海の想い出エッセイの次号テーマは間宮林蔵。
間宮海峡を発見した人である。
この人は常陸国出身。
農家に生まれ、子供ながらに幕府の治水工事に顔を出し、機転の聞いたことを言って幕府の役人に気に入られ、伊勢出身の冒険家にして幕府御雇の技術者村上島之丞に見出されて蝦夷地へ行った。
蝦夷地の調査を拝命してカラフトに行き、かの島が島であることを確認、シーボルトが世界にその偉業を知らしめた。
と書くと淡々としたひとつの冒険行でしかないが、そこに行き着く過程もその後の運命もなかなかにドラマティックである。
3000文字余の分量ではとても書き切れない「いい人生」だったと思う。
晩年は隠密仕事をやって諸人に恨まれたようでやった仕事に対する評価が著しく低いことが残念でもある。
間宮の仕事で最もおもしろいのが海峡を発見した後のこと、間宮は国禁を犯して大陸側に渡り、アムール川を遡上して清の出先役所に顔を出し、役人に歓待された。
まさに「未知との遭遇」をやりその報告書を見事にまとめた。
間宮はこの時、公務員だった訳だが国禁を犯して海外に足跡を記すか、ビビって野望を抑えるか、その決断に迫られたとき、己の心に問い冒険家としての本性に従った。
というようなことをまとめ、「北海のミッション・インポシブル」とタイトルを打った。
今日は間宮の墓参りである。
朝からM3で出撃。
一般道を淡々と走っていく。
墓は記念館となっている生家の側にある。
だだっ広い関東平野の真ん中、茨城県つくばみらい市、利根川の支流小貝川のほとりに間宮の故郷があった。
いつも思うことだが、関東平野というのはあほうのように広い。
この明け透けの空を見、利根川の奔流を見て間宮は育った。
記念館の開館時間がまだなので墓参りを先にすませた。
お寺の境内の一角に間宮の顕彰碑がある。
志賀重昂の碑文、題字が鍋島直大。
奥に間宮の墓、両親の墓と共にちんまりと並んでいる。
生家もその墓のようにちんまりとしていて江戸のそこそこの農家の造作である。
このようなふつうの庶民から世界に名を成す冒険家が出るところが日本の歴史のおもしろいところといえよう。
記念館では間宮の業績をコンパクトにいい紹介の仕方をしている。
間宮の遺品はごく少ない。膨大な報告書を幕府に上げていただろうにほとんど全て残っていない。
これは地理情報が幕府の機密情報だったことによるものと思われる。
世に出ることなく、維新で消滅したのであろう。
間宮の故郷は茫々たる平原の中である。