作・演出 | 三谷幸喜 |
出演 | 小日向文世 段田安則 渡辺徹 吉田羊 シルビア・グラブ 新妻聖子 今井朋彦 小林隆 平岳大 秋元才加 小林勝也 風間杜夫 |
舞台は1942年、第二次世界大戦下のドイツ・ベルリン。ありとあらゆる芸術は国家社会主義労働者党、つまりナチスのプロパガンダのために利用され、彼らは厳しい検閲の中で芸術活動を行っていた。すべてはナチスのためと言わんばかりに。
政治に翻弄される映画人、政治にとり憑かれたナチス高官たち。それぞれがそれぞれの立場でぶつかりあう、人間の誇りをかけて。。。
この作品の初演は、まさにあの東日本大震災の時。震災当日のソワレは中止、再開後も震災後の大混乱で劇場に行くことさえできない人たちもたくさんいたことを思い出します。三谷さんがそう間をあけずに再演に踏み切ったのも、あの時観たくても観られなかった観客への配慮なのかな、と感じました。
初演と少しキャストも変わり、石田ゆり子さんが演じたゲッペルスの妻マグダは、あの時女優の卵エルザ・フェーゼンマイヤーを演じた吉田羊さんが、そのエルザ・フェーゼンマイヤーは元AKBの秋元才加さん、白井晃さんのゲーリングは渡辺徹さんにかわっていました。
ホロコースト前夜のゲッペルス邸の一夜の物語ですが、一度に2000人を殺すガス室について無感情に語るヒムラーがカイガラムシの命について慈悲深く語ったり、ユダヤ人大量殺戮計画にドン引きして国力誇示の映画製作から手を引こうとする映画人たちに「分けて考えるんだ!」とゲッペルスがなんのためらいもなく言い放ったり、反政府の立場をとっていたケストナーが保身のためにゲッペルスにすり寄ったりと、じわりとした恐怖を感じました。特にぞっとしたのは、ヒムラー長官の「生物学的処分」という言葉。「あいつらをこの世界から絶滅させる。それが『あのお方の意志』だ」という言葉。それが事実となることを知るだけに、本当に背筋が凍りました。
「分けて考えるんだ」という概念、やっぱり怖い。それとこれとは別。遠い地域で現実に起こっていて、解決しない限りいずれは自分の身にも降りかかってくるかもしれないことに目をつぶり、目先の利益に飛びつこうとすること。。。
もっとちゃんと想像力を働かせて未来を見て生きなさい!と言われたような気持ちで劇場を後にしました。
それはそうと、今日は建国記念の日(建国記念日じゃないのよ「の」が大事なんだって。)だったせいか、渋谷の街は装甲車が並び、防弾チョッキと黒いヘルメットに黒いブーツのSITだかSATだかみたいなスタイルの警官が集団で警備にあたっていて、物々しい雰囲気。何か事件があったのかと、びっくりしました。。。
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