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マイリビングダイアりぃ

趣味?興味?大好きな人(もの)達について、毎日は無理ですが、更新していきたいと思っています。見に来てくださいね。

貴重な映像でした(美しい日本に出会う旅より)

2023-01-05 | カルチャー 見聞
録ってあった「紀行番組」を編集しながら観ていて、実際に旅をしてもなかなか遭遇できない自然現象や、地元での新鮮なお料理、温泉など行って体験できたらいいのにと思う穴場等、この「福井編」で目白押しだったので、ご存じの方もいらっしゃるかと思いますがUPしますね。
 ここは懐かしい「東尋坊」ですが、大昔に行った時はこの断崖の上からエレベーターで降りて海のあたり「自殺の名所」としてみた記憶があるのですが、番組では船から見上げる形ですごく高さがあるというのを再認した次第です。
そして越前ガニの「せいこガニ」こんなの夢のまた夢の食材です。(夢でもいいから食べてみたいものです)
「ラッキョウの花」なんてほんとに知りませんでした三年間育てた「高級らっきょう(皮が薄くてほんとに美味しいそうです)」」も食べてみたいですね。「鉄道ファン」が喜ばれるような「機関車」ですね。現存するものでは最古のものだそうです。
 近年人気スポットになってるという白山神社。
 この池のたもとでは2時間ほど佇まれていらっしゃる方もおられるそうです。綺麗なところですね。
 参道の右手は有名な「苔」の庭です。地元の方が、昔はこの木陰に入れて、ラジオ体操や、宿題をしていたというお話をされていました。
  「清酒」と、30年寝かした「熟成酒」こんなに色が違うんですね。
洞窟の中で熟成されたおすすめのお酒「料理でなくてデザートと一緒に飲んでください」といわれて取材の方が試飲されていたのですが、「甘くておいしいお酒」だったようです。そしていよいよ・・
この「越前大野城」は・・
明け方に山の上まで上がってじっと待たれていたら・・
 雲海に浮かぶ「大野城」が見えまして・・
一瞬だったようで・・・雲が・・
 「雲隠れ」でしたが・・
晴れてきて・・
 「三脚」の皆さんも「今日が最高でした」とのことで、10回か15回しか見れないといわれてる「天空の城」が見れて喜ばれてました。
絶対行って見ることができない私には貴重な映像を観れてよかったです。
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「美しい日本に出会う旅」より

2022-12-28 | カルチャー 見聞
録ってあった紀行番組「美しい日本に出会う旅」で、知らなかったことだらけ(私だけかも・・)でしたので、ご紹介します。
先々週、最終回の「鎌倉殿・・」での「義時の最後の場面」も話題になっていたところですが、息子役の「瀬戸康史さん」の案内編で、「伊豆」が紹介されていまして、NHKの放送後にゆかりの地等で放送されていたかもしれないのですが、「へ~~っ」という逸話が出てきました。
 「伊豆山神社」で「頼朝と政子」が「腰を掛けた」といわれる「腰掛石」は「鎌倉殿・・」でも紹介されましたが・・観光スポットになってますね。
  この「頼朝」が亡くなって一周忌に「政子」が自分の髪の毛で作り上げたという「頭髪曼荼羅」だそうです(これは放送されたのかもしれませんが・・知りませんでした)
  
 まさに「髪の毛」というのが解りますね。すごいですね。
  ここは「頼家」が流されたところで有名な「修善寺」ですね。
このことは「1979年の大河ドラマ(草燃える)」で、「郷ひろみさん」が「頼家」を演じられて「悲惨さ」を見た記憶があってしっていまして、懐かしくて撮ってみました。
ここからは驚きの美しさを・・
   
 「柿田川公園」内にある富士山の雪解け水が地下水となって「湧水群」を形成しているところです。(観光地でもないこんなところを観れたのもでした)
  
こちらの温泉も、穴場ですね。ほんとに「純金色」の湯でした。行って見たいです~~。
ここからは(沼津港へ・・)初めての「深海魚」です。
  
  
なんでも映画「シンゴジラ」の第二形態のモデルになったそうです。
   
から揚げ美味しそうですね。
  ←はこちらの水族館で一番人気だそうです
カルチャーできました。
  こちらも穴場的な温泉ですね。「もの忘れの湯」だそうで、「たち湯」では、体を休めるように「浮いて」入ってくださいとのことでした。ここも行って見たいですね~~
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「大奥と吉原 女たちの年の暮れ」P2(歴史鑑定より)

2022-12-23 | カルチャー 見聞
前回の続き「江戸時代の女たちの年の暮れ」です。
  「旧暦の立春前日」が「大みそか」ということでこの時代では「豆まき」が行われいたそうです。
  
 「大奥」では「御留守居」が「年男」の役目をされて、「寿」という字を畳の上に「節分の豆」で書いたのち「お局様達」の部屋に挨拶廻りにいかれて、時には奥女中達に胴上げをされたり、おもちゃ扱いされたりで、女性達が羽目を外して過ごしていたようです。
「吉原」では・・
  「紋日」ということで大みそかは「遊び代」が倍にもなったということです。
  「仕舞客」も散財となるとかで・・(前に、みおつくし料理帖SPドラマでそんな場面も観ましたが・・)その料理からチップから・・すごい金額だったように記憶してます
  でも、お客をとれない遊女たちは「揚げ代」を自己負担しないといけなかったのですね。
 なので馴染み客に「無心状」なるものを書いたり、遊女たちは必至だったようです。
 ドラマや映画で観てましたが、「借金」を返していかないといけない遊女たち・・「着物や布団」等も遊女持ちだったとか・・借金は増える一方ですよね。
  近くの稲荷神社に願掛けに行ったりもしていたようです
「寝具」の見せびらかし等もあって「格」が解るというお披露目のようなものもあったようです。
 吉原のお正月はそれなりに華やかです。
でも大奥では・・
  「正室」は朝4時頃起きて身支度をして(してもらって)「お清め」をしてから将軍に年始の挨拶に行かないといけないそうです。
  「古今和歌集」では「思う人」、「君」ですが正室は「将軍」という意味で詠まれたんだそうです。
「大奥」では「兎の肉」を使用した「吸い物」をお正月に頂いたそうです。
ちょっとカルチャーした番組でした。
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「大奥と吉原 女たちの年の暮れ(歴史鑑定より)」

2022-12-21 | カルチャー 見聞
録ってあった番組「歴史鑑定」より、面白かった「大奥とヨシ原女たちの年の暮れ」をご紹介します。
「大奥」では、大みそかに、今でいう「忘年会」なるものが行われていたようで、選ばれた奥女中さん達が「狂言や歌舞伎」を演じられていたそうです。
  一方こちら「吉原」では12月13日「すす払い」(これは家光時代に、お城で行われた日が13日だったことから庶民にも浸透したようです)をして「歳神さん」を気持ちよく迎えるようにということで、お店の主人に挨拶をして「遊女たち」が「馴染み客」にも来てもらって手伝ってもらったらしいです。
 来てもらう馴染み客が多いというのも「格」が上がっていくということですね。
  お餅つきは大名家などではお家でやられたようですが、庶民はお店に頼んだそうです。廓ではお餅つきもされて「鳶」のかたがついて、遊女たちが丸める作業をしていたそうです。
大名家の「門松」は立派なものでしたが、「吉原」も負けてません。
  春は「桜の木」を運んできて250メートルの桜並木を作ったり、「門松」は背中並びにして華やかにされていたようです。
「春日局」で有名な大奥は・・
 本丸御殿の半分以上が「大奥」だったのですね。
 当時は奥女中が1000人もいたそうです。
  「拝領屋敷」なるものも与えられていて「家賃」も入ってくるんですね
  御年寄りの「お給料」すごいですよね。
  
  30年以上いたら「ボーナス」ですし、いろいろ頂き物もあって、「換金」できるところもあるなんて・・
  大奥で年間3億円とその他「賄賂」も・・すごいですよね
  
お年寄りさん達が「頂き物」を下働きの女中さん達におすそ分けされるという雪が降った日に行われる「雪中御投物」というイベントはうれしいですね。
次回は「大みそか」に行われるもののご紹介です。
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第八回「加太語り部の会」へ・・

2022-11-14 | カルチャー 見聞
昨日の日曜日、友人が出演する「加太地域活性化協議会 加太語り部くらぶ」主催「加太の民話をオペラに実行委員会」共催の、「加太の昔話あれこれ」という民話の世界感を見聞してきました。
 クリアファイルは夕日に染まる「紀淡海峡」です。ちょっと余談ですが・・
十数年も前になりますが、12月4日、加太国民休暇村へ、OG会の宿泊の担当幹事だったので、パンフを頂きに行った折、テラスにたくさんの三脚がたってて、叔父様たちが喫茶側で談笑されていたので、何かあるのですかって尋ねたら、「夕日が沈むのを待ってるんだよ」とのこと、「なるほど・・」と思って、予てから見ておきたかった砲台跡を観に行こうとも思っていたので、敷地内の砲台跡をカメラに収め、六甲山が見える高台へあがって(ここでは愛知県から来たという年配の伯母様が、三脚を立てて友ヶ島の方を見ながら構図を決めたりしてらっしゃいました。話してたら「毎年この時期に来るのよ」っておっしゃって、「え~~そうなんですか~お一人で?」って感嘆したのを覚えてます)そこから友が島を右手に見ながらぐるりと休暇村本館の方へと向かう途中、「紀淡海峡」を見下ろせる見晴台辺りに来た時に、丁度四国が見えるあたりに夕日が沈むところに遭遇しまして、紀淡海峡には黒い(光でそう見えたのかも)大きな船が進んでいるのが見えて、カメラを向けて構図を決めて、「瀬戸は日暮れて~」と歌いながら感動の瞬間を撮りました。
で、その写真が自分でもうまく撮れてる~~と思ってブログにUPしたら、コメントをたくさん頂きました。
それから少しして、偶然目にした「フリーペーパー」で、「海上保安庁」の「下津管区?」が海の写真を募集していて、データを送ったら、「入選」しまして賞状と、水兵さん(可愛いい男女)の形の大き目クッキーやらグッズ等いろいろと、届けてくださって、学生時以来の賞状で喜んだのを思い出します。
すいません記事に戻って・・「友ヶ島」にはいまだに鹿が生息してるんですね。(めったにお目にかかれないようですが・・)
  最初に「雛流し」で有名な淡島神社の発祥にまつわるお話「淡島伝説」が始まりました。
お囃子の三味線は、私も何度か舞台やイベントでの演奏を聴かせていただいた「杵屋 多佳さん」でした。
「加太浦八景」の第三景の「淡島神社」と、「友が島八景」の第一景「紀淡海峡(神島)」が出てきました。
「神功皇后」の天皇家系図も関連部分も資料にありました。
地元の小学生が、「加太の子守唄」を合唱です。(毎日練習してたのね・って休憩時間に会った時に言ったらみんなで恥ずかしそうに頷いてました。)
続いての話は、お若い方の男性で、「うみぼうずの話」舞台から降りて、動きを交えての熱演でした。「友が島八景」の第一景「紀淡海峡」が舞台でした。
休憩をはさんで・・
ユーモアを交えながら挨拶をなさった長老の方が「友が島沖」で、沈没する船の中でただ一人助かった少年の話「孝助松」を語ってくださいました。「友が島八景」の第一景「紀淡海峡」と、少年がこの木につかまってて助かったとされてる第八景の「松の木」、後にこの少年が親孝行であったことから「孝助松」と名付けられたそうです。
そして最後は、何千年という昔から友ヶ島に住んでいるといわれている大蛇のお話、「友が島大蛇伝説」です。
「友が島 深蛇池」に住む大蛇のお話でした。
「友が島八景」の第一計景「紀淡海峡」、第五景「神島」、第七景「深蛇池」、加太浦八景の第六景「阿字ヶ峰行者堂」が出てきます。
「役小角(えんのおづぬ)」(友ヶ島の虎島に像があるようです)という役行ともいわれてる方は635年生まれと伝わってるようですが、修験道の開祖「空海」より100年も前の時代の事らしいです。
途中からですが・・ある日、役行者(大蛇は身なりの汚いお坊さんだと思ってるようで・・)が大蛇にむこて(むかって)「こんなとこにいてたら修行の邪魔にならいしょ(邪魔になるから)、ほやさけ(だから)笛や太鼓が鳴ってくるまで、でとうせんな(出てくるな)その池で寝ときよし(ねてきなさい)」っちゅうて(といって)、お経をば唱えたんやと(たそうです)。
ある日「ピーピーヒャラヒャラ」聞こえてくる音でふと目を覚まし、池から首を出してみたら、あいやキンキラキンのきもん(着物)着た男が笛や太鼓鳴らして、ええ機嫌で踊ってたんやいしょ(踊っていました)大蛇はうれしなって(くて)泳いで行こ(う)としたら、その男が大蛇を見て踊りをやめて、おとろしい(恐ろしい)顔して、睨みもて(睨んで)「お前が大蛇か、わしは紀州藩主徳川頼宜なるぞ、その方退治するのは手間はかからぬが、今日のところは許して遣わす。これからもおとなしくこの池で眠っておれ、四の五の申すならずたずたに切り裂き、大蛇の串焼きにしてしまうぞ」ちゅーたんで(と、いったので)ビックらした。 
大蛇は家来たちが鉄砲やらをようさんもってるし、こらかなぁん(これはかなわない)とおもて(思って)すっこんどくことにした。
それからもず~~っと池の底でねむりつずけてるんやいしょ。(です) で、お終いでした。
この民話が、八景の裏表紙にのってたのですが、最後の欄に「今でも深蛇池の立て看板のところから池に入っていくときは、笛や太鼓だけでなく(携帯電話)等音の出るようなものは、電源を切っておかないと大蛇が出てくるといわれている」と書かれてました。
何年か前から、「加太淡島神社の雛流し神事」や、「天空のラピュタ」と似てるといわれて「友ヶ島の砲台跡」がブームになった時、訪れる他県からの観光客がすごく増えて、加太へ向かう加太線の電車が、小学校前の駅のホームで止まっていた時、偶然見たのですが、大阪でよく経験したラッシュ時の地下鉄の込み具合のようだったので驚いたのを覚えてます。
和歌山に移住当時は神事を見に行った時は(もう大昔ですが)写真も撮りやすかったのを覚えていますが、砲台がブームになった時は、丁度「加太灯台が無料開放される」という催しがあったので初めての「友ヶ島」へと、乗船しようと思ったら、「砲台を見るための観光客」でいっぱいで、私たちがそのブーム前に何度も車の窓からみてきた誰もいない「船着き場」が人人人で、臨時出航時間調整しながらの時間待ちが続いて、くたびれ果てて、島についてからも歩いて灯台までいかないといけなくて大変だったのは、まだ記憶に浅いですが・・
加太の民話も初めて知って、遠い昔のことに思いをはせて、ひと時ちょっと癒し的なものを感じました。
過疎化していくのは淋しいですが、伝承はできる限り続けて行ってほしいですね。
ちょっと余談ですが・・
久々に加太まで走ったのですが、途中の道路上の案内板に「和歌山県消防学校」というのがあったので、友人に尋ねたら「そう、山の上にできたの」というので調べてみたら「2017年」に竣工とありました。
まったく知らなくて・・今年は女性の入校者が過去最高9人だったそうです。
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「神様のお引越し 奈良春日大社」を見て・・・

2022-10-30 | カルチャー 見聞
録ってあった「神様のお引越し」を今日やっと見終えたのですが、めったに見ることができないというこの20年ぶりの「本殿遷座祭」の生中継を録っておいて(今日まで見るのを忘れていたのですが)、知らなかった「神職」の方達の「警蹕(けいひつ)」のことや、「式年造替(しきねんぞうたい)」、「神宝」のこと等「へ~~~!!」という驚嘆の数々と「浄闇」のなかを「若宮」が修繕された社殿へと還られる「神秘的」な「遷座祭」という貴重な映像が見れてよかったです。
見られた方も多かったと思いますが、ピックアップでご紹介します。
  
  
  
    
 修繕の間に居られた「仮殿」から「本殿」までの150メートルを「神宝」を先頭に神職の方達と共に「浄闇」の中進んでいかれるのです。
  
   
  「神宝」がたくさんあるんですね。「おもちゃのような琴」もあったのですね。(でも銀製です
この「金鶴」は今は若宮殿にはないということでした。で、この度新調されたそうです。
  
すごく小さなものでしたが「銀と金」でしつらえられています。
いよいよ「雅楽」と共に神職の方達が「オ~~と発する警蹕」で「神宝」が先に仮殿から持ち出されます。次に「若宮様」がお出まし粛々と「本殿」へと進んでいきます。
  この傘の下に居られるということです。仮殿から本殿までは残らず白の幕が張られているのでほのかな明かりから漏れる神職方の影しかみれないのです。
本殿でもお迎えの「雅楽と警蹕」が始まって・・・「神宝」が置かれ終わるまでの時間が相当ありました。(置かれた場所は一切他言されないということでした。神職の方以外は誰も知らないということですが・・)そしていよいよ「若宮様」が入られます
 1000年にわたって奉仕されてる「南都楽所(なんとがくそ)」の雅楽(遣唐使が持ち帰った「還城楽(げんじょうらく)玄宗皇帝が城に帰還するときの姿を現した」曲だそうです)と、神職方の「オ~~!!」という「警蹕」が一層大きな響きとなって・・・
「若宮様」が無事に還られたようで・・
  「入御」が終わって扉が閉められました。
この後も祝詞をあげたりまだつづきましたが・・
ここで「修繕」編です。
  
職人技に感嘆ですね。
  
  手に入りにくい「朱」なんですね~
  ここでも職人技が・・
 鎌倉時代、ユニークな模様ですよね。
  こちらもすごい由緒あるものでなんですね。
 新調されることになった「御翠簾」は次世代の息子さん達が手掛けられて20年後も今の手腕で成し遂げたいといっておられました。
  
 これも新調されました。すごい豪華な「灯籠」ですね。
  「灯籠」に灯りが入って一段と素敵です。あのお若い方達の「御翠簾」もかけられて本殿が華やかになりました。
奈良県出身ながら、「春日若宮おん祭り」に一度行ったことがあるのですがもう40数年前ですし、お参りも若い頃大みそかに一度しか行ったことがなく・・ほとんど映像で見ることしかなかった「春日大社」、今回は、ほんとに知らないことばかりでカルチャーできました。
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「てだのふあ」観劇してきました♪

2022-10-05 | カルチャー 見聞
昨日は「演劇鑑賞会10月例会」に出かけてきました。
今回は沖縄復帰50年の年とあって、映画やドラマ化もされていた「太陽の子」を、「いづみたくさん」の劇団「イッツホーリーズ」が「ミージカル化」しての上演でした。         
       
       
1975年の神戸、「てだのふあ・おきなわ亭」という料理店を営む夫婦の11歳の娘「ふーちゃん」の目を通して、そこに集まる「沖縄出身」の人々の悲しみを描いていました。
先日終わった「ちむどんどん」も、「沖縄」の「戦争の爪痕」等も描かれてましたが、「沖縄は問題を抱えたまま月日だけが過ぎていっています」という児童文学作家の「灰谷健次郎」が生涯問い続けた「本当の優しさとは何なのか」というテーマを、音楽と笑いに包んで、素晴らしい歌声と、演技で貧しくも懸命に生きる市井の人々の姿が描かれていました。
シンガーソングライターの「普天間かおりさん」が客演で出演されてました。
そうそう、「ちむどんどん」も東京で食堂遣ったりしますし、「沖縄」を出た青年が身元引受人の元で暮らす等・・というのも似ていて、先日まで耳になじんでいた「沖縄ことば」はすんなり聞き取れてましたし、ある場面では、出演者の皆さんが「三線」を全員弾いてらしたり、下手後ろで「ピアノ、ベース、パーカッション(とくにこれは見えにくかったのですが経験者の興味で目がいってました)」生演奏の音楽担当者の方達の演奏と、歌声、演技の素晴らしさに、でした。
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福利厚生の先駆け「富岡製糸場」(ぶらぶら美術博物館より)

2022-09-17 | カルチャー 見聞
今回は、前回の番組の前半で紹介された「世界遺産 富岡製糸場」の見聞編です。
  
  
  
  当時300人の女性達が8時間労働、休憩時間や日曜日がお休みという「官庁」や「学校」に先駆けての「時計」を使った労働管理だったそうです。
「診療所」(勿論ただ)もあって、「福利厚生」が行き届いていたようです。
最後に操業されていた「片倉工業さん」がここを売ることをしなかったおかげで、こうして世界遺産としてみることができたのだとか・・
有難うって言いたいですね。
  
なんでも当時は「フランス人達」の指導だったそうで、「ワイン」を飲んだりしてたので、「あそこは女性の生き血を飲んでいる・・あんなところには働かせられない・・」という噂が発ったそうで、働き手が集まらなっかようで、この方が第1号の女工さんとして「広告塔」になられたのですね。
でも結局300人も・・
遠くて観に行けることがなかった「富岡製糸場」写真などでは見ていましたが、こうして貴重な遺産の見聞ができてこの番組のファンでよかったです。
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神業!!「横振り刺繍」(ぶらぶ美術博物館館より)

2022-09-15 | カルチャー 見聞
先日の(ぶらぶら・・)番組で、驚嘆頻りの「神業」芸術の数々を見たのですが、以前に放送されたものを深くほりさげたところもあったのですが、まったく知らなかった「横振り刺繍」の世界に接しまして・・
見られた方も多いかと思いますが、ご紹介しますね。
 「桐生市」にある「名工 大澤紀代美さん」のアトリエでの作品の紹介でした。
  
 よく見ると刺繍とわかりますが・・
 あの「スカジャン」の刺繍は此方で・・だったんですね。
 下描きなし、フリーハンドだそうです  
  いかにリアルに表現できるか‥にこだわられてるようです。皆さん「凄い!!」の連発です。
  
「目」から初めて…構図がどんどん決まっていくんですね。ほんとに神業ですよね~
  
  「ほほ紅」は最後に薄く載せる感じで・・色んな素材(フィルムや生地)が出てきたら挑戦されるようですね。
  歴代の総理や、有名人の方達のものは必ず縫われてるそうです。山本寛斎さん等「パリコレ」のデザイナーさん達の作品にもコラボされてるようです。
  
  
  
30代に左目を失明されたそうで(今も見えていないそうで あえて失明は明かされてなかったそうです。)・・これも驚愕でした。
古い作品のお話で、「年がばれる・・」っておっしゃってましたけど、番組のテロップでは「御年82歳!!」って出てました。
全然そんなお歳とは思えないです。長い間頑張ってこられて、名工になられて、今は後継者を育成されてるようですが、お元気でこれからも素敵な作品を制作して私たちに見せていただきたいものです。
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ご存じでしたか?「レア貨幣の買い取り額」

2022-09-04 | カルチャー 見聞
先日のTV番組「VS魂」内での「プレミア貨幣」の値段を高価な順に並べるというゲームをみて、「へ~~~っそうなんだ~~」と思ったものですから、ご存じの方もいらっしゃると思いますが・・ご紹介しますね。
 昭和26年ごろから発行されたそうです。「ふちがギザギザ」の10円玉ですね。
 穴が空いていない50円玉ですが、ちょっと少ないのではないか・・だから高額?
 こんな1円玉も?・・製造過程であり得ることですが・・
 よく見たら違いますが、こんなの気が付かないですよね~
 使ってないからどこかにあるはずなんですが・・「記番号」違いなんて、どういう間違いなんだ~~~? 番号も「ゾロ目」の方が価値が上がるそうです。
これは機械の少しの位置ずれでできるんでしょうけど・・これも中心から離れてる方が価値が上がるそうです。
で・・結果は
すごい金額ですよね。驚きました。
ギザ10は見たことがあったかな?(長く発行されて、大量に出回ったから?・・それにしても15円とは・・)
5円玉や10円玉で、「何年のもの」が価値があるって聞いた時、とり置いていたことがありましたが・・
製造ミスでの貨幣の価値というのを初めて知って、面白かったです。
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古都の夏・・涼しさを求めて(TV番組より奈良~京都編)

2022-08-27 | カルチャー 見聞
前回の続き、今回は「新 鉄道絶景の旅」の「奈良~京都編」です。
出発地がわが故郷、奈良でしたので、沿線鉄道にも何十年って乗ってないので、様変わりしてるのは当然ですが、最新の県内を映像で観れて嬉しかったです。
では、順にご紹介します。
  JR「大和路線」の「郡山駅」からスタートでした。
学生時代に一度行ったことがあるところですが、今は「改札風の水槽」等の工夫を凝らした「金魚の街になってました。(金魚すくいも懐かしい~)
JR「奈良駅」からは、私は行ったことがなかった春日奥山の「氷室神社」が紹介されてまして・・
  ユニークな氷の上に買った番号札を乗せてみる「氷みくじ」が紹介されてました。
「氷の神様」を祀られてたのが始まりだそうです。やっぱり駅近くに「激戦区」といわれる「かき氷」のお店が何年か前から出来だしていたのも納得です。
前に、何かの番組で紹介されてた「かき氷のお店」がこの番組でも紹介されてたので・・
 その何年か前はなかったと思いますが、ユニークな氷ですよね。
  
「奈良線」で「京都」までの旅で・・この番組でも「宇治」を散策されてまして・・
   この番組では「辻利」さんに立ち寄られてます。
目の前で「抹茶」をたてていただけます。
  美味しそうですよね~~
そして前回の番組でも訪れられてた「風鈴寺(正寿院)」へ・・
  
  行って見たくなりますね~
  前回はもUPしましたが素敵ですね~
 お庭も涼しげな設えですね。
西陣にこんなところも・・
  涼を感じれますね。
  「網代編み」が敷かれて「氷柱」も涼しさいっぱいです。

「風鈴」も素敵です。 レトロな「扇風機」もいい感じ~~
 ここでも「氷」です。
  
こちらもユニークで、「和菓子のお店」らしい美味しそうな「かき氷」です。「かき氷」を愛する人達、ゴーラーって言われてるんですね。
「氷室神社」から始まった「涼」を感じる旅、暑い夏でも行きたくなる処ばかりでした。




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古都の夏・・涼しさを求めて・・(TV番組より京都編)

2022-08-26 | カルチャー 見聞
録ってあった紀行番組で、「涼しさ」の目の保養を頂きましたので、ご覧になった方もいらっしゃると思いますがピックアップでご紹介します。
京都編は、「美しい日本に出会う旅」よりです。
今年3年ぶりに「山鉾巡行」が行われたようですね。祇園界隈や、宇治、嵐山等を取材されてた番組から、「涼しさ」や、カルチャーできたものをピックアップでご紹介しますね。
「なぎなた鉾」を組まれている場面。
  
  こちらのお店では舞妓さん達の「鼻緒すげ替え」もされていて、この履物「御こぼ」っていうんですね。夏は素足ではかれるので黒一色にされるようですが、ホーマルのは「畳」を貼られてるんですね
  「舞妓さん」の着物等もすべて「夏仕様」なんですね。(夏仕様でも着物姿は暑いですよ~一滴の汗もかかずに取材受けられてましたよ 流石です)
夏旅では「氷」ですよね・・
舞妓さんたちがよく行くという祇園のお店で注文されたものです。「黒蜜きな粉氷」美味しそうです~~
 宇治の正寿院、「風鈴」が2000個境内に吊るされています。
  
  こちらのお部屋で寝転がったら天井が「百花繚乱」で、「舞妓さんの絵」が4枚あるそうです。寝転んでスマホで撮りながら「感激」されてました。
 「宇治」の「上林(将軍家御用)」の「宇治金時」には「100g8000円」の「抹茶」が惜しげもなくかけてあるのです。
そして嵐山では・・
  「染色作家 奥田裕斎さん」のアトリエです。
  
  「オハグロトンボ」ほんとに真っ黒ですね  
  
前は「料理旅館」だったそうです
こちらは何年か前「紅葉狩り」で、ご紹介した「圓光寺」です。
「座禅」を体験できるそうで、体験されてる方達が最後の「お庭掃除」をされてるところも紹介されてました。
 紅葉を観ながら過ごされたところは「青もみじ」の観賞処です。
四条に戻って・・
 彼方此方の鉾町では、別の「祭り」があります。「屏風祭り」です。(私も2度ほど宵山の日に見せて頂きました。鉾もお宝装飾品ですが、お宝を披露される屏風祭りもすごい作業でお正月より大事な行事だとのことでした)
「稚児さん」が「しめ縄」を切って・・巡行が始まりました。
コロナ禍の中、無事に「山鉾巡行」が行われてよかったですね。
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「サグラダ・ファミリア」よりP4

2022-07-27 | カルチャー 見聞
前回の続き、建設工事に携わっておられる日本の彫刻家の方のお話を中心に・・
  「いい仕事をしよう!!」とガウデイーが建設に携わってる職人たちを励ましながらの建設中にはいろんな災難(内戦等)が降りかかります。
  
  
  
 途方もない仕事ですね。
  
   
  
  
   
  
  
  
  一般の方が見たことがない空間なのですね
  
  
  
  
  
  
   
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  ガウデイの「マリヤの塔」への思いも伝わってきて、まだ完成を観ない「サグラダ・ファミリア」のことを点灯式から始まったこの番組でできました
ただ撮った写真を長々とUPしてしまいましたが、お付き合いくださってありがとうございました。
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[サグラダ・ファミリア」よりP3

2022-07-23 | カルチャー 見聞
前回の続きです今回は「ガウディ」の実験を中心に・・
  この研究を始めるまでの経緯・・
  
  
 何度も実験を繰り返してこの方法にたどり着いたということですね。
  
ここからはまたあの素晴らしい「彫刻」の数々です。
  
   
  
  実際に亡くなった子供の遺体で、型どりもしたんですね
  
  
  
 1925年のマリアの塔が描かれてる完成予想図ですね。
  
  晩年は全財産を投じて建設に没頭したガウディは「不慮の事故」でなくなってしまうのですね。
ガウディだと気づかれなかったということですが・・葬儀には貧しい人も裕福な人も街中の人が参列されたそうです。
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「サグラダ・ファミリア」よりP2

2022-07-21 | カルチャー 見聞
前回の続きです。「大聖堂」の中へ・・
紹介された順にピックアップで・・
  綺麗ですね~~世界には、有名な大聖堂がありますが、これがガウディの建築技術を駆使したものなんですね。
  
  
  
  
 感嘆しきりでした。 
ガウディの他の建築物・・
  
  
 ヤシの木の葉のモチーフで鉄の柵
此方もよく映像で見る建物です・・・
   
   
   
 独創的な建築物を建てながら実験を重ねて「サグラダファミリア」へと繋いでいったということでした。
次回はその「実験」もご紹介します。
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