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預言者伝27

2011年11月29日 | 預言者伝関連

91.ムスリムたちは捕虜とどのように接したか?:

  アッラーの使徒(平安と祝福あれ)は捕虜たちを大事にするよう忠告されました。捕虜だったアブー・アズィーズという男が次のように言っています:私はあるアンサールの集団の中にいたのですが、彼らが私をバドルから連れて帰る際、昼食と夕食を彼らが準備をすると、私にだけパンを食べさせ、彼らはナツメヤシを食べたのです。それはアッラーの使徒(平安と祝福あれ)の忠告によるものでした。彼らの誰かにパンが手渡されると必ず私のところにまわって来ました。それで私は恥ずかしいので返すのですが、また返され、相手はパンを取ろうとしないのです。

  捕虜には、アッラーの使徒(平安と祝福あれ)のおじであるアル=アッバース・イブン・アブドゥルムッタリブ、いとこであるアキール・イブン・アビーターリブ、娘婿のアブー・アル=アース・イブン・アッ=ラビーウがいましたが、彼(平安と祝福あれ)は、親戚かどうかなどは考慮せずに対応しました。

 

92.ムスリムの子どもに読み書きを教えることが捕虜の償いとなる:

  アッラーの使徒(平安と祝福あれ)は捕虜たちを許し、彼らから保釈金を受け取り、彼らの資産状況に合わせた保釈金を求めました。何も持ち得ない者からは何も受け取らずに解放することもありました。そしてクライシュが送って来た保釈金によって捕虜たちは解放されました。

  捕虜の中には、保釈金として出せるものがないため、アッラーの使徒(平安と祝福あれ)によって、代わりにアンサールの子どもたちに読み書きを教える者もいました。ザイド・イブン・サービトはこの方法で学んだ一人で、当時どれほどに知識が重要視され、読み書きが奨励されていたかが分かります。

 

93.遠征:

  アブー・スフヤーンは、ムスリムたちに戦いを挑むまで頭を濡らさないと誓いを立てていたので、200名の騎士を連れて出陣しました。そしてサラーム・イブン・ムシュカムというユダヤ人のナディール族の長の助力を得ることができました。サラームはアブー・スフヤーンを歓待し、マディーナの人々の情報を与え、何人かの男たちを送り、2名のアンサールを殺害しました。

  アッラーの使徒(平安と祝福あれ)は敵たちの呼び掛けに応じ、出て行きましたが、アブー・スフヤーンと仲間たちは、ムスリムたちによって見つかる前に帰還してしまいました。この戦はスワイクの戦と呼ばれます。

 

  またユダヤ人であるカイナカーウ族は、アッラーの使徒(平安と祝福あれ)との間に締結していた約束を破り、バドルとウフドの際に攻撃してきました。そのためアッラーの使徒(平安と祝福あれ)は15日の間、彼らが裁定に従うまで、彼らを包囲しました。彼らの同盟者であり偽信者の長であるアブドゥッラー・イブン・ウバイが彼らのために執り成したことで、アッラーの使徒(平安と祝福あれ)はアブドゥッラーのために彼らを解放しました。彼らは700名の戦士であり、銀細工師や商人でした。

  アッラーの使徒(平安と祝福あれ)は、マディーナから彼らの好む土地へ移動することを条件にかのユダヤ人たちに恩赦を垂れました。そのため出来る限りの財産を持って彼らはシャーム方面へと去って行きました。またカイヌカーウ族は自分たちの裏切り行為や悪事の報いが死であると覚悟していましたが、安全にマディーナを去って行くことができたのでした。

 

  またユダヤ人たちのトップの一人であり、アッラーの使徒(平安と祝福あれ)を激しく攻撃していたカアブ・イブン・アル=アシュラフは、教友たちの女性に恋歌を作ったり、バドルの事件が起きると、マッカに移動してアッラーの使徒(平安と祝福あれ)と信者たちの悪い噂をその地に言いふらしたりしました。そのような態度でマディーナに戻ってきたカアブについて、アッラーの使徒(平安と祝福あれ)は次のように言われました:《誰がカアブ・イブン・アル=アシュラフを成敗してくれるか?本当に彼はアッラーとその使徒に危害を加えたのだ。》その任務には2名のアンサールの男がつき、カアブを殺害しました。

 

(参考文献:「預言者伝」、アブー・アルハサン・アリー・アルハサニー・アンナダウィー著、ダール・イブン・カスィール出版、P226228

 

 

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