世界一健康長寿のニライの風来坊

豊饒を齎す理想郷は海の彼方の蓬莱島!ニライの島夢郷!!その桃源郷を求めて南の風来坊は今日も迷走する。

私の今年の大納会は ”孫の笑顔”! 

2005年12月31日 | Weblog
屈託の無い、打算の無い、清々しい笑顔!!それが何よりの救い!孫の笑顔こそ、今の私の生き甲斐だ! 日々の仕事や雑事に勤しむ事が出来るのも孫の笑顔があればこそ、だ。仕事の疲労も憂さも、帰宅した際の、あの笑顔が待っているからこそ苦にならない。孫の笑顔が満腹の清涼剤なのだ。昨日も今日も明日も公用も私用も問わず孫に叱咤激励されている様だから勤勉・実直になれるのだ。 親ばか、という言葉があるが、準えて 孫ばか というところだ。同じ孫でも上と下の年齢差は6歳もある。小学校から保育園の可愛さ真っ盛りだ。願わくは、今の純真無垢な心を年齢を重ねても堅持してほしいと願ってやまない。・・・孫の親達が子供の頃は何一つ育児・教育・躾に構って遣れなかった。日々の仕事に打ち込む仕事一筋の人間だったからだ。だから、その分、孫達には 罪滅ぼし も兼ねて身が入り全力投球したい。否、 罪滅ぼし は余計な文言だ。今は純粋な心からの心情なのだ。無条件の肉親愛だ。伸びやかに、すくすくと心身共に成長する事を希望・祈願し、明年・新年は爽やかな清々しい気持ちで迎えたい。孫達の前途に洋々たる一ぱいの幸あれ!と願い、今年を締め括る。・・・


個・公の 年末「独断・偏見・感傷」随想! 

2005年12月30日 | Weblog
何十年も繰り返し言い古された定番語!?やはり、それしかないし、思いつかない。事実そうなって来た。毎年の事ながら。・・・歴史は繰り返す、というが不思議に予想と現実が一致する。負の、マイナーの事を公言していると殆ど確率は高く的中する。曰く。悲惨な事件事故が多かった、と。・・・毎年繰り返す定番語になった。数多のメディアも十年一日の如く同じ事を反芻する。吉と負・訃・不法の割合は断然、負の総体が大勢を占める。世の中の生業が負に作用する度合いが多いからだろう。世相を形成する要因も個々人の行動の集結なのだから、その集大成として収斂していく。ところが世相を形成していく基底・背後・バックボーンには時の為政者の政治・政策が関わり作用する。だから政権担当政党の選択が如何に大事なのか認識し再認する必要がある。1年を締め括るにあたり思いの丈を開陳し、単なる感傷的回顧より未来展望の吉に作用する年末回顧としたい。・・・暗い事件事故が多発した(毎年の事ながら)1年だったが気持ちはポジティブに時にはアグレッシブに、そして明るい希望の訪れを期待し確信し、平成十八年の新年を迎えたいものである、と考え・感想を述べ年末回顧としたい。・・・


子供の観た史跡名所「宝口樋川」 

2005年12月29日 | Weblog

儀保(ぎぼ=地名)の環状二号線沿いに在る小さな道を左に曲がった処に在ります。樋川(ひがわ)とは、湧き水を集めて樋(とい)から落ちる様にしたものです。宝口樋川(たからぐちひーじゃー)は「あいかた積み」という沖縄独特の積み方で造られ樋の前は石が敷き詰められています。ここは、飲料水や洗濯用水などの為、当蔵(とうのくら=地名)町の住民が造ったものだそうです。昭和51年9月25日に市の史跡に指定されています。 (6年 Y子)

昭和の初め頃に飲み水と洗濯用に分けられたとの事です。宝口というのは、ここの地名から採ったものです。その由来も石碑に刻まれていましたが、去る沖縄戦で無くなったそうです。又、大修理したのは、赤平(あかひら=地名)の人たちだったそうです。 (母 Y子)

 <学習の手引き>・・・この近くに最近(30年程前)、製紙造りを始めた方がおられます。ここと水との関係を聴いてみる事を勧めます。

{参考資料}:1807年に寄付を集めて建設された共同井戸。背後の建造は、ここでしか見られない沖縄独特の「あいかた積み」の石垣で、樋川の前は石畳になっている。6つに分かれた水槽は、飲料用と洗濯用に分かれていたという。現在は全く使用されていないが、かつては干ばつでも枯れることのない豊かな樋川だったのだ。 (出典:那覇市教育委員会)

「付則」:和紙の産地・沖縄県 琉球紙(りゅうきゅうし)那覇市首里儀保町の宝口樋川には良質の水が湧き、琉球王府の紙漉御殿が建てられていた。 王府がなくなったのちも、土佐紙の技術者を招いて、改良式の製紙工場が建てられていたが、 第二次世界大戦の戦火で消滅し、絶えていた。 民芸運動に参加していた出雲の安部榮四郎は琉球紙の再興を願っていたが、 弟子の勝公彦が昭和52年12月に宝口樋川に移住し、 地元の芭蕉や青雁皮などを原料とした琉球紙の復元を試み成功した。 月桃和紙(げっとうわし)月桃はしょうが科の多年性常緑草木。沖縄ではサンニンと呼ばれ古来から痰切り、健胃整腸、 消化不良、吐き気などに効果があるとされ、実を乾燥させたものを煎じて服用されていました。 和紙は、機械漉きと手漉き和紙があります。用途は、壁紙、障子紙、はがき、賞状用紙、しおりなどで紙質は、厚手になっています。 

琉球紙:蕉紙菴・安慶名 清:芭蕉紙


沖縄「桜坂劇場」が おもしろい! 

2005年12月28日 | Weblog
毎日が入れ替わり立ち代りのバラエティーに富む実践演目の催しで飽きさせない。兎に角、おもしろい。企画が一風、変わって人の心を惹きつけて離さない。来年18年度の企画を紹介しよう。「 もっと知りたい! 学びたい! 楽しみたい! 」のキャッチコピーの「実践 行動 体験」のワークショップと名うって2月を紹介している。・・・

―{身近な文化を学ぶワークショップ}―
●「沖縄芝居で学ぶウチナーグチ 入門編 」講師は、あのNHKの”ちゅらさん”の おばー 平良トミさん と 平良 進さん御夫妻の豪華チャストである。以下、ランダムに列挙しよう。・・・
●「はち好の話し方講座 初級編 」 講師:おきらく亭はち好(落語家)
●「ヴォイス トレーニング」講師:兼嶋麗子(声楽家)
●「楽しい沖縄考古学 入門編 」講師:池田栄史(琉球大学教授)

―{創作体験ワークショップ}―
■「沖縄のお笑いを作ろう」講師:藤木勇人(うちなー噺家)
■「アニメーション制作 入門編 」講師:仲本 賢(沖縄県立芸術大学 助教授)

―{映画の専門知識を磨くワークショップ}―
▲「映画制作 入門編 」講師:中江裕司(「ナビーの恋」監督) 具志堅剛(「白百合クラブ東京へ行く」撮影) 真喜屋 力(「パイナップル・ツアーズ」監督)
▲「映画祭プロデュース 入門編 」講師:中江裕司(「ナビーの恋」監督)真喜屋 力(「パイナップル・ツアーズ」監督) 上原 力(桜坂劇場)
▲「映画配給・宣伝・上映映写 入門編 」講師:上原 力(桜坂劇場)真喜屋 力(桜坂劇場)
▲「脚本 入門編 」講師:中江素子(「ナビの恋」)真喜屋 力(「パイナップ・ツアーズ」監督)

―{短期間の楽しいワークショップ}-
◆「おいしい中国茶」講師:山城 豊(「流求茶館」店長)
◆「親子でオリジナルちんすこう作り」講師:富山三和(「Cha-gwa」店長)
★申込:TEL・098-860-9555  FAX・098-861-2434



消費税・増税 以前に必然削減事項を斬れ! 

2005年12月27日 | Weblog
増税云々を、ちらつかせて財源不足とか国債発行高とか、744兆円~1,000兆円を持ち出す前に 社会保険庁を解体する、とか特別会計の大幅な抜本的削減の大鉈を振るうとかが、大先決であり、それこそ何十兆円単位の大幅な大削減を実現して後の論議事項である。そうでなければ国民は絶対、納得しない。何れ 税制改革全体 の中の一環として 消費税増税 は避けられない、と誰でも、そう思っている。日本経済が漸く踊り場を脱出し上昇気流に乗りつつある時(時期)に何故に 消費税増税 をチラツかせ持ち出すのか理解に苦しむ。何も選挙(前)に不利になるから云々の問題ではない。政治哲学の問題であり正攻法としての手順や手法の問題でもある。閣内不協和音を醸し出しては改革の前進はない。構造改革や三位一体も進捗しない。国民に責任を持つ責任政党としての役割も果たせない。国民は凝視しているのである。今の閣内は二分されている、と診ている。事の是非、改革の成否は、さて置き、兎に角、乗りかけた船は一直線に進めてほしい。従来の自民の手法は玉虫色の手直し程度の 少々改革 に留まっていた。その手法を大改革したのが今回の小泉首相である。そこに国民は賛同し期待しているのである。閉塞感を払拭し何かを遣ってくれそうだ、との期待感があったからこそ自民の大勝利に繋がる行動を摂ったのである。だから閣内抵抗勢力を斬ってでも改革は前進させてほしい。国民の切実な願いである。さもなければ閣内抵抗勢力を説得してでも改革を断行してほしい。消費税・増税云々は、その後である。・・・


沖縄農業の未来展望 シンポジウム 開催 

2005年12月26日 | Weblog
標語「次代へ残そう!沖縄の美ら島、美ら海~」の合言葉を元に、新年明けて平成18年1月25日に沖縄県那覇市の自治会館大ホールで”オキナワ農業のシンポジウム”が開かれる。衰退していく沖縄の農業を活性化し世界に冠たる農の樹立を目指して挙行される。「大切にしたい 沖縄の農と人とのふれあい」のチムグクル=肝こころ(沖縄方言で 美しい心持ち )=を農に活かし活力ある確たる有望な農生産に結びつけ親しんでもらおうとの意欲的試みである。さとうきび畑に揺れる黄金色の穂の景観、農業生産に必要な水の確保、台風銀座沖縄の防風・防潮林の貴重な資源の育成、山積するそれ等の課題を如何にして創出していくか、今回のシンポジウムの趣旨である。県民は元より農に関心のある方々の参加を主催者は呼びかけている。コバルトブルーの広大な海原を背景に独特の沖縄らしさを前面に打ち出し如何にして美しい農村景観を創り出していくか、叡智を結集して沖縄農業の未来を展望し創出していきたいとの催しである。農業人口の減少化・高齢化、混在化で農の維持管理・保全に困難をきたしている現実に、どう対処し解決していくか、地域に生き地域と共に歩む県民の叡智に期待したいとの切実な願いで開催される。・・
●基調講演 写真家の大塚 勝久(おおつか しょうきゅう)氏を招聘。
■{パネリスト}・・・宜保 清一氏(琉球大学農学部部長)、 多良間 伸也(<有>ティダファームたらま代表取締役)、 田中 幸雄(NPO 沖縄海と渚保全理事長)、 農林水産省 農村振興課。
■{コーディネーター}前泊 博盛(琉球新報社編集局次長、編集委員)
■「司 会」・・・下地 則子(フリーアナウンサー)
●お問い合わせ・申し込み・・・Tel098-865-5253
●http://event.ryukyushimpo.jp/
■主催・・・沖縄総合事務局、琉球新報社
■共催・・・沖縄県、沖縄県土地改良事業団体連合会
■後援・・・沖縄タイムス社、沖縄テレビ、ラジオ沖縄、NHK沖縄放送局、琉球放送、琉球朝日放送


「戦争の世紀」から”テロの世紀”へ一参考資料編― 

2005年12月25日 | Weblog
イスラム法(シャリーア)に基づいたイスラム国家の建設を理想としている。シャリーアは、アラー(神)の啓示である聖典コーランや、預言者マホメットの言行録ハディースなどに基づき、刑法、民法から生活上の規範まで規定している。シャリーアに従えば、既婚者の婚外交渉は石打ちの死刑に処せられる。未婚者の性行為や、飲酒も百回のむち打ち刑となる。植民地時代に西欧の法体系が入り込んだ穏健派諸国では、これらは犯罪にならない。現代のイスラム国家建設の例としてよく挙げられるのが、イランとサウジアラビアだ。政治と宗教が分離している西欧のキリスト教諸国とは違い、政教一致体制だ。1,979年にイラン革命を指導した故ホメイニ師は、世襲王制による世俗政権の腐敗を攻撃し、イスラム法学者による共和制を実現して周辺諸国の原理主義勢力を刺激した。81年にはエジプトのサダト大統領が原理主義組織「ジハード」(聖戦)に暗殺された。聖地メッカのあるサウジでは、18世紀にアラビア半島に興った厳格なイスラム改革運動(ワッハーブ派)と、大富豪のサウド家が結びついた。シャリーアが最も広く適用され、「原理主義国家」と呼ばれたりする。一方、サウジには湾岸戦争を機に「異教徒の軍隊」米軍が駐留し、原理主義者から指弾されている。ビンラディン氏がサウジ出身であることも偶然ではない。原理主義はインドネシアなどの東南アジアから、ウズベキスタンなどの中央アジア、アルジェリアなどの北アフリカ諸国までイスラム世界全域を覆う。非合法組織が多く、全体像は明らかでない。最大勢力のエジプトの穏健派「ムスリム同胞団」は第二次大戦後、100万人を誇った。 例えば「ムスリム同胞団」は福祉、医療サービスを手掛け、非暴力で理想国家建設を目指している。スポークスマンのフダイビ氏は「ひとたび暴力に訴えれば、コントロールできなくなることを知っているからだ」と話す。九二年のエジプト大地震の際、被災した貧困地区に真っ先に救援物資を届けたのは同胞団だ。去る総選挙では同胞団系議員が初めて当選した。組織に属さなくとも、コーランの教えに従って厳格な暮らしを目指す、武力闘争と無縁の人たちも多い。反対に、武力による政権打倒を呼び掛け、その後の過激派組織に大きな影響を与えたサイード・クトゥブ(,66年に処刑)という人物は同胞団出身だった。テロは「聖戦(ジハード)」と呼ばれる。エジプトの最高位法学者(ムフティー)、ナセル・ワセル師は「聖戦は自らに降りかかってきた攻撃を止めるための自己防衛の手段だ」と強調する。「ハマス」などパレスチナの原理主義組織の占領者イスラエルとの戦いは聖戦となる。戦闘機や戦車などを使うイスラエルの「国家テロ」に対する自己防衛とみなされるからだ。自爆テロも、パレスチナでは「殉教」とみなされ、「勝利者」として天国で最高の場所を与えられる。自ら進んで爆弾を体に巻き、殉教する若者が増えるのは不思議ではない。罪のない人々が犠牲になった米中枢同時テロの場合は自己防衛ではなく、「重罪だ」(ワセル師)というのが穏健派法学者の一致した見方だ。過激なテロがやまない背景には貧困や腐敗などの社会問題が存在するとの指摘もある。カイロの原理主義組織関係者は「公正な選挙がなく人権も守られない国で、変革手段としてテロ以外に何があるか。それはイスラム世界に限ったことではない」と話す。いずれにせよ、資本主義と社会主義の「冷戦」に刻印された20世紀が終わり、21世紀は人種・民族と並び、宗教が地域紛争の火種となりそうだ。
1  イスラム法に基づいた純粋なイスラム国家の建設を理想としている。現代国家ではイランとサウジアラビアが代表的だ。
2  武力闘争を支持しない穏健な組織もある。福祉、医療を手掛けたり、選挙など平和的な手段を通じて社会改革を目指す。
3  自爆テロは「殉教」とみなされ、天国で最高の場所を与えられる。背景には貧困や腐敗などの社会問題が存在するとの指摘もある。

付則:イスラム原理主義は、キリスト教のプロテスタント運動のひとつ「ファンダメンタリズム(根本主義)」をイスラム教に当てはめた言葉と言われる。このため、研究者の間では意識して「イスラム復興主義」「イスラム覚醒」などという言葉を使うことが多い。激派、テロリズムと同義と受け取られやすく、「怖い」「危ない」というイメージがつきまとう。しかし、「イスラム原理主義=テロ」ではない。ムスリム同胞団のフダイビ氏は「原理主義は、西側やイスラエルのメディアが、イスラム教徒を分断するために使っている。本来、イスラム教には存在しない言葉だ」と批判している。 {出典:ネット上の北海道新聞}



「戦争の世紀」から”テロの世紀”へ一その2― 

2005年12月24日 | Weblog
テロは戦争か否かは、さておき歴史上の初発がフランス革命前後で”政治の目的を果たす行為”とか「暴力的な行為によって国家や社会を恐怖に陥れて一定の政治的目的を果たす行為・主義」だと大まかに定義づけられている。イスラム原理主義者の最終目標は「キリスト教西洋文明に洗礼されてない、毒されてない、純粋<コーランそのものの理念の実現>のイスラム国家の建設」にある、とすれば{一国・西洋多国 対 一国・イスラム圏多国}の敵対図式で、<キリスト教西洋文明> 対 <イスラム圏国家>の果てしない闘争・戦争・テロに二分される構図となる。テロの定義は既述の通りなので「戦争」のそれは『国家対国家の宣戦布告によって発生する国際法上の正規軍の戦い』と定義されている。よって「テロ」には敷衍できない。―「テロを戦争」―と認めてしまえば解決できない雑多な問題が派生し一層、問題解決を困難にする。被害を蒙る最大の対象が一般市民になるからである。よって<テロ>は「人類最悪の犯罪」―だと捕らえ殲滅しなければならない行為―と認識し行動する事である。同盟国として米国に追従しテロを戦争と是認するのは早計である。独立国家としてノーを突きつける勇気も必要である。下記に時系列に頻発した世界のテロを列挙する。付記:・・・
●2001年9月・・・同時多発テロ(アメリカ)
●2002年10月・・・モスクワ劇場占拠(ロシア)
●2003年3月~自爆テロ、爆弾テロ各地で頻発(イラク)
●2004年3月・・・3駅4列車爆破(スペイン)
●2004年5月・・・外資系石由企業居住区襲撃(サウジアラビア)
●2004年5月・・・モスクで爆弾テロ(パキスタン)
●2004年9月・・・チェチェン武装勢力小学校占拠(ロシア)
●2005年2月・・・マニラ・ミンダナオ島、同時爆弾テロ(フィリピン)
●2005年7月・・・ロンドン地下鉄車両爆発(イギリス)
●2005年7月・・・小型バス爆発(トルコ)
●2005年9月・・・ロッケット弾攻撃・襲撃(アフガニスタン)
●2005年10月・・・ニューデリーで連続爆発発生(インド)
●2005年10月・・・バリ島レストラン・カフェ爆弾爆発(インドネシア)


「戦争の世紀」から”テロの世紀”へ一その1― 

2005年12月23日 | Weblog
去る20世紀は”戦争の世紀”だった。第一次世界大戦、第二次世界大戦=太平洋戦争=15年戦争等と歴史の側面によって捉え方、呼称があった=、そして米ロの40年以上に亘る「東西冷戦」が続いた悪夢の世紀だった。そして明るい展望を期待した21世紀初頭!その幕開けの2,001年9月11日。何が起こったのか?  その日は人類史上に、かつて経験した事のない最悪の日として歴史に刻まれることであろう。米国建国以来の本国攻撃。ブッシュ大統領はテロではなく戦争と宣言した。正に戦争そのものである。そして現在も世界を震撼させている。即ちニューヨークの世界貿易センタービルの南北2棟が二機の旅客機で突撃され尊い3,000人余の人命が一瞬のうちに失われた。世界的テロ集団、ヴィンダリン率いる「アルカイダ」の仕業だと判明した。イスラム原理主義、過激派の蛮行である。その後も世界の各地で頻発している。ブッシュ大統領は報復としてアルカイダが潜むとされるアフガニスタンを攻撃した。同時に大量破壊兵器の疑惑がもたれているイラクへの攻撃を2,003年3月に開始した。イラクのフセイン大統領は12月に拘束された。主力米英両軍の攻撃から9ヶ月後のことである。イラクの「ならずもの国家」は解体した。国対国の「戦争・テロ」ではなく世界を二分する{キリスト教西洋文明}対「イスラム原理主義文化」の対決である。<次回に続く>・・・


琉球列島「 異常寒波 」が襲う! 

2005年12月22日 | Weblog

過去に例を見ない寒波が琉球列島を襲った!兎に角、寒い。道行く人もオーバーを羽織り小走りに体を縮めて足早に去って行く。”異常・異変”気象としか言いようがない。南国、亜熱帯のトロピカル・ムードたっぷりの沖縄には似合わない。四季の変遷が曖昧で年中、夏季を演出している沖縄では常時、島内ホテル、宿泊先では泳げる。ところが、ここ一両日中は寒気・寒風の異変で異常続きである。今朝も寒くて外出どころか、たまの休暇のショッピングにさえ出掛けられない。亜熱帯気候に体が順応し耐性化しているウチナーンチュ(沖縄の人)にとっては本土の様な小寒い寒気や温度にも異常な寒さ・寒波を感じて引篭もりがちになる。一家団欒、室内に篭っている。久しぶりに家族が一堂に会しての四方山話に花が咲く。寒波の副産物というところか!・・・年の瀬も、慌しさを増して来た。あますところ十日余となった。”寒波・寒風・寒気”と共に今年も去り行く。この一年、どんな事件や重大事が各々には有ったのか、感慨深げに振返る年末となった。例年の如くやって来た!! 人それぞれに自分史を刻んでいく。これ又、感傷的になる時季、到来となる。 人生の終末に刻一刻とジワリジワリと刻まれていく日々の感触に黄昏の心境を実感する。   待てよ!あの好奇心旺盛なチャレンジャーとしてのポジティブな気概は?  どこへ?・・・気を取り戻し、又、想起して日々の雑事に勤しむ?・・・

 


子供の観た史跡名所「ヒジ川ビラ」 

2005年12月21日 | Weblog

この”ヒジ川ビラ”が造られたのは16世紀から17世紀頃だと言われています。この辺は戦争前までは景色の美しい処だったそうです。道の両側は石垣と土の塀で造られていて松並木共よく調和しており、とても、美しいところの一つだったそうです。島尻(今の南部辺り)方面へ旅する人たちは三つの宿場の一つであるここを通って行ったのでしょう。識名園と御茶屋御殿(うちゃやうどぅん)=かつての迎賓館・別荘―とを結ぶ環状線の一部だったと資料には載っています。 (6年K君)

 忘れられた名もなき坂にも、この様な歴史上の謂れがあったのかと、今更ながら昔を振返えると感慨深いものがあります。私たちの祖先の遺してくれた大事な文化遺産を今後も大事にしていきたいものです。 (父 K)

<学習の手引き>・・・この辺りを散歩して歴史というものを身近に感じてほしいと思います。前もって資料で調べてから出かけると、より一層、歴史の温もりを直に感じて興味が更に湧いてくると思います。 {参考資料}:金城ダムにあるヒジ川橋から首里城の守礼の門にかけて「ヒジガービラまーい」と言う散策の小道がある。ここは琉球王朝時代の古い道筋をたどりながら地域の歴史や文化遺産に接し楽しく散策出来る様に整備された散歩道である。1.8kmの道筋にあるヒジ川ビラ(石畳道)、「御茶屋御殿跡(王家の別邸)」、「雨乞い嶽」、「崎山馬場跡」などの史跡をたどる様に整備されている。道路に点々とした道標をたどると回れる様になっているので一度は散策したい処である。

備考:写真は「亀甲墓」と呼ばれるもので、お墓の形が”亀の甲”のようになっているので”カーミナクーバカ”と呼ばれている。中国南部のお墓の影響を受けた形で17世紀末頃から沖縄に普及した。墓の形には、この他に「破風墓」(はーふーばが)も多く見られるが、もっと古い形の「岩陰墓(チンマーサー)」や「掘込墓(フインチャー)」もある。

 


「安心」か{安全}か、の別れ道?! 

2005年12月20日 | Weblog
今朝(12月20日<火>)のNHKのラジオからニュースが流れた。例の米牛肉の輸入・解禁の話である。食に関する巷の話題を独占している今日この頃なので耳を傾けた。アナウンサーと解説者の遣り取りが面白く、いよいよ佳境に入った。事、食についての大所高所からの解説なので耳を欹てた。一層、傾聴した。案の定、得る事が多く聴いて良かった、と思った。喩え(譬え)話が適切で分りやすかったので聞き逃した方々の為に再度の押し売りをしたいと思う。―例―”おふくろの味”は懐かしく美味しい。手作りなので愛情一杯の最善物である。どの食材を使っても仕上げた味噌汁、ごはん、お雑煮や副食物でさえ天下一品である。やや誇張した小生の表現だが意味合い・趣旨は例の如くである。そこで口に入る牛肉は「安心」を摂るか、”安全”を摂るか、どちらを優先させるか?・・・解説者の農政ジャーナリストの某氏、曰く。無条件に、おふくろの味の「安心」を摂る。美味しくて懐かしい母親の懐の味だもの、当然、「安心」して食べる。ところが厳密に科学的操作で精密に検査すると母親の手作りの食は”細菌が多く”体に良いとは言い難いのではなかろうか、と。むしろ科学的に機械的に操作し検査した食に軍配が挙るのではないのか、と。幼少から食べ慣れた”おふくろの味”は例え細菌だらけでも体が慣れて耐性がついているので病気にはならない。(後半は小生の補足解説)ところが輸入牛は「おふくろの味」と違い”安心”では済まされない。科学的な{安全}を取らなければならない。公的レベルの国家としては「安全」を最優先して国民に「安全」を摂って”安心”を与えなければならない。炯眼である、と思った。農政ジャーナリスト某氏の趣旨を汲んで私の「思いの丈」を披瀝した次第である。・・・


特別会計「7兆円」の精査と徹底的削減を! 

2005年12月19日 | Weblog
一般会計「82兆円」は会計監査が概ね正確に為され使途が明確になり白日の下に国民に提示される。ところが”特別会計”は監査されるとは言え大まかな概略しか示されない。31部署の細部に亘っての精査は殆ど不可能に近く全体を明確にして把握するのは困難であるからである。故に天下りの終着駅・温床、ファミリー企業の横暴、官僚との癒着等々と、その実態を温存したまま今日に至っている。不明な構造的実態を許容した罪状は国民として許されない。絶対数が足りないので出来なかった理由を嘆く前に叡智を絞って徹底的に調査精査し納得のいく結果を国民に提示して貰いたい。会計監査等は一般国民から選抜したリタイア組とかNGO又はNPO等のボランティアを募って当たらせる等々・・・。特別会計総額「412兆円」から必要不可欠な経費等を精査し絞り込んで「200兆円」、それから「17兆円」、さらに「7兆円」と辿りつく。その”7兆円”の内実の「人件費、サービス費、給料、その他」を更に精査し絞り込んで削減する事である。しかも絞り込んだ途中経過の「必要不可欠な経費等・・・」も明確に提示し国民が納得のいく様に説明責任を果たしてもらいたい。その作業が与党・政府の当面の緊急課題であり「税制改正・増税等」の提示・論議以前の優先事項である。・・・


子供の観た史跡名所「寒水川樋川」 

2005年12月18日 | Weblog

古い寒水川村の地名は、ここ寒水川(すんがー)に因んで付けられたと言われています。ここの井戸は田畑の水としても、洗濯用としても、飲み水、としても使用されています。水の量も豊かであり、水質もよいのです。又、放送局の水源としても使用されていたとの事です。だから、とても重要な処だなあ、と思いました。 (6年 R子)

 つい最近(当時30年程前)、昭和54年7月3日に市の史跡として指定されました。むかしは水量も多く、いろいろな面に使用されていました。いまでも、こんこんと湧き出ています。昔から水と人間は深い関わりがあり、水にまつわる話も多いのです。 (父 R)

 <学習の手引き>・・・この一帯は、市街地なので、水量も少なくなっている様です。樹木と水量の関係を調べてみるのも、いい勉強になります。

{参考資料}:この写真では、ないが「瑞泉門」近くのに在る首里城直下の御用水として「龍樋」(りゅうひ)がある。龍の頭は500年前のままらしい。実に、うまい水だったと書かれていた。今は飲めないが、当時としては、最高の飲料水だったらしい。もう一か所が、この写真の「寒水川樋川(すんがーひーじゃー)」である。同様に最高の飲料水だった。今は飲み水としては使用されていない。城外にも同じ名前の泉があった。


グローバル化の実態 その光と影! 

2005年12月17日 | Weblog
グローバリゼーションとも言う。何時頃から「国際化」から→”グローバル化”へと変遷してきたのだろうか?東西冷戦の頃までは「国際化」の呼称が世界のトレンドだった。つまり80年代までだ。冷戦終焉後の90年代から俄かに「グローバル化」がクローズアップされ主流になって来た。有り体に言えば「国境を越えて人、モノ、商品、情報、労働力、サービス、資金、資源が自由に行き交い活性化する状況」になってきた。国家間の規制が緩和され市場をダイナミズムに推進する経済活動の方向に基軸が移ってきた。光の面が出て来た。その反面、世界的経済の熾烈な競争によって国家間及び国内の貧富の差が拡大され表面化してきた。同様な負の状況が自国の歴史、伝統・文化の面でも指摘され、その破壊に繋がりアイデンティティーの喪失の危機に晒される、と此れ又幾多の問題点が主張されてきた。去る2,001年には「イタリアG8サミット」で市民による大規模な”反グローバリズム”デモが展開された。―グローバル化の推進―によって派生する問題の除去・阻止、即ち<社会的格差を根絶しよう>、<環境破壊を阻止しよう>、<伝統文化の破壊を阻止しよう>等が叫ばれ提唱される様になってきた。現在進行中の「グローバリゼーション」は米国を主流とするアメリカ化、国際通貨基金の”ワシントン・コンセンサス”に収斂されている、と指摘され指弾されている。そこで私の考えは『真のグローバル化』は進展する科学技術の成果と経済の正の面を摂取し如何にローカル性を取り入れて国家の独自性を発揮し発展させるか、に懸っている、と考える。