水師営の後、再び電車に乗って大連に戻る。
自然博物館に寄って恐竜の化石見物。
旧満鉄本社や大連港などへ寄って夕食後に北京へ移動。
水師営の後、再び電車に乗って大連に戻る。
自然博物館に寄って恐竜の化石見物。
旧満鉄本社や大連港などへ寄って夕食後に北京へ移動。
帝政ロシアの旅順港は航空写真でみても南に湾を持ち、入口に砂州が伸びて波よけとなる天然の良港の要素が詰まっている。
その港を守る要塞は高地が東側に壁のように並び、ロシア軍は地下に頑強な砲台と陣を幾重にも構築した。
二百三高地は遼東半島の根本から来る日本軍の進撃・補給路の離れたところにあった独立丘陵。
ここを巡って日露の死闘となる。
最近では司馬遼太郎さんの「’坂の上の雲」の世界観、乃木大将愚将説はだいぶ修正されているようだがそれでも二百三高地攻略戦が壮絶だった事実に変わりはない。
この高地をとれば旅順港のロシア艦隊が目視でき、後方から艦砲射撃できる。
東側の要塞攻撃を後回しにした日本軍は二百三高地に主力を投入、そして頂上を獲り、二十八センチ砲で艦隊を壊滅させた。
さらに東側の要塞群を同じ砲で向きを変えて砲撃、巨砲は堡塁破壊に奏功した。
というように「そこから港はみえるか」が戦局の最重要局面。
その歴史舞台にやっと立てた。
旅順港は霞の中に我が眼にも見えた。
二百三高地から下りて水師営へ。
乃木大将がロシア軍の降伏を受け入れステッセル将軍と会見した場所でこれも有名。
訪ねてみれば地方の馬小屋のような様相。
建物だけが残っていたところにやたらと日本人が来るので整備したという経緯らしい。
当然、土産物店があったので土地で拾われた弾丸を購入(これがちょっとトラブルになる)。
二日目はいよいよ二百三高地へ。
大連駅から電車・バスを乗り継いで行く。
大連は他の都市、北京上海は別格として中西部と同じようで少し違う雰囲気を持っているが、中国人の生命力には毎度感服している。
9時に出発して10時過ぎに二百三高地に到着。
旅順港は今、軍事施設なので当然、外国人は出入禁止。
日露戦争時の激戦地もほぼ閉鎖されていて当局の許可があり気軽に行けるのはここの他、わずからしい。
標高203mの丘であるから登っていくことになる。
入口には人力車の青年が集まって客探しをしている。