国分城の近くでおもしろそうなところはないかと探してみつけた錫製品の工房に行ってみる。
岩切美巧堂という工房で丸に十字の紋を掲げている。
店内に入ると上品そうな人が案内してくれた。
薩摩の錫事業は明暦2年(1656)年に鉱山が発見されたことに始まる。
時の藩主は島津光久。父は忠恒、祖父が義弘になる。
光は3代将軍家光からの拝領、島津家で江戸に住んだ初めての当主である。
光久の時代、家康秀忠の治世が終わり家光の強権政治が始まっていた。
大名の改易転封が相次ぎ、海禁政策がとられた。
薩摩藩は琉球を植民地化して海外貿易の手段をかろうじて保ったが自由貿易の道は絶たれて藩政を大きく転換せざるを得なくなる。
その財政はそもそも破綻を前提とした予算計画であったといわざるを得ない。
表高90万石というのは豊臣徳川政権が薩摩に過大な公益事業負担を強いるために押しつけたもので実際は半分以下の収入しかなく、しかも外城制度をしき、武家人口が異常に多いという問題アリアリの藩政だった。
光久は早々に殖産興業に取組、金山をみつけたことを嚆矢に鉱山開発を進めさせ錫を得たのである。
美巧堂によると薩摩の錫製品は高級食器や工芸品として出荷され、藩財政に大きく寄与したという。
美巧堂の創業者岩切登一郎氏は息子を老舗に弟子入りさせて研鑽させ1933年のシカゴ万博で表彰されたという。
工房の中に製品を展示したショールームがありなかなか壮観。
大物の虎は100万円超えのお値段。
仏像もいい。
何か土産にしようと物色、タンブラーを二個買った。
代金を支払い包んでもらったところでふるさと納税にも参加していることを知る。
買った製品も対象ということで店を出たものの、思い返して工房に引き返し、限定品のタンブラーひとつと交換していただいた。
ホテルに戻って荷物をもらい、バスで空港に向かう。
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