扶桑往来記

神社仏閣、城跡などの訪問記

木曽義仲の墓と重森三玲の庭 −木曽福島興禅寺−

2017年07月24日 | 街道・史跡

実家からの帰り、今まで通ったことのない道を探し旧中山道を行くことにした。

豊田市を縦断して瑞浪市に入って国道19号。

木曽川沿いに走って行くと小雨が降ってきた。

ただ通るだけでも芸がないので目的地は興禅寺。

木曽義仲はじめ、木曽家の墓所があり、私が好きな重森三玲の庭がある。

 

旧中山道、19号は若い頃、スキーに行く道としてよく使った。

信号も少なく産業道路でもないので気持ちがいい。

興禅寺には11時頃到着、朝7時に出発したので概ね4時間の行程。

 

興禅寺とは臨済宗妙心寺派の禅寺。

境内にはいくつかの庭があり、重森の香雲庭もそのひとつ。

枯山水としては東洋一の広さであるといい、確かに写真一枚に収めるのが難しいほどに広い。

龍安寺の庭に趣など似ていると思うが奥行が遥かに深く、雄大といえる。

 

香雲庭 

 

昨晩なかなか眠れずにほぼ徹夜状態だったので、誰もいないのをいいことに少し昼寝した。

 

御朱印をもらい近くにある木曽家墓所を訪ねた。

木曽出身の武家では平家を京から追った木曽義仲以後、どうも全国区の武家という点では印象が薄いかもしれない。

武田信玄の侵攻を受けて降った木曽義昌は武田家崩壊の道筋をつけ、豊臣徳川と政権交代がある度に衰微してしまった。

墓所は福島城に続く山肌に張り付くように設けられている。

今手がけている武田信玄の本の関連でいえば武田の勢力範囲はここを落とした後、飛騨の一部まで及んだ。
 

 

このあたりは木曽福島宿として江戸時代に大いに賑わったものの今では観光地となっている。

木曽福島から旧中山道を北上していくと塩尻宿に至るが、今日はショートカットして権兵衛峠を越えて伊那に入る。

バイパスが通っているため、1時間ほどで高遠に出た。

信玄は諏訪の後、高遠を落とし南信攻略の要衝とし、「武田崩れ」の際は仁科信盛が一族の中で唯一交戦、激しい攻防戦が展開された。

高遠から諏訪湖方面に降りて行く道は私のお気に入りの街道で杖突峠で諏訪湖や八ヶ岳をながめるのが楽しい。