退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「インテリジェンス=情報あるいは知性」について

2015-07-24 02:16:37 | Weblog
雨のちくもり。夜になって晴れる。

一昨日昨日と続けて寝てしまう。

普段より早く出かけるせいもあるのだけれど
今までよりいささか疲れやすくなっているのかもしれず。

和久貴洋「スポーツ・インテリジェンス」を読む。

副題は「オリンピックの勝敗は情報戦で決まる」。
ユニフォームや練習、リカバリーや人材輩出など各分野における情報の重要性を説く内容。

「オシント=公開情報」「ヒューミント=人的情報」「イミント=画像情報」
「マシント=測定情報」「シギント=通信情報」「テキント=技術情報」など。

通常のインテリジェンス活動と同様に
「オシント=公開情報」の収集と分析が基本であるらしい。

とはいえこうしたことが今まであまり行われていなかったことの方が不思議。
「勝つ」あるいは「生き延びる」ためにはむしろ当然だろう。

さて。

わが国においてスポーツの世界では「一流」が存在するのに
政治の世界では「三流以下」しか存在しない理由はおそらくそのあたりにある。

世界の「一流」を知れば自ずと「一流」を目指さざるを得なくなるものの
いつまでたっても「国内事情」しか見ていないのだから。

もちろん彼ら彼女らとて「一流」に「触れること」はあるのかもしれない。
だが残念ながらその「公開情報」を「まとも」に処理し理解する能力に欠けている。

要は「インテリジェンス活動」を担うだけの「資質」がない。
そして世界の「相手」からそう見なされれば「まともな情報」など来るはずもなく。

せいぜいが「広告代理店」のヘタな模倣が関の山。
何とも情けない「現実」だが「事実」なら受け入れるのみ。

言うまでもなく「インテリジェンス」とは「知性」でもある。
そして政治家に関する指摘はわれわれについても当てはまることを忘れずに。
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