退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「無前提の『しあわせの追求』と結局『好きに生きればいいこと』」について

2018-11-20 02:36:58 | Weblog
くもりのち晴れ。今季初のハーフコート着用。

家田荘子「熟年婚活」を読む。

「老人ホーム」で繰り広げられる現実よ。
ただしこれは「檻の中」ゆえではないかという気にも。

閉じられた空間では他に「楽しみ」もなく。
この「テラスハウス」は何とも凄まじい。

「男女のすれ違い」はいくつになっても変わらず。
穏やかに暮らしたいと思うことしきり。

いつまでも挿入を含むセックスにこだわる人も。
イチャイチャするくらいですまないものか。

熟年の婚活ツアーについても同様。

いたずらに「孤独」を怖れつつそれぞれの「条件」は複雑で。
ここでもうまくいくケースは少ない模様。

その一方。

高齢者専門の愛人や風俗嬢がいて。
とりわけ後者は「話をするだけの人が多い」というのが何とも。

いやはや。

「相手が喜ぶ」というかたちでの「愛情」が少ないこと夥しい。
「自分の思い通り」を優先するならひとりでいる方が波風立たないのだけれど。

その「当然」が忘れ去られる中で
なぜか「カップルになること」への疑いが少ないのが不思議。

「しあわせ」は少ないからこそ求められる。
求められるからといってその数が増えるわけではないことを忘れずに。

そして「長続きするもの」より「そうでないもの」の方が多いことも。
その上であれこれするのには異論がないのでよろしく。

いっそ流行りのAIに身を任せてみたらなどと。
もっともうまくいこうがいくまいが「理由が不明になる」ことは確か。

すでに「結婚」は「趣味」かもという現実を覚えておこう。
もちろんさまざまなカップルたちが楽しく過ごすことを祈ってはいる。

ここで浮かび上がるのは。

結局互いに「こうでなければならない」という前提があり。
さらに何の検証もないままそれを維持する気持ちが強すぎること。

そしてそのことについてほぼ「話し合い」のないまま。
「話せばわかるか問題」を思えば結末は予想がつく。

さて。

「視点」が変われば「世界」は変わる。
あなたにその「柔軟性」があれば幸い。

本書の視点も限られたもの。
あらためて「好きに生きたらいいじゃないの」と言っておく。
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「老年と未来のリアルあるいは『未知の出会い』」について

2018-11-19 01:32:30 | Weblog
くもり。過ごしやすい。

橋本治「九十八歳になった私」を読む。

著者の面目躍如たりといった趣き。
女子高生を描いたデビュー作からここまで来たのかという感慨など。

有吉佐和子ではないけれど
ある種の老年の姿をこのようにきちんと描いた作品が今まであったかと思った次第。

そこに著者自身の「歴史」と「教養」が含まれているのが素敵。
「アストロモモンガ」「恋するももんが」「シネマほらセット」が売れなかった事実よ。

要するに「ちょいと本領を発揮する」と評価されなくなる事実があり。
それにしても「完治しない難病」を抱えてまだこれだけ「体力」があるとは驚き。

どうやら借金返済は終わったようで目出度いけれど。

本書が「近未来空想科学小説」であることを忘れずに。
描写だけでなく設定が「リアル」であることも知っておこう。

「昔からのファン」には実に楽しい内容。
エッセイや評論だけでなく小説を是非といったところ。

それにしても著者の「遊び」はなぜもっと受け入れられないのだろう。
「民度が低いせい」だと言っておく。

それとは別に。

図書館で「鷗外歴史文學集 第八巻」を借りようと中身を見たところ。
何と再び「伊沢蘭軒」の文字を目にすることに。

主人公が死んだ記述があったからてっきり終わりなのかと思っていたら。
またボケてしまいました。

まあ「老人力」が増したということで。
本シリーズを読み終えることだけが確か。

引き続き漢詩に触れる環境があることは悪くない。
詳細は読了後に。

さて。

何であろうと「義務」から解放されると人は異なる姿を見せるもの。
だって「無理をしてた」んだもの。

それぞれにあれこれあるとは思われるけれど
繰り返すが「好きに生きたらいいだけ」。

そこに「楽しい出会い」があれば幸い。
「ご縁」があったらよろしく。
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「何度でも寝ること2」

2018-11-18 01:49:38 | Weblog
『晴れ。だったはず。

「早起き」して仕事場へ。

事情があって二往復することに。
その間に「伊沢蘭軒」読了。

調子は変わらず淡々と終わる。
突然の主人公の死の理由も不明なままに。

「記録」としての漢詩を読み解く作業にこれほど情熱を注げる源も同様。
ただしさまざまな漢語に触れることができたのはよかった。

老舗バーのマスターからまた休むとのメールが来る。

今回は仕事場の研修があったので都合はよかったものの。
もう行かない方がいいのかもしれないなどと思いつつ。

こちらが通うことで負担になるのなら。
いたずらに「終わり」を長引かせるのはよくない。

久方ぶりにコンビニで小ぶりの焼酎を買う。

いつもの安いのが切れかかったせい。
「あらわざ」という芋だが飲み口と香りは悪くない。

深夜「broadchurch」を見る。

ようやく事態が動き出す。
「空気の冷たさ」と「狭い共同体の息苦しさ」と「荒涼とした風景」よ。

ただ地元の女刑事の声優さんの技量が素人っぽいのは「田舎の表現」なのか。
なぜそういうことになっているのかが謎。

さて。

300mlの小瓶を飲み干して寝る予定。』でまた寝る。
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「『風流』とインチキ野郎の『プライド』の謎」について

2018-11-17 02:10:05 | Weblog
くもり。おだやか。

「鷗外歴史文學集 第七巻」で「伊沢蘭軒」の続きを読む。

かつては漢文が「当然の教養」だったことはわかるのだけれど
やはりここまで個人にこだわる著者の姿勢は謎。

教科書にも載っている「高瀬舟」の考え方からすれば
「足るを知った」上で「風流」を貫く姿こそが尊いということなのか。

ようやく明日読了できそうなので終わりを確認したい。

それとは別に。

知り合いの若い男子はよく嘘をつく。
まるで「本当のこと」を喋ってはいけないかのように。

「わかった?」とこちらが聞くと「わかりました」と言うのだけれど
進めるべき作業は一向にはかどらないまま。

「わかってないじゃん」と言うと「大丈夫です」と答える。
「大丈夫じゃないでしょ」と繰り返すと「いや大丈夫です」と。

敢えて「嘘をつくな」と言ったところ「もういいです」とも。

この「圧倒的に貧しい自己完結ぶり」はいったいどこから生まれるのだろう。
「何も出来ていない事実」を否定してまで何を「維持したい」のか。

もしそれがある種の「プライド」のせいだとするなら。
こちらとしては本気で「馬鹿者っ!」と一喝するよりなく。

まともな努力もしないで何が「プライド」か。
自らの愚かさを隠すだけならそこに「成長」はありようもなく。

もちろんレベルの如何は問わない。
それにしてもこうした輩がなぜ育ってしまうのかと思うことしきり。

「一度失敗を認めたらすべてがパー」といった「世界」のせいだとしたら。
やはり「大人が悪い」。

「プライド」は「確かな結果」に支えられて成立するものでないと。
ここでも「試行錯誤」が許されない「現実」がある模様。

もっともこうした「歪んだ世界」が現実となって久しい。
「失敗は成功の母」という言葉の意味をあらためて。

「デタラメやインチキはしない」という「倫理」を
どこの世界でも思い出したいものではある。

「卑怯」という言葉をもっと身近に置いて。
堂々と「負けられる」からこそ堂々と「勝てる」ことを忘れずに。
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「真っ当な左翼が与える影響と『復讐』の重なるドラマ」について

2018-11-16 03:30:35 | Weblog
快晴。また日差しが熱く。

佐々木守「戦後ヒーローの肖像」を読む。

副題に「『鐘の鳴る丘』から『ウルトラマン』へ」。
もっとも内容は著者も「あとがき」で書いているようにほぼ「自伝」。

児童文学からラジオドラマ、テレビ、映画へ。
大島渚の「創造社」に参加しやがて実相寺昭雄ともコンビを組んで。

横溝正史の作品を角川によるブームが来る前にドラマにしていたことも。
水島新司「男どアホウ甲子園」の原作者でありながら野球知らずだったり。

「ウルトラマン」「ウルトラセブン」「怪奇大作戦」「柔道一直線」
「アイアンキング」「シルバー仮面」「コメットさん」「おくさまは18歳」。

「アルプスの少女ハイジ」のかなりの部分の脚本も。
本作は言わずとしれた高畑勲演出で場面設定や構成に宮崎駿。

興味のある向きはyoutubeで出来る限り作品を確認いただきたい。
日本赤軍重信房子の「わが愛わが革命」のリライトもある。

「ウルトマン」の「ジャミラ」の回のシナリオの一部が載っているので是非。
その名前が「アルジェリア独立闘争で虐殺された少女の名前」だというのにふむふむ。

「ガンダム」に「シャア」が出てくるのと背景が似ている。
ちなみに「シャー」はペルシャ語で「王」の意味。

「真っ当な左翼」がいた時代を知っておこう。
著者は12年前に他界。

沖縄やアイヌに関するドラマがあるのも忘れずに。
大島渚の映画に関しては「飼育」(’61)の助監督から。

白土三平原作の「忍者武芸帳」(’67)は著者が監督に勧めたものらしい。
その後脚本は「夏の妹」(’72)まで。

いささか紹介しすぎのきらいもあるけれどまだまだ盛りだくさんなのでご安心を。

ドラマ「ブラックスキャンダル」を見る。

全体に「伏線の引き方」がわかりやすい。
もっともそこが「狙い」ならば「無問題」。

鶴太郎が安藤政信に「お前は信頼に値しない」というシーンと
何の説明もないまま松井玲奈が山口紗弥加の復讐に協力しているのがポイント。

小川紗良は主人公に「裏切られた」と思っているので
そこをどう処理しているのかが気になるところ。

「裏切り」を重ねて描いているのがこのドラマの「肝」。
若葉竜也の筋も絡んでくるのでラストをどうまとめてあるのかがカギか。

こうしてみると「いい観客」になっているのかも。
前作「ブラックリベンジ」と同じスタッフはどうアレンジするのだろう。
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「いろんな『道』がもっとあっていいことと老後の参考もしくは久方ぶりの飲み会話」について

2018-11-15 01:53:39 | Weblog
『晴れ。やや風が吹く。

山岸俊男&メアリー・C・ブリントン「リスクに背を向ける日本人」を再読。

「雇用の流動性」によって「やり直し」が可能なアメリカと
「雇用の安定性」を重んじるあまりむしろ「やり直し」が不可能な日本。

ゆえに後者は「リスクを避けるのが『デフォルト』」になるという指摘。
非進学校の高校生を企業に紹介する仕組みが失われたことも手伝って。

努力と工夫次第で結果はちゃんと出る。
それが合理的な思考と努力のせいだとわからせたのがかの「二宮尊徳」だと。

「貧困の文化」から抜け出させるためには
そうした「地道な作業」が必要だとのこと。

ただし。

すでに「自分しか判断基準にしない『神』たち」が跋扈して久しいはず。
現代の二宮尊徳もいるのかどうか。』で寝る。

晴れ。日差しはさすがに熱くない。

かなりお年を召された私立大学の先生の本を読む。
自分の専門以外の事もいろいろ勉強されている姿には頭が下がるのみ。

がしかし。

その結論は何とも微妙。
やはり専門分野に限った方がいいのではないか。

この種のものは「記念」だとはいえ避けた方が。
勝手に「老後の参考」にさせていただく次第。

さて。

仕事場で久方ぶりに飲み会の話が出る。
若い同僚たちがちょいと話し合った模様。

「やったら出てくれますか」と言うので「もちろん」と答える。
この種の行事をあまり好まない上司の参加は適当にということで。

今年は「忘年会」ができるかも。
それにしてもこんなことでゴチャゴチャするとは何ともはや。

個人的には「自分からは動かない」と宣言していたので
いささかありがたい感じ。

メンバーも多少変わったのでまた違う展開も期待できるか。
まあ楽しく過ごせれば幸いくらいに思っておくとこにする。

もちろん各自が参加するかどうかは自由。
何にせよ「無理強い」を避けるのは「基本」。
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「パックンの効用と危険な鎮痛剤あるいは『長生きの秘訣』はどうでもいいこと」について

2018-11-13 02:30:41 | Weblog
くもりのち晴れ。おだやか。

パトリック・ハーラン「世界と渡り合うためのひとり外交術」を読む。

おそらく「笑いのセンス」はそれほどでもないはずのパックンが
一般向けにあれこれ考えさせるための本を書いた模様。

その構成はなかなかのもの。
知らぬ間に「問題」に引き入れられる内容。

「判断する前に考えよう」という「誘い」は素敵。

昨日のマル激関連で言い忘れたことがあったのでちょいと。

しばらく前にタイガー・ウッズが虚ろな目で車を運転中に捕まったことがあったけれど。
腰の痛みを抱えた彼が鎮痛剤として使っていたのがオピオイド。

中毒性が高いせいでアメリカでは年間6万人が死んでいるとのこと。
使いすぎると呼吸に影響するため。

文字通り「息が止まる」模様。
こんなものが「薬」として流通していいのかというお話。

わが国ではその危険性があまり認識されていないことも同時に。
ご用心ご用心。

それとは別に。

NHKスペシャル「AIに聞いてみた どうすんのよ!?ニッポン 第3回 健康寿命」によると。
読書が長寿につながるとのこと。

あらヤダというのが第一感。
ほぼそれだけで生きている自分としては特に長生きを望んではいないというのに。

寿命を全うすればいいだけ。
どんなに短い命でも「寿命」だと解釈するのでよろしく。

鳥獣虫魚の世界を思えば「生き延びる」のはまさに「奇跡」。
いずれ「生まれた」のなら長さを問わず「寿ぐ」のが基本ということで。

個人的には「死んだ人とのお付き合い」の方が多いかも。
「生死」による「境」にあまり意味を見出さないので。

今後も好奇心というアンテナが指し示す方向に向かうのみ。
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「バンドの栄枯盛衰と文明は人をダメにすることあるいは『本当の自己責任論』」について

2018-11-12 02:35:15 | Weblog
晴れ。今日も歩くと汗ばむほど。

速水健朗・円堂都司昭・栗原裕一郎・大山くまお・成松哲
「バンド臨終図鑑 ビートルズからSMAPまで」を読む。

タイトルは山田風太郎「人間臨終図鑑」から。
未読なら是非とも読んでいただきたい本からの拝借。

それぞれのバンドあるいはグループの「栄枯盛衰」について。
ある時期までの米英のバンドはほぼドラッグ漬けなのにふむふむ。

あとは「人間関係」と「金の分配」だと思っていいのか。
マネージャーが原因になるケースもあり。

マル激を観る。

今回は「トランプ・ワールド」について吉見俊哉がゲストの回。
「貧すれば鈍す」という「経済の影響の大きさ」をあらためて。

アメリカという国がそもそも「他人への恐怖」を抱える国であることも。
ただし「赤狩りの時代」についての言及がなかったのがいささか不思議だったり。

「大統領の暗殺」が「普通」だったりすることも覚えておきたいもの。
要は「相当にヤバイ国」ではあるわけで。

「ブッシュ・ジュニアが最悪だと思っていたらそれ以上のトランプが出てきた」という
吉見俊哉の指摘にふむふむ。

中国が「アメリカのいなくなったポジション」をフォローしているのも何だか。
かの国の都市部では「統治」がAIによるもので理由もなく「犯罪者扱い」されることなど。

アニメ「サイコパス」の世界がすでに現実に。

その一方。

わが国は「何かヤだよね」といった類いの評価で「異なる存在」を排除する「伝統」がある模様。
それを簡潔に言えば「村社会=出る杭は打たれる」。

世界は至る所で明らかに「劣化」しているのだけれど
それに対して今のところどうしようもない現実がある。

「文明は人間を愚かにする」のだと思えばいいのか。

さて。

どの国であろうと「そこが危険な場所」であるとわかるのは
政府の判断ではなくジャーナリストが「現場」を取材した結果が大きく。

この「当然」がなぜか「自己責任論」になるわが国特有の「磁場」よ。
「政府が危険だと言っている場所にわざわざ行くな」という「倒錯ぶり」。

今回の彼も「国民」であることは否定しようがない。
にも関わらずその「救出」を「最優先」に評価しないのは何故なのだろう。

「政府によるコントロールを受けた者」が「ジャーナリスト」であるはずもなく。
なるほど「民主主義」はすでに「死亡している」らしい。

その結果外国特派員協会における記者会見においても
彼は質問者の意図を重々理解しつつ家族への「被害」も考慮して「言葉を選ぶ」しかなく。

何という現実。

敢えて言う。
自分が「不幸」なのは自分のせい。

むしろ「自己責任論」ならばそっちの方だろう。
わが国の特色が「恥の文化」だというならせめてそのあたりを。

いくらでも楽しく生きられる条件が揃っているにも関わらず
「貧弱な脳内の判断」ですべてを測る「愚かさ」よ。

すべてを「他人のせい」にする前にちょいと考えたいところ。
それを「無理」だというなら好きにしたらいいだけ。
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「人へのこだわりと老舗バーの存亡あるいはかつてのソウルバー」について

2018-11-11 02:52:13 | Weblog
晴れ。橋の上の風が異様に強く。

「伊沢蘭軒」を読み進める。

人の固有名詞に圧倒的にこだわる不思議さ。
あまり追われないものもあったりするのだけれど。

老舗バーのマスターからメールでお休みの連絡が来る。
来週はこちらの都合で行けないのでひと月空くことに。

ぼちぼち「新たな場所」を見つけた方がいいのか。
喜寿ということもあり。

本格的に若く有望な人探しをしたらいいのにと思う一方。
あの「イラチぶり」を思うと微妙。

とはいえ若者の技術が確かならそんなこともなかろう。
どうにか続いてほしいのみ。

もっともそれもこちらの都合。
どんな場所にも「栄枯盛衰」はあるので仕方がない。

今は無きソウルバー「クインビー」も同様。
「Japanese food with soul shower」という文字が箸袋に。

マスターが和食職人であったので。
後半を「ソウルの雨に打たれて」と訳してみたりしたもの。

翻訳あるいは英語として正しいかどうかは別の話。
少なくとも「外務省のインチキ」よりはマシなはず。

ちょいと辛めのあんかけ豆腐がこの時期だからこそ懐かしい。
もやしや白菜、人参と一緒に。

さて。

いつものようにもうちょいと飲んで寝る。
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「制御できない天然ボケあるいは論理を見極めた上での愛」について

2018-11-10 04:22:56 | Weblog
雨。昼には「狐の嫁入り」も。

「鷗外歴史文學集 第七巻」を開いて驚く。

そこには「伊沢蘭軒」の文字が。
間違えて同じ本を借りてきたのかと思ったほど(物理的に無理なのに)。

「唐突な終わり方」もないもんだ。
まだ終わってなかったんだから。

結局はこちらの一方的な思い込みによる「ボケ」。
ときどき顔を出すこの「天然ぶり」は昔から。

どうにも防ぎようがないものらしい。

そのせいもあったのかどうか今日はあまり読み進められず。
2週間がかりになる模様。

本シリーズの読了も来年になりそう。
それが何かと言えばどうということもないのだけれど。

それとは別に。

どんな物事であれ最後はそこに「説得力」があるのかどうか。
ただしその「説得力」とやらはどうやらあやしい。

なぜなら「説得される相手次第」になってしまうから。
その「判断」は「信頼に足るのかどうか」が吟味されないまま。

だからこそ「健全な議論=相手を言い負かすのではなく新しい知見を得るもの」が必要。
とはいえこれも「限られたメンバー」の中でしか成立しないのも事実。

「話せばわかるか問題」が浮上する次第。
答えはすでに出ていて「わからない」だとすると。

「分断」が各地に広がるのみ。
「話のわかる相手」と話したいのは当然だから。

さて。

それでも「自分の話を相手に伝えたい」のかどうか。
なんだ「愛情問題」か。

今目の前にいる人に情理の限りを尽くすこと。
その「情熱」に「それぞれの『論理』」を溶かすほどのパワーがあるかどうか。

なるほどわれわれはかくも「非論理的な存在」ではある。
もっとも「論理の限界」を見極めた上でのお話なのでよろしく。
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