退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「ふたつの困難」について

2017-03-17 02:22:32 | Weblog
晴れ。朝晩の冷えは残る。

昨日は妙に疲れた感じで酒の回りが早く寝てしまう。

いつも通り身体に従うのみ。
ただしぐっすり眠れたかというと微妙。

橋本治「浄瑠璃を読もう」を3分の2くらい読む。

「仮名手本忠臣蔵」「義経千本桜」「菅原伝授手習鑑」
「本朝廿四孝」「ひらかな盛衰記」まで。

著者が「本領発揮」をした時の相変わらずの圧倒的「濃縮」のせいか
「普通の本」を読むより数倍のパワーが要る感じ。

「浄瑠璃のテキスト」が昔と違って手に入りにくいゆえの「タイトル」。
その「読み解きぶり」は圧巻だけれどこれについていくのは相当な「胆力」がないと。

「当時の作者や観客」についてはよくわかる一方
現在のわれわれにそれを「受容」する力があるのかといえばおそらくない。

とりあえず明日読了する予定。

NHKスペシャル「 避難指示“一斉解除” ~福島でいま何が~」の再放送を観る。

「かけがえのない故郷」ではあれど「放射能汚染の現実」が帰還を促さない「事実」。
とりわけ子どものいる家族にとっては「当然の結論」だろう。

「避難指示の一斉解除」があっても「持続可能な共同体の維持」が無理なのは明らかで
せっかくの「復興予算」も「利用者のいないハコモノ」を作るだけに終わり。

そもそも「共同体維持」のためによかれと思ってそれらを行う町長は
残念ながら「本末転倒」を信じているとしか思えず。

震災から6年たっても劣悪な「仮設住宅」にいるしかない人々の「環境」を
少しでもましにするために使う方がよっぽどいいのに。

こうした「現実」を予想せぬまま政府が行った「『復興』ありき」の「避難指示の一斉解除」が
いたずらに住民たちを分断することになる「無惨」よ。

この「想像力のなさ」が引き起こす「二次災害」の大きさを思うとどうにもやりきれない。
「被災者に寄り添うこと」がかくも難しいのは「現実対処能力のなさ」のせい。

「従来」などどうでもよくそれぞれの「現場」に効果的な援助を出来ればいいだけ。
「現実に向き合う能力」に関して優秀な人材はいるはずで。

「適材適所」が不可能な理由が「人材の評価基準」だとするなら
それを改めることを真剣かつ着実に実現する努力をしたいもの。

「人材は人材を知る」のは「事実」だとして
そうでない者たちの跳梁跋扈を止める手段はないものか。
コメント
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