昼飯をすませて予約してあった三菱造船所の史料館へ行くバスを探した。
史料館は旧木型場ともいい、世界遺産のひとつでもある。
史料館は稼働工場の敷地内にあるため、専用のバスで行きまた帰ってくる。
長崎駅にバス停があり、係員が誘導してくれる。
最初は14:55出発の便の予定だったのを13:15の回に変更してもらった。
見学者は私だけである。
工場は浦上川を渡った対岸にある。長崎も3日目で毎日、工場のあたりをながめているので場所はよくわかる。
工場の入口の門をくぐってしばらく行くと左手にカンチレバークレーンの威容が現れる。
レンガ造りの小ぎれいなエントランスから史料館に入っていく。
内部はかつて実際に用いられていた機械や長崎工場で製造された船舶の史料などがところ狭しと置かれている。
私には説明員の人がついてくれとても丁寧に説明していただいた。
見学時間はおよそ30分くらいしかなくあわただしい。バスに乗っていたのが私だけだったので閑散としているかと思ったら、団体の申込みが盛況といい見学者がそこかしこにたむろっている。
説明員の方はおそらく当工場のOBであろう。
随所に「自慢」が出ている。
自慢の元にはこれまで送り出してきた艦船のきらびやかな歴史があろう。
最も有名なものは軍艦武蔵といえる。
武蔵は専用の展示スペースがあり、大型の模型が置いてある。
武蔵の全長は263m、満載排水量は7万2千トンあまり。乗員2500名となる。砲をもって主力兵器とする艦船としては同型艦大和と共に当時最大最強戦艦だった。
今では空母やタンカー、客船で武蔵を大きく上回る艦船はたくさんあるが、主観としていえばこれほど大きくかつ美しい艦船は他にない。
武蔵の建造に使われたリベット打ちの器具が置いてあった。武蔵には総計約650万本のリベットが使われたという。
一本一本工員が昭和初期、心を込めて打ったのであろう。
武蔵も大和も戦中に撃沈されてしまったが、敗戦後に残ったとしても標的艦として原爆に鎮められた長門同様、今日まで維持されることはなかっただろう。
神様がもしも願いを聞いてくれるのであれば「現役時代の大和をみたい」というつもりである。
私が好きな軍艦という分野でいえば戦艦「霧島」が長崎産である。
金剛型一番艦「金剛」が英国製、2番艦「比叡」が横須賀海軍工廠、3番艦「榛名」が神戸の川崎造船所で建造された。
後に航空戦艦となる「日向」もここ、重巡でいえば古鷹、青葉、羽黒、鳥海、三隈、利根、筑摩が長崎産である。
これらはほぼ、昔プラモデルで造ったことがある。
今では海上自衛隊の護衛艦も建造している。
この造船所では今年2月、建造中の豪華客船で火事があった。また史料館には破断したタービンローターも展示され、説明員の方は「負の情報も隠さず公開しています」とおっしゃっていたが、それさえ小鼻が膨らむがちである。
三菱グループの中で三菱自動車は隠蔽体質が治らず先頃は燃費偽装が発覚したことは別の話なのかもしれないが、企業にとって過去の栄光とは根強いものなのであろう。
写真撮影はできないだろうと思って一眼レフは預けてしまっていたのが残念、館内は撮影可だった。
全てを詳細にみることも武蔵の想い出にひたることも時間の関係でできなかったのも残念である。
なお、木型場というのは鋳物部品を造る木型を制作する工場のことをいい、天井には部品移動用のレールが走っている。
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