退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「ある妄想」について

2012-02-26 06:17:40 | Weblog
久方ぶりにyoutubeをちょいと。

ラテンの世界は圧倒的な「男尊女卑」だという妄想が膨らみ。

「同族」であろうとなかろうと男たちは口笛を吹いて女たちを品定めし
その「屈辱あるいは誘い」に女たちは「地団駄踏む」という「抵抗のような誘惑」でフラメンコを踊る。

そもそもが「植民地であること」への「抵抗」に始まり
「征服者」に対する自らの「尊厳」を示すものとなり。

彼ら彼女らの声に問答無用な「郷愁」があるのは
「祖国を奪われた哀しみ」だとして。

いわゆる「普通の生活」を支えているのは常に女で
それがなければ偉そうな男どもの「毎日」もありはしない。

どどんどんどん。
女たちは床を踏みしめる。

ある者はスープに「毒」を加え
またある者はいかにも彼らの「欲求」に従うフリをして。

とりあえずの「仲間」なら誰でもよい。
ただし「心から許せる相手」は数少なく。

さまざまな男たちと交わりつつ子どもを愛し。

そうしてあらゆる「子ども=男」を「マザコン」にすることで
彼女たちの「復讐」は完成する。

ママ。

死の床にある男たちのつぶやきに彼女たちは莞爾と微笑むのだ。

というわけで。
こんな「物語」はいかが。
コメント (2)
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「空気」あるいは「前提」」について

2012-02-26 04:47:50 | Weblog
晴れ。おだやか。

仕事場で研修の後なんとなくみんなで出かけようかという雰囲気を感じたものの
誰もはっきりそう言わないのでそそくさと帰ることにする。

「メシ食いにあるいは飲みに行きましょう」という「ひと言」が出ないのはなぜか。
仕事場の若い同僚たちは誰も「リーダー」になりたがらない傾向があるようには思われるけれど。

個人的には表面上おだやかに見えて案外「いらち」。
何事かを終えての「ぐだぐだ」や飲み会その他の移動はさっさとすませたいタイプ。

自分が先導すればみんながついてくることは重々承知の上。
敢えて若い同僚たちに任せてみた結果そうなったということで。

もちろん「みんなの意見を聞くこと」は「正しい」が
誰にとっても100%納得できることが出来ようもないのは「自明」。

ならば誰かが「先頭」に立って
「リーダーがそう言うなら仕方がない」と思わせる「人格もしくは技量」があるかどうかが重要なはずで。

その「単純」が理解できないと
いたずらに「独裁」という言葉が浮き上がってきたりもする。

とりあえずわが国が遠からず「衰退する」ことだけは確実で
その上でどうするかということ。

おそらくそれなりに「資産もしくは能力のある個人」は適当に安楽に暮すだろう。
そうでない個人は「圧倒的な貧困」に甘んじることになる。

それが「好ましいこと」でないのは事実だとして
あなたはどうする?

繰り返すが地球にとって人類は「有害」であるという「視点」もありつつ。
そういえば「山川草木」や「鳥獣虫魚」は何も言わない。

いわゆる「人間らしさ」がそもそも無条件に「好ましい」かどうかは
実はよくわからなかったりする。
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