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70章解説【1】

2014年01月17日 | ジュズ・タバーラカ解説
1.求める者が起こるべき懲罰について求めた。
2.不信仰者たちに対して(懲罰が下るようにと祈った)-それ(懲罰)には追い払うすべはない-、
3.階梯の主アッラーから。
4.天使たちと霊※は彼の御許まで昇る、その時間が五万年に相当する一日に。
5.それゆえ、(彼らの嘲罵に)良い忍耐で耐えよ。
6.まことに彼らはそれ(懲罰、または復活の日)を遠いと見る。
7.だが、われらはそれを近いと見る。
8.天が鎔鉱のようになる日に。 
9.そして、山々は羊毛のようになる(日)、
10.また近しい者(近親)も近しい者(近親)を尋ねない(日)。
11.彼らは彼らを見せられている(というのに)。罪人は己の子によってその日の懲罰から身を贖えるならば、と願う。
12.また、己の伴侶や兄弟や、
13.また己を庇護した一族によって(贖えるならばと願う)。
14.さらに、地上の全ての者によって、そうしてそれが己を救うことになるならば、と。
※大天使ジブリール

 アッラーがムハンマド(祝福と平安あれ)に神のメッセージを携えさせて遣い給い、現世と来世の罰で多神教徒たちを怖がらせ給うた時、多神教徒たちは:それは誰のための罰で、誰に下るのかムハンマドにたずねようと言い合いました。そしてアッラーはそのことについて次のように知らせ給いました:
  「求める者が起こるべき懲罰について求めた。不信仰者たちに対して(懲罰が下るようにと祈った)-それ(懲罰)には追い払うすべはない-、階梯の主アッラーから。」

 不信仰者たちに対するアッラーの罰は来世で起きますが、現世で起きることもあり得ます。誰もそれを追い払うことはできません。「階梯の主アッラーから」の意味は、偉大さ、崇高さ、誉べき属性の主であるアッラー、です。また、数々の徳と恩恵の主とも言われます。

 アッラーは続けて仰せになりました:「天使たちと霊は彼の御許まで昇る、その時間が五万年に相当する一日に。」

 霊は大天使ジブリール(彼に平安あれ)を指します。天使の一人である彼が個別で言及された理由は、彼の持つ高徳と尊さです。彼の御許まで昇るとは、諸命令を受け、それを実行するためにアッラーの許に昇るということです。代わって:「その時間が五万年に相当する一日に」、審判の日と言われています。アッラーはこの日を不信仰者たちにとってとても長いもの、五万年に相当するものと成し給いました。それが指しているのは、アッラーが彼らの間を裁き給うまでの彼らの清算を受けるまでの状態です。その後に、地獄の徒は地獄に落ち付き、楽園の徒は楽園に落ち着くのです。

 不信仰者が厳しい清算、目の前の恐ろしい情景、待ち構えている罰を思うと、長いものとなるのです。代わって信仰者にとってこの日は数分しか感じられないでしょう。アル=イマーム・アハマドがアッラーの使徒(祝福と平安あれ)から伝承したところによると、彼(祝福と平安あれ)はこの日の長さに驚いた者から尋ねられて言われました:《私の魂をその御手にされる御方に誓って。それは信仰者には、現世で捧げる義務の礼拝よりも軽くされるでしょう》。

 また違う意味もあります:天使以外が地の一番低いところから高き諸天の上へは五万年以下の時間では昇れないが、天使たちとジブリールはこの距離を一日足らずで昇りきる、ということです。

 続いてアッラーは預言者(祝福と平安あれ)を、不信仰者たちによる審判の日が嘘であるとの主張に対しての不安もアッラー以外の存在へ苦情を訴えることも混ざらない良い忍耐へと誘います。彼らは最後の審判の日は存在しないと考えていますが、アッラーの御力においては確定しておりまた容易なことです:

 「それゆえ、(彼らの嘲罵に)良い忍耐で耐えよ。まことに彼らはそれ(懲罰、または復活の日)を遠いと見る。」

 至高なるアッラーは地球に規定された審判の日を描写し給います:
 「天が鎔鉱のようになる日に。 そして、山々は羊毛のようになる(日)」

 鎔鉱とは、濁った油や溶けた金属を意味します。天の色は黒色に近い緑色に変わります。これは天が濁った油としての描写に関してですが、第二の意味である溶けた金属に関して言うと、物理学者の意見は:天体はガスになった溶融金属から出来ている、というものです。それは流動形と段階を経た激しい熱さの後の状態です。そのため、-アッラーが最もよく御存知ですが-審判の日にはガスが溶けた金属になるくらいに冷えるのかもしれません。代わって山々が羊毛と描写されるのは、山々がばらばらにされるためと各部分の色の相違のためです。

 以上が天と地の様子です。他の被造物については、アッラーが次のように仰せになった通りです:
 「また近しい者(近親)も近しい者(近親)を尋ねない(日)。彼らは彼らを見せられている(というのに)。罪人は己の子によってその日の懲罰から身を贖えるならば、と願う。また、己の伴侶や兄弟や、また己を庇護した一族によって(贖えるならばと願う)。さらに、地上の全ての者によって、そうしてそれが己を救うことになるならば、と。」

 ハミームとは:自分の事を気にかけてくれる近親や友人です。しかし人々すべてに降りかかる激しい恐ろしさやパニックのために、各人は自分の不安だけが気になるようになります。それは誰も自分の近親がどのような状態にあるのかを尋ねないようになるということです。「彼らは彼らを見せられている(というのに)」つまり、お互いがお互いの事を知っているのに、離れて行ってしまうという意味です。そして罪人は、自分が最も愛する人物で降りかかる厳しい試練や罰から自分を救えたらと望みます。援助してくれる自分の子ども、妻、兄弟、家族だけでなく、地上にいるすべてを犠牲にすることで自分をアッラーの罰から救えることが出来たらと望むのです。しかし相応しいと確定された罰からの救いはありません。

参考文献:ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ タバーラカ/アフィーフ・アブドゥ=アル=ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーンP62~64)

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