ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

年忘れネイビーギャラリー

2012-12-31 | 海軍人物伝


今年もはや最後の日になってしまいました。
いつも「ネイビーギャラリー」と称してその年にお話しした海軍軍人の
肖像を挙げていくのを恒例としています。
今年は話題がよく言えば多岐にわたったため、ネイビー画像が
あまりたくさん集まりませんでした。

その他のギャラリーシリーズは、年明けに「年初めギャラリー」としてお送りします。

笹井醇一少尉



「海兵67期の青春」

お約束の笹井中尉からです。
ただ、この少尉任官時に撮られた笹井少尉の写真の絵が描きたくて、
そのためにアップし、そのために記事を書きました。

どんな状況でも、どんな戦争の暗雲垂れ込める時勢でも、
若者はいつも青春を謳歌することができるものです。
その底抜けのパワーと生命力が、たとえ戦争を前にしても
「明日」を信じさせる強さとなるのかもしれません。
そんなことを、67期の生存者の手記から語ってみました。



臼渕巌海軍大尉


「男たちの大和」と「戦艦大和」

二つの大和映画を同じ角度から語ってみました。
臼渕巌大尉についてはどちらの映画も、そもそも年齢について
全く考証されていないらしい、という結論になりました。
大尉、という階級が終戦直前には非常に若年となっていたことを
どちらの映画も全く考慮していないと思われます。

臼渕大尉については本当にあのセリフを言ったのかどうかが、
史実として検証するすべもありません。
つまり吉田氏の創作ではないかという説もあるので、
それ以上個人的なエピソードの出ようもなく、したがって
「実在の人物でありながら創作上の人物のような扱い」
になってしまっているといった感があります。

臼渕大尉は71期581名中の98位という好成績で卒業しています。

檜貝襄治海軍大佐


「檜貝譲治大佐―女優の愛した侍」

戦後撃墜王としてもてはやされたり伝記が書かれたわけでもない、
しかし職人芸ともいえる精緻な攻撃法を研究によって編み出し、
腕だけでなく温厚で誠実、聯合艦隊司令から航空学生まで
その人格は全ての尊敬を集め、おまけに映画スターにも見まごう美青年。

若き日の高峰秀子の片思いの相手と言われ、軍神とも言われた、
この檜貝大佐こそもっと皆に知られるべきだと思うのですが・・。

最後まで自分の信念と美学を貫いて散ったその死こそ、
侍とたたえるにふさわしいものだったと思います。

小沢昭一海軍兵学校予備生徒


「海兵生徒小沢昭一~最後の兵学校生徒」

俳優、俳人、エッセイスト小沢昭一は、予科生徒として集められた
最後の兵学校生徒78期に4か月在籍していました。
この経験から氏が戦後反戦反体制反天皇の思想に至ったらしいこと、
そして海軍が終戦間際に小沢ら4000人もの生徒を最後に集めたわけ。
そんなことを語ってみました。

ある日、この記事にアクセスが集中しました。
12月10日、83歳でお亡くなりになったそうです。

合掌。


仁科関夫海軍少佐


兵学校71期をハンモックナンバー26番という優秀な成績で卒業した仁科中尉。
黒木博司大尉とともに人間魚雷「回天」を考案しました。
仁科中尉は黒木大尉を事故によって失った後、回天隊を率い、
昭和19年11月4日、菊水隊としてウルシー出撃。
「ミシシネワ」を沈没せしめたと言われています。

「六尺褌に、搭乗服に身を固め、日本刀をぶち込み、七生報国の白鉢巻を額に、
黒木少佐の写真を胸ポケットに、右手には爆発棹、
背には可愛い女の子の贈り物の布団を当て、いざ抜き放った日本刀、
神州の曙を胸に、大元帥陛下の万歳を唱えて、全力30ノット、大型空母に体当り」

中尉の最後(前日)の日記より。

黒木博司少佐


人間魚雷「回天」は黒木博司大尉と仁科中尉によって発案、開発されました。
黒木大尉はこの特攻を敢行することによって、「航空部隊が後に続くこと」
を期していたといわれています。

「たとえ大西瀧治郎がいなかったとしても、日本人は誰かが特攻と言う戦法をしただろう」
とわたしは考えていますが、その根拠が、この黒木大尉です。

海軍機関学校卒、この俊秀が、あの時代に生まれたがために選択した道。
特攻は追いつめられた日本人の「必然」ともいえました。
二度とその道は歩んではなりませんが、この覚悟を持った若者たちの存在が、
日本と言う国を、戦後精神的に支え、評価されてきたことまで否定してはいけません。
そして、その自死の精神は世界の思想家にとって称賛と憧憬の対象になったということも。

板倉光馬海軍少佐


板倉少佐は、「回天」の司令官になってすぐ、第一子に恵まれます。
そのときすでに殉職していた黒木大尉はそれを知ることはありませんでしたが、
仁科中尉は「自分たちは子孫を残していくことはできないけど、司令官、
坊ちゃんを立派に育ててください」と言い遺して往きました。

「子孫を残さずに往く」

これが、若い彼らにとって唯一にして最後の今生への心残りであったことでしょう。
しかし、そのかわり自分の死によって未来の日本人が生き残る。
彼らの慰めはそこにあったはずです。

仁科中尉がその誕生を喜んだ赤ん坊は仁科中尉戦死後、病没します。
しかしその知らせを受けても板倉少佐は
「自分の子供か死んだくらいで家に帰るわけにはいかない」
と玄関から立ち去ろうとしました。
皆になだめられて息子の亡骸と一晩を過ごした少佐が
「あんたがうまれて俺はいつ死んでもいいと思ったのになぜ死んだのだ」
と号泣しているのを部下が目撃し、
「この人の下でなら死ねる」と泣きながら仲間に語りました。

子を生(な)すということが、自分の生、自分がこの世に生まれてきたことに
意味を与えるという思いは、おそらく「自分の死」=「自分の消滅」を考えるとき
人が本能的に行きつくものなのかもしれません。


この写真で板倉少佐に抱かれている赤ん坊はその亡くなった第一子ではなく、
そのあと生まれた女の子だそうです。

木村惟雄海軍一飛曹



甲飛予科練の憂鬱

予科練というシステムは、つまり海軍が時局をにらんで飛行兵を
大量に海軍に採用した一大プロジェクトだったわけで、その目的は
時勢と「パイロットになれて、しかも士官にもなれる」という、
若者たちが飛びつくような誘い文句のおかげで、この木村一飛層のように
海軍士官学校を目指すほど優秀な若者が応募に殺到しました。

しかしながらそれは「人手ほしさの美辞麗句」という部分が避けがたく、
いざ入ってみたら「話が違う!」と彼らは不満を募らせ、
ついにはその一部がストライキを起こすという不祥事にまでなります。

この稿では、予科練の入隊試験からその訓練、卒業までを描いた映画
「空の少年兵」と、その予科練生たちの不満、海軍上層部について
お話ししてみました。


この稿に対してポチ三水が筑波山の旅館の女将から聞いてきた話、
予科練が「若鷲の歌」を歌ってから松根油を集めていた、と言う話題を、
別の稿『筑波山よーそろ』というページでご紹介させいただきました。
この時にポチ三水から教えていただいた

霞ヶ浦の湖岸(阿見町)には、予科連記念館(雄翔館)と、
3年前にできた予科練平和記念館というのがあります

ここを訪ねるのが来年の目標です。


それでは皆様、よいお年を。




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改憲派からの手紙~ノンチックさんの言葉

2012-12-30 | 日本のこと



「日本は戦後偉大な発展を遂げた。これは日本が成功したということで、

とりもなおさず憲法に日本人が体を合わせてしまったということでもある」

あなたが憲法は改正するべきではない、と言う理由の一つです。
結果論で、日本が経済大国になったということが「憲法は正しかった」
ということの証明であるとおっしゃっているのですね。

おっしゃるように日本は戦後、奇跡と言われるほどの発展を遂げました。
勤勉な国民性、創意工夫に富んだ技術とそれを真摯に追求する真面目さ、
そして熱心さ。
これらの美点がそれらを可能にし、さらには憲法で保障された安全がそれを後押しした。
おそらくあなたはこうおっしゃりたいのでしょう。

しかし、戦後日本の発展には、まれにみる後押しがあったとわたしは思っています。

「運」です。


韓国は戦後、日本からの賠償金名目の援助金を軍事政権が使い込んでしまい、
さらに日本とアメリカの技術指導と援助によって経済発展を遂げました。
それを自ら「漢江の奇跡」と称揚していますが、
日本からの援助があったことをいまだに国民に知らせていません。

日本の発展は、ただ日本人が優秀で勤勉であったから成し遂げられた、
ましてや憲法がそれを可能にした、と考え悦に入るのは、
日本の援助を知らされていないほとんどの韓国国民と一緒で、
実におめでたいと言わざるを得ないというのがわたしの意見です。

勿論、日本人の努力と、その能力を否定するものではありません。

中でも戦争から生きて帰ってきた人たちの、「死んで行った戦友に顔向けできない」
という痛切な思い、日本を建て直そうとする力、これらが、
日本の驚異の発展のパワーの源泉であったことは、疑うべくもないでしょう。

しかし戦後、東西対立の構造の中で起こった朝鮮戦争の特需などが、
日本の経済発展に利する状況となったこと、これが実は最も大きな日本の蘇生と
その後の発展になったというのが歴史から見る冷徹な現実でもあります。

ましてや「日本の発展は憲法のおかげ」などというのは我田引水も極まれりです。


あなた方の世代は、平和しか知らず、アメリカ文化に憧れて育ち、
あるいはその一方「日本は悪かった」という刷り込みをもっとも受けた世代です。

高度成長期の、もっとも日本が激変した時代に多感な時期を過ごし、
そして、右肩上がりの物質的な豊かさを日々享受しながら人生の充実期を迎え、
あのバブルの時代を、社会の最も中核にいる世代として迎えたのです。

バブルはいかがでしたか?
「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の欠けたることもなしと思へば」
と詠った藤原道長の絶頂期のように、
日本人である限り世界で怖いものはないというくらいの、あの国民総お大尽の日々。
OLがブランド買い物旅行に出かけ、学生はパーティで稼ぎ、不動産屋は超高級車を乗り回す。
毎日が狂乱の中に踊っているようなあれが、日本が戦後最初で最後に体験した
「愚者の平和」そして「虚栄の市(バニティ・フェア)」の最たるものであったと思います。

あれほど日本人が形骸化した、物質主義の極致であった時期は、
日本の長い歴史の中にもなかったのではないでしょうか。
全ての精神的なものを置き去って、ただ発展を続けた社会。
国を愛することが恥ずかしいと思っているくせに日本人であることで信用の恩恵を被り、
経済的な繁栄を享受してきた日々。

それが今、跡形もなく崩壊し、物質的豊かさは何も意味を持たず、
むしろあのバブルの頃に見られた馬鹿騒ぎに象徴されるような精神の荒廃を
生むだけだったと皆が気付いたのではないですか?

あなたは、厳密にはいまだにそうは思っておられないかもしれません。

あなたの世代は、日本人であることに誇りが持てなくなった、しかしそれでいながら、
日本の経済力が何よりも世界を圧倒すると信じている、典型的な「団塊の世代」です。

勿論、衣食足りて礼節を知るの言葉通り、最低の精神的生活のためにも経済は必要です。
貧しいよりは豊かな方がいい、清貧などは絵空事だ、そう思われるでしょうか。

「でも、今の世の中、誇りやプライド、名誉で食っていけるのでしょうか・・・?」

あなたはこうおっしゃいました。
実に「らしい」一言です。
誇り高きベトナムの話はあなたの心には響かなかったようです。
おそらく、最貧国であっても過去を誰の責任にすることもなく独立の道を歩んできたベトナムより、
プライドを捨ててでも、やくざのような民度の低い国、しかも内心皆が見下している国との商売を成功させ、
外貨を稼ぐ国のほうが実は「したたかで強い」国なのだとおっしゃりたいのでしょう。


自分たちが占領下で与えられた憲法と、隷属の平和を与えられ、むしろそれに
安住しているような国民は、国と国の付き合いにおいて、相手が礼節を持たずとも
それに対し何とも感じなくなるのでしょうか。

大使が公用車の国旗を盗まれたことに対し、あなたはわたしに向かって
「自分たちには関係ないしお前の激高するようなことでもない」とおっしゃいました。

国の象徴である国旗を盗る、と言う行為は単なる窃盗行為ではありません。
あからさまにその国を侮辱しようとする行為です。
しかし、これに対し丹羽大使はなんの声明も出していません。
おそらく、国旗など取られてもこの人間には何の痛痒も感じなかったのでしょう。
あなたのようにです。
そういう意味では、この国旗を奪った中国人は「全く襲う相手を間違えた」と言えます。
そして、日本政府の対応も相変わらずの「遺憾の意」でしたね。

ところで、この事件に対し日本人として「怒る」のは、中国と言う国に対して嫌悪を持つのは、
あなたにとっては恥ずかしいことなのですか。
日本国旗を「象徴」であるとすること、それを盗まれる行為にそれ以上の屈辱を感じること、
もしかしらあなたにとって、こういうのは「かっこ悪い」ことだったりするのでしょうか。

押し付けられた憲法を「何があっても守らねばならない」と語り、さらには
「自衛隊で十分だ、何かあったらアメリカが守ってくれる」などという、
あなたのこのような隷属精神のほうがよっぽど「恥ずかしい」と思うわたしのような人間は、
あなたから見ると滑稽に見えるのかもしれません。

あなたの世代を特徴づけるものは、高度成長期に仕事を覚え、
日本をその壮年期に経済大国にし、そして日教組教育のもっとも強い影響を受けていることです。
トヨタ、ホンダ、ソニー、シャープ、NEC。
皆、団塊の世代とともに発展を遂げ、日本の経済発展に寄与した企業です。

あなたの発言に見えるのは、良くも悪くもこの団塊世代に於ける典型的な傾向で、
経済至上主義や、あるいは日教組教育によって刷り込まれた贖罪史観です。
二回に亘って述べたように、占領国アメリカのプログラム、社会実験が、
悪い意味で功を奏した世代ともいえますが、もちろんこの世代が日本を
世界第二の経済大国にのし上げたことも事実です。
あなたたちの父親、つまり戦争に行って帰ってきた人々がその文字通り「贖罪意識」
(この場合は亡くなった同世代に対する)から凄まじい勢いで日本を高度成長させ、
あなた方の就職の際には「金の卵」と言う言葉が若い人に対して使われました。

あなたたちは「過労死」するほど仕事にまい進し、家庭を顧みない「企業戦士」として
滅私の精神で働き、「エコノミックアニマル」とやっかみ半分の蔑称を
世界はあなたたちに捧げたと聞きます。

そして今、あなたたちは、第一次ベビーブームの人たちを先頭に、少しずつ、
社会の第一線を退きつつあります。

あなたたちの残した日本社会は、今どのようになりつつあるでしょうか。

あなたたちの価値観、あなたたちの教育によって、これからの日本の子供が
育っていっても、はたして盤石だと思えるような精神的基盤が、
今の日本にあるでしょうか。

今の若い人たち、インターネット世代の人たちが、教育によって
日本を愛せなくなってしまった大半のあなたたちの世代と違い、
「自分の国を愛したい」と、むしろ洗脳的に行われる日教組先生の教育に
逆に反発し、振り子の振れのようにあなたがたとは反対の方向に
その針を振っていることにお気づきでしょうか。

8月15日の終戦記念日、もしあなたが靖国神社に行けば、
そこにたくさんの若い人たちの姿を見るでしょう。
鳥居をくぐるとき、直立して一礼する学生風の若者が、
もし平日そこに行けば必ず一人や二人いるのを知るでしょう。

あなた方にとって、これは「かっこ悪い」ことでしょうか。

ここに一冊の本があります。
靖国神社で買った、「日本人よありがとう」という本です。
この本の序文にマレーシアの元上院議員、
ラジャー・ダト・ノンチック氏が、日本人に向けてこのような詩を載せています。
最後に、この詩をあなた方にお贈りして、
わたしからの手紙を終わることにします。

 ちなみに、2012年9月、毎日新聞の世論調査で、「改憲すべきである」
と答えたのは全体の65パーセントで過去最高となったそうです。
ネット調査ではなく、改憲に反対意見を多く出すこの新聞社の調査です。

ご参考までに。

かつて 日本人は
清らかで美しかった
かつて 日本人は
親切でこころ豊かだった
アジアの国の誰にでも自分のことのように
一生懸命尽くしてくれた

何千万人もの 人のなかには
少しは 変な人もいたし
おこりんぼや わがままな人もいた
自分の考えを おしつけて
いばってばかりいる人だって
いなかったわけじゃない

でも その頃の日本人は
そんな少しの いやなことや
不愉快さを超えて
おおらかで まじめで
希望に満ちて明るかった

戦後の日本人は
自分たち日本人のことを
悪者だと思い込まされた
学校でも ジャーナリズムも
そうだとしか教えなかったから
まじめに
自分たちの父祖や先輩は
悪いことばかりした残酷無情な
ひどい人たちだったと 思っているようだ

だから アジアの国に行ったら
ひたすら ペコペコあやまって
私たちはそんなことはいたしませんと
言えばよいと思っている

そのくせ 経済力がついてきて
技術が向上してくると
自分の国や自分までが
えらいと思うようになってきて
うわべや 口先では
済まなかった悪かったと言いながら
ひとりよがりの
自分本位の 偉そうな態度をする
そんな 
今の日本人が 心配だ

本当に どうなっちまったんだろう
日本人は そんなはずじゃなかったのに
本当の日本人を知っているわたしたちには
今は いつも 歯がゆくて
くやしい思いがする

自分のことや
自分の会社の利益ばかり考えて
こせこせと
身勝手な行動ばかりしている
ヒョロヒョロの日本人は
これが本当の日本人なのだろうか

自分たちだけで集まっては
自分たちだけの楽しみや
ぜいたくに ふけりながら
自分がお世話になって住んでいる
自分の会社が仕事をしている
その国と 国民のことを 
さげすんだ眼で見たり
バカにしたりする

こんなひとたちと
本当に仲良くしてゆけるだろうか
どうして
どうして日本人は
こんなになってしまったんだ








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改憲派からの手紙~コスタリカとカルタゴの平和

2012-12-29 | 日本のこと

「憲法を改正すべきでない」というあなたの考えに対して、
わたしの意見をさらに述べる前に、少しご報告があります。

つい最近ですが、息子の家庭教師をクビにしました。

わたしは息子には目上の人に正しく敬語を使えるようになってもらいたいので、
オンラインでスカイプを使ったチューターを契約しています。
先日の授業は、息子が学校からもらってきた、写真の教科書についての宿題でした。

「平和について考える」
という、広島の原爆資料館を保存する運動のことを述べた内容で、宿題の最後は

「心に平和の砦を気築くとはどういうことでしょうか。あなたの考えを述べなさい」

というものでした。

わたしは息子の向かいで作業しながらずっと最初から最後まで聞いていますが、
スカイプですので先生の言っていることは聞こえません。
あくまでも息子の返答から先生の言っていることを想像するだけです。

その問題に彼らが取りかかったとき、わたしは手を止めて聞いていました。
息子はどうやら「あなたはどう思いますか」と質問されたらしく、
「えー、国と国があれば戦争は起こるからー・・・・」「それは仕方がないっていうか」
「やめようと一人が思ってもやめられないし」
などと拙い言葉で答えています。
すると先生が息子に向かって何か話し出しました。
それをひとしきり聞いてから、息子が言葉をはさみました。

「コスタリカ、ですか?」

「代わって」

わたしは息子のその一言を聞いた途端、言いました。
「え?」
「いいからママに代わって。先生にお話があるから」

怪訝な顔でヘッドセットを渡し、息子は別室に退場。
わたしはモニターの裏に座って先生に切り出しました。

「あの、お母様、姿が見えていないのですが」
「モニターの反対側に座っているので見えないのです。
それより、今息子にコスタリカとおっしゃいましたね。なぜですか」
「それは、息子さんが最後の設問に『国があれば戦争は起こるものだ』と
言いましたが、やはり、これは質問ですから、答えを書かないといけないので・・。
でも、息子さんが自分で考えなくてはいけないので提案として申し上げたんです」
「なぜコスタリカですか」
「コスタリカと言う国は、軍隊を持たない国なんですが・・・」
「存じております。
しかし、コスタリカはほとんどアメリカに軍備を依存する関係です。
つまりアメリカの軍事力の傘に守られており、機構に組み込まれています。
そして、軍隊は持ちませんが、その大きな理由は平和のためではなく、
あのあたりの国は軍があると軍部がすぐにクーデターを起こすからです。
ご存知でしたか?」
「いえ・・・」
「思想を誘導するのはやめていただきたい。
しかも、よく御存じでもないことを印象でおっしゃるのは問題外です」

エリス中尉、脚色でもなんでもなく、言文一致でこう言いました。

「そして、ご自分の思想を国語の時間に押し付けるのもおやめください。
戦争や平和についてはわたしはいつも息子と話し合って考えています。
それに、息子は『国があれば戦争は起こるものだ』と言いましたね。
平和の砦を心に築いたところで、起こるものは仕方がない、これが息子の考えです。
この宿題は『あなたの考えを述べなさい』とありますが、これじゃだめなんですか」

さすが長年教壇に立ってきたらしい中年の女性教師だけあって、
このような意見には決して異を唱えません。

「わかりました」

そう一言だけ答え、息子には「お母さんと一緒に考えてください」と言ったそうです。

次の日、派遣会社にわたしはそのことをそのまま報告しました。
「公立学校で今回のように親の目が届かないのをいいことに、
自分たちの思想を子供に刷り込む日教組先生と付き合わずに済むからこそ、
わたしは息子を私学に入れているのです。
家庭教師を頼んでこういう先生に当たるとは思いませんでした」

そういうと、社長は
「わたしもアメリカの学校に通い、生徒の意見を尊重する教育を受けましたからわかります。
そのように先生が意見を誘導することはかなり問題であると考えます。
すぐに先生を交代させますので」

わたしは決して先生をクビにしようと思って電話をしたわけではありませんが、
向こうが自主的に先生の交代を申し出てきたというわけです。


おそらくこの先生は現役の間もしょっちゅうこういう機会をとらえては
「軍備を持たない平和なコスタリカと言う国があります。
日本も、軍隊など持たなくても平和憲法さえあれば戦争をせずにすむのです」
と、九条礼賛をやっていたのに違いありません。

コスタリカの「平和憲法」が「有事の際にはそのために徴兵制を敷く」
となっていることなど知りもせず、また知ろうともしないで。

コスタリカも日本も、近年戦争に巻き込まれることもなく、平和の状態が続いています。
しかし、コスタリカの平和と言うのは完全にアメリカの一部として組み込まれた平和であって、
内実は麻薬と犯罪が横行する、実に不安定な国情であること、
そして日本の平和は、言わば「カルタゴの平和」であることを考えてみるべきです。

カルタゴの平和。

この言葉をご存知でしょうか。
カルタゴは今のチュニジアに紀元前6世紀ごろ繁栄を見た都市国家でした。
第二次ポエニ戦争でローマ帝国に負けたカルタゴは、戦後、武装を解除させられていました。
しかし、貿易で国を建て直したカルタゴは勇将ハンニバルの経済立て直しによって
平和と繁栄を享受するまでに復興を成し遂げ、人々はその中ですっかり
「非武装でも平和は守られるのだ」と平和ボケしていました。

戦後賠償もあっと言う前に終え、さらなる発展を見そうなこの優秀な国に対し、
ローマ帝国は脅威を感じ、この国の殲滅に乗り出しました。
ハンニバル将軍は国民にローマ帝国の脅威と国防の必要性を説きましたが、
平和ボケの国民は聞く耳を持たず、ついにハンニバルは
カルタゴの民の手によってローマに売り渡され、自殺します。

自国の危機を訴えて軍備を説いた愛国者を、いわば自らの手で殺めたカルタゴは、
その後、ローマからの無理難題にようやくその真意を悟りますが、時すでに遅く、
ローマはこの国が二度とよみがえらないように、侵攻し徹底した虐殺を行いました。
そしてわずか三年後、カルタゴはこの地上から跡形もなく消えてしまったのです。


この話を日本とどこかの国に置き換えることはできませんか?


戦勝国であるアメリカもまた日本に対し、ローマ帝国がカルタゴを殲滅したように、
二度とアメリカに逆らえないように「精神的な殲滅を謀った」のだとしたら?

そして、軍備の必要を説くハンニバルを疎んじて「お前は戦争がしたいのか」
と駆逐したカルタゴの民は、どこかの国の国民に似ていませんか?

戦後レジームからの脱却を唱える安倍首相を「戦争がやりたい人」などと叩き、
「おなかが痛くなって辞めた人」などと侮辱し、
政権に着く前からその経済政策のアラを探しては大騒ぎし、果てはあなたのように、
その財の元が「アヘン」であるから、そんなダーティな人間の唱える「改憲」には絶対反対、
などというレッテル貼りまでして否定する。


メディアと、そしてあなたがたの安倍叩きには実に凄まじいものがあります。
朝日新聞は「安倍叩きは社是」だといいましたし、産経新聞以外の大手紙は勿論、
NHKも他のテレビ局も横並びで安倍首相をヒステリックに非難しています。
なぜですか。

安倍首相がかつて「戦後レジームからの脱却」に着手したからですか?
憲法の改正を示唆したからですか?
カルタゴの将来を憂えて軍備の必要を説いたハンニバルのように。

思うに、日本人をカルタゴの平和という暗愚の闇に閉じ込めておきたい層、
つまり戦後レジームから脱却されると「よっぽど困る層」がいるのです。
この層が、前回マスコミを使って安倍氏を引きずりおろし、
また、帰化日本人だらけの政党だった民主党を第一党にしたのではないですか?

日本人が戦後レジームから脱却しては困る人々とは誰でしょうか。

それは日本の中の日本人ではない人々であり、日本人に目覚められては困る売国者であり、
そして、平和憲法とアメリカによってのみ日本が守られていると信じ、
カルタゴの平和の中に安住している、あなたがたなのです。





明日に続きます。


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改憲派からの手紙~団塊の世代のあなたへ

2012-12-28 | 日本のこと

          

このブログについて端から端までいつも目を通してくださっている、と言う方以外は、
最近、エリス中尉とある読者の討論がコメント欄で繰り広げられたのを
あるいはご存知でない方も多くおられるかもしれません。

そのやり取りそのものについては、ご本人の了解も得て、今まで隠していたコメントを
皆オープンにしていますので、もしその経緯がお知りになりたければ、
「白洲次郎」あるいは「不思議の国のダレス」のコメント欄をご覧ください。


さて、わたしがこれまでいろんな本や資料、映画映像、インターネット言論に至るまで、
そういった媒体から取り入れてきたことは、ある程度傾向を持ち、このブログに表されています。
もしそういった考えを読めば、わたし自身の思想信条なり、現政権や自衛隊、そして外交にいたるまで、
そして日本はどうあってほしいかと思っているかということも、読者の皆様にはお分かりでしょう。
ご自分と考えを同じくするからこそ読んでくださっている、そんな方もおられるとわたしは思っています。

しかしながら、ここに、全く異質の考えを持つ方が、コメントを下さるようになりました。
異質、というのは、つまりわたしの思想信条に対し異なる立場意見を持っているという意味です。
それがその読者の方であったわけですが、これは雑談の時にはわかりませんでした。
「そのような話」のときには決してコメントしてこられなかったからです。
これはパーティで政治思想の話はタブー、という話のようなものですから、不思議ではありません。
思想が違っても趣味が同じなら、何の問題もなく付き合えるのと同じです。

意図的にその話題に触れることさえお互い慎めばですが。

わたしは今にして思うのですが、この方はわたしの思想信条については
その個所をあえて読むことなくコメントしてきておられたのではないでしょうか。
そしてある日均衡が崩れました。
冒頭のこの挿絵、「不思議の国のダレス」のために描いたものですが、
この記事に対するコメント欄から「全てが始まった」というわけです。


この「不思議の国のダレス」は、その方ののリクエストともいえる
「白洲次郎」のいわば傍論として、ちょうど左翼学者で元防大校長の五百籏頭氏の講演の後、
氏の「意図的な間違い」を突っ込みついでに、憲法改正における吉田茂と白洲次郎について、
その経緯を説明しながらお話しさせていただいた稿です。

吉田も白洲も、日本が独立するときに政治の第一線にあり、その行方を決定した人々です。
とにかく日本は7年間、占領されていた。独立国家ではなかったのです。
その状態からどういう独立の形を勝ち取るのか、それは彼らの手腕にかかっていました。

この方は彼らをその点において最大に評価しておられました。
そして彼らの作った憲法を改正することは「間違いだ」とおっしゃいました。

そうでしょうか。

彼らの成しえた「独立の形」は、最良のものだったのか。
そして「日本」は真の独立国として立ちえたのか。

わたしは、その答えは「NO」だと思っています。

これから、その方に手紙を書きます。
しかし、これはこの個人に対する手紙ではありません。
ですから、反論や批判などはご無用です。
この方の世代、つまり日本が独立した昭和27年ごろ生まれた団塊の世代の、
同じのような考えの人たちへの提言であるとご理解ください。


ここでわたしは、自分の考えを述べようと思います。
これはあくまでもわたしの考えであり、あなたがたには相容れぬことも多いかと思います。
しかしそもそもおそらくわたしと考えを異にする人々はこのブログは読まないでしょう。
人は自分と同じ考えのものだけを目にしたいと思うものだからです。

つまりこの方は否定なさいましたが、自分の思想を吹き込もうという
「オルグ活動」を目的にでもしていない限り、そのような考えの方は
このブログの愛読者などにはならないのではないか、
わたしは非常に残念ながら今でもこのように思っております。


前にも一度書きましたが、健全な国体にとって一番恐ろしいのは全体主義です。
ですから、必ずある思想にはそれに相対する思想があり、右と左のバランスが
取れていることが望ましい、とわたしは今まで信じて参りました。
ですから、わたしはこの方のお考えをも否定するものではありません。

しかし、この国が今直面しているもっとも懸念すべき問題の一つとして
「愛国」が「右」とされ、「左」は「自虐」「反日」はなはだしきは「売国」として
対極に存在するという構図かあります。
なぜなのでしょうか。


そんなことからお話ししてみようと思います。

あなたは、昭和27年に生まれました。
(これは実在の個人に対して言っているわけではありませんから、
本当にそうでもそうでなくてもいいのです。ご了解ください)
この年、日本はサンフランシスコ講和条約によって独立国となったのです。
日本は戦争に負けて、7年間の間、主権がなかったのです。

そんなことは知っている、馬鹿にするな、とおっしゃるでしょうか。

日本は敗戦後7年で主権を取り戻した。
しかしこれは、戦勝国からその権利をもぎ取ったのではありません。
日本人がその力で独立を勝ち取ったわけではないのです。
アメリカが考えるところの独立を「与えられた」のです。

アメリカは日本との戦争に勝ちました。
これからの日本をどう料理していくか。
「日本の侵略」を食い止めるというアメリカの戦争に対する建前と、
大戦後大きく変わった国際的な「道徳的規範」から言っても、
これまでのようにこの国を「植民地」にすることはできない。
しかし、少なくとも戦勝国としての最大限の利益をここから得ねばならぬ。

アメリカはマッカーサーのGHQを介して丹念に吟味し、
この国を自分たちの都合のいいような国にリセットしようとしました。

そしてまず執り行ったのが「儀式」です。

遡及法であり、戦勝国が敗戦国を裁くという、国際法上違法の東京裁判。
アメリカはいったい何のためにこれを行ったのだと思います?
ラダビノッド・パル博士はこのような意見を述べました。
「これは裁判の名を借りた復讐であり、占領政策のプロパガンダに過ぎない」

つまりすべてはアメリカが日本を「これから統治するためのイニシエーション」だったのです。

そして占領下にあった7年の間、東京裁判に始まり、アメリカは着々と日本人の「精神性」を、
つまり、これまで日本人が心の支えにしてきたものを尽く破壊しました。
神道を追放し、教育勅語を廃止し、「軍」にまつわるものやことはすべて打ち壊しました。

敗戦で打ちひしがれぺしゃんこになってしまった日本人に、
「全ては軍が国民を騙してきたことで国民は被害者だ」というスローガンを与えました。
格好の「怒りのやり場」として「軍部」を日本人の前に投げ出したのです、
東条英機ら国家指導者をそのための生贄として処刑し、さらに「日本の悪」を繰り返し宣伝し洗脳しました。

これを「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」と言います。
きっとあなたはご存知ですね。知識の上では。

そんな占領政府の下で日本は独立したのです。
これが、日本にとって健全な独立だったとお思いでしょうか。
ただ常識だけで考えてもわたしにはこのような結論を出すことはできません。

そんな中で行われることになった日本の独立。
吉田や白洲が、GHQと折り合いつついかに日本の意志を通し、
また一日も早く独立を成し遂げるかに腐心したか。
彼らの中には常に苦衷があり、それはまさに「戦い」であったとわたしは思います。

しかし、国民はそうではありませんでした。それどころではなかったのです。
しかも昭和25年には朝鮮戦争が起こり、日本は「特需景気」に沸いていました。
人々は今日を生きるのに精いっぱいで、日本が占領下にある非独立国であることなど、
我がこととして考えている余裕もなかったのではないでしょうか。

だからこそ、GHQの行った「日本人の精神殺戮」、
ウォーギルトインフォメーションプラグラムは、非常に巧妙に、
しかし確実に日本人に浸透していったのです。
それが着々と功を奏すのと同時に日本人は経済的な成功の道を突っ走り始め、
不満や疑問は経済的成功の甘い味に糊塗されてしまったからです。

アメリカがやったのは、まさにアメとムチのやりかたでした。
その頃、アメリカがこれ見よがしに見せつける、アメリカ式物質文化への強烈な憧れから
「アメリカのすることは何でも善」とまで洗脳された日本人は少なくなかったと聞きます。


アメリカは、敗戦国―自分の手に入れた国―に対して、一度叩きつぶしリセットしてから
あらたにリフォームをするという壮大な「社会実験」を日本に対して施しました。

そしてそのリセットの象徴たるものが「日本国憲法」だった、とわたしは思っています。

あなたは日本国憲法がいつ制定されたか言えますか?
昭和22年、なんと終戦二年後なのですよ。
おかしなことだと思いませんか?

昭和22年と言うと、まだ日本は被占領まっただ中です。
主権を持たない国家が憲法を持たされたのです。
誰によって?
主権を持たない占領下で、まさに占領国アメリカによって「持たされた」、
これが、現在も日本国憲法であり続けている憲法なのです。

あなたは憲法は絶対に改正するべきではないとおっしゃいました。
その理由はなんでしょうか?
わたしの読み取る限りお答えは二つ。
ひとつは

「戦後日本は発展し世界第三位の経済大国にまでなった。
とにかく結果が良かったということは、憲法も間違っていなかったということだ」

そしてもう一つは

「改憲によって中国の怒りを招き、それによって在中企業に『不測の事態』が起こりうるから」

・・・・・まあ、二つ目の意見については、わたしがわざわざ手をくださず?とも、
このブログを読んでいる方のほとんどは、個々に何らかの感想をお持ちになると思いますので、
あえて何も申し上げません。

しかし、あなたの
「戦後日本の発展と平和は憲法が間違っていなかったという証左である」
という考え方、これはいかがなものでしょうか。

その内容のいかんにかかわらず、わたしはまずこの憲法が

「戦勝国、さらに占領国の都合で作られたものである」

というところに重大な欠陥と、改正するべき大きな理由があると思っています。
国民の総意を結集したわけでも、国民の手で作られたものでもない憲法。
憲法作成にかかわった当事者である白洲次郎が
「監禁されて強姦されたらアイノコが生まれたィ!」とまで吐き捨てた憲法です。

白洲は、その中でも、日本のために最後まで最善を尽くそうとしたのでしょう。
しかし、いかに彼がその中に心血を注ごうと、しょせんそれが
「占領国の都合のいいように作られたもの」であったことに変わりありません。

アメリカは、二度と日本が自分に対し牙をむかないように、
「守ってやるからお前は二度と軍隊を持つな」という意図まで憲法に盛り込みました。


あなたは「自衛隊を国防軍にするのは反対です。星条旗が守ってくれますよね?」
とおっしゃいましたね。

独立に際してアメリカが日米安保条約を結んだ第一義は、
はたして本当に日本のためだったでしょうか?
「かつて自分に逆らった(しかも結構苦しめられた)敵を無力化して自分の配下に置く」
ことを周到に計画したにすぎないのではないですか?

国家と言う単位のすることに無償の「善意」無償の「親切」を求めるばかりか、その行為が
その表れであることを信じるなど、それこそおとぎの国の住民並みのお目出度さです。
アメリカのすることはアメリカにしか利することはない、こんなことは当然ではないですか。

しかし今や当のアメリカすら戸惑うくらい、日本人は見事にプログラムされ、
平和憲法とそして米軍によってわが国の平和は守られている、と無邪気に信じる
「おとぎ話の国の住民」がたくさん生息しています。
そう、あなたのような人たちです。

あなたは今、アメリカは日本のために率先して血を流してくれると思いますか?
アメリカの議会は日本を守るためだけにに若者を戦地に送ることをためらわないと思いますか?
アメリカの若者は、日本を守るという大義のために喜んで死んでくれるでしょうか?
そしてあなたは、日本に何かあったら、そのアメリカの若者に
「日米安保があるのだから日本のために死んでくれ」とおっしゃるつもりですか?

わたしは、日米関係はこれからも良好であるべきと思っています。
この両国が緊密な友好関係であることは、世界にとっても望ましいことで、
間違っても民主党がやらかしかけたように「喧嘩別れ」などするべきではありません。
しかし、当のアメリカが日本に対して「もうそろそろ一歩踏み出した防衛をするべきだ」
とサインを送ってきていることも視野に入れるべきです。
つまり「円満な離婚」(別れても友達)の可能性を模索する時期なのかもしれません。

日本が自分たちを守ることのできる体制を作り上げながら、緩やかに。
なぜなら、日米安保を存続したまま憲法を改正することは理屈が合わない部分もありますし、
さらにアメリカの戦争に巻き込まれる懸念もないではないからです。


独立国になるということは、自分で自分を守る、つまり場合によってはあなた方の嫌いな
「血を流す」義務も伴うことでもあるとわたしは思っています。
どうして日本だけがその国家としての義務を丸投げしたままで許されているのでしょうか。
とにかく、いつまでも「アメリカが守ってくれるから平和憲法死守」とか言っている人たちは、
わたしには「守られる権利」だけを主張し、義務に対する対価を払おうとしていない、
わがままな子供のように見えてしまうのですよ。

いまの憲法にはもうひとつ重大な欠陥があります。
つまりいざ何かーたとえばどこかが攻撃してくるとわかっていても、
「まず真っ先に日本の誰かが死ぬまで何もできない」と言うことでもあるのです。
日本の国土が先にやられて初めて、自衛隊は動けるのです。
日米安保もそのときには恙なく発動するでしょう。
アメリカの軍事力を持ってすれば、どこであってもおそらく一日もあれば
相手を制圧し事態は平定するに違いありません。

しかし、その頃に日本は、日本の国土は、その混乱に乗じて起こってくると予想される
さまざまな「火事場泥棒現象」によっていったいどのようになっていると思いますか?
その「最初の一撃」が他ならぬ首都圏直撃の核ミサイルであったら、どうなると思いますか?


「憲法を改正したら戦争ができる国になるので、徴兵制が施行される」

これもあなたのお言葉ですね。
今コメント欄を見たら、リュウTさんが「選挙の次の日に聴いた小学生の言葉」
についてご報告くださっていますが、これと全く同じ言葉です。
つまり昭和27年生まれのあなたは、小学6年生と全く同じ発言をなさったことになります。

リュウTさんによると、この地域では民主党議員が当選したとのこと。
このようなことはいかにも先生が言いそうですが、彼らの親であった可能性もあります。

「憲法改正」=「徴兵制」は、あなたに言わせれば「極論」だそうですが、
わたしに言わせれば、これは極論でもありかつ典型的な左翼オルグお定まりの殺し文句です。

何度も言いますが、日本には徴兵制にはなりません。
インターネットでは「米国は世界支配の野望の足掛かりとして日本に憲法改正させ、さらには
徴兵制にしてアメリカの戦争のために働かせようとしている」と言っている人などもいますが、
(アメリカは確信的利益のために戦争をするかもしれないけど、「世界支配」ねえ・・・・)
あなたは勿論、アメリカが徴兵制でないこともご存知ですよね?


ところでこの際ですからわたしの考えを言わせていただきましょうか。
わたしは、日本は憲法を日本が独立した昭和27年、
つまりあなたの生まれた年に改訂するべきだった
と思っています。

現行憲法ができて、今年で何と66年。
もう少しで67年ですよ。
これだけ経てば時代の変化と国際情勢の激しい変化の実情からずれてくるのが当然です。
しかしこの長きにわたって、しかも主権の無い状態で作られた憲法を後生大事に守り続けている。

やはり日本はいまだに「不思議の国」です。

選挙前、共産党のCさんが公約で「平和憲法を守り抜く」と言っていたのを見て
少し笑ってしまいました。
共産党って、反アメリカ、反米軍ですよね?
そのアメリカに押し付けられた憲法をまるで聖典のように守る決意を語る党首。
できの悪い風刺漫画を見ているような気分になりました。


白洲次郎は戦後日本国憲法に対し「いいものはいい」と言いました。
確かに、いくら古かろうと憲法のすべてを変える必要はありません。
中にはこれからも大事にしていきたい条項もあります。
しかし、中にはこれでは日本の国益が損なわれる、と思われるものもあります。

以前も言いましたが、一つ一つそれを検討し、残すべきものは残す、
あらためるべきは改める、そしてとにかく、それを徹頭徹尾

「日本人自身の手で行う」。

それをするべきだと申し上げているのです。
なぜなら日本には「自分たちの手で作った憲法」がいまだに無いのですから。

主権の無かった時代、つまり日本人が日本を否定され自らも否定されていた時代。
この67年前の憲法を頑迷にそれを守り続けることは、まさにこの時代の暗黒に
自らを閉じ込め続けているようなものではないか、これがわたしの考えです。


長くなりました。
明日に続きます。




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シルク・ル・ノワール観賞記

2012-12-27 | お出かけ

今、ディズニーリゾートの一角にあるイクスピアリでは
「シルクドソレイユ」をやっています。

「シルク」というのはフランス語で「サーカス」。
「シルクドソレイユ」で「太陽のサーカス」。
カナダの火喰い芸人が始めたサーカス団なのでフランス語です。

一度ここのZEDを観たいね、と言っていたのですが、
意外なところから観賞チャンスが訪れました。
TOがとある忘年会で、品川プリンスの「クラブEX」でやっている
「シルク・ル・ノワール」(黒のサーカス)のチケットを二枚当てたのです。

 

品川駅前の「プリンス地帯」では、いまやクラブあり映画館あり水族館あり。
大人も子供も楽しめる都心リゾートになっています。
 

水族館もあるのでこんな飾りが。
お店もいろいろあるので夜でも人でにぎわっています。
品川プリンスの中にはいつの間にかいろんな設備ができていてびっくり。
アメリカから帰国前に家さがしのため来日した時は、やたらに東洋人の団体を
宿泊客として招致していたようで、少なくとも「必要がなければこんなホテル泊まりたくない」
という気がしましたが、その後、いろいろと創意工夫を凝らして、「町おこし」をしている模様。

最初、わたしと息子だけで行こうとしていたのですが、クラブEXに行ってみると、
まだ残席があったので、TOのチケットを一枚購入(8500円)。



開始時間まで30分あったので映画館内のカフェでおやつ。
「クリスマス限定です」と勧められたパンケーキ。
雰囲気だけで注文し、下の一枚を食べてTOに押し付けました。



会場は勿論のこと演技中の撮影禁止。
大劇場とは違い、円形の小ホールで、われわれの席(前から二番目)は、
パフォーマーが体を伸ばせば触れられそうな距離です。
一度男女のパフォーマンスの時、女性がわたしに向かって手を伸ばしてきました。

 

カーテンコールになったら撮影OKです。
これは、画像のバランスブロックをしている女性。
信じられないくらいの脚の長さで、まるでバービー人形。
しかも、演技で鍛え上げられていて全く無駄のない体です。
肘から先が演技の時に恐ろしいくらい筋が浮き上がり、
とても女性の腕には見えません。



双子のパフォーマー。
ブランコの上で双子ならではの演技を見せました。
一番驚いたのは、足首を曲げただけでブランコに逆さにぶら下がったとき。



冒頭画像の、自分の体にロープを巻きつけて回転する演技の人。
ご覧のように男性は皆ものすごい体をしています。
鍛えた肉体と言うのはそれだけで芸術品のよう。

 

モヒカンのカツラ着用パフォーマー。
この人は、立方体の大きなチューブを自由自在に回転させる人。



エリス中尉に手を伸ばしてきた二人組。
女性は下着そのまま、男性もその時はパンツ一枚。
絡み合いそうで女性がするりと逃げる、という、実にエロティックなショーで、
女性のコスチュームからもお分かりのように、これは
「夜のサーカス」。
「ダークサイド」という文句がタイトルについているように、雰囲気は
なかなか怪しいものがあります。

この女性はパンフレットによるとロシア系ですが、出演者の中では小柄、
胴が短く、よく見る体操選手そのままの体型です。
間違いなく体操出身のパフォーマーではないかと思われました。



この二人もすごかったですよ。
円形のテーブルの上でローラースケートで高速回転、
二人ですから最初はぐるぐるとまわるのですが、そのうち
女性が男性にスケートを穿いた足だけ肩にかけたり、
振り回されながら態勢を変えたり。

最もスリリングだったのは、二人が首にロープをかけ、
男性は手を放し、女性は後頭部でロープを支えて高速回転した技。

ちょっとでも態勢が狂い、ロープがのどにかかった瞬間、
女性は間違いなく即死です。
あまりの恐ろしさにきゅっと心臓が縮みました。

人間のすることですからサーカスの事故、死亡事故は時折あります。
シルクドソレイユでも、ブランコなどで事故があったことがあるそうです。
絶対に大丈夫ではないからこそ、サーカスはエキサイティングなのです。

 

MC、この一座の「クラウン」です。
客を引っ張り出して弄るパフォーマンスに観客大喜び。
引っ張り出す人に事前に了解を取っているのかどうかは謎です。
あるいは「仕込み」もあるのかな。

パフォーマーが「太極」と漢字で書き、太極図のついた扇子を持って出てきたとき、
「それはどちらかと言うと、中国でしょ?」
と若干のピントはずれに少しがっかりしましたが、
巨大な風船の中で首だけ出して中で着替え、
「日本」と日の丸の書かれたシャツになって出てきたときには拍手喝采。

 

カーテンコールで練り歩く出演者たち。
その完璧な造形の肢体が人間技とは思えない演技を披露するたび、
「鍛え上げられた人間の体とは、かくも美しいものなのだ」
と、神様の作り上げた極上の作品を今目の当たりにしているような、
実にありがたい気持ちになってしまいました。

 

「夜のサーカス」だけあって、女性はほとんどのパフォーマンスを下着や、
セクシーなガーターベルトなどつけて行い、彼女らの肉体がもし
演技者のそれでなければ、目のやり場に困るようなエロティックなスタイルですが、
そこはサーカス、男女共に、実にセクシーではありましたが、
卑猥にも淫靡にも思えませんでした。

三人で帰りの車の中、口々に興奮しながら感想を述べ合いましたが、
わたしが
「みんな、あんな退廃的な格好して演技してるけど、
実はものすごく節制して健康的な生活してるんだろうね。食べ物とか気を付けて」
というと、二人とも「そうだろうなあ」と深くうなずいていました。

プログラムを購入したら、演技用のメイクを取った彼らの素顔は、
実に健康的でまるでスポーツ選手やバレリーナのよう。

どこか暗い世界のようなイメージがサーカスには昔から付きまといますが、
現代のサーカスは、パフォーマーもププロの肉体労働者として、そして
アーティストとして厳格な自己管理とそして誇りのもとに行われているのです。

品川プリンスのクラブEXでのショウは26日までということですが、
イクスピアリのシルクドソレイユもぜひ観てみたくなりました。




サーカスらしい「狂気」を感じるクラウンの一瞬の表情。



 

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007「スカイフィール」@銀座ピカデリー

2012-12-26 | お出かけ

息子が冬休みに入って、「やりたいことリスト」を考えました。
その一つがディズニーシーだったのですが、あとは
「知り合いのイギリス人ミュージシャンにドラムのレッスン(トライアル)を受ける」
「眼鏡の度数を点検してレンズを変える」そして
「007スカイフォールを観る」というのがありました。

息子は「カジノ・ロワイヤル」を観た後、
子供用の(4才だったかも)黒いスーツを着ておもちゃのピストルを構え悦に入り、
「今までのボンドの中で一番ダニエル・クレイグがいいな」
果ては「オメガの時計かっこいいなあ」「車がBMWなんだよね」などと、
映画のスポンサーにさえ賛同を示す超コアな007ファンです。

この日、かれが眼鏡を作った丸善の眼鏡サロンで検眼をし、買い替えた眼鏡を装着、
眼鏡屋さんに「これから映画なのでちょうどよかったです」と言うと、
「何を観に行かれるんですか?」とニコニコ。
「仮面ライダー」か劇場版「イナズマイレブン」?それとも「エヴァンゲリヲン」かな?
「ダブルオーセブンです」
「・・・・・ダブルオーセブン・・・・・ですか・・・・」

眼鏡屋さんコメントなし。

その戸惑いの表情の中に
「中一に007が理解できるのか?親子で観て気まずいシーンもあるんではないか?」
みたいな空気を感じました。

御懸念はもっともですが、いいんです。
うちは息子に「子供のために作られたもの」をわざわざ与えたり、
情報を分けて「子供用の情報」だけを抽出して与えることをしてこなかったので。

絵本でもCMでも。あからさまに「子供向け」と言うものは、息子のほうでかなり早くから
「こういうの嫌い」だとはっきり宣言していましたが、その感覚は我が息子ながら、というか
我が息子だからか、ぴったりとエリス中尉の「嫌い」と方向を同じくしております。


さて、この日、TOが「携帯忘れたから持ってきて」というので、それを届けるついでに
フォーシーズンズホテルで一緒にお昼ご飯を食べました。

 

駅舎オープンで今もっとも盛り上がっている東京駅。
ここのセレモニーについてもまたお伝えしますね。

TOの頼んだカレー。

息子のサンドイッチ。

わたしのツナサラダ。

あまり人はいません。平日お昼ですから。

デザート(二人でシェア)。

これは、パンプディング。
クリスマスシーズンなのでメニュー全般あまりセレクトできませんでした。
このデザートにもクリスマスデコレーションが。

と言うわけでこの後銀座ピカデリーで007「スカイフォール」観賞。
結論。

面白かったです。

まだ公開中ですのでこれから観られる方のために詳しくは書きませんが、
前回の「慰めの報酬」、個人的にはわたしが今までの007で最も完成度が高い、
と思われたあの作品を、内容的に上回っています。

「慰めの報酬」においては、ボンドの職務を全うするうえでの「非情さ」に、
上司であるM(ジュディ・ディンチ)が懸念を示し、それが「ボンドの解雇」という事態に
なるわけですが、今回の作品においては、なんとそのMの「非情」が一つのテーマです。

前回今回と、このMという女性上司とボンドの関係、決して男女関係ではない、
かといって母と息子のようでもない、だからといて上司と部下と言うだけでもない、
ある種せつなくすらある「つながり」が全編通じて語られているのです。

Mが女性で、しかも「ボンドガール」のような色欲の対象とはかけ離れた存在である、
このことが、「スカイフォール」で孤独な幼年期を過ごしたボンドの育ちに
いやでも関連を感じさせるものの、だからといって日本の映画のように饒舌でも、
おせっかいでも、感情過多でもない語り口が、スパイ映画らしくてよろしい。

わたしが「シンドラーのリスト」のナチ将校役から注目しているレイフ・ファインズが、
融通の利かないお上の典型のような役で出てきて驚きましたが、
どうしてこんな役にファインズを使ったのか、後半にその意図が氷解します。

もとエージェントの悪人役ハビエル・バルデム、このアクの強すぎる俳優さんが
実にキモくて、最後までサイコな感じがとてもよろしい。
ボンドガールの一人は今一つというか存在もカラミも取ってつけたみたいですが、
これは「お約束」なので、まあ、ガマンしましょう。

ボンドの「ナビゲーター」になるオタク武器開発者のベン・ウィショーは、これも
エリス中尉大推薦のグロ映画?「パフューム」の主演男優だった人。
このナード君がまた頼もしくて大変よろしい。

というわけですっきりしない映画紹介となりましたが、とにかく、お勧めです。

映画が終わって、銀座の「博品館」で息子の「デュエルマスターズ」を買うのに付き合い、
そのあとまたTOと待ち合わせて、銀座「泥武士」で夕食。
この「泥武士」は、我が家お気に入りの有機野菜や産地にこだわった獣肉を使用した
「こだわりのお店」。

最近銀座に行って嬉しいことは、少し前一人見かけたら周りに30人はいたという中国人の
観光客が激減し、大声の中国語を街中で聴くことも減ったことなのですが、
二年前、このレストランにランチを取りに一人で行ったら、日本語の上手い中国人、
皮づくめでスカーフなど着用したイケてる(つもりの)おじさんが、
「ここ、菜食?」(中国語でベジタリアン食)と馴れ馴れしく聞いてきたので、
「菜食だけでなくて肉も食べられるアルヨ」と教えてあげたことがあります。

このビルは某化粧品のビルで一階は販売フロアなので、それこそ全盛期には
レストランにも中国人があふれ、皿に顔を突っ伏して、しかも肘をついてものを食べる、
「犬食い」の女の人がいるなあ、となんとなく不快に思ってみると案の定そうだった、
ということなどありましたが、最近はそれもめったになくなりました。
大変喜ばしいことでございます。

人種差別?いえ、これは「区別」です。



息子のお気に入り、マグロのタルタル風。緑のはアボカドです。
黒いソースはゴマで、この濃厚な味が大変マグロにマッチしています。



ミネストローネ風スープ。
どれもわすかに和風テイストです。



ここの一番のおすすめが地鶏を使ったから揚げ。
これも息子が必ずここで注文する定番。



酢豚のように見えますが、酢豚味で、肉ではなく麩です。
ヘルシー酢豚、ってところでしょうか。
はっきりいって豚より麩のほうがおいしいと思います。

そういえば、白洲正子が(料理が全くできなかったらしい)いつも
娘さんに酢豚を作らせていたのだけど、あるひ忙しいと断ったら、
お手伝いさんに作らせ、しかも「あなたのよりおいしかった」というので
それはよかったわねと思いながら台所に行ったらそこには
「酢豚の元」(たぶん寿がきや)があったという話を本で読みました。
本当に手間がかかるんですよね、酢豚って。

豚肉自体あまりヘルシーなものではないという気がしてめったに作りませんが、
この「酢麩」なら作ってみたくなります。



デザートのきなこアイス。
これもうちの全員がお気に入り。



さらにTOがデザート・アソートを頼んだので、三人でこれをいただきました。
コーヒーゼリーは文字通り苦くて、大人の味。
ほんのり甘いきなこアイスと、泥武士プリンと一緒に食べると丁度よし。


このときはクリスマス前だったのですが、それでも12月だというのに
銀座の人出はこの時期には不思議なくらいまばらでした。
中国人は別にいらないけど、師走の街にはもうすこし賑わいが戻って欲しいものです。


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クリスマスのターキー

2012-12-25 | つれづれなるままに

                

メリークリスマス!

mizukiさんの「白洲次郎」へのコメントに触発され、
エリス中尉、今年のクリスマスはターキーローストに挑戦した。

これは、その涙と笑いの製作過程の記録である。



製作一週間前、紀伊国屋にターキーを買いに行きました。
お花屋さんはシクラメンの花盛り。


さすが紀伊国屋、食肉コーナーの冷凍ケースには、山のようなターキー。
どれくらいホールターキーを購入する人がいるのか、ってくらいですが、
この辺は外国人もたくさん住んでいるので、クリスマスには売れるのでしょう。

わたしが見たこのケースの「横綱」がこのターキー。
一目見ただけで「うちのオーブンには入らない」とわかる巨大さ。
隣の「やや大きめ」と比べてみてください。

エリス中尉購入のベビーターキー。

オーブンが小さいのと、三人できっと食べきれないので、アメリカ産ではなく、
さらにそれより一回り小さいフランス産のターキーを買いました。
「一キロに付き一時間かけて解凍してください」とありましたが、
わたしはmizukiさんの御言葉を信じて、一週間前から解凍を始めました。
つまり、このあとすぐに冷蔵庫に直行です。



いよいよ調理日当日となりました。
「ちょっとまって!わたしは前日に開封してペーパータオルで血を拭いて、
さらにペーパータオルで覆って一晩寝かせろと書いたはずよ!」
そう叫んでいるmizukiさん、確かにその通りです。

しかし、エリス中尉が前の日からじっくりとレシピを読むような人物ではないことも
またおわかりでしょう。
当日の朝、コメント欄をもう一度じっくり読み直し、
「あ、前日に開けるって書いてある・・・けどしょうがないからいいや」

というような態度で、しょっぱなから不安満載の出だしとなりました。

 

血溜りとともに現れたターキーと、その内臓。
内臓は真空パックされています。
ペーパータオルで血と格闘し、

とりあえず1ステップクリア。

 塩コショウの下味付け開始。



岩塩とブラックペッパーをがりがりと削り、少しかけたところで秘密兵器登場。
アメリカで買った肉専用のシーズニング。
これを振れば、それだけで肉の下味OKという優れもの。

さて。

それでは野菜を刻むか。野菜庫をあけます。

・・・・・・・ん?

野菜がないいいいっ!

セロリは勿論、ジャガイモもタマネギもその他香味野菜も。
にんじんしかない。
やおら財布をつかみ、車に飛び乗り、野菜の買い出しに出かけるエリス中尉。

いくら忙しかったとはいえ、なんなのこの泥棒を捕まえて縄を綯うような段取りの悪さは。
下準備で暗雲が垂れ込めたに思われるターキーロースト、
ここでまた暗礁に乗り上げます。

まあ、塩コショウして一時間は置くわけだから、ちょうどよかったよね。
(↑自分に言ってる)

買い物から帰り、オーブンの準備をするか、と思ったところでふと気づきました。



我が家のメインオーブン、デロンギ。

「エリス中尉、このオーブンにはターキーは入らないわ!」

会ったことはないけど、mizukiさんの声が脳裏に響きます。
そう、エリス中尉、オーブンを温める段になって、
オーブンに下皿をセットすると
ターキーが全く入らない
ことに初めて気づいたのでございます。

「はいらねえええっ」

台所で絶叫するエリス中尉。
あんたはいったい何をやっているのだ。

しかし、たとえどんな絶望の淵にあっても何かしら天の救いがある。
エリス中尉のこれまでの棚ボタ式人生をあたかも象徴するかのように、
うちにはもう一つオーブンがあったのでございます。
初めて気が付いたわけではありませんが。



ビルトイン式の電子レンジ兼オーブン。
うちのキッチンは、冷蔵庫まで木目のドアでビルトインされているという、
実に十年先を見据えていない仕様なのですが、このコンベックレンジも、
入居当初から搭載されているものでありながら、
やたら電気を食うのでめったに使ったことがないという骨董品。

まるで映画「バトルシップ」で、
最新鋭艦がエイリアンにすべて打ち負かされてしまったようなこの状況。
アレックスが戦艦ミズーリを引っ張り出すことを決意したように、
エリス中尉もまたこのオーブンを使うことを指揮官として決意しました。

入りました。

って、当たり前だつーの。

ポテトも乗せてみる。

mizukiさんレシピの「水をためて網を載せて」という状況に
少しでも近づけるため、トレイの上にまたトレイ、そしてオーブン網、
と、見るからに不安なセッティングなのがお分かりだろうか。

これがまた次の悲劇を呼ぶとは、神ならぬ身のエリス中尉には知るべくもなかった。

しかしまあとりあえずロースト開始。
溶かしバターもかけましてございます。



パックされていた内臓とネックを・・・刻もうとしたら切れないので
そのまま炒めることにしました。



バターも使いますが、オリーブオイルで最初は炒めることにしました。
エリス中尉愛用、スぺクラムのスプレー式オリーブオイル。
アメリカではスプレー式の「キャノーラ」「グレープシード」「ココナッツ」
などのオイルが各種売られていて、料理には便利です。
もちろんごま油、セサミオイルもありますよ。

内臓を炒め、

 
野菜投入。

もっと細かく刻め、って?
いいんです。後でつぶすんですから。(←投げやり)

グレービーを煮込んでローストを待つまでの間、
すっかり一仕事終えた気分でお茶にします。



エリス中尉、紅茶党です。
ミルクも砂糖もダメなので、紅茶に豆乳、マヌカハニー。
紅茶はマリアージュフレールの「フレンチブレックファースト」が最近のお気に入り。



さらに、この時間を利用して、日課でもあるピアノとチェロの練習。
一応音楽家の端くれであるエリス中尉ですが、チェロは全くの趣味。
息子がフルサイズのチェロに持ち替えた一年前から始めました。

  

今練習している曲。
いかにも「大人になってからこの曲がやりたくてチェロを始めた」
みたいなラインナップでしょ?
何しろ趣味ですから。
先生にも「わたし好きな曲しかやりませんから」と大威張りで宣言し、
レッスンの曲はすべて自分で選んでいるという傲慢生徒です。



と、全く関係のない話をしている間も、ターキーはオーブンで
香ばしい匂いをさせ始めました。

溶かしバターをかけるために少し動かしたところ、
非常に不安定だった焼きトレイが、中で回転の際にガタンとずれました。
写真を撮りながらの作業で、ミトンではなく鍋つかみで台を直していたら、

 火傷しましたorz

左手薬指の外側です。



しかし、それとは関係なくロースト完成。
途中で台を直すなどと言うアクシデントのため、おそらく、
焼き方としてはサイテーの段取りになったと思いますが、
見かけはともかくも美味しそうです。

 

ここでグレービーをすり潰す。
バーミックスは無いけど、ハンドミキサーがあったのを思い出しました。
てかこれ、今までジュースを混ぜるためにしか使ったことがなかったけど、
これが本来の使い方だったのか・・・。
固形バターを入れてグレービー完成。
セロリがいれられなかったのが残念ですが、実に美味です。



とりあえず食卓にサーブ。家族も大喜びです。
特に息子はターキーが大好物なので。



カーヴィングナイフもどきでTOが切り分けてくれました。

 

彩りにパセリが欲しいところです。
が、お味はまずまず。
途中のアクシデントさえなければもっとうまく焼けたと思います。

今後の教訓*

ちゃんと準備をしてから調理を始める。

今、25日の朝。ガラのスープがいい匂いをさせています。
これを、お昼のメインに我が家はクリスマスを過ごします。

それでは皆様、メリークリスマス!











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ディズニーシーの鳥と海の深さ

2012-12-24 | お出かけ

ディズニーシーにはところどころ録音の鳥の声が聞こえるのですが、
もちろん本物の鳥もいます。
鳥が好きな(というか動物なら何でも)エリス中尉、見かけるとすぐ写真に撮るのですが、
今日はディズニーシーで遭遇した鳥の写真を。

 

ミステリアス・アイランドで見た「ハクセキレイ」(白鶺鴒)。
スズメのようにちょんちょんと飛ぶ歩き方ではなく、
千鳥のようにちょこちょこと言った感じで移動します。



超望遠でも撮る。
黒いスカーフのような模様がお洒落です。
もともと昆虫を捕食する鳥ですが、ここで食べていたのは
客が落としたポップコーンとか、パイのかけら。



この日は寒かったので、朝見るスズメはことごとくまん丸の
「ふくらスズメ」になっていましたが、この写真はお昼撮ったもの。
くちばしにポップコーンのかけらをつけています。

 

鳥を見るとポップコーンを投げる客も結構いるんですね。
もちろん、転んだか何かで盛大にこぼしてしまい、あの伝説の
「ディズニーお掃除部隊」の隊員がやってきて、
シャキーン!と塵取りの音をさせながら一秒で跡形もなく掃除してしまうまでの、
ホンの何分かの間におなかを満たすラッキーな鳥さんもいます。



ディズニーシーには水鳥もいます。
ディズニーシーは「シー」ですから、園内がすべて海辺や川辺にあるという設定。
いつも、この巨大な「プール」の水をいったいどうしているのだろうか、と不思議で仕方ありません。
なぜなら、これが千葉の海から引いてきた海水そのものであったら、
たとえばメディテレーニアンハーバーの水底に内蔵された固定ショー用の器材、
以前なら「ブラビッシーモ!」の時に屹立してくる鉄鋼像などあっという間に劣化してしまうからです。
水の深さも全くわかりません。
上から見る限り濃い緑色に色付されているようで、水の色からは深さが測れないのです。

水辺に近寄ってその水がしょっぱいかどうか試すこともできないのですが、
これが海水でないらしい、いうのは、かねがねこういう鳥を見るたびに確信してきました。

 

ポート・ディスカバリーにいたカルガモ。
カルガモは実は軽鴨と書きます。
確かにカルガモの雛が水に浮いている様子はまるで麩のようで、
確かに「軽い鴨」なんだなと思いますが。

とにかく、このカルガモは適応性に優れているので、淡水鳥でありながら、
山間部や市街地、淡水でも海水でも生きていけるそうです。
それならカルガモがいるからといってこの水淡水とは限らないのでは?と思われた方。
これを観ていただきたい。



水分補給中。
いくら順応性の高いカルガモでも、海水は飲まないでしょう。
この件、気になって調べてみたら「アオバト」というハトの種類が、
わざわざ海辺に飛来して海水を飲むので有名らしいのですが、その目的は「塩分補給」。
世界でも珍しい行動パターンを持つ鳥なのだそうです。
塩分過多になったりしないんでしょうか。
それはともかく、そういうことなので、つまり

カルガモが水を飲んでいる
∵カルガモは海水を飲まない
∴ディズニーシーの「海」は海水ではない Q.E.D 証明終了

その後検索してみたところ、海水を引き込んでいるのではない、とのこと。
わたしはてっきり海水をどこかでろ過しているのかと思ったのですが。
その装置を作るより水道水を使う方が手っ取り早い、ってことなんですかね。



どう見ても海にしか見えないこの水の色。
なんでも、ブラビッシーモの「プロメテオ」(エリス中尉命名キリン)が沈んでいるところだけが
10メートル、その他はだいたい1.8メートル。
このあたりは船が航行するからですね。
近くに行くこともできない「海」(ケープコッドとかロストリバーデルタの端っこ)
は、なんと50センチくらいしかないそうです。
水に色を付けて深く見せているんですね。

そんな話を「わたしはゴンドラをこいでいるキャスト(係員)に聴いた」
と誰かが「ヤフー知恵袋」に投稿してしまっています。
このヤフ知恵がディズニーのネット警邏隊に発見され、その後彼らによって
草の根わけて特定されたそのキャストが、
「おとぎの国の秘密を洩らした罪」に問われてクビになった、に1ユーロ。

(なごみ画像)

カルガモの特徴はくちばしの先だけが黄色いこと。



昨日お伝えした、このブラスバンドの演奏を見るために、
わたしたちはここの水辺の柵に寄りかかっていたのですが、
下をふと見るとカルガモのカップルが期待値マックスで上を見ていました。
ここに人が立つ→カルガモ発見→ポップコーンを持っている人はつい投げる
ということを熟知している彼らが、近寄ってきたのです。
いくらつぶらな瞳で見られても、あげられるようなものは持っていません。

しかし、捨てる神あれば拾う神あり。
カモたちがわたしたちに失望し始めたころ、隣にポップコーン持った人が来ました。

「投げるぞ」「投げるぞ」

「キター!!!!」

着水。

「次は?ねえ次は?」

「次は俺がいただきだッ!」



この、まるで中の人がいそうなくらい生き生きとした目をご覧ください。

ところで、かれらがしょっちゅうもらって主食にしているらしいここのポップコーン。
これについて少し。



園内にはご存知のようにいたるところにポップコーン売場があります。
全てにフレーバーがついており、
「シーソルト」・・・マーメイドラグーン
「カレー」・・・・アラビアンコースト
「ココナッツ」・・・(以前は)ロストリバーデルタ
など、そのエリアに合ったフレーバーを置いているところもあります。

その他、
ブラックペッパー 
チョコレート
ストロベリー
キャラメル
など、甘みとフレーバーでもはやこれはポップコーンは単なる「つなぎ」
と言えなくもないものになっています。(美味しいけど)

何が言いたいかと言うと、ここの鳥たちは、こうしたポップコーンを食しているので、
明らかに糖分過多の現代病にかかっている可能性があるということです。

しかも、先ほどのハクセキレイやスズメなどは、



このようなバターたっぷりのパイクラストを食べているわけです。
木々もたくさんあるので、虫なども食べてバランスを取っていると信じたいですが、
鳥とて楽な道があればそれを選ぶもの、めったに見つからない虫よりも、
客の投げてくれるこうした人間用のお菓子を食べるでしょう。

「ここに住んでる鳥はラッキーだね!」
と息子がポップコーンをついばむ鳥を見ていいましたが、わたしは
「それは・・・どうかな」
「なんでさ?みんながいろんなもの投げてくれるんだからいいじゃん」

「鳥が食べてもいいようなものならね。
こんなものばかり食べていたら、フォアグラのガチョウみたいになっちゃうよきっと」



「おとぎの国の海」が本物ではないように、この「不自然」な環境の中、
かれらは食べるものには困らないものの、実は、不自然な餌付けをされているわけで、
何も知らずにここを終の棲家と決めたことは彼らにとって幸せだったのかどうか、
おせっかいながら(本当に我ながらおせっかいだわ)憐れんでしまいました。




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クリスマスin東京ディズニーシー

2012-12-23 | お出かけ

       

10月後半の怒涛のお泊り二日連続の熱も冷めやらぬというのに、しかも、
「この冬一番の冷え込み」となった先日、またもや行ってまいりました。
東京ディズニーシー。
わたしと息子は例年クリスマスシーズンの平日、学校が休みになってすぐシーに行きます。
クリスマスの飾りつけで華やぐシーの「雰囲気」だけを味わうために。
明日はクリスマスイブ、皆様にTDSのクリスマス写真をお届けしましょう。

冒頭画像は「ロストリバーデルタ」にある文字通り「クリスマスの木」。
モミの木の無い地方(南米とか)がこんな風にするのかもしれません。
ランタンでデコレートされた木は夜になるとクリスマスツリーに早変わり。



まずは園内のクリスマスツリーご紹介。

 これも一応クリスマスツリー。
ガラスの中に水晶が納められています。
「地底、海底探検のゾーン」であるミステリアス・アイランドのツリー。



「アラビアン・コースト」のアラビア風ツリー。
・・・っておい、このあたりでクリスマスはご法度なんじゃ?
ですから、これは単なる「飾り」としておいてある、というフリをしています。

息子の学校に昔イスラム教の国からの生徒がいましたが、
当時子供たちの間ではやっていたポケモンは「禁止」。
偶像崇拝を禁じ一神教のイスラム教徒は、モチーフに「神」を多用する
カードゲームのたぐいは一切禁止なのです。
ディズニーもこの辺は心得ていて、この一帯にはクリスマスデコ一切なし。
気づいた人がどれくらいいるかはわかりませんが。

まあただ、イスラム教の人も、ディズニーランドには来るようです。
その生徒の家族とクリスマスシーズンのTDSでばったり遭遇しましたから。

 巨大なメディテレーニアンハーバーのツリー。

さて、話は前後しますが、この日も「雰囲気だけ楽しみに」という
実に気合の入らない態度で昼ごろ到着したわたしたち。
と予想されたことですが、駐車場は隣接のものがフルになっており、



こんな世界の果てのような駐車場に留める羽目になりました。
木の左側の建物は、「タワーオブザテラー」の裏側。

 

平日なのでそれほどではありませんが、やはりかなりの人出でした。
このシーズン、TDSはおもに学生のデートスポットになっているようです。
学生時代シーがあれば、わたしもきっとデートで一度や二度は来ただろうな。

息子は物心ついたときから何度も来ていますが、成長するたびにその「見え方」が違うようです。
今後、友達同士で来て、次はガールフレンドと来て、そしていつかは家族で、
という思い出を重ねていくのでしょう。

 

着いたらクリスマスのショーをやっていました。
超望遠モードで撮った船の上。
エリス中尉2・0の視力を以てしても、遠目にはこのサンタクロースが「ガイジン」であるとわかりませんでした。
目と鼻しか出さないのに本場のサンタを使うとは、さすがこだわりのディズニー。
この二人は音大声楽科卒の歌手だろうか。

 

このトランペットは本物ですが、この奏者は本物ではないと思います。
ポイントは右手の指の置き方。
「いや、こんな指の置き方をする奏者もいる!」ということならゴメンナサイ。

 

ゴンドラ乗り場の横のイタリアンレストランでディナーの予約をしようとしたら、
「今日は予約はしません。並んでいただきます」とのこと。
予約制だと何かとテーブルのロスができて人数を捌けないから仕方ないのかもしれません。

SSコロンビア号。

写真を見て気づいたのですが、煙突から本当に煙を出すんですね。
それにしても、向こうの「本当の海」を借景して、港らしさ満点です。

マーメイドラグーン。

前回来たときこのあたりはリニューアル工事中でしたが、ご覧のような
ブロンズのアリエル像が完成していました。
ときおり不自然な分け目のヘアスタイルをしたイケメン外人の
「ヅラ王子」(エリス中尉命名)が出没して写真撮影会をするポイントです。

 

到着したのは12時。
朝になって行くかどうか相談しているんですからね。
いくら何回も来ていて、今さらどうしてもしなければならないことなどないとはいえ。

着くなりおなかがすいたのでお昼にしました。



ミステリアスアイランドの中華「ボルケーノ」(だったかな)。
地熱を利用して移民のシェフ・陳さんがやっているレストランです。
シーのレストランにはいちいちこのような「ストーリー」があります。
息子は必ずここの油淋鶏を食べずにはいられないのだそうです。
おかげでほかのレストランに最近行ったことがありません。



新メニュー、麻婆ヌードル。
中華ヌードルの上に、スパゲティのように麻婆ナスが乗ってます。
針生姜まで天盛りされていて、凝っています。
お味もなかなかで、息子にかなりを強奪されました(T_T)



さて、そんなわたしたちが何をおいても一番にファストパスを取ったのが
レイジング・スピリッツ。
360°ループ回転のローラーコースターです。

エリス中尉、これまでパイロット気分を味わえると思えばこそ
このような乗り物に今まで積極的に乗ってきましたが、
その後、本職のパイロットから
「実はジェットコースターが怖い」という言葉を聞いて驚きました。
これは自分で操縦していないからであろうと思われます。
そして、ジェットコースターのほうは、単に「慣れ」です。

今回わたしはぴくりともスリルを感じませんでした(T_T)

皆がキャーキャー叫んでいるのに、一人湿った声で、
「ここの部分の揺れが不愉快なのよねえ」などと評論し、
パイロットに教わったように頭をめぐらせループを目に焼き付け・・。

いずれにしても、こういうものでドキドキしなくなったというのも
実につまらないものでございます。

 

 

真横から写真を撮ってみました。



 

園内は喫煙場所以外は全面禁煙。
喫煙場所と言っても屋外なので、皆が吸えば煙が周りに流れます。
今回、シーは喫煙場所を移転していました。
右の光景が見える場所、皆が通りかかる通路にあった喫煙スポットが無くなっていました。
おそらく、禁煙派のクレームがいくつかあったのではないでしょうか。

ディズニーランドのキャストに「ここ、こうしたらいいのにねえ」と、
ちょっとしたアイディアを話したら、そのアイディアが直後に採用されていた、
という人の話を聞いたことがありますが、さすがディズニー(と言うかオリエンタルランド)
だけあって、そういう「声」には積極的に耳を傾けて意見を取り入れているということでしょう。

  

昼間のロストリバーデルタ。
誰ですか?左の写真に霊が写っている、なんていう人は。
これは、光のと建物の影が作り出した偶然ですよ。(たぶん)

 

 

あちこちうろうろしていたらブラスバンドに遭遇。
ここポートディスカバリーは何年か前まで「お天気研究所」という
コントをやっていて、息子は二度ほど引っ張り出されました。
楽しいショーでしたが、さすがにネタが知れ渡ったので交代したようです。

それにしても、みんなのこの楽しそうな表情、ごらんくださいな。
本当に音楽が人に与える力は偉大ですね。



この盛り上がりを見よ。
なんとこのバンド、客からリクエストを募り、そのメロディを吹けるメンバーが
「はい!」と挙手したうえで、リズムに乗せて一節を吹いて聴かせます。

この人たちがリクエストしたのは「ヘラクレス」。
ヘラクレスですよ。「ゴー・ザ・ディスタンス」。
人の名前は忘れても、一度聞いた曲は決して忘れないエリス中尉ならともかく、
みなさん、こんなマイナーな曲、知ってますか?
だいたい知っていてもとっさにメロディが出てくるものではありません。
はたしてこのチューバ奏者がこの曲の一節を吹いたときの周りの反応はすごかった。

「何?ブラスバンド?」(女)
「わー、かっこいいなあ」(男)
と言いながら通り過ぎた人がいました。
管楽器ってやっぱり「かっこいい」と認識されているのですね。



このあと、ポートディスカバリーのレストランですこしお茶休憩。
前のカメラでは決して撮れなかったここの不思議なオブジェ。

 

割と最近できたアトラクション。
アラビアンコーストの「フライングカーペット」。
提供はNTTでございます。

 

細部にも凝っています。
細かい細工が美しいですね。



カーペットの下は水が流れています。
前後のシートにつけられたレバーで上下とカーペットの傾きが変えられます。

 

以前、「この不人気アトラクションのスポンサーになったため担当社員が左遷されたはず」
などと、心無いことを言ってしまった「シンバッドの冒険」。
今回乗って、エリス中尉、考えを変えました。そして謝ります。
こんなアトラクションも必要なのです。
スリルのある絶叫ライドや、ミュージカル仕立てのショーばかりでは、
こういった遊園地に来ても乳幼児は何も楽しむことができません。
息子が乳幼児のときフロリダのディズニーに行きましたが、
本当に「何も乗れるものがない」状態で途方に暮れたのを思い出します。
赤ちゃんに毛の生えた(この表現はヘンか)ような幼児にも乗れて、
しかも怖くなく、幼心にも何かを残すアトラクションなど数えるほどしかないのです。

ディズニーランドの「イッツアスモールワールド」、そしてこの「シンバッドの冒険」は、
そんな乳幼児連れの家族にとって貴重なアトラクションなのです。

しかも、「スモールワールド」もそうですが、一つの曲がリフレインしていく中、
場面が変わって行ってもシンクロしながら最後まで音楽が途切れず、次々と新しいものが目に入ってくる。

そして、この音楽のタイミングとか、船の速さの関係とか、それなりにすごい苦労があったんだろうなあ、
などと開発者たちの努力に思いをやれば、これは決して「不人気ライド」
などと切って捨てるべきものではないと強く反省した次第です。




この日、いつもなら10時の閉演までいないと気が済まない息子が、
「7時に最後のファストパスを使ったら帰るよ」という一言に
あっさり「いいよ」と言ったので少し驚きました。

寒かったせいもありますが、エリス中尉の「ジェットコースター」と同じく、
かれもこれだけ来ているTDSに対して「スレて」きたのかな。

おそらく、友達や彼女と来るようになれば、また
「帰りたくない!いつまでもいたい!」という気持ちになるんでしょうけど。





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自衛隊音楽隊隊員「戦う音楽家」

2012-12-22 | 自衛隊

           

前回に引き続き、「制服シリーズ」、
今日は海自音楽隊のマーチングなどの演奏用ユニフォームです。

みなとみらいで行われたコンサートの模様は、探せばyoutubeに上がっていますから、
ぜひアップしたURL以外にもいろいろと探していただければよろしいかと思います。
そして場内の様子を見れば、いかにこのコンサートにたくさんの人々が詰めかけていたか、
その様子がお分かりになるでしょう。

エリス中尉は、半日このコンサートを傾聴して、この人気と関心の第一理由は、
なんといっても「かれらが軍楽隊であること」(この言い方に異論は認めません)
であることにつきる、と思ったのですが、いかがなものでしょうか。

本日画像にあげたような凛々しい「軍服」に身を包んだかっこよさ。
たとえば「錨を揚げて」のソロを鮮やかに披露したドラム奏者が、
他のだれにも真似できない本物の敬礼をする様子、
サラ・ブライトマンと同じキイで完璧な歌声を披露する女性歌手や、
「ゆず」の「栄光の架橋」を熱唱する男性デュオが、
「一等海曹」「三等海曹」などとアナウンスで紹介される不思議なギャップ。
演奏開始の際も0分きっちりにタクトが振られる「軍隊的規律の正しさ」。
そして、全ての音楽隊が必ず一番最後に演奏する「行進曲 軍艦」。

これらの様式や一般の人間にはめったに知りえない世界の規律を見るからこそ、
自衛隊音楽隊に人は強烈に惹きつけられるのだと思います。


昔、5月27日、日本海海戦で聯合艦隊が勝利をおさめたこの日は
海軍記念日とされていました。
この日に行われる「海軍行進」はいわば「季節の風物詩」として人々に親しまれ、
そのかっこよさに軍楽隊を楽器もできないのに志願する男子がいたというほど、
・・・・つまり、現在と全く同じように軍楽隊への関心と称賛を煽る行事でした。

このようなことを以前書いたことがありますが(海軍軍楽隊かく戦へり)
きょうは、このみなとみらいでのコンサートを見て
「自衛隊音楽隊員になりたい!」と思ったら、どうすればいいのか、
少し調べてみましたのでお付き合いください。

この日、会場ではプログラムとともにこのようなパンフレットが配られていました。



これには、海自音楽隊の活動の広報とともに「音楽隊員になるには」
というリクルート情報もあったりして、いかにこういったコンサートによって
志願があるかということがうかがい知れます。




それによると、音楽隊配属はこのような段階を経るのだということ。
音楽大学を出た楽器奏者の就職先は多くはありませんし、
一旦職を得てしまったオーケストラ団員はめったにやめませんから、
一般のオーケストラにもめったに欠員は出ません。
自衛隊音楽隊もまさに同じです。
音大を出た奏者の「第一目標」は普通はオーケストラですから、最初から
「自衛隊で音楽をしたい」と思って応募してくる者は希少ではないかと思いますが、
宝塚劇団の専属オーケストラですら、音大卒業者にとっては非常に安定した
優良就職先であることを考えれば、自衛隊音楽隊に入るのがいかに狭き門かお分かりでしょう。

この上のチャートを見て、不思議に思われませんか?
音楽隊員になりたい、と思ったものは、まず

自衛官試験を受けなければいけない

ということになっているのを。
音楽大学、音大大学院を卒業した者は、自動的に

「二等海士」「一般曹候補生」「海自技術海曹二曹、三曹」

の受験資格を持ちます。
専攻学科は指揮、作曲、管楽器、打楽器が対象ですから、ピアノ、声楽、弦楽器はアウト。
つまり、エリス中尉は受験資格があるということですね。
ただし、二等海士と一般曹候補生の募集年齢は27歳までですから、
ここでエリス中尉は大幅に受験資格を失います。
まあそんなことはどうでもよろしい。

それにしても、音大を出て自衛隊音楽隊に入りたい、と思ったら、まず試験を受け、
自衛官になってからあらためて「適性試験」を受ける。
これはとてもリスキーなのではないか?自衛官にはなったけど音楽隊に入れない、
つまり適性試験で不合格になったら、音楽隊をあきらめて普通の自衛官になるしかないのか?
そんなの、もしかしたら詐欺なのではないか?

とこの表を見て思ってしまったあなた、あなたは正しい。
しかし、どの世界にもどうやら「建前」というものがあって、実は音楽隊にも
ここに書かれない「裏試験」というものがあるらしいことがわかりました。

音楽隊の募集は毎年各楽器行われるわけではありません。
なぜなら、前にも言いましたが、いったん入った楽団員はそうかんたんにやめませんから、
募集は「欠員が出た楽器の対象者のみ」ということになります。

このような情報は各音大に「オーディションのお知らせ」という形で広報されます。

エリス中尉が大学生だったころ、大学掲示板に

「NHK『おかあさんといっしょ』のおにいさんおねえさん募集」

というオーディション告知があり、資格は「声楽家専攻」となっていました。
在学中見たもっとも変わったオーディション告知でしたが、そのほかにも、
地方オケなどの欠員に際して募集要項がしょっちゅう貼り出されたものです。

そんな感じで各専門学校に告知してオーディションを行い優秀な応募者を選ぶ。
実は、このチャートに書かれている「自衛官試験に応募」というのは、
このオーディション合格者が「形だけ行う」もののようです。
あくまでこのパンフレットは「一般向け」であるから、ここから書くしかないんですね。

もっともこれは「一つの形」で、高校を出てまず自衛官試験を受けてなった「正式採用組」、
大学に自衛隊の説明会が来たのでなったという「スカウト志願組」、そして、
普通に自衛官をやっていた趣味の奏者が適性試験で受かったという「一般採用組」
など、いろんなパターンの入隊者がいるようです。
ただし、「正式採用組」は、必ずしも希望の職種に回されるわけでもなく、
へたしたら意にそまない部署で「空きを待つ」可能性もないわけではないとか。

そして、晴れて音楽隊の隊員になれたら。
旧海軍でもそうでしたが、だからといって「らっぱふいてりゃいい」ということは、
軍楽隊である自衛隊音楽隊員には許されないのです。

音楽の訓練とは別に団体行動の規律を厳守することから叩き込まれ、さらには
体力と精神を鍛え上げるために、普通の自衛官と同じようなカッター訓練、
水泳(フネに何かあったら泳げないといけませんから)、陸上訓練をこなし、
さらには運営そのものを自分たちで行うために雑用も多いとか。
毎日プロオケとしての厳しい練習の日々。
もちろん旧海軍時代のように「練習室の防音壁に血しぶきが飛ぶ」などということは
決してありませんが、その分「言葉による叱責」の苛烈さは旧軍以上(たぶん)。
自衛官としての厳しい訓練は、もしかしたらこの言葉責めに耐えるための
精神力修養が目的か、というくらいのものだそうです。


観艦式の時、同行者の知人である退官した元掃海艇艦長、内閣府勤めの方と
エリス中尉、甲板で陽にあぶられながら長時間話をしました。
その会話の中で音楽隊の話が出たとき、この方は

「音楽隊が広報活動で一般向けに演奏するのは勿論いいことだが、
その存在意義の一番重要点は『隊員の士気鼓舞と慰安』なのだから、
その辺を逆転させないでほしい」

というようなことをおっしゃっていました。

音楽隊の義務の一つに「有事の際の隊員に対する士気鼓舞と慰安」があるというのは、
自衛隊に限らず古今東西軍と言われる組織では当たり前の話。
むしろ、それが第一義であると断定しても間違いはないでしょう。
国民の税金で賄われている音楽隊ですから、その国民に対していつなんどきでも
演奏を提供するべき、などというようなことをいうつもりはありませんしこの方の意見はわかります。

わたしは阪神大震災の後、被災者を慰撫するためのコンサートに
かかわったこともあるのでよく知っていますが、音楽の持つ力は、
どんな言葉よりも被害にあった人々の気持ちを慰め勇気づけます、

今回の東北の大震災の後も、自衛隊の音楽隊は慰問演奏を行いました。
そのような演奏を行っているのが自衛隊や消防隊の楽隊であることは、
被災者に音楽だけではない安心感を与えたと思うのです。

自衛隊が一般に向けて演奏を供することは、自衛隊そのものを宣伝することであり、
それに向けて皆の寄せる関心の強さはイコール「日本を守る自衛隊への理解」
につながっていくことから、こちらの意義も決して「二番手にすべきではない」
と私は思うのですがいかがでしょうか。

ある航空自衛隊の音楽隊隊員はインタビューに答えてこのように言っています。

「この仕事は音楽隊以前に自衛官であるっていうことを認識しないと務まらない職務だと思っています。
日本の国土と国民及び国民の財産を守る自衛官という事を先ず第一に考え入隊してほしいと思います」







 

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海上自衛隊音楽隊コンサート

2012-12-21 | 自衛隊

画像は、現在海上自衛隊の音楽隊で「試行中」の演奏会用制服。
うーん、かっこいいですねえ。

現行の制服は一番略式のものだと自衛官の制服に冬は飾緒を付けるだけ、
夏はそのまま、というものなのですが、演奏会用は女子はこのようなロングドレス。
現行のものとあまり変わらず、むしろ袖の飾りが無くなりシンプルになっています。
男性の演奏会用は現行との大きな違いは「タキシードカラーのシャツ」でしょう。
これまでのシャツ+棒ネクタイの組み合わせよりこれは、よりオーケストラに近く、
エリス中尉はあと一息、上着を燕尾にすれば完璧だと思います。(燕尾フェチ)

先日、自衛隊音楽祭りにさくらさんが行かれたというコメントをいただきました。
プラチナチケットであるということも知らなかったのですが、とにかく
自衛隊音楽隊の人気はものすごいものであるようですね。

それを実感したのが、この10月、観艦式の一環行事として、各地の海自音楽隊が
みなとみらいに集結して「観艦式記念コンサート」をしたときです。
ここではよく高校生のブラスバンドの発表が行われるのですが、この日、
海上自衛隊の6つの自衛隊がここで12時から5時40分までの間、
各音楽隊が40分ずつのステージを披露しました。

フリースペースなのだからどこかいい場所が取れるだろうと思っていたら大間違い。
ステージ正面の椅子席など、朝施設のオープンと同時に待っていたらしき人で
あっという間に「一日貸切」になってしまったのは勿論、楽隊の前のスペースは
とにかく人垣が三重四重に取り囲み、見ることなど不可能。

音さえ聴こえていれば別に見えなくてもいい、と人はあまり思わないようで、
とにかくステージの周りから反対側の階段に至るまで見物客がびっしりと。

案の定これほどのものとは思わずに普通に出かけたエリス中尉、
ようやくステージの斜め後ろ、指揮者も見えないようなところになんとか落ち着き、
聴くことだけはなんとか聴きました。
しかし、決して「いい場所」ではないにもかかわらず、周りの人々は楽隊の交代になっても
一向に動かず、そこで立ったまま聴き続けているのです。

なにか、本当に自衛隊の演奏には心から興味と関心を惹きつけられるものがあるのだと
この日一日で実感した次第です。

それでは、この日、各音楽隊が演奏した曲を挙げていきましょう。

大湊音楽隊

1、錨をあげて
2、ソーラン節
3、海の見える町(魔女の宅急便より/久石譲)
4、メモリーズ・オブ・ユー
5、宇宙戦艦ヤマト
6、栄光の架橋
7、マンテカ

選曲には各隊、工夫を凝らします。

1、いわゆるスタンダードなマーチ
2、音楽隊の所属する地のご当地民謡、ご当地ソング
3、演奏地(この場合横浜)を想起するテーマのもの
4、スタンダードジャズの名曲(ある層にとってはナツメロ)
5、アニメソング
6、ご当地ソング(Jpops)
7、ラテン系のリズムで、ジャズミュージシャンが取り上げたイケイケの曲。

このような選曲でプログラムが組まれているようです。
6番の「ご当地」は、これを歌っているゆずの二人が横浜市の出身であることから。

ついでにもう少し分類すると
8、自衛隊委託作品

自衛隊音楽隊は、多くの委託作品を初演しており、なかには
自衛隊にとどまらず吹奏楽会全体の重要なレパートリーになったものも
少なくありません。

以下、各地方隊のレパートリーにこの分類番号を振っておきます。

舞鶴音楽隊

双頭の鷲の旗の下に (1)

行進曲「博奕岬の光」(6)(ご当地ソングでもあるらしい)
コルネット・カリヨン(ラッパのために作られた曲でブラバン界では有名)
ナヴァル・ブルー(6。名曲です)
パヴァーヌ(ラヴェル。9、クラシックの曲)
マイ・フェイヴァリット・シングズ(4)
白鳳狂詩曲(6)

佐世保音楽隊

秋空に(6)
島原地方の子守歌(2)
宝島(6)
赤とんぼ(10、童謡)
枯葉(4)
セプテンバー(アースウィンドアンドファイア 11、ポップス)

呉音楽隊

艦上の旭日(6)
キャラバン(7)
ムーン・リバー(4)
ア・ハード・デイズ・ナイト(11)
フライミートゥーザムーン(4)
エルクンバンチェロ(7)

(7)のイケイケ・ラテンは、派手なのでよく最後の曲に使われます。

横須賀音楽隊

マンテカ(7)
海の見える町(5,3)
栄光の架橋(2、6)
かもめが横須賀跳んだストーリー(2)
ヨコスカの海と風より どぶ板通り(8)

みなさん。
わたくしはこの横須賀音楽隊と大湊音楽隊の演奏を聴いて、つくづくこの自衛隊の
人材の豊富さに心から感心いたしました。
「栄光の架橋」は知る人ぞ知る名曲ですが、これを「ゆず」ばりに二人の自衛官、
計4人の自衛官が歌い上げたのです。

http://www.youtube.com/watch?v=BWHm-ZTVNx0

http://www.youtube.com/watch?v=8ei7Ot6ycVQ

アレンジが微妙に違いますね。
横須賀にはキーボード奏者とゴングが入っていて若干こちらが凝っている感じです。

若干の音程のブレはあるものの、伸びのある気持ちのいい声、
四人とも「君たち仕事を間違えてないかい?」と思わず聴きたくなる見事な歌手ぶり。

しかし、この四人は自衛隊に「歌手」として入ってきたわけではないのです。
楽器をするからと言って必ずしも歌がうまいわけではありませんが、
一般に音程楽器(弦楽器)の人間は声はともかく音程は正確に取れ、
さらに管楽器の人間は「体で音を出す」ので、歌の上手いことが多いのです。
ブラバンのメンバーで歌の上手い人間はいくらでも、とまではいきませんが、何人かは見つかります。

わたしはステージが全くと言って見えないところにおりましたので、
かれらが演奏が終わってからそのあとどの楽器に戻ったのか見ることができず、
残念ながら彼らの「本職」が何かはわかりませんでした。
(どなたかこのステージ見ていた方おられませんか?)

そして、5つの楽隊の演奏がすみ、トリは

東京音楽隊

錨を上げて(1)
Time to say Good-bye(11)
I Got Rhythm(4)
青春の輝き(11)
チュニジアの夜(7)
it's Only A Paper Moon(4)

東京音楽隊の演奏が始まるとき、となりにいた女性が二人、
彼女らはとても自衛隊音楽隊に詳しく、知り合いでもいるのかと思われましたが、
「期待の東京音楽隊!」としゃべっていました。

この6つの音楽隊にランクやグレードは無いとは思いますが、
もしかしたら東京は特別なのでしょうか。
そういえば、旗艦「くらま」に乗ったのもこの東京音楽隊であったと聞きます。

この楽隊には最終兵器ともいえる(自衛隊だけに)人材がいます。
以前、自衛隊音楽隊の話をコメントでしたときに、東京音大声楽科を出た
自衛官が誕生した、という話をしたことがありますが、どうやら彼女がその
「歌手自衛官」であるようです。

そんな彼女が歌ったのがTime to say Good-byeとit's Only A Paper Moon。
イッツオンリーは、ジャズの名曲で、

「描き割りの空に描かれた紙のお月様も、あなたが信じてくれれば本物になる」

というかわいい内容ですが、彼女はこれをバース(前置き)部分から丁寧に歌いました。
そして、タイムトゥ~は、言わずと知れたサラ・ブライトマンの持ち歌。
驚くべきことにサラと同じキイで歌ってのけました。
ラストの部分、あまりにもハイキーなので、知っている者にとっては心配のあまり
その個所に差し掛かったとき鼓動が早くなるほどでしたが、いやまったくお見事でした。

http://www.youtube.com/watch?v=c3BnFGSKXu0

ところで、この東京音楽隊の最初の「錨を上げて」では、
スネアドラムがフューチャーされ、その時だけ奏者は制帽を着用しながら演奏。
心がびりびりと震えるような鮮やかなスティックワークが披露され、
ソロが終わったとき、かれは上方を仰ぎつつ実にスマートに敬礼をしたのです。

これを観たとき、エリス中尉、決して比喩でもなんでもなく、
そのかっこよさに感動のあまり全身鳥肌が立ってしまいました。


各音楽隊は40分で演奏を終了するのですが、必ず始めるのは
ぴったり時計の針が0を指した瞬間。
海軍式時間厳守はこんなところにも受け継がれています。
そして、40分のプログラム、必ず最後に演奏されるのが、
・・・そう、「行進曲 軍艦」。

わたしはこの日一日立ったままこの演奏を聴きましたが、「軍艦」が流れるたび、
明らかに会場の空気が変わるのを感じました。
なにかみな高揚したようなはっとしたような、何とも言えない表情を浮かべるのです。

海自音楽隊の演奏する「軍艦」。
「力」だなあ、とジーンとしながら思いました。





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コレステロールの謎~医者<霊能者

2012-12-20 | つれづれなるままに

あるきっかけで血液検査をしたら「コレステロール値が高い」という診断がでました。
検査したのは内科ではなかったのですが、
「悪玉コレステロール(LDL値)が高いので、診察を受けたほうがいいです」
と言われたのであらためて専門医の診察を受けました。

この、最初の診療科は、いわゆる「がん検診」で訪れたのですが、
エリス中尉の家族歴を(親族のがん罹患歴)聴いた途端その女性医師は

「それは心配なので詳しく調べたほうがいいです!」

と力強くおっしゃるので、わざわざこの忙しいのにMRIを受けました。
受けた方はご存知でしょうが、ドームにすっぽりと入っていくので、
「閉所恐怖症の人お断り」になっているあれです。

「たしか坂井三郎さんがこれの途中で亡くなったんだなあ」

などと思いながらも、前日の寝不足でうとうとしていたのですが、
眠りに誘われながら、そういえば坂井さんも

「ちょっと眠っていいか」

と最後に言ったのよねえ、などと思い出しておりました。
不吉だ。
しかも、その担当医師、結果がいつ出るかを告げたあと

「何もないことを祈ってます」

・・・・・・・。
医者に祈られても困るんですけど。
その一言で急激に不安になった(そんなものでしょ?先生)エリス中尉、家に帰り
さっそく家族に「わたしがんかもしれないキャンペーン」を張りました。

息子が公文に行くのを嫌ったり、自分で起きられないと

「ママがいなくなったらどうやって朝起きるつもり?」
「ママがいなくなっても公文ちゃんと行ってね」

TOが何かつれないことを言うと、

「そんなことを言わない方がいいよ」
「・・・・え?」
「わたしがいなくなった後で『ああ、あのときあんなことを言わなければよかった』って思うから」
「え~~、やめてよ怖いこと言うの」

ええ、すっかり楽しんでいましたともさ。
その間、人の体に触れれば、その調子や具合をぴたりと当てるカリスマセラピスト、
Mさんのセッションがあったので、これ幸いと「わたし、がんだと思います?」と聞いたら、
「違いますね。がんって、もっと何とも言えない手触りですから」
と言われて、すっかり安心していたせいもあります。

ちなみにこのMさん、今まで二人の進行がんをセラピー中に発見したそうです。
一人は末期で結局お亡くなりになったとのこと。

Mさんのご神託とわたし自身の根拠のない自信で、すっかり安心して結果を聴いたところ、
「がんではないが、コレステロール値が高い。心配である」という結果。
それで、このたびの内科受診となった次第です。

医師は検査値だけを見ながら「コレステロール下げる薬を一か月飲んでください」
そこでわたし
「コレステロールが高いと何が悪いのですか?」
と超初心者の質問をしてみました。
「心筋梗塞などの症状を起こしやすいということになります」

ならば仕方ない。
薬をもらって帰りましたが、案の定というかなんというか、よく飲むのを忘れるんだこれが。
2日飲んだら1日忘れる、といったペースで一か月がたち、先日再検査がありました。
それが冒頭の検査結果。

下がってますね。急激に下がってます。
いきなり正常値に急降下です。

喜ぶより、あんないい加減な飲み方で下がるっていうのもなんだか怖いなあ、
と思いつつ、まあ下がったということはいいことなのかしら、と先生に

「じゃもう薬飲まなくていいんですか」
「やめたら戻りますよ」

・・・・・・・えっ?

「あの、わたしそんなにコレステロールが高くなるようなもの食べてないんですが」
「太った方が痩せたらコレステロールは下がります。
脂質の多い食事をしていた方が気を付けても、下がります。
どちらの要素もないのにコレステロールが高いということは体質です」

あの、先生。体質なら別にこのままでもいいんじゃないでしょうか。
無理して薬で急激に下げて、しかも一生薬漬けって、
こっちの方がかなり体にヤヴァそうな気がするんですが。

家に帰ってやおらインターネットで調べたところ
「日本では正常値を少し超えたら病気扱いで薬を飲ませる。
そしてその基準はとても低い。
これは薬屋と医者の何々がどうたらこうたら」
たしかに、高いといわれてもアメリカの正常値には楽勝で収まっています。
おまけに、
「コレステロールが高めのほうが特に女性は長生きする」
なんて説もあるではないですか。
むしろ、薬の副作用のほうが問題になってるみたいですが。


ところで、いきなり話は変わりますが、以前から何度か折に触れては話してきた
TOの仕事関係の「見える人」、Hさんとしておきますが、
ちょうどわたしが「コレステロールが高い」と病院で宣告される少し前に
Hさんと仕事で会ったTO、いきなり彼から何の予告もなくウコンの粉を渡されました。

「奥様はお体だいじょうぶですか?」そう聞くので
「はあ、元気だと思いますが・・・・」
しかし、そのひとはウコンを渡しながら
「なにか肝臓がよろしくないような気がしましたので・・・・。
これは、母が愛用しているもので、一か月飲めばかなり変わるそうです」
「いや、がんかもしれないとは騒いでいましたが、
とくに肝臓が悪いというような話は聞いてないんですが」

といいながらも、相手が相手なのでありがたくいただいてきました。
それをTOが持って帰ってきた日、
わたしは鍼の先生に「肝機能が衰えていますよ」言われ、
コレステロール値がどうのと病院で言われたばかりでした。

「ちょっと・・・・肝臓悪いってなんでわかるのよ。怖いんですけど」
「相変わらず不思議だけどとにかく『なんか感じた』んだって」

なんか感じたくらいでウコン(非常に高価)くれますか?
もうそれって確信してるでしょ?肝臓悪いって。

今回、実はコレステロールの薬とともにこのウコンも飲んでいました。
医者は民間療法を嫌がりますから、医師にこのことを言いませんでしたが。
ウコンは肝臓の働きを助けるくらいには「効く」といいます。
もう医者に行くのやめてウコンだけ飲んでみようかな。

実はわたくし、身内が医者であったのに、というか医者であったからこそ
医者の言うことは百パーセント信じない方がいい、とくに薬に関しては、
と心のどこかでいつも思っているんですよね。

しかも、セラピストのMさんの「ハンドパワー」や、霊能者の直感、
どちらもまったく科学的根拠もないのに、結果として薬より信頼できるというのは・・
ってこれ、いったいどうしたもんでしょうか。



追記:富山への機内で読んだ本によると、
コレステロールが「悪い」ということにしたい製薬会社と医療界によって、
悪玉コレステロールは治療すべきという「天動説」が確立してしまった、とのこと。
地動説を唱える医者は焚書火あぶり?のような扱いだそうです。

さらにある医者は

「コレステロール低下剤で年間1万人が死亡(がんによる)の疑い?
コレステロール値は240~260が最も健康」

とまでデータを出して公表しています。
つまり患者の顔も見ずに薬を処方する医者は何も考えずに
製薬会社の効能をうのみにしているだけだ、という説です。


というわけで、わたしはどうするかという話ですが、わたしのような「体質」の人間は、
筋トレと若干の低炭水化物食をすればこれ以上悪くなりようがないということらしい、
と勝手に自分で判断することにしました。

これでもし心筋梗塞にでもなったら、そのときはご報告しますね。



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富山鋳造工場 愚かな母親とテレビ番組

2012-12-19 | お出かけ

今回の富山旅行の主目的は、鋳造工場見学です。
この小さな工場は、大正時代に創業、
富山県の高岡市に伝わる鋳造技術で仏具をつくってきました。



このように見かけも何の変哲もない工場です。
この近辺には同じような工場が立ち並んでいました。

 

この会社が今世界から注目されているのが、この錫を使った道具。
見るからにモダンなセンスが生かされたお洒落な器や花器の数々。

冒頭写真は、ここの器を使って野菜を盛り付け供している都内のレストラン。
この器が、ほかには無いここだけのオリジナルです。

 もともとの形。
まるで鍋敷きみたいですが、これは「加工前」。
加工は・・・・、なんと手で曲げて行います。

 →

錫はとても柔らかく、可塑性があります。
入れるものに合わせて自分で「形作る」器。

 フルーツバスケットになりました。

 この社の社長さん。
テレビ番組に出演した時のVTRより。
この人が、錫をつかったオリジナルの鋳造製品をデザインしました。
そのオリジナリティは今や世界に注目されています。

 

全ての商品が、手で曲げて形を変えられます。
錫のカップでさえも。
錫に液体を入れると、不思議なことに「味がまろやかになる」のだとか。

 

最近はアメリカからも注文が来ているのだそうですが、アメリカ仕様はなぜか
「何を入れるのかわからないくらい大きい」(社長談)のだとか。

「何を入れても落ちてしまいそうですね」
「うーん、アメリカは家が大きいから・・・オブジェにでもするんですかね」

注文を受けたものの、社長にも用途はわからないそうです。

 

テレビ番組より。
お寺の鐘のシェア日本一。
そういえば、桜新町の「波平さん」、あの髪の毛が盗まれて話題になったあの像も、
ここで製作されたのだとか、

「抜かれた髪の毛はもう一度再注文されたんでしょうね」
「そのようですね」
「今後のことを考えてスペア購入しておいた方がいいんじゃ?」
「どうだったんでしょうね」

しかし、あれはニュースにするからよくない。
シャレというか、面白がって取る人は、報道されるからするのであって。

さて、せっかく見学したので錫製品の作り方を少し。

 

何の変哲もない四口のコンロに乗った鍋。
錫の溶解温度は低いので、これで溶かせるのです。
今日はお休みなので、火の気はなく、鍋の中は固まっていました。

 これが錫の原料。

金属としては錫は高価な方なのだそうです。
が、社長、

「これが金インゴットだったら、工場なんてやらずに遊んで暮らすんですが」

おそらく、工場見学(最近とても多いのだとか)にきた見学者に
何回となく言ってきたに違いない渾身のギャグ。

 

雪の降るこの日、誰もいない工場はしんしんと冷気が地面からきました。
「作業中はさぞ暖かいでしょうね」
「その代り夏は地獄ですよ」
ああ・・・なるほど。

 

先日アップした護衛艦のプレートもここにありました。
ここで製作する製品の型倉庫。
わかりやすいように壁に展示してあります。
この型を使って、まずまわりの型を製作。

 

それがこれ。このくぼみに専用の土を入れてぎうぎうと固めます。

 その型が積まれている倉庫。

錫をこの後流し込むと、土と型の間にそれが流れこんで本体となります。
 制作途中のもの。

 できた型をここで研磨します。

左が加工後。これは風鈴です。

仏具から「ブレイクスルー」をこころみたとき、最初に作ったのが、
「卓上ベル」。
食卓において、執事を呼ぶときにちりんちりん鳴らすあれですね。
しかし、執事を食事中に呼ぶような生活をしている日本人はいないので、
予想できたことですがこれは全く売れませんでした。

そこで、思いついたのが風鈴。
非常に音の良いお洒落な風鈴は売れに売れました。
この会社が大きく羽ばたくきっかけになった商品です。



ショウルームにあった風鈴。
右はハローキティ、左はUFOとさらわれる人。
これ、実はうちにもあります。

今やデザイナーは20人いるのだそうですが、風鈴に関しては
「自分で言うのもなんだけど、わたしのデザイン(ハンドベル型)のほうが
音がよくて、実際にもよく売れる。
デザイナーは音の良しあしをあまり気にしないで作るから」

 

ぶたさんやナマケモノのモチーフで作った「苔盆栽入れ」。
これ、かわいいので欲しかったのですが、
苔はしょっちゅう水をやらないといけないので、
夏旅行するエリス中尉には枯らすのが火を見るより明らか。
あきらめました。

 ライオン。

これはこういう形ではなく、商品を組み合わせて作っているようです。

風鈴用の雪だるま。

風鈴を買ったときにUFOと迷ったのがこれ。
「風鈴は夏のものではない」ということをアピールするための
雪だるまモチーフなのだそうです。
とてもかわいらしいのですが、これがなぜか中国で大人気。

「なぜかわからないんですけど、中国でやたら売れるんです」

中国人の琴線に触れる何かがあるのかもしれません。

さて、われわれはショウルームで美味しいケーキをいただきながら、
この会社が取り上げられたテレビ番組の録画を拝見しました。



社長の車に乗ると、延々とユーミンがかけられており、さらにショールームでも
BGMはユーミンでした。
第一次ユーミン世代ですね。

 

若き日の社長。
この工場は社長の実家ではなく、結婚相手がここの一人娘。
「こういうモノづくりがきらいではなかったので後を継ぐことにして
養子に入った」とのこと。



番組は、工場の鋳造について紹介。

 

番組でも二つの護衛艦プレートが紹介されたようです。

 

このようなものもこの会社が製作しています。

 

社長デザインの先ほどの風鈴。
この風鈴が売れたことから、この会社の躍進が始まりました。

 

曲げて使えることが気に入ってここの食器を使用しているレストランも。

 

この錫の食器は、曲げるときに何とも言えない「みしみし」とした金属音がします。
本来「曲がるから食器に使えない」とされていたのを、
「曲げられるから食器にする」という逆転の発想がこれらを生み出しました。



社長が目標にしたのは、やはりイタリアの町工場から
いまや世界のブランドになった「アレッシイ」。
「目指すは、アレッシイ」が合言葉になりました。

 

国内で順調に評価を重ね、いよいよパリの見本市に出展することに。

 バイヤーは訪れるのですが、午前中は収穫なし。

 

午後になって大口のバイヤーがあらわれました。
メゾン・エ・オブジェ様が風鈴300個お買い上げ。

 

さらに大物バイヤー登場。
パリのメルシー本店のバイヤーです。

 

おお、おもしろいですねえ!とこちらもお買い上げ。



社長はホッとして一人で祝杯を・・・(たぶんやらせ)

とまあ、ありがちな後味のいいテレビ番組であったわけですが、後から
TOと「ひどいね」と言い合った「テレビ的演出」がありました。

テレビ番組の制作というのにかかわったことのある方はご存知でしょうが、
このたび東京地裁によって無罪判決の出た「NHK訴訟問題」、
これについても言えることですが、制作者というものは最初にどのようなものを作るか、
ほとんどアウトラインを決定したうえで、その趣旨に添う材料だけを採用し、
はめ込むのが定石です。

それでいうと、このようなサクセスものにはありがちな
「屈辱をばねに現在の成功のもととした」みたいな、ネガティブストーリーが、
この会社の成功物語にも加味されていました。



社長がまだ若いとき、工場見学に訪れた団体。
彼らの中のある母親が、子供に向かって言った言葉が・・・

「ちゃんと勉強しないと、あんな仕事しかできなくなるのよ」

・・・・・・。
本当か?本当にこういったのか?
というくらいひどい話ですね。

社長は「これではいかん」と思ってそれを跳ね返すべく頑張った、
という、エリス中尉のいつもの言い方で言うと
「スイカに塩を振るがごとき演出」なわけですが。

これも、エリス中尉ならではの予想ですが、おおかたこんなところでしょう。

「なるほど。わかりました。ところで社長。
今はこういう風にすべてがうまくいっていますが、ここに来るまでに
いろいろあったんじゃないですか?」
「いろいろと言いますと」
「ほら、なんか職人だからといって軽く見られたみたいな」
「ああ・・・そういえば、こんなことがありましたな」
「いいですね!その話使わせていただきましょう」



今や社長はそのビジネスを成功させた話を全国で講演し、
その回数は「平均月二回」と言いますから、ちょっとした時の人。

「あんな仕事しかできないわよ」

と言った母親の連れ合いよりは、おそらく何倍も世間的に
認められ、収入も多いものと思われます。

・・・・・・・・が、わたしは思います。

土にまみれ夏は滝の汗を流すような仕事を
「あんな仕事」としか思えないような人間は、たとえ社長のように
成功を治めた者に対しても、その職業が「職人」であるというだけで
決してその価値を認めることはないでしょう。

逆に、まともな人間であれば、どんな職業に対しても
プロフェッショナルには敬意を払うものです

つまり、この母親が特別に愚かな人間であったというだけの話です。
心無い一言に若き日の社長が傷つくのは当然です。

それより、職人の地位が低いというのが世間の「総意」であるとしたうえで、
しかしこの社長はそれを跳ね返し成功したのだとばかりに演出するこの番組は、
実はあの愚かな母親と同じく、汗を流す仕事を低く見ているような気がしたのはわたしだけでしょうか。









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真珠湾攻撃最後通告の「真実」 遺族の戦い

2012-12-18 | 日本のこと

日本の最後通告は真珠湾攻撃が始まって一時間後、
予定の時間「攻撃開始30分前」に1時間半遅れて手交されました。

アメリカ政府は実は日本が先に攻撃を仕掛けてくるのを待っており、
日本の動きを逐一報告させていました。
外務省と大使館の通話は筒抜けであったことが今では明らかにされています。

何度も出してきている12月8日日経新聞記事の表ですが、
今日はこの、記事の内容にはあまり関係のない(笑)
「米軍による傍受」という部分を見てください。

お分かりのように(なぜかここだけ米国時間なのでわかりにくいのですが)
外務省が電文を打っていずれもほとんどが約30分で傍受されています。

最後通告の13部までを受け取った米軍は、少なくとも攻撃の始まる14時間前には
外務省から電文が大使館に送られていることを知っていました。
翻訳にかかった時間を考慮しても、902電文の第1部が送られた時点で、
米軍側はそれを順に解読していたことは間違いないと思われます。

つまり、アメリカは日本がこれを以て
「日本が米国に対して外交交渉を打ち切る覚書を送付している」
=「いつ日本が軍事的に進行してきても不思議ではない」に突入したことを
知っていたと断定してもいいでしょう。



ところで、この記事で「日本の計画的無通告攻撃であった」ということを主張する
三輪(助)教授は、この表における時間の経過を「初めて」発見したということです。

しかし、この「新事実」が実は新事実ではなく、単に米国公文書記録管理局にある
記録文書を初めて日本人が見たに過ぎない、という事実に注目してください。
つまり、アメリカ側はこの記録をいつでも見ることができたということです。

アメリカは、日本大使館の最後通告が真珠湾攻撃の後になったことを
「国際法違反だ」とし、世論を戦争に向けるために大いに利用しました。
当時、それは「卑怯なジャップのだまし討ち」として国内に喧伝され、
国民は「リメンバーパールハーバー」に簡単に同調しました。

戦後、「大使館の怠慢と無能のためのミスで通告が遅れた」という説が出て、
今日それがほぼ既成事実化―アメリカでも一応―されています。
しかし、もし通告の遅れが意図的であったことがこれらの資料によって証明されるのなら、
資料を持っているアメリカはなぜそれを今までしなかったのでしょうか。

「日本の先制攻撃はやはり国家的に仕組まれたものであった」

これを証明することは当初の主張が正しかったことを裏付けることになり、
やれない理由もまた考えられないのですが、それをアメリカはしようともしなかった。

考えられる理由は2つ。

1、とにもかくにも通告が遅れたことは事実であるから、その理由などはどうでもよかった
2、通告の遅れは日本が意図したものではなかったことを傍受によって知っていたから

おそらくこのどちらもが正解で、さらにはもう一つ重大な理由があるとわたしは思います。


それは最後に回すとして、どちらにしてもこの日経の記事を見て不思議なことは、
日本の陰謀説を主張しているのが日本人であるということです


以前「ひめゆりの塔の怖さ」という項を書いたとき、沖縄戦について調べていて、
「近頃あの戦争を讃美する動きがあるが」
という、いわゆる左っぽい人の言論を見つけたことがあります。

太平洋戦争は日本の自衛のための戦争であり、そして、
「卑怯な騙し討ち」になってしまったのは大使館の人為的ミスによる遅れが原因だった。

このように評価することをイコール「讃美」と非難する言論人にとっては、
通告の遅れはミスではなく、やはり日本の軍部が関与した意図的なものだったのだ、
というこの新聞記事の「新事実」は非常に歓迎すべきものであることは確かです。

つまり、編集者は「日本の戦争を自衛のためのものであった」という見解に
「卑怯な陰謀説」で水を差すのが目的だったのかもしれません。
そして、その目的に沿った主張をしている井口氏の「身内のための戦い」を引用したのです。



わたしは汚名をきせられた父親の名誉を回復しようとするこの井口氏を見て
真珠湾攻撃の全責任を問われたキンメル少将のことを思わずにはいられません。
キンメルは大将から引責降格されました。
たまたまその瞬間、責任を負うべき立場にいたがために、
未来永劫、歴史的な咎を受け続けなければいけない不運さにおいては、
アメリカ太平洋艦隊司令長官と大使館員という立場の違いはあっても同じです。

そして、どちらもの身内がその名誉のために今も戦い続けているのです。

http://pearlharbor911attacks.com/

「アメリカは日本の真珠湾攻撃をを知っていた」という通説が各種研究によって
年々信憑性を増しているにもかかわらず、
ハズバンド・キンメルの名誉は遺族による運動によってもいまだ回復していません。
その名誉回復決議は上院で一旦採択されましたが、歴代大統領は署名を拒否しています。

遺族の主張が「アメリカは攻撃を知っていてあえて真珠湾をスケープゴートにした」
という説に基づくものである限り、国家としてはこれを認めるわけにいかないからでしょう。

日本の打電を傍受していたことについても、アメリカ側は
「傍受はしていたが、すべてを解読したときにはすでに攻撃は始まっていた」
という見解を一貫して主張しているようです。

先ほどの「三番目の理由」がこれです。

公文書の記録を解析して「日本の陰謀」を暴こうとすれば、自分たちの動き、
そのとき何をどう察知していたのかということをも同時に明らかになってしまいます。
キンメルの犠牲を見て見ぬふりを続けてでも国の公式見解を守ろうとするアメリカが、
今さら藪を突いて蛇を出すような真似をするとはとても思えません。


翻って今回の日経記事に登場した人々は、
すべての責任を押し付けるのに格好の対象として「陸軍」を選びました。
戦後の多くの「日本誤謬論」が今は亡き「日本軍」にその責任を問うているように。
しかしいかんせんそれを証明するにはあまりにも状況や証拠が曖昧です。

遺族にはお気の毒としか言いようがありませんが、わたしには
大使館員の「汚名返上」は今後も不可能なことに思われます。
キンメル少将の名誉が、おそらくこれからも回復されないであろうのとは違う理由で。


だいたい、大使館の館員はこの件について公的には何の処分もされていないんでしょ?
だったら、むしろ黙っていた方がいいんじゃないか?と他人事だと思って軽く言ってみる。

(このシリーズ終り)



Comment

真珠湾攻撃最後通告の「真実」 こうして記事は作られた

2012-12-17 | 日本のこと



12月8日付、日経新聞文化欄の記事についてしばらくお話をしています。

この記事がその見出し通り「大使館怠り説を覆す新事実の発見」だったとしましょう。
今までの定説を覆す新事実が発見されたら、それは大ニュースのはずです。
しかしそれはなぜか12月8日、真珠湾攻撃の日に合わせ、文化欄において報道されています。


歴史的なことが起こった日、メディアは人々の関心が向くことを期待して
何らかの関連ニュースを掘り出したりしてその当日の紙面を飾ります。
「広島に原子爆弾が投下されてから今日で何年目であるが」
「あの列車事故が起こって今日で何年経つが」といった風に。

それはあくまでも新聞の紙面作りの定石、つまり「お約束」で、それを考えれば
この日経新聞の記事もいわば「12月8日のお約束」。
つまりこの「新事実の発見」にはなんらニュース的緊急性はないとすでに察せられます。

つまり簡単に言うと、日経は証拠のない不確実なことを記事にしているわけですが、
(どう不確実で証拠がないかは三回にわたって検証してきましたのでお読みください)
タイトルに「大使館怠り説覆す?新事実」「外務省の故意か」
と疑問符をつけたのは、まだしも編集委員の一片の良心と言えるかもしれません。

それでは、どうやってこのような記事が掲載されたか、その経過を想像してみることにします。

12月8日、この日に合わせて日経新聞編集委員の松岡資明記者が
何か真珠湾関係の記事を文化欄に書くことをデスクに命じられたとしましょう。
松岡記者は、インターネットで検索し、

大使館の怠慢、無能によって最後通告は遅れたとする定説に対し
外務省と、さらに陸軍の関与により通告は意図的に遅らされたという説

を唱えている井口氏と何人かの学者の名を発見しました。
そして、(どちらが先かはわかりませんが)
米国公文書図書館の当時の資料を見ることに成功した?九大の教授という名前も
検索にかかってきました。

ここであらためて説明しておきますが、

「陸軍の某が騙し討ちを計画し、外務省に関与させ故意に電文送付を遅らせた」

そう主張しているのは、実は「九大教授」(データバンクによると助教授)の三輪氏ではなく、
今は一般人であり、当時の日本大使館員の息子である井口氏です。

しかし日経編集委員は、紙面を作るに当たり、この「メインの主張」をしている井口「氏」ではなく、
タイトルに旧帝大である九大の教授(データバンクによると助教授)という文字を掲げる必要がありました。

なぜか。

紙面作りの主張は常に権威によって真実味を補強されます。
(うちのTOが出演したTV番組のように)
この記事においても4人の「識者」が登場し、かわるがわる、
いまさら検証のしようのない主張と推論を繰り返し「記事の意図するところの結論」を補強しています。

つまり一般論ですが、ある新聞、テレビが「こういう記事、番組を作りたい」と思えば、
言論の自由が保障された今の日本において
「その意に添う主張している学者、識者等」はたちどころに見つけられるのです。
TOもまたその一人として駆り出された、ということですね。

さらにみなさん、驚くべき事実をお教えしましょう。

大使館無実説を唱えているのが実は井口館員の息子であることを
この日経の記事はまったく報じていないのです。

なぜだと思いますか?

おそらく、編集記者は、井口氏の主張が歴史学者による学術的研究によるものでなく、
父の名誉を挽回するための息子の「復権活動」であることが、
この「新事実」にとって客観性、さらには信憑性を損なうと判断したのでしょう。

エリス中尉は検索によってこの事実を知ったとき、思わず噴きだしました。
そして、日経新聞編集者の姑息な(その場しのぎという意味で解釈してください)
記事づくりに、心の底から呆れました。


さて、この新聞社がこの記事のために担ぎ出した学者、識者4人。
前回触れなかったその最終4人目、ラスボスである(笑)東京大学の渡辺昭夫名誉教授は

「通告の前に攻撃が始まったという問題の本質は変わらないと思うが

隠されていた事実を明らかにし、政策決定における問題を研究するのは
学問的に意味がある」と評している(記事より)

と語ったとされています。

どうやら最後に、権威の最高峰である東大名誉教授のお墨付きが欲しかったんですね。
まあ、簡単に言うと、「こんな権威がこの事実を肯定している」という印象付けとしては、
九大(助)教授だけでは少し与えるインパクトが弱い、と記者は考えたのかもしれません。

しかしながら、この名誉教授、文章をよく見ると
「新事実」を裏付けるようなことは一言も言っておりません
それどころか、どう見てもこの意見、取ってつけたようでしかも投げやりです。
少なくともこの新発見を学問的に評価しているようには思えません。

「政策決定における問題」

とんちんかんな感想ですね。
全く本論と関係がないような気がするのですが。

「本質は変わらないと思うが」

これが名誉教授のこの「新事実」に対する評価でしょう。

しかしどんな小さなことでも史実を研究するのは学問的に意味はある

記者がなんとか引き出せたのはごもっともな一般論です。
しかし、はっきり言ってこの内容にとって何の意味もないのも事実です。


というわけで、この日の日経新聞の記事は、
証拠のない、ほとんど推論だけの「一部の関係者」が主張していることを
いかにも「事実」であるかのような紙面作りで報じようと思えば、
このようにすればいい、という見本のようなものであるというのが結論です。


反論があれば受け付けます。






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