マイリビングダイアりぃ

趣味?興味?大好きな人(もの)達について、毎日は無理ですが、更新していきたいと思っています。見に来てくださいね。

「大奥と吉原 女たちの年の暮れ」P2(歴史鑑定より)

2022-12-23 | カルチャー 見聞
前回の続き「江戸時代の女たちの年の暮れ」です。
  「旧暦の立春前日」が「大みそか」ということでこの時代では「豆まき」が行われいたそうです。
  
 「大奥」では「御留守居」が「年男」の役目をされて、「寿」という字を畳の上に「節分の豆」で書いたのち「お局様達」の部屋に挨拶廻りにいかれて、時には奥女中達に胴上げをされたり、おもちゃ扱いされたりで、女性達が羽目を外して過ごしていたようです。
「吉原」では・・
  「紋日」ということで大みそかは「遊び代」が倍にもなったということです。
  「仕舞客」も散財となるとかで・・(前に、みおつくし料理帖SPドラマでそんな場面も観ましたが・・)その料理からチップから・・すごい金額だったように記憶してます
  でも、お客をとれない遊女たちは「揚げ代」を自己負担しないといけなかったのですね。
 なので馴染み客に「無心状」なるものを書いたり、遊女たちは必至だったようです。
 ドラマや映画で観てましたが、「借金」を返していかないといけない遊女たち・・「着物や布団」等も遊女持ちだったとか・・借金は増える一方ですよね。
  近くの稲荷神社に願掛けに行ったりもしていたようです
「寝具」の見せびらかし等もあって「格」が解るというお披露目のようなものもあったようです。
 吉原のお正月はそれなりに華やかです。
でも大奥では・・
  「正室」は朝4時頃起きて身支度をして(してもらって)「お清め」をしてから将軍に年始の挨拶に行かないといけないそうです。
  「古今和歌集」では「思う人」、「君」ですが正室は「将軍」という意味で詠まれたんだそうです。
「大奥」では「兎の肉」を使用した「吸い物」をお正月に頂いたそうです。
ちょっとカルチャーした番組でした。
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