明日帰国するので北京の最終日。
今回は徹底して紫禁城見物。
今日は北側から入城、紫禁城の北側には小山があって頂上に萬春亭が鎮座している。
ここは明朝最後の皇帝、崇禎帝が李自成に紫禁城を落とされ、追われて逃げ込み、首をつったところである。
この小山、紫禁城の水堀を掘った際に掻き揚げた土を盛り上げて造った人工の山である。
紫禁城を北から入るということは皇帝のプライベート空間の方から入るということで、江戸城の大奥を見物するようなもの。
こちらも建物が隙間なく並んでいて壮観。
それにしても石造りの空間はいかにも寒そうである。
調度品も当時のものを再現していて清朝のラストエンペラー宣統帝溥儀ゆかりの品も展示しており、あの西太后の肖像写真も飾ってあった。
清代の意匠は動物系のものを上手く活用していて、日本でいう神社の狛犬にあたる魔除けが獅子以外にも象や鳥などバリエーションが豊富である。
また屋根の装飾がとても凝っているのが印象的。
先頭に霊鳥に乗る仙人、その後に神獣が奇数個並ぶ。殿は龍。
神獣の数が多いほど建物の重要度が大きいという。
日本寺院と比べると鴟尾にあたる部分デフォルメされた龍が口を開けている。
これは日本同様、火除けらしい。
シルエットなど重々しくて日本のもののような伸びやかさや端麗といった風ではないが、明代清代の建物は重厚、勇壮でこれもいい。
清朝を造ったのは女真族。
漢民族の明朝を打倒して紫禁城に入城すると政体は中華王朝の伝統を引き継ぎ、科挙やらシビリアンコントロールを見事に洗練させた。
異民族は漢民族以上に中華思想の権化として「皇帝道」を昇華させ西欧列強にいたぶられるまで維持した。
北方民族の風習である弁髪など強要したりもしたが異民族と漢民族のハイブリッド文化が紫禁城を形成している。
しかし何度も思うように中華のおもしろさは「数」。
膨大な人間を集めて紫禁城は築かれ、膨大な官僚と女を集めて紫禁城の日常を営んだ。
何といってもそれだけ人間を集めうるというところに中華文明の凄みがある。
歩き回ることでそのマンパワーを心身に刻む旅だった。
かつては否定してきた清朝時代を見事に観光資源化しているのも中華らしさ。
ここも抜け目ない。
90年代に最初に北京に来た時、「何という凋落ぶりよ」と嘆いたものだが経済という点では20年ですっかり日本はぶち抜かれている。
紫禁城の近くの胡同(フートン)に行って土産を物色。
私の好物、動物系の置物を物色するうち、北京獅子の狛犬をセットで購入。
重かったが何とかスーツケースに押し込んで緞通共々無事に帰宅。