イスラーム勉強会ブログ

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預言者伝11

2010年10月12日 | 預言者伝関連

بسم الله الرحمن الرحيم

34.クライシュによるハーシム家のボイコット:

イスラームはどんどん各部族の間に広まって行きました。そんな中、クライシュは集まってハーシム家とムッタリブ家をボイコットすることを決めました。具体的には、ハーシム家とムッタリブ家の人たちと婚姻関係を結ばず、彼らには何も売らず、彼らからも何も買わない、以上のことを紙上にまとめ、誓い合い、カアバ神殿の中に掲示しました。

 

35.アブー・ターリブ族の中で:

クライシュがこのような立場を取ると、ハーシム家とムッタリブ家は、アブー・ターリブの元に集まり、一つの集団となりました。これはムハンマド(平安と祝福あれ)が預言者として召命されて7年目のムハッラム月(イスラーム暦1月)に起きました。

アブー・ラハブ・イブン・アブドゥルムッタリブは、ハーシム家から脱退し、クライシュ側につきました。そしてハーシム家は、時間と共に、やがてボイコットによる苦しみに見舞われるようになりました。苦しみのあまり、アカシアの葉を食べ、子ども達が空腹のために泣く声は遠くから聞こえました。その上クライシュは、彼らと商人たちの間を阻もうと、商品に高値を付けて、商人が彼らから何も買えないように努めたのでした。

このような状態は3年続きました。必要物資は秘密裏に、また、クライシュの中で彼らに援助したい人たちからしか届きませんでした。それでも預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は、苦境にあっても、昼も夜もご自分の民をアッラーへと導きました。ハーシム家は、アッラーからの報奨を願い、苦境に耐え抜いたのです。

 

36.誓約の不履行とボイコットの終了:

そんな中、正義と良心を持つクライシュの一集団が立ち上がりました。そのトップは、ヒシャーム・イブン・アムル・イブン・ラビーア。この不正に満ちたボイコットを心底から嫌う、部族の中における高貴な人々でした。彼らはボイコットを行う人々のところへ行くと、弱者に慈悲をかけること、また、男らしくあることを説きました。その結果、人々の心は良い方向へと変化し、かの誓約を破り、不正に満ちたボイコットを放棄するに至ったのです。同じ意志を持った5人の男達が集まり、誓約を破ることを約束し合うと、善なる心を持った、ズハイル・イブン・アビー・ウマイヤ(母親は預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)の祖父アブドゥルムッタリブの娘アーティカ、つまり預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)のおば)が宣言します。:

「マッカの民よ!私たちは食べ、服を着、ハーシム家の人々は滅び続けている。彼らと売買さえもできないとは?!アッラーにかけて、私は、この不正な誓約が破られるまで、決して座ることはありません!」

そこにアブー・ジャハルが邪魔に入りますが、効果はありませんでした。そしてアル=ムトゥイム・イブン・アディーがカアバの壁に掛けられていた誓約書を破るために立ち上がると、何と白アリが「アッラーの御名において」の部分を除いた誓約書をすべて食い尽してしまっていたのです。じつは預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は、以前にこのことをアブー・ターリブに知らせていました。そして誓約書は無効となったのです。

 

37.アブー・ターリブとハディージャの死:

アブー・ターリブとハディージャは同じ年(預言者としての召命から10年目)に亡くなりました。私たちの知る限り、この二人は最も長きに渡り、預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)と共におり、忠実で、助力者でした。なおアブー・ターリブはイスラームに帰依せずに亡くなりました。二人の死後、預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)にさらなる困難が引き続き起こって行きます。

 

(参考文献:①「預言者伝」、アブー・アルハサン・アリー・アルハサニー・アンナダウィー著、ダール・イブン・カスィール出版、P138~140)

 

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