退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「好ましいレベルと『歴史』あるいは自堕落」について

2016-04-05 03:29:39 | Weblog
雨のち晴れ。昼間はいささか蒸す。

日曜は図書館へ行けずじまいだったので古本屋へ。

小林信彦「人生は五十一から」を見つけ買って再読。
当時から二十年足らずの時間が過ぎた模様。

週刊文春のコラムはまだ続いているはず。
昭和七年生まれなので今年84になるのか。

自分の年齢を忘れて他人の年齢に年月を感じる愚かさよ。
何度読み返しても著者のエッセイには新たな「発見」がある。

「時代観察者」としての「現役ぶり」にはひたすら感心するのみ。
このシリーズはまとめてあれこれ思い返しながら読みたいもの。

「困ったオッサンのこと」というタイトルのエッセイを書いたはずの景山民夫が
この頃に亡くなったことをあらためて思い出した次第。

江戸川乱歩と横溝正史の「確執」に関する文章もついこの間読んだような感覚。
「言葉遣い」に関する記述は後に「現代『死語』ノート」へ。

「大文字の歴史」と「小文字の歴史」が綴れ織りになる豊かさ。
あらためて自らの「貧しさ」を噛みしめて。

「年季が違う」と言ってしまえばそれまでだけれど
どうにかこの「世界」に近づきたいという気持ちはある。

おそらく一生かかっても無理なのは承知の上で
それでも「あるべきレベル」を教えてくれたことについては感謝するよりない。

さて。

一刻も早く「隠居したい」という願望とは裏腹に
いたずらに「その場しのぎ」を続けたせいでそうもいかず。

いまだに「野暮用」をこなさざるを得ないのは不徳の致すところ。
もっとも「好きな事」をある程度確保できてはいるのだから「贅沢は敵」か。

曰く「いい気なもの」。
このまま「逃げ切れる」かどうかは不明のまま。

「計画性」は全くないのでいつものように「風まかせ」で終わるのだろう。
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