退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「映画と花見、本と現実」について

2016-04-04 02:13:12 | Weblog
くもり。深夜になって降り始める。

昨夜はいつもの老舗バー。

ブルーチーズとバターの乗ったクラッカーを肴にジン。
油分が多いせいか酔いの回りが遅く。

マスターからまた昔の映画のDVDを5枚渡される。
古い順に「嵐が丘」(’39)「愛のアルバム」(’41)「ミニヴァー夫人」(’42)

「愛の調べ」(’47)「アンナ・カレニナ」(’48)というラインナップ。
観たことがあるのは「嵐が丘」と「ミニヴァー夫人」。

この「宿題」はバーに通い続ける限り続くのだろう。
どうやら「映画の季節」が戻りつつあるのか。

今日は曇り空の下で花見など。

外国人の姿が少なくないのにあらためて気付く。
500mlのビールを2本空けただけでいい気持ち。

上の妹がまた「どうでもいいこと」で不機嫌になる。
下の妹の取り成しでどうにか収まってよし。

兄弟姉妹の「真ん中」はどうしてこうなるのか。
もっとも「病気」は治りそうもないので付き合うしかない。

加島祥造「会話を楽しむ」を読む。

四半世紀前に出た岩波文庫の赤本。
現代において「まともな会話」は可能なのかと思うのみ。

引き続き谷沢永一「百言百話 明日への知恵」を読む。

こちらは31年前の作品。
もっと「古典」に親しむ姿勢が必要かと思った次第。

マル激を観る。

スティグリッツ、クルーグマンがすでに「経済学者」としては「ダメ」なことを知る。
「一線で活躍できる時間」には限りがあるという当然か。

「タレント」である彼らを利用して
自らの政策の失敗を覆い隠す政府の愚も。

経済的に破綻した夕張が実は日本の未来を担う存在であることなど。
要は同じようなことが国にも起こるということ。

それにしてもどこもかしこもわが国は「ボロボロ」。
むしろ「どうにでもできる」のだという「隠れた現実」を知りたいもの。
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