ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

U70

2008年06月13日 | Weblog


U23の試合でも見ようかと、「更級」に行くと、な
にやら「U70」のおじさん達が、酒を飲みながらご機
嫌でテレビを見ている。
何を見ているのかと思えば、それはボクシングの世界
戦だった。
これで、U23は駄目だなと諦めたが、そのおじさん
達は兎に角ご機嫌なのだ。
嬉しそうに解説しては、そうだそうだとうなずきあい
ながら日本酒をちびちび。
至福の時間というのは、多分こういうのだろうなと思
わずにはいられなかった。

しかし、この年代の人はテレビのスポーツ観戦が好き
だ。
この前のイタリア戦は惜しかった、などと言っている
ので、イタリアは今はユーロだし何のことだろうと思っ
ていると、男子バレーの話だった。
普段、バレーになんか興味ないはずなのに、オリンピッ
ク出場がかかっている試合なので見たようなのだ。
ここで前言を訂正。
スポーツ観戦が好きというより、ことのほかオリンピッ
クが好きなのだ。

「殆ど勝ってたのに、最後に負けたのは、結局本当の強
さがないからなんだよ」
「そうだそうだ」
「スポーツ心理学上、勝てると思うと油断が出来、集
中力がなくなるらしいよ」
(多分スポーツ新聞に書いてあったのだろう)
「ほう、そうなんだ」
「勝とうと思う気持ちが、勝てるとなった時が危険な
んだ」
「なるほど」
「ゴルフなんかもそうだもんな」
(自分の体験と照らし合わせ納得する)
「しかし伊達は凄いよ」
(突然伊達の名前が出てきたが、他のおじさんはそれ
が誰だか判らない様子)
「バレーの男子と違って、殆ど負けの状態から持ち返
すんだから、やっぱ凄いねプロは」
「精神力が違うんだよね、最後まで諦めない集中力」
(伊達が誰だか知らないが、とりあえず話をあわせる)
「結局最後は気持ちの問題だね、メンタルだよ」
(もう、伊達が誰なのかは問題ではない)
「うわあ、KOだよ」
(ボクシングの画面にKOシーンが)
「あれは、過去のいいシーンをやってるからだよ」
「そうか、それにしても今のボクシングは誰がチャン
ピオンなのか全然判らないね」
「階級が多すぎるし、何だか団体もいろいろだしね」
「しかも、ころころ変わるし」
(ファイティング原田の時代からすると、やはり取り
巻く環境が違いすぎる)
「うわあ、やられた」
(今回は、本当に日本人選手がKO負け)
「弱いね」
「全く、情けねえな」
(この辺になると、知ってようが知らなかろうが関係
なく、目の前の現象に対して好き勝手に言うだけ)

こうやって、終わりなきU70の楽しい会話は続くので
ある。
仕方ないのでU23の試合は家で見ることにした。
コメント

檸檬

2008年06月12日 | 映画


一昨日の「鑑定団」の最後に、「梶井基次郎」の直筆
の手紙が出てきた。
予想金額を100万としたが、結果はその通りとなった。
こういう時は、気分がいい。
自分が目利きになったような気がするから。
その時は他の、万古焼きの土瓶とか、モンマルトルで買っ
た油絵とか、ほぼ予想した金額と一致し、自分でも調
子がいいと思った。

梶井基次郎といえばなんと言っても「檸檬」だが、内
容は全く覚えていないが、ある本屋で(丸善というこ
とだ)、積んである本に檸檬を置く情景だけは、鮮烈
に覚えている。
自分の中では、あたかも映画のワンシーンのように刻
み付けられているのだ。
こういう小説も珍しい。
その強度は、「アンダルシアの犬」の中の目玉のシーン、
或いは同じブニュエルの「昇天峠」のりんごの皮をむく
シーンに匹敵する。
何故かブニュエルなのだが、これは、そのシュールな感
覚が同じだからだろうか。
「梶井基次郎」と「ブニュエル」、普通は全く繋がら
ないが、私的には繋がっている。
小説と映画なのに、我ながら不思議だ。

ところで、その後のDVDコレクションだが、これが全く
変化なしで、仕方ないのでということもないのだが、再
びストローブ=ユイレの「階級関係 -カフカ<アメリ
カ>より-」を観ることにした。
これで三回目か。
カフカ原作の「アメリカ」(失踪者というタイトルもあ
る)を基にしている、ストローブ=ユイレの作品の中で
は一番物語として成立している映画だと思うが、カフカ
を知らないとその唐突な展開に戸惑うかもしれない。
が、一応時間軸に沿った物語でもあるし、ストローブ=
ユイレにしては「普通の映画」に近い。
それにしても、なんでもないビルの風景とか、最後に車
窓を流れる川の風景とか、自然の音しか聞こえない世界
だが、何故にこれほど魅力的なのか。
効果的な演出とは無縁な、生の力とでも言おうか、兎に
角不思議な魅力があるのがストローブ=ユイレの世界で
ある。

それとは別に、カフカの「アメリカ」だが、この映画と
どう違うのかはっきり比較するほど覚えていないので、
もう一度読もうかという気になっているのだが、その
興味と面倒くささと、ちょっとした葛藤を今抱えている。
果たして、この先どうなるだろうか。
コメント

平成中村座

2008年06月10日 | 芸術


ユーロ2008でも見ようかと思ったが、流石に時間
が夜中の3時では。
結果を見れば、オランダがイタリアに3-0。
ちょっと見たかった。

話は変わるが、この七月松本で「平成中村座『夏祭浪
花鑑』」の公演がある。
一度も歌舞伎というものは見たことがないが、周りに
歌舞伎好きがいたり、関わってる人がいたりで、見た
こともないくせに身近に感じている。
そこで、いい機会だからとチケットの状況を確認して
みると、発売と同時に売り切れという状態だったらし
い。
凄い人気である。
ベルリン公演と同じものをやるから、というより、元々
人気があるのだろう。
それよりベルリン公演はどうだったのか、そちらの話
も興味あるところだが、それはおいおい分かることな
ので、後の楽しみだ。
どちらかというと、そっちの方が興味あるかも。

その前に、何故松本で「平成中村座」かということだが、
それは、公演をする「松本市民芸術館」の館長が「串田
和美」さんであるという理由からだ。
串田さんは「平成中村座」の監督でもあるから。
過去、自身のオリジナル作品も「松本市民芸術館」で
やっているが、今回はとうとう歌舞伎となったわけだ。

この「松本市民芸術館」というところは、建物は「伊
東豊雄」設計と器もいいし、ソフトはソフトで串田さん
が頑張ってるしで、田舎の箱物の中ではかなり充実し
ているものであると思う。
が、ご多分に漏れず、こういうものに反対する人間が
いるようで、一緒くたに無駄と言われる。
文化的な価値というのは、客観的に説明は難しい。
感性による部分が大きい。
だから、唯一の基準、採算だけでその価値を決められ
てしまう。
民度が問われるのだが、人によっては、カラオケ大会
で頻繁に使われ市民に利用され、その上で採算的に合
えばそれがベストと考える。
数から言えば、そういう人のほうが常に圧倒的に多い
だろう。
しかし、質的なものを考えると???である。

わが町にこういう施設があり、しかも多くの人に支持
される、なんていうのは誇りになると思う。
松本なんか、そういう面では、「サイトウキネン」も
あるしでかなり成功しているところかと思われる。
器だけ立派なものは無駄だが、ソフトが伴えば、つま
りそれを支える文化的土壌があれば、それは誇りにな
るだろう。
コメント

事件

2008年06月09日 | Weblog


それにしても「秋葉原の通り魔殺人」はひどい。
誰もが巻き込まれる可能性があるので、他人事として
は考えられない恐さがある。
この手の事件は、その異常性から、何故そんなことが
起きるのかと、いろんな分析が行われどうにか論理的
な因果関係を導き出そうとするが、そういうのはあま
り意味がない。
それは、どんな時代にも起こりうる、客観的な理由な
ど見出せない事件だから。
社会の歪みが生み出すとか、抑圧された人間の不満が
ベースにあり、それを解決する方法がこの事件だった
とか、或いは、歪んだ欲望が形を変え表出したとか、
いくらでも説明は出来る。
今回は本人も言っているように、社会に対する復讐の
気持ちが強いのかもしれない。
そういう気持ちそのものが、すでに問題だとすると、
世の中犯罪者だらけではないだろうか。
想像の世界でだったら、マンガとか映画でいくらでも
行われている。
そして、それらが受け入れられているという現実は、
如何に意識の中にそういう気持ちを抱え込んでいるか
という証明ではないか。
実際にやってしまうのとは、大きな差があるが。

テレビのキャスターが尤もらしい顔をして「全く考え
られない」などと正しいことを絶対言うはずだが、む
しろ、必ず起こりうることであるし(アメリカなら銃
乱射)、社会はこういう人間を生むという現実を認識
するべきだ。
しかし、犯人は絶対許せない。

そんな事件があっても、その後のニュースは水泳の記
録ラッシュについてだ。
つまり、これが現実なのだ。
いくら、凄惨な事件があっても、当事者以外は瞬間に
切り替え、「オリンピックでメダルを狙うならやはり
スピードだよね」と本気で考える。
そのニュース価値は下手をすると水泳の方が上なのか
もしれない。
「通り摩殺人」よりは「スピード」。
結局、そんなもんである。
この一年を通してみれば、多分、「通り魔殺人」の衝
撃よりは「オリンピックの感動」の方が上回る。
コメント

三谷作品

2008年06月08日 | 映画


アウェイでオマーン相手に1-1の引き分けという結
果は、良くはないけど、悪くもないというところでは
ないか。
それにしても「大久保」は。
順当なレッドカードだった。
瞬間かっとなる性質は、そう簡単に直せないものだと
いういい見本である。
アウェイで活躍してこそ評価が上がるというものなの
に、これでまた使いづらくなってしまった。
一番打撃を受けるのは自分なのに。

そんなサッカーの時間、他局で「THE有頂天ホテル」と
いう三谷幸喜の映画をやっていた。
以前も触れたが、兎に角面白くなかったのだ(具体的
に笑えないという意味で)。
そこそこヒットした作品だと思うが、個人的にはそう
いうことだったのだ。
そこで、何故なのかともう一度確認したく、見てみよ
うという気になった。
と言っても、断片的にだが。

しかし、今回もやはり全く笑えなかった。
もともと三谷作品で(テレビシリーズ)面白いと思っ
たものはないから、完全に笑いの壺が違うという事実
があるのだが、それにしてもだ。
本人のキャラクターは面白いと思うのだが、作品とな
ると全然なのが不思議だ。

まず見てて感じるのは、舞台の芝居そのままではない
かということだ。
よく考えられたシナリオを、忠実に、一生懸命演じて
いるのは分かる。
多分上手いのだろう。
しかし、それだけなのだ。
芝居小屋で演じているのなら全く問題ないだろうが、
これを映画にする理由を見つけられない。
「さくらん」でも感じたが、映画的な瞬間というもの
が見出せないのだ。
多分監督が意図したものであろうというのは見えるが、
そういうものは見えた時点で終わりだ。
ほしいのは、そういう意図を超えた思わぬ瞬間なのだ。

と、この映画に関してそういうものを期待するべきで
はないのだが、映画にする時点で、そういう部分が問
われるのも致し方ない。
わざわざ、映画にしているのだから(これがテレビだっ
たら、全く問題はない)。
笑えないのだったら、他に見るべきところがあるかと
探すのが自然なことだろう。

ありえない設定で嘘っぽい話の映画としては、ウェス.
アンダーソンの「ライフ.アクアティック」というのが
思い出されるが、あちらは笑えるし映画としても充分
成立している。
笑いの質がブラックであるという違いがあるが、嘘っ
ぽさを超えある種のファンタジーに到達しているとい
う大きな違いもある。
つまり、三谷作品は、いつまで行っても舞台上の芝居
なのだ。
映画としてみた場合、これは致命的なのではと思うが、
面白いと思っている人が多いのだから、別に致命的で
あるはずもない。
まあ、そういうことなのだろう。

コメント

バター

2008年06月07日 | 食べ物


バター不足は、去年の秋頃から始まってどんどん深刻
化しているが、どう考えてもおかしい。
牛乳そのものは、消費が減ってきているということで
生産調整をし、乳牛そのものの数が少なくなってきて
いるということである。
一方、バターは、消費が急に増えることもなく、逆に
減ることもなく一定量の消費のはずだ。
つまり、普段と同じ量を作っていれば問題ないはずな
のに、いきなり市場から消えてしまった。
飲料用の牛乳とは別に確保しているはずだから、乳牛
調整の時点でそれは考慮していると見るのが論理的で
ある。
加工用は、チーズに回すようになっているので、バター
の方には急に回せないと言っているが、それ以前に確
保していてしかるべきなのだ。
どうも、流通に謎がありそうだ。

日本の酪農家は酪農家で、全く儲からないどころか、
重労働借金とひどい状態のようだし、根本的に何かが
おかしいのだ。
牛乳が安いのは、一般消費者からすれば良いことだが、
それによって国内の食料生産力というものが衰えてい
くというのなら、それはそれで問題なのではないか。
全てを市場経済に任せれば良いのか、という疑問を感
じている人は多いのではないだろうか。

食料自給率が減っている現状を見て、輸入を制限する
べきだと、国内生産者を優遇するような政策は、政治
家の常套手段で信用できないし、そのまま国際問題に
発展するし、全てを国内の安全な食品で賄うために自
然に帰ろうなどと主張すると、ロマン主義的発想と揶
揄されるしで、どうするのが良いのかはっきり言って
分からない。
自由経済主義的発想で、例えば、日本の食料が不足し
た場合、いくらでも輸入すれば良いし、そういう時の
ために、普段から輸出国との関係を良い状態に保つの
だ、と主張する人間もいるが、果たして緊急時に上手
いこといくのかという懸念は捨てきれない。
輸出国の国内事情も関係するので、あまりに楽観的な
前提ではないかと思われる。
国内自給率が高いのに越したことはないのだ。

一番いい方法は、輸入を制限するのではなく、消費者
の手にゆだねるのだ。
そして消費者が、高い意識を持って国内ものを選ぶよ
うにすれば良いのだ。
そうすれば、国内生産者も育て自給率もアップ。
なんて、なるわけない。
間違いなく、安いほうを選ぶのが消費者だ。
それこそが市場経済で、結果こうなっているわけだか
ら。
結局、行き着くとこまで行くしかないのだろうと思う
「梅雨の空」、である。
コメント

カブトムシ

2008年06月06日 | 生き物 自然


甥っ子に、カブトムシの飼育状態を見てもらうと、水
分不足であるということが判った。
幼虫を出してみると、死んでいるのではと思うくらい
の元気のなさで、飼い始めの頃より小さくなっている
と指摘されてしまった。
虫の話が多いので、そういうものも得意なのかと思わ
れそうだが、飼育とかそういうことは未だ嘗てやった
ことはなく、今回が初めてだ。
要するに面倒くさいのだ。
それに、好きなのは、飽くまでも自然の中で観察する
ということで、飼育することではない。
このまま、果たして無事に成虫になることは出来るだ
ろうか。
発育不全の小さいカブトムシだったら、それはそれで
面白いのだが。

腐葉土を足して更に水分も足し、再び良い環境になっ
たようだから(甥っ子によって)、これからは水分補
給をまめに、というこちらが課せられたミッションを
遂行するのみである。
考えてみたら、小学校の理科の課題、「何とかの飼育
と観察」なんてのも、いつも適当に済ませていた。
三つ子の魂というものだね。

ところで、カブトムシの幼虫は所謂「芋虫」の仲間で
いいのだろうか。
イメージ的には、毛のない幼虫を芋虫と呼んでいて、
毛があれば毛虫。
そこで、英語ではどうなっているかと思い調べてみる
と、芋虫は「caterpilla」で毛虫は「hairy caterpilla」
とある。
イメージ通りだった。
分類上の名前ではなく、見た目の命名だから、普通に
感じるような名前となってるわけだ。
日本の場合は「芋虫」と「毛虫」で、両者の関連性を感
じさせない。
英語の方が、より論理的である。
一方、日本の場合は、より感覚的であると言える。
自然観の違いがこういうところにも出るわけだ。
因みに蓑虫は「bagworm」。
「袋のミミズ」より「蓑虫」の方が、やはり風情があり
そうだ。

コメント

ジャンク

2008年06月05日 | 食べ物


山の中にある、ある湖の駐車場の脇を何気なく見ると、
なにやら花束が置いてある。
あるべきところにあるという類のものではない違和感、
唐突さを感じさせる花束である。
道路上に、たまにある「あれ」と同じものだ。
花束の横には線香もあるし。
しかも、雨で消えたのだろう、殆どそのままの状態だ。
交通事故は考えられないし、周りは湖と森だ。
その置かれた場所は、駐車場の脇で、その先は林であ
る。
ということは、事故死というより自殺か。
新聞には、事故の記事はなかったからそういうことな
のだろうか。
車を止めていきなりこの光景というのも、なかなかき
つい。
しかし、こういう出来事は、人知れずあちこちで起こっ
ているものなのだ。
たまたま、そういう現場に遭遇したということなので
あろう。

と言えど、お腹は空いて、ちょっと腹ごしらえ。
流石にゆったりという気分ではないのでそそくさと、
ちょっとジャンク系を。
ここに来る前、モスバーガーで「海鮮掻き揚げ」と新
メニューの「マリネーフィッシュバーガー」というや
つを買ってきたのだ。
モスバーガーとマクドナルドを比較すること自体は無
粋なことである。
が、とりあえずモスバーガーだったら食えるというの
は事実で、特別何かをというアイデアがないときには
たまに利用することがある。
ただ、フィッシュバーガーだけを比較した時、その優
位性はあやしくなる。
そんなフィッシュバーガーのマリネーという新商品な
のだが、これが、見事に美味くなかった。
ハンバーガーの肉自体も、牛肉100パーセントの時
の方が良かったし、どうも最近のモスバーガーは、マ
クドナルド寄りになっている、ように思われる。
ちょっと軸足が定まってないのではと危惧する。

今回の新商品、何が駄目かというと、マリネーの味付け
そのものがどうにも甘すぎて、完全に子供用の味付け
になっているのだ。
一言で言えば、余計な味付け。
女子高校生仕様がこういう味付けであるのなら、これ
で良いということになるが、やはり方針としては、そ
ういう客層がより重要なターゲットであるのだろう。
売れるためにはこういう味というなら、文句をつけて
もしょうがない。
ジャンク系の世界も、売れ筋に収斂して、結局どれも
同じような味というのが一つの流れなのだろうか。



コメント

GAS

2008年06月04日 | Weblog


先月末、夜のガソリンスタンドに長蛇の列、そう言え
ばまた値上がりかとその時気付いたが、並んでまで入
れる気もおきなくスルーしたが、後で考えたら、自分
の車のガソリンは、もう少しでエンプティーという状
態だった、少々後悔。
それにしても、止まるところを知らない値上がり様だ。
大手石油資本と、アラブの産出国と、ロシアの石油マ
フィア(このイメージなので)だけがぼろ儲けの今の
状況って、どう考えてもおかしい。
方や、その日の食べ物がない人々がいる。
目端の利く人間でないと良い暮らしが出来ないという
のは、今に始まったことではないが、世の中程度とい
うものがあるだろうに。
昔だったら、革命の一つも起こるところだろう。
これも、不満のガス抜きとなる娯楽が巧妙に仕掛けら
れているからなのか。
資本主義の世の中は、個人の欲望を際限なく掬い取る。
そして、知らず知らずに不満も分散或いは解消してい
く。
本当、良く出来たシステムである。

と、ついついこんなことを考えてしまうような今の状
況だ。
そんなことより、今目の前のガソリンはどうするのか
ということになる訳だが、ここまで来ると、流石に、
あまり乗る気にはならなくなる。
なるべく自転車で済むところは自転車で。
遠くの移動は電車を使う。
近場は歩く。
自然と、そういう方向に向かう。
この状況は、これはこれで結構なことでもある。
無駄なエネルギーを使わないで済むのだから。
全員が、これを機会に、そういう生活スタイルを定着さ
せれば良いのだ。
そうすれば、世の中大きく変わるのではないだろうか。
と思うが、喉もと過ぎればなんとやらの世界だし、こ
れも夢物語というしかないか。

そして、釈然としない思いを抱えながら、「セルフ」で
とりあえず20リッター入れる自分がいる。
コメント

千から万

2008年06月03日 | Weblog


日本代表、3-0の快勝であったが気になったことが
いくつか。
中村が出られないときに、果たして攻撃の形が作れる
のか。
オシムのときは、誰が出ても、基本的な形というもの
が見えて、チームとしてのコンセンサスを感じること
ができた。
全体の動きがダイナミックで、スピードを伴った攻撃
が小気味良かった。
最後の詰めは個人能力なので同じようなものだが、そ
こに至るまでの過程が見てても楽しかったのだ。
まあ、岡ちゃんもまだ三ヶ月だし、それで比較されて
もという部分はあるだろう。
昨日の試合は、ディフェンスが安定していて、やられ
る感じはしなかったが(ジーコの時よりは進歩してい
る)、攻撃は、中村頼みの面が強く、中村が押さえら
れたらどうなるのだろうという不安は拭えない。
試合が膠着した時、一発のカウンターでやられる危険
性を感じてしまう。
相変わらず、無駄なイエローカードを貰ったり、アウェ
イでは楽勝とはいかないのでは。

ところで「せんとくん」だが、対抗キャラクターの「ま
んとくん」が発表された。
千に対して万か。
見た目の第一印象は「カウボーイ」だったが、これは
人それぞれいろいろなんだと思う。
少なくとも「せんとくん」のような「変」な感じは受
けない、どこにでもありそうな普通のキャラクターで
あった。
個人的には、全く良いとは思わないが、これは元々キャ
ラクターが好きではないという理由による。
一般的に受ければ良いのだから、それは自ずと結果が
出て判ることだろう。
そもそも、全員が好きなキャラクターなんてありえな
いんだから、優先することは、嫌悪感を抱かせないと
いうことである。
その点で「せんとくん」は失格であったのだ。

作者の持ち味がが「せんとくん」のセンスであること
は以前触れたが、感じるのは芸術的というよりは工芸
的なセンスだ。
もし、あれが、例えば「根付」なんかにあったらそれ
はなかなか良いものであると思う。
作者の名前が全面に押し出されるものより、ひっそり
と、良く見ると変なものがそこに、というのが一番似
合っているような気がする。
作者にとっては不本意だろうが。
それに、芸大の教授としての矜持がそれを許さないか。
コメント

カレーシンジケート

2008年06月02日 | 食べ物


この間、新しく出来た「インド料理屋」に行った。
昔ながらのカレー屋が新しくオープンするというのは
あまり聞かないが、現地系(現地の人間が調理する店)
の店は、何故かこのところオープンするのが不思議で
ある。

ランチのセットを頼んだのだが、850円で、カレー
二種類、キャベツの千切り主体のサラダ、タンドリーチ
キン一つ、ジャガイモの現地風のなんとか、それにか
なり大きなナンが一つの皿に乗って出てくる。
更に、飲み物も付いてくる。
今回は「ラッシー」にした。
これだけ出てきてこの値段というのは、かなりお得感が
ある。
ランチだと、食べ放題の形式をとっている店も多いので、
特別ここが安いとは言えないかも知れないが、ワンプレー
トでお腹が一杯になるのは間違いない。

で、味のほうはどうなのかということだが、これも最近
の傾向だが、現地系の割にはスパイシーさが足らない。
日本人向けにおとなしくさせているのかどうか、他の店
もそうだが、どうも今ひとつ個性に欠ける。
強烈なスパイスの香りがほしい、と個人的には思うのだ
が、それでは受けないのだろうか、やはり。
「ナン」は「ナン」で、今ひとつ膨らみが悪く、ところ
どころべちゃっとした部分があり、お腹にはたまりそ
うだが、あまり良い出来の「ナン」とは言えない。
「タンドリーチキン」も「ジャガイモ」も、共にスパイ
ス不足。
要するに、全体的に今一つなのだ。

それにしても、気になるのは従業員。
インドかスリランカかネパールか、はたまたバングラデ
シュか分からないが、その現地系の人間が必ず複数働
いているのだが、彼らはどうやってこういう店に派遣
されるのだろうか。
おまけに今回の一人は、殆ど日本語が駄目で、メニュー
にあった「バドワイザー」を頼むのにも一苦労であっ
た(車ではなく自転車だったので、厳密に言えば自転
車でも飲酒か)。
昔は、こういう店は本当に珍しかったのだが、今はそ
れこそ普通である。
何か、理由があるのでは、と常々不思議に(冒頭の部
分のように)思っていたのだ。
そんな時、ある記事が目に入り、その謎解きのヒント
を与えられた。
それは次のような内容だ。

現地にブローカーがいて、120万(日本円で)ほど
で日本で働けるように手配をする。
それは、一時、中国の「蛇頭」がやっていたようなこ
とと同じで、日本では殆ど只働きの状態となる。
調理の専門職という触れ込みで斡旋するらしいのだが、
その彼らを日本のインド人経営者が利用するという構
図のようだ。
安く使ってこき使う、経営の基本か。
この店がそういう店かどうかは分からないが、これで、
次から次と店が出来てもそれなりに現地系の人間が供
給されるというメカニズムは理解できる。
ひょっとしたら、日本へ行きたいがために、大して調
理が得意でもない人間が混じっていて、今ひとつの店
が増えているという現象に繋がっているのかもしれな
い。
要するに、質的には落ちるという。

それにしても、世に悪事は尽きないものである。




コメント

滝つぼの小宇宙

2008年06月01日 | 生き物 自然

本日の内容「食事前、食事中は要注意」

先日の「アサマイチモンジチョウ」を撮った日、滝つ
ぼに「ハナアブ」の幼虫がいたことは書いたが、本日
改めてその数を数えてみた。
約50匹ほどであった。
全体に散らばっているのだが、一箇所だけ20数匹の
固まりがあった。
かなり気色悪い光景だ。
仔細に観察してみると、体調は1.5センチほど、半
透明(ちょうど曇りガラスのような)の体には、薄っ
すら黒い部分もある。
そして問題の、尻尾のようなひも状の物体だが、これ
は5センチほど。
普段は、たまにのたうつように動くだけ。
あまり活発には動かない。
どこかで見たことがある、という既視感がどうしても
拭えない。
そして、その理由が判った。
写真などで見る「腸炎ビブリオ」と同じなのだ。
方や「顕微鏡」、方や「滝つぼ」、思わぬところでシ
ンクロしていたものだ。

そこで、一体あのひも状は何なのか、と誰しも(とは
思わないが)疑問に思うところだが、良く観察してい
ると、その動きがある目的のための器官であることが
想像できる。
水面下にいる「ひも付き蛆虫」は、ときたまそのひも状
を水面上に突き出すのだ。
かなり特徴的な動作だ。
そのひも状を、空気に触れさせる為の動作のようだ。
つまり、呼吸のための器官であったのだ。
ということは、尻尾というよりは鼻である。
見かけは気色悪いが、良く出来たものである。
あとは、蛹になるのを待つだけだ。

子供のころ、「肥溜め」にいたのを見たということは
書いたが、当時はどこも「ぼっとん便所」なので、肥
溜めに限らず普通に便所にいたという新たな証言を得
た。
この地方の呼び名は「ごうじ」。
「goji」ではなく「gouji」だ。
つまり「ご蛆」ということなのだ。
蛆にごをつければ、まるで尊敬語のようなことになっ
てしまうが、ひょっとして、神の使いとでも思ったの
だろうか。
それはないな。
神の使いが「肥溜め」から来るとは誰も考えないだろ
う。
そうだとしたら面白いが。
普通に考えれば、尊敬語あるいは丁寧語の「御」では
ないことは想像がつく。

個人的には「強」ではないかと思う。
「ごう」が鈍って「ご」。
つまり、見かけから「蛆」(蠅の)の強力版としての
「強蛆」というのがその元になったのではないかと。
昔の人は、それが「ハナアブ」の幼虫であるという知
識などなく、ただただ見かけから、「蛆」のバージョン
アップした得体の知れないものという認識だったので
はないかと想像する。
考えてみれば、昔は普通にいたのだから、目にする機
会は多かった。
しかし、今はその機会は少ない。
昔は、機会は多いが知識は少ない、逆に今は、機会は
少ないが、知識は多い。
一体、どちらが幸せなのか。
って、そういう話ではなかったか。
コメント