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86. 夜訪れるもの (アッ・ターリク)【2】

2008年03月09日 | ジュズ・アンマ解説
 再生についてのクルアーンの言及は真実である、という考えが、疑い持っている心をそれに誘うかもしれません。そこでアッラーは再度誓いを繰り返します。雨と、しもべたちの糧を含む雲を持つ天によって誓っています。「(回転して)返る天によって」つまり、雨を持つ、という意味です。雨がラジャア(返る)と名付けられたのは、蒸発した後に大地に戻るためです。(訳者注:この意見は、数ある解説の一つです。)同じくアッラーは、植物が生えてくるために裂ける大地によって誓っています。「裂け割れる大地によって」、植物によって大地が裂けることは、清算のために死者が生き返る様子と重なっています。

 誓いの理由:「本当にこれは,(善悪を)識別する御言葉,それは戯れごとではない。」、つまり、クルアーンは正しい言葉と間違った言葉を識別する言葉である、ということです。それは戯れごとでも、罪なことでもなく、真剣なものです。

 続けてクルアーンは、イスラームの呼びかけを避ける不信仰者たちについて言及します:「本当にかれらは,陰謀を企んでいる。われもまた策謀をめぐらす。」陰謀とは、企むことであり、隠れて腐敗の道を行くこと、そして悪を到達させるために策略を練ることです。もしかするとあなたは、これのような悪い意味を持つ言葉がアッラーに繋げられるのは、相応しいことではないと思うかもしれません。例えば、アッラーが策謀する、アッラーが企むなどです。「かれらは策謀して企んだが,われも策を巡らせた。」(蟻章50節)これはアラビア語修辞学で、「ムシャーカラ(Al-Mushakala)」と呼ばれるものです。アッラーには、決して策謀や企てという性質はありません。ムシャーカラの意味は、普段想像される本来の意味とは違う言葉を配置することです。ムシャーカラが登場すると、この言葉の本来の意味が相応しい持ち主が一緒に述べられているものです。例えば、「悪に対する報いは,それと同様の悪である。」(相談章40節)です。あなたが加害者に報うとき、同様の悪で報復すると考えますか?違いますね。報い方は、教育的懲罰になりますね。この節で、報いが「悪」であると述べられたのは、もともと行われた悪という言葉に沿わせるためです。アッラーは:罪人よ、われはあなたの悪事を罰するとき、あなたに害を与えよう。あなたの企みには、われは同じように企みで罰しよう、と言っているように。ここで「報い」は、彼らの行いである策謀にちなんで名付けられたわけです。

 最後に、アッラーは使徒ムハンマド(アッラーの祝福と平安がありますように)を呼びかけ、言います:「だから不信者たちを猶予し,暫く放任するがいい。」つまり、彼らに復讐しようと急いではいけない、そしてアッラーに彼らが早く滅びるようにと祈願してもいけない。少しの間だけ彼らを約束の日まで放置しておけ。その日こそ彼らに対する復讐の日である、という意味です。

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