بسم الله الرحمن الرحيم
107章解説
1.あなたは、審判(宗教、教え)を嘘であるとする者を見たか。
2.彼は、孤児に手荒くする者であり、
3.また貧者に食物を与えることを勧めない者である。
4.災いなるかな、礼拝する者でありながら、
5.自分の礼拝を忽(いるか)せにする者。
6.(人に)見られるための礼拝をし、
7.慈善を断わる者に。
イスラームの本質と、イスラームは信仰箇条や語られるだけの言葉だけでなく、人生における道しるべ、振る舞いであることを解明するためにこの章は啓示されました。誰でもイスラームの指導を応用せず、それを言うことから実践に移せない者は、「教えを嘘であるとする者」です:
「あなたは、審判(宗教、教え)を嘘であるとする者を見たか。かれは、孤児に手荒くする者であり、また貧者に食物を与えることを勧めない者である。」
また、現世における不幸や反逆や迷いなどの最も大きな原因は、審判の日および清算の日を信じず、否定することです。その日の到来を人々が心から信じたならば、誰も違反行為や不信、神によって定められた義務の無視、マナー違反などは起きなかったでしょう。なぜなら、報いに対する恐れや罰を使った脅迫は来世の存在を信じない者には意味がないからです。そのため、この章の冒頭で「審判を嘘であるとする者」という表現が登場します。
同時に至高なるアッラーは「見たか」という言葉で章を開始し給いましたが、ここには疑問の中に驚嘆と、聞く者に「審判を嘘であるとする者」が持つ性質がどのようなものかを知りたがらせる意味があります。「審判(ディーン)」は、来世における報奨と罰や、イスラームという宗教ということもできます。「見たか」から分かるように、「見ること」は、「知ること」と指します。つまり:来世における報い、もしくはイスラームを嘘だとする者を知っているか?となります。あなたがもしその者を知りたいのなら次のような者のことだ、「孤児に手荒くする者」。つまり孤児の権利に反して横暴に追い返し、また食事を与えず、良くしてあげないことです。
続いて、「審判を嘘であるとする者」の性質を見て行きます:「また貧者に食物を与えることを勧めない者である。」至高なるアッラーは貧者に与えられる食事を「貧者の食べ物(タアームルミスキーン)」と呼び給い、まるでこの食事は、金持ちが彼らに余分に差し出したものではなく、貧者のために、裕福な者に課せられた困窮者に対する扶養義務によってアッラーが貧者に所有させ給うたもののようです。
そして他人に貧者に食物を与えることを勧めない者は、普段から彼らに食べさせていないのです。「また貧者に食物を与えることを勧めない者である。」このアッラーの御言葉は、貧しい困窮者に自身の財産を気前よく与えないことを指しています。また、貧者がお金を要した際、あなたが彼に与えられるものを見出せなかったら、人々に彼が要するものを渡すよう頼む必要があることも指しています。そこには、他人から集めることでも信者たちに貧者たちを救済するようにとの要求があります。
続いてクルアーンは、礼拝の本質を軽視しながら礼拝する者たちを罰と滅亡で警告します:「災いなるかな、礼拝する者でありながら、自分の礼拝を忽せにする者。」
「災い(ワイル)なるかな」:来世における滅亡と罰を受けるに相応しい人に向けられた言葉です。礼拝を「忽(いるか)せる者」は、礼拝から注意をそらし、そして軽視するので定められた時間内に行いません。それか放棄してしまい、結局礼拝しません。または礼拝に含有されているアッラーへの畏敬の念、醜行と悪事から遠ざける効用といった意味を無視します。次にある通りです:「本当に礼拝は,(人を)醜行と悪事から遠ざける。」(蜘蛛章45節)
「(人に)見られるための礼拝をし、」:「見せかけ」とは、人間が人々に本来とは違う姿を見せることです。ここで言われている人々は、アッラーの御満足を求めてではなく、信者に見られて、彼らの一部であると思われるために礼拝します。そのため彼らは礼拝から報奨を望むことはなく、罰を恐れることもないのです。
「慈善を断わる者に。」:「慈善(マーウーン)」とは、ザカーか、人々が生活の中で一緒に利用している必需品を指します。鍬や、バケツや、鍋や、縄や、着火機などです。または:物を貸すことです。アブドゥッラー・イブン・マスウードは次のように言っています:すべての親切はサダカです。アッラーの使徒(平安と祝福あれ)の時代における「慈善(マーウーン)」とはバケツや鍋を貸し出すことだと私たちは理解していました。(アン=ナサーイー出典)
この章は、親愛を同胞間に広め、社会に安全と平安を齎す相互扶助の大切さを大いに訴えていると理解できます。
(参考文献:①ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ アンマ/アフィーフ・アブドゥ=ル=ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーン(P181~183)
②アッ=タフスィール・アル=ワスィート/ワフバ・アッ=ズハイリー薯/ダール アル=フィクル(第3巻P2940~2942)
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