退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「歌う目的と意味あるいは春歌と替え歌とロシア絡みの曲」について

2018-11-06 02:02:17 | Weblog
くもり。深夜にちょいと降る。

渡辺裕「歌う国民」を読む。

明治政府が「唱歌」を音楽性とは全く無関係な「国民作り」のために作ったこと。
とはいえそれらがその意図を超えてさまざまな形で残っていること。

「歌うこと」が「健全な国民としての身体」を養うことにもなり(呼吸法その他による)
「体操」と絡めて進められていったことなども。

あれこれ興味深い事実が述べられているのは結構。
ただし「イデオロギー排除に関する説明」がいささか多すぎるような。

「天皇制推進」であろうと「社会主義推進」であろうと
いずれも「歌うこと」がもたらす効果を狙ったのはどうやら確かで。

「それとは異なる部分」があったのだという著者の気持ちは重々わかるけれど。
もう少しすっきり説明してくれた方がありがたいかも。

ラ・マルセイエーズ=フランス国歌」の歌詞が
相当に「血まみれ」なのはすでに有名か。

わが国が「カラオケ発祥の地」であることも忘れずに。
「近代国家」を目指す人々がいわゆる「春歌」を嫌ったのはいかにも。

こんなのがあったのでいちおう。
あまりにヒドイけれど歌詞の確認のために。

知っているのは「おなら」ではなく「おめこ」のはず。
大島渚「日本春歌考」(’67)の「よさほい節」も忘れずに。

こういうヴァージョンもあるのだから不思議。
歌詞の内容によってこんなに違う印象になる事実よ。

「替え歌の持つ魅力」をあらためてといった趣き。
ジャッキー吉川とブルー・コメッツの「ブルー・シャトー」のそれも挙げておく。

「天ぷら」のところは「天丼」だと記憶しているがこれもあれこれあるのだろう。
どうしてこんなものが出来たのかは謎のまま。

「うたごえ喫茶」は名前のみ知っている。
トロイカ」「カチューシャ」をとりあえず。

ペチカ」もあった。
ちなみに「ペチカ=ロシア風暖炉+オーヴン」だということでよろしく。

いやはや。

こうしてたどって行くとキリがないのでこの辺で。
ペギー葉山「学生時代」でおしまいにしておく。
コメント
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