日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

〈70年代の100枚〉№64~名プロデュースが“スタイル”を作った傑作

2009-03-01 | 洋楽
カーリー・サイモンは、キャロル・キング同様70年代前半のシンガー・ソングライター・ブームに乗ってブレイクした実力派の女性シンガーです

№64    「ノー・シークレット/カーリー・サイモン」

カーリーは、60年代後半に姉のルーシーとのフォーク・デュオのサイモン・シスターズとして活動。71年のソロデビュー後は「幸せのノックターン」や「アンティシペイション」のヒットなどで注目を集めます。その後、72年に出されたシングル「うつろな愛」が全米№1ヒットを記録し、一役スターダムに。その「うつろな愛」をフューチャーしたアルバムが、この「ノー・シークレット」なのです。

当時のシンガー・ソングライターというと、キャロル・キングやジェームス・テイラー(後のカーリーのご主人様)をはじめやや内向的なイメージで売られるアーティストが多く、今では信じがたいですが、あのエルトン・ジョンまでもが“現代の吟遊詩人”のキャッチで売り出されるなど、どこか陰のある存在が良しとされていた時代でありました。

そんな中にあって、カーリー・サイモンもデビューからの2作は、他のシンガー・ソングライターに近い作り方をされていたのですが、3作目の本作ではリチャード・ペリー、プロデュースの下、実に明るく、ポップロック指向のアルバム作りに転換し、これが大成功。ここに彼女の音楽スタイルの基本形が形作られたのです。

そんな彼女の独自路線の最たるものが、代表曲A3「うつろな愛」ではないでしょうか。ロック系の一流ミュージシャンをバックに従え、さらには一時期恋人とも噂されていたミック・ジャガーまでもを“個性マルダシ”のバック・コーラスに配し、最高にかっこいい女性“ロック・シンガー”に仕立て上げているのです。彼女の豊かな声量とその艶っぽくまったりとした独特の歌声をどうしたらもっと活かせるのか、まさしく名プロデューサー、リチャード・ペリーに導かれた成功であったと思います。

アルバム中「うつろな愛」が抜けて出来がいいのは間違いありませんが、ジェームス・テイラーに捧げたというタイトルナンバーのA5「ノー・シークレット」、カントリー・ロック調の「イット・ワズ・ソー・イージー」、ラストを飾るバラードB4「瞳を閉じて」等々、「うつろな愛」1曲で終わらせるのはもったいない佳曲ぞろです。アルバムと自体が全米№1に輝いたというのも納得の、素晴らしい出来栄えなのです。

このアルバムの大成功を受けて、しばらくリチャード・ペリーとの仕事が続き、74年の「モッキンバード」や77年の「007私を愛したスパイ」などのヒットを生んでいます。余談ですが、リチャード・ペリーは後に同じ手口でバーブラ・ストライザンドやポインター・シスターズをポップロック路線に引き込み、プロデューサーとして大成功を収めています。そうやって考えるとこのアルバムは、アーティストにとってだけでなく、プロデューサーにとっても大きな“転換点”をもたらしたと言えるのではないでしょうか。

カーリーはその後も、ドゥービー・ブラザーズのフロント・マン、マイケル・マクドナルドとの競演ヒット「ユー・ビロング・トゥ・ミー」を放つなど、一貫した変わらぬ路線でコンスタントな活躍を続けていますが、日本では「うつろな愛」以外はイマイチ印象が薄い感じです。彼女の存在感溢れるルックスと、魅力的な歌声での迫力ある歌唱を聴くにつけ、もっともっと見直されていいアーティストではないかと思うのですが…。