「在沖米軍基地」の概容 ネット資料より
はじめに ・・・「普天間基地」移設先の日米合意がなされ地元無視の進捗が喧しい今日、一体「普天間飛行場」とは、その実態・実情・現状・内実はどうなのか内外の諸資料から渉猟してみた。
宜野湾市の中心に居坐る海兵隊専用基地。
在日米軍基地で有数のへり基地となっている普天間飛行場。第1海兵航空団のホームベース。宜野湾市の中央部に位置し、県内で唯一の米海兵隊専用の航空基地。面積4・8k㎡で市全体の約26%を占有する。米海兵部隊が海外に唯一おいている戦闘攻撃航空部隊主力の前進拠点は山口県の岩国基地である。普天間は岩国と連動して、輸送・攻撃へリを中心として上陸作戦の対地攻撃、偵察、空輸を主任務とする。1945年米軍占領と同時に接収され、1960年から海兵隊航空基地となったが、1969年以降第1海兵航空団第36海兵航空群のホームベースとして使用されている。2800mの滑走路を中心に格納庫・通信施設・整備修理施設・部品倉庫・部隊事務所・消防署があるほかに、PX・ゴルフ場・クラブ・バー・診療所など総合的に整備されている。1976年には第1海兵航空団司令部が岩国からキャンプ・バトラーに移駐し、名実ともに沖縄は海兵隊の総合的拠点となった。核兵器専門要員の配置1979年2月には、第1海兵航空団に多数の核兵器要員が配備されおり、普天間にも86名もの核兵器要員がいることが明らかになった。翌1980年には、岩国の核攻撃機(イントルーダ・スカイホーク)に核兵器を装備・供給する部隊の存在が暴露された。さらに1981年、米海兵隊総司令部バロー大将は米上院軍事委員会でNBC(N=Nuclear核兵器、B=Biological生物兵器、C=Chemical化学兵器)戦の専門部隊の配備を公言し、翌1982年8月には、在沖海兵隊にNBC戦の特殊防御斑(SDU)が配備された。普天間でも、うす気味悪いガスマスクを付けた防御訓練が実施されている。基地に反対する市民の声 普天間飛行場は宜野湾市をドーナツ状に空洞化している。基地周辺には、沖縄国際大学をはじめ多数の小・中・高校が隣接し、住宅街がフェンス沿いに広がっている。ジェット機が発する高い騒音ではないにしろ、へりは、無方向を低空で飛び回り、周辺は常時騒音に悩まされる。1980年4月には、「普天間飛行場撤去および基地公害(騒音)を追放する宜野湾市民の会」を結成した。住宅防音工事も「基地容認につながる」と拒否し、1983年8月現在、その実施率は他市町村と比較して低い。へりは、安定性も大変悪く、たびたび墜落・不時着事故を起こしている。1984年には5月と7月に、普天間のCH53大型へりが墜落炎上する事故が相いついた。
●普天間飛行場の面積・土地所有状況など
■宜野湾市における基地面積と割合 面積(ha) 割合(%) 宜野湾市全体 1951.0 100.0 米軍基地 普天間飛行場 480.5 24.62 キャンプ瑞慶覧 156.9 8.04 陸軍貯油施設 0.1 0.00 基地以外の市域 1313.5 67.32
■ 普天間飛行場の土地所有状況 面積(ha) 割合(%) 国有地 33.2 6.9 県有地 0.0 0.0 市有地 5.0 1.0 民有地 442.3 92.1(平成12年11月現在)沖縄県外の米軍基地がほとんど国有地であるのに対し、県内の基地のほとんどが市町村有地や民有地で占めています。 普天間飛行場も面積の約92%が民有地であり、基地返還後の跡地利用計画においては、地権者の合意形成が重要であると考えられています。
■地区構成 普天間飛行場は、大山、宜野湾、神山、中原、新城、上原、大謝名、赤道、喜友名、野嵩、佐真下、伊佐、真志喜、普天間の14地区(大字)により構成されている。