退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「問答無用の『絶対』がもたらすものあるいは自らの『不全感』を『正義』で補うことの貧しさ」について

2020-11-27 02:14:19 | Weblog
晴れ。昼間はコートを着ると暑い。

カレル・チャペック「絶対製造工場」を読む。

ちょっとした燃料のみで莫大なエネルギーを生み出す「カルブラートル」。
その発明が世界にもたらしたものとはというお話。

物質を完全に燃焼してしまうとそこに残るのは「絶対=神」で。
それがさまざまな「奇跡」を起こす一方。

各国の人々は「神」を「自分たちだけのもの」にしたくなり。
互いに相手の持つカルブラートルを「ニセモノ」だと言って破壊し。

やがて世界各地で戦争が始まることになる。
ちなみにわが国も登場して北アメリカを「占領」したり。

「問答無用な『絶対=信仰』」を信じるより「相対的」であれということか。
駄洒落にするなら「信仰」は「侵攻」を生み出すのだと。

本作が書かれたのは1921年から1922年にかけの「戦間期」。
「社会権」を認めたワイマール憲法のドイツは「戦争の負債」からナチスを生み出し。

「戦勝国の正義とルール」がもたらしたものを忘れずに。
ちなみにわが国でも日露戦争後に「日比谷焼き打ち事件」が起きたりしていて。

そうした動きを煽るのは常にマスメディア(当時は新聞)。
今ではネットやSNSによって個人がそうしたことを出来るようになっている次第。

フリッツ・ラング「M」(’31)を久方ぶりに再見。

アマゾンプライムで観られる本作の字幕の酷さたるや。
こうしたものを平気で流通させていいのだろうかと思うことしきり。

おそらくはドイツ語を知らない人が単語の特定の訳語のみに頼ったような感じ。
あるいは「不出来な翻訳機械」がなせる業か。

本作は少女連続殺人犯のせいで厳しくなった警察の捜査に犯罪組織が業を煮やし。
自ら犯人を捕まえにかかるという設定が面白い。

チョークで犯人のコートに書かれた文字は「Mörder=殺人者」の「M」。
この「聖痕=スティグマ」によって「人民(ただし犯罪者による)裁判」も起こり。

そうした姿はむしろ「リンチ」に似て。
「犯人の病気」を無視して「死刑」を要求し興奮する人々の姿よ。

女のひとりが「母親の気持ちになれ」と主張する姿にふむふむ。
「ネットの『正義漢』」が今でも同じことをしているのを覚えておこう。

もちろん子どもを失った母親が犯人に対して憤るのは当然。
ただし「自らの不全感」を「正義」で解消しようとする「他人の姿」は「浅ましい」。

もっと楽しいことをすればいいのに。
そもそも「楽しいこと」は自分次第でいくらでも見つけられるというのに。
コメント
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