扶桑往来記

神社仏閣、城跡などの訪問記

「その時が来た」 -ジョブズのこと-

2011年08月25日 | 来た道

米Apple社のCEO、スティーブ・ジョブズ氏がCEOの職を降りることになった。
一時代の終わりを感じさせられる。

私の職歴はAppleと共にあったといっていい。

私が丁稚修行の後、ようやく第一線についたころ、世のビジネスツールはようやくワープロからパソコンへと移行しつつあった。
東京に出て行き、PRやマーケティングリサーチを主とするNTTの関連会社に務めるようになった私はAppleのMacintoshで企画書や調査レポートを毎日深夜までつくり続けた。

その当時のMacというのは今にしてみれば実に貧弱な性能であったが、図表やグラフを作成するのに前時代からすれば奇跡のように楽であったし美しい文書を生み出した。
当時のライバルはMicrosoftであった。

MacとMS、この両者はひどく仲が悪く排他的でその余波でユーザー同士も妙に距離を置いていた。
ともあれ、私のリサーチャーとしてのキャリアはMacの画面とにらみ合うことで築かれたのである。

ジョブズ氏らによって1976年に設立されたApple computer社はApple2というパソコンのハシリでまず成功し、1984年にMacintoshを発売ししばらくは快進撃する。
ところがIBMが汎用性に優れ、MS社のMS-dosというOSを積んだ廉価なPCを送り出すようになると俄に雲行きが怪しくなる。
ジョブズは厳密にいうとエンジニアではない。
開発を主に担ったのはもうひとりのスティーブ、ウォズの方であってジョブズが得意にしたのは対投資家活動、つまりカネを呼んでくることであった。
皮肉にもジョブズは自らが呼んできた人々によって1981年、愛するAppleを追われるようになる。

私が前述のように東京でMacと付き合うようになった頃は、日本にMacが輸入されデザイン事務所が大量にこれを使用してDTPをはじめるようになっていたのであるが、本国の方ではすでにジョブズは不在で社内はゴタゴタ、いつどこに買収されてもおかしくない状態であって冷や冷やものでMac雑誌を読んでいた。

1997年にジョブズはAppleに復帰することになり、我々Macユーザーは快哉を叫んだのであるが彼の事実上の初仕事は、何とMSのB.ゲイツ氏に泣きついて運転資金を出してもらうというものであった。
ついにジョブズはダークサイドに落ちたと嘆いたものである。

1998年にNTT本体に復帰した私は会社のIT環境がWindowsになり、それがスタンダードであることを思い知らされることになる。
Macを使わせろというと「そんなマイナーなものは出せません」と言われ、ウェブマスターになってウェブのMac対応をやれというと「そんなマイナーユーザのためにカネは出せません」と言われ肩身の狭い思いをさせられる。
それでもなかば職権濫用でデスクにMacを置いていた。

風向きがちょっと変わるのはジョブズによってiMacが投入され、一応のブームとなったころからで、それはiPodというオーディオプレイヤーの登場によって急速にAppleはユーザ側から市民権を得るようになる。

私はNTTを辞し、地図会社に転職した時期がApple復権の時期と重なる。
地図会社ではめずらしくMac好きのマネジャーが来たということで一部のMac好き開発者の支持を受け、日の目を見なかったMac版地図ソフトのローンチをやった。
そんなことをやるとApple社とも付き合いができ、製品PRのために初台のAppleジャパンにも出向いたことがある。
当時はまだMacintoshEXPOというイベントが幕張であり、基調講演にジョブズが来たときには見に行った。
初めてみるジョブズはもう青年実業家というには年を取り過ぎてはいたが、プレゼンテーションが誰より上手くいたく感動したものである。

地図会社には1年足らずしかいられずに出奔した。

その後も歴代ほぼ全てのデスクトップとポータブルのMacはつかったことがあるし、iPod、そしてiPhoneはいつもカバンの中にあった。

2000年代のApple社は常にジョブズの頭から繰り出される新製品と新サービスと共にありほぼすべてそれはあたった。
おかげでAppleの株価はうなぎ昇り、誰もMacユーザーを日陰者と呼ばなくなり私も苦労のし甲斐があったわけだが、皮肉なことに独立してしまい家にいることが多くなった私にとってMacは逆にそれでなくてはならない理由がなくなってきた。

今でもこの原稿はMacで書いているのだが、AppleにもMacにも格別の思い入れはない。

ただし、若い頃あこがれ、陰ながら復活を応援してきた私にとってジョブズ氏の引退は胸にせまるものがある。
そんなことでちょっと昔を思い出してみた。

余談だがAppleが危機にあった頃、海外企業の株式を1株だけ買えるサイトというのがあり、Appleの株を買ってやろうかと思ったことがある。
もしも買っておけば2000倍だかになっていたはずで、私の執筆活動も楽になっていたと思うが、その失敗も何やら懐かしい。