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81章解説【2】

2011年12月06日 | ジュズ・アンマ解説

ビスミッラーヒッラハマーニッラヒーム

15.われは誓おうではないか。隠れるものに、

16.(つまり)身を潜める走るものにかけて、

17.そして闇と共に去来する時の夜にかけて、

18.そして、息を吐いた(光が広まった)時の朝にかけて、

19.まことに、それ(クルアーン)は高貴な使徒(天使ジブリール)の言葉であり、

20.力を持ち、玉座の持ち主(アッラー)の御許に場を占め、

21.そこ(その場)で(他の天使たちに)従われ、信頼された者。

22.そしておまえたちの仲間(ムハンマド)はもの憑き(狂人)ではない。

23.そして確かに彼は、明るい(東の)地平線に彼(ジブリール)を見たのである。

24.そして彼は、隠されたもの(啓示内容)に対して出し惜しみする者ではない。

25.そしてそれ(クルアーン)は石もて追われた悪魔の言葉ではない。

26.それなのに、おまえたちはどこに行くのか。

27.それ(クルアーン)は諸世界への訓戒に他ならず、

28.(つまり)おまえたちのうち真っすぐ立ちたいと望んだ者への(訓戒にほかならない)。

29.だが、諸世界の主アッラーが御望みにならない限り、おまえたちは望むことはないのである。

 

 続いてアッラーは、クルアーンが天使ジブリールを介してかれの使徒であるムハンマド(平安と祝福あれ)に下された啓示であることを数々の事柄にかけて誓い給います:

 

 「われは誓おうではないか。隠れるものに、(つまり)身を潜める走るものにかけて、そして闇と共に去来する時の夜にかけて、そして、息を吐いた(光が広まった)時の朝にかけて、まことに、それ(クルアーン)は高貴な使徒(天使ジブリール)の言葉であり、」

 

 アッラーは、視覚に入らず、また継続して発生し、そして隠れる事柄にかけて誓い給いました。

 

 また「闇と共に去来する時の夜にかけて」にあるように、闇にかけて誓い給い、「息を吐いた(光が広まった)時の朝にかけて」と太陽が昇り、発光する朝にかけて誓い給いました。以上の表現は、クルアーン特有の言語の正則性が由来しています。「息を吐く」は修辞学において「イスティアーラ」の名で知られており、朝の広まりの開始を意味しています。動き一つ感じられない静かな状態にあった自然に朝が訪れると、大地は目覚め、生命が広まる様子が表現されます。またその終わりは死と静けさの印でもあります。

 

 以上の誓いはすべて―アッラーが一番に御存知ですが―新設や改ざんや相違から来る争いを原因に消えてしまった過去のアッラーからのメッセージの真相の象徴なのかもしれません。そのため闇が人々の間に広まってしまい、導きの光は消えてしまったのです。この闇から朝を引っ張りだすことを望み給うたアッラーは、御自身の使徒であるムハンマドを導きと真実の教えと共に遣い給いました。つまりムハンマド(平安と祝福あれ)の使命は、人類のための朝の呼吸だったのです。

 

 クルアーンといったムハンマドに知らされたものは、ジブリールが主の啓示として携えてきたものであることを元に、以上の全ての事柄で誓い給いました。ジブリールはそれを順々にウンマの人々に述べ伝えていた預言者(平安と祝福あれ)に伝えました:

 

 「まことに、それ(クルアーン)は高貴な使徒(天使ジブリール)の言葉であり、力を持ち、玉座の持ち主(アッラー)の御許に場を占め、」クルアーンはジブリールのことを強い力の持ち主であり、玉座の主アッラーの御許では高位にある者と表現しています。王者の座る場所が高いところにあることから、アルシュ=玉座と名付けられました。そして威厳、権威、支配といった意味が込められます。アッラーの玉座の本当の姿について人間はその名前以外のことを知ることはありません。

 

 またアッラーはジブリールを「そこ(その場)で(他の天使たちに)従われ、信頼された者。」と描写しました。つまり天において天使たちに従われ、アッラーの御許では啓示を任されているということです。

 

 続いてアッラーは預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)の描写に移り給います:「そしておまえたちの仲間(ムハンマド)はもの憑き(狂人)ではない。」「おまえたちの仲間」という表現によって、彼は狂人だと主張するマッカの民に対して証拠を見せつけます。彼(ムハンマド)は啓示を受ける前、かつて交友し、付き合いのあった彼らの仲間であり、彼ら以外の人間が知らないような彼の真面目さ、誠実さ、頭の良さを彼らは最もよく知っていたはずです。それなのにどうして彼らは啓示を授かった後のムハンマド(平安と祝福あれ)を狂人と呼ぶのでしょうか。またムハンマド(平安と祝福あれ)は600の翼を持つ天使ジブリールをその本来の姿で確かに東の地平線上で見たのです。「そして確かに彼は、明るい(東の)地平線に彼(ジブリール)を見たのである。」

 

 またムハンマド(平安と祝福あれ)はアッラーにより教えられたクルアーンの教授を出し惜しむこともありませんでした。「そして彼は、隠されたもの(啓示内容)に対して出し惜しみする者ではない。」

 

 クルアーンは、不信仰者たちが言うようなものではありません。「そしてそれ(クルアーン)は石もて追われた悪魔の言葉ではない。」不信仰者たちは、クルアーンは悪魔たちの言葉であると主張していました。彼らは占い師たちが不可視界を知っており、ジンから成る悪魔たちが最上天から知らせを盗み聞きして知らせを持ってこられると思い込んでいましたが、至高なるアッラーは、悪魔たちには正しきこと、善きこと、不可視の知らせなどのクルアーンの言葉のようなものは啓示されないと彼らに仰せになっています。物事が以上のようであるならば「それなのに、おまえたちはどこに行くのか。」つまりおまえたちはクルアーンを嘘とするどのような道を辿ろうと言うのか、という意味です。

 

 最後に、クルアーンは人々の中でも真っすぐに生きたいと望む者のための訓戒であることを解明し給います:

 :「それ(クルアーン)は諸世界への訓戒に他ならず、(つまり)おまえたちのうち真っすぐ立ちたいと望んだ者への(訓戒にほかならない)。」

 

 アッラーは人間に歩む道を選ぶ自由を授け給いました。導きの道を歩むのか、それとも迷いの道を歩むのか、です。ただ、人間の意志はアッラーの御意志に制限されるため、人間の意志は完全に自由とはいえません。それは章の終りでアッラーが次のように仰せになっているとおりです:「だが、諸世界の主アッラーが御望みにならない限り、おまえたちは望むことはないのである。」

 

 アッラーの御意志は正道に人々を導き、迷いの道を忠告する使徒たちの派遣の中に顕れます。そして人間の意志は二つの道のどちらかを選択するときに明解になります。

 

 そしてアッラーは、かれの道に付いて行く者が導かれることに同意し給います。「それによってアッラーは彼の御満悦を追い求めた者を平安の道に導き、彼の御許可によって彼らを諸々の暗闇から光に連れ出し、まっすぐな道に導き給う。」(516節)、「そしてアッラーを信じる者があれば、彼(アッラー)は彼(その者)の心を導き給う。」(6411節)

 

(参考文献:ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ アンマ/アフィーフ・アブドゥ=ル=ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーンP4851

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