日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

田母神氏更迭で浮き彫りになる「官僚の誤った人材評価基準」

2008-11-12 | その他あれこれ
田母神元航空幕僚長が前大戦において「日本は侵略していない」という趣旨の論文を発表し更迭された事件で、参議院が昨日参考人招致を実施しました。氏の論文趣旨がどうであるかについては、ここで取り上げる気はさらさらありません。個人的に重大と考えるのは、氏が航空自衛隊の“制服”トップとして、政府見解と異なる論文を公に発表した組織論的過ちにあります。民間企業で言ってみれば、「幹部社員による経営方針からの逸脱行為」ということになるのです。分かりやすく言えば、「経営層たる工場長が外で経営批判を堂々とし、経営の足を引っ張っておいて、俺は正しい」と開き直っているいうことです。

例えその主張が論理的に破綻のないものであったとしても、管理者、指導者としての立場をわきまえない公的な場での主張や発言は「職務放棄」に均しいものであり、懲戒処分は当然です。「言論の自由、思想の自由はどうなるのか」という議論もあると思いますが、その問題と組織人としての発言の問題は区分けして考えるべきでしょう。しかも、“制服”トップと言う要職にある人間ですから、その立場を無視して「言論の自由」を振りかざすことはできないということは論を待たないところです。

氏は昨日「論文を書くのに大臣の許可を得る先進国はない」などと反論したそうですが、組織を率いる上級管理者として明らかにその組織の考え方に反する論文を公にするのであれば、経営の了解を得てからするのは常識以前の問題です。最大の問題は、このような所属組織の基本理念も理解せず、常識もない人物を、現場の最高指導者たる立場の幕僚長に抜擢した防衛官僚の人物評価能力の低さです。人を登用することの大切さは、官も民も同じです。誤った人の登用、特に権限所有者の誤任用は組織運営を危うくする大きなリスクを負います。

「文官=官僚」は民間人と違って、「収益を上げる」といった組織としての目的を持たない言わば“事務方”の集まりです。すなわち、「組織」という考え方が希薄であり、「強い組織づくり」であるとか「組織運営のリスク管理」という発想は、そもそも持ち合わせていないです。その意味では昔から、民間では当たり前の「管理者の適否を見た人材登用」の観点が、全く欠落してると言っても過言ではないかように思われます。

現実の官僚の幹部人材登用の実態を見るに、ただ単に「仕事ができる」「頭がよい」「取り入りがうまい」などの点で“偉く”なった人が大半のように思え(旧大蔵省を中心とした私の少ない役人接触経験からの感触ですが)、「管理者としての適否」「組織リーダーとしての適否」は評価基準から欠落しているように感じます。つきつめて考えると、官僚人事はそもそも入口の東大偏重の採用から、抜本的に見直さないことには変わりようがないのかもしれません。(東大卒がすべて頭でっかちの組織不適格者と言うつもりはありませんが、官僚組織なみに東大卒ばかりをあなたの企業に集めることを想像してみてください…、ちょっと恐ろしい気がしますよね)

「コスト意識の欠落」、「民との癒着」、さらに今回浮き彫りになった「人を見る目の欠如」…、この国の「反省なき官僚統治」を誰かがどこかで断ち切らないことには、さまざまな国家課題は根本的問題の解決に至らないように思います。

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