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69章解説【1】

2014年03月27日 | ジュズ・タバーラカ解説
1.必ず実現するもの、
2.必ず実現するものとは何か。
3.必ず実現するものとは何かを、何がおまえに分からせたか。
4.サムード(族)とアード(族)は、大打撃(最後の審判の日)を嘘として否定した。
5.そこでサムード(族)については、彼らは大音響によって滅ぼされた。
6.またアード(族)については、彼らは強力な突風によって滅ぼされた。
7.彼(アッラー)は彼らの上に7夜8日の連日連夜それ(突風)を従わせ(吹かせ)給うた。そして、おまえはその(突風)中で民が、まるで空洞になって倒れたナツメヤシの幹のように、投げ倒された(死んだ)のを見る。
8.おまえは彼らに生き残りがいるのを見るか。

過去の共同体がアッラーの使徒たちを嘘つき呼ばわりした罰の報復として被った罰がどんなものであったかをこの章が解説しています。また、審判の日の恐ろしい光景や、その後に起こる人々の行いに対する清算についても扱われます。一団は楽園へ、残りの一団は業火へと。

まず初めの3節は短く、連続します。それらは強烈で、表現は新鮮です。そして残りの節は少しずつ少しずつ長くなっていきます:

「必ず実現するもの、必ず実現するものとは何か。必ず実現するものとは何かを、何がおまえに分からせたか。」

アル=ハーッカは、審判の日の名称の一つで、「何かが真実となる」という、何かが確定し、それに疑いがないことを意味します。この名がついた背景として、その実現が確定しており、実現された際には行為に対する報復が実現することが言われます。「必ず実現するもの」は、審判の日の新しい表現であり、カーフ音がシャッダで読まれることで聞く者に印象を与えます。またカーフ音の前のハーゥ音が6拍伸ばされている点もカーフ音の強調を際立たせます。そして次に続く御言葉は「必ず実現するものとは何か」ですが、質問文とすることで、その日の恐ろしさを表しています。「何が必ず実現するものなのか?それは重要なことである」という意味となります。続いて、「必ず実現するものとは何かを、何がおまえに分からせたか」つまり、おまえはその本当のところについては無知であり、それは偉大な出来事とあらゆる出来事を集めた内の一つであるが、誰にもそれを認識することが出来ないものである、という意味です。

このような印象的な始まり方をするこの章は、その後に述べられる過去の共同体の話に意識を集中させます。これらの話は要約された形で述べられることで、審判の日の到来を確信せず預言者たちを嘘つきと決めた集団が辿った結果について考えるようにと頭脳に働きかけようとします:

「サムード(族)とアード(族)は、大打撃(最後の審判の日)を嘘として否定した。そこでサムード(族)については、彼らは大音響によって滅ぼされた。またアード(族)については、彼らは強力な突風によって滅ぼされた。」

サムードとアードについて、アラブが知らなかったわけではありません。彼らは滅ぼされた現存しないアラブの古い民族です。サムード族はヒジャーズのヒジュルの地に住み、アッラーは彼らに預言者サーリフ(彼の上に平安あれ)を送りました。アード族はイエメンとオマーンの間のハドラマウトからアッシヒルまでの箇所に居住し、アッラーは彼らにフード(彼の上に平安あれ)を預言者として送りました。

サムードとアードは「大打撃」を嘘として否定しました。これは審判の名の一つです。心と魂を恐怖と心配で揺るがすためにこのような名がつきました。彼らが審判を否定し、自分たちの行為が清算される来世における命が嘘であると主張していたことが彼らを不正と腐敗の道に導いたことで、彼らにはアッラーの怒りと彼による罰が相応しくなったのです:「そこでサムード(族)については、彼らは大音響によって滅ぼされた」つまり、彼らの罪によって滅ぼされたという意味です。アッ=ターギヤとは、不信と罪において度を超す事を指します。また、アッ=ターギヤとは、落雷という意味もあります。破壊と滅亡における描写の度を越したのでアッ=ターギヤと付けられたとも言われます。

代わってアード族の結末は、アッラーが次のように仰せになった通りです:「またアード(族)については、彼らは強力な突風によって滅ぼされた」強力な突風とは、強く冷たい風を指します。サルサルとの表現が使われたのは、風の音の強調のためです。まさに風の音がちょうど、この表現に現れているからです。またこの風は、強力であった、つまり激しさと冷たさにおいて度を越したという意味です。または、アード族に強力に襲ったため、彼らはこの風を追い払うことも、それから身を守ることも出来なかったという意味です。この風は激しさを保ったまま数日間続けて残りました:

「彼(アッラー)は彼らの上に7夜8日の連日連夜それ(突風)を従わせ(吹かせ)給うた。そして、おまえはその(突風)中で民が、まるで空洞になって倒れたナツメヤシの幹のように、投げ倒された(死んだ)のを見る。おまえは彼らに生き残りがいるのを見るか。」

アッラーはこの風を7夜8日の連日連夜に渡り、彼らが滅びるまで送り給いました。人々は投げ飛ばされて、あちこちに死体となって、大地に放り出された空洞のナツメヤシの幹のようでした。

続いて、思考と観察に導く疑問詞が登場します:「おまえは彼らに生き残りがいるのを見るか」つまり彼らの中に生き残った者がいるのが見えるか?いや、けっして、という意味です。

これは、アードとサムードについてです。彼ら以外の預言者を嘘つき呼ばわりしていたフィルアウンやその民の結末も同じようなものでした。また他に、彼以前に存在した間違った共同体、そしてルートの民もです。

参考文献:ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ タバーラカ/アフィーフ・アブドゥ=アル=ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーンP47~49)
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