退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「世界文学の翻訳のあれこれと『相互不信』ゆえの神経質さあるいは『具体的に生きること』」について

2018-12-27 02:56:35 | Weblog
くもり。ときどき晴れ間も。

小谷野敦編著「翻訳家列伝101」を再読する。

主に学生時代に文庫で見かけた名前がたっぷり。
読んだ作品そのものもあれこれ思い出した次第。

当時と比べるとたまに行く新刊本屋には「古典」が少ないような。
まあこちらが年を取ったせいもあるのだろうけれど。

仏露英米独中という国別の分類の他に「明治・大正期」「推理・SF」「児童文学」に加え
古代ギリシャの呉茂一、ラテンアメリカの鼓直、イタリアの河島英昭に河野与一ら。

どうせここまできたのならその他の国の翻訳家も紹介してほしかったところ。
出版時の制約もあったことは偲ばれるものの。

むしろいまだに翻訳されていない国を挙げてみるのもいいかも。
それぞれの国の専門家を集めて紹介する本があったら楽しそう。

鶴瓶の「巷の噺」でたけしがゲストの回を観る。

今のTVは「コンプライアンス」とやらであれこれ喧しいことなど。
たけしの子どもの頃のイタズラぶりに笑う。

現在が「せせこましい世の中」であるのは確か。
いたずらに「神経質になる原因」が「相互不信による疑心暗鬼」であることを知ろう。

「具体的なお付き合い」のないまま「相手を斟酌する」とそんな具合になる次第。
「被害者のことを思え」と実情を何も知らない他人が言うことになる。

仲のいい間柄なら相手を相当にくさす言葉が平気で出ることを忘れずに。
もちろんそこには「笑い」があり。

見知らぬ人にいきなり「てめえ、うるせーんだよ」と言われれば腹も立つが
それがよく知る相手なら「おめえがうるせーんだよ」と言い返せる。

ただし前者のような発言がネットやSNSでは可能になり。
自らの「どうでもいいウサばらし」がはびこることになるわが国の「貧しさ」よ。

そういうことが出来やすい「テクノロジー」の扱いにご用心。
もっともその基本は「相互不信」であるのを忘れずに。

さて。

自分に「未来がない」と思えるのは「特定の過去」に縛られているから。
とりあえず生きている以上「そこそこの未来」はありそれがどうなるかは誰にもわからず。

繰り返すがもっと「実験」を。
狭い自分の脳内ひきこもりを続けるかぎり「新たな世界」が見えるはずもなく。

「なぜダメなのか」を思うより「どうしたらよくなるか」を試すのみ。
それぞれの人生をもっと「具体的なもの」にしたいもの。
コメント
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