世界一健康長寿のニライの風来坊

豊饒を齎す理想郷は海の彼方の蓬莱島!ニライの島夢郷!!その桃源郷を求めて南の風来坊は今日も迷走する。

「琉球王国のグスク及び関連遺産群」パート4

2005年01月31日 | Weblog
二、「中城城跡」・・・現在の中城村と北中城村との境に広大な領域を有して威風堂々と構えている。城壁は<あいかた積み>と<布積み>の二種類で築城されている。・・・沖縄の石の積み方には“野面積み”(のずらづみ)と“あいかた積み”(きっこう<亀甲>づみ)と“布積み(とうふづみ)の三種類がある。・・・城主護佐丸は座喜味城(読谷村)から、この城へ移って来た。元々は中城按司の居城であった。本丸と二の丸は、その頃のものである。護佐丸が築いたのは三の丸である。中部に一大勢力を築いたのは1440年頃だとされている。ところが琉球歴史上、有名な”阿麻和利・護佐丸の乱“(あまわり・ごさまるのらん)では勝連城主の阿麻和利に討伐された悲運の名将であった。時に1458年の事である。逸話として、かのペリー提督が石造の城郭を観て<ワンダフル>と賞賛したと記録に残っている。昭和47年5月16日に国の史跡に指定されている。・・・以下略。・・・
三、「勝連城跡」・・・中部の勝連町南風原にあり与勝中学校のすぐ近くに在る。城は本丸から四の丸まで連なった平山城で“布積み”の城壁になっている。約500年前~600年前に築城されたものである。武芸に優れていた城主阿麻和利は琉球全土を手中に治めようと野心を燃やしていた。ところが”阿麻和利・護佐丸の乱“に勝利したものの、その後に首里王腑に謀反者として征伐された。・・・領地・支配下の民には絶大な人気があった様で琉球の古歌「オモロ」に、その功績が称えられている。・・・<勝連城は太陽に向かって城門を開き黄金財宝のつまった御殿である。これは今も昔も、すぐれた按司がいたおかげだ。>、<勝連は京、鎌倉のように栄えている。>、<大和、唐、南蛮から宝物が集って来る。>・・・と、その徳を高く賞賛されている。当時、海外に雄飛し盛んに海外貿易を行っていたと推察できる。発掘調査でも当時の中国製陶器、朝鮮瓦、大和瓦、東南アジア産の酒壺などの外国産のものが多く出土しており、その繁栄ぶりが伺える。勝連城は三方が海に囲まれた天然の要塞でもあった。最近、中高校生、若者による”現代風組踊“肝高の阿麻和利”が上演され大好評を博した。郷土の偉人・文化遺産を後世に継承しようとの郷土愛に根ざしたものであろう。・・・

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「琉球王国のグスク及び関連遺産群」パート3

2005年01月30日 | Weblog
琉球王国遺産群9件の紹介・・・
一、「首里城跡」・・・浦添が<うらおそい>といって“島々の津々浦々まで”という意味であるのに対し首里は“島々をおさめる”という意味がある。王国時代の首都だったのが首里である。当時は良港として那覇と泊との2港があって日本本土や朝鮮半島、中国、東南アジアのタイ、ベトナム、インドネシア、マレーシア等を一大貿易圏として雄飛し発展していた。その事は現存する“万国津梁の鐘”(ばんこくしんりょうのかね)に銘記されている<博物館に展示在>。その首都、首里に「首里城」は威風堂々と構え鎮座していた。歴代琉球王の居城であった。築城は不明。三山時代は“中山”の城だった。第一尚氏王統の始祖(一代が尚巴志の父)二代尚巴志王の時代は内郭の石垣だけだったのを第二尚氏王統三代の尚真王の代から四代の尚清王の時代にかけて歓会門や久慶門のアーチ型石門の外郭を築き更に、その上に木製の櫓を築いた。グスク内の中央部には“首里城正殿”が鎮座し前方には御庭(うなー)の広場があって多彩な宮廷行事が執り行われた。正殿に向かって左側には北殿があり主に中国からの冊封使を歓待した。南側には南殿があり日本からの使者を歓待した。正殿は一名“唐破風”(からふぁーふー)といって豪華絢爛、色とりどりの彫刻、金銀、黄金、赤、黄色、緑、青などで彩られた。国王が政務を司り国事の重要行事が執行された処であった。戦争で消失するまでに4回も灰燼に帰したのである。中国の影響を大いに受け伝説の架空動物―龍―を象った彫刻が多い。国王の玉座は“御差床”(うさすか)といって威厳よく臣下に命令を下した国王専用の椅子であった。・・・以下・・・二、「中城城跡」三、「勝連城跡」四、「座喜味城跡」五、「今帰仁城跡」六、「斎場御嶽」七、「識名園」八、「玉陵」九、「園比屋武御嶽石門」の順序で紹介したい。

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「琉球王国のグスク及び関連遺産群」パート2

2005年01月29日 | Weblog
琉球王国概略・・・山下町第一洞穴遺跡は3万1千余年~3万3千余年前に日本に人間が住みつた痕跡を残している。(子供の人骨)港川フイッシャーが1万8千年前の大人の人骨が出土した遺跡で正式には1万8千年前が最古の遺跡とされている。・・・石器時代から原始神話の時代、伝説の瞬天王統の時代を経て英祖王統と続き三山分立へと歳月は流れる。時に伊平屋島に祖父、屋蔵大主<やぐらうふぬし>を祖先とする佐敷の小按司、尚巴志<しょうはっし>が三山(北山<今帰仁城>、中山<浦添城>、南山<高嶺・大里城>)を征伐し三山統一を成し遂げる。天然の要塞首里に『首里城』を建立整備して文字通り琉球王国を確立する。(1429年~1879年の450年間)第一尚氏王統7代64年、第二尚氏王統が19代411年、実に475年間、南海の小島、琉球に独立国、“琉球王国”を築いたのである。特に第二尚氏王統の三代、尚真王の時代に黄金期を迎え世界に雄飛する。遺物・遺跡の多数が尚真王時代のものである。ちなみに第一尚氏王統~第二尚氏王統までの王名と在位を列挙してみる。
第一尚氏王統・・・
一代 尚思紹(1406年16年)  二代 尚巴志(1422年18年)
三代 尚 忠(1440年5年)    四代 尚思達(1445年5年)
五代 尚金福(1450年4年)   六代 尚泰久(1454年7年)
七代 尚 徳(1461年9年)
第二尚氏王統・・・
一代 尚円(1470年7年)   二代 尚宣威(1477年1年)
三代 尚真(1477年50年)  四代 尚清(1527年29年)
五代 尚元(1556年17年)  六代 尚永(1573年16年)
七代 尚寧(1589年32年)  八代 尚豊(1621年20年)
九代 尚賢(1641年7年)   十代 尚質(1648年21年)
十一代 尚貞(1669年41年) 十二代 尚益(1710年3年)
十三代 尚敬(1713年39年) 十四代 尚穆(1752年43年)
十五代 尚温(1795年8年)  十六代 尚成(1803年1年)
十七代 尚灝(1804年31年) 十八代 尚育(1835年13年)
十九代 尚泰(1848年32年)

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「琉球王国のグスク及び関連遺産群」紹介

2005年01月28日 | Weblog
かつて南海の小国、“琉球”という王国が在った。1429年~1879年までの実に450年間の独立国であった。遠くはマラッカ海峡を越え中東近郊まで南は東南アジア、ベトナムの最果てまで平和的友好を旨とし貿易立国として世界に雄飛した誇り高き王国であった。その遺物・遺跡の足跡を称えユネスコの世界遺産に登録された。人類の貴重な文化遺産を後世に永続して存続させる事を決定したのである。2000年12月2日である。そもそも何故、登録の必要があるのか。曰く、“戦争の破壊や自然災害・人災から人類が築いた貴重な自然や文化財を人類共有の遺産として後世に継承する”との趣旨で<世界遺産>を定義し、その趣旨が説明されている。1972年にユネスコの総会で『世界遺産条約』が締結されての事である。日本は1992年に、その『世界遺産条約』に加盟した。ちなみに世界には現在700箇所の遺産群が登録されている。その中には負の遺産として「アウシュヴィツ強制収用所」や「原爆ドーム」もある。日本の世界遺産として登録されているのは自然遺産として「白神山地」、「屋久島」、文化遺産として「法隆寺地域の仏教建築物」、「姫路城」、「古都京都の文化財」、「白川郷・五箇山の合掌造り」、「原爆ドーム」、「厳島神社」、「古都奈良の文化財」、「日光の社寺」、そして「琉球王国のグスク及び関連遺産群」である。世界の遺産を地域別に観ると北米・ヨーロッパ345件、アジア・太平洋139件、ラテンアメリカ・カリブ98件、アラブ54件、アフリカ54件。さて『琉球王国のグスク及び関連遺産群』は「首里城跡」、「中城城跡」、「勝連城跡」、「座気味城跡」、「今帰仁城跡」「斎場御嶽」、「謝名園」、「玉陵」、「園比屋武石門」の9件である。選定された理由は・・・
一東南アジア、中国、朝鮮半島との長期交流
二祖先崇拝の心が遺産に具現されている
三考古学的価値が高い
四現存の残存遺物と修復された部分が峻別されている
これ等は琉球独自の文化と東アジア、東南アジアとの交流が見事にマッチし融合した稀に見る貴重な遺産群である、との評価で選定された。私達は、これ等の遺産群を現在の日常生活により良く活用し且つ大切に保存し後世に継承していく責務もある。・・・
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米軍基地返還跡地に一大商業都市誕生!

2005年01月27日 | Weblog
沖縄県中部に誕生した一大アメニティー商業都市、北谷町自慢の新生海浜都市である。人呼んでアメリカンビレッジ。中部一円の商業・ディズニィー的娯楽総合施設地として変貌。元米軍基地であった跡地を1977年~81年にかけて順次に返還された処である。其処を中核に周辺海域を埋め立てて大商業アメニティー施設の整った総合娯楽の殿堂として生まれ変わった。(元米軍基地のハンビー飛行場、メイモスカラー射撃場のあった跡地である。)那覇空港から東支那海沿いに北上し浦添市、宜野湾市を跨いで読谷村との中間地に位置する。風光明媚なロケーションを前方に仰ぎサンセット・夕日を遠望しながらジョッキを片手にぐい飲みする至福は、この世の法悦である。かつての西部劇を堪能できるアメリカン・シアター。有名芸能人のブランド・ショップ。沖縄一の大観覧車・・・色鮮やかな中心から波紋状に末広がる赤、緑、黄色、青、ピンク等の三原色のバリエーションのハーモニーは大人でさえ引きずり込まれ幻想の世界に浸る。ライトアップされた沖縄一のノッポビル「ザ・ビーチタワーホテル」。夜景に浮き出たイルミネーションに包まれた絶景は六本木ヒルズに匹敵する佳景。其処一体の正式名称は北谷町美浜である。南側の安良波公園は夏場は観光客や地元民でごった返す賑わいを見せる。冬場でさえ遊泳禁止の遠浅に浸かっているならず者さえ居る。ほんの少し我慢しさえすれば泳げるのである。冬場は沖縄に限るとは、よく口にする観光客の定番語である。沖縄に又一つ新名所が誕生した事になる。今後の若手新生北谷町美浜の前途を見守っていきたい。・・・

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憲法の歩みと世界の情勢概略メモ

2005年01月26日 | Weblog
全ての価値観が瓦礫の如く崩壊し戦後の世の中が希望の星が瞬くように始動した。“民主主義”、“自由”、“新教育”、“主権在民”、“権利”・・・キラ星は美しく輝き希望という名の登場で戦中の悲惨さを忘却させ無限の可能性を日本国民の前に提示した。ところが時代の変動は瞬く間に到来し朝鮮戦争勃発、新憲法も変容を余儀なくさせられる羽目に陥っていった。警察予備隊の誕生である。学校教育の副読本としての『憲法のはなし』は画期的戦後教育の華々しい出発点となったが・・・半島異変の勃発が様相を変容させた。日本に景気浮揚を齎した反面、再軍備の必要を迫ってきた。マッカーサーは方針を一大転換し極東(半島)防衛の盾として日本に軍備の必要を強要して来た。吉田内閣も当初の国是を一大転換し日米同盟、安保への布石を確立した。必要最小限の自衛力の強化、極東委員会の設置・機能行使、現憲法に抵触しない「戦力ではない」等、そして軍隊ではない?自衛隊の戦力は世界第5位にまで増強され不動の戦力となった。岸内閣の安保改定そして内閣総辞職。時は経ち政治の季節から池田内閣の所得倍増論へと経済の季節が到来する。軍備もGNPの1%枠を堅持。・・・ところが又世界は冷戦構造の基に海上道路・シーレーンが敷設され中曽根内閣の登場で1%枠も撤廃され力のバランスと独立国家としての世界に確たる面目を維持し貢献する国家像を打ち出した。時は経ち遂にベルリンの壁を民衆の手で打ち壊した。世界は冷戦の終焉を予感した。ところが皮肉にも予期せぬ事変が勃発した。“紛争”である。そして“テロ”へと変遷し現代・最近に至る。その間、国内では憲法解釈の敷衍を与野党の論戦の最大課題として論じられてきた。所謂『専守防衛』という名の登場である。海外派遣の為の苦肉の策としての外務省案の<国連平和協力法(案)>登場したが廃案になり、変わって『国連PKO協力法』が成立した。そして初めての海外派遣が「カンボジア」へのPKOとなった。米英主導によるイラク戦争とその終焉。自衛隊の『非戦闘地域』への派遣へと継続し今日に至っている。・・・

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”憲法9条”と「国際貢献の諸相」と<自衛隊派遣>

2005年01月25日 | Weblog
自衛隊派遣だけが恰も国際貢献であるかの如く論じられているキライがある。日本は国連に眼を向けているのか米国一辺倒なのか、それとも大所高所からの独自の道を指針として国際貢献を実施するのか実施しようとしているのか、そこの前提を明確にしないと論じる土俵が合わず論理が噛み合わない。拡大解釈で済し崩しにされた憲法の名の基に自衛隊は派遣されている。現今の世界情勢に寄与出来る国際貢献が世界の一員としての日本の進むべき今後の針路であり責務であるとするならば当然改憲して堂々と自衛隊(実質上、軍隊)を派遣して世界の常識に参入して仲間入りすべきである、と。・・・改憲論者の論拠もそこに収斂されている。自衛隊は国内では災害救助の名の基に出動され市民権を得、国際的には人道支援、国際貢献の名目で出動されている。戦後60年、その間に警察予備隊から海上保安隊、現自衛隊へと量的にも質的にも高度に変質して来た。警察が国内の治安維持を担い大の災害救助と国際的な事件事故には自衛隊が出動し棲み分けて分担する。改憲論者は、そのパターンを担い持続したい様である。憲法に抵触しない様に改憲し堂々と世界に向けて国際貢献出来る素地を形成したいと奔走する。こと憲法・改憲論議は一国の命運を左右する重大な課題だけあって後世に貸し・瑕疵を残さない様に慎重にも慎重に時間を掛けて論議すべきである。“この国のかたち”をどうするのかの理想・理念を明確にして国民的合意・コンセンサスを得て憲法論議をし改憲には踏み切るべきである。“この国のかたち“を思索し示唆した故司馬遼太郎氏は草葉の陰で嘆いているに違いない。・・・世界の最大公約数的合意の砦・牙城の国連を無視しつつある一国の覇権主義的米国に追従する日米同盟を今後も堅持していくのか、日本の命運を小泉首相に託した私達国民は立ち止まって必死に考えてみよう。・・・ネオコン、タカ派的外交、保守的経済に傾斜しつつある米国に追従し日米同盟を堅持していくのが日本のこれからの道程・針路・進路・スタンスなのか熟考したい。自衛隊派遣のみが国際貢献の在り方ではない。自衛隊派遣やODA、経済的支援のみが国際貢献ではない。世界の識者もその事は百も承知している。真の国際貢献は平和の使者としての日本国憲法の精神を世界の指針として普及させていく努力こそ国際貢献である。『どろどろとした他民族、異民族、テロ、紛争、アングラ、自国の利益のみ、マフィアが暗躍、跳梁する混合的クロス的に渦巻いているダーティな世界の実情を無視した暴論であり、あまりにも小児的思考の理想論であり非現実的であると断じられてもよい』。<その国民的覚悟こそが日本国民としての矜持の日本国憲法を世界に高々と掲げる理想なのだと世界に誇るべきである。>・・・自衛隊派遣以外の国際貢献は数多ある。NGO支援、民間支援団体、個人支援、政府主導の個人支援募集等など・・・挙げれば限がない。とにかく人道支援の在り方にも日米同盟行使の中に自衛隊を派遣せずに人道支援する方法は幾多もある事を肝に銘じておきたい。・・・以下省略・・・
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”国のかたち”と<憲法9条>と「国際貢献 自衛隊派遣」

2005年01月24日 | Weblog
一国平和主義では21世紀以降のこれからの世界には通用しない、と識者は異口同音に絶叫する。・・・世界に通用する我が“国のかたち”をどう描いていくか、どういう国にしていきたいのか、が<まず初めにありき>である。どういう国家像を理想・理念として描き、それへ志向していくかが論議の前提であり初めでなければならない、と私は思う。・・・国家の定義や自衛権(個別的自衛権や集団的自衛権は元々根っこは同じ同根から派生している、と私は捉えている)の問題は、その発生する根拠を法的にも哲学的にも国民に分りやすく専門家や識者は詳細に説明してもらいたいと思う。そこを出発点としないことには改憲論や憲法9条と自衛権、特に集団的自衛権の行使云々の論議は展開出来ないし前進しない。昨日のNHKのテレビ討論でも、そうであったが論議が尽くせないまま終了した。・・・戦後間もない頃の超短期間に促成された現憲法だから自主憲法を独立国家として制定すべき時機に来ている、と改憲論者は声高に叫ぶ。スピードと変動の激しい激変する世界の情勢に対応していく為には最高法規である憲法論議は避けて通れない問題である事は否めない。戦後60年経ってタブー視されて来た改憲論議を国民的課題としてテーブルに付ける事に異論はない。この際、徹底的に国民的議論を巻き起こし論議を尽くして貰いたいと望む。今国会でも改憲草案が提出される様である。大いに注目して、その成り行きを見守っていたいと思う。現憲法に欠落している環境問題とか国際貢献とか集団的自衛権の問題等を明記すべきであると改憲に意欲的な方々は異口同音に声高におっしゃる。私は違いと思うので見解を手短に結論から述べたい。(詳細に論ずると紙面が足りないので)現憲法は、其のまま据え置きでよい。激変するスピード化の世界情勢に対応するには個別の関連法規・法律を制定し適応すればよい。憲法に全て書き込む必要や必然性は何もない。憲法に明記しないと解釈論だけが一人歩きし拡大していき歯止めが利かないと与野党を問わず叫ぶ。そこを改憲の根拠としている。憲法に明記すると国際貢献も自衛隊派遣も解釈で行使して来た、これまでの慣習に拘る事はない、と胸を張る。私は違う。現平和憲法を死守する事こそ世界の紛争・テロ、ひいては戦争を撲滅し平和な世界の構築に国際貢献できる日本の進むべき過ちのない進路だと確信する。人類の有史以来の歴史が人間の性・業が為せる戦争の連続で血で血を贖う国境争奪、領土拡大、欲望・野望の充足に満ちた争奪戦だった事に今後も変わらない事を論拠の前提に論理を展開している。確かに、そういう事態・状況もあると思うのだが私は理想・理念を追究してやまない崇高な現憲法こそ世界に日本が誇るべき範たる最高法規である、と今後とも永続的に確信する。理想を高々に掲げた崇高な現憲法こそ世界の指針として推進すべき日本の国際貢献であるべきだと再度、確信する。・・・詳細は省略・・・

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プロ野球11球団ー春季キャンプー沖縄に結集!

2005年01月23日 | Weblog
毎年、数球団ずつ新規参入して遂に今年で11球団となった沖縄春(冬)季キャンプ。やはり暖かい時季を求めての練習には国内では沖縄が一番の適地なのだろう。どの球場も設備に於いては引けをとらない位、良く整っている。おまけに、どの地域でも官民挙って大歓迎して快く迎えてくれる。人懐っこい人々は沖縄の県民性で伝統的に培われた風土に根ざしての性でもある。更に良好な事には健康長寿食や健康飲料が一般人は勿論プロの選手にとっては必須の食の条件でありアイテムでさえある。という訳で心身両面の効能を兼ね備えた最適地が沖縄という事になって新参が増加している現状である。昨年は<新規参入>の造語さえ生み出し流行語大賞に輝いたライブドアと一騎打ちの末、文字どおり新規参入したプロ野球の「東北楽天イーグルス」が久米島に春季キャンプ地を得て今年から練習を開始している。ちなみに11球団のキャンプ地を南から北へと紹介しよう。・・・
●宮古島・・オリックス ●横浜ベイスターズ・・宜野湾市 ●ヤクルト・・浦添市
●広島カープ・・沖縄市 ●中日ドラゴンズ・・北谷町 ●阪神タイガース・・宜野座村
●日本ハム・・名護市  ●楽天イーグルス・・久米島町・・・以上日本球団・・・
▲韓国LG・・具志川市  ▲韓国サムスン・・恩納村  ▲韓国SK・・石川市
合計<11球団>・・・・「楽天イーグルス」が久米島にキャンプを張った事で地元では過疎化する傾向に歯止めが架かったと歓喜満面で歓迎し経済効果も大きいと総合的に算出している。投じた費用も莫大になったが将来の発展を考えると先行投資だと考え予算を惜しまず捻出したとの事。いよいよ今年は各球団やキャンプ地の地元も成功の可否を左右する正念場となる。今後の成り行きを私達県民やサポーターは暖かく見守っていきたい。・・・成功を祈る・・・

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泡盛最古の蔵元ー老舗”新里酒造”-の挑戦

2005年01月22日 | Weblog
泡盛の歴史は古く琉球王朝時代に遡る。時の王府は朝鮮や中国への献上品として貴重で珍重な伝統に根ざした琉球(沖縄)泡盛を首里の3個<崎山、赤田、鳥掘>在住の三十人にのみ製造を許可した。その内の一人、新里 蒲氏が創業者で現在の“新里酒造”を立ち上げた。時に1846年、弘化3年である。実に160年の歴史を誇る老舗である。泡盛は水が命で水質の良好な王腑お膝元の首里が適地であった。其処で操業を開始したのである。ところが戦雲急を告げ厳しい戦時中の非常時に会い沖縄戦中は操業の停止を余儀なくされた。再開したのが戦後である。そして那覇市牧志で復活(操業開始)したのが昭和53年であった。時が経って暫くすると沖縄市からの勧誘誘致があり沖縄市に工場を移転し現“新里酒造”が創業以来160年の歳月を得て今日に至っている。・・・定番商品としては「古酒琉球」がある。泡盛特有の芳醇な香りとコクのある常圧蒸留、減圧蒸留の特徴を生かした銘酒として内外に定評を得、好評を博している。平成16年にはサントリーと提携して一般酒「美ら島」を誕生させた。どちらも好評、発売中でありフル稼業で製造している。老舗としての創業・操業の伝統を重んじ更に現代にマッチした老若男女を問わず、どの年代どの世代にも合う美酒を心がけ研究研鑽を積み重ねてきた。若者の斬新な発想を取り入れ、まろやかで芳醇でコクのある口当たりの良い製品に仕上げた。しかも伝統を重んじ伝統に根ざした新製品を、どしどし生み出している。根強い人気の秘密は、そこにある。社会の変化、変動に敏感に適応しての賜物である。健康志向の火付け役も「新里酒造」が一役を担っている。酒造中に絞りかすから出来る<アミノ酸・クエン酸>を原料に「もろみ酢」の製品を誕生させた。今ではバリエーション豊な新商品が、どしどし生み出されている。広報活動にも力を入れテレビ、コマーシャルでは「そろそろ“かりゆし”」のキャチフレーズで親しまれている。伝統と現代との調和を見事に取り入れマッチさせた手法は今後の業界の在りかたに一つの示唆を与えるものとして高く評価されている。・・・

備考:沖縄に関わる事を開陳しているだけで記事とは何の関わりもない。

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大寒!でも沖縄は断トツに暖かい!!

2005年01月21日 | Weblog
南北に弧状を描く細長い日本列島!その温度差も激しく大きい。極寒の北海道から南の亜熱帯沖縄まで領有面積を有し数十度の差は当然と言えば当然であり当たり前である。何しろ昨日の大寒だって他府県では6,7℃を記録したのに此処沖縄では最高温度が17℃だし最低温度でも13℃である。海上では波浪注意報が出る位で波も冬季にしては穏やかで落ち着いている。北国の街が雪降る白銀の世界を演出すれば此処沖縄は曇天の空模様で、さして寒さは感じられない。道行く人の群れも初冬と変わり映えしないし大寒という季節の折り目も実感できない。年間平均温度が20℃前後の亜熱帯沖縄では寒風に弱い性もあってかオーバーを着て通勤するサラリーマンを多く見かける。でも彼等彼女等でさえ、ちじ篭った表情はなく穏やかで初秋の頃と変わらずの姿態である。でも最近では毎年やって来る四季の移り変わりも変転異変が起きている様だ。最近の地球温暖化の成せる業か大寒でさえ寒さを実感できないくらい暖かい。人災としか言い様がない。自然に働きかけ耕作し生み出した“文化”と引き換えに、しっぺ返しを受けているかの様である。・・・ところが、ここ数年寒い北国から、この季になると暖を求めて暖かい沖縄に、どっと観光客が押し寄せて来る。去年は515万人の方々が南国の温暖を求めてやって来た。心行くまで堪能して帰郷したと報じている。今年は525万人を達成しようと県当局や関連観光産業・ホテルでは、その対策に東奔西走している様だ。目標達成の為に奮闘している様が眼に浮かぶ。<災いを転じて福と成す>・・・自然条件を最大限に生かして北国の同胞に亜熱帯沖縄の温暖な気候を満喫させたいものだ。・・・

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当事者は一堂に会して釈明会談を!

2005年01月20日 | Weblog
報道・放映の真偽がマスコミ界を賑わせている。報道の自由、言論の自由云々が言われて、ここ数日間<最近>のマスコミ界や言論界は活気を呈している。事の重大性が国民の耳目を集め釘づけにしているからなのだろう。新聞報道やテレビ放映は個々人の釈明会見や弁明の場を設けて報じている。NHKしかり、朝日新聞社、安部氏、中川氏、個々人の会見や報道、放映をしている。拝読、拝聴する限りに於いては最もだと頷くしかない。誰かがウソを付いているか土俵を異にしているので論理が噛み合わないか、のどちらかである。しからば当事者が一堂に会して合同会談でもして国民の前に事の経過や成り行きを克明に説明すべきだろう。それこそ報道・放映されたからには自己の説明責任である。報道・放映の媒体としての役割や責任は場を設けて事の是非をはっきりさせるべき事である。言論の自由、報道の自由は憲法に保障された表現の自由に根拠があるか並列的に根拠があるかであるはずだ。詳細は上位法である憲法を根拠に個々の法律があり規定(規程)しているはずである。そもそも報道、放映する以前に関係者や当事者に許可を得たり修正を依頼したりの・・・穏便?な、まあまあ?で報道、放映の真実、事実を国民に伝える事が出来るのか、疑問と言わざるを得ない。そういう機会を捉えて憲法→法律→条例・規約等で分かりやすく解説し事の真偽を判断出来る根拠を教示すべきである。少なくとも報道・言論界は国民に知らせる義務を負っているのなら白黒・真偽が尽くまで、分りやすく知らせてほそいと要望するものである。・・・

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遅きに失した国連防災世界会議に期待!

2005年01月19日 | Weblog
災害が起こってからの事後対策が、これまでの在り方・事例だった。その点からすると今回の対応は大惨事を招いたからだったのか行動が素早かった。・・・21世紀の国内国外の頻発する事件事故は国際的に解決すべき時期に来ている。一国では、到底、解決不可能な事柄でも各国が連携すれば可能になる事が多い。いよいよ世界は連帯し相互扶助で協調せねばやっていけない事が明白になり益々深まっていく事になった。スマトラ沖地震津波を契機に素早い国際的連帯行動は今後の地球規模での天災・人災等の災害のあり方に多くの示唆を与えた事になる。災害防御技術対策先進国、日本が先導しての今回の国連防災世界会議は絶好の機会であり、その真価を発揮する又とないチャンスである。日本の持てる技術やノウハウを世界の為に提供する責務もある。それこそ人道支援の最たるものである。武器・武力・後方支援、自衛隊派遣等だけが世界への同盟国への忠誠支援ではない。・・・神戸で始まった記者会見で国連のエグランド緊急援助調整官室長は「まれにしか起きない津波より、世界の人々を毎年苦しめているのはハリケーンや洪水だ」と津波以外にも災害は数多あると牽制し訴えた。更に「暴風雨や洪水などすべての自然災害を対象にした世界規模の警報システムを、十年以内に構築する必要性を強調した」・・・と新聞は報じている。小泉首相も全体会議で「英知を結集し、災害による被害軽減への協力を一層深めよう」と演説し各国に呼びかけた。世界が連帯し明るい展望が観えて来た感さえする。警報システム等のハードを構築整備したら同時にソフトとしての人力体制の連携連絡等の避難の在り方の徹底実践こそ最重要である。日常・平常時からの訓練を怠らない事こそ私達一人一人の自己責任である。・・・

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防災インフラ整備の公費と私費・自助努力の峻別

2005年01月18日 | Weblog
昨日の阪神淡路大震災の特集番組を視聴して防災インフラの在り方についての専門家や識者の見解に賛同する面と賛同しかねる面があったので私見を述べたい。自国民をあらゆる災害から守るのは為政者の責務である。ましてや天災・人災の不可抗力的災害は国費で賄うべき事は当然である。災害救助法、国土防衛等の数多ある関連法規は予期せぬ非常事態や事後の対策の為に用意されている。ODAや他国への人道支援、災害救助支出・・・等は各国間の相互扶助の精神で人道的になされている。プライオリティーからすると自国民優先は当然である。世界的に支援金額の拠出順位を争うより、その支援金以上の救助支出を自国民の為に拠出すべきである。全国の末端に防災網を張り巡らし安心して日常生活が送れる様にする事である。地震を想定し津波を想定し、その為の国のなすべき防災インフラを整備する事である。家屋敷や家屋、家財道具、私道等・・・個人の責任で整備すべき事は当然、自費・自助努力の範囲内であり各自が防災財産として日常から整備しておくのは当然である。翻って低地、狭歩道、狭山林、水害地帯、河川・沼地帯、海岸区域、公用地、国有地、公的空間、その他危険区域等・・・私に帰さない公の整備すべき事項は公費で賄うべきである。自宅から近距離の地震対策の空間設置、同様に津波対策の施設空間の設置、火災対策の空間等、防災施設整備は急を要する。・・・挙げれば限がないが是非とも整備しなければならない事柄である。日常の心構えは学校では年間カリュキュラムに位置づけて日常的に取り組む。一般人は社会教育・公民館活動として日常的に取り組む。そういう総合的対策として全国の末端まで徹底し浸透させるべきである。テレビで広報マイクで公的広報機関を網羅しての系統的統一的に国・県・都・道・市町村が有機的に縦割り横割りをクロス的に関連させて対策を講ずるべきである。風雲急を告げているのが昨今である。


あれから10年!被災者家族の癒えぬ心情

2005年01月17日 | Weblog
天災とはいえ犠牲者には無慈悲だった。哀悼の辞を捧げて冥福を祈る。残された者が出来る事は何なのか共に考えてみたい。同胞の責務として受け止めている。・・・ごく日常のありふれた生活の中に突然襲ってきた天災。火山列島日本!地震列島日本!いつ自然の猛威に襲われるか知らない運命共同体の命運は自然の営為に委ねられているのか!人智で未然に防御できないのか。科学技術の高度に発達した現代でさえ不可能だったら人間の打つ手はなにか。・・・人智を結集して取り組む術を模索すべきである。10年という歳月は遺族にとっては昨日今日の出来事でしかない。やりきれない胸中は察するに余りあるものがある。為政者や政治家、行政にある方々は無論、私達の一人一人が問題意識を持って小さな力を結集すべきである。それが世論となり政治を行政を動かす原動力になる。・・・事前に予知する警報器具等の完備。日本列島全国隅々まで張り巡らす事である。自然災害や人災を最小限に食い止める措置を講ずるべきである。事件・事故・災害等の節目節目はモニュメント的祭事にすべきではない。結果を真摯に反省し二度と悲惨な惨事を繰り返さない対策を執る節目として位置づける事である。そこに開催の意義がある。自分だったら、どういう策があるのか。どうすべきか。どこに、どう訴えるべきか。他山の石としないで立ち止まって共に考えてみよう。そういう一人一人の小さな力の結集が大きな力になり、しかるべき衝にある方々を動かすのである。今日の節目を契機に共に頑張っていこう。・・・

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