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続)ムスリムの子ども教育-14-イスラームにおける思春期の子ども達とのかかわり方(5)

2019年12月18日 | 預言者の教育方法

慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において

 

続)ムスリムの子ども教育-14-

 

ハビーブ・アリー・ジェフリー師(アッラーのご加護あれ)TV番組「私たちの人生16」(~16:54)

https://www.youtube.com/watch?v=8IKeIlrPnnk   

前回の復習:子どもを持つことの「目的」を明確にすること、このことによって、今後お話する多くの子育てに関する事柄が変わって来ます。すでにお子さんが大きくなっている方も、今からでも、子育ての正しいニーヤ(意思)、「アッラーのご満足を求めて、子どもを育てます。」というニーヤ(意思)をしておきましょう。

 

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イスラームにおける思春期※の子ども達とのかかわり方(5)

 

※思春期:

医学的には「第二次性徴の発現の始まりから成長の終わりまで」と定義。(ウィキペディア)

イスラーム的には「10歳からブルーグ※までの時期」

※ブルーグとは?:ムカッラフ(イスラーム法学上の義務行為を行う義務が課せられる者)になること。男の子は精通、女の子は初潮が来ると「ムカッラフ」となる。ブルーグに達した子どもたちは、すでに思春期を卒業し、「ムカッラフ」として、アッラーの元でイスラーム的な義務を負う「成人」の状態になる。

 

前回の質問:イスラーム的な育て方をすると、子どもは必ずまっすぐ育ち、間違えることがありませんか?

 

回答:これに関する回答を補足します。

まず、その間違いが、自分自身に対してだけのものなのか、他人に迷惑がかかる間違いなのか、を見分ける必要があり、前回は、自分自身に対しての間違いの場合のお話をしました。

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が、

《フライム・ル=アサディーは、何と立派な男だろうか!もしも、彼が髪を長くせず、イザール(腰巻の一種)を長く垂らしていなければなぁ!》

とおっしゃって、その子のやる気を引き出し、良い方向に方向づける、という方法を取っていたことをご紹介しました。これらの間違いは、その子自身のことだけで、他人の権利を侵害しているものではない場合です。

 

一方、子どもの間違いが、他人に害を及ぼすものだった場合、どう対処すべきでしょうか。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、どうされていたでしょうか。

 

ラーフィウ・ブン・アムル・ル=ギファーリー様(彼の上にアッラーのご満悦あれ)はこう伝えています。

「私が少年だった時、私たちのヤシの木に(石を)投げていました。もしくは、アンサールのヤシの木に、と言った。すると、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が私のところにやって来て言われました。

《少年よ、(イブン・カーシブは:息子よ、と言った。)なぜヤシの木に投げるのですか?》

彼は言った。:私は、「食べます。」と言いました。

彼は言われました。《それなら、ヤシの木に投げてはいけません。木の下の部分から落ちた物を食べなさい。》

そして、彼は言った。:彼は私の頭をなでると、こう言われました。

《アッラーよ、彼の胃を満たしてください。》」イブンマージャ伝承

 

この時の預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の対処の仕方に、学ぶべきポイントがあります。

 

1.  声をかけた一言目が、《息子よ、》という優しい呼びかけだった。間違いを犯している子どもとの関係を断たない言葉がけをすること。

 

2. 《なぜヤシの木に投げるのですか?》子どもがどんなに間違ったことをしていても、必ず、理由を尋ねる。理由を聞くことで、子どもに、親が自分を理解しようとしてくれている、と思わせ、相互理解の余地があることを知らせる。特に、思春期の子ども達は、誰も自分のことをわかってくれない、大人や親は、自分の気持ちをまったくわかっていない、と思っている。それを解消するために、例え間違いを犯している子どもに対しても、言い訳を言うチャンスを与え、話し合いの余地があることを知らせる。例え、その言い訳が到底納得できないものであったとしても、子どもの言い分を聞く姿勢を保つことが大切。最も悪い対応は、最初から親が、「言い訳の余地なし!」と言い渡して、子どもの言葉に耳を傾けないこと。

 

3.子どもの行動が間違っていることを伝えるだけでなく、代わりにどうすればよかったのか、を伝える。この場合、イスラームでは、道に落ちているナツメヤシを食べることは許されているが、他人の所有物である木に石を投げて、落としたナツメヤシを食べることは禁止されているため、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、自然に落ちた物を食べるように、と代わりの方法を伝えている。

 

4.   子どもの言い訳を尊重する。食べるために、石を投げた、という言い訳を、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、尊重し、食べるためなら、落ちている物を食べなさい、と教えている。食べるためなら、他人の物を勝手に取ってもいい、というその言い訳が、イスラーム的に許されるものではないにもかかわらず、子どもの言い訳を、頭ごなしに否定して、「そんなものは理由にならない!!」とは言われなかった。

 

5.《アッラーよ、彼の胃を満たしてください。》子どもによいドゥアーをする

ラーフィウ様(彼の上にアッラーのご満悦あれ)は、この後、生涯、一度も空腹の苦痛を感じることはなかったと言われています。

 

質問:間違いを犯している子どもが、親の言葉に耳を傾けず、自分が絶対に正しい、と言い張り、反抗する場合は、どうしたらいいですか?

回答:ある時、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の元に、若者がやって来て、婚外交渉をすることを許可しろ、ととんでもない暴言を吐いたことがありました。

 

若い男が、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のところにやって来て言いました。

「アッラーの御使い様、私に、婚外交渉を許可しなさい。」

人々は、彼に向かい、非難し言いました。:「やめろ、やめろ」すると、こうおっしゃいました。

《彼を近くに来させなさい。》

そして、彼は近くに寄りました、と言った。そして、座りました。彼はこうおっしゃいました。

《あなたは、それを自分の母親に望みますか?》

彼は言いました。「いや、アッラーが、あなたのために私を犠牲になさいますように。」

彼はおっしゃいました。《人々も、それを自分の母親には望みません。》

彼はおっしゃいました。《あなたは、それを自分の娘に望みますか?》

彼は言いました。「いや、アッラーの御使い様、アッラーが、あなたのために私を犠牲になさいますように。」

彼はおっしゃいました。《人々も、それを自分の娘達には望みません。》

彼はおっしゃいました。《あなたは、それを自分の姉妹に望みますか?》

彼は言いました。「いや、アッラーが、あなたのために私を犠牲になさいますように。」

彼はおっしゃいました。《人々も、それを自分の姉妹には望みません。》

彼はおっしゃいました。《あなたは、それを自分の(父方の)叔母に望みますか?》

彼は言いました。「いや、アッラーが、あなたのために私を犠牲になさいますように。」

彼はおっしゃいました。《人々も、それを自分の(父方の)叔母達には望みません。》

彼はおっしゃいました。《あなたは、それを自分の(母方の)叔母に望みますか?》

彼は言いました。「いや、アッラーが、あなたのために私を犠牲になさいますように。」

彼はおっしゃいました。《人々も、それを自分の(母方の)叔母達には望みません。》

彼は言いました。:彼はご自分の手を男に当てると、おっしゃいました。

《アッラーよ、彼の罪をお赦し下さい。彼の心を清めてください。彼の陰部をお守ください。》

それからその若い男は、何かを気にかけることはなくなりました。

 

このハディースからいくつかの教訓を得ることができます。

1.《彼を近くに来させなさい。》子どもから到底許すことができないひどいことを言われた時、まず、子どもと向き合うことが大切。「なんてことを!!」と非難し、子どもを避けたり、無視したりするのではなく。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、まず、ひどい言葉を聞いた直後に、彼を近くに来させ、彼としっかり向き合いました。

 

2.《あなたは、それを自分の母親に望みますか?》子どもの天性と理性と、その時代の常識に訴える。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の時代は、その時代の常識と天性が一致していたため、この言葉で十分でしたが、もしかしたら、現代は、「母親が何をしようと自由だ!」と言う子どももいるかもしれません。その場合でも、「お前とは価値観が違い過ぎて、話にならない!」と切り捨てるのではなく、その時代の常識や理性に訴えかけ、それがどんな害を生み出すかを子どもが理解できるよう、丁寧に説明することが大切。

 

3.「アッラーの御使い様、私に、婚外交渉を許可しなさい。」子どもの挑発に乗らないこと。子どもは親に対して、挑発的な態度を取ったり、言葉を使ったりした時に、それに対して、親が感情的に怒ったり怒鳴ったりすることで、子どもが望む結果を与えてしまっている。

 

子どもが冒した間違いについて、じっくり話し合った結果、妥協点を見つけて、家庭のルールを決めたら、あとは、子どもを信頼している、と伝えることが大切です。もしかしたら、ルールを決めた後でも、それを破ってしまうことがある、ということは覚悟しておいてください。そして、案の定ルールが破られた時も、「やっぱり!思った通り、守れなかった。だから言ったじゃない!もう二度とあなたを信頼しないから!」と、それで、すべてを終わりにするのは、待ってください。子どもがリベンジするチャンスを与えて、子どもを信頼すること、これによって、子どもは自分の言動に責任を持つことを学んでいきます。

 

アッラーが、子ども達を正しくお導き下さいますように。

 

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