退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「照明あるいは圧倒的に鈍感であること」について

2015-10-01 03:10:15 | Weblog
快晴。秋の気配が濃厚に。

長谷川隆「照明技師 熊谷秀夫 降る影 待つ光」を読む。

ひと口に「映画を観る」とはいうものの
自分はいったい何を観ていたのかとあらためて思わされる内容。

「作る側の視点あるいは表現」を到底受け止めることができていなかった。
今後どこまで映画を見続けるかは不明だけれど。

身近な若者たちが目の前のものが見えないことをいぶかっていたりしたが
どうやら「天に唾する」ことになった模様。

こうした「事実」を教えてくれる場所はもっとあってよさそう。
「撮影所」という限定された「学校」のみではもったいない。

まして「撮影所」も失われてしまった現在を思えば嘆息するよりなく。
どこかで誰かが受け継がなければと思うことしきり。

「総合芸術としての複雑さ」をそのまま味わえるような感覚器官を持ちたいもの。
どうにも「鈍感」であることにうなだれる次第。

もはや「伝統工芸」の世界なのか。
少なくともその「魅力」を伝えてくれる本書は実に貴重。

「ええ音やないか 橋本文雄・録音技師一代」も以前から気になっていた。
今度図書館で借りねばなるまい。

アメリカのドラマで一度見たものを全部思い出せる女刑事が主人公のものがある。
彼女ほどでなくともせめて記憶のどこかで「素晴らしいもの」を大事にしたい。

いやはや。

あらためて「映画に愛されていないこと」を確認する。

「映像」があれば当然そこには「光」がある。
その「単純」に今さらながら気付くとは。

いかりや長介じゃないが「ダメだこりゃ」。
とても他人に「メディア・リテラシー」など説ける柄じゃない。
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