




96式装輪装甲車

これはわかりやすい。
兵員を運ぶための装甲車で、機銃は自衛用です。


ところで、この装甲車(愛称クーガー、現場名称96)、
 大きな日本の旗がペイントされています。



アラビア語で書かれているのは「日本」。
そう、イラク派遣に使われた装甲車なのです。

こういうのを見ると、日の丸のアイキャッチャーとしての力は、
どんな国旗よりも強烈にアピールすることを実感します。 

ちなみにこの日お会いしたK1佐は、陸幕長の副官時代、
イラクに陸幕長とともに行っておられます。

わたし「ということは、あのときおられたんですね?
 ムバラク大統領に暗いうちにゴルフ場に連れて行かれたとき」
TO「松明を持った人が走っていって、そこに打てといわれて、
 明るくなって見たらコースの両側に銃を持った兵士がずらりと」
K1佐「もちろんあのときわたしも一緒でした。
 焦りましたよ。
 帰国の飛行機の時間がせまって気が気ではなくて」

ムバラク大統領なら飛行機の時間を遅らせることもできたとは思いますけど。



これがイラクに行っていたんだなあ・・・。

「一人でも自衛官がイラク派遣で殉職したら、
わたしは腹を切るつもりでした」

K1佐の上官だった元陸幕長の言葉がよみがえります。

戦車を撫でたりさすったりする趣味はありませんが、

思わず、白地に赤く描かれたあまりにも鮮やかな日の丸を手で触ってみました。

この装甲車に乗った自衛隊員が、この日の丸によって護られたことも
実際にあったのかもしれない、と思いながら。



続く。






 



集団的自衛権と「国を護ること」について~ある元自衛官の話

2014-07-23 | 日本のこと

左翼と呼ぶのもおこがましい、ただの反日売国政党、社民党の

「集団自衛権反対ポスター」

パパが北のお国に拉致されてしまい、その返還を
社民党があの手この手で邪魔をしたから、ってことでしょうか。

違いますね。

モデルとなった子供は社民党員の息子なのだそうですが、
彼は自衛隊員の息子、という設定です。
集団的自衛権のせいで戦争に行かされ戦死した自衛隊員の息子が、
帰らぬ父を思って泣いているのです。

なんて悲しい・・・・・

・・・・って、あほか~い!

もしかして社民党って、集団的自衛権がなんなのか未だに理解できてないの?
個別的自衛権行使可能の現在でも,万が一の事態になった場合には

「パパが帰って来なくなる」

可能性はあるんですが。
自衛隊というのは、もともとそういうときに「帰って来られなくなる」
危険も顧みず、ママとボクを守るために日本に存在しているのであり、
そのために日頃厳しい訓練をしているわけなんですが。

そもそも、集団的自衛権を

「同盟国のために戦争しなくてはいけない」

義務、ということばかり強調して、根本の

「他国や兵だけど、守らなければうちの国民や防衛に害があるから守る」

ってところをまるまる無視してますね。

わかっていないのか、分からないふりをして馬鹿な国民を
ミスリードできると思っているのか、さあどっち?

それから、このポスターで最も不愉快なのは、社民党の
自衛隊に対するダブルスタンダードです。

民主党もそうですが、この件を反対するのに自衛隊員をダシにして
いつもは人殺しだの存在そのものをなくせだの、
散々その存在を否定し非難しているとは思えないくらいすりより、
ひどいのになると、自衛隊員のためのホットラインを設けて

「匿名でいいから自衛隊員の不安な気持ちを吐き出せ」

などと、本物かどうかわからない自衛隊員の反対意見を集めて、
それを反対の補強に利用しようと企んだり。

こういう野党の卑怯さに対して、自衛官出身の議員である
宇土隆史氏がこのようなことを言っています。



衆議院の野党、特に民主党の集団的自衛権の質問で
腹が立っていることがあります。
自衛隊員が大変だ、リスクが多くなる、隊員のご家族は不安に思っているなどと
いかにも隊員のことを思っているようなふりをして政争の手段にする。

自衛隊の現場は任務が遂行できるように目的に向かって
持てる範囲の装備品と練度でそれを確実に達成できるように
日々訓練をしています。
現場で

「集団的自衛権だからこれはできない」

とか、

「これは個別的自衛権だからやる」

とか、

「宣誓はしたけど集団的自衛権については適応外だから、
自衛官をやめます」


とか、そんな自衛官はいません。

皆真剣にこの国を愛し、自分たちの護るべき両親、恋人、妻、子供、
に何か起こったそのときには俺がやるんだ、命がけでもやるんだ、
そんな気持ちで現場は頑張っているんです。

給料だっていいわけではない、定年も早くて曹以下は54歳、幹部は56歳、
一番トップの階級に行かないと60歳まで務めることは出来ません。
定年後彼らは民間の職場に務めながら外から自衛隊を支え、応援し、
そうやって絆をつないできたんです。

そこに土足で入り込んできて、いかにも現場の自衛官が可哀想だ、
集団的自衛権には反対だ、なんて勝手なことを言わないでほしい。

我々が現場でいつも歯がゆく、また悔しく思っていたのは・・・、
自民党だってそうだったんです。

現在の防衛に関する法体系では、いざとなったとき国民を護ることができない
抜け穴がたくさんあることを認識していたはずなのに、
選挙に勝って政権を取り、大臣の椅子に座ってしまえば
一日でも長くそこに座っていたい指導者ばっかりだったのです。

でもわたしは初めて見ました。

自衛隊の最高指揮官として、この本質的な問題について、
選挙前からそれを訴え、憲法の改正も、集団的自衛権の行使もできなくては
国が護れないということをちゃんと言って当選し、
総理の椅子に座ってもそれを忘れずにきっちりやろうとしている政治家を。

安倍総理私は稀代のリーダーだと思います。



これとは反対に、こともあろうに現場の自衛官を政争の具にして、

国民の世論を釣るような野党の質疑を腹立たしく聞いていました。

現在集団的自衛権をめぐっていろんな極論が流布しています。

「このままでは戦争になるんじゃないか」?

どうやったら戦争になるんですか。

集団的自衛権を認めたら急に戦争になるんですか。
違いますよね。
我が国への明確な侵害があればそのときは自動的に
自衛のための戦争になるんです。

今回の集団的自衛権を限定的に認めているのは、
それを放置しておいたらそのうちこちらが火の粉を被ることになる、
それから動き出していては大変なことになってしまう、
そういうときに、限定的にでも行えること、たとえば米国の警護とか、
機雷の除去、不審船の立ち入り検査などをするべきなんです。

しかし、これまでこれらは全て集団的自衛権に觝触してしまっていた。

自分たちの国内法でそれを縛ってしまって全く手を出せない状況のまま、
何か攻撃を受けてからでないと何も出来ないのが今の日本です。
それでいいんでしょうか。

専守防衛というのは勿論「日本を守ること」です。

野党の連中は

「集団的自衛権の行使は自衛官が人を殺すということじゃないか。
自衛官が殺されるってことじゃないか」

なんて馬鹿なことをいっていますが、それは個別的自衛権の
行使範囲内でも十分同じことが起こる可能性があるのです。
我が国に対する侵略があれば個別だけしか行使できなかったとしても同じことなんです。

そのときにはどこかが攻撃を受け、誰かが死んでいる、ということです。

わたしたちが現場の自衛官に強要してきたのはこういうことなのです。
反撃する前に何人かの自衛官が死ななければいけない、
反撃する前に必ず何人かの国民が死ななければいけない。
それからでないと自衛隊は動いちゃいけない、なんてことを
言っているのが愚かな日本人なんです。

我が国に火の粉が及ぶ前に状況が不穏になる、あるいは
明確な侵害はないにしても、同盟国が動き出したときに何をするか。
というとそれは備えです。


攻撃をするのではなく、集団的自衛権の範疇の中で備える。
そういうことを今までしなかったのがおかしいのです。

初めてそのことが今国会の中で議論されていることがどうしてマイナスなのか。
どうしてアンケートを取ったら約半数が集団的自衛権に対し
いまだに否定的な答えをするのか。
皮相的な拒否反応からただ反対するのではなく、真剣に考えてほしいのです。

わけのわからない漫画家が国家間の戦争を身内の喧嘩になぞらえて

「そんなものに首を突っ込まず警察に逃げ込む」

なんて馬鹿なことをいったそうです。
国際社会でそれが通用するんでしょうか。
いざ我が国が戦争に巻き込まれたときに、一体どこに逃げるつもりなんですか。
国破れて海外に逃げたらそれは難民です。

自分たちを生み育て育んでくれた国土、祖先、自然、国柄、
そういうものに対する愛着をもって、それらを自分たちの手で
護らなくてはいけないと思えないような人間は、もう海外にでも行けばいい。

日本を護る気概の無い人間に日本国民を名乗る資格は無い。


そのために22万の現職の自衛官は、自分たちが盾になろうとしているんです。
政府の人間が彼らを後押しし護ってやれなくてどうやって国が守れますか。

戦争はある日突然起こるわけではありません。
平和もある日突然なくなるわけではありません。
平和から徐々に事態がエスカレートして戦争になるんです。
今はどの段階ですか。

7年前の平成19年、年間のスクランブル回数はたった300回です。
昨年それは850回を超えました。
事態は進行していると思われませんか。

そういうことが自分に見えないからといって平和だと思っていませんか?

水面下の、わたしたち国民の目の届かないところで実は
いろんな国家間のぶつかり合いがすでに始まっているのです。
軍事だけの話ではありません。
経済的なぶつかり合い、技術に関するぶつかり合い、また
エネルギーをめぐるぶつかり合い、歴史認識をめぐるぶつかり合い、
いろんなところで現実的にぶつかり合いが始まっているじゃないですか。

自分は安全なところにいて、そういう現実からは目を背けたまま
そう言った国とと仲良くしたい、

そんなことをいうような人間はどこかよその星にでも行ってほしい。


他国とも仲良くするためには、国際社会の一員として認められるには、
そのためには努力もしないといけない。
自分たちもまたリスクを負わないといけないんです。

わたしは日本を守りたい。



以上、ビデオレターを聞き書きして分かりやすく構成してみました


 


亜米利加で 日本の車の 良さを知り ついでに日本の良さも知るなり

2014-07-22 | アメリカ

アメリカでは車がないと何も出来ないため、旅行者は必ず
空港でレンタカーを借り、 そこから出発します。

それが普通なので非常にレンタカーのシステムも合理化されており、

空港バスでレンタカーセンターに行けば、あらかじめインターネットで
予約しておいたレンタカー会社のカウンターに行き、
クレジットカードと免許証を見せ、あとは車の停まっているロットに行き、
駐車場を出るときにもう一度契約書を照合するだけでおしまい。

さらにわたしがここ何年か利用しているハーツゴールデンクラブは、
前もって全て予約しておいた車がすでにロットに用意されているので、
専用駐車場に行けば大きな電光掲示板で自分の名前を見つけ、
名前の横にあるナンバーが表わすロットに行くだけでOK。

つまり、全く人と会話せず車をゲットすることが出来るのです。

しかし(笑)

システムこそとことん合理的ではあるが、一旦何か問題が起こった場合、
あなたがそれを
訴える相手は、アメリカ人のレンタカー会社社員です。
これがいかに恐ろしいことか、あなたはご存知でしょうか。

愛想だけはいいが労働意欲と能力に異常なくらいのバラツキのある
アメリカ労働現場で、いざとなったときに相手がとんでもない愚か者か、
やる気がない奴か、あるいはその両方であるパーセントは
ほぼ2分の1くらい。

2回に1回は相手の対応にムカつき、間違いに呆れ、要領の悪さに辟易し、
まあつまり日本人であれば滞在中一度は

「アメリカ人ってもしかしたらばか?」

という呪詛の言葉を飲み込む羽目になるのです。

さて、という話をマクラにしたからには、そういう話なのですが、
今回、わたしはアメリカ滞在中にレンタカーを返品交換した数で

今までの最高回数を記録してしまいました。

この10年、一度借りたらそのまま1ヶ月乗って返してきたものなのに、
今回はまず、最初に予約していたプリウスに3日乗ったところで

1、GPS(カーナビ)が付いていないため交換。


プリウスにはGPSは付けられない、という謎の理由で

アップグレードするしかなくなったため、
わたしはボルボを選択しました。
後から考えるとこれが不幸の始まりだったのです。



ここまではお話ししましたよね?

ボルボはなかなかいい車だと思ったのですが、走り出してこれも3日目、

2、フロントパネルにタイヤチェックの警告ランプが付いた

ためまたもや交換する羽目になりました。


一つの滞在地で2台乗ることすら初めてだったのに、なんと3台目です。
交換のため訪れたハーツのカウンターで色々と感慨に耽っていると(笑)
アフリカ系のカウンター係員が、

「何難しい顔してるの。笑って笑って」

笑ってじゃねーよそっちの整備不良ってことじゃねーかよ。
誰のおかげでこんなに何度もハーツに来ないといけないと思ってんだよ。

と思わず心の中で不良になってしまうエリス中尉。
しかし外面のいい穏やかな日本人としては、内心はどうでも
とにかくニッコリと彼に笑ってみせ、さらにこの係員が

「いい靴履いてるね!バレリーナが履いてるやつみたいだね」

とお愛想をいうのにニコニコと相づちを打っておりましたorz
憎い。おのれの日本人のDNAが憎い。



そしてこのときにスィッチした車はキャデラック。
日本ではキャデラックはあまり見ませんね。

アメリカでもあまり見ません(笑い)

昔は歌にも贅沢の象徴としてよく歌われていた車ですが、
今のアメリカでは影の薄いレアな車です。

どうしてアメリカ人はビッグスリーの車を買わないのだろう、
パトリオットならばもう少しアメリカ企業を応援しそうなものだけど。
とわたしは当初思ったものですが、アメリカの道路を毎年コンスタントに走り、
そして時折はこういう「アメ車」に乗って
その理由が今ではわかります。

だって日本車の方が断然いいんだもん。

シートピッチや空調、オーディオシステムやタッチパネル、
そして何よりも燃費と取り回しの良さ。
メンテナンスが少なくて良く、信頼性がある。

一度日本車に乗ったことのある者は、わざわざ大金を出して
アメリカ車を買うことはないでしょう。

愛国とかなんとか以前に、日本車という選択は彼らにとって
最も合理的で適正な判断だってことに過ぎないのです。

おそらく皆さんが思っている以上にアメリカの道は日本車が席巻しています。
小型車も最近は大型車も殆どがトヨタでありニッサンでありホンダであり・・。



この車も決して悪くはないとは思いましたが、もしこれが日本車より
高いのであればわたしは躊躇なく日本車を選ぶでしょう。

わたしが今までここで乗ったクルマで燃費の点でまあまあだと思ったのは
サターンだけですが、そのサターンも日本車に対抗したものの
日本車に打ち勝つことが出来ずに失墜しましたね。



そんなある日、TOがボストンにやってきました。
夜の到着なので迎えにいったときのマスパイクで撮った写真。
向かいに見えるのはプルデンシャルタワーです。

実はこのとき、キャディラックのフロントパネルには

3、エンジンマークの警告ランプが点いていました(笑)

危急性はないものの、これが点いたら点検すべし、と
面倒くさいけど読んだマニュアルに書いてありましたし、
何かあっても嫌だし、TOが来たため空港に帰るのに
トランクが全部乗るだけの大きな車に代える必要があったので
わたしは
TOと一緒にまたもや次の日ハーツレンタカーに突撃。


このときのカウンターの係員が、いわゆる

The worst salesclerk in the world

だったのです。まじで。

40台後半(前半かも)のその白人女性は、まず

「どうして交換したいの?」

とため息をつきながら実に不機嫌そうに車のところに行き、
ガソリンタンクの蓋をいきなり締めなおして

ここが空いているとランプが点くのよ!
(自分で運転席に座ってエンジンをかけ)
ほら、ランプ消えたでしょ!」

と言い放ったそうです。
つまりこのまま乗って帰れという趣旨です。
そうです、というのはわたしはそのとき化粧室に行っていたからで、
このときにもう一度運転手であるわたしがチェックしていたら

ランプは実はまだ消えていなかった

(つまりおばちゃんの勘違い)ことに気がついたはずでした。

運転のことがわからないTOは、しかし

「わたしたちは最終日大人三人でトランクを乗せて
空港に行かないといけないので、大きな車にアップグレードしたい」

と食い下がりました。
彼女は面倒くさそうに

「でもないのよね~大きな車って。
いっそメルセデスのワゴンはどう?」



メルセデスはいわゆるアップグレード対象車です。
ブースの横にはこの写真のようなアップグレード車
(これはポルシェのオープン)が飾ってあります。

差額は一日150ドル(とおばちゃんは言ったけどこれも後から調べたら間違い)。
さすがに一日1万5000円の差額はもったいないね、と日本語で会話し、

「これしか大きな車が無いのなら元の車でいいです」

と彼女に返事すると、彼女はわざとらしく大きくため息をつき、
そんなら最初からごちゃごちゃ言うんじゃないわよ、
とばかり忌々しそうにパコパコキーボードを叩きます。

しかしここでわたしは嫌な予感がしたので、

ちょっと待って!
わたし、本当にこのおばちゃんの言うように

警告ランプが消えてるのかどうか見て来る。
だってランプはガソリン入れる前からついてたんだもの」

とキャディラックのイグニッションを入れてみると、
・・・・

警告ランプは全く消えてないじゃないですかーやだー。


というかふざけんなよおばちゃん。

「ランプ消えてないんですけど!♯」

デスクに帰って彼女に告げるとかすかに彼女は狼狽し、
すぐさまキーボードを叩き、

「大きな車ならシェビーのSUVがあるけど・・・」


なぜどうして最初からそれを出さない。




というわけでシェビーのエキノックスに車を交換しました。

「・・・・どうしてこういう不毛な言い合いをしないと
こういう結論に最初からたどり着かないのかねえ」
「アメリカ人ですから」

そんな会話をしつつ息子を迎えにいきました。



ロータリーに並ぶ車はどれも同じような大型車ばかり。



翌日になってTOがハーツの明細を見せてほしいといいだしました。

「なんか昨日の晩寝ながら嫌な予感がしたんだ。
あのおばちゃんにちゃんと料金の切り替え作業なんて
出来るのかと思うと・・」

言われてみればそうです。
我々が車を借りていたのは28日間ですが、そのうち6日だけを
アップグレードの差額プラスで計算するなどというパソコン操作が、
あのいかにも頭の悪そうな、そのくせ舌打ちしたりため息をついたり、
とにかく客の神経を苛立たせることだけは平気でやってのける、
勤労意欲の薄いおばちゃんにできるものか?

限りなく答えはノーです。

そしてTOによると切り替えは全くできていないらしく、
料金が異常に高くチャージされていました。


「よく気がついたね」
「もっと早くあの場で気づくべきだったんだけどね。
おばちゃんがあまりに酷いので疑いが生じたようなもんだ」

確かにもっとテキパキと微笑みを欠かさないような店員ならば、
おそらく間違いを疑わなかったかもしれません。

そしてわたしたちはまたもや空港のハーツレンタカーへ。

昨日のおばちゃんがまたもや座っていたらどうしよう、
とわたしは怯えたのですが、幸運なことに今回は、
至極マトモなアフリカ系男性が対応しました。

どれくらいまともかというと、TOが要点を言っただけで
SUVの料金が全日にカバーされていることに気がついたくらいまともです。

「これが前の料金、これが改正後の料金です」

彼の計算を見てわたしたちは目を丸くしました。
その差額約2000ドル。

何がどうなったのかわかりませんが、あのおばちゃんは
わたしたちのチャージに20万円もの上乗せをしていたのです。

驚き呆れたわたしたちは言葉の通じないのをいいことに、彼の前で

「なんなのあのおばちゃん!もしかしてすごいバカ?」
「しかも態度悪かったしね」
「アメリカの労働現場っていったいどうなってるの?」
「チップの出ないところなんてこんなもんですよ」

と言いたい放題。
普通に対処しただけのその黒人店員がとても優秀に見えました。
最後にわたしが小さく両こぶしを握ってガッツポーズすると、
彼はにやっと笑って同じようなガッツポーズを返してきました。
そして、驚くことに一番最後に

「とにかくすみませんでした」

と謝ったのです。

「アメリカ人でこういうときに謝るなんて珍しいね」

日本なら普通のことでもこの国ではこれだけで評価される。
さても不思議な社会です。


さて、というわけでレンタカーに乗るのもあと5日。
心安らかにカーライフを満喫できるのか?

と思ったら好事魔多し(笑)

このシェビーのSUV、異常に燃費が悪い。
3日目にガソリンケージは半分を指し、試しに
そこから満タンにしてみると8ガロン、30リッターで
ガソリン代は30ドル。

「5~6日で給油か・・・」
「誰もこんな車借りないし、ましてや買うなんてありえないよ」
「タイヤ半転がりごとにガソリンをまき散らしている感じ?」
「しかも運転し難い。トップヘビーで安定悪いし」
「そりゃ皆大型車ほど日本車に乗るよなあ」

車に乗りながら散々アメ車の悪口が出るにつけ、
比べたくなくても日本車との比較になります。

「アメリカの車会社の人だって乗りたくないんじゃないこんなの」
「全然工夫が足りないよね」

レンタカー会社の係員の質などを見ても、日本っていい国だなあ、
と改めて思わずにはいられません。

「だが待ってほしい(笑)
こんなレベルの低い人間が殆どなのに、こんな社会をつくりあげた、
アメリカのすごい人は本当にすごいん
じゃないだろうか」

「ごく一部の頭のいい人がそうでないその他大勢を科学的に
動かすことの出来るマニュアルってものを発明したからね」 

アメリカの車とついでに労働現場に対する非難はとどまるところを知らず。
ついには

 

「エキノックスって名前もイマイチだよね。
エキノコックスみたいで」
「エキノックスって何だっけ」
「春分の日?」
「ほらー。やっぱり変な名前だ」

坊主にくけりゃ、で名前にまで文句をつけるわたしたち。

しかもここでめでたしめでたしとはなりませんでした。
事実は小説よりも奇なりとはよくぞいったものです。
明日はボストンを発つという日、TOとボストン美術館に向かう
高速の道中、このエキノコックスの警告ランプがつき、

4、左後ろのタイヤがパンクしている

らしいことが判明しました。
後は飛行機に乗るだけとはいえ、いやだからこそ何かあっては困ります。
そのまま我々は4度目の交換にまたハーツに向かいました。



選択の余地なく(笑)今度の車はジープ。
もう怒る元気も失せ、力なく我々は

「じーぷのったことなかったしよかったんじゃない~?」(棒)
「そうだねーいろいろのれておもしろいねー」(棒)


次の日、われわれはそのジープにトランクと大人3人が乗り、
無事に空港に着いてやっとのことで5台目の車を返却しました。
そしてサンフランシスコに飛行機で向かいます。

「サンフランシスコのハーツではどんな苦難が待ち受けているのだろうか」

心配しつつサンフランシスコのハーツに着いたら、驚くことにロットには予約していた

GPS付きのプリウスが

ちゃんと停まっていて(日本では普通のことでもアメリカでは略)
しかもそのプリウスには 、 

大型車でないと積載不可能と思われた大小計10個の荷物と
大人三人がまるで魔法のように余裕で収まったのです。


わたしたちは絶句し、

「ボストンの最初のプリウスにGPSさえついていれば・・・・」

あるいは2台目がもし日本車であったなら、
おそらく5台も車を乗り換えることはならなかったに違いありません。


日本と日本人と日本の技術の素晴らしさをあらためて認識しました。




 





 


朝霞駐屯地訪問記~地下指揮所

2014-07-19 | 博物館・資料館・テーマパーク

ヘリのシミュレータを体験し、そのAHコブラの実機を見学したわたしたち。
次にK1佐が提案して下さったのは3Dシアター。
3D眼鏡をかけて、10分前後の映像を鑑賞できるコーナーです。

「何がいいですか」

差し出されたのはいくつかのタイトルが書かれたメニュー。
おお、好きなタイトルを選ばせて下さるのですね。

「えー、じゃこの『精強無比』を」

操作してくれる自衛官(というかずっと同じ人)は、

他の人に声をかけてきます」

といって、二組の見学者を連れて戻ってきました。
そして上映開始。

見終わって、その映像が、第一空挺団の降下始めのとき、
会場にある大きなスクリーンで開始までの間流されていた

「強くなければ 自衛隊ではない」
「優しくなければ 自衛隊ではない」
「賢くなければ 自衛隊ではない」

というモットーを元に(シャレ?)制作されたのと
同じ作品であることに気がつきました。

K1佐も付き合い良くならんで一緒に観ておられたわけですが、
わたしでも何回目かなのだから、自衛官はおそらく何百回も?観ているでしょう。
「広報」もまた自衛官の重要な任務の一つとはいえ、ご苦労様なことです。 
 



ヘリの横のガラスケースにミリめしが展示してありました。

豚角煮、生姜焼き、鴨肉じゃが、かつおカレー煮、野菜麻婆、さんま蒲焼き。 

いろいろメニューが書かれていますが、どれもこれもパックのままで
これじゃ展示する意味がほとんどないのではないかと・・。
(この写真もこんなに大きくする必要もないですね)

余裕があればロウで見本を作ったりするのでしょうが、
さすがにそれもならず、字の横に写真があって辛うじて
その実態がわかるという状態。 



一つだけアップにしてみました。
ん?

なんだこのお弁当は。

おかずは野菜麻婆と・・・・ドライカレー?

ドライカレーっておかずなんですか?
ドライカレーで白飯食べるんですか?

わざわざ「戦闘糧食」となっているからには、これは自衛隊の活動を
熟知した自衛隊の栄養士が考案したメニューだと思うのですが、
これはあまりにも炭水化物多くないか?


食べてから即体を激しく動かし、エネルギーとして燃える
炭水化物を多く取る、というのが目的だとはわかりますが、
これは、それ以前のメニューとしてどうなのよ、と・・。

でも、驚いてよくよく観ると(笑)、他のメニューも
たとえば鴨肉じゃがでもなんでも、「白飯2個」が基準だし、
「肉団子」は白飯と「焼き飯」のダブルコンボ。
これはどうも、ご飯は二人前、というのが基準だと見た。
糧食だけに生野菜系が食べられないのは当然としても、
こういうのが戦闘糧食の基本形なのね。

せめて白米ではなく玄米だったらビタミンも豊富なんだけどなあ・・。


ところで、この「味ご飯をおかずに白飯を食べる」というノリで、
昔は赤飯も「おかず」としてこの戦闘糧食に採用されていたのですが、
被災地等では被災者に遠慮して赤飯を食べなかった、というニュースがありましたね。
そのことを何気なくK1佐に言ったところ、

「そう、そうなんですよ。
そういう事態が予想されるので、糧食から赤飯は廃止されました」

とおっしゃるではないですか。
わたしはなぜ糧食に赤飯がついているのか、まずそれが不思議だったのですが、
実はこの赤飯は、今知ったところによると「おかず」だったのです。
炭水化物大量摂取を目的とした、「エキストラご飯」としての赤飯だったと。

「被災者のいるところで赤飯は食べられない」

これも実に日本人的な自粛の仕方だという気がしますが、
その前提にはこのミリめしのメニューの特異さがあったのです。

なるほど・・・・。


しかし、前回(お洗濯の匂い付き迷彩服)に続き、この件にも
実に自衛隊らしい「気配り」を感じます。
世界にこれほど国民の公僕としての意識が徹底した軍隊が

他にあるのでしょうか。





などと、主婦らしいお節介なことを考えつつ館内を見回すと、

ひっそりと偵察機がとまっているのが見えました。

丸いシェイプがちょっと可愛らしくて萌えるわけですが、

この偵察機を見たときに、世間話として

「そういえば北朝鮮から偵察機が飛んできて韓国側に落ちたそうですね」

と(どんな世間話だよ)いうと、K1佐と広報館の係の自衛官が

「あれとは違います」
「これは偵察機と言っても着弾観測用で」

と同時に否定に入ったので少しおかしかったです。
なんだか、2人ともが

「いや、北朝鮮と同じにしないでくださいよ」

と言いたげな口調だったので・・・。


ちなみに、この偵察機は可視・赤外線カメラを搭載し、
地上とデータ送受信ができ、車載のためのトラックなど、
計6台の車両が運用に必要です。

因みに、韓国に墜落した北朝鮮からの無人機は、
カメラ等を韓国の通りがかりの人がネコババして、
データを上書きしてしまったため、情報は確認できませんでしたが(笑)
もし万が一、そのような状況になったときにはこの無人偵察機、
自動的に爆発し消滅するようになっています。

2人の自衛官が言下に「違う」といったわけがわかりますね。

違うかな。




天井には開いた状態の落下傘が。

こうして室内で見るとすごい大きさに見えます。

後から気づいたのですが、この広報館、二階もあって、

二階には陸上自衛隊の歴史に付いての資料があったようです。

もしかしたら来たばかりのK1佐はご存じなかったのかもしれません。



室内を一通り見終わってから、外に出ることにしました。

ここでなぜか、

「制服は館内のみの着用となりますので、脱いで返却して下さい」

うーむ・・・・なぜだ。
この庭のような部分も館内なのではないのか。

1、外は係員の目が届かないので、こっそり鞄に入れて持ち帰る輩がいるから

2、柵の外から見えるので、一般人の公道での制服着用禁止の規則に反する

3、雨が降ったりしていた場合汚れるから

4、戦車の前で撮られた一般人の制服姿の写真が出回るとまずいから


たぶん、そのわけはこの中のどれかだと思います。


というわけで、制服を係の隊員にお返しし、まずは


「地下指揮所」

を見学することになりました。




地下指揮所というのは、戦地に臨時に作られる司令部の基地です。

小さいときに裏山で「基地ごっこ」をした覚えのある男子には
もうこれだけで心がワクワクしてくるのを止められないでしょう。(煽り)

K1佐が説明していますが、この壁の部分は土嚢を積んで作られています。
敵の砲弾が飛んできても指揮所だけは被害を受けないように、
かまぼこ型のドームを据え、その上に土嚢をこのように積んで緩衝剤とするのです。

「これを作るのが・・・・大変なんですよ」

お、なんだか真に迫った声音。
さてはK1佐、これを作って酷い目にあったことがおありですね?




お邪魔しまーす。


中に入っていくと、迷彩服の幹部がヘルメットや防弾装備着用でおられます。
後ろのボードには

任務

侵攻する敵を4月6日まで
A山~B山以北に阻止

地位

師団から先遣され独立的に行動する
増強普通科連隊

役割

師団のC平地への進出を擁護

と書いてあります。 



何かこういう電話、旧軍の映画でも出てきた覚えが・・・。

携帯電話1号、だそうです。
今時、なんで普通の携帯を使わないのかと思ったら、
どうやら電話はいくらでも盗聴が可能なのだそうですね。
おそらくですが、この電話は盗聴されにくいシステムなのでしょう。

ちなみに陸自の使用する無線は全て暗号化されています。



先日シリーズでお伝えした「空挺レンジャー」の反省会でも、

このような地形を模した作戦盤が登場しましたが、
こういう場合は砂で地形を作るようです。

これを「砂盤」といい、こういった指揮所で簡易に作れます。



お好きな方向けに兵棋判例をアップで。
海上自衛隊の兵棋もぜひ見てみたい・・・。



指揮所に予定表が!

敵がどう出て来るかわからないのにどうやって予定が立てられるのか、
と思ったら、そういう予定じゃなくて単なる戦闘訓練の予定表でした。

なーんだ。

しかしこれ、どのように陸自が戦闘訓練を行うのかよくわかります。


まず1日目、

作戦会議・幕僚会議・火力調整会議

2日目、戦闘陣地構築 障害構成 として

0500 戦闘予行(偵察警戒部隊)

0800 連隊長現場指導(第一線地域)

1300 連隊長現場指導(後方地域)

1900~2400 幕僚・作戦・火力調整会議

3日目、

戦闘陣地構築・後方陣地構築など。


ふーむ、陸自ではこうやって演習場での戦闘訓練を進めるわけですね。

装備や観閲式だけでは決して一般人には目にすることもない
このような活動内容の片鱗を見ることができるこの広報館、
本当に良く考えられた、レンホー的にいうところの「努力」が
隅々まで行き渡った素晴らしい内容だと思います。

何度も何度もいわせてもらうけど、全く何を見ていたんだあの議員は・・。
つくづく、あの仕分けは最初から結論ありきで、

「広報館を実際に見てどうするか決める」

なんてのはしょせんポーズに過ぎなかったってことがよくわかります(呆)


ところで、調べるために広報館のHPを見たところ、この広報館には
「90式戦車触り放題!」としてコブラの横に本物の90式が展示してある、
となっているのですが、わたしにはここでそんなものを見た
覚えがないのです。

戦車が室内にあれば当然K1佐も説明してくれるでしょうし、

見逃したとも思えないのですが・・・。

そう思って、もう一回念のために写真を点検してみたところ、



ありました!



・・・・・ってこれじゃないだろこれじゃ。



続く。





朝霞駐屯地訪問記~コブラ・シミュレータ

2014-07-18 | 博物館・資料館・テーマパーク

さすがにご指摘のようなサブタイトルに変えるほどでないにしろ、
最近すっかり陸自づいている当ブログです。

「遊びにきて下さい」


という言葉を真に受け、朝霞の職場まで本当に行ってしまったのですが、
こういう「物見遊山の訪問者」にも、自衛隊幹部というのは
国民への周知理解を深めるためにわざわざ時間を作ってくれるのです。

しかも、広報館を一緒に回って案内し、ガイドも努めて下さるという
破格のサービスぶり。

K1佐と一緒に館内を歩いていたら、広報館の係をしている
自衛官が、わたしたちに向かって

「元パイロットに案内してもらえばもうバッチリ詳しく聴けますね」

と声をかけてきました。
K1佐はCHのパイロット出身で、ヘリ航空隊の隊長をしていたのです。




(洗濯したての香りのする)迷彩ジャケットを羽織ったわたしたちは
そのK1佐に誘われてシミュレータの前に来ました。

なんと、ここにはコブラのフライトシミュレータがあり、
2人ずつヘリの滑空の疑似体験が出来るのです!

シミュレータは事故防止のため周りを金網で囲まれています。
自分で乗っただけなので外から動いているのを見ることはありませんでしたが、
おそらくかなりコクピット部分が大きく動くのでしょう。

乗る前に、荷物を乗降口の脇にあるテーブルに置きます。
手にカメラを持ったまま何となく乗ろうとしたら、
ここの係員である自衛官とK1佐が同時に 

「カメラは持ち込めません」

これは防諜のためとかそういうことではなく、
結構振動が激しいので、カメラを持っていて事故になっては、
という事なのだと思います。
 
シミュレータの動きは岩国の海兵隊基地で、
F−15パイロットのブラッド大尉に特別体験させてもらった
レガシーホーネットのように、非常にリアルに感じられました。
圧力までは再現できないので、こちらのヘリの動きの方が
もしかしたら現物には近いものなのかもしれません。

映像は、基地を飛び立って上空を飛び、適当なところで  
どーーーんと対戦車砲をぶちかまし、帰ってきます。

その瞬間、大変な衝撃を感じました。

このAH−1Sは、ベトナム戦争に多数投入された攻撃ヘリで、
対戦車ミサイル、ガトリング砲、ロケット弾の三種類の武器を搭載しています。

何の説明もなかったので、衝撃が実はそのどれか分からなかったのですが、
一度の大きな揺れだったのでミサイルだということにしました。

シミュレータは横並びに座るもので、操縦席という設定です。

実際の機体は幅が狭く、両手を伸ばせないくらい薄いのですが、
これはステルス性のためです。



中央に展示しているコブラのガトリング砲。

ところで、シミュレータに乗ったとき、映像の前方には

前席に座っている射手の後頭部が写っていたわけですが、
そのヘルメットから上に向かって長く細いパイプが出ているのに気づきました。

何なんだろうなー、と降りてからしばらくK1佐の説明を聞いていると、

「コブラの機銃は、射手のヘルメットとリンクしているので、
射手が攻撃目標を向いただけでそこに弾が飛ぶようになっています」


つまり、あのヘルメットから出ていたパイプは、そのためのもの?

「そちらを向くだけでいいんですか」

「射程目標に厳密に中てなくてはいけないというものではなく、
だいたいの方角にさえ飛べばじゅうぶんなんです」

これは驚いたなあ。
ベトナム戦争の時代からこんな仕組みだったのかしら。

残念なことに、この「ヘルメットとリンクしている武器」が
三つの搭載武器のうちどれか確かめるのを忘れました(笑)

でも、「だいたいそっちに飛べばOK」ってことから考えると、
対戦車ミサイルではなく、ロケット弾かガトリング砲だと思う。


これは、もしかしたら一方で戦車を狙いつつ、
横手から敵が来たらそちらをむきさえすれば同時に攻撃できる、
ってことでいいのでしょうか。



ハイドラ70ロケットランチャー

やっぱりというか、wikiのページにはこの武器について

「ハイドラ70は、無誘導のロケット弾であり、
一度に多数発射して一部が目標に当たれば良いという使い方をされてきた」

と書いてあります。
そちらを向いただけで発射されるのはこのロケット弾のようですね。
(違ったらごめんなさい)

しかし、そのとき取り立てて疑問は感じずK1佐に聴くのを忘れましたが、
こういういい加減な方法でロケット弾を撃ちまくって、問題はないのでしょうか。

たとえば、戦闘中にふとそこを見たら非戦闘員がいたとか民家があったとか。

と思ったら案の定、それは懸念されていたようです。

しかも、wikiによると

「目標が遠距離になるほど命中率は低下する」

「搭載量の少ないヘリの携行弾の無駄な使用に繋がり、
トータルでの運用コストの増加を招いた」

やっぱり・・・。

いかにもアメリカ人らしい、

その辺りに撒いときゃいいんだよ!

どれか一つは目標に当たるって!
え?誤射?こまけえことはいいんだよ!(AA略)

みたいなノリですか。


言っては何ですが、この辺り実にアバウトですなあ。
この後誘導装置を開発したのも、主にその理由はコスト削減のためだったかも。

ちなみにこの「腕」状のものをパイロンといいます。
♪ ああ我ダンテの奇才なく♪ってやつですね。

それパイロンちゃうバイロンや。(←自分つっこみ) 

このパイロンにコブラは武器を搭載するのですが、
蜂の巣状のロケットランチャーの左、
パイロンの外側に装着されているのがTOWランチャー。
TOWとは対戦車ミサイルのことで、

 Tube‐launched, Optically‐tracked, Wire‐guided


の頭文字。

発射筒で発射され  光学的に追跡され  有線で誘導される、

という、機能の説明をそのまま省略します。

アメリカで駐車違反車をレッカー移動することをtow といいますが
こちらとは全く関係ありません。 

パイロンにどちらを外側に付けるかは厳密に決まっていないらしく、
ここのコブラはこういう配列ですが、外側にミサイル、内側に
TOWという配置をしているコブラを見たことがあります。 




コブラの操縦席(前席なので射手席でもある)。
操縦席の幅は99センチ。
人間の身長は両手を広げただけというのが平均。
つまり両手をひろげることもできない、大変幅の狭いコクピットです。

黒い検眼器みたいなものは、TOWの照準器だそうです。

シートカバーは官品でしょうか。
黄緑色をしていますが、これは外側の塗装とコーディネイトしてあります。
右と左に、肘を置くためのクッションを仕込んであるのが気配りです。



K1佐によると、これは防弾ガラスではないそうです。
その代わり?コクピットの両脇は防弾板ががっつり塡まっています。

こんなちょっとで防御できるのだろうか・・・。



「ところで、ヘリの操縦の仕方は基本的に同じなんですか?
たとえば、このコブラ、K1佐は操縦することは・・?」

それに対するK1佐の返事は、

「私はAHの資格(免許と言ったかも)は持っていませんが・・・
もし今、操縦しろといわれたら・・・・(一呼吸置いて)できますね」

おお、現役を離れて何年にもなるのに、この自信と挟持に満ちた
力強い?断言。
そういえばホーネットドライバーのブラッドも言っていたなあ。

「自転車や自動車の運転みたいなものだから、
たとえしばらく遠ざかったとしても体が覚えている」

って。




固定武装であるガトリング砲の弾薬。
そういえば零式艦上戦闘機も20ミリを搭載していたなあ、
と思い出しながらこれを見ていました。



続く。

 


「あるくうた」~ボストンを歩く

2014-07-17 | アメリカ

あるけ あるけ あるけ あるけ
 南へ 北へ あるけ あるけ
  東へ 西へ あるけ あるけ
   路ある道も あるけ あるけ
    路なき道も あるけ あるけ

(高村光太郎作詞 歩くうた)

「ゆうせん」で「戦時歌謡」のチャンネルを聴いていると
ほんの時々ですがこんな曲が流れます。
最初に聴いたときインパクトが強くていっぺんで覚えてしまいました。

歩けという言葉がゲシュタルト崩壊起こしそうな(笑)
しかも陰惨なメロディで、とても読んだ通りの意味には
思えない(つまりネガティブなイメージの)歌なのですが、
なんとびっくり、今調べたところ、昭和15年に
当時国民の体力増進のため「歩け歩け運動」が提案され、
このテーマとしてNHKで作られた国民歌謡であったことが分かりました。

いやー・・・・これ、皆さんどう思います?
なんだかロシアの労働歌みたいじゃないですか? 
三番なんか、

身をやく 日照り あるけ あるけ
  塩ふく 背中 あるけ あるけ
   身を切る 吹雪 あるけ あるけ
    凍てつく 目鼻 あるけ あるけ

なんですよ?
なんで体力増進のためとはいえそこまでして歩かなくちゃならんのか。

つくづくこういうセンスが今とは違うなあと
隔世の感があるのですが(昭和15年ならそりゃあるよな)、
この話題はたんなる「つかみ」ですのであまり気にしないで下さい。



それはともかく、この「 体力増進のために歩く」、
皆さん実践していらっしゃいますか?

わたしは一日のうち必ず最低4~50分は歩くことを目標にしていて、
用事で歩かないときには公園を散歩したりするのですが、
アメリカ滞在時にはいつもより時間もあるし、
積極的にこの期間に体力を付けることを旨としています。

歩く場所を車で探しながら走り、州立公園や緑の多い地域で
気軽に車を停めてそこで歩いてみたり・・。

それがわたしにとっての「観光」ともなっています。



州立公園、という看板を見つけて車を停めてみたら、
そこは「ボート乗り入れ専門公園」だったことがあります。
駐車場からボートが引っ張れるように
こんなスロープがつけられているのです。




前にもこのブログでご紹介したことがある

「ホプキントン州立公園」。

車一台につき5ドルが駐車料として徴収されますが、
9時に係員が来るまでに入場すれば無料です。



去年からいつも同じところで見る人。
近くに車を停め、いつも無料の時間に入り、
このテーブルでコーヒーを飲みながら仕事しています。

静かでほとんど人のいない時間なので贅沢な書斎ですね。



ここでこのシマリスを見たのは初めてです。





おなじみトウブハイイロリスも発見。
テーブルの上に残された残飯を食べているようです。

このリスは、わたしに見つかったと知るとぢっと固まって
置物のようになっていました。
リスはだいたいそうやって身を守ります。
近づいてきたら脱兎の?速さで逃げます。



湖の岸の砂浜でじっとしていた二羽の白鳩。
こっちを見るのですが近づいても全然逃げませんでした。



カミツキガメが道路を渡るのを見ていたら、

「あなたこれが車にひかれないように見てなさい」

と命令したおばちゃん、ドリス・オグラディ(65・仮名)を目撃。
服装と、なんといっても体型が全く変わっていないので
遠くからでもすぐわかりました。



この「ミスター・チャン」も、三年前くらいからのおなじみです。
いつも三匹の犬を連れてこの土手に来ては右側の湖に、
そして左側の土手にボールを投げ、犬達は臆せずそれを拾いに行きます。

坂で吠えている茶色い犬は去年水に入るのを怖がっていましたが、
今年はちゃんと泳げるようになったらしく、果敢に飛び込んでいました。



今泳いでボールを取りにいっているのは茶色くんです。
近くを通ったとき、初めてミスター・チャンと挨拶を交わしました。
それはいいけど、チャンさん去年よりお腹が出てるような・・。



この湖は水泳禁止ですが、勿論そんなことを守るアメリカ人ではありません。
この5人は、お揃いの赤い水泳パンツを入って土手から入水し、
泳いでいました。
同じクラブの団体かなんかかな。 



それを岸から眺める体重1トンの女性。

さて、息子のキャンプが変わり、住むところが変わったので、
新しい「歩き場所」を求めて、少しホテルの近くを探してみました。



ホテルの隣にあったのがこのトレイル。
給水塔等のある小山なのですが、麓には幼稚園がありました。

 

住宅街にいきなり入り口があります。
ゲートには地図があり、ついでに愛犬家用の袋も完備。
アメリカではこの「落とし物」は全くといっていいほど見ません。



殺人現場発見。



頂上まで車で上がれます。
何処に停めていいのか迷いましたが、近くで赤ちゃんと小さな女の子を
遊ばせていたお母さんがグッドモーニング、と声をかけてくれたので

「ここに停めていいんですか」

と聞いてこのベンチの手前に停めました。



さっそく山道を下るコースを歩き出したのですが、
この緑のトンネルが災いして?顔の周りに虫が寄ってきます。
ここではよくあることなので、わたしは歩くときに
必ず携帯用のハーブスプレーを使って追い払うのですが、
このときはあまりに頻繁だったため、ボトルがほとんど
空になってしまいました・・。

日本では街中では望めないくらい恵まれた環境ですが、
おそらくここにはもう来ないと思います。



木の溝にはまり込んで擬態している(つもりの)リス。

 

この日は息子の行っているウェルズリー周辺を探検してみました。
オーガニックスーパーのホールフーズの周りにトレイルが出来ているのを発見。
スーパーの駐車場に車を停めて歩き出しました。
まず小さな野球場が現れます。



駐車場の出口から見た光景。
あぜ道のようなトレイルが繋がっている模様。
ここを歩いていきます。



右側は広大な球技場、左は野球場とテニスコート。
コートは無料で使えるようです。
この日は独立記念日の朝で、お年寄りがテニスに興じていました。
少し離れたコートにいる一団がやたらやかましいと思ったら中国人でした。
あの人達、たぶん嫌われてると思う。



途中に自然石に刻まれたこのフィールドの寄贈者の名前がありました。
学校の建物もそうですが、アメリカではこのように資産家は、
地域や出身校にグラウンド、あるいは校舎を寄贈して、そこに自分の
名前を刻むのをステイタスにすることがよくあります。

庶民でも簡単にできる「後世への名前の残し方」です。



この辺りの「中流くらい」のよくあるタイプの家。
ボストンの郊外でも結構経済レベルの高い地域のようです。
集合住宅がそもそもあまりないので、「庭付き一軒家」に住むのが当たり前。

加えてアメリカ人は衣食住のうち「住」を飛び抜けて重視しますから、
どこの家も外観や庭を情熱を込めて設え、手入れを怠りません。
芝生を刈るのは一家の主人の重要な役割となっています。



トレイルがどこまで続いているのか分からなくなったので、
一般道を歩いていくと、ウェルズリー高校(公立校)がありました。



道の反対側にはアスレチックタワーが。
高校のアクティビティで使用するために作られたようです。
アメリカの学校には必ずと言っていいほどこういうのがあり、
息子は前半のキャンプでもウォールクライミングをしたそうです。



また再びトレイルに戻り、角を曲がると
柵にとまっていた小鳥と目が合いました。



こっち見てますね(笑)
この小鳥の名前は分かりませんでした。

 

トレイルはこんな踏み分け道の部分もあります。
ブルックパス、という名前の通り、横を小川が流れています。
勿論護岸工事がされたようなのではなく、自然の小川。



右側が小川で小川の向こうが民家の庭です。
勿論庭に柵などありません。



1928年からここにあるらしい。
何なのかはわかりませんでした。

 

元々森だったところなので、至る所にトレイルとオープンスペース、
つまり車が簡単に停められて、湖などがあって、ピクニックも出来るような
空間がこれだけ残されているということです。

週末の朝には、「歩こう会」のようなイベントも催されるようです。



この辺ではスズメ並みにたくさんいる鳥。
これも名前は分からず。
何か御馳走をくわえているようですが、なんでしょうか。
空挺レンジャーで隊員の皆さんがかじっていたもののようですが。



逃げました。



さらに歩いていくと野うさぎ発見。
この辺は野うさぎがどこにでも生息していますが、大きさは
どれもだいたい掌に乗るか乗らないかのミニサイズ。



こっちにロックオンされたことに気づきました。



こういうとき、彼らはひたすら息をひそめてじっとしています。
それをいいことにそっと近づいていってシャッターを切りまくりました。



急に逃げたら追いかけて来られる、と思っているようです。
向こうもそーっと向きを変え、逃げる準備。



一旦立ち止まってこちらを確認。
この後文字通りの脱兎となってものすごい速さで走っていきました。

 

灰色リスが木の陰からこちらを窺っています。

 

ハイイロリスと同じところにシマリスの夫婦もいました。



トレイルはこのように緑のトンネルになっているところもあります。

 

ウォーキング中ではありませんが、ドライブ中にワイルドターキー発見。
一昨年、学校の帰りにこのつがいの写真を撮り、

「この鳥何だか知っていますか」

と聞いたところ、リュウTさんとmizukiさんに教えてもらいました。
バーボン好きならすぐわかるのだそうです(笑)

そのときとまったく同じ場所で同じ道路を横切り、
民家の庭に入っていきました。

「これ絶対付近住民に名前付けられてるよね」
「マーサとジャックとか」
「快適なんだろうね。なまじ森の中みたいに天敵がいないから」



さて、ウォーキングから帰ってきたある日、ホテルのロビーを歩くと
タップシューズのような音がするので靴底をみたら、
ナイキの独特のヒールの穴にちょうどいい大きさの石が
このようにはまり込んでいました。

この夏ここをあるいた記念に、この石は持って帰ることにします。




 


三井造船資料館~戦時標準船「ぶら志’’る丸」のこと

2014-07-15 | 海軍

昔の(2010年11月)エントリから絵をリサイクルしてきました。
この絵を出して来るたびに苦労自慢を聞かされた古くからの読者は

「また始まった」

と思われるかもしれませんが、これは靖国神社の図書室で見つけた
40cmX50cmくらいの巨大な画集をそこでコピーしてもらい、
持って帰って模写したものです。

しかもこのころは絵画ソフトをまだ持っておらず、gooブログに付属している
「お絵描きツール」を使い、マウスパッドに指をすべらせて書いたもの。
gooブロガーのみなさんならあのツールでこれだけ描くのが
いかに大変なことか、わかっていただけるでしょうか。

本文とは全く関係ないのでこの辺にしておきます。


さて、本稿はカテゴリで言うと三井造船の資料館なのですが、表題の

「ぶら志''る丸」

は三井商船が保有してはいたものの三菱長崎で建造されたもので、
こことは全く関係ありません。
なぜ三井造船資料館での見学が「ぶら志’る丸」にたどり着いたかと云うと、
それはこの写真がきっかけでした。



写真の説明にはただ

「大量建造の規格型戦時標準船」1943年(昭和18年)

とあります。
名前くらいはついていたであろうに、それも今日では判明しないくらい
三井造船では「大量に」建造されたということでしょうか。


この「戦時標準船」という聞き慣れない言葉の意味から説明しますと。
まず広義には

戦争中の海上輸送力増強を目的に、構造を簡略化し大量建造された船舶

となり、第二次世界大戦に参加した主要国で建造されました。
たとえばアメリカでは

リバティ船

という戦時標準船を大戦中粗製濫造しました。
「粗製濫造」と言い切るのは、あまりにも大量に、迅速に、
とにかく数を稼げばいいとばかりに建造されたためで、これらの船は
案の定就航後事故が多発したからです。

その即製建造ぶりはたとえば

起工後4日と15時間29分で進水

するという珍記録も生まれたほどで、大型船の最短建造時間としての
そのレコードは今日に至るまで破られていません。




リヴァティ船について調べていて初めて知ったのですが、わたしは現在アメリカに
2隻だけ現存しているリバティ船のうちの一隻、

「ジェレマイア・オブライエン」

を実際に目撃しています。
昨年の夏、サンフランシスコの潜水艦「パンパニト」を見学したのですが、
「パンパニト」の岸壁の後ろ側に停泊していた妙に不格好な船がそれで、
こちらもやはり博物館となって一般公開されていたのです。

この「ジェレマイア」某が、どういう人物かは分かりませんでした。
というのも、リヴァティに船は当初『著名な亡くなったアメリカ人の人名
をつけていたのですが、あまりにもたくさん建造しすぎて名前が足りなくなり、
そのうち外国人名や生きている人や、ルールがぐちゃぐちゃになってしまったからです。

おそらくどさくさに紛れて自分の名前をちゃっかりつけた人もいたに違いありません。


この「ジェレマイア」は世界に現存する3隻のリバティ船のうちの一隻で、もう一隻の
「ジョン・W・ブラウン」はボルチモアに、もう一隻は外国にあって、
なぜかギリシャに「ヘラス・ビクトリー」が動態保存されています。

動態保存、とは船が運用されないような状態において、機械類が本来の用途としての動作、
あるいは運用が可能な状態で保存されているので、機関部は稼働可能です。

映画「タイタニック」の撮影にはこの「ジェレマイア」の機関室がCG素材として
撮影され、加工されて使用されているそうです。
タイタニックは巨大船であったため、そのまま使えなかったのでしょう。


さて、それでは日本の戦時標準船はどのようなものだったでしょうか。

戦時には船腹の需要が平時に比べ増大するのに加え、敵国の行う
通商破壊活動によって船舶が撃沈され消耗するため、いずれの国も
「戦時標準船」なる「簡単にできる規格化された船」が必要となってくるわけです。
「標準」とはつまりこの「規格化」を意味します。

日本ではこの規格化された大量生産の船は第4次計画に亘って造られ、
その大まかな経緯を記しておくと、

第1次・・・戦後にも利用しようとしたため建造に比較的時間がかけられた。
     185隻建造され、終戦時残ったのは11隻だった。

第2次・・・敵の通商破壊活動のため船の消耗に生産が追いつかなくなる。
     粗製濫造は輪をかけて進み、中には「轟沈型」とあだ名されたものも。
     殆どが着工から1ヶ月ほどで進水しており、419隻建造された。

第3次・・・制空権、制海権が失われていたため 、わずかしか建造されなかった。
     
第4次・・・敵の勢力下を強行突破するための速力、防御力の高い船が計画された。
     しかしすでに日本には造船能力がなかったため、計画だけで終わった。


この経緯には日本の負け戦ぶりが如実に表れており、中でも第3次から第4次の実情は、
戦局とともに経済状態の悪化が窺えて、読むだけで涙が出そうです。


さて、戦時標準船がこのように濫造されなければいけなかったのであれば、
当然、それまでの民間船を戦時様に改造することも行われたに違いありません。



やはりここ三井造船で建造されたこの「報国丸」については
一度お話ししていますが、姉妹船の「愛国丸」とともに

「民間船として一旦は就航したが、実は有事の場合には
徴用されることを前提でそのために建造されていた」

という船であるわけです。
海軍に徴用された後は、特設巡洋艦と呼ばれ、「愛国丸」とともに
連合艦隊第24戦隊に編入され通商破壊活動に従事しました。

そして・・・、



おいおいこれは救難潜水母艦の「ちよた」じゃないか。

そうなんですけど、この「ちよた」の先代である空母「千代田」
「千歳型水上機母艦」の2番艦なんですね。
せっかくなので覚えていただくために写真を出してきました。



その千歳型のかつての姿。ご覧のように、この時点では水上機母艦です。



ミッドウェーで空母がいきなり4隻失われたので空母になった「千代田」。
上部構造物を取っただけにしか見えませんが何か?

という感じです。
こののっぺらぼうのような痛ましい改造のされ方を見ても、
いかに当時の日本が切羽詰まっていたかというのが窺い知れるのですが、
このときに空母に改造されたのは「千代田」だけではありませんでした。

海軍はミッドウェーで無くなった分だけ、つまり4隻の空母を
何らかの形で造ることにし、この「千代田」をいれて

「あるぜんちな丸」「シャルンホルスト号」「ぶら志’’る丸」

の4隻を何と空母に改装する予定を立てたのでした。
そんな無茶苦茶な。

「あるぜんちな丸」はもともと三井商船所有の貨客船で、
南米への移民輸送に活躍した船でしたが、この改造により

空母「海鷹」

として、ドイツから日本が買収していた客船「シャルンホルスト号」

空母「神鷹」(しんよう)

に、そして「ぶら志’’る丸」は空母に改造されることが決まったため
輸送任務に就いていたトラックから横須賀に戻る航海中、米軍潜水艦
「グリーンリング」の魚雷を受け、戦没したのでした。




ここでもう一度、沈み往く「ぶら志’’る丸」の絵をご覧下さい。
この絵を描いたとき、「ぶら志’’る丸」が戦時徴用船であることは知っていましたが、
この後空母に改造される予定だったとはわたしは全く知りませんでした。

舳先に立つ船長は民間人です。
もしこのまま「ぶら志’’る丸」が無事に日本に回航することができていれば、
その後は軍艦となり、大野船長はこの船を降りたはずなのです。

民間人船長として、徴用船が軍所有に変わる最後の航海で戦没した場合、
軍艦とその艦長に与えられるような死後の栄誉は与えられたでしょうか。

わたしにはそうは思えません。




「グリーンリング」の砲撃によって 「ぶら志’’る丸」は機関室が使用不能となり、
まず艦体は左舷へ傾斜し、
やがて船首が45度の角度で持ち上がりはじめました。

伝わるところによると、大野仁助船長は最後の瞬間ブリッジに立って
三度「天皇陛下万歳」を高唱して万歳をしたあとまもなく、
「ぶら志゛る丸」は海中に没した、とされています。

救命ボートには乗員が全部で149名移乗し、その最後の瞬間を目撃した人々が
生還したため、その話を元に三井商船ではこのような絵を制作したのでした。




大野船長は「仏の仁助」と呼ばれるくらい 温厚な人物でしたが、トラックに
回航したとき、現地の司令官に着任の挨拶をしようとしたところ
司令官が遊びに行っているということを聞き激怒したそうです。

戦地の司令官も遊びに出ることはありましょうが、大野船長はトラック到着まで
トイレ以外はずっと持ち場を離れずに任務を果たしたばかりでした。
民間人であっても海の男の挟持を持って任務に当たったと自負すればこそ、
それに引き換え肝心の海軍軍人がそんなことでは、と憤ったのでしょう。
このとき大野船長は日頃の温厚さからは考えられない激しい調子で

「帝国海軍が日本を滅ぼすぞ」

と言い捨てたと云われています。

そして海軍との間に起こったこんな事件も大野船長の憤りを
さらにあおったに違いありません。
ルオットに「ぶら志’’る丸」が回航したとき、現地の第6戦隊から

「貴船にパンを買いにいく」

といきなり打電がありました。

「もう客船でないのでパンはない」

と返事したところ、

「貴船は客船だから是が非でも焼いて欲しい」

と食い下がられたというのです。
仕方なく「ぶら志゛る丸」わざわざは船内から小麦粉とパン焼き器を探し出し、
その無理難題に応えたということですが、そんなことのために奔走させられ、
大野船長以下船員たちの腹の中はさぞ煮えくり返ったことでしょう。

そのような扱いからは、戦時徴用された「軍属」たる船に対する、
ともに外敵に対して戦う海の同胞への敬意というものは全く感じられません。

前にも一度書いたことがありますが、一般に帝国海軍の民間船、
および一般船員への扱いは、つねに格下に対する軽んじた、
時として侮蔑に満ちたものであったといいます。


戦時に徴用されたもと豪華客船だった「ぶら志’’る丸」の船長は、
舳先に立ちながら自分の運命をどのように振り返ったでしょうか。

海軍に徴用されながら栄誉どころか敬意も払われず、護衛も付けられずに
制海権の失われた海にたった一隻でその舳先を進めていった
戦時徴用船「ぶら志’’る丸」。

日本の船として敵艦の砲撃を受け、その艦体が傾き沈んでいく瞬間、
声高らかに天皇の御名を叫びながら、もしかしたら大野船長は一人の船長として
海軍のものにならず、民間船としてのままの船と運命を共にすることを
あるいは以て瞑すべしと考えていたのではないかと思えてなりません。 









 


朝霞駐屯地訪問記~自衛隊の「気配り」

2014-07-14 | 自衛隊

自衛隊広報館「りっくんランド」の見学が続いております。

よりによってディズニーランドと比較して
「あのような営業努力が足りない!」

とレンホーがしたり顔で言い放ち有料化させようとした本館ですが、
自衛隊の広報施設に平日人が押すな押すな状態になる方が異常なのであって、
やはりこの日も平日の昼間ということで見学者は数組。

わたし思うんですが、平日の昼間なら、
学校単位でこういう施設に見学に来させるべきなんですよ。


何しろ自衛隊は戦後一発の銃弾も撃っていない軍隊です。

展示と言っても、自衛隊の活動に理解を求めるものばかり。
アメリカの航空博物館のように、何千人もの敵国人を絨毯爆撃して
殺害した作戦を「あかつきのなんちゃら作戦」とか自画自賛して
石碑に縷々その詳細を彫り込んでいるような「資料」を展示している
ような国のものとは平和度において対逆に位置する資料館です。

館内で上映されている映画も自衛隊の国防に賭ける
熱き思いを謳ったものだったりで、全く問題ないと思うのですが。

実際は、自衛隊の存在自体に異を唱える日教組先生が一人でもいたり、
9条の会の活動家なんかが父兄に一人でもいたりしたら
大変なことになりかねないので、学校がそういう見学を
決してしないだろうというのはわかっていますけど。


そもそもレンホーは

「自衛隊の努力次第で広報施設に人が来るはず」

というフシギ理論を展開しているわけですが、少なくとも学校単位で
我が国の防衛施設について見学することすら不可能となった現在の日本で、
さらに民主党政権では、自衛隊の施設に興味を持つ国民が増えるような
積極的な施策をなにかひとつでもしようとしていたのかといいたい。
暴力装置とか「俺を知らんのか」は論外として。


最近、自衛隊に対する評価が高くなっています。
明らかに民主政権下からその傾向が顕著になったわけですが、
それは、民主政権下起きた東日本大震災で、自衛隊の災害派遣活動が
人々に強く印象づけられたからではないですか。

吉田茂が昔自衛隊員を前に言った、

「自衛隊が持て囃されるのは国が危機に陥ったときだ」

という理論を当てはめるならば、あの震災を日本人は危機と捕らえ、
さらにその根本の原因である、特に原発関連の対応を
民主党の明らかな失敗だったと認めていたということです。

菅直人が自分の功績を作るためにベントを遅らせて爆発させ最悪の事態とした
福島原発に対し、さらに「対策やってますパフォーマンス」のために、
原子炉に
ヘリコプターでバケツの水を掛けさせられた自衛官達のことを思うと
わたしは今でも菅政権への怒りと彼らへのすまなさでたまらない気持ちになります。

そして、自衛隊がもし以前より評価され脚光を浴びているのだとしたら、
それに続き、現在日本を取り巻く国際情勢が、防衛を意識せざるを得ない状況に
なっているからでしょう。


しかし、日本における厄介な獅子身中の虫のひとつはマスコミです。


「りっくんランドの見学を学校単位で」

とは書いてみましたが、それが今の日本でいかに非現実的かというと、
このマスコミの暗躍とリードがあまねく日本を覆っている現状があります。

集団的自衛権が閣議決定された日、

ちょうど地本から自衛隊入隊案内の手紙が届いたという高校生が

「徴兵制みたいでこわい」
「戦争することになるから自衛隊への志願が減っているらしい」

といったとする記事がありました。
この高校生(たち)は、そのことを自分で新聞社に電話をして、
しかもその日のうちに知らせたというわけでしょうか。

ちなみに、地本の方に聞いたところ、資料請求もしないのに
そんなものをいきなり送りつけることはない、ということでした。




案内のK一佐が色々と手に取って説明してくれています。
鉄板の入った背嚢には日本の旗が。

この日本の旗は、非常に目立ちやすいので、自衛隊であることを
わかりやすく表明することができると思われますが、
万が一のことを考えて、自衛隊もこの「目立たせ方」に
細心の注意を払って日の丸の色を本物より明るくする、
などの工夫が凝らされているのだそうです。



空挺団の降下始めで、このオート(バイクのこと)隊が
CHから走りながら出て来たのを思い出します。

この写真をあらためて見て、バイクにステップが付けられ、
子供でも簡単にまたがって乗れることに気づきました。
自前でこういうものも作ってしまえるとはいえ、手すりまで付けて
さらにヘルメットも被れるように装備してあります。

見よこの気配り。

それにしても、こんな仕様になっているのなら乗ってみれば良かった。
とはいえ当日スカート、しかもロング丈のを履いていたので
物理的に不可能だったんですけどね。



防護マスク4型

このガスマスクの形は、第一次世界大戦のころに
開発されたものとほとんど変わりません。
最初に出たこの形、この仕組みが最終型だったようです。

目鼻を覆い、呼吸の必要な口と鼻を覆う部分には
有毒ガスを吸収するための缶を装着する仕組み。

改良を加えるとしても、軽量にするとか、ゴーグル部分に
近視者のためのレンズを装填できるバージョンがあるとか、
まあその程度です。


しかし、度入りのマスクだと、その人しか使えないですね。


ところで、最近どこかで読んだ自衛官告白もの?で
新兵訓練のとき、班長という小隊の教官がこのガスマスクを装着させ、
それで走らせる(たぶん銃を持って)というのがありました。

重いのと呼吸困難で、体力のない者は倒れてしまうそうです。

それを命じる班長も自分がやらされてきたわけで、
このくらいは「苛め」などと呼ばないのかもしれませんが。




勿論本来のガスマスクは、化学科の管理によるもので、
このような検知器で有毒ガスが認められた場合、
ガスによるフォールアウトを防ぐために装着するものであって、
それをかぶってフォールアウトするのは本末転倒です。当たり前だ。

注射器のような用具が見えていますが、この先端を取り替えることにより、
兵器としての有毒ガスのみではなく、都市ガス
なども検知することができ、
災害時や、公害の測定にも利用することができるという便利グッズです。

陸自の全部隊に装備されています。



またしても気配り部門発見。

この広報館の中央には本物のAH−1コブラが展示されているのですが、
操縦席と同じ高さにステップが、しかも2列に分けられます。
これは、もしかしたら操縦席に座らせてくれることもあるのでしょうか。

そう思ったのは、ステップ前面のアクリルガラス部分が、
地下鉄のホーム乗降口のように引き戸になっていたからですが、
これはもし体験できるのなら是非一度座ってみたい・・。




陸自の「戦い方」について、広報しているコーナーもありました。
この図面を拡大できなくしてしまったのでorz、
詳細は分かりませんが、赤い矢印が敵勢力。
陸自の戦いというのは、基本水際から上がって来る敵とのものですから、
その敵に対し、戦車自走砲、武装ヘリをどのように配備するか、
ということを基本的なことだけ説明しているわけです。

基本的なので別に秘匿するほどの意味もないらしく、
日本語の説明の横には英語訳まであります。

これも一応、気配りというやつでしょうか。



「戦車導入のときにも陸自は別に式典をしない」

と、海自の自衛官授与式に参加したK1佐は海自と比べて
このようにおっしゃっていましたが、さすがに10式のときには
何かやったんじゃないのかなあ。
だって、こんな大々的に陸自が誇ってるくらいなんですから。

それにしても、この「世界最高性能」という言葉に
敏感に反応してしまうわけですが、そうだったんですか?

因みにこのとき、わたしの兼ねてからの「10式」という
名称に関する推論、

「制式が9年だったのに10式になったのは、
9式=旧式と同じ発音でイメージが良くないからではないか?」

というのを披露してみましたが、あまり賛同されませんでしたorz







さて、このあと、K1佐はAHの近くにある看板にも案内のある

「自衛官に変身コーナー」

で、自衛官の制服を着てみませんか、と誘って下さいました。
そこには広報館に詰めている係の自衛官がいて、わたしとTOに
それぞれのサイズの迷彩服を渡してくれました。



渡されたジャケットに袖を通したとたん、わたしは
それが埃臭かったり、据えたような匂いどころか、
たった今洗濯し終えたかのように爽やかな匂いがしているのに
軽くショックを受けました。

このような資料館で一日に何人来て、そのうちどれほどが
着用するかどうかも分からないコスプレ用の衣装を
ここではもしかしたら毎日洗濯しているのだろうか・・・。


先日の横須賀での艦艇公開の列で、日向に並ばされて怒り心頭、

「だから自衛隊はお役所仕事だっていうんだよ」

と大きな声で文句を言っていた無帽無髪のおじさんなどは、
自分が快適でないことは全て先回りして解決するのが
お役所仕事とは対極にある「サービス」だと思っているようでした。

こういう人たちの言う「自衛隊のサービス」とは何なのでしょう。



広報施設として必要な内容を十分に備えた充実の施設。
その展示には細心の注意が払われ、細かいところには
至るところに気配りが感じられました。

これが「お役所仕事」でも「親方日の丸にあぐらをかいた
おざなりの広報」でもないことは、一度でも実際に
ここに訪れれば、誰でもわかるでしょう。


もっともここを訪れていろいろとはしゃいでおきながら

「ディズニーランドのようなサービス努力をすれば
お金をとってもリピーターはある」

と言い放ち、有料化を命じたレンホーは、ディズニーランドの高額の入場料が
そのサービスの代価となっていることを全く無視して、
自衛隊の広報施設に金銭に値するだけの「営業努力」を要求したわけですが、
何を見ていたんでしょうか。

あるじゃないですか、ここには。
金銭に換算されない、しかし行き届いたサービスが。






 


朝霞駐屯地訪問記~りっくんランド=「テーマパーク」?

2014-07-13 | 自衛隊

本エントリジャンルを「テーマパーク」にしていいものかどうか、
少し考えましたが、このジャンル欄はgooブログ付属のもので
自分でタイトルを作れるカテゴリーと違って、たとえば

「海軍」「歴史」「自衛隊」「飛行家」

など、当ブログの中核を占めるジャンルに相当する分野がないのです。
(そのわりに『韓流』というジャンルには聞いたこともない
韓流スターとやらの名前はずらずらとあり、一体誰得だろうかと略)

さて、この日朝霞駐屯地に知り合いとなったK1佐を訪ねていき、

1佐自らの案内でちょっとした駐屯地内ツァーをしてもらいました。

基地内をわたしの運転する車で走っていると、2人の自衛隊員が
道を歩いていました。

「女性自衛官です」

2人とも髪を短くし着帽していたので言われるまで女性とは気づきませんでした。
朝霞駐屯地には女性自衛官教育隊があるのです。
女性の自衛官候補生(ライジング・サンのあれですね)、一般曹候補生、

陸曹候補生(陸自の曹昇任予定者)の教育を行う期間で、
ここでは前期教育だけが行われます。

昔は「婦人自衛官教育隊」という名称だったそうですが、
2003年(平成5年)から「女性自衛官教育隊」となったのです。


ライジング・サンでは、ストーリーの都合上、自候生のなかに
女性が2人いて一緒に訓練をするという設定になっていますが、
これは実際にはありえませんので念のため。

ただし、女性教育隊の隊長は女性とは限りませんし、
指導するのが男性自衛官というのはあるようです。

昨夜、たまたまテレビを付けたらディズニーチャンネルで
歌手のマイリー・サイラスが新兵を演じている映画をやっていました。
上官がすなわち恋のライバルともなるという青春もので、
上官に対しては

「Yes,Mom,yes!」

と鬼軍曹に対する返事のSir.を変えた返事をしていたり、
素敵な男性教官に2人で張り合ってアピールしたりと、
時間があったら最後まで観たいくらいだったのですが、
我が自衛隊の女性教育隊でもそんな話
(素敵な男性自衛官をめぐって恋の鞘当て笑みたいな)
ってあるのかな・・・・なんて不謹慎?

さて、わたしたちは広報館、通称りっくんランドに入館します。

勿論無料です。

これについては、あの悪名高いレンホーが事業仕分けの際、
あきらかにディズニーランドを指して

「家族4人で行ったら数万円を超えてもリピーターが後を絶たない」

といって、有料化しようとしたという事件がありましたね。




入ってすぐにある体験型装備展示。
右から防弾用の鉄板の入ったチョッキ、
携行荷物を詰めたバックパック(っていうのかな)、
一番左は・・・・・忘れましたorz

「実際に背負って見て下さい」

勧められて真ん中の背嚢を背負ってみました。



いや、わたしではありません。TOが、です(笑)
TOは決して体の厚みがないわけではなく、
むしろ最近とみに幅が増してきている(特に胴回り)のを
気にしているほどなのですが、そのTOが華奢に見えるくらいです。
それだけこの荷物に厚みがあるということですね。

一番右は「防弾チョッキ2型」という制式名称で、
見た目は普通のチョッキですが、背中と胸に防弾用の
鉄板が入っているため、重さは12キロになります。

イラクではこんなものを着て動き回らなければならなかったなんて、
本当に自衛隊員たちの活動には頭が下がる思いです。



自衛隊の資料館なのに、岩石を模した展示スペースに、
どれも実際に身につけることの出来る装備。
こんなものを背負ってばれないように持ち出すことは出来ないでしょうし
だいたい重いので、まさか持って帰る人はいないでしょうが
盗難防止用にどれも鎖でつないであります。
緩衝剤のようなシートを敷いて、傷つかないようにしている心配りも。

鉄板入り防弾チョッキをガンガン置いたら、本物の岩じゃないので
こっちが割れてしまうからですねわかります。

・・・・ん?それとも装備が傷まないように?



ヘルメットも靴も、イラク用と航空用が並んで展示されています。
右側のベージュの方が砂漠仕様ですが、靴の中に
砂が入り難いように、靴のタン(ベロ)部分に工夫があります。

左は航空靴なのですが、普通の仕様とは少し違います。

その自衛官人生のほとんどを航空靴を履いて歩んできた?
K1佐がまず砂漠用を取り上げて後ろを見せます。




「こちらは普通の仕様ですが、航空靴には
後ろにファスナーが付いているんです。
これは何のためかというと・・・・・・」

はいっ、わたしわかりました!
万が一飛行機が海に不時着した時、
海中でも靴が脱げるようにですね?

空挺レンジャーの基礎訓練でプールにフル装備で飛び込み、
水中で靴を脱ぐ訓練をしていましたが、
ああいうとき靴が脱げないとそれだけで溺れてしまうのです。

軽くおっしゃっていましたが、わたしは

「海に落ちる可能性」

を考えて作られている装備、というものに対して
今更軽いショックを覚えました。
やはり自衛隊というのは常人の住む世界とは考え方が
根本から違っていることをあらためて知らされたというか。




2000ポンド爆弾が展示されています。
詳しい説明がなかったのですが、これは不発処理した爆弾でしょうか。



この爆弾の後ろには、

我々は果たします

地域社会への貢献

我々の組織、設備、力を生かして国民生活の安定に
寄与するため、いろいろな活動を行っています。


と書かれたパネルに、緊急患者の空輸、部外工事への出動、
雪まつりの雪像作りなどの自衛隊の写真があります。



部外工事については今まで自衛隊が手がけ、
施設大隊が出動した各工事が地図で示されています。
これによると、

蔵王エコーライン
桜島避難道路
九州横断道路
幻の道路(小泊~竜飛線)
白馬村クロスカントリー競技場
名寄ピヤシリスキー場

が自衛隊の受け持った大きな部外工事です。




これらは大きな事業になりますが、
それほど大規模ではない工事もしょっちゅう手がけており、
この朝霞駐屯地周辺で行った部外工事は

和光市、朝霞市の中学校4校
和光市庁舎建設予定地
新座市総合運動公園

などだそうです。
あまり意識したことはありませんでしたが、学校や
公的施設の建設に自衛隊が出動していたんですね。

「子供達の学校を作るのに血に飢えた軍隊である自衛隊が
工事を行うことはどうたらこうたら」

と騒ぐ国籍の怪しい市民団体が今なら湧きそうですが、
この頃(昭和42年~昭和50年)にはこういうことに対しては
目こぼしというか全くスルーしていたんですね。

学生運動真っ盛りの頃で、今集団的自衛権のデモを組織したり、
何が何でも反対意見からしか報道しないマスコミの現在のトップが
当時は学生だったわけです。
きっと、その頃火炎瓶を投げたり篭城するのに忙しかったのでしょう。




「国民のための活動」

のなかには勿論のこと、不発弾処理なども含まれるわけで、
当朝霞駐屯地には、東部方面隊後方支援下に隷属する
不発弾処理隊である

第102不発弾処理隊

があり、記憶に新しいところでは2013年、品川の住宅街で
住民1150人を非難させての不発弾処理に出動しています。

これを報じるマスコミの論調が相変わらず「旧軍非難」
「戦争をした日本非難」に終始し、処理部隊については
何のねぎらいも心配も見せないという、屑っぷりでしたが、
処理隊が不発弾処理を行った場合の特殊勤務手当は、
出動1回につき5,200円と定められており、この危険な作業が
ほとんど「給料の範囲内」で行われていることを示しています。

しかもこの5,200円というのは「危険だった場合」に限られ、
危険性の低いものについては1時間当たり110円となっています。

つまり、「これは絶対に爆発するようなものではない」と
判断される不発弾の場合は、時給110円で終わるわけです。
ベースの給料というものを全く控除して語っているとはいえ、
ワ●ミでも時給930円の時代に、これはないのではないでしょうか。


先日、非常に不愉快な写真を見ました。


訓練を終え、街中を歩く迷彩の自衛隊員達の列に、
自衛隊に対するありとあらゆる讒言非難の類いを書いた
プラカードを突きつけ、叫ぶ「市民」団体。

写真の、迷彩のフェイスペイントを施した隊員は、
眼差しをまっすぐ前に向け、無表情でしたが、
自分の母親のような中年女性に、面と向かって悪意を向けられ、
内心どんな思いをしているかを考えると胸が痛みました。

あいつらは(もうあいつら呼ばわりでいいよね)、自衛隊が
何をされても決して反撃しないことを知っているから
ああやって安心してやりたい放題なのです。
岩国や沖縄の基地で米軍軍人個人に嫌がらせしている輩も、
それを絶対に禁じられている相手だから嵩にかかっているのです。

相手が人民解放軍や韓国軍の兵士でも同じことができるのでしょうか。
そもそもこの、自衛隊が国民を脅かす!といって嫌がらせしている連中は、
実際に日本を脅かしている中国や朝鮮半島はどうでもいいのでしょうか。


この、「反撃できないからやりたい放題」という構図が、
そのまま日本とこれらの周辺国を表わしているではありませんか。

つまりこの市民団体は、周辺国ないし周辺国民ととメンタルが
(もしかしたら血統も)同じ人たちということです。



爆弾処理や災害派遣でもしかしたら自分たちの命が救われていた、
あるいは将来救われる可能性もあるのに、その自衛隊に対して
ここまで自分たちの主義主張のために、傲慢で理のない振る舞いをするからには、
災害時に一家揃って救出されることを拒否するくらいの覚悟はあるんでしょうね?






さて、このりっくんランド、レンホー仕分けで有料にすることが決められ、
そのことが報道されると、それが宣伝になって見学者が激増しました。
しかしこれは同時に「駆け込み見学」の賑わいでもあったわけで、
実際に実験的に有料化されると、そののち
案の定入場者はがた減りし、
実験期間の終了を待たずして元の無料に戻したという経緯でした。

この蓮舫来訪(漫才コンビみたい)のときの自衛隊内の「空気」について、
K1佐からご本人の感想でもあるところの発言を聞いたのですが、
もう少し後のお楽しみとさせていただきましょう。

しかし、あの一連の仕分けパフォーマンスで、蓮舫という議員は
民主党悪政の象徴(のひとつ。あまり多すぎて・・・)として
レジェンドとなりましたね。

だいたい商業テーマパークと自衛隊広報館を同列で語った時点で、
小賢しいだけで実の無い、おつむの内容を披瀝したようなものですよ。



・・・といいながら、当ブログもこのエントリのジャンルを
「テーマパーク」にしてるじゃないか、と言われてしまいそうですけど。



続く。

 


ヒラー航空博物館~007「女王陛下のジェットパック」

2014-07-12 | 航空機

イアン・フレミング原作「007 サンダーボール作戦」は、
007シリーズの第4作で、ショーン・コネリーの主演によるものです。

原子爆弾2発を搭載したNATO空軍のヴァルカン爆撃機が犯罪組織
「スペクター」に奪われ、身代金として1億ポンドのダイヤモンドを要求。
英国諜報部は「サンダーボール作戦」を発令。
ボンドはバハマに飛び、(女にちょっかいかけながら)核爆弾を捜索する—

というストーリーなのですが、毎回話題になるボンドの秘密兵器のなかで
最も話題になったのが、画像でボンドが背負っている

ロケットベルト(ジェット・パック)

でした。




最初にジェットパックを考案したのはロシアの技術者チームです。
1919年のことと言いますから、航空機も実用化されたばかりの頃です。
しかしこれはアイデアが特許を取っただけで、実用化されませんでした。


時代は思いっきり飛んで1958年。
チオコール社(アメリカ)のエンジニアが、

「プロジェクト・グラスホッパー」

というジャンプベルトの開発を行いました。
推力は高圧圧縮によってくくられた窒素で、それを噴出する二つの小さなノズルが
垂直下方に向けられており、ベルトを着用してノズルの弁を開くと、
その噴出で7mのジャンプができ、前方には時速4~50キロの速さで進みました。
これは実験だけにとどまりそれ以上の開発はされていません。

そして1959年。

エアロジェットジェネラルコーポレーション

は、米軍との契約によりジェットパックの開発を始めました。

米軍はこの開発に非常な興味を寄せていました。
用途はまず偵察、そして山の斜面に空からアクセスしたり、川を横断したり。
あるいは地雷原を飛び越えることが可能になるからです。

ただ、研究はしたものの結局それは軍の運用には至りませんでした。
なぜかって・・・・危険だったからじゃないかなあ。



ロケットパックの稼働原理は過酸化水素駆動です。
当初は触媒との反応で高温ガスの放出が行われ、
それがノズルから噴射されるというものでしたが、
なんといっても過酸化系推進剤は事故のときに火災や爆発の危険を伴い、
人体にとっても大変危険です。

後にターボジェットエンジンが搭載されたタイプができ、
これは空気を排出するもので、
ロケットパックよりも性能と安全性は増したものと思われます。




いずれも初期の頃のジェットパックです。
上記写真右は

ベルテキストロン・ロケットベルト

これはジェットパックやロケットパックの最も古い、知られたタイプです。
過酸化水素によるもので、欠点も山積みと言えました。


◎飛行時間はわずか30秒以内(写真にも航続時間28秒とある)

◎噴射剤の過酸化物の高コスト

◎パラシュートを使える高度まであがらないので安全性に欠ける

◎コントロールの訓練でも安全性は保証できない

◎全て手動なのでとてつもなく難しい


これを開発したのは

ウェンデル・F・ムーア

チャック・イェーガーが超音速を突破した、あのXS−1の開発を行った技術者で、
ベルX−2の開発研究を行いながら(息抜きというやつだったのかもしれません)
ロケットベルトの開発も行っていたそうです。

左は航続時間2時間と飛躍的に機能が改善しています。
これが右の製品からわずか2年後のもので、

LTV Corporation社製

昔、コルセアやクルセダーを作ったこともある「ボート」社です。

 

LUNAR POGO(1965~68) Bell Textron

航続時間10分 過酸化水素方式 手動

小さなロケット推進のプラットフォーム型。
背景が真っ赤ですが、これはカリフォルニアでよく見かける植物です。
名前は知りませんが。

 

たまたま去年撮った写真が、同じヒラー航空博物館の同じフォルダに入っていました。


 

JET BELT    Bell/Williams Research(1969~1984)

バイプラスタービン式 ジェット燃料 

航続時間10~30分 手動



REACTION ROCKET  Martin Marretia 1973

窒素ガス デジタル フライバイワイヤ ジャイロ式

ジェットパックは宇宙開発が盛んだったころに現れたので、
宇宙で使うことを期待して開発されたものもありました。



重力がないのをいいことに、本来なら重すぎて持てないものも
こうやって担いでしまえるというわけです。
他のジェットパックより重そうですね。

無重力状態ではジェットを噴出すると宇宙の彼方に飛んでいってしまうので(多分)
おそらく人間の力では推進できない動きを補遺する仕組みなのだと思われます。
 




COMMERCIAL JET PACK  N.TYLER  POWER HOUSE
(1970~)

過酸化水素方式 航続時間30秒 手動




ここにはこの実物が展示されています。
これこそがボンドが「スペクター」のジャック・プヴァール大佐を殺害した後、
脱出用に背負って飛んだ、ジェットパックです。



実用的ではないけれど、衆目を集めるジェットパックは、コマーシャルや
映画の撮影等に大いに活躍しています。



エクソスケルトン・フライング・ビークル

ライ・バイ・ワイヤ方式で簡単に操作できまた安全だそうです。
非常時の電源も供給される仕組みなのだとか。
航続時間は2時間40分。燃料はガソリンです。

これだけの時間飛べるのなら、通勤通学くらいには十分使えますよね。

もしそうしようと思った場合、道交法はどうなっているのでしょうか。



さて、この黒装束は最近の映画に登場したものですが、
皆さん何の映画だかお分かりですか?



トムクルーズの「マイノリティレポート」なんですが、わたくし残念ながら
この映画を見ていないので何がどうでてきたのか全く知りません。

ところで、このジェットパック、映画やコマーシャルしか使われていないということは
かなりお値段もお高いはず。
ここで気になるコストをちょっと調べてみたところ、

Tecnologia Aeroespacial Mexicana (TAM)製の「ロケットベルト」
飛び方と手入れの講習込み価格は25万ドル、約2500万円

ジェットパック・インターナショナル社製のジェットパックH202
講習込みで15万5000ドル(約1600万円)

The Martin Jetpack社のサイトによると、個人用ジェットパック
50000ドル(500万円)


最後のマーチン社のは妙に安いですが、ちゃんとサイトを見ていないので
その理由は分かりません。
これくらいなら買える!と興味を持った方は調べてみて下さい。

しかしどれも、航続時間はだいたい30秒といったところです。
そう、過酸化水素で推進している限り、この30秒というのは絶対の壁なんですね。
まあ、ジェットパックH202は30秒の壁を破った!ということで、
33秒の世界最長航続時間を誇る過酸化水素式ジェットパックだそうですが。


ところで・・・・何に使うのよ、これ。(基本的な疑問)

どう考えてもこれは「遊び」くらいにしか用途はあるまい、と思ったのですが、
調べてみれば案の定・・・・。

Jet Pack Hawaii

過酸化水素とか墜落の危険とかが全く無い、それが水の上のジェットパック。
パックから吹き出すのは水です。
おそらく黒いホースはポンプに繋がっていて、そこから高圧の水を噴射するために
海水が供給されるのでしょう。
たとえ墜落しても水の上、ちゃんとヘルメットもしているし、よほどのことが無い限り
事故は起こらなさそうに見えます。

これは、ハワイに行ったときちょっとやってみてもいいかな、という気になりませんか?

そして、やはりアメリカにはこんな人もいます。



将来は通勤も可能に? 空飛ぶ「ジェットパック」一般販売へ

見られない場合は→https://www.youtube.com/watch?v=MyRe3CW6Dak


「10万ドルを払える裕福なアドレナリン中毒者」のために30年来の自分の夢、

ジェットパックの開発を個人でして、販売までこぎ着けた男。

この映像を見ていただければ、ジェットパックを背負ったとき
どのように飛ぶのか非常に分かりやすいと思います。


しかし、プーンと飛んでいるところを狙い撃ちされたり、風に煽られて墜落したり、
そんなリスクを考えてさすがのアメリカ軍も一旦費用は出してみたものの

「やっぱりこれ無理だわ」

と思って開発をあきらめたんだと思うんですが、そもそも軍が介入しなかったことが
結局開発がそこから全くと言っていいほど進まなかった理由だと思います。
航空技術のほとんどは軍の必要性によって発達してきましたからね。

しかし上のYouTubeの開発者グレン氏のもとには、

「国境周辺の警備に使うため5つの軍隊と6つの政府から問い合わせがきて」

いるのだそうで、「軍」組織が相変わらずこのジェットパックにかなりの
関心を持っていることも事実です。

人類は鳥のように飛ぶことに憧れたからこそ、今日まで航空技術を発展させてきました。
乗り物を使って飛ぶことが当たり前になっても、いやだからこそ

「自分の体を使ってまるで鳥になったように飛んでみたい」

という「アドレナリン中毒者」は後を絶たないと見えます。



「ジェットマン」、B17爆撃機と共に大空を舞う

ついにここまで来たか、という感があります。




ところで・・・・・。

ボンドの話に戻りますが、グレン氏の言う「興味を示している6つの政府」のなかに
「女王陛下の政府」は入っているのでしょうか。