イスラーム勉強会ブログ

主に勉強会で扱った内容をアップしています。

69章解説【4】

2014年06月05日 | ジュズ・タバーラカ解説
30.(火獄の番人たちに対し言われる)「おまえたち、彼を捕らえ、彼を縛れ」。
31.「それから、焦熱地獄に彼をくべよ」。
32.「それから、長さが70腕尺の鎖の中に、彼を差し込め(繋げ)」。
33.「まことに、彼は大いなるアッラーを信じていなかった」。
34.「また、貧困者の食事(の施し)を勧めなかった」。
35.「それゆえ、今日、彼はここでは近しい者はなく、
36.「また膿のほかに食事はない」。
37.「それを食べるのは過ちを犯した者たちだけである」。
38.それでわれはおまえたちが見るものにかけて誓おうではないか。
39.また、おまえたちが見ないものにかけて(誓おうではないか)。
40.まことにそれ(クルアーン)は高貴なる使徒の言葉である。
41.そして、それは詩人の言葉ではない。おまえたちはほとんど信じない。
42.また、(それは)巫蠱(ふこ)の言葉でもない。おまえたちはほとんど留意しない。
43.(それは)諸世界の主からの降示である。

「(火獄の番人たちに対し言われる)「おまえたち、彼を捕らえ、彼を縛れ」。「それから、焦熱地獄に彼をくべよ」。「それから、長さが70腕尺の鎖の中に、彼を差し込め(繋げ)」。」

この罪人を捕らえ、その両手と両足を鎖で縛って、火獄の中に入れて苦しめろ、そして鉄で出来た70腕尺の鎖で彼の身体を繋げ、との命令です。

続いてアッラーはこの罪人が罰を受けることになった原因を解明し給います:
「「まことに、彼は大いなるアッラーを信じていなかった」。「また、貧困者の食事(の施し)を勧めなかった」。「それゆえ、今日、彼はここでは近しい者はなく、「また膿のほかに食事はない」。「それを食べるのは過ちを犯した者たちだけである」。」

この不幸者が来世で罰を受けることになった原因:アッラーへの不信・忘恩、アッラーの唯一性を信じなかった、貧しい者への慈悲の気持ちの無さ、です。そのためこのような不信仰で不幸者に来世では「近しい者」つまり彼が陥ってしまった災難から救い出してくれるような親しい人はいない、ということです。また火獄では彼に食事は「膿のほかに」ありません。それは、食べ物の中でももっとも醜いものと言われます。また火獄の中にいる人たちの身体から流れ出る液体とも言われます。それを食べるのは、「過ちを犯した者たちだけ」です。

次にアッラーは世界の存在の秘密にかけて、クルアーンがその使徒ムハンマド(アッラーの祝福と平安あれ)に伝え給うた彼からの啓示であることを誓い給います:

「それでわれはおまえたちが見るものにかけて誓おうではないか。また、おまえたちが見ないものにかけて(誓おうではないか)。まことにそれ(クルアーン)は高貴なる使徒の言葉である。そして、それは詩人の言葉ではない。おまえたちはほとんど信じない。また、(それは)巫蠱(ふこ)の言葉でもない。おまえたちはほとんど留意しない。(それは)諸世界の主からの降示である。」

至高なるアッラーは存在するすべてのもの、物質世界においてであっても精神世界においてであっても見えるものと見えないものにかけて誓い給いました。物質世界に関して言えば、科学は今もまだ閉ざされている自然の秘密を発見し続けています。大きな望遠鏡が作られると人間は今まで目にされることのなかった数億もの星を発見しました。またものを数十万にも拡大する顕微鏡が作られると、人間は細胞の驚異と不思議を前にそれらを創造した神の御力を讃えては狼狽しました。また細胞は地球に存在する生き物全ての素でもあります。人間はほかに、今まで知らなかった地球の自然が持つ不思議を発見しました。だからこそこれらの存在の秘密に関連するこの誓いの言葉は素晴らしいと言えるのです。

アッラーは、クルアーンとは高貴な使徒であるムハンマド(アッラーの祝福と平安あれ)が読んでいるものであると先ほどの言葉で誓い給いました。かつて預言者(アッラーの祝福と平安あれ)の任務を拒否した人たちの中には、彼は詩人であると言いましたが、アッラーはそれを否定し給いました。なぜならクルアーンはその構造が詩のそれとは異なっており、またムハンマド(アッラーの祝福と平安あれ)が預言者となる前とその後共に、彼が詩を作ったことがないと知られていたからです。

また次の聖句:「おまえたちはほとんど信じない」はおまえたちは元来より信じない、または心の中で信じてはいるがすぐに信じなくなる、という意味です。またアッラーは預言者から占い師の性質を取り除き給いました。なおアラブにおける占い師とは、秘密を知っているとか不可視を見ることが出来ると主張する者をさします。「おまえたちはほとんど留意しない」つまりクルアーンがアッラーの御言葉であってそれは占い師の言葉に似るものではないことからおまえたちが訓戒を得ることは少ない、という意味です。またかつてのアラブの占い師たちは独特の言葉の使い方、つまり韻の踏み過ぎ、そして謎めいた言葉の使いすぎで知られていました。また彼らはアッラーへの崇拝や道徳、多神崇拝と腐敗との戦いに人々を誘うことはありませんでした。

先述の節:「まことにそれ(クルアーン)は高貴なる使徒の言葉である」に注意です。この節はつまりクルアーンはムハンマド(アッラーの祝福と平安あれ)の言葉である、とあります。節は、「まことにそれ(クルアーン)は高貴なる使徒の言葉である」つまり彼は個人的にそれを言っているのではなく、アッラーから送られた使徒してそれを言っている、という意味です。このことを次に続く聖句が明白にします:「(それは)諸世界の主からの降示である」つまりアッラーからの啓示であるということです。

参考文献:ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ タバーラカ/アフィーフ・アブドゥ=アル=ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーンP55~57)
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69章解説【3】

2014年05月01日 | ジュズ・タバーラカ解説
19.そこで、己の記録簿を右手に渡される者については、彼(その者)は言う、「さあ、あなたたち、私の帳簿を読んでくれ」。
20.「まことに、私は己の清算に出会うと考えていた」。
21.それで彼は満悦の生活にある。
22.高い楽園の中で。
23.その果物は手近にある。
24.「喜んで食べ、飲むがよい。過ぎ去った日々におまえたちが前もってなしたことゆえに」。
25.だが、己の記録簿を左手に渡される者については、彼(その者)は言う、「ああ、私の帳簿が私に渡されなければ良かったのに」、
26.「そして、私の清算がどんなものかを知らなければ(良かったのに)」。
27.「ああ、それ(現世での死)が終結であったなら良かったのに」。
28.「私の財産は私に役立たなかった」。
29.「私から私の権威は消滅した」。

審判の日になると、人々は2集団に分かれます:無罪な人たちと、有罪な人たち。クルアーンはまず無罪な人たちに起こることについて言及します:
「そこで、己の記録簿を右手に渡される者については、彼(その者)は言う、「さあ、あなたたち、私の帳簿を読んでくれ」。「まことに、私は己の清算に出会うと考えていた」。」
信仰者は己の帳簿―つまり己の行いが記されたもの―を右手で受け取ります。この帳簿こそが彼が楽園に入るのを相応しくする『証明書』なのです。そのため受け取る者は喜びでいっぱいになるので、思わず回りにいる人たちに、「さあ、あなたたち、私の帳簿を読んでくれ」と言います。つまり、主の御満足に適った私の行いが記録されたこの帳簿を読んでくれ、ということです。「まことに、私は己の清算に出会うと考えていた」現世にいたときにアッラーが来世で私を清算し給うことを確信していた、という意味です。

続いてクルアーンはこの信仰者の来世がどのようなものかを描写します:

「それで彼は満悦の生活にある。高い楽園の中で。その果物は手近にある。「喜んで食べ、飲むがよい。過ぎ去った日々におまえたちが前もってなしたことゆえに」。」
信仰者はアッラーから報奨を得る楽園での生活に満足します。また彼は、「高い楽園の中で」す。つまり視覚的にそれは高い場所にあり、抽象的にも位の高いものだと言えます。「その果物は手近にある」楽園内の果物はそれをもぎ取ろうとする人の手から近い場所にあります。そこで彼らに声が掛けられます:「喜んで食べ、飲むがよい」と。「過ぎ去った日々におまえたちが前もってなしたことゆえに」アッラーからおまえたちへの報奨として。そしておまえたちが己の来世のために現世で成してきた行いに対する褒美として。

続いて、クルアーンは来世では不幸者となる人たちの生活を解明します:
「だが、己の記録簿を左手に渡される者については、彼(その者)は言う、「ああ、私の帳簿が私に渡されなければ良かったのに」、「そして、私の清算がどんなものかを知らなければ(良かったのに)」。「ああ、それ(現世での死)が終結であったなら良かったのに」。「私の財産は私に役立たなかった」。「私から私の権威は消滅した」。」

不幸者は己の行いが記録された帳簿を左手で受け取ります。それこそは災難と悪い結末の知らせです。その瞬間、清算を不利にする醜い行いが記された帳簿が渡されなければ良かったのにと熱望します。「ああ、それ(現世での死)が終結であったなら良かったのに」つまり現世で経験した死が己にとって最終の結末であれば良かったのに、そうであれば生きて甦らされることなんてなかったのにと熱望します。「私の財産は私に役立たなかった」つまり彼の財産は何も彼を罰から守ってくれなかった。「私から私の権威は消滅した」つまり来世に清算なんてないんだという彼の現世での主張、または他人に対して持っていた権力は消え、もう彼には力となる人も援助者もいないということです。
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69章解説【2】

2014年04月11日 | ジュズ・タバーラカ解説
9.また、フィルアウンと彼以前の者、そして転覆した諸都市は罪過をもたらした(犯した)。
10.また、彼らは彼らの主の使徒に背き、それゆえ、彼(アッラー)はいや増す捕獲で彼らを捕らえ給うた。
11.まことにわれは、水が溢れた時、おまえたち(の祖先)を船で運んだ。
12.われらがそれをおまえたちへの教訓とし、注意深い耳がそれを覚えるために。
13.それで角笛が一吹き吹かれた時、
14.そして大地と山々が持ち運ばれ、両者が一打で粉砕された(時)。
15.それでその日、かの出来事は起こり、
16.そして天は裂けた。それその日、脆いのである。
17.そして、天使(たち)はその(天の)端々の上にいる。そして彼ら(天使たち)の上にあるおまえの主の玉座を、その日、8(天使)が支える。
18.その日、おまえたちは晒され、おまえたちの(たった)一つの隠し事すら隠れることはない。

「また、フィルアウンと彼以前の者、そして転覆した諸都市は罪過をもたらした(犯した)。また、彼らは彼らの主の使徒に背き、それゆえ、彼(アッラー)はいや増す捕獲で彼らを捕らえ給うた。」

 フィルアウンとは、古代エジプトにおけるエジプトの王座に就く王の称号ですが、この章で言われるフィルアウンは、ムーサー(平安あれ)の時代に存在した王です。「彼以前の者」つまり彼の前に存在した不信の民、「転覆した諸都市」つまり転覆した諸都市は、ルートの民が住んでいたその地面と空が逆さまになった諸都市です。転覆され、そこに住む人たちが滅ぼされた理由は、彼らが「罪過を」犯したためです。その罪とは、男色行為でした。「また、彼らは彼らの主の使徒に背き」アッラーから送られて来た使徒に背いたということです。「それゆえ、彼(アッラー)はいや増す捕獲で彼らを捕らえ給うた」つまりその時アッラーは激しさにおいて度を越した捕らえ方で彼らを捕らえ給うた、ということです。

 続いて簡素にクルアーンは、ヌーフの民に起きた洪水や船について、祖先を救われたことをありがたくアラブが思うよう示唆するかたちで述べていきます:

「まことにわれは、水が溢れた時、おまえたち(の祖先)を船で運んだ。われらがそれをおまえたちへの教訓とし、注意深い耳がそれを覚えるために。」

 「水が溢れた」とはつまり一線を越えて上昇したという意味で、洪水を指します。「おまえたち(の祖先)を船で運んだ」つまりおまえたちの祖先をヌーフの船に乗せたということです。アッラーが祖先を救助し給うたということは、彼らの子孫を救助し給うたことになります。またヌーフの船がアル=ジャーリヤ(走るもの、という意味)と呼ばれたのは、水の上を走るからです。「われらがそれを」つまりアッラーが信仰者たちを船で救い、不信仰者たちを溺れさせ給うたことを。「おまえたちへの教訓とし」つまり見本、説教、アッラーの御力とのその英知の根拠として。「注意深い耳がそれを覚えるために」この話を聞いて益を得る、教訓を覚え理解する耳。そのような耳も持ち主はアッラーに罰せられないよう、アッラーに背く行為に注意します。

 至高なるアッラーが述べ給うた、沈没や洪水といった自分たちの預言者たちを嘘つき呼ばわりした過去の共同体が迎えた結末は、次のようにアッラーが描写し給う審判の日の恐ろしさに比べるとあまり重要でなさそうに見えます:

「それで角笛が一吹き吹かれた時、そして大地と山々が持ち運ばれ、両者が一打で粉砕された(時)。それでその日、かの出来事は起こり」

 角笛への一吹きは、審判の日と世界の滅亡到来の徴候です。山々と大地の表面は元の位置から上昇して、お互いにぶつかりあい、粉々になり、すべてが平たくなります。これが起こって、何を待つというのでしょう。アーヤは答えます:「それでその日、かの出来事は起こり」つまりその時にこそ、審判が起こるということです。

 審判の発生は、天が裂けることも引き起こします:「そして天は裂けた。それその日、脆いのである。」亀裂が入るということは、精密に創られた作りの構造が壊れることです。かつてしっかりしていた天は裂け、脆くなります。

 恐ろしい光景の後、クルアーンはアッラーの威厳とこの地球を支配している彼の強大さを描写します:
「そして、天使(たち)はその(天の)端々の上にいる。そして彼ら(天使たち)の上にあるおまえの主の玉座を、その日、8(天使)が支える。」

 天使はこの天の端々に、そしてアッラーの玉座を8の天使または8列の天使が担ぎます。玉座という言葉は権力、王権を指しており、人類はその名前でしかアッラーの玉座の真実を知ることが出来ません。そして人々はこの日、現世で成してきた行為の清算のためにアッラーに晒されますが、その一つであってもアッラーから隠されることはありません。「その日、おまえたちは晒され、おまえたちの(たった)一つの隠し事すら隠れることはない」

参考文献:ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ タバーラカ/アフィーフ・アブドゥ=アル=ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーンP49~51)
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69章解説【1】

2014年03月27日 | ジュズ・タバーラカ解説
1.必ず実現するもの、
2.必ず実現するものとは何か。
3.必ず実現するものとは何かを、何がおまえに分からせたか。
4.サムード(族)とアード(族)は、大打撃(最後の審判の日)を嘘として否定した。
5.そこでサムード(族)については、彼らは大音響によって滅ぼされた。
6.またアード(族)については、彼らは強力な突風によって滅ぼされた。
7.彼(アッラー)は彼らの上に7夜8日の連日連夜それ(突風)を従わせ(吹かせ)給うた。そして、おまえはその(突風)中で民が、まるで空洞になって倒れたナツメヤシの幹のように、投げ倒された(死んだ)のを見る。
8.おまえは彼らに生き残りがいるのを見るか。

過去の共同体がアッラーの使徒たちを嘘つき呼ばわりした罰の報復として被った罰がどんなものであったかをこの章が解説しています。また、審判の日の恐ろしい光景や、その後に起こる人々の行いに対する清算についても扱われます。一団は楽園へ、残りの一団は業火へと。

まず初めの3節は短く、連続します。それらは強烈で、表現は新鮮です。そして残りの節は少しずつ少しずつ長くなっていきます:

「必ず実現するもの、必ず実現するものとは何か。必ず実現するものとは何かを、何がおまえに分からせたか。」

アル=ハーッカは、審判の日の名称の一つで、「何かが真実となる」という、何かが確定し、それに疑いがないことを意味します。この名がついた背景として、その実現が確定しており、実現された際には行為に対する報復が実現することが言われます。「必ず実現するもの」は、審判の日の新しい表現であり、カーフ音がシャッダで読まれることで聞く者に印象を与えます。またカーフ音の前のハーゥ音が6拍伸ばされている点もカーフ音の強調を際立たせます。そして次に続く御言葉は「必ず実現するものとは何か」ですが、質問文とすることで、その日の恐ろしさを表しています。「何が必ず実現するものなのか?それは重要なことである」という意味となります。続いて、「必ず実現するものとは何かを、何がおまえに分からせたか」つまり、おまえはその本当のところについては無知であり、それは偉大な出来事とあらゆる出来事を集めた内の一つであるが、誰にもそれを認識することが出来ないものである、という意味です。

このような印象的な始まり方をするこの章は、その後に述べられる過去の共同体の話に意識を集中させます。これらの話は要約された形で述べられることで、審判の日の到来を確信せず預言者たちを嘘つきと決めた集団が辿った結果について考えるようにと頭脳に働きかけようとします:

「サムード(族)とアード(族)は、大打撃(最後の審判の日)を嘘として否定した。そこでサムード(族)については、彼らは大音響によって滅ぼされた。またアード(族)については、彼らは強力な突風によって滅ぼされた。」

サムードとアードについて、アラブが知らなかったわけではありません。彼らは滅ぼされた現存しないアラブの古い民族です。サムード族はヒジャーズのヒジュルの地に住み、アッラーは彼らに預言者サーリフ(彼の上に平安あれ)を送りました。アード族はイエメンとオマーンの間のハドラマウトからアッシヒルまでの箇所に居住し、アッラーは彼らにフード(彼の上に平安あれ)を預言者として送りました。

サムードとアードは「大打撃」を嘘として否定しました。これは審判の名の一つです。心と魂を恐怖と心配で揺るがすためにこのような名がつきました。彼らが審判を否定し、自分たちの行為が清算される来世における命が嘘であると主張していたことが彼らを不正と腐敗の道に導いたことで、彼らにはアッラーの怒りと彼による罰が相応しくなったのです:「そこでサムード(族)については、彼らは大音響によって滅ぼされた」つまり、彼らの罪によって滅ぼされたという意味です。アッ=ターギヤとは、不信と罪において度を超す事を指します。また、アッ=ターギヤとは、落雷という意味もあります。破壊と滅亡における描写の度を越したのでアッ=ターギヤと付けられたとも言われます。

代わってアード族の結末は、アッラーが次のように仰せになった通りです:「またアード(族)については、彼らは強力な突風によって滅ぼされた」強力な突風とは、強く冷たい風を指します。サルサルとの表現が使われたのは、風の音の強調のためです。まさに風の音がちょうど、この表現に現れているからです。またこの風は、強力であった、つまり激しさと冷たさにおいて度を越したという意味です。または、アード族に強力に襲ったため、彼らはこの風を追い払うことも、それから身を守ることも出来なかったという意味です。この風は激しさを保ったまま数日間続けて残りました:

「彼(アッラー)は彼らの上に7夜8日の連日連夜それ(突風)を従わせ(吹かせ)給うた。そして、おまえはその(突風)中で民が、まるで空洞になって倒れたナツメヤシの幹のように、投げ倒された(死んだ)のを見る。おまえは彼らに生き残りがいるのを見るか。」

アッラーはこの風を7夜8日の連日連夜に渡り、彼らが滅びるまで送り給いました。人々は投げ飛ばされて、あちこちに死体となって、大地に放り出された空洞のナツメヤシの幹のようでした。

続いて、思考と観察に導く疑問詞が登場します:「おまえは彼らに生き残りがいるのを見るか」つまり彼らの中に生き残った者がいるのが見えるか?いや、けっして、という意味です。

これは、アードとサムードについてです。彼ら以外の預言者を嘘つき呼ばわりしていたフィルアウンやその民の結末も同じようなものでした。また他に、彼以前に存在した間違った共同体、そしてルートの民もです。

参考文献:ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ タバーラカ/アフィーフ・アブドゥ=アル=ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーンP47~49)
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70章解説【4】

2014年03月06日 | ジュズ・タバーラカ解説
32.また彼ら、己の信託物や約束を守る者たち、
33.また彼ら、己の証言を果たす者たち、
34.また彼ら、己の礼拝を履行する者たち。
35.それらの者たちは楽園にいて、厚遇を受けている。
36.それで信仰を拒んだ者たちがおまえの方を見据えて早足で近寄ってくるのはどうしたことか。
37.右にも左にも、群れをなして。
38.彼らの誰もが至福の楽園に入ることを望むのか。
39.断じて。まことにわれらは彼らを彼らが知っているもの(精液)から創った。
40.(天体の)昇る諸々の場と(天体の)沈む諸々の場の主に誓おうではないか。まことにわれらには可能である。
41.(彼らを)彼らより良い者に取り替えることが。そしてわれらは出し抜かれることはない。
42.それゆえ、彼らに約束された彼らの日(審判の日)に彼らが出会うまで(虚偽に)耽り、戯れるままに放っておけ。
43.彼らはが墓所からあわただしく出る日、ちょうど彼らが偶像に急いだように。
44.彼らの目は伏せられ、卑しめが彼らを捉えた状態で(急ぐ)。それが彼らに約束されていた日である。

信仰者の特徴の説明が続きます:
「また彼ら、己の信託物や約束を守る者たち」信託物とは、アッラーから人間に託された、人間が遵守すべき教えや法を指し、他に、被造物から託される預け物などを意味します。約束には、ある誓いや行為など人間がアッラーのために自身に課したもの、人々の間で交わされる契約や、国々の間で締結される条約が含まれます。信仰者は信頼されれば裏切らず、約束をしたなら、それを必ず果たします。

信仰者の他の特徴:
「また彼ら、己の証言を果たす者たち」裁判の際には、きちんと証言し、隠したり、内容を変えたりせず、くねくねすることもなく、真実に基づいて力強く証言します。こうすることで、諸権利が守られます。

クルアーンは最後の彼らの特徴を述べます:
「また彼ら、己の礼拝を履行する者たち」礼拝を行う時間を無駄にせず、礼拝を遵守します。彼らは礼拝成立のための条件やマナーを実践します。礼拝中には畏敬の念を常に抱く、アッラーから見られているとの気持ちを抱く、見栄を張ることから注意する、ということは言うまでもありません。

ここで、礼拝という言葉が二度に渡って登場したことに気づくでしょう。初めは信仰者たちの特徴の初めの部分で、二度目はその終わりの部分で出てくるところからその重要性がうかがえます。このような形で登場することで、信徒たちに礼拝の大切さに目を向け、履行させようとします。

これらの特徴を備えた信仰者たちにアッラーは来世における至福を約束し給いました:「それらの者たちは楽園にいて、厚遇を受けている。」彼らは永遠の楽園でさまざまな種類の彼らを喜ばせ、幸福を感じさせるものでの厚遇を受けます。

続いてクルアーンは、不信仰者の預言者(アッラーの祝福と平安あれ)に対する接し方を描写します:

「それで信仰を拒んだ者たちがおまえの方を見据えて早足で近寄ってくるのはどうしたことか。右にも左にも、群れをなして。」

「近寄ってくる」の他に、「おまえを凝視する」という意味とも言われます。「群れをなして」:クルアーンを聞くためにおまえに早足で近寄って来て、おまえのまわりに右にも左にも座っておまえを凝視しているが、けっして導かれることを望んでいるからでも、おまえから聞くものから益を得ようとしているためでもない、かれらはおまえを嘲笑し、嘘つき呼ばわりするためにそうしている、という意味です。彼らはそのような状態の中で、お互いに次のように言い合っていました:ムハンマドが言うように、あいつら-信仰者たち-が楽園に入るのなら、われわれは先に入ってやろうじゃないか。つまり自分たちはクライシュの貴族であるから、信仰者よりも楽園に入ることがより相応しいと意味しているのです。そこでアッラーは次のように答え給います:

「彼らの誰もが至福の楽園に入ることを望むのか。断じて。まことにわれらは彼らを彼らが知っているもの(精液)から創った。」

彼らはこの不信仰さやアッラーの呼びかけに対する無応答といった態度で楽園にはいることを望んでいるのか、という意味です。「断じて」彼ら不信仰者たちが望むとおりにはならない、つまり彼ら一人一人全てが楽園に入ることはない。そしてアッラーは彼らの意識を彼らのつくりの素に向けさせ給います。それは尿道から出てくる精滴です。そのため、彼らが高慢となり、報復の日を否定することは正しいとは言えないのです。

そしてアッラーは彼らに滅亡があるだろうと警告し給います:
「(天体の)昇る諸々の場と(天体の)沈む諸々の場の主に誓おうではないか。まことにわれらには可能である。(彼らを)彼らより良い者に取り替えることが。そしてわれらは出し抜かれることはない。」

アッラーは御自身で誓い給いました。彼こそは、(天体の)昇る諸々の場と(天体の)沈む諸々の場の主であり、彼らを滅ぼすことや、彼らよりも良き人たちを替わりに出現させることが可能です。しかし、彼の御計画は彼らへの懲罰を遅らせることになりましたが、彼が現世で彼らを罰し給わない場合、この章の締めくくり部分が述べているように、来世で罰が執行されることになります:

「それゆえ、彼らに約束された彼らの日(審判の日)に彼らが出会うまで(虚偽に)耽り、戯れるままに放っておけ。彼らはが墓所からあわただしく出る日、ちょうど彼らが偶像に急いだように。彼らの目は伏せられ、卑しめが彼らを捉えた状態で(急ぐ)。それが彼らに約束されていた日である。」

ムハンマドよ、彼らが不正に耽り、現世で戯れるままに放置しておきなさい。「約束された彼らの日(審判の日)に彼らが出会うまで」つまり、彼らの不信仰の報いであるアッラーが約束し給うた審判の日の罰に出会うまで、という意味です。「彼らはが墓所からあわただしく出る日」墓からで出て清算を受ける場所へと急ぐ日です。「ちょうど彼らが偶像に急いだように」誰が真っ先にそれを崇めに来るのかというほど急いでいます。「彼らの目は伏せられ」彼らの視線は低く、静かで、受けるであろう罰の前で上げることはありません。「卑しめが彼らを捉えた状態で」彼らを卑しさと惨めさが覆います。「それが彼らに約束されていた日である」つまり彼らがかつて嘘であると言っていた、罰を受けると約束されていた審判の日です。それが今、彼らの目の前で実現しているのです。この章の冒頭に出て来た罰に関する質問に、アッラーは章の最後部で答え給うています。

参考文献:ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ タバーラカ/アフィーフ・アブドゥ=アル=ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーンP71~74)
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70章解説【3】

2014年02月20日 | ジュズ・タバーラカ解説
23.彼らは己の礼拝を履行する者たちであり、
24.また己の財産において一定の権利(貧者の取り分)が存在する者たち、
25.乞い求める者と禁じられた者(生活手段を断たれた者)の(権利として)。
26.また、宗教(裁き)の日を真実と認める者たち、
27.彼らの主の懲罰から不安を抱く者たちである。
28.まことに、彼らの主の懲罰は安全ではない。
29.また彼ら、己の陰部を守る者たち、
30.ただし、己の妻たち、または己の右手が所有するもの(女奴隷)に対しては別である。まことに彼らは非難を免れた者である。
31.それでその先を求める者、それらの者たちは法を越えた者である。
32.また彼ら、己の信託物や約束を守る者たち、
33.また彼ら、己の証言を果たす者たち、
34.また彼ら、己の礼拝を履行する者たち。
35.それらの者たちは楽園にいて、厚遇を受けている。

続いてアッラーは、先ほど除外し給うた礼拝する者たちを描写して仰せになります:「彼らは己の礼拝を履行する者たちであり」この聖句は、五回の礼拝の履行と、畏敬やアッラーに純粋に気持ちを向けるといった礼拝の権利を全うすることを意味しています。礼拝を継続して行うことは、心を繊細にし、心がかたくなってしまうのを防ぎます。また、礼拝者を貧者を救済しようという気持ちに向けます。そのために至高なるアッラーは礼拝者たちの描写として次の言葉を続け給います:

「また己の財産において一定の権利(貧者の取り分)が存在する者たち」

聖クルアーンは、義務のザカーを「一定の権利(貧者の取り分)」と表現しました。なぜなら、信仰者はザカーがアッラーに属する権利であることを知っているため、それを履行し、それを受け取るに相応しい人たちの権利から差し引いたりすることはないからです。またクルアーンはザカーを:「乞い求める者」のものとしました。乞い求める者とは、足りないものを人々に求める者です。また「禁じられた者(生活手段を断たれた者)」のものともしました。禁じられた者とは、誰にも何も求めず、また貧しさが知られていないような控えめな貧者のことです。または、大災害に遭った結果、財産を失ってしまった者、または糧を与えられずにいる者を指します。このように、禁じられた者にもザカーにおいて乞い求める者と同等の権利があります。

クルアーンは人々の間にみじめな者や禁じられた者が残ってしまわないように、この立法によって、社会的公正と社会連帯の設立を目指します。ザカーの義務は、履行者である富者が好めば払ったり払わなかったり、というような自我の意志によって決定されるものではありません。ザカーは、アッラーが富者に与え給うたお金における貧者の権利であるため、その履行は義務なのです。そのため、預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)はザカーを回収し、追従者たちに富者からそれを集めるよう命じておられたのです。しかし彼の死後、アラブの一部がザカーの放棄を宣言したため、後継者であるアブーバクル(アッラーの御満悦あれ)が彼らが宣言を撤回するまで戦ったという歴史が残っています。

アッラーによる信仰者の描写は続きます:「また、宗教(裁き)の日を真実と認める者たち」死後の審判の日に甦りと報復が起こることを認めているということです。報復の日を真実と認めることは、人生の軸であり、それによって秤が真っすぐになります。その日を真実と認めない人は、現世の生活こそがすべてであることを基に行動するので、罪に浸り、アッラーの権利に対する怠慢や過失をなんとも思いません。代わって報復の日を真実と認める人は、この生活は死後に続く、至福となるか罰となるかの永遠に消えない命の始まりであると理解した上で、己の行動を量ります。

信仰者の特徴には次のものが挙げられます:
「彼らの主の懲罰から不安を抱く者たちである。まことに、彼らの主の懲罰は安全ではない。」

信仰者たちは、自分らの主の懲罰から「不安を抱く者たちである」つまり、怖れているということです。なぜならどんなに服従していたとしても、誰もこの懲罰から安全で居られることはないからです。アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は常にアッラーに対する畏れの念を抱いておられましたが、アッラーからの慈悲なしでは己の行為のみで楽園に入れることはないと確信しておられました。彼はかつて教友に次のように言われました:《誰も己の行為で楽園に入ることはない。》あなたさまもですか?アッラーの使徒さま。彼は言われました:《アッラーがその御慈悲の徳で私を覆ってくださらないかぎり、私も同じである》。(アル=ブハーリーとムスリムが伝承)

信仰者の特徴として次のものも挙げられます:
「また彼ら、己の陰部を守る者たち、ただし、己の妻たち、または己の右手が所有するもの(女奴隷)に対しては別である。まことに彼らは非難を免れた者である。それでその先を求める者、それらの者たちは法を越えた者である。」

信仰者は貞操を守り、妻か、己が所有する女奴隷としか交わりません。彼らはこのことにおいて非難されることはありません。しかし妻以外の女性や女奴隷と交わる者たちは、合法を通り越して禁止を犯しています。

ここで、奴隷に関するさまざまな疑問に答えるために少し立ち止まりましょう。夫婦関係は、どこの習慣でも法律でも存在している制度です。「または己の右手が所有するもの(女奴隷)」つまり所有する女奴隷については少し解説が必要かもしれません:

イスラームが到来した当時、奴隷制度は世界的に存在していました。戦争捕虜を奴隷にすることも国際的な制度として定着していました。そのため敵たちと常に争っていたイスラームがこの制度を消し去ることはできませんでした。ムスリムの捕虜は敵の許で奴隷にされるのに、イスラームは捕らえた敵の捕虜を自由の身にする、ということはできないからです。

そこでイスラームは、捕虜が平等扱われる制度が人類上に誕生するまでは、戦争捕虜以外の奴隷誕生の根源を基から絶ちました。イスラームの野営地に女性捕虜が連れて来られた場合、彼女を奴隷にすることにおいて同等の決まりが則られます。この奴隷化に伴うこととして、彼女らの地位は妻と同等にまで上昇しないということがあります。イスラームは彼女らと妻のように交わることを合法としたことで、女奴隷たちに恩恵を与えました。なぜなら彼女たちの尊厳はイスラーム以外の土地では売春婦のように望む者の欲しいままにされていたからです。(大抵の場合、これが戦争捕虜女性達の行く末でした。)イスラームは女奴隷を彼女たちの主人だけの所有物とし、彼以外誰も彼女たちに手を出す者はいないようにしたのです。

また女奴隷はさまざまな手段で自由の身になることが出来ました:出産がそうです。己の主人の子を産むと、産んだ子が彼女を自由の身にする、つまり、彼女は子の売られることのない母となり、主人の死の直後に自由の身になります。

他には:奨励行為としての奴隷解放や、罪の償いが挙げられます。また、女奴隷が主人にある金額支払うことを主人が合意すれば、彼女のがその金額を完済することで自由の身になります。

もちろん、イスラームはザカーの配分先の一つを、奴隷の解放のためと定めてもいます。また、奴隷の解放を奨励しており、それがしもべをアッラーに近付ける最も偉大な行為であることも解明されています。それだけでなく、ある罪の償いとして奴隷の解放を定めてもいます。わざと断食斎戒を破った者は奴隷を解放しなければなりませんし、誓いを破った者も奴隷を解放しなければなりません。また巡礼の儀礼を間違えたら奴隷を解放しなければなりません。このように、イスラームは奴隷解放が長期間に渡って容易に進むための法を制定したのです。

またイスラームは奴隷に至誠を尽すよう何度も言付けてもいます:預言者(アッラーの祝福と平安あれ)は言われました:
《おまえたちの兄弟は奴隷である。己の手元に兄弟がいる者は、己が食べる者を彼に食べさせ、己が着るものを彼に着せなさい。また彼らに負えられないことを課してはならない。彼らに何かを課すときは、援助しなさい》。

参考文献:ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ タバーラカ/アフィーフ・アブドゥ=アル=ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーンP66~71)
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70章解説【2】

2014年02月06日 | ジュズ・タバーラカ解説
15.断じて。まことに、それは炎熱(火獄)である、
16.頭皮を剥ぎ取るものである(炎熱である)、
17.それは呼び招く、(真理に)背を向け、背き去った者を、
18.そして、(財産を)集め、溜め込んだ(者を)。
19.まことに、人間は気短に創られた。
20.災厄が彼に触れると、嘆き、
21.また幸福が彼に触れると、物惜しみする(者である)。
22.ただし、礼拝者たちは別である。

アッラーが描写し給う罪は以下になります:
「断じて。まことに、それは炎熱(火獄)である、頭皮を剥ぎ取るものである(炎熱である)、それは呼び招く、(真理に)背を向け、背き去った者を、そして、(財産を)集め、溜め込んだ(者を)。」

「断じて」:罪人が、地球の生き物すべてを償いとして差し出しても、それは決して受け入れられないことを指します。「まことに、それは炎熱(火獄)である」اللظى(Al=ladha)炎熱は、炎を意味する火獄の名称の一つです。不信仰者を燃料にして燃えていることから、この名が付きました。「頭皮を剥ぎ取るものである」الشوى(As=shawa)は、手や足や頭皮など人間の体の各部分を指します。この火はその熱さで不信仰者たちの体の肉や頭の皮を剥がします。「それは呼び招く、(真理に)背を向け、背き去った者を」つまり彼らを火獄に連れて行くことを指します。また、「呼び招く」という意味の他に、「滅ぼす」という意味とも言われます。つまりこの炎は、アッラーへの服従とアッラーの書をおろそかにしたり背いたりする者を滅ぼすということです。「そして、(財産を)集め、溜め込んだ(者を)」つまり、財産を集めて、それを隠して、貯めることです。أوعى(Auaa)という動詞は、ものを器に入れるという意味ですが、財産はその数が膨大でない限り、箱や収納室を必要としないため、この聖句が描写する人間は財産を施さないことが分かります。そしてここには、ケチでお金を出そうとせず、それを集めるのに必死になってその一部を善き道のために使わないで、ザカーもせず、アッラーに課された、貧者や必要とする人たちへ施しに出さない者に対する激しい脅迫が込められます。

つづいてクルアーンは、人間が生来より持っている性質と、人間がどのように善と悪に対面しているかの描写に移ります:

「まことに、人間は気短に創られた。災厄が彼に触れると、嘆き、また幸福が彼に触れると、物惜しみする(者である)。ただし、礼拝者たちは別である。」

「気短」と訳されたアラビア語、الهلع(hal')は、注意、退屈、嘆き、忍耐のなさといった意味を持ちます。そのため人間は、「災厄が彼に触れると、嘆き」つまり貧困や病などが自分を襲うと、ひどく嘆く、つまりそのことに耐えられない、ということです。「また幸福が彼に触れると、物惜しみする」財産が増えて裕福さを得ると、手にあるものを出さず、ひどく吝嗇になるということです。

代わって信仰者はこういった性質から遠くかけ離れています。気短であることはなく、状況が厳しいときも嘆かず、また幸福のときに吝嗇になることもありません。なぜなら自らの主にしっかりとしがみついているからです。信仰者とは、アッラーがこの聖句の中で例外とし給うた、礼拝を捧げる者たちに入ります:「ただし、礼拝者たちは別である」礼拝を介して信仰者は創造主と繋がります。至高なるアッラーと繋がる者は現世の生活の諸試練やそれらの厳しさを容易であると見なせられるようになり、また忍耐することで苦しみが喜びに変わるため、結果的に嘆くことはありません。なぜなら、アッラーにとっては自分から害を取り除くことは可能であると、そして自分に降りかかって来た試練に対して報奨を与えてくださると信じているからです。以上は厳しい状況についてでしたが、恩恵の状態ではどうかというと、創造主と繋がってアッラーが恵んでくださった恩恵や自分に命じ給うた善行をしっかりと思い起こす者は、吝嗇という性格そのものが彼から消えるため、善の道のためにその財産を施します。それはアッラーの御命令に従うことであり、また報奨を願う行為であり、施したものを返還してくださるとの確信なのです。

参考文献:ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ タバーラカ/アフィーフ・アブドゥ=アル=ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーンP64~66)
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70章解説【1】

2014年01月17日 | ジュズ・タバーラカ解説
1.求める者が起こるべき懲罰について求めた。
2.不信仰者たちに対して(懲罰が下るようにと祈った)-それ(懲罰)には追い払うすべはない-、
3.階梯の主アッラーから。
4.天使たちと霊※は彼の御許まで昇る、その時間が五万年に相当する一日に。
5.それゆえ、(彼らの嘲罵に)良い忍耐で耐えよ。
6.まことに彼らはそれ(懲罰、または復活の日)を遠いと見る。
7.だが、われらはそれを近いと見る。
8.天が鎔鉱のようになる日に。 
9.そして、山々は羊毛のようになる(日)、
10.また近しい者(近親)も近しい者(近親)を尋ねない(日)。
11.彼らは彼らを見せられている(というのに)。罪人は己の子によってその日の懲罰から身を贖えるならば、と願う。
12.また、己の伴侶や兄弟や、
13.また己を庇護した一族によって(贖えるならばと願う)。
14.さらに、地上の全ての者によって、そうしてそれが己を救うことになるならば、と。
※大天使ジブリール

 アッラーがムハンマド(祝福と平安あれ)に神のメッセージを携えさせて遣い給い、現世と来世の罰で多神教徒たちを怖がらせ給うた時、多神教徒たちは:それは誰のための罰で、誰に下るのかムハンマドにたずねようと言い合いました。そしてアッラーはそのことについて次のように知らせ給いました:
  「求める者が起こるべき懲罰について求めた。不信仰者たちに対して(懲罰が下るようにと祈った)-それ(懲罰)には追い払うすべはない-、階梯の主アッラーから。」

 不信仰者たちに対するアッラーの罰は来世で起きますが、現世で起きることもあり得ます。誰もそれを追い払うことはできません。「階梯の主アッラーから」の意味は、偉大さ、崇高さ、誉べき属性の主であるアッラー、です。また、数々の徳と恩恵の主とも言われます。

 アッラーは続けて仰せになりました:「天使たちと霊は彼の御許まで昇る、その時間が五万年に相当する一日に。」

 霊は大天使ジブリール(彼に平安あれ)を指します。天使の一人である彼が個別で言及された理由は、彼の持つ高徳と尊さです。彼の御許まで昇るとは、諸命令を受け、それを実行するためにアッラーの許に昇るということです。代わって:「その時間が五万年に相当する一日に」、審判の日と言われています。アッラーはこの日を不信仰者たちにとってとても長いもの、五万年に相当するものと成し給いました。それが指しているのは、アッラーが彼らの間を裁き給うまでの彼らの清算を受けるまでの状態です。その後に、地獄の徒は地獄に落ち付き、楽園の徒は楽園に落ち着くのです。

 不信仰者が厳しい清算、目の前の恐ろしい情景、待ち構えている罰を思うと、長いものとなるのです。代わって信仰者にとってこの日は数分しか感じられないでしょう。アル=イマーム・アハマドがアッラーの使徒(祝福と平安あれ)から伝承したところによると、彼(祝福と平安あれ)はこの日の長さに驚いた者から尋ねられて言われました:《私の魂をその御手にされる御方に誓って。それは信仰者には、現世で捧げる義務の礼拝よりも軽くされるでしょう》。

 また違う意味もあります:天使以外が地の一番低いところから高き諸天の上へは五万年以下の時間では昇れないが、天使たちとジブリールはこの距離を一日足らずで昇りきる、ということです。

 続いてアッラーは預言者(祝福と平安あれ)を、不信仰者たちによる審判の日が嘘であるとの主張に対しての不安もアッラー以外の存在へ苦情を訴えることも混ざらない良い忍耐へと誘います。彼らは最後の審判の日は存在しないと考えていますが、アッラーの御力においては確定しておりまた容易なことです:

 「それゆえ、(彼らの嘲罵に)良い忍耐で耐えよ。まことに彼らはそれ(懲罰、または復活の日)を遠いと見る。」

 至高なるアッラーは地球に規定された審判の日を描写し給います:
 「天が鎔鉱のようになる日に。 そして、山々は羊毛のようになる(日)」

 鎔鉱とは、濁った油や溶けた金属を意味します。天の色は黒色に近い緑色に変わります。これは天が濁った油としての描写に関してですが、第二の意味である溶けた金属に関して言うと、物理学者の意見は:天体はガスになった溶融金属から出来ている、というものです。それは流動形と段階を経た激しい熱さの後の状態です。そのため、-アッラーが最もよく御存知ですが-審判の日にはガスが溶けた金属になるくらいに冷えるのかもしれません。代わって山々が羊毛と描写されるのは、山々がばらばらにされるためと各部分の色の相違のためです。

 以上が天と地の様子です。他の被造物については、アッラーが次のように仰せになった通りです:
 「また近しい者(近親)も近しい者(近親)を尋ねない(日)。彼らは彼らを見せられている(というのに)。罪人は己の子によってその日の懲罰から身を贖えるならば、と願う。また、己の伴侶や兄弟や、また己を庇護した一族によって(贖えるならばと願う)。さらに、地上の全ての者によって、そうしてそれが己を救うことになるならば、と。」

 ハミームとは:自分の事を気にかけてくれる近親や友人です。しかし人々すべてに降りかかる激しい恐ろしさやパニックのために、各人は自分の不安だけが気になるようになります。それは誰も自分の近親がどのような状態にあるのかを尋ねないようになるということです。「彼らは彼らを見せられている(というのに)」つまり、お互いがお互いの事を知っているのに、離れて行ってしまうという意味です。そして罪人は、自分が最も愛する人物で降りかかる厳しい試練や罰から自分を救えたらと望みます。援助してくれる自分の子ども、妻、兄弟、家族だけでなく、地上にいるすべてを犠牲にすることで自分をアッラーの罰から救えることが出来たらと望むのです。しかし相応しいと確定された罰からの救いはありません。

参考文献:ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ タバーラカ/アフィーフ・アブドゥ=アル=ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーンP62~64)
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71章解説【4】

2014年01月03日 | ジュズ・タバーラカ解説
25.彼らの罪過(ざいか)により、彼らは(洪水で)溺れさせられ、そして(来世で火獄の火に入れられた。そして彼らはアッラーの他に自分たちの援助者を見出さなかった。
26.そしてヌーフは言った、「わが主よ、地上に不信仰者から一人の住人も放置し(残し)給うな」。
27.「まことにあなたがもし彼らを放置し(残し)給えば、彼らはあなたのしもべたちを迷わせ、背徳の不信仰の輩しか生まないでしょう」。
28.「わが主よ、私と私の両親と私の家に信仰者として入る者、そして、信仰者の男たちと信仰者の女たちを赦し給え。そして不正な者には滅亡しか増やし給うな」。

ここから、不信の行く末と酷く悪い結末を描写している決定的応答がアッラーより寄せられます:
  「彼らの罪過により、彼らは(洪水で)溺れさせられ、そして(来世で火獄の火に入れられた。そして彼らはアッラーの他に自分たちの援助者を見出さなかった。」

 つまり、彼らの数々の罪のために彼らは現世では洪水で溺れさせられ、来世では火獄に入れられる、という意味です。ここでの火獄は、現世と来世の間にある短い期間にある墓の罰を指しているかもしれません。彼らはアッラー以外に罰から助けてくれる存在を見つけることは出来なかったのです。

 そしてヌーフは自分の民に対する呪いの祈願を続けます:
 
「そしてヌーフは言った、「わが主よ、地上に不信仰者から一人の住人も放置し(残し)給うな。まことにあなたがもし彼らを放置し(残し)給えば、彼らはあなたのしもべたちを迷わせ、背徳の不信仰の輩しか生まないでしょう」」

 ヌーフは、地球が治療の施しようのない不信のよごれから清まらなければならないことを悟りました。そのためにヌーフはその主に不信仰者を滅ぼしてくれるよう祈ります:「地上に不信仰者から一人の住人も放置し(残し)給うな」つまり彼らのような者を一人でも地上に生かし給うな、という意味です。不信仰者による不信仰への固執はアッラーの教えへの誘いを停止させてしまい、また人々を導きの道から外してしまいます。また不信仰者たちの子孫は祖先と同じ生き方を辿るため、地球には不信が残り続けます。「背徳の不信仰の輩しか生まないでしょう」アル=ファージルとは、主に背き、真実から傾く人の事を言います。カッファールは、不信において度を越した者を指します。

 ヌーフによる民が滅びるようにとの祈願の傍ら、この祈りは信仰者たちのための慈悲のこもった懇願でもありました:
 「わが主よ、私と私の両親と私の家に信仰者として入る者、そして、信仰者の男たちと信仰者の女たちを赦し給え。そして不正な者には滅亡しか増やし給うな」

 アッラーから遣わされた預言者であるヌーフによるその主からの赦しの願いです。これは自分が人間であること、どんなに主に仕えていても間違いを犯しすべてを全うできないことを忘れないしもべの祈りです。

 また彼の両親ための祈りは、彼らに対する忠誠であり、親孝行について信仰者に教えるものでもあります。

 また彼の家に入った信仰者と、信仰者の男たちと信仰者の女たちのための特別な祈りは、信仰者が信仰者に寄せる思いやりであり、自分に好むように兄弟に良きものを好むこと、そして強い同胞の絆と時間の経過とともに彼らを一つにする純粋な親愛です。

 信仰者たちに向けた愛情とは対照的に、章の終りに不正な者たちに滅びがあるようにとの呪いの祈りが述べられます。「そして不正な者には滅亡しか増やし給うな」タバールは、滅亡、損失の意味です。

 アッラーはヌーフ(平安あれ)の祈りを聞き入れ給い、洪水を送り給うたことで不正者たちは溺れました。代わってアッラーはヌーフと彼と共に信仰していた者たちを、船を彼らに作らせてそれに乗せることで救い給いました。人々は船に乗り、溺れから助かったということです。クルアーンはこの話を数か所で述べています。

参考文献:ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ タバーラカ/アフィーフ・アブドゥ=アル=ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーンP85~86)
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71章解説【3】

2013年12月19日 | ジュズ・タバーラカ解説
13.『アッラーに尊厳を期待しないとは、おまえたちはどうしたことか※』。
※なぜアッラーの尊厳を恐れないのか、の意味とも言われる。
14.『また彼はおまえたちを確かにいくつもの段階に創り給うたというのに』。
15.『おまえたちは見なかったのか、いかにアッラーが7つの天を重層に創り』、
16.『そして月をそれら(7つの天)の中の光とし、太陽を灯明(とうみょう)となし給うたかを』。
17.『またアッラーはおまえたちを大地から生やし(産出させ)』、
18.『それからおまえたちをそこ(大地)に戻し、そして、外へと出でさせ給う』。
19.『また、アッラーはおまえたちのために大地を敷布(広げられたもの)となし給うた』。
20.『おまえたちがそこに広い道を辿るために』。」
21.ヌーフは言った、「わが主よ、まことに彼らは私に背き、その財産とその子供が損失しか増やさなかった者(彼らの頭目(ずもく))に従いました」。
22.「そして彼らは大それた策謀を企(たくら)みました」。
23.「そして彼らは言いました、『おまえたちは、おまえたちの神々を捨ててはならない。おまえたちは、ワッドもスワーゥもヤグースもヤウークもナスルも捨ててはならない』」。
24.「そして彼ら(頭目たち)はすでに多く(の追従者)を迷わせました。そして(わが主よ)不正な者たちには迷誤(めいご)しか増やし給うな」。

 ヌーフのその民との長い戦いを追っていくと、彼は彼らの注意を彼ら自身の中に存在しているアッラーの諸しるしに向けていることが分かります。またヌーフは彼らのアッラーに対する無礼さに驚きます:

「アッラーに尊厳を期待しないとは、おまえたちはどうしたことか(なぜアッラーの尊厳を恐れないのか、の意味とも言われる)また彼はおまえたちを確かにいくつもの段階に創り給うたというのに」

 وقار(ワカール)が人間のこととして使われると、英知や釣り合いの意味を持ちますが、アッラーのこととして使われると、偉大さという意味を持ちます。つまり:おまえたちはどうしたことかアッラーの偉大さを恐れないのか、彼こそがおまえたちを段階に作り給うたのに。「段階」が指すのは、人間がその母親の腹の中で精滴から肉塊そして骨と肉で出来た被造物に変化する過程です。

 またヌーフは民の視線を英知ある創造主を彷彿とさせる世界に向けさせます:
 「おまえたちは見なかったのか、いかにアッラーが7つの天を重層に創り、そして月をそれら(7つの天)の中の光とし、太陽を灯明(とうみょう)となし給うたかを」

 人々よ、アッラーがいかに7つの天を重ね合わせて創り、月を現世の天における大地の暗闇を照らす光とし、夜に灯明を使って明るさを求めるように、人々が昼間に求める灯とし給うたことに留意しないのか、という意味です。

 またヌーフは、彼らが大地から生まれ、死によってそこへ帰って行くことへ視線を向けさせます。彼らを初めに創った御方は、彼らを清算と報復のための審判の日に生きた状態で生き返らせることが可能であることを強調するためです:

 「またアッラーはおまえたちを大地から生やし(産出させ)、それからおまえたちをそこ(大地)に戻し、そして、外へと出でさせ給う」

 そして最後にヌーフは民の視線をアッラーが彼らに恵み給うた地上にある生活を遅れるようにするための恩恵へと向けさせます:
 「また、アッラーはおまえたちのために大地を敷布(広げられたもの)となし給うた。おまえたちがそこに広い道を辿るために」

 大地を敷布と:平坦に。
 この言葉は、ヌーフがその民を訓戒するものとして彼の舌で語られたものですが、それと同時にアッラーから人類へ向けられたものでもあるのです。

 至高なるアッラーは、広い道を辿れるよう大地を平らにすることによってしもべに恩恵を与え給えました。このクルアーンの予言は現代に実現しています。クルアーンが啓示された14世紀の時代の道には、数名の歩行者と家畜に乗る人たちだけの広さしかなかったはずです。しかしさまざまな大きさの車がそう遠くはない昔に発明された後は、人間は交通の便のために巨大な機械を使って道を広くしました。そして道路の拡張には国家予算での潤沢な資金が充てられるようになりました。

 以上のすべての訓戒にもかかわらずヌーフの民はその迷いの中に留まり続けました。そのときヌーフは、彼の民の変わらぬ迷いから来る痛みを感じさせる言い方で主に苦情を訴えます:
 「ヌーフは言った、「わが主よ、まことに彼らは私に背き、その財産とその子供が損失しか増やさなかった者(彼らの頭目(ずもく))に従いました」

 ヌーフは主に呼びかけます:私の民は、あなたへの信仰や己たちの罪の赦しの懇願といった私が彼らに導こうとしたことにおいて私に背きました。そして不信仰と財産と子どもが現世における迷いと来世における罰しか増やさない彼らの頭目に従いました。

 ヌーフの民が不信仰に頑なになっている理由は:自分たちが所有している富や子どもや名声や権力で追従する者たちを騙している自らが迷いまた回りを迷わす指導者たちの後ろに続いていることです。

 つまり裕福で迷ったリーダーたちに追従することは彼らにとって現世と来世における損失であるということです。なぜならかのリーダーたちは彼らを行き過ぎた不信仰心を持つようにさせるからです。

 ヌーフは主への呼びかけを続けます:
 「そして彼らは大それた策謀を企(たくら)みました。そして彼らは言いました、『おまえたちは、おまえたちの神々を捨ててはならない。おまえたちは、ワッドもスワーゥもヤグースもヤウークもナスルも捨ててはならない』。そして彼ら(頭目たち)はすでに多く(の追従者)を迷わせました。そして(わが主よ)不正な者たちには迷誤(めいご)しか増やし給うな」

 「そして彼らは大それた策謀を企(たくら)みました」مكرは詐欺です。彼ら頭目たちは民を大きく欺き、これらの偶像に固執するよう奨励しました。これらの偶像は彼らの時代以降もムハンマドのメッセージが到来する時代まで崇められ続けてきました。それらの名は:ワッド、スワーゥ、ヤグース、ヤウーク。

 このようにして各頭目たちは名前と形の違う偶像を祀って、その回りに追従者たちを侍らせます。石の偶像、人の偶像(人の崇拝)、思想や迷った学派の偶像があります。

 頭目たちはこれらの偶像を自分たちの利益のために利用しました。偶像は崇拝する人たちに重くのしかかり、人類間に争いごとを植え付け、そして創造主とアッラーの教えが推奨する道徳から人間が遠ざかるように仕向けました。

 これらの偶像は人々の多くを迷わせました。「そして彼らはすでに多くを迷わせました」またはヌーフの民の頭目たちは多くの人を迷わせた、という意味にもなり得ます。

 この定着してしまった迷いの後、ヌーフは望みの持てない民を呪います:
 「そして(わが主よ)不正な者たちには迷誤(めいご)しか増やし給うな」彼らの信仰を失望し胸を痛める者の祈りです。彼はあらゆる方法を使って彼らを納得させようとしましたが、少しも成功せず、彼らの面前には、痛ましい懲罰が相応しくなる更なる迷いの増加しか残っていませんでした。

参考文献:ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ タバーラカ/アフィーフ・アブドゥ=アル=ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーンP82~85)
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