大阪出張のついでに東大阪の司馬遼太郎記念館に行ってきた。
谷町九丁目から近鉄奈良線「河内小阪駅」下車、約40分くらい。
記念館は司馬さんの旧宅、多くの著作がここから世に出ていった。
訪ねてみると場所は住宅街の一角、こういっては何だがありふれた風景の中に住宅地としては広大な敷地に建てられている。
記念館はアーチ上の鉄筋コンクリート建築。その奥に住宅があり司馬さんの書斎が完全な状態で残されている。
司馬さんは「街道をゆく 濃尾参州記」の取材後、執筆中に倒れてそのまま死去した。
1996年2月12日のことである。
当時、私は東京暮らしであったが、一体何が起こったのか茫然とした記憶がある。
「これで司馬さんの新作が読めなくなる」との思いがまずあった。
司馬さんの作品は中学校時代にむさぼるように読んだ。
その最初は「燃えよ剣」。
当時新選組が大好きで子母沢寛の「新選組見聞録」から歴史の世界に踏み込んだ。
そして土方歳三つながりで司馬遼太郎という作家に出会う。
そこからは読んだら新しい文庫本を買う、を延々と続けて小説はほぼ読み終えた。
高校生になると私の興味は純文学へと向かい、読むものが尽きたことから司馬さんの作品とは少し縁遠くなるが軍事マニアになりつつあった私は「坂の上の雲」を何度読んだかわからない。
司馬さんの家を訪ねるのには随分遅くなってしまったが、書斎を外からながめるとふつうの文豪の書斎である。
司馬さんのすごいところは資料収集で書き始めると神田の古本街から関連書籍が消えるなどの伝説がある。
ちょっと残念なところは司馬さんを食い物にする輩が一向に消えないところ。
著作の細部になにがしかのケチを付けて自分の巧妙にしようとする評論家、歴史家の何と多いことか。
とても残念である。
記念にバンダナと文鎮を買って帰った。
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