退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「移りゆく存在あるいは敏感さと鈍感さ」について

2017-03-24 02:18:22 | Weblog
晴れ。おだやか。

ギャヴィン・プレイター・ピニー「『雲』の楽しみ方」を読む。

雲の種類の説明とともに神話や作品の引用もあって。
石川啄木「雲は天才である」とは違ってあくまで「リアル」に。

ただし本書では雲の写真がモノクロなのが何とも残念。
せめて裏表紙のカラー写真で我慢するよりないか。

雲を愛でる会」を載せておく。
「行く川の流れ」同様に雲も常に移りゆく存在。

とりあえずうつむいてばかりいないで
たまには空を見上げてみたらというおすすめだと思えばふむふむ。

それとは別に。

知り合いの若い女子は最近夜ふかしをしているらしいのだけれど。
その影響が翌日のお肌にてきめんに出るとのこと。

「その年でそうなのか」と感想を述べた後で。
わが身を振り返ると夜ふかしを続けてはや数十年。

「衰え」はあるとしてもあまり気にはならず。
もっとも女子の身体は男子と違って敏感なのでそういうものかもなどと。

たとえば「毎日メイクする人」はファンデーションの乗り具合の違いがわかる。
ならば「否応ない変化」を感じざるを得ないのか。

「いい具合」だったりするとうれしくもなるはずで。
なるほどそれに比べるとこちらの「圧倒的な鈍感さ」が見えてもくるというもの。

「自然」を生きる者と「観念」を生きる者の差よ。
両者がうまく結び付けば幸い。

いずれにせよ「他人のこと」はよく見える。
「自分のこと」はなかなか見えない。
コメント
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