昨日(8月22日)は、郡山市から仙台市まで新幹線で移動し、仙台市内に宿泊しました。このホテルは明日も連泊します。夜はお約束の牛タンを食しました。
朝、レンタカーを借りて女川町を視察しました。レンタカーの機動性を使って周辺の被災地も視察しました。
以下、女川町についてレポートします。
◆宮城県女川町仮設役場庁舎
宮城県女川町の仮設役場を訪れて、役場担当者から地震発生後の津波被害の状況や、町民の避難の状況、今後の復興計画について説明を受けました。
女川町役場は津波被害にあっており、高台に整備された運動公園の敷地内に仮設のプレハブ事務所にあります。

女川町は、東北電力女川原子力発電所の立地町です。平成15年に視察で一度訪れたことのある町です。
当時の町の様子を知っているだけに、津波で大きな被害があった町に立つと、言葉がありません。



私は阪神淡路大震災の直後に電力の電話対応の応援で神戸市に入ったことがあります。当時、新神戸駅から関西電力神戸支店まで徒歩で移動した際、表現は不適切かもしれませんがまるで映画のセットの中を歩いているような感覚になりました。
今回、女川の町の悲惨さは、神戸で体験した感覚とも違ってまさに筆舌に尽くしがたく、海岸線の町が消滅しているのです。地震で壊れているのではなく無くなっているのです。
地盤は約1.2メートル陥没してほぼ海面と同じ高さとなってしまった海岸ぶちの道路らしき場所をレンタカーで、おっかなびっくりの体で通行しました。

平成15年にも訪れた女川町立病院。海抜15メートルの高台に建ち周辺に福祉施設を整備した町のランドマーク的存在ですが、この病院も1階面まで海水が押し寄せたと言うのですから、その下に広がる女川の町がどんな様子だったかを考えると戦慄を覚えます。
高浜町で言うと中央体育館にまで海水が迫ったというイメージです。
女川原子力発電所は、福島第一原子力発電所と違って安全に停止したこともあって、(発電所構内は一時は避難所として使用されていたほど)原子力発電に対する受け止めは、富岡町とは大きな違いがありました。
説明を受けた女川町の復興計画は非常に前向きで力強い計画となっています。
復興計画書には原子力発電のことはあえて触れていませんでしたが、町の雇用や復興財源の面からも原子力発電所の存在抜きでは語れるものではなく、安全に停止した発電所と放射能漏洩事故を起こした発電所の立地町の受け止めの違いを大いに感じました。
朝、レンタカーを借りて女川町を視察しました。レンタカーの機動性を使って周辺の被災地も視察しました。
以下、女川町についてレポートします。
◆宮城県女川町仮設役場庁舎
宮城県女川町の仮設役場を訪れて、役場担当者から地震発生後の津波被害の状況や、町民の避難の状況、今後の復興計画について説明を受けました。
女川町役場は津波被害にあっており、高台に整備された運動公園の敷地内に仮設のプレハブ事務所にあります。

女川町は、東北電力女川原子力発電所の立地町です。平成15年に視察で一度訪れたことのある町です。
当時の町の様子を知っているだけに、津波で大きな被害があった町に立つと、言葉がありません。



私は阪神淡路大震災の直後に電力の電話対応の応援で神戸市に入ったことがあります。当時、新神戸駅から関西電力神戸支店まで徒歩で移動した際、表現は不適切かもしれませんがまるで映画のセットの中を歩いているような感覚になりました。
今回、女川の町の悲惨さは、神戸で体験した感覚とも違ってまさに筆舌に尽くしがたく、海岸線の町が消滅しているのです。地震で壊れているのではなく無くなっているのです。
地盤は約1.2メートル陥没してほぼ海面と同じ高さとなってしまった海岸ぶちの道路らしき場所をレンタカーで、おっかなびっくりの体で通行しました。

平成15年にも訪れた女川町立病院。海抜15メートルの高台に建ち周辺に福祉施設を整備した町のランドマーク的存在ですが、この病院も1階面まで海水が押し寄せたと言うのですから、その下に広がる女川の町がどんな様子だったかを考えると戦慄を覚えます。
高浜町で言うと中央体育館にまで海水が迫ったというイメージです。
女川原子力発電所は、福島第一原子力発電所と違って安全に停止したこともあって、(発電所構内は一時は避難所として使用されていたほど)原子力発電に対する受け止めは、富岡町とは大きな違いがありました。
説明を受けた女川町の復興計画は非常に前向きで力強い計画となっています。
復興計画書には原子力発電のことはあえて触れていませんでしたが、町の雇用や復興財源の面からも原子力発電所の存在抜きでは語れるものではなく、安全に停止した発電所と放射能漏洩事故を起こした発電所の立地町の受け止めの違いを大いに感じました。
