日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

恐るべき、「権力」と「マスメディア」の乱行

2007-11-29 | ニュース雑感
香川県坂出市の祖母と孫二人の不明殺害事件で、容疑者が逮捕され供述どおりに被害者の遺体が発見されました。容疑者は被害者の実の妹の夫。身内の犯行でしたが、別の身内の人物を犯人であると思ってこの事件を追い続けていたワイドショー・ウォッチャーもたくさんいたのではないでしょうか。

もちろん、事件の全容が明らかになっていない現時点で、いろいろな事を書き連ねるのは、やや危険かもしれません。しかしながら、別の身内の犯行であると“予想”をしていた多くの人たちを作り出したのは、明らかにワイドショーの報道姿勢であったと言えるのではないでしょうか。

TV番組の執拗なまでのその身内に対する取材と取り上げ、報道陣に対する悪意に満ちたかのような対応やコメントの場面を選りすぐっての繰り返し報道・・・。事件発生数日から行方不明の被害者を見つけ出せない状況下での加熱報道の弊害とも言えるのでしょうか、ここ2~3日は明らかに、事件の被疑者であるかのような扱い方に変わってきました。

執拗な報道と、被疑者のような扱いを受ければ、誰しもマスコミに対する対応も悪くなろうと言うものです。その時点では、身内の行方が分からない被害者家族であり、同情こそ受けてもなぜ被疑者扱いをされるのか、内心の怒りたるや想像を絶するものがあったに違いありません。

マスコミの“決め打ち報道”は、最近の何件かでは、フライング気味に被疑者扱いされた人物がの実際に逮捕された例もありますが、過去には何人もの悲惨な被害者を生んでもいます。もっとも有名な事件が、「松本サリン事件」の河野義行さんの一件でありました。
彼の場合も、事件発生2~3日目ごろから被疑者扱い報道が始まり、結局半年以上も後の「地下鉄サリン事件」によってオウム真理教の仕業であると判明するまで、その“犯人扱い”は続いたのでした。
被害者である妻の看病をしながらのマスコミと周囲の疑惑の目と戦い続けた河野さんの胸のうちは、いかばかりであったのでありましょうか。

いつ何時自分の身にも降りかかってこないと言い切れないマスコミの恐怖には、ただただ恐ろしい気持になるばかりです。

表現の自由とプライバシーの問題では、報道する側=加害者、報道される側=被害者という一面的図式の思考は不毛であり、マスメディアはその力の大きさを自ら常に意識し、“報道の暴力”となるリスクを自制する義務があると思います。

それとさらに常に問題を大きくするのは、警察権力のマスコミ誘導による“犯人あぶり出し”です。たいていの場合、マスコミが特定の人物を被疑者に作り上げるきっかけは、捜査当局の個別リークあるいはオフレコ情報です。
捜査当局は逮捕状を取れない状況下で、被疑者にマスコミ攻勢による「追い込み」を掛けて「焦り」による“しっぽ出し”や“落とし”を狙うのです。なんとも前時代的かつ非人道的捜査ではないでしょうか。

私が常々警鐘を鳴らしている「官」の非常識と「マスメディア」の驕りは、いろいろな形で必ずや国民に対して大きな損失をもたらします。だからこそ、問題が目につくたびに幾度となくこのページでも取り上げているのです。

善良な市民を凶悪な事件の被疑者に作り上げるという、「官」と「マスメディア」が共通の誤った方向ベクトルを創作し強大な力をもって我々の前に突きつけるとき、我々一市民はまったくなすすべなく自由で平和な生活が奪われてしまうのです。
幾度となく繰り返される同じ過ちに、今一度「官」と「マスメディア」は権力者の驕りを捨てよと、いつ被害者になるかも知れぬ我々一人ひとりが声を大にして訴え掛けなくてはいけないのです。


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