雨のち晴れ。昼間はいささか蒸す。
日曜は図書館へ行けずじまいだったので古本屋へ。
小林信彦「人生は五十一から」を見つけ買って再読。
当時から二十年足らずの時間が過ぎた模様。
週刊文春のコラムはまだ続いているはず。
昭和七年生まれなので今年84になるのか。
自分の年齢を忘れて他人の年齢に年月を感じる愚かさよ。
何度読み返しても著者のエッセイには新たな「発見」がある。
「時代観察者」としての「現役ぶり」にはひたすら感心するのみ。
このシリーズはまとめてあれこれ思い返しながら読みたいもの。
「困ったオッサンのこと」というタイトルのエッセイを書いたはずの景山民夫が
この頃に亡くなったことをあらためて思い出した次第。
江戸川乱歩と横溝正史の「確執」に関する文章もついこの間読んだような感覚。
「言葉遣い」に関する記述は後に「現代『死語』ノート」へ。
「大文字の歴史」と「小文字の歴史」が綴れ織りになる豊かさ。
あらためて自らの「貧しさ」を噛みしめて。
「年季が違う」と言ってしまえばそれまでだけれど
どうにかこの「世界」に近づきたいという気持ちはある。
おそらく一生かかっても無理なのは承知の上で
それでも「あるべきレベル」を教えてくれたことについては感謝するよりない。
さて。
一刻も早く「隠居したい」という願望とは裏腹に
いたずらに「その場しのぎ」を続けたせいでそうもいかず。
いまだに「野暮用」をこなさざるを得ないのは不徳の致すところ。
もっとも「好きな事」をある程度確保できてはいるのだから「贅沢は敵」か。
曰く「いい気なもの」。
このまま「逃げ切れる」かどうかは不明のまま。
「計画性」は全くないのでいつものように「風まかせ」で終わるのだろう。
日曜は図書館へ行けずじまいだったので古本屋へ。
小林信彦「人生は五十一から」を見つけ買って再読。
当時から二十年足らずの時間が過ぎた模様。
週刊文春のコラムはまだ続いているはず。
昭和七年生まれなので今年84になるのか。
自分の年齢を忘れて他人の年齢に年月を感じる愚かさよ。
何度読み返しても著者のエッセイには新たな「発見」がある。
「時代観察者」としての「現役ぶり」にはひたすら感心するのみ。
このシリーズはまとめてあれこれ思い返しながら読みたいもの。
「困ったオッサンのこと」というタイトルのエッセイを書いたはずの景山民夫が
この頃に亡くなったことをあらためて思い出した次第。
江戸川乱歩と横溝正史の「確執」に関する文章もついこの間読んだような感覚。
「言葉遣い」に関する記述は後に「現代『死語』ノート」へ。
「大文字の歴史」と「小文字の歴史」が綴れ織りになる豊かさ。
あらためて自らの「貧しさ」を噛みしめて。
「年季が違う」と言ってしまえばそれまでだけれど
どうにかこの「世界」に近づきたいという気持ちはある。
おそらく一生かかっても無理なのは承知の上で
それでも「あるべきレベル」を教えてくれたことについては感謝するよりない。
さて。
一刻も早く「隠居したい」という願望とは裏腹に
いたずらに「その場しのぎ」を続けたせいでそうもいかず。
いまだに「野暮用」をこなさざるを得ないのは不徳の致すところ。
もっとも「好きな事」をある程度確保できてはいるのだから「贅沢は敵」か。
曰く「いい気なもの」。
このまま「逃げ切れる」かどうかは不明のまま。
「計画性」は全くないのでいつものように「風まかせ」で終わるのだろう。
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