日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

<音楽夜話>ロッド来日公演に“エンターティナーの年輪”を見た

2009-03-14 | 洋楽
12日木曜日、ロッド・スチュワート13年ぶりの来日公演を聞きに日本武道館へ。私がロッド・スチュワートを初めて生で見たのが74年フェイセズでの初来日公演、2度目が79年人気絶頂期の「ブロンズ・ハブ・モア・ファン・ツアー」での来日公演。いずれも同じ武道館です。個人的には30年ぶりの“生ロッド”、堪能してまいりました。

74年は、バンドメンバーとして現ストーンズのロン・ウッドや日本人ベーシスト山内テツを従えての、最高に楽しいロック・コンサートでした。まだ、ロック・コンサートの何たるかも十分理解していない日本人オーディエンス相手に、「これが本場のライブだぜ!」とでも言いたげな本当に素晴らしいショーをみせてくれたのです。一方79年は、あの悪名高き「アイム・セクシー」で大ブレイク後のツアーで、カーマイン・アピス(D)やジム・クリーガン(G)らをバックし配しての“スーパー・スター”然とした、ハリウッド的ノリのハデハデ・ライブであったと記憶しています。

そして今回は…
御歳64歳になったロッドが、予想通りと言いますか当然と言いますか、私が見た前2回のライブとは全く趣を異にする“ショー”を見せてくれました。「ロックス・ヒズ・グレイテスト・ヒッツ・ツアー」と銘打たれた今回ですが、決して“年寄臭い”と言う意味ではありませんが、ある意味“オトナの歌゛”を聞かせるライブで、私の感覚では全く「ロックス」というイメージではありませんでした。バックを務めるのは確実にロック・バンドなのですが、3人の黒人女性コーラスとのからみも含めて、エンターティナー的なステージの進行といい、盛り上げ方と言い、バリー・マニロウやクリフ・リチャードあたりをイメージさせる、良質の“エンターテイメント・ショー”とでも言ったらよいのかもしれません。

「サム・ガイズ」「イッツ・ア・ハートエイク」の80年代の“ポップ・ナンバー”から100%モータウン・アレンジの「ジス・オールド・ハート・オブ・マイン」への3曲でスタートしたライブ構成が、過去の正統派“ロッカー”ロッド・スチュワートのものとは全く別物のライブであることを如実に物語っていると思います(もちろん後半戦で「ホット・レッグス」も「アイム・セクシー」もやりますが…)。ミック・ジャガーやピート・タウンゼントような、70年代と変わらぬ“ロッカー”然とした“70年代仕様ライブ”を期待した趣(むき)には期待はずれであったかもしれませんが(「2ちゃん」では一部でボロクソに言われてます)、私個人的には「これはこれで十分アリ」という、満足度の高いライブでありました。

なぜなら…、
ストーンズやフーのように、長寿バンドの場合にはメンバーを長年まとめ続けるある種の“バンド・ブランド”的サウンドの存在が、大抵はバンド継続の前提条件になっており、還暦を超えてもパワがー衰える衰えないの差はありつつも、70年代のイメージを21世紀まで引っ張り続けているケースがほとんです。一方、ソロ・アーティストが、30年以上も第一線の音楽シーンに留まるためには、特定のバンド・サウンドを拠り所としない代わりに、時代に合わせてサウンド・コンセプトを柔軟に変える器用さも求められる訳で、ロッドあたりはその最大の成功例であると言えるからです。

ロッドの現在のライブは、「ロック・シンガー」→「ハリウッド的スーパー・スター」→「スタンダード・シンガー」それぞれの成功体験を経たからこそ作り得た、彼の40年以上のキャリアの“年輪”であると思うのです。このようなものこそ本当のエンターテイメントとして評価されてしかるべきなのであり、だからこそ今なお欧米でのロッドのステージの人気はゆるぎないモノのがあるだと思います。これを単純に、ストーンズやフーと比較して「オジン臭い」「ロッドは堕落した」としか評価できない日本の音楽ファンが多いのだとしたら、74年にフェイセズが日本に来日した頃の、欧米と日本のライブ・エンターテイメントに対する認識の格差は少しも縮まっていないと思えるのです。

ステレオ・タイプな日本の音楽ファンには到底想像が及ばないほど、“先進国”の音楽エンターテイメントの世界は奥深いのです。来年にはいよいよお待ちかね、フェイセズの再結成ツアーも計画されているとか。その折りには70年代を彷彿させる“正統派ロック・シンガー”としてのロッドを全面に打ち出して、今回のライブをこき下ろした連中をブチのめしてやって欲しいものです。

※今回のライブの個人的ベスト・トラックは、ヴァン・モリスンのカバー「ハブ・アイ・トールド・ユー・レイトリー」。ロッドのハスキー・ボイスが、実に胸にしみる名唱でした。