猿田彦神社から内宮正殿まで2km弱。
打合の時間があるので急いで行く。
20年に一度全て新しくなる伊勢神宮は長年保存された文化財という価値はない。
それに弥生時代の穀倉を原型とする建築物を間近でしげしげと眺めることは許されていない。
交通もそれほど便利でもなく神域が広いため五十鈴川を渡ってから相当歩く。
それは他の神社でもよくあることだが例えば下鴨神社は糺の森から行けば随分時間がかかる。
でも最後には国宝の本殿を眺めることができる。
こんぴらさんは石段をふうふういって登っていけば讃岐富士が見事である。
お伊勢さんにはそうした演出がない。
ところが今日も参道は大賑わいである。
私にそういう趣味はないがお伊勢さんは大したパワースポットであるらしい。
また昨今、東アジアからの観光客も増えているらしい。
かの西行はお伊勢さんで「なにごとの おわしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」と詠んだ。
これは神道の何物かを表現するときによく使われる故事である。
ただ、下の句はいいとして上の句の意図がいまだに理解できないでいる。
西行ほどの文人がお伊勢さんの祭神を知らないはずがないのである。
また、「なにごと」であって「なにもの」ではないことも私にはひっかかる。
私は他力本願というものが頭ではわかっても気持ちの上でどうしても腑に落ちない。
なにごとであれ神仏がおわしますことを実感できないでいる。
亡霊でもいいから死ぬまでにみることができればうれしいかどうかは別として謎がひとつ解決するであろう。
ご利益を願うこともない伊勢参りを今日もしてしまった。
ただし宇治橋を渡りお参りをする往復の散歩はいつでも気分がいい。
おそらく皆そうであるはずだ。
徴古館から内宮にお参りに行く。
平日だから人も少なかろうと甘いことを考えていた。
五十鈴公園の方から住宅街を抜けていくとおはらい町に出てしまった。
いきなり人の洪水である。
そこを内宮駐車場の方にいったものだから大変なことになった。
人の海をかきわけてクルマで行くのである。
やっと宇治橋のところまでくると駐車場への大行列、あきらめて猿田彦神社まで行きクルマを駐めた。
猿田彦神社に寄っていく。
サルタヒコとは五十鈴川を故郷とする国津神である。
記紀神話におけるサルタヒコの仕事は天孫降臨の際にやおら現れ道案内をしたことである。
そしてニニギと一緒に降りてきたアメノウズメを妻とし故郷に住んだということになっている。
サルタヒコというとどうしても手塚治虫の「火の鳥」を想い出す。
手塚治虫はキャラの立て方がほんとうにうまく、「火の鳥」ではサルタヒコに関わる登場人物は常に道案内をする。
鼻を巨大にしつつ破綻のない見映えもおもしろい。
サルタヒコを「顔の見える神」にしてくれたのは手塚治虫の功績であろう。
猿田彦神社がここにあるというのには意味がある。
皇女ヤマトヒメノミコトがアマテラスが地上に鎮座する場所を求めた際、サルタヒコの子孫というオオタノミコトが「この辺になさいませ」と勧めたとされる。
これもまあ道案内である。
よって内宮は五十鈴川の上流にある。
後にアマテラスが「さびしいから」ということでトヨウケビメが呼ばれ外宮におさまる。
畿内からでも尾張からでもお伊勢さんに来るものはまず外宮からお参りし内宮の方にあるいてくると山の麓に猿田彦神社がお迎えする。
こういう演出である。
自分の視点を上空にあげてみるとまことにおもしろい。
境内にはアメノウズメも祀られていてこれも丁寧。
構造物としては退屈なのであるがジオラマのパーツとしてみると猿田彦神社は楽しい。
松阪で打合があり実家へ寄り、朝8時に出かけた。
打合は午後なのだが伊勢神宮に行ってみたかったのである。
伊勢神宮に前回行ったのは2008年の3月のことだから4年前だ。
その時は外宮も内宮も遷宮の気配はまだなく、本殿向かって左側の敷地が見事に空いていた。
平成25年の遷宮に向け行事が進み、宇治橋は掛け替えられ、今月初めに立柱祭があったはずだ。
実家から伊勢神宮までは130km 程度であるから2時間程度で行ける。
今日はまず前回行けずにいた「徴古館」に立ち寄る。
伊勢神宮というのは神社ではあるのだが外宮と内宮、徴古館のある小山が形成する三角形の中は独特の雰囲気がある。
クルマを駐車場に駐めて少し歩いていても何となく非日常的ななにものかを感じてしまう。
もちろん、道路には塵ひとつないといっていいほど清らかである。
人は歩いてはいない。
徴古館というのは要するに伊勢神宮博物館であり、他に農業館と美術館がある。
平日まだ午前中ということを差し引いても人がいない。
神社系の博物館というのは武具を除いてしまうと味気ないものが多い。
ただし、さすがに伊勢神宮の宝物はひと味違う。
写真、メモ厳禁ということで仔細を思い出すのは大変だがおもしろいのが内宮の御正宮の1/20模型。
内宮の本殿はあれほどの人を集める割には実に拝みにくいつくりになっていて建物の造りがよくわからない。
それが塀に囲まれて見にくい部分のストレスが解消される。
お伊勢さんの特徴、あるいは魅力というものは「素」のよさだと思う。
神社という存在は当初は「空気」のみであったはずだ。
それが拝みやすく(特に新参者に)するために岩になり山になり木になったと私はみている。
時が下って仏教が入り寺院という新しい信仰の形式美をみせつけると神社も変わる。
丹を塗るようになり金箔を押し、拝む者が濡れてはいかんと拝殿を造るようになる。
伊勢神宮の本殿(とはいわないかもしれないが)はもちろん白木であり礎石を置かない掘っ立て柱である。
これは20年で新しくするからあえてそうするのであろう。
全てを無にするためには長持ちする素材を使う意味がない。
材も素なら形も素であろう。
そして日本人がお伊勢さんを好きなのは「素」であることの何物かをそれぞれが感じ取っているからではないか。
徴古館に展示されているものはいちいちおもしろい。
信長と秀吉、柴田勝家の書状がある。
伊勢の遷宮は戦国時代に絶えた。
復興したのは信長であり秀吉が引き継いだ。
神仏をないがしろにしたと思われがちな信長であるがいいことをすることもある。
ちょっと調べてみないとわからないがお伊勢さんは天下布武の邪魔することが少なかったのかもしれない。
予想外に長居してしまった。
農業館の方は予想通り、美術館は私の守備範囲にはずれるものであった。