退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「やはり楽しい小説と総ルビ復活の望みあるいは『ロボットであること』」について

2019-02-23 02:23:17 | Weblog
晴れときどきくもり。おだやか。

中里介山「大菩薩峠 都新聞版 第三巻」を読む。

「龍神」「間(あい)の山」というかたちで大菩薩峠復活の巻。
机龍之助はお浜に瓜二つのお豊に惚れて狂った放蕩息子金蔵のせいで視力を失う。

夢の中で遠い昔に別れた息子に会ったり。
いささか「仏心」も出た模様。

宇津木兵馬は龍之助のすぐそばまで来ながらの「すれちがい」。
道庵先生やお玉あるいは米友やムクといった好ましいキャラクターも。

今回もアッという間に読み終わった次第。
いやはや楽しいこと極まりない。

次回も二冊借りてくることにするか。
思わず漢籍を借りてくるのを忘れてしまったことに今さら気付く。

そういえば本書は「昔の新聞」に載ったものゆえ「総ルビ」。
つまり「すべての漢字にふりがなが付いている」。

それゆえどんな言葉が出て来ようと老若男女を問わず誰もが読める仕組み。
この「好ましい習慣」が失われて久しいのは何故なのだろう。

ただでさえ「日本語解読能力に欠ける存在」が増えている現在
今こそ復活させるべきだと思うが如何。

繰り返すが「早期英語教育」などどうでもよく。
おまけにその中身も「インチキ」なのだからお話にならない。

この種の「頓珍漢ぶり」には嗤うよりないのだけれど。
おそらくはどの現場でも起きていることを忘れずに。

その一方で。

北海道の地震に関するマスコミ報道について。
NHKを初めとして大した内容もないことを延々と繰り返すのは何故か。

同じ映像がしつこく何度も流されることに意味はないだろう。
「肝心な情報」が入ったところでまとめて伝えればいいだけ。

もちろんそれらは被害地域の人々のためにもならず。
いったい「誰のため」なのか。

「リアルタイムで伝えること」に意味があるのは
おそらく「常に現場で変化が起きている場合」のみ。

自分たちの手元に情報がないから
とりあえず「同じものを流します」というのではどうにも。

「自らの無能ぶり」を見せているだけのような。
「既成のフォーマット」を続けるだけなら「そんなものいらない」。

実に「生産性」のないことこの上なく。
当事者の誰もそれを疑問に思わない理由が「忙しさ」のせいだとすれば。

ロボットに仕事を奪われる恐れを抱く前に
すでに自らが「ロボット」であることを知れと言っておきたい。
コメント
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