日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

日テレ“バンキシャ事件”に見る、テレビ報道の“大甘”

2009-03-17 | ニュース雑感
昨日はTBSの話、今日は日テレの話です。

ここ数日既報のとおり、日テレ報道番組「真相報道バンキシャ」で取材先の発言を信じ虚偽情報を放送。取材先が偽計業務妨害の容疑で「告訴→逮捕」されるに至り、番組自体が一気にヤリ玉にあげられる展開になりました。この問題で昨日、久保伸太郎日テレ社長が辞任表明するに至り、事件は新たな局面に入っています。番組は昨年11月に放送され、岐阜県の元建設会社役員の証言をもとに、県が裏金づくりをしていると報道。県が調査をした結果事実を確認できず、偽計業務妨害でこの元会社役員を告訴。岐阜県警は今月9日、同容疑で元会社役員を逮捕したというものです。

日テレの報道機関としての問題点は同番組内での謝罪説明ではからずも明らかになりました。今月1日の放送で謝罪した福沢朗キャスターは、謝罪はしたものの「手口が巧妙で見抜けなかった」「取材の手法に間違いはなかった」と弁明したそうです。タレこみ取材の“裏トリ”は、取材における「いろはの“い”」です。それをしないで「取材手法に間違いなし」とは、寝ボケもいいところ。電波(=テレビ)における取材姿勢の甘さと報道機関の責任に関する問題認識の欠如を露呈した形となりました。

このような、苦しい“弁明”で言い逃れをしてはみたものの、結局はトップ辞任という展開に。おそらく読売新聞時代に記者経験のある久保社長の判断として(あるいは、同じく記者出の読売グループ首領ナベツネ氏の指示か?)、テレビ業界の常識で考えるほど軽い問題ではないという判断に至ったのではないかと思われます。余談ですが、テレビ業界の常識のズレを表す出来事が、今回もうひとつあったそうです。昨日の社長辞任会見で当初「各社1名カメラ不可」なる日テレ提示の条件の下会見を開き、大モメにモメて条件撤廃で会見をやり直すという醜態も演じたというのがそれです。まさに電波(=テレビ)の報道責任に関する認識の甘さここに極まれり、ですね。

そもそもテレビの報道姿勢の甘さは今始まった問題ではありません。完璧な報道機関である新聞と違って、テレビは娯楽部門が主流であり報道局は傍流扱いで昔から新聞社に比べて圧倒的に手薄なのです。しかも新聞は原稿がなければ成り立たないがために原稿の客観性が極限まで求められますが、テレビは報道とパブリシティの線引きが甘い上、画像重視のため刺激的な「絵」が撮れることに命を燃やすという文化を持った、ある意味かなり危険な媒体なのです。過去の度重なる制作部門の“ヤラセ”事件の原因も、常にそこにありました。今回の原因も報道部門までもがこの文化にあぐらをかいて、「下請け任せ」や「裏トリ軽視」になっていることにあると思えるのです。

日テレだけでなく全テレビ局は、今回の事件を反省の機会として捉え、報道番組の安易な下請け依存や手抜き取材の横行を二度と起こさないという誓いの下、新聞社並の報道倫理の確立に向けて会社ぐるみで本気で取り組むべきであると思います。