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続)ムスリムの子ども教育-4-預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の子どもたちへの教育

2018年12月24日 | 預言者の教育方法

続)ムスリムの子ども教育-4-

 

ハビーブ・アリー・ジェフリー師(アッラーのご加護あれ)TV番組「私たちの人生12」(最初13:35~22;28)

https://www.youtube.com/watch?v=JpETpYyw1zU 

前回の復習:子どもを持つことの「目的」を明確にすること、このことによって、今後お話する多くの子育てに関する事柄が変わって来ます。すでにお子さんが大きくなっている方も、今からでも、子育ての正しいニーヤ(意思)、「アッラーのご満足を求めて、子どもを育てます。」というニーヤ(意思)をしておきましょう。

 

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預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の子どもたちへの教育

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の子ども達への接し方の特徴は、物質的なものよりも、精神的なものをたくさん子ども達に与えていたことです。子ども達への愛情や思いやりもそのひとつです。小さな子どもは大人の温かい愛情が何よりも必要です。また、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が与えていたもののひとつに、子ども達へのドゥアーもあります。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、自分の子どもにも、彼(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のところにやって来る他の子ども達にも、ドゥアーをしてあげていました。子ども達は、それによって、自分に価値があることを感じ、自尊心を育むことができます。

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、道で子どもにすれ違うと、ご自分から、子どもに挨拶をされていました。現在では、子どもが大人のいるところに行くと、「あっちに行ってなさい。」「ああ、うるさい、向こうで遊んでなさい。」とすぐに邪魔者扱いすることがあります。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、決してそうではありませんでした。子ども達に尊厳を与えて、ご自分から、子ども達に挨拶をされていました。

 

子ども達にはわかります。自分達の親が、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のところに行くと、どんなに礼儀正しくしているか、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の話を聞くときには、まるで頭に鳥が止まっているように、微動だにせず傾聴し、お顔を直視することさえしないほど両親が尊敬している預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)、彼(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)がウドゥーをすると、流れ落ちる水を自分たちの手に受けようと争わんばかりになるほどの尊敬を受けているその御方が、小さな自分に会うと、自分にほほ笑まれて、自ら挨拶をしてくれることが、どんなに子どもにとって、嬉しく、自尊心を高めてくれることでしょうか。

 

《彼は、アンサールを訪問する時、子ども達の傍を通りかかると、彼らに挨拶をし、彼らの頭をなでました。》ナサーイー伝承

 

アナス様(アッラーのご満悦あれ)は言いました。

《私が預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)と一緒にいた時、子ども達の傍を通りかかると、彼らに挨拶をなさっていました。》ティルミズィー伝承

 

質問:預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、どのように子どもに教えていましたか?

回答:ある時、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が食事の席に着くと、子どもが一緒の席で食べていました。現在では、子ども達を別に座らせて食べさせることがありますが、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は大人の間に子どもを座らせて食べていました。食事のマナーを学ばせるためです。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)と同じ食事の席についていたその子は、お皿の上の料理にあちらこちらから手をつけ、食べ散らかしていました。それを見た預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、おっしゃいました。

 

《少年よ、アッラーの名を唱え、右手で食べなさい。そして、あなたの近くにある物から食べなさい。》ブハーリー伝承

 

子どもの行動を正す時の預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の言葉を見てください。まず、「少年よ」と、その子に呼びかけ、その子に対して、敬意を払っています。いきなり、「こら!左手で食べるんじゃない!」とか、「そんな風に食べ物をぐちゃぐちゃにすんじゃない!」と怒ったり、叱ったりはされませんでした。子どもがすべきことを、丁寧にきちんと教えていらっしゃいました。

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の女児の待遇

 

また、ある時、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が礼拝のためにモスクに入ると、娘さんのザイナブ様(彼の上にアッラーのご満悦あれ)の子どもである、孫のウマーマがよちよち歩きで後を付いてきました。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が、イマームとして礼拝に立つと、ウマーマを抱き上げ、礼拝を始めました。ルクウ(屈身礼)の時もウマーマを抱いたまま行い、そのまま直立に戻り、サジダ(跪拝(きはい))をする時には、ウマーマを横に置き、サジダをしました。2ラカート目に立った時には、ウマーマを抱き上げて立ち礼拝を続けました。

 

この預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の振舞いから、イスラーム学者達は、幼児を抱いて礼拝する方法や、礼拝中の余分な動きについての見解など数多くのフィクフ(イスラーム法学)の見解を導き出しました。それと同時に、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のこの振舞いには、人々への教育的な教えが含まれていました。

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の時代は、まだ女の子が産まれると生き埋めにしていた無名時代が終わったばかりで、人々の間には、女児への嫌悪感が残っていました。子どもが産まれると、男の子なら喜び、女の子なら悲しむという時代でした。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)がイスラームを伝え、イスラームがその悪習を払しょくしました。その時代に、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が女児を抱いたまま、大勢のサハーバ達(アッラーのご満悦あれ)の前にイマームとして立ち、女児を抱えたまま礼拝をするという行いは、人々に、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が、女児に対して喜びを持って迎えているということを広く知らしめました。

 

現代においても、地域によっては、女児よりも男児の方が喜ばれるという無名時代の名残があることがありますが、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、そのことに満足なさいませんでした。なぜなら、そうした偏見を持った大人たちの女児を見る眼差しや接し方が、何も言わなくても、その子の中に大きな影響を与えることをご存知だったからです。また小さな子どもへの気配りや保護についても、このハディースは教えてくださっています。

 

礼拝の邪魔をする子どもについて

 

ある時、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が集団礼拝をしていた時、サジダ(跪拝(きはい))をされたまま、長い間、そのまま動かなくなりました。サハーバ達(アッラーのご満悦あれ)は、礼拝中に預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)に何かあったのかと心配になるほど、そのサジダは長く続きました。あるサハーバは心配になり、頭を上げて預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)を見ると、孫のハサン様かフサイン様(お二人にアッラーのご満悦あれ)が、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の背中に乗っていて、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はその姿勢から動きませんでした。集団礼拝のイマームをしていて、子どもが背中に乗り終わるまで、ずっとサジダの姿勢で待っていたのです。

 

現代は、子どもが礼拝の場所に来ると、「うるさい!」「静かに!」「あっちに行きなさい。」と適当にあしらったり、もしくは、「こっちに来て、テレビを見てなさい。」「YouTubeを付けてあげるから、見てるのよ。」と言って、子どもにスマホやパソコンを与えています。なぜでしょうか?ただ、子どもを静かにさせて、子どもに邪魔されず、自分のしたいことをするためです。しかも、子どもがテレビで何を見ているのか、スマホでどんなゲームをしているのか、注意を払うことがありません。ただ、子どもが静かになればそれでいい、とばかりに、子どもにネットを与えてしまいます。

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、子どものために、集団礼拝のイマームをしていた時さえ、サジダを長くなさいました。礼拝が終了すると、サハーバ達(アッラーのご満悦あれ)が、サジダが長かったのであなたに何か起きたのか、それとも、啓示が下りたのでしょうか、と尋ね、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、

《そうではありません。ただ、この子が、私に乗ってきたので、彼の要求を満たすまで、急かせたくなかったのです。》

とおっしゃいました。子どもを無理やり下すどころか、背中の上から満足して自分で下りるまで、そのままにして、サジダを続けられたのです。

 

現代では、礼拝中に子どもが背中に乗って来たり、礼拝しているところを邪魔すると、親が、子どもを叩いて向こうに行かせ、それをタクワー(アッラーへの畏怖)の行為だと思っていたりします。先日、先生がエジプトのアズハルモスクで礼拝をした時、一列目に並んでいたら、そこに小さな子どもがやって来て、それを見た大人が、怒った様子で向こうへ行け!とすごい形相で指を差し、子どもはびっくりして逃げて行きました。もちろん、礼拝をしている人の前を通ることは避けなければならないことですが、「教え方」があります。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、礼拝中であっても、子どもを背中から降ろさずにそのままにしておかれたことを考える時、子どもへの接し方を反省させられます。

 

また、この預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の行為から、ある学者は、ハサン様かフサイン様(彼の上にアッラーのご満悦あれ)が、大勢の大人たちが並んで礼拝している集団礼拝の最中に、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の背中に乗った、ということは、家や他の場所でもいつも預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)がそうしていた、という印だ、と言っています。確かに、マスジドの荘厳な雰囲気の中で、今までやったことがないことを小さな子どもが突然するのは難しいでしょう。これは、いつも預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の背中に乗って遊んでもらったり、ということが、習慣になっていたことの印だということです。

 

私たちが、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のように子ども達に接することができますように。

 

 

ムスリムの子ども教育10~家庭の重要性 

 

 


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