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続)ムスリムの子ども教育-18-イスラームにおける思春期の子ども達とのかかわり方(9)視聴者からの質問2

2020年02月17日 | 預言者の教育方法

慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において

 

続)ムスリムの子ども教育-18-

 

ハビーブ・アリー・ジェフリー師(アッラーのご加護あれ)TV番組「私たちの人生17」(最初~24:45)

https://www.youtube.com/watch?v=b13M2hUECcU   

前回の復習:子どもを持つことの「目的」を明確にすること、このことによって、今後お話する多くの子育てに関する事柄が変わって来ます。すでにお子さんが大きくなっている方も、今からでも、子育ての正しいニーヤ(意思)、「アッラーのご満足を求めて、子どもを育てます。」というニーヤ(意思)をしておきましょう。

 

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イスラームにおける思春期※の子ども達とのかかわり方(9)視聴者からの質問2

 

※思春期:

医学的には「第二次性徴の発現の始まりから成長の終わりまで」と定義。(ウィキペディア)

イスラーム的には「10歳からブルーグ※までの時期」

※ブルーグとは?:ムカッラフ(イスラーム法学上の義務行為を行う義務が課せられる者)になること。男の子は精通、女の子は初潮が来ると「ムカッラフ」となる。ブルーグに達した子どもたちは、すでに思春期を卒業し、「ムカッラフ」として、アッラーの元でイスラーム的な義務を負う「成人」の状態になる。

 

番組に寄せられた親からの質問:「成長し成人となった娘との家での会話がまったくありません。娘はプライベートなことに口出ししないで、と言い、母親が娘の生活を知ろうとしても、拒絶されます。私たちの育て方が間違っていたのだと思いますが、娘のこの状態で放っておいていいのでしょうか。」

 

回答:こういった問題は多く寄せられています。現代では、成人に達した娘や息子が、自分のことは何でも100%自分で決める自由がある、と主張し、プライベートなことを親に話さなくなり、自分の生活は自分だけに関するプライバシーで、親には関係ない、と考える傾向があるためです。この問題は、ひとつの問題だけではなく、いくつかの問題が複雑に絡まっています。

 

まず一つ目の問題は、子どもがイスラームにおける、母親、両親の重要性を明確に理解していないこと、

二つ目は、これまでに母親が十分に子どもに対して、感情的にも理性的にも良い関係を築いて来なかったこと、

三つ目は、この子だけの問題ではなく、今の時代の共通の問題であること、つまり、ネットやテレビを通して、18歳になった子どもは独立すべき、というような西洋的な考え方が浸透していること、です。この西洋的な親子関係では、子どもは18歳になるまでは、親の責任下に置かれ、好きなことはできないが、18歳になった途端、そこから解放され、自由を謳歌できる、という親子関係です。しかし、イスラーム的な親子関係はそれとは異なります。母親と娘の関係、父親と息子の関係、すべてが西洋的な価値観とはまったく違います。

 

これらの点を踏まえて、この相談者の方に、まずお願いしたいことは、娘さんとの愛情に基づいた親子関係を修復する努力をしてください、ということです。現代は、母親が若いときとは時代が違っていて、子どもは、お母さんの時代とは違うんだから、お母さんにはわからない、と言うかもしれませんが、時代と共に変わることもあれば、時代が変わっても変わらないこともあります。母親の娘への愛情は、変わりません。どんな時代でも子どもを愛する母親の気持ちは同じです。人徳も、良い振舞いも、時代によって変わるものではありません。ムスリムとして、母親や両親への振舞いや親孝行の大切さが、時代によって変わるべきということもありません。

 

 

質問:子ども達は、現代の誘惑の多い環境の中で、どうやって自分を守って行けばいいでしょうか。娘が学校に行けば、異性の男の子達が話しかけて来る、息子が大学に行けば、女の子たちがきれいにお化粧をしてファッショナブルな服を着て歩き回っています。そんな中で、ムスリムの子ども達へのアドバイスをお願いします。

 

回答:学校に行き知識を求める、というすばらしい崇拝行為をしているムスリムの女の子達に送る言葉は、どうか自分のしていることの目的を自分の中で明確にしてください、ということです。何のために学校や大学に行くのか、知識を求めるために学校に行く、という目的を明確にし、その目的を果たすために必要なことを優先して行うことが大切です。目的意識をしっかり持つこと、ニーヤ(意思)をすることによって、大学のカフェテリアで毎日何時間も自分にかかわりのない映画や芸能人のことについておしゃべりをして時間を無駄にしたり、校内の中庭でただ人間ウオッチングをして過ごすようなことはなくなるでしょう。

 

また、学校で誘惑の多い環境を作っている原因は、女の子達だけに責任があるわけではありません。男の子達に対してのアドバイスは、クルアーンにある通りです。

 

【男の信者たちに言ってやるがいい。「(自分の係累以外の婦人に対しては)かれらの視線を低くし、貞潔を守れ。」それはかれらのために一段と清廉である。アッラーはかれらの行うことを熟知なされる。】クルアーン24-30

 

どんなに周りにきれいな女の子がいても、自分の視線を低くし落とすことで、誘惑は確実に少なくなります。男の子達も、女の子達同様、自分が学校に行く目的を明確にし、知識を求めるというすばらしい行為をニーヤ(意思)することで、女の子達の容姿や髪形を比べたり、服のチェックをすることはなくなります。若い男の子達がよく、「視線を低くすることは、もちろん、知っていますよ!でも自分には無理です!」と言うのを聞きますが、すでに、クルアーンでアッラーが、私たちに命令しています。「無理」なことを、アッラーは私たちに求めません。アッラーが命じていることは、私たちが必ず「できること」だけです。

 

【アッラーは誰にも、その能力以上のものを負わせられない。】クルアーン雌牛章2-286

 

男の子達にそれを命じられている、ということは、つまり、彼らにはそれができる、ということです。

 

実際に多くの大学生の若者達が、異性の誘惑を避け、学問を真摯に修めて卒業しています。彼らは、知識を求めるという崇高な目的を持ち、アッラーに近づく崇拝行為をしている時に、左右の異性に目を奪われることはありません。イスラーム学でなくとも、ウンマにとって役に立つ知識を求めることは崇拝行為になり得ます。それによって、社会を改善し、ウンマにとって善いことを望んで学ぶことで、アッラーからのご褒美が沢山あります。自分の目的を明確にして、視線を伏せることで、自分を取り巻く誘惑は、大きく減らすことができます。

 

女の子と男の子両方へのアドバイスは、知識を求めるという目的意識を持った善い友達を選ぶことの大切さです。自分の周りに、異性の彼氏や彼女のことばかり話したり、遊びの話題ばかりの友達を集めるのではなく、本来の大学の目的である学ぶことを楽しんでいる友達を見つけて、そういう人達と付き合うことで、異性の誘惑は、大きく減少させることができます。

 

ただ周りの環境を嘆いて、誘惑を前にして弱くなってしまうことは、シャイターンに負けているということです。私たちはムスリムです。環境がどうあっても、誘惑に対して強く自分を守ることができるように、努力することが大切です。

 

 

質問:子ども達へのアドバイスはわかりました。では、今、思春期の子どもを育てている親御さん達へのアドバイスはありますか。

 

回答:親の世代の方たちにお願いしたいことは、現代は、自分が育った環境や時代と全く違う環境に子ども達が置かれている、子ども達は自分達と全く違う価値観を持っている、と決めつけて、子ども達のことを理解するのをあきらめてしまわないことです。親子の間の信頼関係は、時代が変わっても、変わることはありません。どんなに子ども達が、自分とは違う考え方をしていると感じても、あきらめずに、子どもの話を聞くこと、理解しようとする努力が大切です。

 

現代の親の側の問題は、自分たちの価値観とは違う西洋的な価値観が押し寄せていることや、子ども達を取り巻く環境が誘惑に満ちていることに恐怖を抱き過ぎるあまり、子ども達をまったく信頼せずに、子どもの話も聞かずに、ただ力で押さえつけたり、抑圧したり、一方的に言うことを聞かせようとして、高圧的な態度に出てしまうことです。信頼関係は一方的に命令するだけでは築かれません。

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、若者たちの間違った考え方を正す際、実際どうされていたでしょうか。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の時代に、アブドッラー・ビン・アムル様(アッラーのご満悦あれ)という若者がいました。彼は、イスラームで定められたこと以上に、崇拝行為を行い、自分を痛めつけていました。そのことが預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の耳に届いた時、彼の間違いを正すために、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)がなさったことは、まず、彼のところにご自分で出向き、彼を訪問し、彼と話をすることでした。

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、子どもを呼び出すのではなく、ご自分で彼のところに出向かれ、彼の自尊心を満たし、彼に、自分は重要な存在なのだ、と感じさせました。親御さん達、子どもと意見の食い違いがあったり、喧嘩をした時、自分から子ども達の部屋を訪れたり、自ら子ども達のところに行き、あなたと話をしたい、と言って、彼らを訪ねているでしょうか。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、そうなさっていました。

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が訪問すると、アブドッラー様(アッラーのご満悦あれ)は、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)に、部屋にひとつしかなかったクッションを勧めますが、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はその上に座ることをお断りになりました。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、自分だけがクッションの上に座り、アブドゥッラー様(アッラーのご満悦あれ)が、自分よりも低い位置になることで、彼に対して高圧的になることをよしとなさらなかったのです。

 

その状態で、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、彼(アッラーのご満悦あれ)と会話を始めますが、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、いきなり、彼(アッラーのご満悦あれ)の間違いを指摘することはなさいませんでした。本当に少しづつ、彼(アッラーのご満悦あれ)にとって妥協案となる案を提案していくところから始められました。毎日断食し続ける彼(アッラーのご満悦あれ)に対し、最初は、一ヶ月に3日断食しては、と薦めます。彼(アッラーのご満悦あれ)が、それを拒むと、次に、一ヶ月に5日、次に一週間、と少しづつ妥協点を探すように提案していきます。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、決して、一方的にこうしなさい、と命令し、選択肢を示さない、という形にはなさいませんでした。その時のことが以下のハディース(ムスリム伝承)にあります。

 

アブー・キラーバはアブー・マリーフが(次のように)告げたと伝えている。:

《私はあなたの父君と御一緒にアブドッラー・ビン・アムルの所に行った。彼はわれわれに(次のような)話をした。

アッラーのみ使いは私の断食についてお耳にされた。するとその御方は私の所に御出でになった。私はその御方になつめ椰子の繊維の入った皮のクッションをおすすめしたが、その御方は大地にお座りになった。クッションは私とその御方の間に置かれたままであった。

み使いは私に「一ヵ月に三日間の断食では満足ではないのか」と申された。

私は「アッラーのみ使いよ、(それでは満足ではありません)」と言った。

み使いは「五日では」と申された。

私は「いいえ、アッラーのみ使いよ、(それでも満足ではありません)」と言った。

み使いは「一週間」と申された。

私は「いいえ、アッラーのみ使いよ」と言った。

み使いは「九日では」と申された。

私は「いいえ、アッラーのみ使いよ」と言った。

み使いは「11日では」と申された。

それでも私は「いいえ、アッラーのみ使いよ」と申し上げると預言者は「ダビデが行われた一日置きの断食、つまり半生の断食より優れたそれはない」と申された。》ムスリム伝承

 

《彼(アブドッラー・ビン・アムル)は(老いてから)「ああ、み使いの特許を受け入れておけばよかった」とよく口にしていた。》ムスリム伝承

 

親が一方的に命令するのではなく、子ども達の気持ちを汲んで、妥協できる案を提案して行くという、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の振舞いは、時代を超えて、すべての親と子の対話の見本となるものです。

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続)ムスリムの子ども教育-17-思春期の子ども達とのかかわり方(8) 視聴者からの質問

2020年02月07日 | 預言者の教育方法

慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において

 

続)ムスリムの子ども教育-17-

 

ハビーブ・アリー・ジェフリー師(アッラーのご加護あれ)TV番組「私たちの人生16」(40:38~最後)

https://www.youtube.com/watch?v=8IKeIlrPnnk   

前回の復習:子どもを持つことの「目的」を明確にすること、このことによって、今後お話する多くの子育てに関する事柄が変わって来ます。すでにお子さんが大きくなっている方も、今からでも、子育ての正しいニーヤ(意思)、「アッラーのご満足を求めて、子どもを育てます。」というニーヤ(意思)をしておきましょう。

 

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イスラームにおける思春期※の子ども達とのかかわり方(8) 視聴者からの質問

 

※思春期:

医学的には「第二次性徴の発現の始まりから成長の終わりまで」と定義。(ウィキペディア)

イスラーム的には「10歳からブルーグ※までの時期」

※ブルーグとは?:ムカッラフ(イスラーム法学上の義務行為を行う義務が課せられる者)になること。男の子は精通、女の子は初潮が来ると「ムカッラフ」となる。ブルーグに達した子どもたちは、すでに思春期を卒業し、「ムカッラフ」として、アッラーの元でイスラーム的な義務を負う「成人」の状態になる。

 

 

子ども達から親への不満:

「私が電話していると、誰からだ?どうして話をするのか?と親が詮索して来る。そして、友達のことを、あの子は良くない、付き合わないように、この子は自分勝手であなたを利用している、とジャッジします。うんざりです。」

「僕が10時間以上勉強した後、やっと休憩していると、親が、どうして勉強しないのか?と怒る。少し休憩しているのだというと、休憩するのは十年早い、勉強しろ、と。」

 

回答:親子の関係で、私が自分の母親を思い出すのは、母が私に、「私はあなたの話を聞きます。だから、あなたも私の話を聞いてくださいね。」といつも言っていたことです。親が子どもの意見をしっかり聞くことで、子どもは、自分には価値がある、親は自分の意見を尊重してくれている、と感じることができ、子どもの自尊心が育ちます。その上に成り立った親子関係では、子どもが一方的に自分の意見を通すこともなく、親が一方的に子どもに命令することもありません。お互いがお互いの意見を聞き合い、尊重し合う友達のような関係、それがとても大切です。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)も、ご自分の子どもの意見を受け入れて尊重していました。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)と娘さんのザイナブ様(アッラーのご満悦あれ)の逸話があります。

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)がマディーナへとヒジュラされた時、娘のザイナブ様(アッラーのご満悦あれ)は、夫のアブー・ル=アースと一緒にマッカに残っていました。彼女の夫、アブー・ル=アースは、ムスリムになっていなかったため、バドルの戦いでマッカの多神教徒達の側にいて、ムスリム達に敵対して戦い、ムスリム軍に捕えられ、捕虜となりました。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、捕虜解放の手段を、親族が身代金を払うか、捕虜本人がムスリム子弟10人に読み書きを教えること、とされました。

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の元に、捕虜になった人達の身代金が届いた時、その中に、首飾りがありました。それは、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の奥様のハディージャ様(アッラーのご満悦あれ)が、娘のザイナブ様(アッラーのご満悦あれ)とアブー・ル=アースとの結婚に際して、彼女に贈ったものでした。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はその首飾りをご覧になると、彼女に同情し、ある伝承によると、涙を流され、こうおっしゃいました。

《この首飾りは、ハディージャものです。もしあなた方が、彼女の夫を解放し、彼女の首飾りを返却するのがよいと思われたなら、そうしなさい。》

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、命令はなさいませんでした。あくまで、決定は、ムスリム達に任されました。ムスリム達は、もちろんです!と答え、ザイナブ様(アッラーのご満悦あれ)に、首飾りを返しました。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、アブー・ル=アースに、解放の条件として、ザイナブ様(アッラーのご満悦あれ)をマディーナに移住させることを約束させました。すでに、ムスリマ女性は、ムスリムでない夫と一緒に住むことが禁止されたためです。アブー・ル=アースはその約束通り、ザイナブ様(アッラーのご満悦あれ)をマディーナへ送りましたが、その旅の途中、マッカの多神教徒達が彼女の乗ったラクダを突き、ザイナブ様(アッラーのご満悦あれ)はラクダから落ち、妊娠していた子どもを流産してしまいました。その時の傷の痛みは、ヒジュラ暦8年に彼女が亡くなるまで続きました。

 

それから6年後、アブー・ル=アースは商人として、マッカの多神教徒達からお金を預かってシャーム地方で商売をするために旅に出ました。旅の途中で、マッカの多神教徒達に財産を没収されたムスリム達が、その代替として多神教徒達のお金を持っている彼を捕まえ、持っていたお金を没収しました。アブー・ル=アースは、捕虜になりそうになったところを逃げ、マディーナのザイナブ様(アッラーのご満悦あれ)の家に助けを求めて訪れました。ザイナブ様(アッラーのご満悦あれ)は、彼を家の中に入れると、マスジドでファジュルの礼拝をしていた預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)とムスリム達のところに行き、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が礼拝最後のタスリーム(座った状態で左右にサラームをする動作)をする前に、大声で人々に向かって叫びました。

「人々よ、私は、アブー・ル=アースを保護しました。」

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はタスリームを終えると、おっしゃいました。

《人々よ、私が聞いたことを聞きましたか?》

人々が、「はい」と答えると、

《ムハンマドの命がその御手にある御方にかけて、あなた方を聞いたことを聞くまで、私は何もこれについて知らなかった。実に彼は、ムスリム達に保護されました。》

 

それから預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、娘のザイナブ様(アッラーのご満悦あれ)のところに行くと、こうおっしゃいました。

《娘よ、その客を丁重にもてなしなさい。そして、彼があなたに近づかないようにしなさい。あなたは、彼にとって許されていないのですから。》

 

その後、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、アブー・ル=アースのお金を没収したムスリム達のところに行くと、こうおっしゃいました。

《この男は、知っているように私たちの同族者です。あなた達は、彼からお金を受け取りました。もし、あなた達が良い振舞いをされるのでしたら、彼のお金を返すことで、私たちはそれを好みます。もし、それを拒否するのでしたら、それはアッラーがあなた達にお与えになった戦利品であり、あなた方に最も権利があります。》

人々は、「アッラーの御使い様よ、私たちはそれを彼に返します。」と言いました。

そして、ムスリム達は、彼から没収したお金や品物を少しも欠けることなく全額返しました。アブー・ル=アースは、それを持ってマッカに戻り、多神教徒達に、彼らから預かったお金をすべて返却すると言いました。

「クライシュ族の方々よ、私のところに、まだ受け取っていない自分のお金が残っている方はいますか?」

人々は言いました。「いいえ、ジャザーカッラーフ ハイラー。私たちは、あなたが完全に約束を守られる方だとわかりました。」

すると彼は言いました。「アシュハドアッラーイラーハイッラッラー、ワ アシュハド アンナ ムハンマダン アブドゥフ ワ ラスールフ(私はアッラーだけが神であることを証言します。私はムハンマドがアッラーしもべであり、使徒であることを証言します)。私からイスラームを妨げるものは何もありませんでした。ただ、あなた方のお金を欲したと思われる恐れ以外は。ですから、アッラーがそれをあなた方に戻してくださり、その恐れがなくなった今、私は、ムスリムになりました。」

 

彼はマディーナへと戻ると、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のところへ行き、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、ザイナブ様(アッラーのご満悦あれ)との結婚を許しました。

 

ザイナブ様(アッラーのご満悦あれ)は、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の許可なく、夫を保護する、という決定を自分一人で決め、それを大勢の人前に出て発表する、という行動を起こしました。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、娘の決定と行動を尊重し、そのことが、イスラーム的に問題がないことを人々に告げ、娘の行動を支持しました。その結果が、アブー・ル=アース様(アッラーのご満悦あれ)の入信につながりました。

 

親が子どもの行動を認め、受け止め、応援することで、親子の関係はもっと良くなるでしょう、インシャーアッラー。

 

親からの質問:

「息子が悪い友達と付き合っていて心配だ。友達が息子の性格や言動に大きな影響を与えている。どうしたらいいか。」

 

回答:預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)がマッカを開城した年、それに反発したマッカの多神教徒の諸部族が結集し、フナインの戦いが起こりました。その戦いの後、アザーンが制定され、マッカの人々は初めてアザーンを聞くことになります。当時16歳で、マッカ郊外に住んでいたアブー・マフズーラ様(アッラーのご満悦あれ)も、その一人でした。初めてアザーンを耳にした彼(アッラーのご満悦あれ)は、友達たちとそれを馬鹿にし、一緒に真似していたことを、ご自身が伝えているハディースがあります。

 

「私は、10人の若者達と預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のところに出かけました。我々にとって彼はもっとも憎悪する人でした。そこで、アザーンをしていたので、私たちも彼らをからかって、アザーンを真似して唱えていました。すると、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)がおっしゃいました。

《私のところにあの青年たちを連れて来なさい。》それから、こうおっしゃいました。《アザーンをしてみなさい。》そこで我々はアザーンをし、自分もそのうちの一人でした。すると、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、(私がアザーンを唱えると)

《そう、これが、私がその声を聞いた者だ。行って、マッカの人達のためにアザーンをしなさい。》

とおっしゃいました。そして、私の前髪に触れ、言われました。

《アッラーフアクバル、アッラーフアクバル、アッラーフアクバル、アッラーフアクバル、アシュハドアッラーイラーハイッラッラーと2回、アシュハドアンナムハンマダンラスールッラーと2回、そして、アシュハドアッラーイラーハイッラッラーに戻って2回言い、アシュハドアンナムハンマダンラスールッラーと2回、ハイヤーアラッサラート、ハイヤーアラッサラート、ハイヤーアラルファラーフ、ハイヤーアラルファラーフと2回、アッラーフアクバル、アッラーフアクバル、ラーイラーハイッラッラー。また、スブフ礼拝の時にアザーンを言う時には、アッサラートハイルンミナンナウム、アッサラートハイルンミナンナウムと2回。そして、イカーマをする時には、カドカーマティッサラート、カドカーマティッサラートと2回言いなさい。あなたは、聞きましたか。》

伝承者は言いました。アブー・マハズーラは、その前髪を刈ることも分けることも決してしませんでした。アッラーの御使い様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)がそれに触れたためです。」イマームアハマド伝承

 

 アブー・マフズーラ様(アッラーのご満悦あれ)は、こう言っています。「預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が私の前髪に触れた時、(別の伝承では、前髪と胸に触れた時)、アッラーに誓って、私の胸は、イーマーン(信仰)とヤキーン(確信)で一杯になりました。そして、わかりました、この方はアッラーの御使い様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)だ、と。」

アブー・マフズーラ様(アッラーのご満悦あれ)はその後、マッカでムアッズィンとなり、亡くなるまでその役目を果たしました。

 

アザーンを馬鹿にして真似する友達たちと一緒にいて、自分も馬鹿にしていたような状態の時に、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)から、突然、ムアッズィンの役割を言い渡された彼の驚きを考えてみてください。悪い友達の影響は、良い人と出会うことで変化します。そして、親がその役割をすることは十分に可能です。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のように、どんな時でも子どもを善い見方で見ることで、子どもは良い方向に変わることができます。

 

ムスリムの子ども達に、アッラーのご加護がありますように。

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続)ムスリムの子ども教育-16-イスラームにおける思春期の子ども達とのかかわり方(7) 異性への興味

2020年01月28日 | 預言者の教育方法

慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において

 

ハビーブ・アリー・ジェフリー師(アッラーのご加護あれ)TV番組「私たちの人生16」(30:00~40:38)

https://www.youtube.com/watch?v=8IKeIlrPnnk   

前回の復習:子どもを持つことの「目的」を明確にすること、このことによって、今後お話する多くの子育てに関する事柄が変わって来ます。すでにお子さんが大きくなっている方も、今からでも、子育ての正しいニーヤ(意思)、「アッラーのご満足を求めて、子どもを育てます。」というニーヤ(意思)をしておきましょう。

 

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イスラームにおける思春期※の子ども達とのかかわり方(7) 異性への興味

 

※思春期:

医学的には「第二次性徴の発現の始まりから成長の終わりまで」と定義。(ウィキペディア)

イスラーム的には「10歳からブルーグ※までの時期」

※ブルーグとは?:ムカッラフ(イスラーム法学上の義務行為を行う義務が課せられる者)になること。男の子は精通、女の子は初潮が来ると「ムカッラフ」となる。ブルーグに達した子どもたちは、すでに思春期を卒業し、「ムカッラフ」として、アッラーの元でイスラーム的な義務を負う「成人」の状態になる。

 

質問:子どもの異性への興味や性欲について、親はどのように対処したらいいですか?

 

回答:まず、親が子ども達に伝えなければならないことは、「両親に従うことと両親の満足は、現世と来世の幸せの源である。」ということです。この事は、すべてのムスリムの子どもが共通認識とすべき事柄です。特に、日本では、家庭以外にイスラーム教育を行う場所がほとんどなく、家庭で教えなければ、こういった基本的なことも知らずに育ってしまう、という危険性が大いにあるため、十分注意すべきです。

日本では、こういったことは、親が教えなければ、誰も子どもに教えてくれません。両親に対する振舞いは、実のところ、アッラーに対する振舞いであって、両親に対して行っているのではないことを理解しておくこともとても大切です。なぜなら、アッラーがお命じになられた両親への孝行によって、子どもは、アッラーへの崇拝行為を行っているからです。

 

【われは人間に、両親に対して親切にするよう命じた。】クルアーン29蜘蛛章8

 

そのためムスリムは、親を騙したり、親に対して反抗したり不誠実な態度を取る、ということはできません。もしうまく両親に隠れて何かをすることができたとしても、アッラーは、決して騙すことができないからです。

 

次に、親の側が、子ども達にしていくべき点がいくつかあります。

 

1)子どもが親孝行をできるよう助けること:

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました。

《子どもが自分に親孝行できるよう、子どもを助ける親に、アッラーが慈悲をお与えくださいますように。》イブンハッバーン伝承

 

自分に親孝行するように勧めること、親孝行の子どもに育てることが、アッラーのご満足を得ることになります。イスラームにおける親子の関係は、この重要な基本を忘れないことが大切です。

 

2)子どもの心に、いつもアッラーが見ているという感覚を育てること:

ある著名な先生のところで学んでいた生徒達が、先生が1人の生徒だけを特別に見ていると、先生に対して、不平を言いました。

「どうして彼だけ特別視するんですか?」

「彼には、特別の才能があるからです。」

「そんなことはありません。私たちも皆、同じです。」

ある日、先生は、生徒たちに宿題を出しました。鳥を一羽、自分だけの手で、誰も見ていないところで屠り(ほふり)、きれいに洗って掃除してから、翌日、学校に持ってくるように、という宿題でした。

翌日、生徒たちは、手に手にきれいに下処理をし終わった鳥を持って、得意げに学校にやって来ました。

ところが、先生に特別視されていた子だけは、手ぶらです。生徒たちは、彼を馬鹿にし笑って言いました。

「先生、これが、あなたが特別な才能があると言った子ですか?先生の言いつけも守れないじゃないか。」

先生は、その子に尋ねました。

「どうして宿題をやってこなかったのだ?」

その子は申し訳なさそうに答えました。

「先生、僕には先生の出した宿題ができなかったんです。だって、先生は、誰も見ていないところで鳥を屠る(ほふる)ようにと言いました。でも、鳥を屠ろう(ほふろう)と部屋に入っても、どんなところに行っても、アッラーがいつも僕と一緒にいるんです。」

先生は、生徒たちに言いました。

「この才能です、私が彼を特別視しているのは。」

 

子どもが小さい時から、このアッラーがいつも自分を見ている感覚を、子どもの心の中に育てることが、思春期の子ども達のためにとても役立ちます。子どもが自分の内側からの欲望や衝動にかられて、その強い願望にもて遊ばれる思春期の時期には、親がどんなに規制をしても、どんなにルールを作り、禁止したりしても、子どもを抑制することはできないでしょう。子どもは、自分の内側の欲求と戦って、少し弱めることや後回しにすることができたとしても、最後には欲が勝ってしまうでしょう。そして、現代では、親が子どもの行動をすべて監視し管理することは不可能です。

 

子どもの心の中に、アッラーへの愛情を育てることです。もちろん、アッラーへの畏怖の念やアッラーへの期待、アッラーの元にあるすばらしいものへの期待も大事です。しかし、アッラーへの愛情、アッラーのことが好きだから、アッラーを悲しませることをしたくない、という気持ちを子どもが感じていれば、欲望と戦わなければならない時期に、子どもにとって大きな助けとなります。

 

 

質問:現代は、インターネットやテレビで、欲望を刺激するものが沢山溢れています。そういったものに囲まれている中で、子ども達はとても大変だと思いますが。

 

回答:もちろん、そういった誘惑の多い環境を作る大人には、大きな責任と罪があります。お金儲けのために、欲を刺激するハラームの番組を作るテレビの制作会社やスポンサーや、それに歯止めをかけない政治家など、ハラームの番組制作にかかわる大人全てに責任があり、罪があります。しかし、私たちは、この番組で、社会の責任を追及する前に、自分個人の責任を追及することを目的にしています。アッラーは、自分がしたことしか追求しないからです。個人個人が改善されれば、それがすなわち、社会の改善になります。

 

 

質問:現代のような環境の中で、子ども達が、昔の敬虔な方たちのように、自分を守ることはできるのでしょうか?

 

回答:人々は、それが無理なこと、不可能なことのように錯覚しています。そして、実はその間違った錯覚が、善いことを実行に移すことを妨げてしまっています。しかし、実際に、現代でも、少なくない数の子ども達が、自分を守り、貞淑であることを貫いている、という事実があります。世界中で見れば、このような現代においても、その数は膨大です。

では、貞節を守る男の子達、貞節を守る女の子達は、他の子ども達のように危険な環境にさらされていないのでしょうか。彼らも他の子ども達と同じ現代に生き、目の前にある同じ誘惑の多い環境にさらされていますが、アッラーのご加護により、貞節を守っています。違いは、イスラームの人徳を守ること、アッラーがいつも自分を見ていると感じること、そして、これは重要な点ですが、間違えた時に、自分の間違いを直視して自己反省する勇気があること、です。

 

重要な点:

1)自分に嘘をつかないことを教える:

人は誰でも間違えることがあります。特に、まだ大人になっていない思春期の子ども達が間違えるのは当たり前のことです。ただ、後戻りできないような大きな間違いを犯さないこと、そして、小さくても何か間違いを犯した時に、自分で間違いを認め、悔悟する勇気を持つこと、が大切です。自分自身に言い訳をして、自分の罪を認めないことは、その間違いを継続して行い、もっと大きな罪に導かれることを招きます。あの時は仕方がなかった、友達に誘われて断るなんてできないから、私は本当はしなくなかったけれど、あの子があんなことを言い出さなければ、、、等、「自分が悪い」というたったそれだけのことを認める勇気がないために、他人のせいにしたり、周りのせいにしたり、様々な言い訳を考えます。それらはすべて事実ではなく、自分に対する嘘です。親は、子どもに、自分に正直になること、自分に嘘をつかないことを教え奨励すべきです。それは教育においてとても大切なことです。

 

2)子どもとの話し合いの扉をいつでも開けておくこと:

いつでも子どもの話を聞く態勢を保ち続けることが大切です。子どもが間違いを犯してしまった時に、すぐに親に相談できる親子関係があることは、その後に起こる間違いを防ぎ、もっと大きな間違いを犯すことから子どもを守ります。基本的に、子どもが安心して何でも親に話せるような子どもとの強い信頼関係があることが大切です。子どもが間違いを犯して正直に親に話した時に、親から怒られず、親が一緒に解決策を考えてくれるとわかっていれば、子どもは親のところにやって来ます。そうすれば、自分一人では解決が難しい深刻な問題に陥っているような場合にも、大きな問題になる前に親が救うことができます。

 

悪い友達からタバコを薦められてタバコ位ならと吸ってみたら、次は、覚せい剤を薦められ断れずに吸ってしまった、その事実を親にばらされたくなければ、次はコカイン、次は、、、と、子どもは、軽い気持ちから、自分では歯止めをかけるのが難しい危険な犯罪に陥ってしまうこともあります。しかし、その間違いの最初の何回かの段階で、子どもは自分自身で間違いに気付いており、止めたいけれどどうすればいいのか、、と困惑し戸惑っている期間があるでしょう。

 

この期間は、とても貴重な重要な期間です。その時に、親子が強い信頼関係で結ばれていれば、子どもが親に正直に、「お母さん、話があるんだけど。実は、大きな間違いを犯してしまったの。この前、友達に覚せい剤を薦められて、断り切れずに吸ってしまった。」と打ち明けられます。自分の間違いを親に話せるかどうかは、話しても、親が自分を受け止めてくれるという確信が子どもの中にあるかどうかです。親がパニックになって子どもに手をあげたり、「なんてことをしたの!!もうあなたのことは絶対に信用しない!」と子どもを切り離すような言動をとることがない、と子どもがわかっていれば、必ず子どもは困った時に親のところに来ます。

 

子どもが大きな問題に陥る前に、親に相談できることは、まだ一人ですべてを解決することができない子どもにとってはとても安心で、大きな助けになります。しかし、もし子どもに、親に対する信頼がなければ、シャイターンにチャンスを与えてしまい、子どもが間違った行いを継続し、引き返せないギリギリの境界線までも超えてしまうことにもなりかねません。

 

また、兄弟や姉妹がいる場合、彼らとの関係も重要です。兄が弟の間違いを暴露して、親の愛情を独り占めしようとしたり、反対に、兄弟が協力して、お互いの間違いが親にばれないように裏で結託したり、ということは、両方とも間違いです。家族関係の根本、アッラーへの崇拝行為として親子関係や兄弟関係を築くことを、子ども達に教える必要があります。

 

思春期に役立つ子ども教育にとって大切なこと:

1)アッラーがいつも自分を見ているという感覚を子どもの中に育てること

2)アッラーへの愛と畏怖の念、期待を子どもの中に育てること

3)子どもと何でも話せる信頼関係を築くこと

4)子どもが自分の間違いを認める勇気を持てるよう奨励すること

 

 

 

世界中のムスリムの子ども達とご両親にアッラーのご加護とご援助がありますように。

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続)ムスリムの子ども教育-15-思春期の子ども達とのかかわり方(6) 子どもの言い訳

2020年01月01日 | 預言者の教育方法

慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において

 

続)ムスリムの子ども教育-15-

 

ハビーブ・アリー・ジェフリー師(アッラーのご加護あれ)TV番組「私たちの人生16」(16:54~30:00)

https://www.youtube.com/watch?v=8IKeIlrPnnk   

前回の復習:子どもを持つことの「目的」を明確にすること、このことによって、今後お話する多くの子育てに関する事柄が変わって来ます。すでにお子さんが大きくなっている方も、今からでも、子育ての正しいニーヤ(意思)、「アッラーのご満足を求めて、子どもを育てます。」というニーヤ(意思)をしておきましょう。

 

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イスラームにおける思春期※の子ども達とのかかわり方(6) 子どもの言い訳

 

※思春期:

医学的には「第二次性徴の発現の始まりから成長の終わりまで」と定義。(ウィキペディア)

イスラーム的には「10歳からブルーグ※までの時期」

※ブルーグとは?:ムカッラフ(イスラーム法学上の義務行為を行う義務が課せられる者)になること。男の子は精通、女の子は初潮が来ると「ムカッラフ」となる。ブルーグに達した子どもたちは、すでに思春期を卒業し、「ムカッラフ」として、アッラーの元でイスラーム的な義務を負う「成人」の状態になる。

 

質問:現代の子ども達の環境は、インターネットやスマホ、ゲームなどに囲まれていて、私たち、親が育った環境とまったく違ったものになっているため、親と子の世代間のギャップが大きくなっているように感じます。これはどうすれば解消できますか?

 

回答:まず、子ども達が、親と自分たちの時代は全く違い、親の意見は古臭く、聞く価値がない、と決めつけているとしたら、それは子ども達の間違いです。しかし、親の方も、子どもの意見はいつも間違っていて、聞く価値がない、と思っていたり、または実際に、子どもの意見をじっくり聞く時間を取らずに、親が先にすべて判断し、話し合いの余地なく、親の意見を子どもに押し付けているとしたら、それは親の側の大きな誤りです。子どもの理性的に訴えかけ、納得するまで話し合うことはとても大切です。また、子どもの信仰心に訴えかけること、子どものナフス(自我)に訴えることも大切です。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の対応を学ぶよい話があります。

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の時代に、ハワート・ブヌ・ジャビール様(アッラーのご慈悲あれ)というサハーバがいました。当時、彼はまだ年若い青年でした。ある時、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)と一緒に出掛けた際、ダーラン(サウジアラビアにある町の名前)を通りかかった時のことがハディースで残っています。

ハワート・ブヌ・ジャビール様(アッラーのご慈悲あれ)は言いました。

 

「私たちが、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)と一緒に出掛けた際、ダーランを通りかかりました。彼は言いました。:私は自分のテントを出て、話をしている女性たちと一緒にいましたが、彼女たちが気に入ったので、家に戻るとカバンを取り出し、そこから衣装を一着取り出すとそれを着て、また戻り、彼女たちと座っていました。すると、アッラーの御使い様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が、建物から出て来て言いました。

《アブー・アブドゥッラーよ、なぜ彼女たちと座っていますか?》

私は、アッラーの御使い様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)を見た時、畏れを感じ、混乱して言いました。

『アッラーの御使い様、私のラクダが逃げたので、捕まえたいのです。』

彼は通り過ぎ、私は彼の後を追いかけました。すると、彼は私にご自分の上着を預け、ミスワークの木に入りました。まるで、ミスワークの木の緑に、彼の背中の白さを見ているようです。そして、彼は用を足すと、ウドゥーをし、やって来ました。彼の髭から胸の上に水が流れていました、もしくは、彼の髭から胸の上に、滴(しずく)がしたたり落ちていました、と彼は言いました。

そして、おっしゃいました。

《アブー・アブドゥッラーよ、逃げたラクダはどうしましたか?》

しばらくして、私たちは出発しました。そして、道で私に会うたびに、こうおっしゃいました。

《あなたに平安がありますように。アブー・アブドゥッラーよ、あの逃げたラクダはどうしましたか?》

私はそのことがわかり、マディーナへ急いで戻りました。そして、マスジドを避け、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)と一緒に座ることも避けました。しかし、その状態で長い期間が過ぎ、私は、マスジドで一人になれる時間を待ち、礼拝し始めました。すると突然、アッラーの御使い様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が、部屋から出て来て、2ラクアの簡単な礼拝をなさいました。私は、彼が行ってしまい、私を放っておいてくれるといいと思い、礼拝を長くしました。すると、彼はおっしゃいました。

《アブー・アブドゥッラーよ、好きなだけ長くするといい。あなたが終わるまで、私が立つことはありません。》

私は心の中で思いました。:アッラーに誓って、アッラーの御使い様に謝り、彼の心を安心させよう。

そして、彼が、《あなたに平安がありますように。アブー・アブドゥッラーよ、あの逃げたラクダはどうしましたか?》と言った時、私はこう言いました。『真実をもってあなたを遣わされた御方にかけて、私は入信して以来、ラクダが逃げたことはありません。』

すると彼は、《アッラーがあなたにご慈悲をおかけくださいますように。》と3回おっしゃいました。その後、二度とそのようにお尋ねになることはありませんでした。」タバラーニー伝承

 

 

ハワート様(アッラーのご満悦あれ)は、女性たちと座って話をしていました。現代でもムスリムの男の子達は、「彼女はタダの友達だよ。」と言い、女の子達とおしゃべりをしたり、冗談を言い合ったりしています。彼らは、「タダの友達」という言い方をします。先生が学生だった頃にも、そういう言い方をして、女の子達とおしゃべりしている男の子達がいました。その前の時代にも、そのまた前の時代にも同じようにいました。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の時代にも同じように、そういう男の子達がいたのです。時代が変わっても、一部の男の子達は、自分たちの間違いを取り繕うように同じ言い方をするものです。

 

彼らは、年頃の男の子と女の子が、何の制約もなく、自由におしゃべりをして、冗談を言い合って、笑い合い、一緒に食事をして、男の子の手が女の子の肩に触れたり、男の子がふざけて女の子の髪を引っ張ったり、、、、そういった交流をしても、彼らは、まったく異性に関心のない、全く欲を持たない「機械」だから大丈夫、とでも言うのでしょうか。自分たちは、人間ではなくなったのだ、と言うのでしょうか。本来、男女が自由に交際することで、確実にそこには、間違いが起こる余地が産まれます。実際、現代の年頃の男の子達と女の子達は、そういった間違いに陥っている子が多くいます。しかし、最初はみな、「タダの友達」だったのではないでしょうか。

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、ハワート様(アッラーのご満悦あれ)が、女性たちとおしゃべりしているのを見た時、どうなさったでしょうか。すぐに、「ハワート、何をしているんだ!そんなところにいてはいけない、来なさい。ここに来て、アッラーに赦しを乞いなさい。どうしてあんなことをしていたのか!!」とはおっしゃいませんでした。

ただ、《アブー・アブドゥッラーよ、なぜ彼女たちと座っていますか?》

とお尋ねになりました。彼(アッラーのご満悦あれ)が、女性たちと座っておしゃべりをしているのを目撃したにもかかわらず、もう言い訳の余地がない状態であるにもかかわらず、ただ、そうお尋ねになられたのです。

 

 

質問:現代では、ムスリムの間でも、男女間の状態が、「タダの友達」ではなく、彼氏、や彼女、という子もいます。親が知らないところで、スマホやインターネットで異性とつながって、チャットをしたり、深夜までおしゃべりをしたりできます。どうすればいいでしょうか。

 

先生:現代は、昔のように、子どもの行動を「監視」することによって、子ども達を守ることができた時代は終わりました。子どもの行動を逐一監視し、携帯の履歴をチェックし、すべてのメッセージを読み、そうやって子どもを見張ることができた時代は、もう終わったのです。その方法は、現代の子どもの正しい教育方法ではありません。現代の教育方法は、子ども達の心の中に、自制できる力を育てることです。それしか、子ども達を守る方法はありません。自分で自分の行動をチェックして、判断できる力を育てることが大切です。

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、女性たちと座って話をしている彼(アッラーのご満悦あれ)に声をかけ、彼(アッラーのご満悦あれ)が、「アッラーの御使い様、私のラクダが逃げたので、捕まえたいのです。」と言うのを聞いて、その言い訳をとがめることなく受け入れ、その後に、ご自分の上着を彼に預けています。私はまだあなたのことを信頼していますよ、と、彼をまだ良い見方で見ていることを伝えています。

 

一部の親は、子どもが間違いを犯したのを見た後に、子どもがカバンを持って来てくれても、「私のカバンに触るんじゃない!もうお前のことは信頼できない!!」と言い、子どもとの関係を切ってしまうことがありますが、それは間違いです。すべての信者たちの父親である預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、そうはなさいませんでした。ご自分の上着を、彼(アッラーのご満悦あれ)に預けて、私はあなたに対する期待をまだ捨てていませんよ、と伝えています。

 

その後に、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、彼(アッラーのご満悦あれ)に会うたびに、二人だけがわかる言葉で話しかけます。

《あなたに平安がありますように。アブー・アブドゥッラーよ、あの逃げたラクダはどうしましたか?》

これは隠喩のような働きをしています。女性を追いかける気持ちを、ラクダを追いかける話で思い出させているようです。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)からそう言われるたびに、彼(アッラーのご満悦あれ)の中の恥ずかしさが増し、自分で自分の間違いに気づき、自分の中の理性が呼び起こされ、彼(アッラーのご満悦あれ)は、自分の間違いにはっきり気づき、それを正すことができました。

 

親は、子どもの言い訳がどんなに稚拙で、どんなにあり得ないものであっても、その言い訳に敬意を払うべきです。子どもがその言い訳をしたのは、子どもが自分の間違いに気付いているからです。その言い訳を尊重して、そこから対話を始めることが大切です。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、彼(アッラーのご満悦あれ)の言い訳を、「嘘をつくな。お前は、女性と話したかっただけだ。」と否定したりなさいませんでした。その代り、彼(アッラーのご満悦あれ)に会うたびに、《あの逃げたラクダはどうしましたか?》と彼(アッラーのご満悦あれ)が自分で言った言い訳を思い出させ、彼の中の自制心を呼び起こすように語り掛け続けました。

 

私たちが、子ども達に対する預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の教育法を身につけられますように。

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続)ムスリムの子ども教育-14-イスラームにおける思春期の子ども達とのかかわり方(5)

2019年12月18日 | 預言者の教育方法

慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において

 

続)ムスリムの子ども教育-14-

 

ハビーブ・アリー・ジェフリー師(アッラーのご加護あれ)TV番組「私たちの人生16」(~16:54)

https://www.youtube.com/watch?v=8IKeIlrPnnk   

前回の復習:子どもを持つことの「目的」を明確にすること、このことによって、今後お話する多くの子育てに関する事柄が変わって来ます。すでにお子さんが大きくなっている方も、今からでも、子育ての正しいニーヤ(意思)、「アッラーのご満足を求めて、子どもを育てます。」というニーヤ(意思)をしておきましょう。

 

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イスラームにおける思春期※の子ども達とのかかわり方(5)

 

※思春期:

医学的には「第二次性徴の発現の始まりから成長の終わりまで」と定義。(ウィキペディア)

イスラーム的には「10歳からブルーグ※までの時期」

※ブルーグとは?:ムカッラフ(イスラーム法学上の義務行為を行う義務が課せられる者)になること。男の子は精通、女の子は初潮が来ると「ムカッラフ」となる。ブルーグに達した子どもたちは、すでに思春期を卒業し、「ムカッラフ」として、アッラーの元でイスラーム的な義務を負う「成人」の状態になる。

 

前回の質問:イスラーム的な育て方をすると、子どもは必ずまっすぐ育ち、間違えることがありませんか?

 

回答:これに関する回答を補足します。

まず、その間違いが、自分自身に対してだけのものなのか、他人に迷惑がかかる間違いなのか、を見分ける必要があり、前回は、自分自身に対しての間違いの場合のお話をしました。

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が、

《フライム・ル=アサディーは、何と立派な男だろうか!もしも、彼が髪を長くせず、イザール(腰巻の一種)を長く垂らしていなければなぁ!》

とおっしゃって、その子のやる気を引き出し、良い方向に方向づける、という方法を取っていたことをご紹介しました。これらの間違いは、その子自身のことだけで、他人の権利を侵害しているものではない場合です。

 

一方、子どもの間違いが、他人に害を及ぼすものだった場合、どう対処すべきでしょうか。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、どうされていたでしょうか。

 

ラーフィウ・ブン・アムル・ル=ギファーリー様(彼の上にアッラーのご満悦あれ)はこう伝えています。

「私が少年だった時、私たちのヤシの木に(石を)投げていました。もしくは、アンサールのヤシの木に、と言った。すると、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が私のところにやって来て言われました。

《少年よ、(イブン・カーシブは:息子よ、と言った。)なぜヤシの木に投げるのですか?》

彼は言った。:私は、「食べます。」と言いました。

彼は言われました。《それなら、ヤシの木に投げてはいけません。木の下の部分から落ちた物を食べなさい。》

そして、彼は言った。:彼は私の頭をなでると、こう言われました。

《アッラーよ、彼の胃を満たしてください。》」イブンマージャ伝承

 

この時の預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の対処の仕方に、学ぶべきポイントがあります。

 

1.  声をかけた一言目が、《息子よ、》という優しい呼びかけだった。間違いを犯している子どもとの関係を断たない言葉がけをすること。

 

2. 《なぜヤシの木に投げるのですか?》子どもがどんなに間違ったことをしていても、必ず、理由を尋ねる。理由を聞くことで、子どもに、親が自分を理解しようとしてくれている、と思わせ、相互理解の余地があることを知らせる。特に、思春期の子ども達は、誰も自分のことをわかってくれない、大人や親は、自分の気持ちをまったくわかっていない、と思っている。それを解消するために、例え間違いを犯している子どもに対しても、言い訳を言うチャンスを与え、話し合いの余地があることを知らせる。例え、その言い訳が到底納得できないものであったとしても、子どもの言い分を聞く姿勢を保つことが大切。最も悪い対応は、最初から親が、「言い訳の余地なし!」と言い渡して、子どもの言葉に耳を傾けないこと。

 

3.子どもの行動が間違っていることを伝えるだけでなく、代わりにどうすればよかったのか、を伝える。この場合、イスラームでは、道に落ちているナツメヤシを食べることは許されているが、他人の所有物である木に石を投げて、落としたナツメヤシを食べることは禁止されているため、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、自然に落ちた物を食べるように、と代わりの方法を伝えている。

 

4.   子どもの言い訳を尊重する。食べるために、石を投げた、という言い訳を、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、尊重し、食べるためなら、落ちている物を食べなさい、と教えている。食べるためなら、他人の物を勝手に取ってもいい、というその言い訳が、イスラーム的に許されるものではないにもかかわらず、子どもの言い訳を、頭ごなしに否定して、「そんなものは理由にならない!!」とは言われなかった。

 

5.《アッラーよ、彼の胃を満たしてください。》子どもによいドゥアーをする

ラーフィウ様(彼の上にアッラーのご満悦あれ)は、この後、生涯、一度も空腹の苦痛を感じることはなかったと言われています。

 

質問:間違いを犯している子どもが、親の言葉に耳を傾けず、自分が絶対に正しい、と言い張り、反抗する場合は、どうしたらいいですか?

回答:ある時、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の元に、若者がやって来て、婚外交渉をすることを許可しろ、ととんでもない暴言を吐いたことがありました。

 

若い男が、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のところにやって来て言いました。

「アッラーの御使い様、私に、婚外交渉を許可しなさい。」

人々は、彼に向かい、非難し言いました。:「やめろ、やめろ」すると、こうおっしゃいました。

《彼を近くに来させなさい。》

そして、彼は近くに寄りました、と言った。そして、座りました。彼はこうおっしゃいました。

《あなたは、それを自分の母親に望みますか?》

彼は言いました。「いや、アッラーが、あなたのために私を犠牲になさいますように。」

彼はおっしゃいました。《人々も、それを自分の母親には望みません。》

彼はおっしゃいました。《あなたは、それを自分の娘に望みますか?》

彼は言いました。「いや、アッラーの御使い様、アッラーが、あなたのために私を犠牲になさいますように。」

彼はおっしゃいました。《人々も、それを自分の娘達には望みません。》

彼はおっしゃいました。《あなたは、それを自分の姉妹に望みますか?》

彼は言いました。「いや、アッラーが、あなたのために私を犠牲になさいますように。」

彼はおっしゃいました。《人々も、それを自分の姉妹には望みません。》

彼はおっしゃいました。《あなたは、それを自分の(父方の)叔母に望みますか?》

彼は言いました。「いや、アッラーが、あなたのために私を犠牲になさいますように。」

彼はおっしゃいました。《人々も、それを自分の(父方の)叔母達には望みません。》

彼はおっしゃいました。《あなたは、それを自分の(母方の)叔母に望みますか?》

彼は言いました。「いや、アッラーが、あなたのために私を犠牲になさいますように。」

彼はおっしゃいました。《人々も、それを自分の(母方の)叔母達には望みません。》

彼は言いました。:彼はご自分の手を男に当てると、おっしゃいました。

《アッラーよ、彼の罪をお赦し下さい。彼の心を清めてください。彼の陰部をお守ください。》

それからその若い男は、何かを気にかけることはなくなりました。

 

このハディースからいくつかの教訓を得ることができます。

1.《彼を近くに来させなさい。》子どもから到底許すことができないひどいことを言われた時、まず、子どもと向き合うことが大切。「なんてことを!!」と非難し、子どもを避けたり、無視したりするのではなく。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、まず、ひどい言葉を聞いた直後に、彼を近くに来させ、彼としっかり向き合いました。

 

2.《あなたは、それを自分の母親に望みますか?》子どもの天性と理性と、その時代の常識に訴える。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の時代は、その時代の常識と天性が一致していたため、この言葉で十分でしたが、もしかしたら、現代は、「母親が何をしようと自由だ!」と言う子どももいるかもしれません。その場合でも、「お前とは価値観が違い過ぎて、話にならない!」と切り捨てるのではなく、その時代の常識や理性に訴えかけ、それがどんな害を生み出すかを子どもが理解できるよう、丁寧に説明することが大切。

 

3.「アッラーの御使い様、私に、婚外交渉を許可しなさい。」子どもの挑発に乗らないこと。子どもは親に対して、挑発的な態度を取ったり、言葉を使ったりした時に、それに対して、親が感情的に怒ったり怒鳴ったりすることで、子どもが望む結果を与えてしまっている。

 

子どもが冒した間違いについて、じっくり話し合った結果、妥協点を見つけて、家庭のルールを決めたら、あとは、子どもを信頼している、と伝えることが大切です。もしかしたら、ルールを決めた後でも、それを破ってしまうことがある、ということは覚悟しておいてください。そして、案の定ルールが破られた時も、「やっぱり!思った通り、守れなかった。だから言ったじゃない!もう二度とあなたを信頼しないから!」と、それで、すべてを終わりにするのは、待ってください。子どもがリベンジするチャンスを与えて、子どもを信頼すること、これによって、子どもは自分の言動に責任を持つことを学んでいきます。

 

アッラーが、子ども達を正しくお導き下さいますように。

 

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続)ムスリムの子ども教育-4-預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の子どもたちへの教育

続)ムスリムの子ども教育-3-預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の子どもたちへの愛情

続)ムスリムの子ども教育-2- アウラ(隠すべき体の部位)

続)ムスリムの子ども教育-1-

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続)ムスリムの子ども教育-13-イスラームにおける思春期の子ども達とのかかわり方(4)

2019年12月11日 | 預言者の教育方法

慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において

 

続)ムスリムの子ども教育-13-

 

ハビーブ・アリー・ジェフリー師(アッラーのご加護あれ)TV番組「私たちの人生15」(44:00~最後)

http://bit.ly/2lqXvqQ  

前回の復習:子どもを持つことの「目的」を明確にすること、このことによって、今後お話する多くの子育てに関する事柄が変わって来ます。すでにお子さんが大きくなっている方も、今からでも、子育ての正しいニーヤ(意思)、「アッラーのご満足を求めて、子どもを育てます。」というニーヤ(意思)をしておきましょう。

 

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イスラームにおける思春期※の子ども達とのかかわり方(4)

 

※思春期:

医学的には「第二次性徴の発現の始まりから成長の終わりまで」と定義。(ウィキペディア)

イスラーム的には「10歳からブルーグ※までの時期」

※ブルーグとは?:ムカッラフ(イスラーム法学上の義務行為を行う義務が課せられる者)になること。男の子は精通、女の子は初潮が来ると「ムカッラフ」となる。ブルーグに達した子どもたちは、すでに思春期を卒業し、「ムカッラフ」として、アッラーの元でイスラーム的な義務を負う「成人」の状態になる。

 

質問:イスラーム的な育て方をすると、子どもは必ずまっすぐ育ち、間違えることがありませんか?

 

回答:人である限り、誰も間違えない人はいません。ですから当然、この時期の子ども達は間違ったこともするでしょう。ただ、子どもが間違った時に、周りの大人が、その間違いの種類を見極めて、対処することが求められます。

まず、その間違いが、自分自身に対してだけのものなのか、他人に迷惑がかかる間違いなのか、を見分ける必要があります。

また、その間違いを犯す前に、それが間違いだということを知っていたのに犯してしまったことなのか、知らずに犯してしまったことなのか、を見ます。もし、知らずにしてしまったことならば、まず大人がすべきことは、怒ったり非難したりすることではなく、「教える」ことです。

また、その間違いが、イスラーム的にどの種類になるのか、を見ます。ハラームの行いを犯してしまったのか、それとも、自分のために善いことをしなかったのか、例えば、テスト前に勉強しない、など、です。

その上で、大人は、子どもを怒ったり、叱ったり、脅したりするよりも、まずは、子どもを励まし、良い方向に奨励することが望まれます。たった一言でも、子どもを認めて励ます言葉がけが大事です。

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の思春期の子どもへの接し方~3.アブドゥッラー・ブヌ・ウマル様、フライム・ル=アサディー様(お二人にアッラーのご満悦あれ)を通して~:

 

イブン・ウマル(アブドッラー)様(アッラーのご満悦あれ)が伝えている 。

「かつてアッラーの使徒が存命中、夢を見た人は彼にそれを話したものでした。そこで私も夢を見て、それを預言者に話してみたいものだと願っていました。その時私はまだ結婚前の若い少年でした。

そして私はアッラーの使徒の治世にはモスクで寝ていました。そこで私は二人の天使が私を捕まえて火獄へ連れて行く夢を見ました。そしてそれ(火獄)は井戸の(煉瓦で固めた)囲いのように作られており、そこには井戸に付随する二本の柱のような柱が二本立っていました。そこで私はこう言いつづけました。

私はこの地獄の業火からのお助けをアッラーに請い願う。

私はこの地獄の業火からのお助けをアッラーに請い願う。

私はこの地獄の業火からのお助けをアッラーに請い願う。

すると二人の天使にもう一人の天使が加わり、彼は私に「何も恐れることはありません。」と言いました。

さて私はこの話しをハフサに物語りました。それでハフサはそれをアッラーの使徒に話しました。

すると預言者はこう言いました。


《何とアブドッラーは立派な男だろうか!もしも彼が 夜も 礼拝していればなぁ!》


ところでサーリム(伝承者)は次のように伝えている。

アブドッラーはそれ以後、夜は僅かな睡眠しか取らないで、礼拝に専念するようになりました。」ムスリム伝承

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、彼が夜の礼拝をしていないことを指摘して、注意したり、批判したり、叱ったりすることをなさいませんでした。反対に、彼(アッラーのご慈悲あれ)をやる気にさせる言葉をかけて、結果的に、彼(アッラーのご満悦あれ)はその時以降、夜の礼拝を決して欠かすことがなくなった、という善い結果をもたらしています。

 

また、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が同じように言及した少年に、フライム・ル=アサディー様(アッラーのご満悦あれ)がいます。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はこうおっしゃいました。

 

《フライム・ル=アサディーは、何と立派な男だろうか!もしも、彼が髪を長くせず、イザール(腰巻の一種)を長く垂らしていなければなぁ!》

 

その言葉がフライムに届くと、彼はナイフを持ち、髪を両耳の半ばまで切り、イザールを足の脛(すね)の半ばまでたくし上げました。     イマームアハマド伝承

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、彼(アッラーのご満悦あれ)の長い髪や、引きずっているイザールをご覧になった時に、その欠点を彼に直接指摘する、ということをされていません。ただ、別の機会に、こうすれば、彼はもっとすばらしいのになぁ、とおっしゃって、善い行いを奨励しています。こういった言葉がけは、子どものプライドを傷つけることなく、欠点を良い方向に向かせる効果があります。

 

 

質問:子どもの将来に深く関わるような間違いを犯した場合、どのように教育すべきでしょうか?体罰を使ってでも止めさせるべきですか?

 

回答:体罰は、一度使えば、二度目はその効果が薄くなり、三度目はもっと効果がなくなります。そして、使えば使うほど、良い影響よりも悪い影響の方が大きくなるばかりで、子どもを教育する上では役に立つどころか害になるものです。

子どもの教育には、何よりも親子の間のコミュニケーションがとても大事です。もし親が子どもと十分にコミュニケーションを取っている親子であれば、子どもは、親の悲しそうな顔を見れば、すぐに自分の間違いに気づき直すことができます。また、間違いを目にした親が無言になることだけでも、子どもは、自分が過ちを犯したことに気付き、反省することができます。なぜなら、親子の関係が深く、お互いを理解し合っている良好な関係があるからです。

しかし、親子の間でそういった交流がなされておらず、親子関係が途切れている状態では、子どもが間違えた時、親が無理やり強制したり、子どもの気持ちを無視して禁止したり、体罰を与えたりしてしまい、子どもは、親に監視や管理されることを嫌がり、更に関係が悪くなる、ということが起こってしまいます。

 

:::::::::::::::::

司会者(スタジオに参加している思春期の少年に対して):あなたが何か悪いことをしてしまった時、両親は、罰を与えますか?

少年:体罰は一度もありません。ただ、言葉で注意されるとか、、

先生:親にどうされると、一番堪えますか?

少年:口を聞いてもらえないことです、マズいなぁと思います。友達は叩かれたりすることもあるみたいですが。

司会者:どんな時に?

少年:どんな時でも。勉強していないとか。。

先生:叩かれて勉強する気になりますか?

少年:ぜんぜん。

::::::::::::::::::

 

アブドッラー・ビン・アムルは伝えている。

「預言者は私が紅花で染めた二枚の衣服を着ているのをご覧になった。

すると《君の母君がそうするように命じたのか(注1)》と申された。

私は「これを洗い落とします」と言った。

み使いは「いや、それは焼き捨てよ。」と申された。

 

(注1)紅花で染めるのは女性の所為であり、それで染められたものは女性用であったからである

 

紅花で染めた衣服は、ナジス(汚物)ではありません。ナジスがついてしまった服でさえ洗えば十分であるのに、なぜ預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、それを、焼くように命じたのでしょうか?

女性用の服を着た彼(アッラーのご満悦あれ)の中にある、それを好む嗜好を嫌悪して、自分の中から消し去るよう、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、ここで焼くように教えてくださいました。

現代では、女性と男性の性がとても近くなっていますが、そういった嗜好は、小さい頃から、親が注意をして行く必要があります。先日、4歳の小さな男の子がテレビで女性がダンスをしているのを見て、一緒に踊っていました。それを見たその子の母親は、喜んで、この動画をつけるとこの子は踊るのよ、見て見て、と言って、手を叩いて子どもを褒めていました。これは、大きな問題です。

男の子がそういった女性のダンスをすることを褒められて、それが善いことだと思い、続けて行くことで、子どもの将来に大きな影響を与えるからです。その子が大きくなった時にしていたら困ることは、どんな小さな時にしても、それは悪いことだと親がきちんと教える必要があります。これは幼児教育の専門家も指摘していることです。

 

 

質問:思春期の娘に対して、親が気を付けることはありますか?

 

回答:もちろん、この時期の女の子に関して、親には大きな役割があります。まず、特に、女の子に対しては、終わりのない大きな愛情を表していくことが何よりも大事です。女の子は家族の中に、愛情を見つけられなければ、それを家の外に求めるようになってしまいます。女の子の要求を満たす大きな愛情を、親はいつも表すことが必要です。

思春期の子ども達が自分の体の変化などについての疑問や不安を、女の子は母親から十分に受け止めてもらい、男の子はしっかり父親から説明してもらうことがとても大切です。親がこの説明に怠慢になれば、子ども達は、家の外やネットの中にそれを求めることになります。または、友達に尋ねることになり、日本では特に友達がムスリムでないことが多いため、どんな間違った情報を伝えられるかわかりません。そういった間違いが起きる前に、親が、しっかり子ども達の不安を受け止め、正しい情報を伝えて行く必要があります。

 

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の思春期の子どもへの接し方~4. ファーティマ様(アッラーのご満悦あれ)を通して~:

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、娘のファーティマ様(アッラーのご満悦あれ)に対して非常に深い愛情をお示しになられていました。そのことを説明するためには、この話だけのタイトルの講義が必要なくらいです。ファーティマ様(彼の上にアッラーのご満悦あれ)に対する預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の振舞いは、現代の父親たちが聞くと、驚嘆に値するものです。

ファーティマ様(彼の上にアッラーのご満悦あれ)が部屋に入って来ると、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は彼女のために立ち上がり、彼女(アッラーのご満悦あれ)の頭にキスをすると、自分の席に彼女を座らせていました。

 

ある時、アリー様(アッラーのご満悦あれ)とアル=アッバース様(アッラーのご満悦あれ)が、二人のうちどちらがより預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)にとって愛おしい存在か、ということについてもめて議論になりました。そこで、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)に直接聞きに行くため、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)を訪ねるハディースがあります。

 

ウサーマ・ブヌ・ザイド様(アッラーのご満悦あれ)は言いました。

「座っていると、アリーとアル=アッバースがやって来て、(入室)許可を求めました。そして、二人は、ウサーマよ、私たちのために、アッラーの御使い様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)に許可をとってください、と言いました。そこで、私はこう言いました。アッラーの御使い様、アリーとアル=アッバースが、(入室の)許可を求めています。」

彼は、《何のために来たのか、知っているかね?》とおっしゃいました。

私は「いいえ」と言いました。

すると、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、《知るために 二人に 許可しましょう。》と言いました。二人が入って来ると、こう言いました。

「あなたのところに来たのは、あなたの親族の中で、一番あなたがお好きな人は誰か聞くためです。」すると、彼(アッラーの祝福と平安がありますように)は、

《一番好きな親族は、ファーティマ・ビント・ムハンマドです。》とおっしゃいました。」イマームアハマド伝承

 

そんなことを聞くために来たのではないのに、、、と2人は再度聞き返しますが、ファーティマ様(彼の上にアッラーのご満悦あれ)が、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の心の中にどれだけ大きな位置を占めていたかがわかります。

女の子にとっては、父親の心の中で自分の地位がとても高くあること、そして、父親が表すその愛情を摂取することがとても大切です。そのため、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のファーティマ様(彼の上にアッラーのご満悦あれ)への振舞いは、驚くほど深い愛情に満ち、多くのハディースで、娘をお姫様のように大事に扱う父親像が鮮明に描き出されています。

 

私たちが預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のように子ども達に接することができますように。

 

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続)ムスリムの子ども教育-12-イスラームにおける思春期の子ども達とのかかわり方

2019年10月16日 | 預言者の教育方法

慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において

 

続)ムスリムの子ども教育-12-

 

ハビーブ・アリー・ジェフリー師(アッラーのご加護あれ)TV番組「私たちの人生15」(32:30~44:00)

http://bit.ly/2lqXvqQ  

前回の復習:子どもを持つことの「目的」を明確にすること、このことによって、今後お話する多くの子育てに関する事柄が変わって来ます。すでにお子さんが大きくなっている方も、今からでも、子育ての正しいニーヤ(意思)、「アッラーのご満足を求めて、子どもを育てます。」というニーヤ(意思)をしておきましょう。

 

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イスラームにおける思春期※の子ども達とのかかわり方

 

※思春期:

医学的には「第二次性徴の発現の始まりから成長の終わりまで」と定義。(ウィキペディア)

イスラーム的には「10歳からブルーグ※までの時期」

※ブルーグとは?:ムカッラフ(イスラーム法学上の義務行為を行う義務が課せられる者)になること。男の子は精通、女の子は初潮が来ると「ムカッラフ」となる。ブルーグに達した子どもたちは、すでに思春期を卒業し、「ムカッラフ」として、アッラーの元でイスラーム的な義務を負う「成人」の状態になる。

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の思春期の子どもへの接し方~1.イブンアッバース様(アッラーのご満悦あれ)を通して~:

 

3.子どものやる気をそがずに、善いことをしたらすぐに褒める:

 

イブンアッバース様(アッラーのご満悦あれ)は言いました。

「夜の終わり(ファジュル前)に、私はアッラーの御使い様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のところに行き、彼の後ろで礼拝すると、私の手を取り引っぱると、彼の隣に私を配しました。

そうして、アッラーの御使い様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が、礼拝を始めたので、私は隠れ、アッラーの御使い様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は礼拝しました。

終了すると、私におっしゃいました。

《あなたを私の隣に配しても、隠れたのはどうしてですか?》

私は言いました。

『アッラーの御使い様、誰もあなたの隣で礼拝すべきではないのでは?あなたは、アッラーがお授けになられたアッラーの御使い様なのですから。』

すると、その言葉は彼を感嘆させ、アッラーが私に知識と理解を増やしてくれるよう、私のためにドゥアーしてくださいました。」イマームアハマド伝承

 

この預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)への善いマナーが、イブンアッバース様(アッラーのご満悦あれ)を後に、「クルアーン翻訳者」というあだ名で呼ばれるような大学者にしました。子どもが見せたよいマナーに対して、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、すかさず、その子がはっきりとわかるくらいに感嘆を示し、また、彼のためにドゥアーをするというご褒美を与えています。

 

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の思春期の子どもへの接し方~2.ウサーマ・ブヌ・ザイド様(アッラーのご満悦あれ)(ヒジュラ7年前生誕)を通して~:

ウサーマ様(アッラーのご満悦あれ)は預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のお孫さんのハサン様とフサイン様(彼らの上にアッラーのご満悦あれ)同様、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の愛情を受けてきた少年でした。

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が亡くなった時、ウサーマ様(アッラーのご満悦あれ)は、まだ17歳(か18歳)でした。

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、ウサーマ様(アッラーのご満悦あれ)を通して、思春期の子どもが間違いを犯した時の対処の仕方、また、その年ごろの子どもを信頼して責任を負わせることで大きく成長させる方法を教えてくださっています。

 

1.思春期の子どもが間違いを犯した時には、はっきりと判断基準を示し、間違いを認識させること:

 

イスラーム勉強会ブログより抜粋http://blog.goo.ne.jp/qurtaf/e/1e263938c86f7358dc704dee48ddf5ba :

「189.アッラーの掟の実行に差別はない:

 この出来事が起きている時、あるマハズーム族のファーティマという名の女が盗みを働いてしまったのですが、彼女の一族がウサーマ・イブン・ザイドに援助を求めて集まってきました。なぜならアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)がウサーマを可愛がっていたため、彼に執り成してくれるよう望んだからです。ウサーマがアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)にこの件を話すと、彼は顔色を変えて、言われました:アッラーの掟に関係することを何とかしてほしいと言うのか。

ウサーマは言いました:アッラーの使徒さま、私のためにアッラーに赦しを乞うてください!

 夜になると、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は説教のためにお立ちになりました。まずアッラーを讃え、続けて言われました:さて。かつて、おまえたち以前の時代の人間は滅ぼされたが、その中の貴族が盗みを働くと放置し、弱者が盗みを働くと刑を下したからである。ムハンマドの魂をその御手にされる御方に誓うが、ムハンマドの娘、ファーティマが盗みをもし働いたら、その手は切断されるだろう。

  そしてアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)はかの女の手の切断を命じたことにより、女の手は切られました。その後、女は悔悛し、結婚しました。」

この出来事により、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、ウサーマ様(アッラーのご満悦あれ)に、物事の判断の基準を教えています。ウサーマ様(アッラーのご満悦あれ)にとって、この事件は、イスラームには差別はないこと、人はアッラーの前に平等であること、という大切な教育の機会となり、こうした機会を通して、ウサーマ様(アッラーのご満悦あれ)は徐々にリーダーの素質を磨かれて行きます。

 

2.思春期の子どもを信頼して、大きな責任を任せること:

 

ウサーマ様(アッラーのご満悦あれ)は、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が亡くなる前、最後に派遣した遠征軍の最高司令官(アミール)に任命されました。当時、ウサーマ様(アッラーのご満悦あれ)は17歳でした。多くのサハーバ達(アッラーのご満悦あれ)を率い、アブーバクル様やウマル様やアリー様やウスマーン様(彼らにアッラーのご満悦あれ)に対して命令を下し、軍をまとめる指揮官です。

彼らは17歳のウサーマ様(アッラーのご満悦あれ)の指令を受ける一兵士として軍に参加しました。ここには大きな英知があります。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、子どもが成長すると、子どもを信頼し、大きな責任を任せました。

 

現代の思春期の子どもの扱いにおいて、大きな間違いは、17歳(高校2年か3年生)の子どもを、まだ子どもだから仕方がない、まだ物事の分別がつかないから、考えが幼いから、と子ども扱いしてしまうことです。

17歳のウサーマ様(アッラーのご満悦あれ)は、自分よりも年上のサハーバ達(アッラーのご満悦あれ)を率いて、立派に軍の司令官を務め、遠征は首尾良く成功しました。信頼して責任を与えれば、子どもは大きく成長し、成功を収めるのです。

子どもの失敗は、大人の信頼のなさに所以します。この子は私が言わないと何にもできない、うちの子は、高校生になっても何度起こしたら朝学校に間に合うように起きるのか、、、親の子どもへの不信感が、子どもの行動を親の期待通り、失敗させ、何もできなくさせます。反対に、信頼して、任せ、責任を取らせることで、子どもは大きな成長を遂げることができます。

 

※以下の「 」内は、イスラーム勉強会ブログより抜粋

http://blog.goo.ne.jp/qurtaf/e/53e3e24ca5ec2e635ead576ecc3db41f :

「240.最後の派遣軍:

 アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)はウサーマ・イブン・ザイド・イブン・ハーリサをシャーム地方へ派遣しました。そしてまずアル=バルカーゥとパレスチナの地であるアッ=ダールーンに踏み入るよう命じました。

 ウサーマの軍に多くのムハージルーンとアンサールの教友が参加しました。その中で最年長の者はアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)によって送られたウマル・イブン・アル=ハッターブ(アッラーの御満悦あれ)です。彼の病は酷くなるばかりで、ウサーマの率いる軍はアル=ジュルフでテントを張ったままでした。結局、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)が亡くなった後、アブーバクルがアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)の望みを実現し彼の思いを完遂させるためにウサーマの軍を出発させました。

 

241.ウサーマ軍派軍への関心:

 病に苦しんでいたアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)はウサーマを派遣することにおいて人々を待たせました。頭を縛って皆の前に姿を現したアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)はミンバルの上に座りました。人々は、ウサーマが任命されたことについて、彼はまだ若く、ムハージルーンとアンサールの集団を率いることが出来るのか、と言っていたところでした。

アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)はアッラーを讃え、彼に相応しい称賛の言葉を述べて、言いました:

皆の衆、ウサーマの派遣を実現させなさい。自らの命にかけて誓うが、もし、彼がアミールに任命されたことでおまえたちが何か言うのなら、彼以前の、彼の父親に関して同じことを言ったことになる。彼(ウサーマ)はまことにアミールに相応しく、彼の父親もそれに相応しかった。

このように言った後、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は場所を後にしました。これを聞いた人たちは出発の準備にすぐ取りかかりました。代わってアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)の痛みは重くなっていきました。ウサーマは軍と共に出発し、アル=ジュルフというマディーナから約5.5kmの地に停留し、残りの人たちが追い付くのを待ちました。」

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のこのウサーマ様(アッラーのご満悦あれ)の任命は、上記の教育という英知以外にも、いくつかの英知があります。

 

⑴   軍の最高司令官は、絶対の権限を持つ存在ではない。:

ウサーマ様(アッラーのご満悦あれ)は、最高司令官(アミール)であると同時に、アッラーのご命令に服従するしもべの存在であることに変わりはありません。このことを示すハディースがあります。

「アッラーのみ使いは一団の軍勢を派遣され、その指揮官としてアンサールの男を任命した。そして人々には彼の言に耳を貸し、従うようお命じになった。時に、部下達はあることでその指揮官を怒らせてしまった。

彼は「薪を集めよ」と言った。部下達はそれを集めて来た。

彼は「それを燃やせ」と言った。彼等はそれに火をつけた。

その後彼は「アッラーのみ使いは諸君に私の言葉を聞き従うようお命じにならなかったか」と言った。彼等は「はい(そのように)申されました」と言った。すると彼は「それでは火に入れ」と命令した。その時彼等は互いに顔を見合わせた。そして「われわれは火から逃れるためにアッラーのみ使いに救済を求めたのだ」と言った。その考えは皆同じであった。やがて指揮官の怒りも治まって火は消された。彼等が帰った時、その出来事を預言者に話した。

するとその御方は《もしあなた方がそれに入っていたら、その中からはずっと出られなかったであろう。服従は正しいことにおいてのみあるのだ》と申された。」ムスリム伝承

 

ウサーマ様(アッラーのご満悦あれ)は、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)からの教育により、自分の命令よりも、アッラーのご命令が絶対であることをよく御存じでした。そのため、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は安心してウサーマ様(アッラーのご満悦あれ)に指揮を任せることができました。

 

⑵   イスラームでは、奴隷の身分の者やその子どもであっても、人々の長になれること:

ウサーマ様(アッラーのご満悦あれ)の父親は、奴隷であったため、彼が司令官(アミール)になるのはふさわしくない、という考えを持つ人たちがいました。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、イスラームでは、人は神の元に平等であり、奴隷の息子であっても、人々のトップに立つ司令官(アミール)になることに何の問題もない、ということを実証を持って示しました。

 

⑶   ウサーマ様(アッラーのご満悦あれ)が崇高なマナーを備えていたこと:

その軍には、年配のサハーバ達(アッラーのご満悦あれ)が多く参加していましたが、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の元で育った礼儀正しいウサーマ様(アッラーのご満悦あれ)が、彼らへの礼儀を欠くことはありませんでした。彼らに最大の敬意を払い、すべての事において彼らとマシューラ(話し合い)をし、彼らの意見を聴きました。

 

⑷   年配の者が、後輩や若者に責任を任せ、一線から退くこと:

イスラームでは、年を取ったから、経験が豊富だから、という理由で、自分よりも年下の者が、指揮をとるチャンスを奪う権利はありません。この軍のように、年若い司令官が、年配の兵士たちを率いることも受け入れるべきです。それは、世代交代をうまく行うためには、年配の者が、若者に任せて、後ろからサポートする体制を取る必要があるからです。

現代では、40代の政治家であっても、若造が!と言われて、一人前に見てもらえないことがありますが、18歳のウサーマ様(アッラーのご満悦あれ)を年配のサハーバ達(アッラーのご満悦あれ)が後ろに回ってサポートしていた社会は、現代の社会よりもずっと進んでいました。

 

40代、50代の人たちが、自己顕示欲を抑えて、一線から退き、若者に責任を託すことで、若者は彼らのサポートの元、安心して能力を発揮し、成長することができます。年配の者が、年下の者に、「この件は、○○と××という特徴があり、こういう点に注意すべきだと思いますが、決めるのはあなたで、責任を担っているのはあなたです。」と的確なアドバイスと信頼を若者に向けることで、若者たちは、本当に責任を担うにふさわしい存在へと成長していきます。

 

実際に、イスラーム法学では、ブルーグに達した時から、アッラーの御前で、彼らの言動は責任を伴っています。ブルーグに達した子ども達は、すでに、アッラーに責任を問われる存在です。この自覚を、子ども達がブルーグに達した時から、しっかり認識させていれば、子ども達は、そこから一人前の大人としての責任感を持つことができ、その責任感に慣れていき、それ以外のどんな責任を任せられても、自分には十分に引き受ける能力がある、という自信も産まれます。

 

 

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続)ムスリムの子ども教育-7-預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が訪問されたら 

続)ムスリムの子ども教育-6-預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の子どもたちへの教育

続)ムスリムの子ども教育-5- 子どもにいつ礼拝を教えますか?

続)ムスリムの子ども教育-4-預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の子どもたちへの教育

続)ムスリムの子ども教育-3-預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の子どもたちへの愛情

続)ムスリムの子ども教育-2- アウラ(隠すべき体の部位)

続)ムスリムの子ども教育-1-

 
 
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続)ムスリムの子ども教育-11- 思春期※の子どもとのかかわり方

2019年09月27日 | 預言者の教育方法

慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において

 

続)ムスリムの子ども教育-11-

 

ハビーブ・アリー・ジェフリー師(アッラーのご加護あれ)TV番組「私たちの人生15」(22.57~32:30)

http://bit.ly/2lqXvqQ  

前回の復習:子どもを持つことの「目的」を明確にすること、このことによって、今後お話する多くの子育てに関する事柄が変わって来ます。すでにお子さんが大きくなっている方も、今からでも、子育ての正しいニーヤ(意思)、「アッラーのご満足を求めて、子どもを育てます。」というニーヤ(意思)をしておきましょう。

 

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イスラームにおける思春期※の子ども達とのかかわり方(2)

 

※思春期:

医学的には「第二次性徴の発現の始まりから成長の終わりまで」と定義。(ウィキペディア)

イスラーム的には「10歳からブルーグ※までの時期」

※ブルーグとは?:ムカッラフ(イスラーム法学上の義務行為を行う義務が課せられる者)になること。男の子は精通、女の子は初潮が来ると「ムカッラフ」となる。ブルーグに達した子どもたちは、すでに思春期を卒業し、「ムカッラフ」として、アッラーの元でイスラーム的な義務を負う「成人」の状態になる。

 

先生:現在は、「思春期(日本では反抗期という言葉も同意で使われているかもしれません。)」という言葉が、影響力のある言葉になってしまっています。それがある種の言い訳を与え、子ども達が何か問題を起こすと、「思春期だから」、責任感のない行動をとると「思春期だから」、思春期の子どもを持つ親たちも、「うちの子は思春期で、親の言うことをまったく聞かない。本当に難しい。頭が痛い。」と子どものことで愚痴を言い、とても苦労しています。

 

(ゲストの18歳の男の子に向かって)あなたは18歳ですね、ということは、もう思春期ではない。18歳は、ウマル様(アッラーのご満悦あれ)が、イブンアッバース様(アッラーのご満悦あれ)を、サハーバ達(アッラーのご満悦あれ)のシュウラ(イスラーム帝国会議)に代表として参加させた年齢です。イスラーム帝国のウンマ(イスラーム共同体)の重要事項を決定する会議に、長老たちと一緒に参加させた年が、18歳です。当時は、18歳になると、もう信頼のおける一人前の人として、周りが扱っていました。そうすると、その期待に応えて、彼らも、信頼のおける言動で応じていたのです。それは男の子も女の子も同じです。しかし、現在のようにその年齢の子を、ティーンエイジャーとして、まだ幼い子ども、と大人が見てしまうと、彼らもそれにふさわしい応対をしてしまいます。

 

ウマル様(アッラーのご満悦あれ)がイブンアッバース様(アッラーのご満悦あれ)をウンマの命運を決めるシュウラに参加させた際、一部の年配のサハーバ達(アッラーのご満悦あれ)が、イブンアッバース様(アッラーのご満悦あれ)の年齢を軽んじるような発言をしました。ウマル様(アッラーのご満悦あれ)は、彼らの見方が間違っていることを示すために、その席で、全員にある質問をしました。

 

「あなた方は、ナスル章から何を理解しましたか?」

 

援助章(アン・ナスル) マディーナ啓示 3節

 

بِسْمِ اللهِ الرَّحْمنِ الرَّحِيمِ

1. アッラーの援助と勝利が来て、

إِذَا جَاء نَصْرُ اللَّهِ وَالْفَتْحُ 1

2. 人びとが群れをなしてアッラーの教え(イスラーム)に入るのを見たら、

وَرَأَيْتَ النَّاسَ يَدْخُلُونَ فِي دِينِ اللَّهِ أَفْوَاجًا 2

3. あなたの主の栄光を誉め称え、また御赦しを請え。本当にかれは、度々赦される御方である。

فَسَبِّحْ بِحَمْدِ رَبِّكَ وَاسْتَغْفِرْهُ إِنَّهُ كَانَ تَوَّابًا 3

 

そこで長老たちは、この章の意味を説明しました。すると、ウマル様(アッラーのご満悦あれ)は、イブンアッバース様(アッラーのご満悦あれ)の方を見て、「アブドゥッラーよ、あなたはこの章から何を理解しましたか?」とお尋ねになりました。

すると、イブンアッバース様(アッラーのご満悦あれ)は、「長老たちと同じことを理解しました。ただ、私は、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の死が近いと宣告されたことも理解しました。」とおっしゃいました。

つまり【人びとが群れをなしてアッラーの教え(イスラーム)に入るのを見たら、】ということは、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)がその使命を果たした、とアッラーが告げており、【あなたの主の栄光を誉め称え、また御赦しを請え。】つまり、アッラーの元へ帰る準備をしなさい、ということなのです。実際、この2年後に、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は亡くなりました。長老たちは、このイブンアッバース様(アッラーのご満悦あれ)の深いクルアーンの理解に、とても驚嘆しました。

 

イブンアッバース様(アッラーのご満悦あれ)は、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が亡くなられた時には、12歳だったと言われています。この逸話は、大人が、この年頃の子ども達に適切に接することで、彼らのすばらしい才能が、その後、見事に開花するという善い見本です。ここで、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が、イブンアッバース様(アッラーのご満悦あれ)と接している3つのハディースから、思春期の子ども達との適切な関わり方を学んでいきましょう。

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の思春期の子どもへの接し方~イブンアッバース様(アッラーのご満悦あれ)を通して~:

 

1.       大人の集まりにいる思春期の子どもの存在に敬意を払うこと:

現代の私たちの文化では、大人の集まりでは、思春期の子どもがそこにいても、敬意を払われることなく、しつけのためなど、と言って、邪魔者扱いしたり、無視したり、もしくは、からかわれる対象にしたりします。例えば、「わっはっは、この子は、ひげが生えてきたぞ!見てみろ(笑)」などふざけて言ったりします。しかし、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、12才より下の年齢の少年であっても、イブンアッバース様(アッラーのご満悦あれ)の存在に敬意を払っていたという逸話があります。

 

ある時、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)にミルクが差し出された時、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の右横には少年のイブンアッバース様(アッラーのご満悦あれ)が、左横には、ハーリド・ブヌ・ルワリード様(アッラーのご満悦あれ)※がいらっしゃいました。

※ハーリド・ブヌ・ルワリード様(アッラーのご満悦あれ):イスラーム初期の正統カリフ時代の武将。「アッラーの剣」という異名で知られる。

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)がそのミルクをお飲みになった後、スンナでは右の人が次に飲みますが、左には、イブンアッバース様(アッラーのご満悦あれ)よりもかなり年配のハーリド様(アッラーのご満足あれ)がおられたため、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、イブンアッバース様(アッラーのご満悦あれ)にこう尋ねました。

 

《ハーリドにこれを飲ませることを、あなたは私に許可してくれますか?》イブンマージャ伝承

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、10歳そこそこの少年に、きちんと許可を求めましたが、現代では、その年代の子ども達は、大人からこんな丁寧な対応は受けず、「年配の人が優先されることを、子どもはきちんと理解すべきだ。」と、勝手に左にいる年上の男性を優先してしまうでしょう。まるで、それが礼儀作法、子どものしつけだと言わんばかりに。しかし、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、礼儀のために、人の権利を勝手に奪うことはなさいませんでした。ですから、イブンアッバース様(アッラーのご満悦あれ)にきちんと許可を求めたのです。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)に「いいですか?」と尋ねられたら、あなたならどう返答するでしょうか?

 

すると、イブンアッバース様(アッラーのご満悦あれ)は、こう言いました。

「私は、アッラーの御使い様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の飲み残し(のバラカ(祝福))を、自分以外の誰にも優先したくありません。」

そうして、イブンアッバース様(アッラーのご満悦あれ)がお飲みになり、その後、ハーリド様(アッラーのご満悦あれ)がお飲みになりました。》イブンマージャ伝承

 

ここに、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の思春期の子ども達に対する模範的な対応が表れています。この年代の子ども達は、どんな時代であっても、誰かが、自分の意見を聞いてくれること、自分の選択に耳を傾けてくれることを願っています。子どもだから、こうしなさい、と言うだけで、その子が何をしたいのか、どんな風に思ったのか、まったく聞かずに命令だけを与える、という対応では、この年代の子ども達の要求を満たすことができません。

 

2.子どものやる気をそがずに、善いことをしたらすぐに褒める:

イブンアッバース様(アッラーのご満悦あれ)は、自分の叔母さんにあたる、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の奥様のマイムーナ様(アッラーのご満悦あれ)の家に泊まるのが好きで、よく泊まっていました。ある夜、10歳か11歳だったイブンアッバース様(アッラーのご満悦あれ)が、マイムーナ様(アッラーのご満悦あれ)の部屋に泊まっていた時のハディースがあります。

 

イブンアッバース様(アッラーのご満悦あれ)はこうおっしゃいました。

 

《預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が用足しに行かれたので、私は彼のためにウドゥー(小浄)の水を置いておきました。

そして彼が戻って来て「誰がこれを置いたのか?」と言いました。

すると彼ら(ズハイルの伝承)、私(アブー・バクルの伝承)は「イブン・アッバースです」と言った。

そこで彼はこう言った。

「アッラーよ、彼に宗教への深い洞察の才を与えたまえ。اللَّهُمَّ فَقِّهْهُ فِي الدِّينِ」》ブハーリーとムスリム伝承

 

イブンアッバース様(アッラーのご満悦あれ)はこの時、3つの善いことをなさいました。ひとつは、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)に対する大きな関心と愛情と敬意の念を現したこと、自分からウドゥーの水を用意しようと思いつき行動に移したこと、そして、何をするかよく考えてから行動したこと、です。

 

この年代の子ども達は、「自分から」何かをすることがとても大切です。親に、「○○をしなさい」と言われてしぶしぶやるのでは、受け身の姿勢ですが、自分から、やりたいと思ってやることには積極性、主体性があります。この年代のお子さんを持つご両親は、子どもに、「○○しなさい」、「××ができていない」、と命令するばかりでなく、「自分から」やる気を出す、積極性を認めて伸ばしてあげることが重要です。イブンアッバース様(アッラーのご満悦あれ)は、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)や誰か大人に言われてウドゥーの水を持ってきたのではありません。「自分から」やりたい、と自らの働きかけで行動を起こしました。その自主性を預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は即座に評価して、彼(アッラーのご満悦あれ)のために、すばらしいドゥアーをしてくださいました。

 

ハディース学者のイブン・ハジャル師(アッラーの慈悲あれ)は、このハディースの解説で、イブンアッバース様(アッラーのご満悦あれ)には、この時3つの選択肢があったと解説しています。

(1)10歳か11歳の子どもらしく、トイレのドアを開けて、水を置いてから閉める。

(2)水を持って行くのは面倒だから、持って行かない。

(3)水を持って来て、ふさわしい場所に置く。

この3つの選択肢から3を選んで、行動に移したことに、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は満足なさって、彼(アッラーのご満悦あれ)にドゥアーをなさいました。

この預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のドゥアーのおかげで、イブンアッバース様(アッラーのご満悦あれ)はその後、ハディースを多く伝承する大イスラーム学者となりました。

 

ここでひとつ注目して頂きたいことは、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)がイブンアッバース様(アッラーのご満悦あれ)に与えたご褒美が、ドゥアーであったという点です。親は、子どもが善い行いをした時のご褒美を、お金や物だけに限らないようにすべきです。物質的なものだけでなく、精神的なご褒美も与えるよう習慣づけてください。それは、思春期になる前から、行うことが重要です。

 

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続)ムスリムの子ども教育-10- 思春期※の子どもとのかかわり方

2019年09月21日 | 預言者の教育方法

慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において

続)ムスリムの子ども教育-10-

 

ハビーブ・アリー・ジェフリー師(アッラーのご加護あれ)TV番組「私たちの人生15」(最初~22.57)

http://bit.ly/2lqXvqQ  

前回の復習:子どもを持つことの「目的」を明確にすること、このことによって、今後お話する多くの子育てに関する事柄が変わって来ます。すでにお子さんが大きくなっている方も、今からでも、子育ての正しいニーヤ(意思)、「アッラーのご満足を求めて、子どもを育てます。」というニーヤ(意思)をしておきましょう。

 

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イスラームにおける思春期※の子どもとのかかわり方

 

※思春期:医学的には「第二次性徴の発現の始まりから成長の終わりまで」と定義。(ウィキペディア)

 

司会者: 現代社会では、思春期の子ども達の親とのかかわりの問題が、よく取り沙汰されています。

(ゲストの18歳の男の子に向かって)あなた自身や友達の間で、親と意見の食い違いや口論になった話を聞いたことがありますか?


男の子:親との行き違いについては、友達からよく聞きます。

例えば、試験前にちょっと息抜きをしていると、親がすぐに「勉強しろ」と言って来る、いつもいつも顔を見る度に、「勉強しろ」と言われ、逆にやる気がなくなる、とか。


司会者:(先生に向かって) イスラームでは、この思春期の時期に、親が気を付けることは何かあるんでしょうか?

 

回答:まず、現代の思春期の子ども達を取り巻く問題の根本は、11歳前後から18歳くらいまでの子ども達を、「思春期だから」という色眼鏡で見てしまうことです。そして、その時期の子ども達を、成長途中の不完全な子ども、間違えることが多く、成熟するまでの間の未完成な子ども、という前提で大人が見、また、本人たちに対してもそういう声かけをすることは、子ども達の成長にとって、とても大きな問題です。

今、彼が言ってくれたように、親自身が、この時期の子ども達を、自分からは勉強しない、と決めつけていたり、精神的に不安定で何をするかわからなくて危険、基本的に常に間違えてばかりいる、等と、色眼鏡で見ていたりすることが、まずは、大きな間違いです。親からのこういった視線は、この時期の子どもたちにとって、まったく役に立たないばかりか、彼らの成長を大きく阻害するものになります。「思春期だから」「不安定な時期だから」「多感な時期だから」と言われ続けていると、実際に、子ども達は、多感で不安定な状態になってしまうでしょう。

 

本来、イスラームにおける思春期とは、10歳からブルーグ※までの時期です。(※ブルーグとは?:ムカッラフ[イスラーム法学上の義務行為を行う義務が課せられる者]になること。男の子は精通、女の子は初潮が来ると「ムカッラフ」となる。)

つまり、ブルーグに達した子どもたちは、すでに思春期を卒業し、「ムカッラフ」として、アッラーの元でイスラーム的な義務を負う「成人」の状態になります。自分の言動において義務と責任が生じ、他の大人と全く変わらない状態になるのです。

もちろん、この時期は、ホルモンの影響で、様々な変化が心と体に現れます。この時期に、体の変化や、思考の変化、精神的な変化があるのは、その後の更年期でも同じです。ホルモンの変化によって、体と心に様々な現象が現れます。

 

しかし、イスラームでは、誕生からブルーグまでは、「ガイル・ムカッラフ(責任を負わない者)」として扱われ、悪事をしても書き留められることがありません。そして、この時期に行った善行は、書き留められ、また、両親の記録帳にも子どもが行った同じ善行が書き留められます。なぜなら、多くの場合において、子どもにとって両親の影響はとても大きいため、子どもがその善行を行ったのは、両親のしつけのおかげ、ということが多いからです。

そして、子どもがブルーグに達したなら、そこから、まったく違った時代に入ったのだ、という自覚をしっかり持たせる必要があります。そこから「ムカッラフ」となり、すべての自分の言動が書き留められることを、子ども達は、きちんと自覚しなければなりません。

 

かつて、信仰深い昔の人たちは、自分の子どもがブルーグに達した時には、その国の信仰篤い学者達を招待し、子どもが成人になったお祝いをしたものです。そして、学者達の前で、父親が子どもにこう言います。

「我が子よ、あなたはブルーグに達し、ムカッラフとなりました。私は、あなたにイスラームの五行を教えましたか?」

「はい」

「私は、イスラームの六信をあなたに教えましたか?」

「はい」

「あなたに、ウドゥー(お清め)の仕方と礼拝の仕方を教えましたか?」

「はい」

「あなたに、何がハラーム(禁止されること)で、何がハラール(許されること)か、また、マクルーフ(嫌悪される行為)とムバーハ(許される行為)とは何か、教えましたか?」

「はい」

「あなたに、アッラーへの服従には幸福があり、アッラーへの反逆には罪があるということを教えましたか?」

「はい」

「では、ご来賓の皆さん、どうか証言してください。この時を持って、私は、アマーナ(信託物。ここでは子どものこと。)を守る義務を免除され、自分の肩から、この子の肩に その責任が転嫁したことを アッラーに証言します。

(子どもに向かって)お前は、今、ムカッラフとなり、自分の言動に責任を負うことになりました。今から、左右の天使たちは、お前が口にするすべての言葉を記録書に 書き留め始めます。お前が見るどんな一瞥も、お前が行うどんな行動も、すべて、左右の天使が、記録書に書き留めます。」

 

こうして、子ども達は、まず、自分の言動に責任を持つことの重荷を感じます。次に、子ども達の、両親への言動に変化があります。両親に対して、言動に責任を持つ大人として尊敬の念を抱き、自分の言動を導き、アドバイスをくれる存在として意識するようになります。

 

質問:しかし、現代の子ども達は、14歳では、まだ親のしつけが必要な状態だったり、宗教についても、まだまだ知らなければならないことが沢山あったりします。14歳でブルーグに達したからと言って、親の養育の義務がなくなるとは思えないのですが。

 

回答:もちろんその通りです。もう少し詳しく説明しましょう。ブルーグに達したから、という通達の意味は、親が子どもを放任する、ということではありません。親が子どもに対して、「もうお前とは何の関係もない、何でも好きなことをしなさい、私は気にしないし、何も言いません」、ということではありません。

そうではなく、ただ、子ども自身に、自分は以前とは違い、言動に責任を負うのだ、と感じさせ、そして、親は、子どもに対して、「あなたはもう子どもではなく、私たち同様、ムカッラフになったのだから、きちんと自分の言動に責任を持つことができると、私たちは信じています。あなたは、それができる能力を持っていると私たちは信じています。」と子どもに対して、私たちは、あなたに対して、基本的に良い見方をしています、と告げることです。私たちには、あなたに対する信頼があり、あなたにはそれに応える能力がある、と親が子どもに伝えることです。

 

一方、宗教的知識については、ブルーグに達するまでに、子ども達は、自分に必要な宗教の知識を身に着ける必要があります。ただ、知識の探求について期限がないことは、周知の事実です。

晩年、年老いてすっかり衰弱したイマーム・アハマド(アッラーのご慈悲あれ)が、インク壺を持っているのを見て、人々が、「この期に及んで、インク壺ですか?!」と言うと、彼(アッラーのご慈悲あれ)は、「墓までもインク壺と共に。」とおっしゃいました。

ゆりかごから墓場まで知識を求めなさい、というハディースにもあるように、知識の探求には限界がありません。しかし、子どもがブルーグに達する時に、自分に必要な宗教の知識を持っていない、ということがあってはなりません。もしそうなってしまうと、まず、両親がその罪を負います。ついで、子どもが、自分に必要な宗教的知識を学ばなかった、という罪を負います。

 

ブルーグに達する前に、その印についての宗教的知識を子どもに教える必要があります。子どもが、イスラームにおいて、男の子は精通が来たら、女の子は初潮が来たら、自分が「ムカッラフ」になる、という知識、また、それらの印の意味や、それが来た場合にどう対処すべきか、礼拝は?、ウドゥーやグスルは?、などのブルーグに関するフィクフ(イスラーム法学)の知識を教える必要があります。

一部の人たちは、「そんな恥ずかしい話題をどうやって子どもにするんですか?!」と言いますが、これは、必要な知識です。現代は、テレビで、イスラームでは許されていないような恋愛ドラマを沢山放映しているにもかかわらず、性についての必要な知識を子どもに伝えることについては、「そんなことを子どもに教えるのは恥ずかしいことだ。」と言う人達がいます。子ども達は、親が教える前にとっくに知っているでしょう。しかし、きちんとした正しい知識を子どもに与えることは必要です。

 

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続)ムスリムの子ども教育-9- インターネットとSNS

2019年06月21日 | 預言者の教育方法

慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において

続)ムスリムの子ども教育-9-

 

ハビーブ・アリー・ジェフリー師(アッラーのご加護あれ)TV番組「私たちの人生14」(39:50~最後)

https://www.youtube.com/watch?v=oGtIefugW3A 

前回の復習:子どもを持つことの「目的」を明確にすること、このことによって、今後お話する多くの子育てに関する事柄が変わって来ます。すでにお子さんが大きくなっている方も、今からでも、子育ての正しいニーヤ(意思)、「アッラーのご満足を求めて、子どもを育てます。」というニーヤ(意思)をしておきましょう。

 

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質問: 子どもが大好きなアニメは、暴力や男女交際、イスラーム的に良くないことが魅力的に映し出されているけれど、だいじょうぶでしょうか?

 

回答:アニメの影響は、子どもにとって絶大です。アニメで見たことは、子ども達の心の中に深く入り込み、定着します。そして、アニメを見たがる年齢は、とても小さい時から始まります。その時期は、子どもの性格の基礎が形成され、この時期に見る物は、子どもの記憶に刻まれ、子どもの言動や性格に直接的な影響を与えます。幼児期の記憶は、無意識下の記憶として、経験則の基礎となり、その後の行動に影響を及ぼし続ける可能性が高い、という専門家の意見もあります。

 

そのため、子どもの見るアニメの中で、現代のように、暴力が使われるシーンが沢山出てきたリ、男の子と女の子がキスをしたリ、婚前の恋愛関係を奨励するような内容だったり、また他宗教の影響が大きいものだったりする場合(先生は、アラブ世界でも流行っている日本のアニメ「NARUTO ナルト」を例に挙げていました。日本神話に登場する神々の名前が多く使われ、主人公の言動にも神道の影響があるため。)、それらの影響が、子ども達の心の中に直接入り込み、子ども達がそういった間違ったものを魅力的に感じ、その価値観が心の中に浸透し、子ども達の性格や言動となって表れて来る、ということを、両親は、もっとよく考えなければなりません。

 

ムスリムの両親は、子どもが見るアニメの選択に関しても、アッラーの元で、「責任」を負っています。テレビやYouTubeなどで発信される子どもが好んでみるような番組やアニメの中には、道徳的に間違っているものや、信仰に悪影響を与える物、暴力的なシーンをたくさん含んでいる物など、子どもにとって悪い影響を与える物が多くあります。この大事な時期の子どもの記憶を守ることができるのは、親だけです。来世でアッラーに尋ねられた時に、困ることがないように、アッラーからの預かりものであるお子さんが、テレビで何を見ているのか、ネットでどんな動画を見ているのか、きちんと把握し、子ども達とよく話し合って、天国に入ることが簡単になるものを見るにはどうすればいいのかを、一緒に相談してみましょう。

 

 

質問:アメリカで行われたアンケートの統計では、36%の家族が、テレビを見ることが、唯一の家族がそろって行う団らんになっており、また、78%の家族が、テレビを見ている間、コマーシャルの時間の数分以外、一言も会話をしていない、と答えています。また、父親と子どもの間の会話は、一週間で平均 30分間である、という結果が出ています。これに関してはどうでしょうか?

 

回答:これはとても危険な傾向です。イスラームは、テレビ自体を否定するわけではありません。しかし、私たちは、「目的」を考えることを忘れてしまわないように、常に気を付けなければなりません。テレビをつける時にも、インターネットを開ける時にも、スマホを見る時にも、それがリラックスのためであったとしても、「何のためにそれをするのか」という目的を、正しく持つことを、再確認しましょう。このことは、とても大切です。それによって、さまざまな害から守られるからです。

また、テレビやインターネット、プレイステーションやゲームの普及によって、子どもとの会話の時間が減っていることは世界的な現象ですが、普段から子どもとの会話の時間を十分持つことは、子どもを良い方向に導くために、絶対に必要な前提条件です。それがなければ、子どもに善いアドバイスを与えることはできません。お子さんとこの問題について話し合って、食事中はテレビを必ず消すことはもちろん、食事以外の時も、テレビを消して会話をする時間を作ることを相談してみましょう。

 

 

質問:子どもがインターネットやSNSを使うことは、テレビを見るよりもよいことでしょうか?

 

回答:先生が、子どもに「あなたは、Facebookのアカウントを持っていますか?」と聞くと、「はい。でも、あまり使わないですよ!本当です!!」とあわてて言います。そこで、先生が、「なぜ、そんなにあわてるの?Facebookも、善いことに使えますよね?」と聞くと、子どもは、「そうだけど、、、友達の多くが、間違った使い方をしているから・・・」と答えます。間違った使い方とは、つまり、FacebookやラインなどのSNSが、イスラーム的に許されていない交友関係を持つ手段になっていたり、よくない欲求を満たす道具になっていたり、また、その中では、危険思想や危ない見解が氾濫していて、それに自分が影響を受けることを、子ども達はよく知っているためです。そのためにFacebookが、まるで悪いことの総称のようになっていて、それを善いことに使っている例を見ることも稀だからです。

 

しかし、インターネットやFacebookのようなSNSなどの技術の発展は、アッラーからのニアマ(恩恵)です。驚かれるかもしれませんが、Facebookも、アッラーからのニアマです。ただ、私たちがそのニアマをどう使うか、それだけが問題で、それこそが問われています。大人は、それらの技術の善い使い方を、子ども達に教えなければなりません。

 

しかし、普段から、子ども達との会話がなければ、そういったことを教えることは不可能です。普段から会話のない親が、子どもに、ただ、

「うちは、インターネット禁止だ!」

と言うだけで、子ども達が親の命令に従順に従うでしょうか?

無理でしょう。

もしかしたら、親の前では従っているふりをして、友達の家でずっと使っている、ということも起こりかねません。禁止にした意味を子どもが理解していなければ、何の意味もありません。

そういったことを伝えるためには、子どもをよく理解していること、また、子どもが自分は親に理解されている、と感じていること、という前提が必須です。それがなければ、善いことを子ども達に伝えることさえ不可能なことになってしまいます。

みなさんの家では、どうしょうか。SNSの使い方に関して、ルールを決めて守っているでしょうか。

 

 

質問:預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が、私たちの家を訪問したら、子ども達のインターネットの使用について、何とおっしゃるでしょうか?

 

回答:預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、子ども達に、彼らの目線に立って、彼らの興味のあることについて、よくお尋ねになられていました。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が子ども達のところに来て、子ども達が自分のFacebookやラインなどを見せた時、そこに、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)がお嫌いになられるようなものがないでしょうか。恥ずかしくて見せられないようなものがないでしょうか。今一度、お子さんたちと一緒に考えてみてください。

 

次回は、インシャーアッラー、「思春期における親子間の問題について」です。

 

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