退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「ごちゃまぜの日」について

2018-12-01 02:05:32 | Weblog
くもりのち晴れ。陽が当たらないと案外冷える。

「鷗外歴史文学集 第九巻」を読み始める。

まだまだ続く「伊沢蘭軒」。
ここまでくるとむしろ爽快な感じも。

喫茶店で1時間くらい読んで映画館へ。
アリ・アスター「ヘレディタリー/継承」を観る。

ミニチュアの使い方にふむふむ。
ヒッチコックもトリュフォーも使ったもの。

トニ・コレットの「狂乱ぶり」がなかなか。
母親を嫌いつつ「母親以上の厄介な人」に。

ガブリエル・バーンの父親は「何もできない存在」。
家族の中ではありがちなパターン。

ミリー・シャピロの妹が窓にぶつかって死んだ鳥の首を切るのが後で効いてくる。
兄のアレックス・ウルフは死なせた妹の姿を自ら「再現」したり。

母親と兄の「言い争い」の醜さがいかにも。
「血縁であることのどうしようもなさ」よ。

途中から登場するアン・ダウドの「あやしさ」。
「悪魔復活」のためには「無理矢理の出産」があったことも忘れずに。

過去の映画からさまざまな要素を採り入れていることはわかるものの
これが面白いかと言われると微妙。

「従来にないもの」であるのは確か。
「ぼやけた幽霊」は黒沢清だと言っておく。

「ホラー」が世情を映すものだとするなら
「現実」が相当にヤバいことになっているゆえの「嫌らしさ」がここにはある。

いわゆる「負の連鎖=継承」だと思えばいいか。

帰宅後ポール・W・S・アンダーソン「イベント・ホライゾン」(’97)を観る。

「惑星ソラリス+ゴーストシップ+ヘル・レイザー」といった趣き。
これまた面白いかと言われると微妙。

「事象の地平面の向こう」を敢えて「地獄」だとした設定。
ロバート・ワイズ「たたり」(’63)を嚆矢とする描写もあり。

クーパーのリチャード・T・ジョーンズが「笑い」も見せたりして
これも「ごちゃまぜの味わい」らしい。

「試み」としてはわかるのだけれど
それが「新しく好ましいもの」だとは判断できず。

「混ぜるしかないこと」をどう評価するのか。
そのあたりがどうやら「分水嶺」。

「新しいもの」が生まれる前の「苦しみ」の結果なのかどうか。
ただし「歴史」を振り返れば「もっと新しいもの」は出てきたはず。
コメント
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